俺がマギカなのか……?改   作:きのこ大三元

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2026年10月13日 22時43分追記:
一部描写の追加、修正しました。


第40話 佐倉杏子

 その日の巡回前、マミさんはいつものようにテーブルへ見滝原の地図を広げた。ただ、今日は印の確認を始める前から少し言いづらそうで、紅茶のカップへ指を添えたまま、何度か俺たちの顔を見ていた。

 

「その前に、一つ話しておきたいことがあるの」

 

 さやかがケーキへ伸ばしかけていた手を止める。

 

「何?」

「少し前に、一人だけ連絡を取ってみた子がいるの」

「連絡?」

「ええ。魔法少女よ」

 

 その言葉に、まどかが顔を上げた。

 

「マミさんのお友達ですか?」

「……昔、一緒に戦っていた子よ」

 

 友達、とは言わなかった。

 

 ほんの一拍だけ置かれた間を、まどかも感じ取ったらしい。それ以上すぐには聞かず、さやかもマミさんの顔を見ただけで口を挟まなかった。

 

 俺には、それだけで誰なのか分かってしまった。

 

 佐倉杏子。マミさんに戦い方を教わり、後に袂を分かった魔法少女。赤い髪に長い槍、今は隣の風見野を縄張りにしている――そこまで頭へ浮かべたところで、意識して考えるのを止める。

 

 知識としては知っている。でも、俺自身が会うのは初めてだ。

 

「その子にも伝えたの。ワルプルギスの夜について」

 

 まどかが首を傾げる。

 

「ワルプルギスの……夜?」

 

 さやかも聞き覚えがないらしい。ほむらだけは何も言わず、地図を見たままだった。

 

 マミさんは少し考えてから、言葉を選ぶように続ける。

 

「魔法少女の間で昔から語られている、非常に強力な魔女よ。私も実際に見たことはないけれど、名前だけなら聞いたことがあるわ」

 

「有名なんですか?」

 

「有名というより……噂に近いかしら」

 

 マミさんはカップを置く。

 

「現れた街へ大きな災害をもたらしたとか、複数の魔法少女が挑んでも倒せなかったとか。聞く人によって話も少しずつ違うし、本当に実在するのかさえ、私には確かめようがなかった」

 

「都市伝説みたいな?」

 

 さやかが言う。

 

「そうね。魔法少女版の都市伝説、と言った方が近いかもしれないわ」

 

 なるほど。

 

 俺にとってワルプルギスの夜は、原作で何度も見た確定イベントだ。でも、この世界の魔法少女に攻略Wikiなんてない。組織もなければ、危険度一覧が配られるわけでもない。

 

 生き残った魔法少女から別の魔法少女へ、断片的な話だけが伝わっていく。

 

 その中でも、とびきり物騒な噂。

 

それがワルプルギスの夜なのだろう。

 

「でも、それが見滝原に来るんですよね?」

 

 まどかの問いに、マミさんはすぐには頷かなかった。

 

「……その可能性がある、と暁美さんから聞いているわ」

 

 視線がほむらへ集まる。

 

 ほむらの肩が僅かに強張った。

 

「可能性って、どのくらい?」

 

 さやかが聞く。

 

 ほむらは少し迷ったあと、静かに答えた。

 

「来ます」

 

 マミさんが僅かに目を見開く。

 

「暁美さん?」

 

「ワルプルギスの夜は、見滝原に来ます」

 

 今度は迷わなかった。

 

 来るかもしれない、ではない。

 

来る。

 

 マミさんもその言い方にはまだ慣れていないのだろう。少し困ったようにほむらを見る。

 

「私も最初に聞いた時は、にわかには信じられなかったの」

 

「巴さん……」

 

「疑っているわけではないのよ。ただ、私にとっては今まで噂の中にしかいなかった魔女だから」

 

 当然だと思う。

 

 俺とほむらには確定事項でも、マミさんにとっては伝説だ。

 

 それでもマミさんが完全に切り捨てなかったのは、ほむらの確信があまりにも強かったからなのかもしれない。

 

「それで、その子にも?」

 

 さやかが聞く。

 

「ええ。もし本当にワルプルギスの夜が来るなら、私たちだけで対処できるとは限らないもの」

 

「来てくれるんですか?」

 

 まどかが聞くと、マミさんは少し困ったように笑った。

 

