最初に戻ってきたのは、光ではなかった。
誰かの泣き声だった。遠く、途切れ途切れで、何を言っているのかまでは分からない。息を吸おうとして失敗したような声を暗闇の向こうから聞いているうちに、途切れていた記憶も少しずつ繋がっていった。
マミさんの銃口が胸元へ向き、銀色の宝石が砕けた。
そう思ったのに、背中には地面の冷たさがあった。右手の指先へ意識を向けると、僅かに動く。
「…………あれ?」
声まで出た。
◇
重い瞼を開くと、滲んだ光の向こうに夜空が見えた。何度か瞬きをするうちに、壊れた舗装や散った瓦礫の輪郭も少しずつ戻ってくる。
恐る恐る息を吸ってみる。胸が持ち上がり、吐けばちゃんと空気が抜けた。もう一度吸っても同じだった。
起き上がろうと肘へ力を入れる。身体は妙に重かったが、それでも動いた。半分ほど身体を起こしたところで、さっきから聞こえていた泣き声がようやくはっきりする。
「……やだよ……」
まどかだった。
少し離れた場所で座り込み、ほむらの制服を掴んだまま胸元へ顔を押しつけている。マミさんのリボンはもう消えていて、ほむらは隣に膝をつき、何も言わずに背中へ手を添えていた。
「こんなの……嫌だよ……。さやかちゃんも……杏子ちゃんも……」
その先は続かなかった。
視線をずらすと、少し離れた地面にさやかと杏子、それからマミさんが倒れている。
「私……」
まどかがマミさんの方を見た。でも、その先を言葉にはできない。
「鹿目さん……」
ほむらも、それ以上は言わなかった。
仕方なかった。そう言えば簡単だったはずだ。それでも、そんな一言でどうにかなる顔じゃないことくらい、今のほむらにも分かっているらしい。
俺も倒れたマミさんと、まどかの手元に残る弓を見た。意識が落ちる直前、視界の端を走った桃色の光も覚えている。
それだけで十分だった。
知っていたはずの出来事なのに、実際にその場に残ったまどかの顔を見ると、記憶の中の一場面とはまるで違って見えた。
◇
そこでようやく、自分の胸元へ手をやった。
指先が触れたのは一つだけだった。
「……」
二つあったはずなのに、銀色の宝石がない。少し視線を落とすと、地面に散った細かな欠片が月明かりを拾っていた。
元へ戻る気配はない。
それでも、もう一つは残っている。
もともと透明に近かった宝石。その内側には今、淡い金色が沈むように灯っていた。
意味が分からない。
反射的に魔力へ意識を向けた。いつもなら、身体の奥に引っかかるような感覚がある。
何もなかった。
右手を開いて刀を呼ぼうとしても、光すら出ない。
「スペッキオ……」
途中で止めた。
試すまでもない。
変身も、刀も、スペッキオも、スカンビオも、成り代わりも、どこにも繋がっていない。魔法へ手を伸ばすための入口そのものが、銀色の宝石と一緒に消えていた。
◇
もう一度身体を起こした時、肩から白いものが滑り落ちた。
「……?」
布だと思って掴んだ指へ、さらりとした感触が絡む。
髪だった。
「何だこれ」
見慣れた長さではない。それどころか、色まで違う。
銀色でも灰色でもなかった。月明かりのせいではなく、根元から先まで色が抜け落ちたみたいに真っ白だった。
近くに落ちていた割れたガラスへ手を伸ばす。
映った顔を見て、しばらく動けなかった。
田中に似ている。
けれど、見慣れた輪郭から少しずつ何かがずれていた。
魔法少女になった時だって、顔立ちはそれなりに変わっていた。それでも田中の面影はかなり強く残っていて、仮面を外せば同じ人間だと分かる程度には繋がっていたはずだ。
今は、その繋がりが薄い。
目元も、鼻筋も、頬の線も、別人と言い切るほどではないのに、そのまま田中だとも思えない。
前世の俺でもなかった。
思わず漏れた声に、ガラス片が指先で小さく鳴った。
その音に、ほむらが顔を上げる。
最初は俺を見ても、誰なのか分からない顔をしていた。
「……あなたは」
「……ほむら」
名前を呼ぶと、眼鏡の奥の目が大きくなる。
俺の声を聞いて、それからもう一度、顔を見る。
「……マギカさん?」
疑問形になるのも当然だった。
「……多分」
「多分……?」
ほむらは完全に困った顔になり、何か言おうとしてから一度口を閉じた。
「でも……その、見た目が……」
「俺も今、それで困ってる」
