数日後。
見滝原と風見野の境目に近い区域で、弱い魔力反応が続いているらしい。
まだ魔女と断定できるほどではない。ただ、何日か似た反応が続いている以上、放っておくのも気になる。マミさんが地図を広げて巡回経路を考えていたところへ、杏子がまた何の前触れもなく現れた。
「約束しただろ」
開口一番、それだった。
何のことか分からず聞き返すと、杏子の眉が見るからに吊り上がる。数日前、帰り際に「次は一戦付き合え」と言われた件らしい。俺としては誘いくらいのつもりで聞いていたのだが、杏子の中ではもう約束になっていたようだ。
「あれ約束だったのか?」
「逃げんのか?」
「誰が」
「なら決まりだな」
勝手に話を進められた。
マミさんはそんな俺たちと地図を見比べ、少し考える。ちょうど反応の出ている場所は風見野にも近い。杏子もその情報を聞いてこちらまで来たらしく、結果として二人で確認へ行くことになった。
出発前、マミさんからは「二人とも無茶をしないように」と念を押された。
杏子にまで当然のように俺も危険人物扱いされて少し納得がいかなかったが、最近の戦い方を考えると強く否定もしづらい。
「元弟子と現弟子コンビかー」
少し離れたところから、さやかが面白そうに声を飛ばした。
「誰が元弟子だ」
「誰が現弟子だ」
ほとんど同時だった。
まどかが吹き出し、マミさんまで楽しそうにしている。否定すればするほど同門扱いが強化されている気がしたので、それ以上は相手にしないことにした。
先に歩き出した杏子を追って、俺も見滝原を出た。
◇
二人きりになってみると、思っていたより気楽だった。
ほむらと一緒の時にある、相手がどこまでこちらを疑っているのか探り合うような沈黙が杏子にはない。気になればその場で聞き、納得できなければ顔にも口にもそのまま出す。
しばらく歩いたところで、杏子は俺がマミさんからどの程度戦い方を教わっているのか尋ねてきた。
「まあ、それなり」
「ふーん」
返事は短かったが、視線はしばらく俺へ残っていた。
杏子の中でも、昨日までの俺は「マミが最近面倒を見ている妙な魔法少女」くらいの位置づけだったのだろう。今日わざわざ二人で組もうと言い出したのも、俺自身より、マミさんが今どんな戦い方を教えているのか興味がある部分も大きそうだった。
食べ終えた菓子の袋を小さく畳みながら、杏子が昔のマミさんの話をする。
一から十まで面倒を見たがる。立ち方から魔力の扱い、回避する時の視線まで細かく口を出す。挙げ句に必殺技の名前まで付けたがる。
聞いている限り、今とほとんど変わらない。
「俺の新技も勝手にイタリア語にされた」
「ははっ。マミらしい」
その笑い方には、昔マミさんと離れたことへの嫌悪も棘も感じられなかった。
「うぜーくらいに面倒見いいんだよ、あいつ」
それだけ言うと、杏子はまた前を向いた。
口では散々な言い方をするくせに、マミさんのことを話している時だけ、どこか懐かしそうだった。
◇
反応は古い倉庫街の奥で見つかった。
結界へ踏み込んだ瞬間、平衡感覚が僅かに狂う。錆びた鉄骨を思わせる構造物が斜めに何本も交差し、その間を細長い使い魔が走り回っていた。奥では四足の獣に似た魔女が、壁と天井の区別など最初から存在しないように駆け回っている。
相当速い。
そう口にすると、杏子はむしろ楽しそうに槍を出した。
速い相手だから面白いらしい。
何とも杏子らしい基準だった。
俺も鏡面の刀を抜き、先に地面を蹴る。
最初の使い魔が爪を振り上げたところへ、スペッキオ・ファントムを重ねる。認識をずらされた爪が身体の横を抜け、そのまま懐へ入って一体目を斬る。