「さあ。返事らしい返事はもらえなかったから」

「それ連絡した意味ある?」

「美樹さん」

「だって」

「でも、聞いてはくれたと思うわ」

 

 その言い方が妙に慣れていた。素直に返事はしない。それでも完全に無視するわけでもない。そういう相手だと、マミさん自身がよく知っている声だった。

 

 ◇

 

 結局、その日もいつも通り巡回へ出た。

 

 駅から少し離れた商業区画を抜け、河川敷へ向かう途中。五人で歩いていた俺たちは、先頭のマミさんが急に足を止めたことで一斉に前を見る。

 

「……来たのね」

「え?」

 

 まどかがその視線を追う。

 

 道路脇の低いコンクリート塀。その上に、一人の少女が片膝を立てて座っていた。

 

 赤い髪を高い位置で結び、片手には買ったばかりらしい菓子パンの袋を持っている。制服でもなければ魔法少女の衣装でもない。それでも近づくにつれて、こちらのソウルジェムが微かに反応した。普通の少女じゃない。そして俺は、その姿を知っている。

 

 画面の中では何度も見た。でも実際に目の前へいると、最初に感じたのは思っていたより小柄だということだった。

 

 杏子はパンを一口齧ったまま俺たちを順番に見た。マミさん、まどか、さやか、ほむら。そして最後に俺。

 

「……ずいぶん増えたじゃねーか」

 

 その声を聞いて、マミさんが少しだけ姿勢を正す。

 

「久しぶりね、佐倉さん」

「……ああ。久しぶりだな、マミ」

 

 それだけだった。

 

 もっと何か言うのかと思ったけれど、二人ともすぐには続けない。昔一緒に戦っていたという言葉を聞いていなければ、かつて近い距離にいた二人だとは分からなかったかもしれない。

 

 先に口を開いたのは杏子だった。

 

「勘違いすんなよ。別にあんたに呼ばれたから来たんじゃねえ。ちょっと様子見に来ただけだ」

「そう」

「……何だよ」

「別に?」

 

 マミさんの口元が僅かに緩む。

 

 杏子は露骨に嫌そうな顔をしたが、塀から降りても帰ろうとはしなかった。ほんの少しだけ、昔の空気が残っている。

 

「せっかくだから紹介しておくわね」

 

 マミさんがこちらを見る。

 

「佐倉杏子さん。以前、私と一緒に戦っていた魔法少女よ」

「昔の話だろ」

「ええ。昔の話ね」

 

 杏子がこちらを向く。

 

「佐倉杏子。別に覚えなくても困らねえけどな」

 

 これでようやく、俺以外の四人も名前まで知った。

 

 ◇

 

「で」

 

 杏子は改めて俺たちを見回した。

 

「……多くねーか?」

 

 率直だった。

 

「何人いるんだよ」

「私を入れて五人ね」

「五人?」

 

 杏子が眉を寄せる。

 

「前は一人でやってただろ」

「今は違うのよ」

「見りゃ分かる」

 

 最初に視線を向けられたのは、まどかだった。

 

「鹿目まどかです」

 

 まどかが自分から頭を下げる。

 

「ふーん」

 

 次はさやか。

 

「美樹さやか」

「昨日今日で魔法少女になった顔してんな」

「何で分かんの!?」

「見りゃ分かる」

「二回目!」

 

 杏子は気にせず、そのままほむらへ視線を移した。

 

 ほむらはほんの少しだけ姿勢を正す。

 

「暁美ほむらです」

「……その盾、武器か?」

「はい」

「変なの」

 

 ほむらの眉が僅かに動いた。

 

 完全に知らない相手を見る目だった。警戒はしているけれど、そこに過去の記憶らしいものは何もない。

 

 そして最後に、杏子の指が俺へ向いた。

 

「で、誰だこいつ」

「マギカさん。今、一緒に戦っている子よ」

「マギカ?」

 

 杏子が仮面を見て、それから俺の全身へ視線を滑らせる。

 

「変な名前」

「放っとけ」

「本名じゃねーだろ、それ」

「お前に言う必要ある?」

「ねーな」

 

 あっさり引いた。

 

 何だろう。楽だな、こいつ。

 

 杏子はもう一度俺とマミさんを見比べた。

 

「また弟子増やしたのか?」

「弟子ってほどじゃ――」

「そう?」

「マミさん?」

 

 思わず振り向くと、マミさんが少し楽しそうに首を傾げた。

 

