一部描写の追加、修正しました。
その日の巡回前、マミさんはいつものようにテーブルへ見滝原の地図を広げた。ただ、今日は印の確認を始める前から少し言いづらそうで、紅茶のカップへ指を添えたまま、何度か俺たちの顔を見ていた。
「その前に、一つ話しておきたいことがあるの」
さやかがケーキへ伸ばしかけていた手を止める。
「何?」
「少し前に、一人だけ連絡を取ってみた子がいるの」
「連絡?」
「ええ。魔法少女よ」
その言葉に、まどかが顔を上げた。
「マミさんのお友達ですか?」
「……昔、一緒に戦っていた子よ」
友達、とは言わなかった。
ほんの一拍だけ置かれた間を、まどかも感じ取ったらしい。それ以上すぐには聞かず、さやかもマミさんの顔を見ただけで口を挟まなかった。
俺には、それだけで誰なのか分かってしまった。
佐倉杏子。マミさんに戦い方を教わり、後に袂を分かった魔法少女。赤い髪に長い槍、今は隣の風見野を縄張りにしている――そこまで頭へ浮かべたところで、意識して考えるのを止める。
知識としては知っている。でも、俺自身が会うのは初めてだ。
「その子にも伝えたの。ワルプルギスの夜について」
まどかが首を傾げる。
「ワルプルギスの……夜?」
さやかも聞き覚えがないらしい。ほむらだけは何も言わず、地図を見たままだった。
マミさんは少し考えてから、言葉を選ぶように続ける。
「魔法少女の間で昔から語られている、非常に強力な魔女よ。私も実際に見たことはないけれど、名前だけなら聞いたことがあるわ」
「有名なんですか?」
「有名というより……噂に近いかしら」
マミさんはカップを置く。
「現れた街へ大きな災害をもたらしたとか、複数の魔法少女が挑んでも倒せなかったとか。聞く人によって話も少しずつ違うし、本当に実在するのかさえ、私には確かめようがなかった」
「都市伝説みたいな?」
さやかが言う。
「そうね。魔法少女版の都市伝説、と言った方が近いかもしれないわ」
なるほど。
俺にとってワルプルギスの夜は、原作で何度も見た確定イベントだ。でも、この世界の魔法少女に攻略Wikiなんてない。組織もなければ、危険度一覧が配られるわけでもない。
生き残った魔法少女から別の魔法少女へ、断片的な話だけが伝わっていく。
その中でも、とびきり物騒な噂。
「でも、それが見滝原に来るんですよね?」
まどかの問いに、マミさんはすぐには頷かなかった。
「……その可能性がある、と暁美さんから聞いているわ」
視線がほむらへ集まる。
ほむらの肩が僅かに強張った。
「可能性って、どのくらい?」
さやかが聞く。
ほむらは少し迷ったあと、静かに答えた。
マミさんが僅かに目を見開く。
「暁美さん?」
「ワルプルギスの夜は、見滝原に来ます」
今度は迷わなかった。
来るかもしれない、ではない。
マミさんもその言い方にはまだ慣れていないのだろう。少し困ったようにほむらを見る。
「私も最初に聞いた時は、にわかには信じられなかったの」
「巴さん……」
「疑っているわけではないのよ。ただ、私にとっては今まで噂の中にしかいなかった魔女だから」
当然だと思う。
俺とほむらには確定事項でも、マミさんにとっては伝説だ。
それでもマミさんが完全に切り捨てなかったのは、ほむらの確信があまりにも強かったからなのかもしれない。
「それで、その子にも?」
さやかが聞く。
「ええ。もし本当にワルプルギスの夜が来るなら、私たちだけで対処できるとは限らないもの」
「来てくれるんですか?」
まどかが聞くと、マミさんは少し困ったように笑った。
「さあ。返事らしい返事はもらえなかったから」
「それ連絡した意味ある?」
「美樹さん」
「だって」
「でも、聞いてはくれたと思うわ」
その言い方が妙に慣れていた。素直に返事はしない。それでも完全に無視するわけでもない。そういう相手だと、マミさん自身がよく知っている声だった。
◇
結局、その日もいつも通り巡回へ出た。
駅から少し離れた商業区画を抜け、河川敷へ向かう途中。五人で歩いていた俺たちは、先頭のマミさんが急に足を止めたことで一斉に前を見る。
