俺がマギカなのか……?改   作:きのこ大三元

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第50話 戻ってこい

音楽が鳴っていた。

 

 大きすぎて、近すぎて、もう音というより空間そのものが震えているみたいだった。車輪、水、剣、舞台。その中央に、巨大な人魚の魔女――オクタヴィアがいる。

 

 誰も攻撃できなかった。

 

「さやかちゃん! さやかちゃん、聞こえる!?」

 

 最初にまどかが叫ぶが、魔女は答えない。

 

「おい! 聞こえてんだろ!」

 

 杏子も槍を握ったまま一歩前へ出る。マミさんはマスケットを出しているものの、銃口を上げることができずにいた。ほむらだけが少し離れた場所から、オクタヴィアと俺たち全員を交互に見ている。

 

 俺は巨大な人魚を見上げた。

 

 知っている。少なくとも、俺が見た話では戻らなかった。杏子やまどかがどれだけ呼びかけても、最後まで元のさやかには戻らなかった。

 

 でも、それはこの世界でも同じなのか。

 

 ◇

 

「さやかちゃん! 一緒に帰ろう!」

 

 まどかがもう一度名前を呼んだ時、流れていた音楽が僅かに弱くなり、オクタヴィアの剣を持つ腕もほんの一瞬だけ止まった。

 

「……え?」

 

 全員の動きが止まる。

 

「さやかちゃん……?」

 

 まどかの声が震える。

 

 杏子は顔を上げ、そのまま一歩前へ出た。

 

「ほら。聞こえてんじゃねえか」

 

「佐倉さん」

 

 マミさんが小さく呼んでも、杏子は止まらなかった。

 

「まだ何も試してねえだろ」

 

 今度は俺を見る。

 

「なあ。お前、何か知ってんだろ。戻せねえって決まったわけじゃねえんだろ?」

 

 急に刺さった。

 

 俺の知っている話では戻らなかった。でも今、目の前で反応した。

 

「……分からない」

 

 それしか言えなかった。

 

「なら、試すぞ」

 

 杏子はオクタヴィアへ向き直った。止める権利は、俺にはなかった。

 

 ◇

 

「さやか! お前、聞こえてんなら返事しろ!」

 

 杏子が叫ぶ。それでもオクタヴィアは動かない。

 

「ほら……また喧嘩しようぜ」

 

 その瞬間、剣が止まり、巨大な車輪も一つ、軋みながら回転を止めた。

 

 杏子の表情が変わる。

 

「聞こえてる。絶対聞こえてる」

 

 今度は確信するように言った。

 

 まどかも一歩前へ出る。

 

「さやかちゃん、帰ろう。学校も、みんなも、まだいるよ」

 

 マミさんの唇もようやく動いた。

 

「……美樹さん。帰ってきなさい」

 

 誰も撃たないし、誰も斬らない。ただ、名前だけを呼び続けた。

 

 ◇

 

 次の瞬間、オクタヴィアが暴れた。

 

 巨大な剣と車輪が一斉に動き、水が舞台を叩く。マミさんのリボンがまどかの身体を引き、杏子は鎖と槍で足元を拘束した。

 

「スペッキオ・ファントム!」

 

 俺は認識をずらして迫っていた車輪の軌道を横へ外し、ほむらは盾を動かして一瞬だけ姿を消す。次に見えた時には、まどかの身体は刃の軌道の外へ移されていた。

 

 誰も殺すためには攻撃しない。守り、止め、逸らしながら、ただ呼びかけるための時間を稼いでいる。倒してしまうより、その方がずっときつかった。

 

 ◇

 

「大人しくしろ! 話聞け!」

 

 杏子の鎖がオクタヴィアへ巻きつき、魔女が身体を捻るたびに金属が軋む。

 

「馬鹿! 戻ってこい!」

 

 まどかも続けて名前を呼んだ。

 

「さやかちゃん!」

 

 その声に反応するように音楽が一瞬だけ変わり、マミさんが目を見開く。

 

「今……」

 

 まどかも顔を上げた。

 

「今、変わったよね?」

 

 誰も否定できなかった。本当にさやかの意識が残っているのか、それとも、ただ魔女が刺激へ反応しただけなのか。それは分からない。

 