「戦い方なら、何度か教えているでしょう?」

「それ弟子じゃん」

「お前まで乗るなよ」

「いや、弟子だろ」

 

 杏子の口元が僅かに上がる。

 

 そこへ、さやかがすぐ食いついた。

 

「また?」

 

 杏子の顔から笑いが消える。

 

「今、またって言った?」

「言ってねえ」

「言ったじゃん!」

「聞き間違いだ」

「いや絶対言った! もしかして杏子って、マミさんの弟子だったの?」

「違ぇよ!」

 

 今度は即答だった。

 

 マミさんが二人の間へ入れるように口を開く。

 

「昔、少しだけ戦い方を教えていたの」

「マミ」

「別に隠すことでもないでしょう?」

「昔の話だっつってんだろ」

 

 杏子が顔を背けた。

 

 それ以上、まどかは聞かなかった。ほむらも二人を見比べるだけで何も言わない。

 

 俺はもっと詳しく知っている。二人の間に何があって、どうして杏子がマミさんから離れたのかも、作品の情報としてなら頭に入っている。

 

 でも、だからこそ聞かなかった。

 

本人たちが話したくないことまで、知っている俺が先回りして暴く必要はない。

 

 ◇

 

 杏子はしばらく五人を眺めたあと、最後にマミさんへ視線を戻した。

 

「……ずいぶん賑やかになったな」

「そうね。私も最初は驚いたわ」

 

 マミさんは素直に頷いた。その表情には少しだけ嬉しそうなものが混ざっている。

 

「ふーん」

 

 杏子はそれだけ返した。

 

 ただ、最初に塀の上からこちらを見下ろしていた時より、僅かに肩の力が抜けたように見えた。気のせいかもしれない。

 

 ◇

 

「それで」

 

 マミさんの声が少し真面目になる。

 

「来てもらったついでに、改めてワルプルギスの夜の話をしておきたいの」

「だから呼ばれて来たんじゃねえって」

「分かってるわ」

 

 今度は「はいはい」と流さなかった。

 

 杏子もそれを察したらしく、文句を言わずマミさんへ向き直る。

 

「……本当にあれの話だったんだな」

 

 杏子の声が少し低くなる。

 

「佐倉さんも知っているの?」

「名前くらいはな」

 

 まどかとさやかが杏子を見る。

 

「風見野でも有名なの?」

 

「有名ってほどじゃねえよ。噂だ」

 

 杏子は残っていたパンを一口齧る。

 

「どっかの街を丸ごと吹っ飛ばしたとか、何人も魔法少女が挑んで全滅したとか。聞くたび話変わるし、正直、盛られてると思ってた」

 

「私も似たようなものよ」

 

 マミさんが頷く。

 

「だからこそ、暁美さんから『見滝原へ来る』と聞いた時には、私もすぐには信じられなかったの」

 

 杏子がほむらを見る。

 

「お前か」

 

「……はい」

 

「ワルプルギスの夜が来るって言ったの」

 

「はい」

 

「本当に?」

 

「来ます」

 

 即答だった。

 

 杏子の眉間に皺が寄る。

 

「何でそんな自信あんだよ」

 

「それは……」

 

 ほむらの指が膝の横で僅かに動いた。

 

 少しだけ間を置く。

 

「理由は、まだ話せません」

 

「またそれかよ」

 

 杏子が露骨に顔をしかめる。

 

「ワルプルギスの夜なんて、本当にいるのかすら怪しいって話だぞ。それがピンポイントで見滝原に来る? しかもお前は理由言えねえ? 無茶言うな」

 

「……すみません」

 

「謝られても信じられるようにはならねえよ」

 

 至極まともだった。

 

 むしろ、この状況で即座に「そうか、じゃあ一緒に戦おう」となる方がおかしい。

 

「佐倉さんの言うことはもっともよ」

 

 マミさんも止めなかった。

 

「でも、暁美さんは最初から一度も『来るかもしれない』とは言っていないの」

 

「……何?」

 

「ずっと『来る』と言っているわ」

 

 杏子が再びほむらを見る。

 

「見たことあんのか?」

 

「…………」

 

 ほむらは答えない。

 

 杏子はしばらく待ったが、やがて小さく鼻を鳴らした。

 

「まあ、いい」

 

「いいの?」

 

 さやかが聞く。

 