「……来たのね」
「え?」
まどかがその視線を追う。
道路脇の低いコンクリート塀。その上に、一人の少女が片膝を立てて座っていた。
赤い髪を高い位置で結び、片手には買ったばかりらしい菓子パンの袋を持っている。制服でもなければ魔法少女の衣装でもない。それでも近づくにつれて、こちらのソウルジェムが微かに反応した。普通の少女じゃない。そして俺は、その姿を知っている。
画面の中では何度も見た。でも実際に目の前へいると、最初に感じたのは思っていたより小柄だということだった。
杏子はパンを一口齧ったまま俺たちを順番に見た。マミさん、まどか、さやか、ほむら。そして最後に俺。
その声を聞いて、マミさんが少しだけ姿勢を正す。
「久しぶりね、佐倉さん」
「……ああ。久しぶりだな、マミ」
それだけだった。
もっと何か言うのかと思ったけれど、二人ともすぐには続けない。昔一緒に戦っていたという言葉を聞いていなければ、かつて近い距離にいた二人だとは分からなかったかもしれない。
先に口を開いたのは杏子だった。
「勘違いすんなよ。別にあんたに呼ばれたから来たんじゃねえ。ちょっと様子見に来ただけだ」
「そう」
「……何だよ」
「別に?」
マミさんの口元が僅かに緩む。
杏子は露骨に嫌そうな顔をしたが、塀から降りても帰ろうとはしなかった。ほんの少しだけ、昔の空気が残っている。
「せっかくだから紹介しておくわね」
マミさんがこちらを見る。
「佐倉杏子さん。以前、私と一緒に戦っていた魔法少女よ」
「昔の話だろ」
「ええ。昔の話ね」
杏子がこちらを向く。
「佐倉杏子。別に覚えなくても困らねえけどな」
これでようやく、俺以外の四人も名前まで知った。
◇
「で」
杏子は改めて俺たちを見回した。
率直だった。
「何人いるんだよ」
「私を入れて五人ね」
「五人?」
杏子が眉を寄せる。
「前は一人でやってただろ」
「今は違うのよ」
「見りゃ分かる」
最初に視線を向けられたのは、まどかだった。
「鹿目まどかです」
まどかが自分から頭を下げる。
「ふーん」
次はさやか。
「美樹さやか」
「昨日今日で魔法少女になった顔してんな」
「何で分かんの!?」
「見りゃ分かる」
「二回目!」
杏子は気にせず、そのままほむらへ視線を移した。
ほむらはほんの少しだけ姿勢を正す。
「暁美ほむらです」
「……その盾、武器か?」
「はい」
「変なの」
ほむらの眉が僅かに動いた。
完全に知らない相手を見る目だった。警戒はしているけれど、そこに過去の記憶らしいものは何もない。
そして最後に、杏子の指が俺へ向いた。
「で、誰だこいつ」
「マギカさん。今、一緒に戦っている子よ」
「マギカ?」
杏子が仮面を見て、それから俺の全身へ視線を滑らせる。
「変な名前」
「放っとけ」
「本名じゃねーだろ、それ」
「お前に言う必要ある?」
「ねーな」
あっさり引いた。
何だろう。楽だな、こいつ。
杏子はもう一度俺とマミさんを見比べた。
「また弟子増やしたのか?」
「弟子ってほどじゃ――」
「そう?」
「マミさん?」
思わず振り向くと、マミさんが少し楽しそうに首を傾げた。
「戦い方なら、何度か教えているでしょう?」
「それ弟子じゃん」
「お前まで乗るなよ」
「いや、弟子だろ」
杏子の口元が僅かに上がる。
そこへ、さやかがすぐ食いついた。
「また?」
杏子の顔から笑いが消える。
「今、またって言った?」
「言ってねえ」
「言ったじゃん!」
「聞き間違いだ」
「いや絶対言った! もしかして杏子って、マミさんの弟子だったの?」
「違ぇよ!」
今度は即答だった。
マミさんが二人の間へ入れるように口を開く。
「昔、少しだけ戦い方を教えていたの」
「マミ」
「別に隠すことでもないでしょう?」
「昔の話だっつってんだろ」
杏子が顔を背けた。
それ以上、まどかは聞かなかった。ほむらも二人を見比べるだけで何も言わない。
俺はもっと詳しく知っている。二人の間に何があって、どうして杏子がマミさんから離れたのかも、作品の情報としてなら頭に入っている。
でも、だからこそ聞かなかった。
◇
