最初は、ちゃんとした作戦会議の予定だった。
ワルプルギスの夜。
俺とほむらは、一度その姿を見ている。どれほど厄介な相手なのかも、見滝原へ来れば何が起こるのかも、知識だけではなく経験として知っていた。
ただ、それを全部そのまま説明するわけにはいかない。マミさんたちへ共有できているのは、近いうちに見滝原へ災害級の魔女が現れる可能性が高い、というところまでだ。ほむらがなぜそれを知っているのかも伏せたままだし、俺が前の時間を覚えていることなんて当然誰にも話していない。
それに、今回はもう前回と同じじゃない。
さやかがいる。杏子までいる。俺たちの戦い方も、持っている手札も変わっている。行動が変われば、その先まで全部同じになるとは限らないことは、嫌というほど思い知らされた。
だから今のうちに、巡回区域や連絡方法、グリーフシードの管理くらいは決めておいた方がいい。
「せっかくだから、今日はうちで話しましょう」
マミさんのその一言で、六人全員がマミさんの家へ集まることになった。
◇
玄関へ入って最初に思った。
見慣れたマミさんの靴に、まどか、さやか、ほむら、俺。そこへ最後に杏子が雑に脱いだ一足まで加わると、玄関がいつもより一気に狭く見える。
「佐倉さん」
「何だよ」
「揃えて」
「あとでいいだろ」
「今」
「細けーな」
文句を言いながらも、杏子はちゃんと自分の靴を揃えた。その様子を横で見ていたさやかが笑う。
「意外と素直じゃん」
「うるせー」
「はいはい、二人とも。上がって」
マミさんに促され、順番に部屋へ入る。
杏子だけは廊下を進みながら、何度か室内へ視線を巡らせていた。
「ここ、あんま変わってねーな」
「来たことあるの?」
まどかがすぐ反応する。
「まあな」
「昔、何度かね」
マミさんが代わりに答えると、杏子はそのまま自然にキッチンへ向かい、棚の前で手を伸ばしかけた。
「カップまだあそこ?」
「勝手に開けないで」
「昔はいいって言ってたじゃん」
「昔でしょう?」
伸ばした手が途中で止まる。
「何だよ」
「めちゃくちゃ来てたんじゃん」
さやかが嬉しそうに杏子を見る。
「うるせーな」
「やっぱ元弟子じゃん」
「違ぇっつってんだろ!」
マミさんは苦笑しながら棚を開き、カップを一つずつ取り出していく。まどかの分、さやか、ほむら、俺。五つ目まで迷いなく並べたあと、最後の一つだけ一瞬手元を見てから、杏子の席になる場所へ置いた。
杏子は何も言わなかった。
◇
六人でテーブルを囲むと、思った以上に狭かった。
マミさんがいつもの席に座り、その近くにまどかとさやか。向かい側には杏子。ほむらは少し端を選び、俺はその隣へ座る。大きめの地図を一枚広げただけで、テーブルの半分近くが埋まった。
「それじゃあ、まず今後の巡回についてだけど」
マミさんが紅茶を注ぎ終え、ペンを持つ。
一応、ちゃんと始まった。
見滝原の北側と南側。風見野との境界。杏子がこちらへ来られる日。六人で動く場合と、二手に分かれる場合の組み合わせ。
今まで人数が少なかった時とは違う。全員で固まれば火力は上がるが、第41話で分かったように人数が多ければいいわけでもない。前衛が重なれば射線を塞ぐし、ほむらの時間停止も味方が増えるほど共有しなければならない情報が増える。
「ワルプルギスの夜については、まだ共有できていないことも多いわ」
マミさんが地図へ印をつける。
「だから今できるのは、余計な消耗を避けること。グリーフシードをある程度確保しておくこと。それから、誰か一人で危険な魔女を追わない――」
かさ、と小さな音がした。
全員の視線が動くと、杏子がテーブル中央の焼き菓子を一つ取っていた。本人は何事もなかったように袋を開け、マミさんも一度だけそちらを見たものの、そのまま話を続ける。
「連絡がつかない時は無理をしない。特に――」
もう一度、かさ。
今度はさやかの視線まで動いた。
「ちょっと」
「何だよ」
「それ」
「何」
「私が狙ってたやつ」
「名前書いてねーだろ」
「そういう問題!?」
杏子は手の中の菓子を見た。
「取らずに見てただけじゃ分かんねーよ」