「よくねえよ。でも、こいつ絶対言わねえだろ」

 

「……」

 

「だったら今聞いても時間の無駄だ」

 

 切り替えが早い。

 

 ほむらが少し申し訳なさそうに目を伏せる。

 

「で」

 

 杏子が今度はマミさんを見る。

 

「仮に本当に来るとして、倒せんのか?」

 

「分からないわ」

 

「即答かよ」

 

「実際に戦ったことがないもの」

 

「倒した魔法少女は?」

 

「私は知らない」

 

「弱点」

 

「分からない」

 

「……情報なさすぎだろ」

 

 それはそう。

 

 俺は知っていると言えば知っている。でも、俺が持っている原作知識だって「ワルプルギスの夜がものすごく強い」という大枠が中心だ。攻略手順まで頭に入っているわけじゃない。

 

 前の時間で実際に戦って、それを嫌というほど思い知った。

 

「グリーフシードは?」

 

「え?」

 

 マミさんが瞬きをする。

 

「いや、倒したら落とすだろ?」

 

「……魔女なら、そうでしょうけど」

 

 杏子は少し考え込む。

 

「そんな化け物を大人数で倒して、グリーフシード一個だったら割に合わなくね?」

 

そこかよ。

 

 思わず心の中で突っ込んだ。

 

 伝説級の魔女が本当に来るのか、倒せるのか、生き残れるのかという話をしていたと思ったら、急に報酬配分を気にし始めた。

 

 いや。

 

 杏子なら気にするか。

 

「……お前、今そこ考える?」

 

 結局、声にも出た。

 

「あ?」

 

「いや、もっとこう、倒せるのかとかさ」

 

「それも考えてるよ」

 

 杏子は当然みたいに返す。

 

「でも大人数で戦えば魔力も使うだろ」

 

「まあ」

 

「で、倒してグリーフシード一個」

 

「まだ一個とは限らないだろ」

 

「二個落とす魔女見たことあんのか?」

 

「……ない」

 

「じゃあ一個じゃねえか」

 

 ものすごく現実的だった。

 

 さやかが呆れた顔をする。

 

「街が壊れるかもしれないって話なのに、そこ気にする?」

 

「お前らが気にしなさすぎなんだよ」

 

 杏子はさやかを指差す。

 

「正義感だけでソウルジェムは綺麗にならねえぞ」

 

「それは……」

 

 さやかが言葉に詰まった。

 

 前回の使い魔の件もあるから、余計に刺さる。

 

「グリーフシードについては、今ある分をできるだけ温存しておきましょう」

 

 マミさんが間へ入った。

 

「当日に使える分を確認して、消耗した人から使えるようにするつもりよ」

 

「そこまで準備すんのか」

 

「来ると仮定するなら、やれることはしておきたいもの」

 

 マミさんは地図を広げ直す。

 

「戦う場所も、避難経路も確認する。相手がどれくらい強いか分からない以上、勝つことだけ考えるわけにはいかないわ」

 

 俺は黙ってその地図を見る。

 

 前の時間でも準備した。

 

 それでも届かなかった。

 

 だからこそ今度は、一つでも多く増やす。

 

 戦力も、情報も、逃げ道も、生き残る手段も。

 

「佐倉さん」

 

 マミさんが顔を上げる。

 

「改めてお願いしてもいいかしら」

 

 杏子が眉を上げる。

 

「もし本当にワルプルギスの夜が来たら、私たちと一緒に戦ってほしいの」

 

 すぐには返事がなかった。

 

 杏子は地図を見る。

 

「前にも言ったけどさ」

 

「ええ」

 

「あたしには風見野がある」

 

 指先が地図の上を滑る。

 

 見滝原の隣。

 

 風見野。

 

「何日もこっちに張り付いて、向こうほったらかしにする気はねえ。それに、本当にそんなのが来るかもまだ信じてない」

 

 ほむらが少し俯く。

 

「ただ……」

 

 杏子の指が止まる。

 

「街一個どうにかするような奴なら、見滝原だけで済む保証もねえよな」

 

 マミさんが静かに頷く。

 

「私もそう思うわ」

 

「見滝原で暴れて、そのまま消えてくれりゃいいけど」

 

「そうなる保証はないわね」

 

「風見野まで来られたら、結局あたしも相手しなきゃならねえ」

 

 杏子がほむらを見る。

 

「……本当に来るんだな?」

 