二体目へ向き直った時には、もう遅かった。
赤い槍が横から伸び、使い魔を一撃で壁へ叩きつける。
「はやっ」
「遅ぇよ」
さらっと言われる。
杏子に言わせれば、魔法で攻撃を外させる前に、もっと相手そのものを見ればいいらしい。踏み込みに使った足、視線の向き、次に身体を運びやすい方向。そういうものから次の動きはある程度読めるという。
簡単そうに言っているが、実際に杏子の動きを見れば、それが長い実戦経験の上に成り立っていることは分かった。
敵の足運びや身体の向きだけではない。自分の槍が届く距離、足場の傾き、背後の鉄骨まで一瞬で拾い、それをいちいち考えている様子もなく次の一手へ繋げている。
マミさんとは違った。
マミさんが戦場全体を見て味方まで含めた形を整えるなら、杏子はもっと即物的だ。今いる場所でどう立てば死なないか、どの距離なら一方的に攻撃できるか。それを身体で覚えている。
俺には原作知識も能力もある。
それでも純粋な戦闘経験では、まだ明らかに杏子の方が上だった。
◇
魔女が天井を蹴り、一直線にこちらへ飛んでくる。
すぐ横には一本の鉄柱があった。
スカンビオを試すにはちょうどいい。
魔力を広げ、魔女の認識の中で俺と鉄柱の位置づけを交換する。
発動した瞬間、足元が僅かにずれたような不快感が走る。実際に俺が動いたわけではない。それでも、自分の位置そのものを一瞬疑うような感覚だけはまだ慣れなかった。
直後、魔女は俺を素通りして鉄柱へ激突した。
鈍い音を聞きながら距離を取る。
杏子はそれを一度見ただけで、すぐに「便利な魔法だ」と評価した。ただし最後に「気味悪い」と付け加えるのを忘れなかった。
問題は、その次だった。
起き上がった魔女へもう一度使おうとして、交換先を探す。
先ほどのような大きな柱が近くにない。
岩、鉄骨、何でもいい。
候補を探した、その僅かな時間。
魔女の爪が視界いっぱいに迫った。
赤い槍が横から入り、爪を弾き飛ばす。
「ぼさっとすんな!」
杏子は俺の前へ出ると、周囲を確認してからすぐにこちらの弱点まで言い当てた。
交換する対象がなければ使えない。さらに、使えるものを探している時間も隙になる。
「じゃあ何もないとこじゃ腐るな」
「言い方」
「事実だろ」
否定できない。
技が成功するかどうかだけではなく、条件、隙、消耗。その全部を戦場で使えるかどうかという基準で見る。
これもマミさんとは違う杏子なりの教え方なのかもしれない。
本人に教えているつもりは一切なさそうだけど。
◇
鉄骨の陰から使い魔が次々と増えていく。
三体、四体。
その奥から魔女まで距離を詰めてきた。
杏子はすでに二体を一人で抑えている。
一本の槍を途中から多節化して離れた相手を打ち据え、その反動を使って手元へ戻し、近づいた別の一体を牽制する。長い武器を使っているのに懐へ入られる隙が少ない。
俺もスペッキオで一体の狙いを外し、別の一体を刀で受け止めた。
それでも処理が追いつかない。
スカンビオは連発するには消耗が大きく、適切な対象まで必要になる。そこへ魔女まで加われば、一気に手数が足りなくなった。
一方の杏子には、まだ余裕がある。
なら、こちらも出し惜しみをする理由はなかった。
身体の奥で魔力が跳ねた。
銀白の衣装へ黄色の意匠が混ざり、刀の代わりにリボンが指先から伸びる。さらに遅れて、一本のマスケットが形を取った。
その姿を見た杏子が、本当に一瞬だけ止まった。
「……お前、それ」
続きは聞けなかった。
魔女が飛び込み、杏子もすぐに槍を返す。
