巡回の帰り道。
六人で歩く足音が、長い連絡通路へ重なって響いていた。昼なら駅へ向かう人や買い物帰りの客でもっと騒がしい場所なのだろうが、もう時間は遅い。白い照明だけが等間隔に並び、磨かれた床へ俺たちの影を長く落としている。
出口は見えているのに、今日は妙に遠く感じた。
「だからあそこ、私が行けたって」
「遅ぇよ。先に倒した方が勝ちだろ」
「勝負じゃないし!」
「負けた奴はみんなそう言う」
「だから勝負じゃないって言ってるでしょ!」
「二人とも」
前を歩いていたマミさんが振り返る。
「通路で騒がないの」
「はーい」
「へいへい」
「佐倉さん?」
「……はい」
昨日と似たやり取りだった。まどかが笑い、杏子はまだ何か言いたそうにさやかを見ている。さやかも同じ顔を返していた。
少し前までなら、俺もそこへ適当に口を挟んでいたと思う。けれど今日は、隣を歩くほむらがさっきからほとんど喋っていない。
何度か口を開きかけ、そのたびに閉じている。
前に二人で話した時、ほむらは言っていた。
あの時点で誰かへ話すと決めていたわけじゃない。それでも、今のほむらが何を考えているのかは何となく分かった。
今日に決めたのか。
そう思った直後、ほむらの足が止まった。
「……皆さん」
六人分の足音が順番に消える。
マミさんが振り返った。
「どうしたの、暁美さん?」
ほむらは答える前に、一度だけ俺を見た。
止めるなら今だった。
でも、俺は何も言わなかった。
◇
「少し……話したいことがあります」
ほむらの声は小さかったが、人のいない通路では十分に届いた。
「何?」
さやかが首を傾げる。
「ソウルジェムのことです」
「ソウルジェム?」
さっきまであった軽さが少しだけ消えた。
ほむらは一度息を吸い、胸元の宝石へ視線を落とした。
「魔法を使えば、ソウルジェムが濁っていくことは皆さん知っていますよね」
「ええ」
マミさんが先に答える。
「だからグリーフシードで浄化するんでしょ?」
さやかも自分のソウルジェムへ触れた。
「今さらそこからか?」
杏子は壁際へ寄りながら言う。
ほむらは小さく頷いた。
「では……完全に濁り切った時、どうなると思いますか?」
さやかが少し考える。
「魔力が使えなくなるとか?」
「死ぬんじゃねーの」
杏子は軽く言ったつもりだったのだろう。けれど誰も笑わなかった。
ほむらの顔を見れば、これがそんな軽い話ではないことくらい分かる。
「……違います」
声が僅かに震えた。
「ソウルジェムは限界まで濁ると、グリーフシードへ変わります」
すぐには誰も意味を理解できなかった。ほむら自身も、そこで一度言葉を切る。
それでも逃げなかった。
通路の奥で、空調か何かの低い機械音だけが鳴っていた。
◇
「……何それ」
最初に声を出したのは、さやかだった。
「魔法少女が……魔女になる?」
「はい」
「いや……」
さやかが少し笑った。面白かったからではない。そんなわけがないと言いたい時の、無理に浮かべた笑いだった。
「だって、私たち、その魔女を倒してるんだよ?」
ほむらは何も言わない。
「それなのに最後は、自分たちが魔女になるって?」
小さく頷く。
「そんなの……信じられるわけないじゃん!」
声が白い壁へ跳ね返った。
「そんなの最初から全部おかしいじゃん! だったら私たち、何のために――」
「美樹さん」
マミさんが呼ぶ。
さやかはそこで一度口を閉じたが、別のことに気づいたらしい。見る間に顔色が変わる。
「じゃあ……今まで倒してきた魔女も……?」
最後までは言えなかった。
ほむらも、すぐには答えない。答えられないというより、答えたくなかったのだと思う。
◇
「……みんな?」
まどかの声は、さやかよりずっと小さかった。
人数でも確認するように、一人ずつ顔を見る。マミさん、さやか、杏子、ほむら、俺。そして最後に、自分の胸元へ視線を落とした。
「魔法少女なら……みんな、そうなるの?」
「私が知っている限りでは……そうです」
ほむらは断言しきらなかった。自分が見てきたもの以上を、勝手に事実にはしない。
「マミさんも……?」
まどかが見る。
マミさんは答えない。
「さやかちゃんも……ほむらちゃんも」
ほむらが小さく頷く。
そして、まどかの視線が俺へ来た。
「マギカちゃんも……?」
一瞬、答えに詰まった。