 ほむらは目を逸らさなかった。

 

「来ます」

 

 また即答だった。

 

 杏子は数秒、その顔を見ていた。

 

「…………」

 

 やがて小さく息を吐く。

 

「分かった」

 

 マミさんの表情が少し変わる。

 

「佐倉さん?」

 

「本当に来たら、その時は手ぇ貸す」

 

「本当?」

 

「勘違いすんなよ」

 

 すぐに杏子が指を立てた。

 

「マミに頼まれたからだけじゃねえ。風見野まで巻き込まれたら困るからだ」

 

「ええ」

 

「それに、本当に無理そうだったら逃げるぞ」

 

「もちろんよ」

 

「死ぬまで付き合う気はねえからな」

 

「それでいいと思うわ」

 

 マミさんは笑った。

 

 杏子が少し目を逸らす。

 

「……何笑ってんだよ」

「別に?」

「その顔やめろ」

 

 またそれだ。

 

 昔も、こんなやり取りをしていたんだろうか。

 

 杏子が戻ってきたわけじゃない。マミさんの弟子に戻ったわけでもない。

 

 ただ、必要なら一緒に戦う。

 

 今はそれくらいでいいのかもしれない。

 

 ◇

 

 その時、胸元のソウルジェムが小さく反応した。

 

 マミさんたちもほぼ同時に顔を上げる。

 

「近いわ」

「使い魔?」

 

 まどかが辺りを見回し、杏子も自分の指輪へ一度目を落とした。

 

「……弱いな」

 

 反応を追って路地の奥へ進むと、小さな結界が口を開いていた。

 

 中へ入っても感じる魔力は弱く、すぐ近くを数体の使い魔がうろついているだけで、少なくとも目に見える範囲に魔女本体はいなかった。

 

「よーし」

 

 さやかが剣を出す。

 

「行こう!」

「ほっとけよ」

 

 杏子の一言で、空気が変わった。

 

「……は?」

 

 さやかが振り返る。

 

「そいつら使い魔だろ」

「だから?」

「倒したってグリーフシード落とさねえ。魔力の無駄だ」

「でも、人を襲うんでしょ?」

「今すぐ魔女になってるわけじゃねえ。餌食って育てば、そのうちグリーフシード持ちになる」

 

 さやかの顔から笑いが消えた。

 

「……人を襲わせて、魔女になるまで待つってこと?」

「効率の話だよ」

「ふざけ――」

「美樹さん」

 

 マミさんが止める。

 

 いつもより少し低い声だった。

 

「佐倉さん」

「分かってるよ」

 

 杏子は面倒そうに髪を掻く。

 

「昔からそこは変わってねえな」

 

 その言葉がどちらへ向けられたのかは、聞かなくても分かった。

 

 マミさんも何も返さない。

 

「私は倒すわ」

「好きにしろよ」

 

 杏子は手を出さなかった。

 

 マミさんがマスケットを出し、まどかが弓を構える。さやかはまだ納得していない顔のまま前へ出た。

 

「行こう」

 

 俺も刀を抜き、ほむらが盾へ手を掛ける。

 

 杏子だけが、少し離れた場所から俺たちを見ていた。

 

 ◇

 

 使い魔だけなら、今の五人で苦戦する相手ではなかった。

 

 さやかが前へ出て攻撃を受け、まどかが後ろから射る。俺がスペッキオ・ファントムで狙いを僅かに外し、マミさんがマスケットとリボンで逃げ道を塞ぐ。ほむらも時間停止を使う必要まではなく、全体を見ながら死角だけを補っていた。

 

 最後の一体をさやかが斬り伏せる。

 

「これで――」

 

 その言葉が終わる前に、結界のさらに奥から鈍い音が響いた。

 

「待って!」

 

 マミさんが銃口を上げる。

 

 さっきまでただの壁に見えていた場所へ亀裂が走り、内側から押し開かれるようにゆっくり裂けていった。その向こうには、さらに深い空間が続いている。

 

「……別区画?」

 

 思わず口から漏れた。

 

 同時に、それまで使い魔の反応へ紛れていたものとは明らかに違う、重い魔力が流れ込んでくる。さっきまで感じ取れなかっただけだ。魔女は最初から、この結界のもっと奥に潜んでいた。

 

「魔女……?」

 

 まどかが弓を引く。

 

 離れて見ていた杏子の姿勢が変わった。

 