俺は使い魔の脚へリボンを絡ませた。一本、さらにもう一本。拘束自体はできても、マミさん本人ほど滑らかではない。次の標的へ意識を移しながら、思わず口から声が出た。
「そこ、お願い」
言った直後、自分の声に少し違和感を覚える。
普段より柔らかい。
杏子も気づいたらしく、一瞬こちらを見た。
それでも戦闘を止めることはなく、拘束した使い魔へ槍を突き込む。
俺はその間にマスケットを展開した。
二丁、三丁。
今の俺では、それ以上を安定して並べるだけでも重い。
銃口を合わせて撃ち、反動を逃がしながら次へ繋ぐ。
もちろん、再現できているのは巴マミの一部分だけだ。リボンを出す速度も、銃の数も、配置の精度も本人には遠く及ばない。
ただ、杏子が気にしているのは火力の差ではないらしかった。
射撃前にどこを見るか。どちらの足へ重心を置くか。撃ち終わった後に誰の位置を確認するか。敵の攻撃が味方へ向いた時、どちらへ身体を入れるか。
自分でも意識していない細かな癖。
そういうところを、杏子はじっと見ていた。
戦闘が続くほど、その表情から軽さが消えていく。
◇
魔女が壁を蹴って右側から飛び込んだ。
俺は反射的にリボンを伸ばし、その身体を止める。
次の瞬間だった。
杏子が動いた。
声を掛けたわけでも、視線を合わせたわけでもない。
それでも杏子は、俺が作った拘束のすぐ外側へ迷いなく踏み込み、槍を魔女の腹へ突き立てた。
あまりに自然だった。
初めて組んだ相手の動きに合わせたというより、その隙がそこにできることを最初から知っていたような入り方だった。
杏子自身も気づいたらしい。
槍を引き抜いた瞬間、その目が僅かに見開かれる。
そこで俺にも分かった。
マミさんとの戦い方を。
「行くよ」
また、俺の口から普段より柔らかな声が出た。
杏子は小さく悪態をついただけだった。
次に俺がリボンで相手を止めれば、杏子は自然にその外側へ入る。杏子が槍で敵を押し返せば、その瞬間には俺のマスケットへ射線が開いている。
一度も二人で練習したことはない。
それなのに、戦いやすい。
マミさんの魔法だけではない。俺が再現した立ち方や判断の癖まで含めて、杏子の中に残る昔の経験と噛み合っている。
かつて巴マミと佐倉杏子が作っていた連携。
俺はその片側を借りているに過ぎない。
それでも今だけは、確かに同じ形が戦場へ戻っていた。
◇
最後は俺がリボンで魔女の動きを封じた。
合図とほぼ同時に杏子が跳び、槍が魔女の胴を貫く。そこへマスケットを重ねると、魔女の身体が大きく崩れた。
結界がほどけていく。
◇
現実へ戻った途端、膝から少し力が抜けた。
すぐに成り代わりを解除する。
黄色の意匠も、リボンも、マスケットも消え、手元にはいつもの鏡面の刀だけが残った。
息を整えている間も、杏子は落ちたグリーフシードより俺を見ていた。
やがて、さっきの魔法について聞かれる。
よく観察して理解した相手なら、能力や動きの一部を再現できる。そう説明すると、杏子はしばらく黙った。
気になっているのは、そこではないらしい。
「喋り方まで変わってたぞ」
言われて、少し考える。
確かに戦闘中、自分でも何度か違和感はあった。
「……そんな変わってたか?」
「気持ち悪いくらい」
「基準が雑だな」
だが杏子は冗談にしなかった。
銃を構える姿勢も、味方へ身体を入れる時の動きも、単純に技を再現しているだけではないと言う。
杏子自身、それ以上をうまく説明できないようだった。
俺も深くは聞かなかった。
ただ、自分では意識していないものを他人から指摘されたせいか、成り代わりを解いた後の身体がいつもより少し気持ち悪く感じた。