俺は普通の魔法少女とは少し違う。二つのソウルジェム。田中。そして俺。そもそも俺自身が、どこまで普通の魔法少女と同じ仕組みで存在しているのかすら分かっていない。
「……少なくとも、普通の魔法少女ならそうなんだと思う」
言葉を選んだつもりだった。
でも、ほむらの視線が僅かに強くなる。
当然だ。
今の言い方では、俺が自分を普通ではないと知っているみたいに聞こえる。
◇
「……で?」
杏子が口を開いた。
今度はさやかのように感情からではなく、真っ直ぐほむらを見る。
「証拠は?」
「今ここで、見せられるものはありません」
「じゃあ、何で知ってんだよ」
ほむらの言葉が止まった。
そこを説明するには、別の秘密まで明かさなければならない。時間を巻き戻していること。何度も同じ時間をやり直していること。まだ誰にも話していない、一番大きな秘密。
「それは……」
「ほら!」
さやかが食いついた。
「証拠もないんでしょ?」
「だからって、嘘だと決まったわけじゃねーだろ」
杏子が返す。
「どっちなのよ!」
「今考えてんだよ」
「何それ!」
「二人とも」
今度のマミさんの声は少し低かった。
さやかも杏子も黙る。
マミさんはほむらではなく、少し離れた通路の端へ視線を向けた。
そこに白い影が座っていた。
「キュゥべえ」
「何だい?」
いつからいたのか分からない。少なくとも、さっきまでは誰も気にしていなかった。
マミさんがゆっくり尋ねる。
「暁美さんが言っていることは、本当なの?」
声はまだ落ち着いていた。
でも多分、この中で一番強く否定してほしいと思っていたのはマミさんだった。
キュゥべえは迷わなかった。
誰も動かなかった。
◇
「ソウルジェムが限界まで濁れば、それはグリーフシードへ変化する。その時、君たちは魔女になる」
キュゥべえはいつもと同じ調子だった。悪意もなければ、言いづらそうにする様子もない。
本当に、ただ仕組みを説明している。
「……キュゥべえ」
さやかが呼ぶ。
「何だい?」
「それ、最初から知ってたの?」
「もちろん」
さやかの表情から、怒りより先に何かが抜け落ちた。
「じゃあ……なんで言わなかったの?」
「契約を成立させるために、必ず説明しなければならない情報ではないからね」
「……は?」
「僕は君たちが、それを契約するかどうかを左右するほど重要な情報だと考えるとは思わなかった」
さやかがしばらくキュゥべえを見つめた。
本気で意味が分からない顔だった。
「知ってたのに、黙ってたんでしょ?」
「君が尋ねなかった情報を、僕から説明しなかったという意味ならその通りだよ。ただし、僕は事実と違うことを伝えてはいない」
「そういう話じゃない!」
声がまた通路へ響く。
杏子の指が僅かに動いた。槍を出す直前と同じ動きだった。
「……てめぇ。契約だけさせといて、都合悪いことは聞かれなきゃ黙ってたって?」
「都合が悪いという判断も、君たちの価値観によるものだろう?」
杏子の顔から完全に笑みが消える。
「佐倉さん」
マミさんが呼んだ。
杏子は一度だけ彼女を見ると、動きかけていた手を止めた。
「……チッ」
それ以上は何もしなかった。
◇
「……じゃあ」
マミさんが言った。
さっきより、ずっと声が小さい。
「私たちが今まで倒してきた魔女の中にも、元は魔法少女だった子がいるの?」
「当然いるよ」
その瞬間、マミさんの指が自分のソウルジェムを強く握った。
顔色が目に見えて落ちる。何か言おうとして唇が動いたのに、声にならない。
今まで倒してきた魔女。後輩へ教えてきたこと。自分が正しいと信じて続けてきた戦い。
その全部へ、急に別の意味を突きつけられた。
「……マミ」
杏子が呼んだ。
さっきまでの荒い声ではなかった。
マミさんの視線がゆっくり上がり、杏子と目が合う。それからまどか、さやか、ほむら、俺を見る。
一人ずつ確認するようだった。
「……大丈夫」
誰も聞いていないのに、マミさんはそう言った。
大丈夫な顔ではなかった。
それでもソウルジェムから手を離し、一度深く息を吸ってから、ゆっくり吐く。武器は出さず、誰にも手を伸ばさなかった。
ただ、そこに立っていた。
◇
「……マギカ」
さやかの声がした。
嫌な予感がした。
「何」
「驚かないんだね」
まどかも杏子も俺を見る。ほむらは何も言わないが、一番強くこちらを見ている気がした。
「……キュゥべえが何も隠してないとは、最初から思ってなかっただけだ」
「何それ」