 壁へ預けていた身体を起こし、奥から這い出してくる影を見据える。

 

「……そっちは話が別だ」

 

「は?」

 

 さやかが睨む。

 

 杏子はもう聞いていなかった。

 

 赤い光が弾け、次の瞬間には魔法少女の姿へ変わっている。手の中へ現れた長い槍を構え、そのまま地面を蹴った。

 

「速っ」

 

 思わず声が出る。

 

「佐倉さん、待って!」

 

 マミさんの声が飛んだ時には、もう杏子は魔女の間合いへ入っていた。

 

 魔女が杏子を避けるように横へ動く。

 

 その瞬間、一本だった槍の柄がいくつもの節へ分かれ、鎖のように大きくしなった。弧を描いた穂先が、逃げた魔女の横腹へ正確に叩き込まれる。

 

 知識としては知っていた。でも実際に目の前で見るのは初めてだ。

 

 荒っぽく正面から殴りつけているように見えて、動きはかなり細かい。踏み込む位置、槍を伸ばす距離、戻すタイミング。その全部が身体へ染みついていて、長く一人で戦ってきた魔法少女だと一目で分かった。

 

「ぼさっとすんな!」

「分かってる!」

 

 杏子の声で意識を戦闘へ戻す。

 

 魔女がこちらへ向き直ったところへ刀を構え、魔力を流す。

 

「スペッキオ・ファントム」

 

 魔女の認識から俺の位置を僅かに外す。放たれた攻撃は身体の横を通り抜けた。

 

「今の何だ?」

 

 杏子が一瞬だけこちらを見る。

 

「後で!」

「はいよ!」

 

 返事が軽い。

 

 俺が前へ出ると、杏子も反対側から間合いへ入った。同じ前衛でも戦い方はまるで違う。俺は相手の認識を外して攻撃そのものを空振りさせ、杏子は長い槍で真正面から相手の間合いを奪っていく。

 

 その時、右側へ使い魔が一体飛び込んできた。

 

「私が!」

 

 さやかが先に駆ける。

 

 ほとんど同時に、反対側から杏子も踏み込んだ。

 

「邪魔!」

「あ?」

 

 二人の剣と槍が同じ使い魔へ伸びる。

 

 さやかの剣先すれすれを杏子の槍が横切り、杏子も慌てて柄を引いた。使い魔は二人の間を抜け、そのまま後方へ走る。

 

「ちょ、危なっ!」

「そっちが突っ込んできたんだろ!」

「あたしが先だった!」

「知るか!」

 

「二人とも前!」

 

 マミさんの声と同時に、逃げた使い魔を桃色の矢が射抜いた。

 

「ご、ごめん!」

「ちっ」

 

 まどかが困ったように二人を見る。

 

 杏子はもう気にしていないように魔女へ向き直ったが、さやかは明らかに納得していない。今まで五人で作ってきた動きの中へ、強引に別のリズムが一つ混ざった。

 

強い。でも、合わせやすいかと言われれば全然別だ。

 

「佐倉さん、右からお願い! 美樹さんは正面!」

「分かった!」

「はいはい」

 

 今度はマミさんが明確に役割を分ける。

 

 杏子は返事こそ適当だったが、指示された側へ素早く回り込んだ。

 

 伸びた槍の内側へ俺の刀が入り、その隙間を桃色の矢が抜ける。

 

「今よ!」

 

 マミさんのリボンが魔女を絡め取り、動きを止めた。

 

「美樹さん!」

「はい!」

 

 さやかが踏み込む。

 

 さっきのことが頭に残っていたのか、一瞬だけ杏子の位置を確認してから剣を振り下ろした。

 

 その逆側から、今度は杏子も少しだけ間を置いて槍を叩き込む。

 

 二つの攻撃が重なり、魔女の身体へ大きな亀裂が走った。

 

 最後にマスケットの銃声が響く。

 

 結界全体が震え、魔女の姿が崩れ始めた。

 

 ◇

 

 現実へ戻ると、足元へグリーフシードが落ちた。

 

 杏子が拾おうと手を伸ばし、ほぼ同時にさやかも手を伸ばす。

 

 二人の手が途中で止まった。

 

「……」

「……」

「何だよ」

「別に」

 

 早くも空気が悪い。

 

 マミさんが二人の間へ入る。

 

「これは今日の戦闘で一番消耗した人に使いましょう」

「好きにしろ」

 