杏子はしばらく五人を眺めたあと、最後にマミさんへ視線を戻した。
「……ずいぶん賑やかになったな」
「そうね。私も最初は驚いたわ」
マミさんは素直に頷いた。その表情には少しだけ嬉しそうなものが混ざっている。
「ふーん」
杏子はそれだけ返した。
ただ、最初に塀の上からこちらを見下ろしていた時より、僅かに肩の力が抜けたように見えた。気のせいかもしれない。
◇
「それで」
マミさんの声が少し真面目になる。
「来てもらったついでに、改めてワルプルギスの夜の話をしておきたいの」
「だから呼ばれて来たんじゃねえって」
「分かってるわ」
今度は「はいはい」と流さなかった。
杏子もそれを察したらしく、文句を言わずマミさんへ向き直る。
「……本当にあれの話だったんだな」
杏子の声が少し低くなる。
「佐倉さんも知っているの?」
「名前くらいはな」
まどかとさやかが杏子を見る。
「風見野でも有名なの?」
「有名ってほどじゃねえよ。噂だ」
杏子は残っていたパンを一口齧る。
「どっかの街を丸ごと吹っ飛ばしたとか、何人も魔法少女が挑んで全滅したとか。聞くたび話変わるし、正直、盛られてると思ってた」
「私も似たようなものよ」
マミさんが頷く。
「だからこそ、暁美さんから『見滝原へ来る』と聞いた時には、私もすぐには信じられなかったの」
杏子がほむらを見る。
「お前か」
「……はい」
「ワルプルギスの夜が来るって言ったの」
「はい」
「本当に?」
即答だった。
杏子の眉間に皺が寄る。
「何でそんな自信あんだよ」
「それは……」
ほむらの指が膝の横で僅かに動いた。
少しだけ間を置く。
「理由は、まだ話せません」
「またそれかよ」
杏子が露骨に顔をしかめる。
「ワルプルギスの夜なんて、本当にいるのかすら怪しいって話だぞ。それがピンポイントで見滝原に来る? しかもお前は理由言えねえ? 無茶言うな」
「……すみません」
「謝られても信じられるようにはならねえよ」
至極まともだった。
むしろ、この状況で即座に「そうか、じゃあ一緒に戦おう」となる方がおかしい。
「佐倉さんの言うことはもっともよ」
マミさんも止めなかった。
「でも、暁美さんは最初から一度も『来るかもしれない』とは言っていないの」
「……何?」
「ずっと『来る』と言っているわ」
杏子が再びほむらを見る。
「見たことあんのか?」
「…………」
ほむらは答えない。
杏子はしばらく待ったが、やがて小さく鼻を鳴らした。
「まあ、いい」
「いいの?」
さやかが聞く。
「よくねえよ。でも、こいつ絶対言わねえだろ」
「……」
「だったら今聞いても時間の無駄だ」
切り替えが早い。
ほむらが少し申し訳なさそうに目を伏せる。
「で」
杏子が今度はマミさんを見る。
「仮に本当に来るとして、倒せんのか?」
「分からないわ」
「即答かよ」
「実際に戦ったことがないもの」
「倒した魔法少女は?」
「私は知らない」
「弱点」
「分からない」
「……情報なさすぎだろ」
それはそう。
俺は知っていると言えば知っている。でも、俺が持っている原作知識だって「ワルプルギスの夜がものすごく強い」という大枠が中心だ。攻略手順まで頭に入っているわけじゃない。
前の時間で実際に戦って、それを嫌というほど思い知った。
「グリーフシードは?」
「え?」
マミさんが瞬きをする。
「いや、倒したら落とすだろ?」
「……魔女なら、そうでしょうけど」
杏子は少し考え込む。
「そんな化け物を大人数で倒して、グリーフシード一個だったら割に合わなくね?」
思わず心の中で突っ込んだ。
伝説級の魔女が本当に来るのか、倒せるのか、生き残れるのかという話をしていたと思ったら、急に報酬配分を気にし始めた。
いや。
杏子なら気にするか。
「……お前、今そこ考える?」
結局、声にも出た。
「あ?」
「いや、もっとこう、倒せるのかとかさ」
「それも考えてるよ」
杏子は当然みたいに返す。
「でも大人数で戦えば魔力も使うだろ」
「まあ」
「で、倒してグリーフシード一個」
「まだ一個とは限らないだろ」
「二個落とす魔女見たことあんのか?」
「……ない」