 でも今は、前者を信じたかった。

 

 ◇

 

「ほら! 分かってんだろ! お前は美樹さやかだ!」

 

 杏子がさらに声を張り、槍を地面へ突き立てる。

 

 オクタヴィアの動きが、ほんの少し鈍った。

 

 まどかは涙を浮かべながら、それでも笑おうとしていた。

 

「さやかちゃん。私だよ、まどかだよ」

 

 マミさんもマスケットを少し下げる。

 

「戻れるわ。きっと……」

 

 自分へ言い聞かせるような声だった。

 

 それを聞いて、俺まで思ってしまう。

 

『今回なら』

 

 知っているのに。

 

 ◇

 

 突然、オクタヴィアの剣がまどかへ向いた。

 

「鹿目さん!」

 

 マミさんのリボン、俺のスカンビオ、杏子の槍、そしてほむら。全員がほとんど同時に動き、まどかの身体をどうにか刃の軌道から外す。

 

「まどか!」

 

「大丈夫!」

 

 杏子は無事を確認すると、すぐにオクタヴィアへ視線を戻した。

 

「違う。今のは魔女の方だ。さやかじゃねえ」

 

 まどかを殺そうとするさやかなんて認められないのだろう。だから必死に、さやかと魔女を分けようとしている。

 

 ◇

 

「一度魔女になった魔法少女が、元に戻った例は?」

 

 マミさんがキュゥべえを見る。声はまだ少し震えていた。

 

「僕は知らない」

 

 キュゥべえは淡々と答える。

 

「例がねえだけだろ!」

 

 杏子がすぐに睨む。

 

「そうだよ。可能性がゼロだと証明されたわけではない」

 

 杏子は一度息を吐くと、槍を握り直した。

 

「なら、戻す」

 

 迷いはなかった。

 

 ◇

 

 呼びかければ一瞬だけ止まり、その直後にはまた暴れ出す。それを何度も繰り返した。

 

 少し反応すれば希望が見え、その次には攻撃が来る。誰かが傷ついても、誰一人として殺すための一撃を出さなかった。

 

 マミさんのリボンが切れ、杏子の鎖が弾かれる。俺もスカンビオを使うたびに魔力を削られ、ほむらは何度も時間を止めて致命傷だけを避けていた。まどかの声は、もう掠れている。

 

「さやかちゃん! お願い! 戻ってきて!」

 

 それでも戻らない。

 

 ◇

 

「……もう、やめませんか」

 

 ほむらが小さく言った。

 

「黙ってろ!」

 

 杏子が振り返る。

 

「まだ反応してる!」

 

 まどかも首を振った。

 

 ほむらは一瞬だけ唇を結び、視線を落とした。それでも、もう一度オクタヴィアを見る。

 

「……でも、反応しているだけかもしれません」

 

「何だと?」

 

「戻るような変化は……今のところ、ありません」

 

「分かんねーだろ!」

 

「分かりません!」

 

 思ったより大きな声が出たのか、ほむら自身が僅かに肩を揺らした。

 

「……分からないです。でも、このままだと、誰かが死にます」

 

 最後だけは、まどかを見て言った。

 

 ◇

 

「嫌だ! だったら、もっと呼べばいい! さやかちゃんが聞こえるまで――」

 

 まどかが言い切るより先に、オクタヴィアの車輪が飛んだ。

 

 マミさんがまどかを抱えて避け、そのすぐ横を巨大な車輪が通り抜ける。結界の壁が大きく抉られ、杏子も弾かれたが、槍を地面へ突き立ててどうにか踏みとどまった。俺の腕にも刃が掠る。

 

 オクタヴィアの攻撃は止まらない。呼びかけるたびに一瞬だけ反応するのに、元のさやかには戻ってこない。

 

 ◇

 

「杏子」

 

 俺が呼ぶ。

 

「何だよ!」

 

「……このままじゃ」

 

「言うな!」

 

「でも!」

 

「言うなっつってんだろ!」

 

 もう分かっているのだと思う。分かっているからこそ、聞きたくない。

 

「まだ、さやかはいる」

 

 杏子が槍を持ち上げた直後、オクタヴィアの腕が横薙ぎに振るわれ、その身体を壁へ叩きつけた。

 