 杏子は驚くほどあっさり手を引いた。さやかはまだ何か言いたそうだったが、隣のまどかに袖を引かれて黙る。

 

「お前」

 

 今度は杏子が俺を見る。

 

「刀なのか」

「一応」

「近接?」

「基本は」

「じゃあさっきのは何だよ。急に攻撃外れてただろ」

「相手が俺の位置をちょっと間違えただけ」

「は?」

「そういう魔法」

 

 杏子が露骨に眉を寄せる。

 

「……気味わりぃ魔法」

「俺もそう思う」

「そこ認めんのかよ」

「便利だけど、やられる側からしたら嫌だろ」

「まあな」

 

 杏子が少し笑った。

 

 遠慮がない。でも、その方が楽だった。

 

「槍も結構変な動きするけどな」

「あ?」

「途中で分かれるし」

「便利だろ」

「俺のも便利だよ」

「じゃあ、お互い様だな」

 

 妙なところで話が終わった。

 

 ◇

 

 戦闘が終わって少しすると、さやかがまた杏子の方を見た。

 

「そういえば、結局杏子とマミさんってどういう関係なの?」

「まだ聞くのかよ!」

「気になるじゃん!」

「お前に関係ねえだろ」

 

 マミさんが苦笑しながら、今度は少しだけ答える。

 

「昔、私が佐倉さんに戦い方を教えていたの」

「マミ」

「本当のことでしょう?」

「……昔の話だ」

 

 杏子の声が少し低くなった。

 

 それだけで、まどかは続きを聞かなかった。

 

「……そっか」

 

 俺も同じだ。

 

 詳しいことを知っているから黙るんじゃない。本人が今は話したくないと示したなら、それ以上踏み込まない方がいい。

 

 ほむらだけはマミさんと杏子を交互に見ていた。二人の過去も、杏子の戦い方も、今日初めて知ったことばかりだ。頭の中で情報を整理しているような顔をしている。

 

 ◇

 

「じゃ、そろそろ帰る」

 

 杏子が変身を解いた。

 

「もう?」

 

 まどかが聞く。

 

「あたし風見野なんだけど」

「あ、そっか」

「こっちに住んでるわけじゃねえよ」

 

 マミさんが一歩だけ前へ出る。

 

「佐倉さん」

「何」

「協力の件は?」

「……考えとく」

 

「さっき手を貸すって言ったじゃない」

 

「本当に来たら、な」

 

「それで十分よ」

 

 杏子が少しだけ目を逸らす。

 

「何だよ、その顔」

 

「別に?」

 

「またそれかよ」

 

 さやかが横から口を挟む。

 

「でもさ、結局どっちなのよ」

「うるせーな。お前に聞かれてねえよ」

「はぁ!?」

「何だよ」

「二人とも」

 

 マミさんの声で、さやかも杏子もほぼ同時に黙った。

 

 杏子が先に顔を逸らす。

 

「じゃーな」

 

 片手だけ上げて背を向け、そのまま数歩歩く。

 

 けれど途中で一度だけ足を止めた。

 

「……楽しそうじゃん」

 

「え?」

 

 マミさんが聞き返す。

 

「別に」

 

 杏子は振り返らず、そのまままた歩き始めた。

 

 少し離れたところで、今度はさっきよりはっきり聞こえる声が飛んでくる。

 

「――また来る」

 

 マミさんが一瞬だけ目を丸くした。

 

 それから、柔らかく笑う。

 

「ええ」

 

 杏子は最後まで振り返らず、そのまま角を曲がって見えなくなった。

 

 俺は二人のやり取りを黙って見ていた。

 

 マミさんと佐倉杏子。

 

 そういう二人が過去にいたことは知っている。でも、今目の前にいた二人は、俺が画面越しに知っている昔の二人そのものじゃない。

 

 一度離れたあとでも、また話すことができる。もう一度、一緒に戦うことだってできるかもしれない。

 

 そういう場所に、今はまだ立っている。

 

「よし!」

 

 隣でさやかが拳を握った。

 

「次来たら、あいつに絶対言ってやる」

「何を?」

 

 まどかが聞く。

 

「使い魔だってちゃんと倒せって!」

「そこまだ続けるのかよ」

「当然でしょ!」

 

 次に杏子が来た時、多分また面倒なことになる。

 

それだけは、未来を知らなくても分かった。

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