「じゃあ一個じゃねえか」
ものすごく現実的だった。
さやかが呆れた顔をする。
「街が壊れるかもしれないって話なのに、そこ気にする?」
「お前らが気にしなさすぎなんだよ」
杏子はさやかを指差す。
「正義感だけでソウルジェムは綺麗にならねえぞ」
「それは……」
さやかが言葉に詰まった。
前回の使い魔の件もあるから、余計に刺さる。
「グリーフシードについては、今ある分をできるだけ温存しておきましょう」
マミさんが間へ入った。
「当日に使える分を確認して、消耗した人から使えるようにするつもりよ」
「そこまで準備すんのか」
「来ると仮定するなら、やれることはしておきたいもの」
マミさんは地図を広げ直す。
「戦う場所も、避難経路も確認する。相手がどれくらい強いか分からない以上、勝つことだけ考えるわけにはいかないわ」
俺は黙ってその地図を見る。
前の時間でも準備した。
それでも届かなかった。
だからこそ今度は、一つでも多く増やす。
戦力も、情報も、逃げ道も、生き残る手段も。
「佐倉さん」
マミさんが顔を上げる。
「改めてお願いしてもいいかしら」
杏子が眉を上げる。
「もし本当にワルプルギスの夜が来たら、私たちと一緒に戦ってほしいの」
すぐには返事がなかった。
杏子は地図を見る。
「前にも言ったけどさ」
「ええ」
「あたしには風見野がある」
指先が地図の上を滑る。
見滝原の隣。
風見野。
「何日もこっちに張り付いて、向こうほったらかしにする気はねえ。それに、本当にそんなのが来るかもまだ信じてない」
ほむらが少し俯く。
「ただ……」
杏子の指が止まる。
「街一個どうにかするような奴なら、見滝原だけで済む保証もねえよな」
マミさんが静かに頷く。
「私もそう思うわ」
「見滝原で暴れて、そのまま消えてくれりゃいいけど」
「そうなる保証はないわね」
「風見野まで来られたら、結局あたしも相手しなきゃならねえ」
杏子がほむらを見る。
「……本当に来るんだな?」
ほむらは目を逸らさなかった。
また即答だった。
杏子は数秒、その顔を見ていた。
「…………」
やがて小さく息を吐く。
「分かった」
マミさんの表情が少し変わる。
「佐倉さん?」
「本当に来たら、その時は手ぇ貸す」
「本当?」
「勘違いすんなよ」
すぐに杏子が指を立てた。
「マミに頼まれたからだけじゃねえ。風見野まで巻き込まれたら困るからだ」
「ええ」
「それに、本当に無理そうだったら逃げるぞ」
「もちろんよ」
「死ぬまで付き合う気はねえからな」
「それでいいと思うわ」
マミさんは笑った。
杏子が少し目を逸らす。
「……何笑ってんだよ」
「別に?」
「その顔やめろ」
またそれだ。
昔も、こんなやり取りをしていたんだろうか。
杏子が戻ってきたわけじゃない。マミさんの弟子に戻ったわけでもない。
ただ、必要なら一緒に戦う。
今はそれくらいでいいのかもしれない。
◇
その時、胸元のソウルジェムが小さく反応した。
マミさんたちもほぼ同時に顔を上げる。
「近いわ」
「使い魔?」
まどかが辺りを見回し、杏子も自分の指輪へ一度目を落とした。
「……弱いな」
反応を追って路地の奥へ進むと、小さな結界が口を開いていた。
中へ入っても感じる魔力は弱く、すぐ近くを数体の使い魔がうろついているだけで、少なくとも目に見える範囲に魔女本体はいなかった。
「よーし」
さやかが剣を出す。
「行こう!」
「ほっとけよ」
杏子の一言で、空気が変わった。
「……は?」
さやかが振り返る。
「そいつら使い魔だろ」
「だから?」
「倒したってグリーフシード落とさねえ。魔力の無駄だ」
「でも、人を襲うんでしょ?」
「今すぐ魔女になってるわけじゃねえ。餌食って育てば、そのうちグリーフシード持ちになる」
さやかの顔から笑いが消えた。
「……人を襲わせて、魔女になるまで待つってこと?」
「効率の話だよ」
「ふざけ――」
「美樹さん」
マミさんが止める。
いつもより少し低い声だった。
「佐倉さん」
「分かってるよ」
杏子は面倒そうに髪を掻く。
「昔からそこは変わってねえな」
その言葉がどちらへ向けられたのかは、聞かなくても分かった。