「少なくとも、こいつが全部説明してると思わない方がいい」
キュゥべえを見ながら答える。
さやかが一歩近づいた。
「でも、それって何か知ってたみたいじゃん」
「そうじゃない」
「じゃあ何なの?」
答えられない。
原作知識。前の時間。魔女化。ほむらのループ。
全部知っていた。
少なくとも、ほむらが今話したことについては。
前にほむらから言われた言葉まで蘇る。
分かっている。
なのに俺は、まだ自分の秘密を握ったまま立っている。
「マギカちゃん……?」
まどかまで心配そうにこちらを見る。
「……悪い」
結局、出てきたのはそれだけだった。
さやかは納得していない。
当然だ。
◇
「だから、綺麗事だけじゃやってられねーんだよ」
しばらくして、杏子が低く言った。
さやかがすぐそちらを見る。
「……何それ」
「事実だろ。魔力だって無限じゃねえ。敵倒すたびに自分も終わりに近づくんなら、余計な消耗なんか――」
「……そうやって、また効率の話?」
さやかの声が変わった。
「は?」
「もういい」
「何だよ、それ」
「二人とも……」
まどかの声は小さかった。
それでも二人とも止まる。
まどかは今にも泣きそうな顔をしていた。
「今、喧嘩してる場合じゃないよ……」
さやかが口を閉じ、杏子も舌打ちだけして顔を逸らした。
終わったわけじゃない。ただ、今ここで続けなかっただけだった。
◇
「だから……」
ほむらがもう一度口を開いた。
声は、最初より少し弱くなっていた。
「ソウルジェムを濁らせすぎないでください。一人で戦わないで。グリーフシードが必要なら、隠さずに言ってください」
さやかが目を伏せたまま聞く。
「……それでどうにかなるの?」
ほむらはすぐには答えなかった。
「……少なくとも、何もしないよりは」
必ず助けられるとは言わなかった。
ほむらは多分、それが言えない。うまくいかなかった結果を知っているから。
「今すぐ答え出さなくてもいいだろ」
俺も口を挟んだ。
「知ったばっかなんだから」
さやかも、杏子も、まどかも何も言わない。
マミさんだけが少し時間を置いて頷いた。
「……そうね」
◇
「今日は、ここまでにしましょう」
マミさんが言った。
普段なら、このあと家へ寄っていくかと聞いたかもしれない。今日は言わなかった。
「……帰る」
さやかが一番先に歩き出す。
「さやかちゃん」
まどかが追おうとする。
「ごめん。今日は……一人で帰る」
「でも」
「ごめん」
二回目は少し強かった。
まどかは足を止めるしかなかった。
杏子はまだキュゥべえのいた場所を睨んでいる。
「……胸くそわりぃ」
吐き捨てると、さやかとは別の方向へ歩き出した。
少し前なら何か言い合っていたかもしれない。
今日は互いに一度も振り返らなかった。
マミさんはその場に残り、もう一度自分のソウルジェムへ視線を落とした。
「マミさん……」
まどかが声を掛ける。
「大丈夫よ」
マミさんは笑おうとした。
でも、いつもの笑顔には少し届いていなかった。
まどかは何も言わず、マミさんのそばへ寄った。
◇
気づけば、長い通路に俺とほむらだけが残っていた。
さっきまで六人分あった足音は、もう聞こえない。キュゥべえもいつの間にか姿を消していた。
「……やっぱり」
ほむらが呟く。
「何」
「信じてもらえませんでした」
その声は、思っていたより小さかった。
「キュゥべえが認めたんだ」
俺は出口の方を見る。
「もう、信じる信じないじゃない」
「……でも」
「受け入れられるかは別だ」
言ってから、前にほむらと話した時のことを思い出す。
真実は、知れば必ず強くなれるようなものじゃない。
その通りになった。
「でも」
少し間を置く。
「話したことが間違いだったとは思わない」
ほむらが俺を見る。
「……そうですか」
「ああ」
それだけ答えた。
ほむらが話したことは、間違いじゃない。知らないまま選ばされるより、知った上で選べる方がいい。
俺はそう思っている。
なのに、自分のことになると同じことができていない。前世も、原作知識も、ループの記憶も、田中のことも、全部まだ隠している。
それだけは口に出さなかった。
◇
出口の自動扉が開き、冷たい夜気が一気に流れ込んできた。
「……帰るか」
「はい」
二人で外へ出る。
少し歩けば、すぐに分かれ道だった。
「じゃあ」
「はい」
ほむらが先に進み、俺も別の道へ曲がる。
昨日は六人で同じテーブルを囲んでいた。