「杏子ちゃん!」

 

 それでも杏子は槍を杖代わりにして立ち上がり、口元の血を拭う。

 

「まだ……終わってねえ」

 

 ◇

 

 俺はオクタヴィアを見た。

 

 この魔女も、その結末も知っている。それなのに俺まで、ここまで来れば何か変わるんじゃないかと期待していた。

 

『……今回なら』

 

 でも、何度呼んでも戻らない。反応しても、それ以上にはならない。

 

 ほむらが盾へ手を掛ける。

 

「マミさん」

 

 俺が呼んでも、マミさんはオクタヴィアを見たまま返事をしない。

 

「……巴さん」

 

 ほむらも呼んだ。声は強くない。むしろ、返事を待つような響きが残っていた。

 

 ようやくマミさんは一度だけ目を閉じ、それからゆっくり開いてマスケットを握り直した。

 

「……鹿目さん。少し下がっていて」

 

「マミさん……?」

 

「お願い」

 

 声は震えていた。それでも、銃口は今度こそ上がった。

 

 ◇

 

「嫌だよ。まださやかちゃんが――」

 

 まどかが首を振る。

 

「鹿目さん」

 

 マミさんの声は優しかった。それが余計に苦しい。

 

「私だって、戻ってきてほしいわ」

 

 一度だけ唇を噛み、マスケットを構える。

 

「でも、このままみんなまで傷つけさせるわけにはいかない」

 

 杏子は何も言えず、ただ槍を握る手だけを震わせていた。

 

 ◇

 

 ほむらも盾へ右手を入れた。

 

 取り出したのは、黒い拳銃だった。

 

『……それまで入ってんのかよ』

 

 盾と時間停止までは俺も再現した。でも、その中に何を持っているのかまでは知らない。

 

「……お前、そんなのまで持ってんのかよ」

 

 杏子も気づいたらしい。

 

 ほむらは一瞬だけ杏子を見て、それから手元の拳銃へ視線を落とした。

 

「え……その、必要になるかもしれないと思って」

 

「だからって普通、銃は持ち歩かねーだろ」

 

「……今は、それどころじゃないでしょう」

 

 言い返したものの、最後だけ少し声が小さくなった。

 

 杏子が何か言い返そうと口を開く。その前に、ほむらは盾へ手を掛けて姿を消した。

 

 一瞬後、オクタヴィアの腕へほとんど同時に銃弾が食い込み、巨大な剣の軌道が僅かに落ちる。

 

「今です!」

 

 マミさんのリボンと杏子の槍が動き、俺もスカンビオで攻撃の認識を逸らした。

 

 それでも別の車輪がまどかへ飛ぶ。

 

「鹿目さん!」

 

 ほむらが盾へ手を入れ、今度はショットガンを引き抜いた。

 

「えっ、それも!?」

 

 杏子の声に構う余裕もなく、ほむらは反動を受け止めるように足を踏ん張って引き金を引いた。

 

 轟音とともに車輪が横へ弾かれ、結界の壁へ激突する。

 

「……お前、本当に何でも出てくんな」

 

 ほむらは少し困ったように眉を寄せた。

 

「わ、私だって好きで集めてるわけじゃありません」

 

「そこじゃねーよ」

 

「……じゃあ、どこですか」

 

「もういい!」

 

 杏子が槍を構え直す。

 

 こんな状況なのに、一瞬だけ普段のやり取りみたいなものが戻った。

 

 俺はその横で、ほむらの盾を見ていた。

 

 能力は借りられる。

 

 でも、その人が積み重ねてきたものまでは借りられない。盾の中に何を入れ、どう使い分け、どの距離なら何を選ぶのか。俺が成り代わった時には知らなかったものが、まだいくらでもある。

 

 ◇

 

「……さやか」

 

 杏子が最後にもう一度呼ぶ。

 

「聞こえてるなら、戻ってこい」

 

 オクタヴィアは答えず、巨大な剣を振り上げた。

 

「……くそ」

 

 杏子は俯いたが、次に顔を上げた時には槍を構えていた。

 

「殺すんじゃねえ。……止めるだけだ」

 

 誰に言い聞かせているのかは分からなかったが、誰も否定しなかった。

 