ほむらは眼鏡の位置を直した。それでもまだ、確かめるように俺の顔を見ている。
知っている声なのに、知っている顔とは少し違う。
たぶん、そう見えているんだろう。
◇
「……マギカちゃん?」
今度はまどかが顔を上げた。
涙で濡れたまま俺を見る。
一瞬だけ迷った。
その視線が、白く伸びた髪から顔へ移り、そこで少し止まる。
「……ほんとに、マギカちゃん?」
「ああ」
声を聞いて、ようやく確信したらしい。
答えた途端、まどかの顔が崩れた。
「……よかった」
立ち上がろうとしてふらつき、そのままこちらへ来る。
「よかった……!」
抱きつかれた勢いで一歩よろけた。身体にまともな力が入らない。それでも、まどかは離れなかった。
「マギカちゃんまで……死んじゃったと思った……」
「俺はいいから――」
「よくないよ……!」
間を置かずに返された。
まどかは顔を上げないまま、服を掴む指に力を入れる。
「マギカちゃんまで……そんな言い方しないで」
胸の奥へ、妙に引っかかった。
俺は何度も、自分自身を勘定から外してきた。誰かが助かるなら、それでいいと思ったこともある。
でも、まどかから見れば違う。
当たり前のように、俺も失いたくない側へ入っている。
少し離れたところで、ほむらがこちらを見ていた。何も言わなかったが、張りつめていた肩がほんの少しだけ下がった。
それだけで、何となく分かる。
こいつも、俺が死んだと思っていた。
◇
「それじゃあ、僕は行くよ」
横から聞こえた声に、空気が変わった。
キュゥべえが少し離れた場所に座っている。いつからそこにいたのか分からない。白い姿も、赤い目も、いつもと何一つ変わっていなかった。
まどかがゆっくり振り向く。
「……どこに?」
「次の契約相手を探しに」
まどかの顔が強張った。
「今……?」
「そうだよ」
キュゥべえは不思議そうに首を傾げる。
「まだ、僕たちの目的を達成するには足りないからね」
「……何が?」
まどかが問い返した。
キュゥべえは赤い瞳を向けたまま、淡々と答える。
「それを今の君たちに説明しても、あまり意味はないと思うよ」
「これは君たち人類のためでもあるんだ」
それだけを残して、白い身体がこちらへ背を向ける。
「待って」
まどかが呼んでも、キュゥべえは振り返らなかった。
俺も止める言葉が出なかった。
目的そのものは知っている。こいつらは魔法少女を契約させ、そこからエネルギーを回収する。
ただ、今ここでキュゥべえが何を「足りない」と見ているのかまでは分からなかった。
◇
キュゥべえの姿が見えなくなってから、ほむらが俺の胸元へ視線を戻した。
「その……ソウルジェムは」
「銀色の方は壊れた」
「……壊れたんですか?」
ほむらの目が見開かれる。
俺は残っている方を指で摘まむように見せた。
「こっちは残ってる」
淡い金色を帯びた宝石を見て、ほむらは言葉を失った。何か説明を求めるように俺を見るが、こっちだって答えは持っていない。
「……分からない」
先に言うと、ほむらは困ったように眉を寄せた。
「そう……ですよね」
無理に続きを聞くのをやめ、視線だけを宝石へ戻す。
◇
「髪……」
まどかが改めて、白く伸びた髪へ視線を向けた。
指先でそっと触る。
「やっぱり……すごく長くなってる」
「俺もさっき気づいた」
「顔も……その」
また言葉に詰まった。
「違うよな」
まどかは申し訳なさそうに小さく頷いた。
無理もない。
魔法少女の姿になっていた時だって、田中とまったく同じ顔だったわけじゃない。それでも、ずっと見ていれば同じ人間だと分かるくらいには面影が残っていた。
今は違う。
もう一度、ガラスに映った自分を見る。
田中に似ている。
でも、田中ではない。
ずっと、田中もマギカも同じ自分だと思っていた。学校で生きる自分と、魔法少女として戦う自分。ただ役割が違うだけだと片づけてきた。
でも、本当にそうだったのか。
銀色の宝石は砕けた。
魔法は消えた。
身体まで変わった。
それなのに、俺は残っている。
残った金色の宝石へ指先で触れる。
嫌な考えが、ゆっくり形になっていく。
銀色の中にいた魂が、本当に俺だったのか。
それとも――。
結果としては何とか生きていました…
マギカの状態でも田中の外見が強く反映されたので、この状態での変身解除後はかなり外見が変化します。