「ずっと狙ってたの!」
「知らねーよ」
「佐倉さん。美樹さん」
マミさんに名前を呼ばれ、二人とも止まる。
「話を聞いて」
「はい」
「へいへい」
マミさんの目が細くなる。
「佐倉さん?」
「……はい」
杏子まで返事を直した。
さやかが笑いを堪えている。昔もこんな感じだったのかもしれない。
◇
会議は、それでも十五分くらいは持った。多分。
巡回範囲の大枠は決まり、緊急時の集合場所も二か所まで絞れた。グリーフシードも完全な共有制にはせず、余裕がある者が不足した者へ回す形で一旦落ち着く。
思っていたより順調だった。
途中までは。
「だから北側を二人で――」
「いやでもさ」
さやかが突然、焼き菓子を一つ持ち上げた。
「絶対こっちの方がおいしくない?」
「何の話だよ」
「これ。さっき杏子が取ったやつ、甘すぎるじゃん」
「分かってねーな。甘いだけじゃねえんだよ」
「何が違うの?」
「後味」
「食いもん評論家?」
「食いもん舐めんな」
マミさんのペンが地図の上で止まり、数秒の沈黙のあと静かに置かれる。
「……一度休憩にしましょうか」
「もう?」
「誰のせいだと思ってるの」
「杏子」
「お前だろ!」
「二人ともだよ」
まどかが笑った。
◇
「二人、仲良くなったね」
休憩に入ってすぐ、まどかが何気なく言った。
「なってない!」
「なってねー!」
ぴったり重なる。
「息ぴったりじゃん」
俺が言うと、今度は二人から同時に睨まれた。そこまで揃うと、もう否定材料になっていない気がする。
さやかは面白くなったのか、今度はマミさんへ視線を向けた。
「杏子って昔もこんなだったの?」
「何だよ、こんなって」
「こんな」
「分かんねーよ!」
マミさんは少し考える。
「今よりもう少し素直だったかしら」
「マミ!」
杏子の反応が早かった。
「えっ、聞きたい」
まどかまで身を乗り出す。
「聞くな!」
止められても、マミさんは少し楽しそうだった。
「昔の佐倉さんはね、紅茶に砂糖を入れすぎて、途中から飲めなくなったことがあったの」
「マミ!」
一瞬だけ静かになる。
さやかが杏子を見る。
「……何個?」
「聞くな」
「何個?」
「知らねー」
「七個よ」
マミさんがさらっと答えた。
「覚えてんなよ!」
「覚えてるわよ。あなたが珍しく残したから」
「甘かったんだよ」
「自分で入れたんでしょう?」
「もういい!」
杏子は誤魔化すように焼き菓子を一つ口へ放り込んだ。耳が少し赤い。
さやかは隣で声を上げて笑い、その向こうでマミさんも楽しそうにしていた。
◇
ほむらは、その間あまり会話へ入っていなかった。
端の席で紅茶を飲みながら、時々みんなの方を見る。輪の外にいるわけではない。ただ、いつ入ればいいのかまだ分からない。そんなふうに見えた。
「ほむらちゃん」
「え?」
まどかに突然呼ばれ、本気で少し驚いた顔をする。
「甘いのと、しょっぱいの、どっちが好き?」
「……え?」
「お菓子」
まどかが二枚の皿を指した。焼き菓子と、塩味のクラッカー。
ほむらはそれを見比べてから、少し迷う。
「……甘い方、でしょうか」
さやかがすぐに反応した。
「でしょうかって何」
「え?」
「自分の好みくらい断言しなよ」
杏子まで頷く。
「そうそう。誰も怒らねーって」
「……甘い方です」
言い直すと、まどかが満足そうに笑った。
「じゃあ、これ」
自分の近くにあった小さな焼き菓子を一つ、ほむらへ差し出す。
ほむらはその手と菓子を交互に見たあと、少しだけ間を置いて受け取った。
「ありがとう……鹿目さん」
「うん」
それだけだった。
でも、何となく嬉しかった。ほむらがまどかを守ろうとすることとも、時間を戻すこととも関係ない。ただ自分の好きなものを聞かれ、それを選んで、渡された菓子を受け取った。
本当に、それだけのことだった。
言わないけど。
◇
休憩中、今度は杏子が俺へ視線を向けた。第42話で見たマミさんの魔法を再現した件が、まだ気になっているらしい。
俺が「能力だから」と説明すると、さやかまで会話へ入ってきた。
「ほんと便利だよね。何でもありじゃん」