 ◇

 

 マミさんのリボンが伸び、オクタヴィアの腕を拘束する。

 

「今よ!」

 

 杏子が鎖を絡め、槍を地面へ突き立てて脚を止めた。俺も認識をずらし、振り下ろされた剣の軌道を横へ逸らす。

 

 ほむらは拳銃を両手で構え、一発、二発と腕へ撃ち込んだ。射撃のたびに肩へ力が入っている。慣れてきたとはいえ、最初から銃を扱ってきた人間の動きではない。

 

 それでも狙いは外さない。

 

 使い魔が飛び込んでくると、一瞬だけ迷ってからショットガンへ持ち替えた。反動に身体を持っていかれかけながらも踏みとどまり、二体まとめて吹き飛ばす。

 

 マミさんとは違う。

 

 マスケットを自在に増やし、最初から自分の武器として戦うマミさんに対して、ほむらは自分に足りないものを一つずつ拾い集めている。

 

 不格好なところはまだある。

 

 でも、それでも生き残るために覚えてきた戦い方だった。

 

 ◇

 

 オクタヴィアが拘束を破った。

 

「来る!」

 

 俺と杏子が横へ跳び、マミさんがまどかの前へ入る。その瞬間、ほむらの盾が動き、世界から音が消えた。

 

 オクタヴィアも、飛び散った水も、剣も止まる。

 

 ほむらは一度大きく息を吐いてから拳銃を構え、次にショットガンを置く。何度か位置を確かめながら、一つずつ攻撃の準備を整えていった。

 

 途中で手が止まる。

 

 動かないオクタヴィアを見上げて、ほんの少しだけ俯いた。

 

「……ごめんなさい、美樹さん」

 

 時間の止まった世界では、誰にも届かない声だった。

 

 ほむらは眼鏡の位置を直し、盾へ手を掛ける。

 

 次の瞬間、時間が動き出した。

 

 拳銃とショットガン、マミさんのマスケット、杏子の槍、俺の刀が一斉に動く。

 

 ◇

 

 光と衝撃の中で音楽が歪み、巨大な車輪の一つが砕けた。人魚の身体が揺れても、オクタヴィアはなお剣を振るう。

 

「まだ!」

 

 杏子が叫び、槍を突き立てる。マミさんの銃撃と俺の刀、ほむらの拳銃が続き、鎖とリボンもさらに締まっていった。

 

「暁美さん!」

 

「は、はい!」

 

 マミさんに呼ばれ、ほむらが慌てるようにショットガンを構え直す。

 

 照準を合わせ、息を止める。

 

 轟音。

 

 その最後まで残ったのは、まどかの声だった。

 

「さやかちゃん――!」

 

 オクタヴィアの身体が止まった。

 

 音楽が途切れ、握っていた剣が落ちる。巨大な人魚の身体も少しずつ崩れ始めた。

 

「……さやか」

 

 杏子が呟く。

 

 返事はなかった。

 

 舞台も、水も、車輪も薄れていき、やがて結界そのものがほどけていった。

 

 ◇

 

 現実へ戻ると、夜の街は異様なくらい静かだった。誰もすぐには動けない。

 

 まどかがさやかの身体のそばへしゃがみ、その肩へ手を置く。

 

「さやかちゃん……」

 

 何も起きなかった。

 

 あの時は、身体から離された青いソウルジェムを戻せば、さやかは目を開けた。今回は違う。戻すべき青い宝石そのものが、もうどこにもない。

 

 杏子も近づいてきたが、何も言わなかった。

 

 ほむらは少し遅れて拳銃を下ろした。盾へ戻そうとして一度手を止め、空になった薬室を確かめてから、拳銃とショットガンを順番に仕舞っていく。

 

 その動きは手慣れてきている。それでも、まだどこかぎこちなかった。

 

 俺はその左腕を見ながら、自分がほむらへ成り代わった時には知らなかったものが、まだいくらでもあるのだと思った。

 

 その時、小さな音がした。

 

 何かが地面へ落ち、僅かに転がる。

 

 黒いグリーフシードだった。

 

 さやかのソウルジェムだったものが魔女になり、倒された末に残ったもの。

 

 全員がそれを見ていた。

 

 誰も拾わなかった。

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