マミさんも何も返さない。
「私は倒すわ」
「好きにしろよ」
杏子は手を出さなかった。
マミさんがマスケットを出し、まどかが弓を構える。さやかはまだ納得していない顔のまま前へ出た。
「行こう」
俺も刀を抜き、ほむらが盾へ手を掛ける。
杏子だけが、少し離れた場所から俺たちを見ていた。
◇
使い魔だけなら、今の五人で苦戦する相手ではなかった。
さやかが前へ出て攻撃を受け、まどかが後ろから射る。俺がスペッキオ・ファントムで狙いを僅かに外し、マミさんがマスケットとリボンで逃げ道を塞ぐ。ほむらも時間停止を使う必要まではなく、全体を見ながら死角だけを補っていた。
最後の一体をさやかが斬り伏せる。
「これで――」
その言葉が終わる前に、結界のさらに奥から鈍い音が響いた。
「待って!」
マミさんが銃口を上げる。
さっきまでただの壁に見えていた場所へ亀裂が走り、内側から押し開かれるようにゆっくり裂けていった。その向こうには、さらに深い空間が続いている。
「……別区画?」
思わず口から漏れた。
同時に、それまで使い魔の反応へ紛れていたものとは明らかに違う、重い魔力が流れ込んでくる。さっきまで感じ取れなかっただけだ。魔女は最初から、この結界のもっと奥に潜んでいた。
「魔女……?」
まどかが弓を引く。
離れて見ていた杏子の姿勢が変わった。
壁へ預けていた身体を起こし、奥から這い出してくる影を見据える。
「は?」
さやかが睨む。
杏子はもう聞いていなかった。
赤い光が弾け、次の瞬間には魔法少女の姿へ変わっている。手の中へ現れた長い槍を構え、そのまま地面を蹴った。
「速っ」
思わず声が出る。
「佐倉さん、待って!」
マミさんの声が飛んだ時には、もう杏子は魔女の間合いへ入っていた。
魔女が杏子を避けるように横へ動く。
その瞬間、一本だった槍の柄がいくつもの節へ分かれ、鎖のように大きくしなった。弧を描いた穂先が、逃げた魔女の横腹へ正確に叩き込まれる。
知識としては知っていた。でも実際に目の前で見るのは初めてだ。
荒っぽく正面から殴りつけているように見えて、動きはかなり細かい。踏み込む位置、槍を伸ばす距離、戻すタイミング。その全部が身体へ染みついていて、長く一人で戦ってきた魔法少女だと一目で分かった。
「ぼさっとすんな!」
「分かってる!」
杏子の声で意識を戦闘へ戻す。
魔女がこちらへ向き直ったところへ刀を構え、魔力を流す。
魔女の認識から俺の位置を僅かに外す。放たれた攻撃は身体の横を通り抜けた。
「今の何だ?」
杏子が一瞬だけこちらを見る。
「後で!」
「はいよ!」
返事が軽い。
俺が前へ出ると、杏子も反対側から間合いへ入った。同じ前衛でも戦い方はまるで違う。俺は相手の認識を外して攻撃そのものを空振りさせ、杏子は長い槍で真正面から相手の間合いを奪っていく。
その時、右側へ使い魔が一体飛び込んできた。
「私が!」
さやかが先に駆ける。
ほとんど同時に、反対側から杏子も踏み込んだ。
「邪魔!」
「あ?」
二人の剣と槍が同じ使い魔へ伸びる。
さやかの剣先すれすれを杏子の槍が横切り、杏子も慌てて柄を引いた。使い魔は二人の間を抜け、そのまま後方へ走る。
「ちょ、危なっ!」
「そっちが突っ込んできたんだろ!」
「あたしが先だった!」
「知るか!」
「二人とも前!」
マミさんの声と同時に、逃げた使い魔を桃色の矢が射抜いた。
「ご、ごめん!」
「ちっ」
まどかが困ったように二人を見る。
杏子はもう気にしていないように魔女へ向き直ったが、さやかは明らかに納得していない。今まで五人で作ってきた動きの中へ、強引に別のリズムが一つ混ざった。
「佐倉さん、右からお願い! 美樹さんは正面!」
「分かった!」
「はいはい」
今度はマミさんが明確に役割を分ける。
杏子は返事こそ適当だったが、指示された側へ素早く回り込んだ。
伸びた槍の内側へ俺の刀が入り、その隙間を桃色の矢が抜ける。
「今よ!」
マミさんのリボンが魔女を絡め取り、動きを止めた。
「美樹さん!」
「はい!」
さやかが踏み込む。