「使うたび疲れるんだよ」
「じゃあ使わなきゃいいだろ」
杏子から正論が飛んでくる。
「正論で殴るな」
「本当にそうよ」
今度はマミさんまで加わった。
「え。そっちまで?」
「最近、少し成り代わりに頼りすぎよ。あなたにはスペッキオも、スカンビオもあるでしょう? 自分自身の魔法も、もっと使えるようにならないと」
「……二対一は卑怯じゃない?」
「知らね」
「佐倉さん?」
「……知りません」
そこだけ直すんだ。
杏子は少し得意そうな顔をしていた。
昨日は「最後まで他人のまま戦う気か」と言われ、今日は本人から自分の魔法を使えと言われる。言っていることは少し違うのに、妙なところで二人とも同じ場所を突いてくる。
さすが同門。
……俺は認めてないけど。
◇
結局、二度目の作戦会議が始まることはなかった。
「トランプでもする?」
まどかの一言に、マミさんが普通に立ち上がった。
「あるわよ」
「あるんだ」
「失礼ね」
「いや、何か意外」
「どういう意味?」
棚の中から、本当にトランプの箱が出てくる。六人ならババ抜きでいいだろうという杏子の意見が、そのまま採用された。
マミさんがカードを切る。妙に手つきが綺麗だった。
「マミさん強そう」
「トランプに強そうって何?」
「何か強そう」
「分かる」
杏子まで頷く。
「佐倉さん?」
「昔やった時強かったじゃん」
「そうだったかしら」
「覚えてねーのかよ」
「全部は覚えてないわよ」
杏子は少しだけ笑った。
◇
結果から言うと、マミさんは普通に強かった。
そして、まどかは弱かった。
カードを引かれるたび、顔に全部出る。自分がババを持った瞬間は特に酷く、カードを見て、俺を見て、またカードを見る。
「それ絶対ババだろ」
「ち、違うよ!」
引いた。
ババだった。
「ほら!」
「ごめんね?」
「謝るなら顔に出すな!」
杏子が声を上げて笑う。
一方、ほむらは別方向で問題があった。カードを一枚引くだけなのに、相手の手札を見つめたまま真剣に考え込んでいる。
「暁美」
「何ですか?」
「ババ抜きだぞ」
「分かっています」
「爆弾解除じゃねーぞ」
「分かっています!」
少しだけ声が大きくなった。
杏子が吹き出し、さやかも笑う。まどかまで堪えきれなくなった。
「……そんなに笑わなくても」
「ごめん、ほむらちゃん」
まどかは謝りながら、まだ笑っている。
俺もつられて笑った。その時、ほむらの口元もほんの少しだけ緩む。
それを見て何か言おうとは思わなかった。ただ、ちゃんと見ていた。
◇
終盤になると、どう考えてもさやかと杏子がおかしかった。
二人とも俺の隣になるたび、妙に楽しそうにカードを引いていく。
「絶対組んでるだろ」
「何のことかなー」
「被害妄想じゃね?」
「お前らさっき目合わせたよな?」
「気のせいですー」
「運悪いな」
「絶対組んでる!」
まどかが笑っている。マミさんも、ほむらまで少し笑っていた。
「お前ら仲悪い設定どこ行った!」
「仲悪いわよ!」
「仲悪ぃよ!」
「だから揃うなって!」
結局、俺が最後までババを持った。
「よっわ」
「うるせえ!」
「こういうの向いてねーんじゃね?」
「もう一回やるぞ」
「ムキになってるじゃん!」
さやかまで笑った。
悔しい。普通に悔しい。
◇
気づけば、作戦会議のために広げた地図はテーブルの端へ追いやられていた。その代わりに残っているのは、散らばったカードと空いた皿、開けっぱなしの菓子袋、それから六つのカップ。
狭くて、騒がしい。
マミさんが紅茶を注ぎ直しながら、一度テーブル全体を見渡した。
「……ふふ」
「何?」
さやかが聞く。
「何でもないわ」
マミさんはそれだけ言った。
◇
少しして、軽いサンドイッチまで出てきた。
「何でこんなのすぐ出せんだよ」
「作ってあったの」
「六人分?」
「少し多めに」
杏子が一口食べる。
「うまい」
「それはどうも」
もう一口食べてから、少し考えた。
「前よりうまくなってね?」
「昔からこのくらいだったと思うけど」
「いや、昔はパンの端ちょっと乾いてた」
「佐倉さん」