◇
帰り道は、しばらく二人とも黙って歩いた。
さっきまで戦っていた倉庫街が遠ざかり、見滝原側の住宅が少しずつ増えてくる。
先に沈黙を破ったのは杏子だった。
「お前、マミに寄りすぎじゃね?」
能力の話だと思って、仕方がないと返した。
しかし杏子が言っているのは、もっと別のところだった。
戦い方。
誰かを庇う時の動き。
危険になった時、自分が前へ出ればいいとでも考えているような判断。
「それは関係ないだろ」
「ある」
即答だった。
杏子は前を見たまま、少しだけ昔を思い出すような顔をする。
「あいつもそうだった。自分がちゃんとやれば全部何とかなるって顔してた」
マミさんのことだ。
強いなら、それでいいんじゃないか。
そう言うと、杏子はすぐ否定した。
その言葉が妙に残った。
俺は別に、マミさんになりたいわけじゃない。
そう言ったところで、杏子の表情は変わらなかった。
杏子自身も、マミさんと合わなくなって離れたあと、教わったものを全部捨てたわけではない。槍の扱い方も、敵を見る癖も、戦場での距離感も、きっと今の杏子の中にはマミさんから残ったものがある。
それでも杏子は、誰が見ても佐倉杏子だった。
その杏子が、俺へ言った。
足が僅かに止まりかけた。
たぶん杏子には、そこまで深い意味はない。
マミさんの技を使って、マミさんの癖まで出している俺が気味悪かった。それだけなのかもしれない。
なのに、妙に答えづらい。
俺は歩みを止めないまま、冗談で流した。
「じゃあ杏子にも成り代わってみるか」
「やったらぶっ飛ばす」
「何でだよ」
「気色悪ぃ」
「マミさんはいいのかよ」
「よくねーから言ってんだろ」
その辺りで、ようやく普段の空気が少し戻った。
◇
見滝原へ戻る頃には、杏子の俺を見る目も最初とは少し変わっていた。
別れ際に聞いた評価は、「弱くはない」。
素直に褒めればいいのに、調子に乗りそうだから嫌らしい。
何とも杏子らしい。
それでも、最初のように「マミが面倒を見ている変な奴」だけではなく、一人の魔法少女として見られるようにはなった気がした。
◇
集合場所へ戻ると、マミさんたちはまだ残っていた。
最初に気づいたまどかが手を振り、マミさんが戦果を聞いてくる。
杏子の評価は「まあまあ」。
俺が文句を言うと、向こうもすぐ言い返してきた。その様子を見たマミさんには、ずいぶん仲良くなったと言われる。
「どこが」
「どこがだよ」
また被った。
「やっぱ元弟子現弟子コンビじゃん」
さやかが笑う。
否定までまた重なって、余計に笑われた。
騒がしいやり取りが続く中、杏子だけが途中で少しマミさんの方へ寄った。
俺には聞かせないつもりだったのか、声を落として何か話している。
とはいえ距離は近かった。
普通に聞こえた。
マミさんは一度瞬き、それから少し嬉しそうに笑った。
「そう?」
その反応を見た杏子の顔が、見るからに嫌そうになる。
「褒めてねーよ」
マミさんには、最後まで意味が伝わっていないようだった。
◇
帰り際。
杏子は風見野へ戻るため、一人で駅の方へ歩いていく。
少し離れたところで足を止め、肩越しにこちらを振り返った。
思わず聞き返す。
杏子は今度は冗談っぽく笑わなかった。
それだけ言うと、返事も待たずに歩き出す。
勝手な奴だ。
そう思いながら、腰の刀へ手を置いた。
スペッキオ・ファントム。スカンビオ。マミさんから再現したリボンやマスケット。
どれも今の俺が使える力で、間違いなく俺の中にある。
でも、それらを全部剥がしたあとに残るものを「俺自身」と呼ぶなら。
その問いだけは、すぐに答えが出なかった。