さっきのことが頭に残っていたのか、一瞬だけ杏子の位置を確認してから剣を振り下ろした。
その逆側から、今度は杏子も少しだけ間を置いて槍を叩き込む。
二つの攻撃が重なり、魔女の身体へ大きな亀裂が走った。
最後にマスケットの銃声が響く。
結界全体が震え、魔女の姿が崩れ始めた。
◇
現実へ戻ると、足元へグリーフシードが落ちた。
杏子が拾おうと手を伸ばし、ほぼ同時にさやかも手を伸ばす。
二人の手が途中で止まった。
「……」
「……」
「何だよ」
「別に」
早くも空気が悪い。
マミさんが二人の間へ入る。
「これは今日の戦闘で一番消耗した人に使いましょう」
「好きにしろ」
杏子は驚くほどあっさり手を引いた。さやかはまだ何か言いたそうだったが、隣のまどかに袖を引かれて黙る。
「お前」
今度は杏子が俺を見る。
「刀なのか」
「一応」
「近接?」
「基本は」
「じゃあさっきのは何だよ。急に攻撃外れてただろ」
「相手が俺の位置をちょっと間違えただけ」
「は?」
「そういう魔法」
杏子が露骨に眉を寄せる。
「……気味わりぃ魔法」
「俺もそう思う」
「そこ認めんのかよ」
「便利だけど、やられる側からしたら嫌だろ」
「まあな」
杏子が少し笑った。
遠慮がない。でも、その方が楽だった。
「槍も結構変な動きするけどな」
「あ?」
「途中で分かれるし」
「便利だろ」
「俺のも便利だよ」
「じゃあ、お互い様だな」
妙なところで話が終わった。
◇
戦闘が終わって少しすると、さやかがまた杏子の方を見た。
「そういえば、結局杏子とマミさんってどういう関係なの?」
「まだ聞くのかよ!」
「気になるじゃん!」
「お前に関係ねえだろ」
マミさんが苦笑しながら、今度は少しだけ答える。
「昔、私が佐倉さんに戦い方を教えていたの」
「マミ」
「本当のことでしょう?」
「……昔の話だ」
杏子の声が少し低くなった。
それだけで、まどかは続きを聞かなかった。
「……そっか」
俺も同じだ。
詳しいことを知っているから黙るんじゃない。本人が今は話したくないと示したなら、それ以上踏み込まない方がいい。
ほむらだけはマミさんと杏子を交互に見ていた。二人の過去も、杏子の戦い方も、今日初めて知ったことばかりだ。頭の中で情報を整理しているような顔をしている。
◇
「じゃ、そろそろ帰る」
杏子が変身を解いた。
「もう?」
まどかが聞く。
「あたし風見野なんだけど」
「あ、そっか」
「こっちに住んでるわけじゃねえよ」
マミさんが一歩だけ前へ出る。
「佐倉さん」
「何」
「協力の件は?」
「……考えとく」
「さっき手を貸すって言ったじゃない」
「本当に来たら、な」
「それで十分よ」
杏子が少しだけ目を逸らす。
「何だよ、その顔」
「別に?」
「またそれかよ」
さやかが横から口を挟む。
「でもさ、結局どっちなのよ」
「うるせーな。お前に聞かれてねえよ」
「はぁ!?」
「何だよ」
「二人とも」
マミさんの声で、さやかも杏子もほぼ同時に黙った。
杏子が先に顔を逸らす。
「じゃーな」
片手だけ上げて背を向け、そのまま数歩歩く。
けれど途中で一度だけ足を止めた。
「え?」
マミさんが聞き返す。
「別に」
杏子は振り返らず、そのまままた歩き始めた。
少し離れたところで、今度はさっきよりはっきり聞こえる声が飛んでくる。
マミさんが一瞬だけ目を丸くした。
それから、柔らかく笑う。
「ええ」
杏子は最後まで振り返らず、そのまま角を曲がって見えなくなった。
俺は二人のやり取りを黙って見ていた。
マミさんと佐倉杏子。
そういう二人が過去にいたことは知っている。でも、今目の前にいた二人は、俺が画面越しに知っている昔の二人そのものじゃない。
一度離れたあとでも、また話すことができる。もう一度、一緒に戦うことだってできるかもしれない。
そういう場所に、今はまだ立っている。
「よし!」
隣でさやかが拳を握った。
「次来たら、あいつに絶対言ってやる」
「何を?」
まどかが聞く。
「使い魔だってちゃんと倒せって!」
「そこまだ続けるのかよ」
「当然でしょ!」
次に杏子が来た時、多分また面倒なことになる。