「何だよ。褒めてんじゃん」
「余計なところまで覚えてるのね」
「そっちもだろ」
二人はそれ以上続けなかった。
でも、その短いやり取りだけで十分だった。俺が作品の中で知っている過去じゃない。マミさんと杏子だけが知っている、この部屋で過ごした昔の時間がちゃんとある。
◇
「マギカちゃん」
「ん?」
「紅茶、もういる?」
まどかに聞かれ、空になりかけたカップを渡す。
「もらう」
「じゃあマミさん」
「はいはい」
マミさんが紅茶を注ぎ、湯気がゆっくり立ち上る。
それだけの、何でもない時間だった。
過去二回、死んだ。死なせた。間に合わなかったことも、知っていたのにどうにもできなかったこともある。それでも今は、紅茶のおかわりを聞かれている。
マミさんがいる。まどかがいる。ほむらも、さやかも、杏子もいる。そして俺も、このテーブルを囲んでいる。
前より戦力も増えた。マミさんはもう一人じゃない。遠距離にはまどかがいて、時間停止を使えるほむらもいる。杏子は俺よりずっと経験があり、さやかもまだ荒削りとはいえ前へ出られる。
俺にもスペッキオ・ファントム、スカンビオ、成り代わりがある。前の時間より使えるものは確実に増えた。
もちろん、それだけで勝てる相手じゃないことは知っている。前回だって、いけると思った先で未来が変わった。
それでも、カップを持ったままもう一度みんなを見ると、考えずにはいられなかった。
そんな期待が、自然に浮かんだ。
◇
「もうこんな時間」
マミさんが時計を見る。
いつの間にか、最初に集まってからかなり経っていた。
「そろそろ帰らないと」
「えー」
さやかが露骨に残念そうな声を出す。
「泊まってけば?」
杏子が言う。
「あなたの家じゃないでしょう」
「細けーな」
「細かくありません」
「毎回それ言ってね?」
「毎回あなたが言わせるのよ」
片付けまで、六人いると騒がしかった。
まどかはカップを運び、さやかは皿を重ねる。ほむらは誰に言われるでもなく、テーブルの菓子袋や紙くずをまとめていた。
「暁美、そういうのやるんだ」
「散らかしたまま帰るんですか?」
「いや」
「なら普通です」
杏子はというと、余った菓子を袋ごと持ち上げていた。
「待って」
すぐマミさんに止められる。
「何」
「それ全部持っていくの?」
「余るだろ?」
「余っても私が食べるわよ」
「まだあるだろ」
「それとこれは別」
「ケチ」
「佐倉さん?」
「……半分」
「仕方ないわね」
交渉が成立した。
俺もカップを流しへ運ぼうとすると、マミさんに止められる。
「置いておいて」
「洗うくらいするけど」
「今日はいいの」
「何で」
「お客さんだから」
「杏子との差すごくない?」
「誰が客じゃねーって?」
「勝手に棚開けようとする奴」
「開けてねーよ!」
そうだった。止められていた。
◇
玄関には、まだ六人分の靴が並んでいる。
一人ずつ履いていくたび、さっきまで狭かった場所が少しずつ元へ戻っていく。
「佐倉さん」
マミさんが呼ぶ。
杏子は靴紐を結びながら顔を上げた。
「ん?」
「また来てね」
手が一瞬だけ止まる。
「……暇だったらな」
「ええ」
それ以上、マミさんも何も言わなかった。
「あと次は負けないから!」
さやかが割って入る。
「何の話だよ」
「トランプ!」
「そっちかよ」
「当たり前でしょ! ……戦闘でも負けないけど」
「はいはい」
「その返事ムカつく!」
また始まった。
まどかが笑う。
「ほむらちゃん、またね」
「……うん」
ほむらが少しだけまどかを見る。
「また」
今度は聞き返さず、その言葉を普通に返した。
◇
外へ出ると、夜風が少し冷たかった。
後ろでは、まださやかと杏子がトランプの件で言い合っている。
「だからあれズルしてたでしょ!」
「してねーって!」
「目配せしてた!」
「証拠あんのかよ」
「ある!」
「どこに!」
まどかが笑い、マミさんが二人へ「走らないの」と声を掛ける。その少し横には、ほむらもいる。
俺は一度だけ歩調を緩め、みんなの姿を見た。
マミさん。まどか。さやか。ほむら。杏子。そして俺。
そう思った。