胸元に残った宝石を、もう何度見たか分からない。
元は透明だったはずなのに、今では内側へ薄い金色が滲んでいる。指で触れてみても返ってくるのは冷たい感触だけで、以前のように魔力が応えることはなかった。
その隣にあった銀色はもうない。砕けたのに、俺はこうして息をしている。
「……意味分かんねえな」
独り言は、思ったより近くへ落ちた。
少し離れた場所では、ほむらがまどかに付き添っている。まどかはもう泣き叫んではいなかったけれど、膝を抱えたまま顔を上げようとしない。ほむらも無理に話しかけず、ただ隣へ座っていた。
その向こうには、さやかと杏子、それからマミさんが、もう動かないまま横たわっている。
こんな時に自分の宝石ばかり気にしていることへ、少しだけ後ろめたさを覚えた。それでも、目を逸らして済ませられる話でもない。
昨日まで当たり前だった「俺が何なのか」が、急に分からなくなってしまった。
「奇妙だね」
「…………」
聞き慣れた声に、嫌な予感しかしなかった。
振り向けば、白い身体と赤い目がこちらを見ている。
『まだいたんかい』
「さっきの僕なら、もうここにはいないよ」
「心読むのやめてもらえる?」
「読んでいないよ。君の顔を見れば、それくらいは推測できる」
「なお悪いわ」
思わず返すと、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
今は、それくらいでちょうどよかった。
◇
「で、何が奇妙なんだよ」
「君だよ」
即答だった。
「でしょうね」
キュゥべえの視線が、白く変わった髪から顔へ移り、最後に胸元の金色で止まる。
「外見の変化も興味深い。でも、それ以上に不可解なのは、君が今もこうして活動していることだ」
「活動って言い方やめろよ」
「会話して、自分で考えて、身体も動かしている。観測としては間違っていないよ」
「そういう問題じゃねえんだわ」
キュゥべえは気にした様子もなく続けた。
「失われた側が、君の魔法少女としての機能を担っていたと考えれば、魔法が使えなくなったこと自体は不思議じゃない」
俺は右手を軽く開いてみる。やっぱり何も起きなかった。
「問題は、君自身が残ったことさ」
赤い目がまっすぐこちらを見る。
「もし、砕けた方が君そのものだったのなら、君が僕と話していること自体がおかしい」
◇
「……じゃあ、やっぱり」
「何だい?」
口を開きかけて、閉じた。
田中という名前が、また頭に浮かぶ。
銀色の中にいたのは田中だったのか。
そう尋ねれば、何か答えが返ってくるかもしれない。でも、今はまだ、その答えを聞くのが怖かった。
「何でもない」
「そうかい」
キュゥべえは追及しなかった。
俺は胸元に残った金色を指差す。
「じゃあ、こっちは?」
今度はすぐに答えが返ってこなかった。
「……何だよ」
「完全には分からない」
「お前でも?」
「僕たちは万能じゃないからね」
「初耳だわ」
「君たちが勝手にそう思っているだけじゃないかな」
相変わらず腹の立つ言い方だった。
「少なくとも、通常のソウルジェムと同じ状態ではない。魔法少女としての機能も確認できないし、君自身もそこから魔力を取り出せていない」
「ああ」
「ただ、君との結びつき自体は残っている」
「……俺の魂ってこと?」
「そこまでは断定できないよ」
「使えねえなあ」
「観測できないことを断定する方が、よほど問題だと思うけれど」
「そういうとこだけ妙に真面目だよな、お前」
キュゥべえは気にせず、金色の奥を覗き込むように見つめていた。
◇
「もう一つ、気になることがある」
「まだあんのかよ」
「君には、一人分では説明しにくい因果の痕跡が残っている」
「……因果?」
その言葉を聞いた瞬間、真っ先にまどかが浮かんだ。
ほむらが何度も時間を繰り返し、その結果として積み重なったもの。それと同じ言葉が、今度は俺に向けられている。
「何で俺に?」
「分からない」
「即答かよ」
「分からないものは分からないからね。ただ、普通ではない。それだけは確かだよ」
俺は無意識に金色の宝石へ触れた。
『……ループのせいか?』
嫌な考えが浮かぶ。俺は巻き戻されても覚えている。そのことは、ほむらにもキュゥべえにも話していない。けれど、そもそもどうして俺だけ記憶を持ち越せるのか、その理由自体が分かっていなかった。
「……」
「どうしたんだい?」
「何でもない」
また同じ答えが出た。
◇
しばらく金色を見ているうちに、別の疑問が浮かんだ。
「なあ」
「何だい?」
「じゃあ俺、もう一回契約できたりするのか?」
キュゥべえが止まった。
今度は、ほんの少し長くこちらを見る。
「分からない」
「そこも!?」
「当然だろう? 魔法少女としての機能を失ったあと、本人だけが残るという前提自体がないんだ」
「でも俺、いるじゃん」
「だから興味深いんじゃないか」
「完全に珍獣見る目なんだよな」
「今の君を改めて契約対象として扱えるかどうかは、僕にも判断できない」
妙な言い方だった。
「試してみれば分かるんじゃないの?」
「試すだけの契約には意味がないよ」
「お前がそれ言う?」
「契約によってエネルギーを回収する。それは今までと変わらない。でも、今の君と契約して何が起きるのか、どれだけ回収できるのかも分からない」
赤い目が淡々と俺を見る。
「それなら、まず観測する方が合理的だ」
「やっぱお前だわ」
呆れながらも、頭の片隅に別の考えが生まれていた。
もし、本当にもう一度願えるなら。
さやか、杏子、マミさんの顔が順番に浮かぶ。三人を戻せるのか。それとも、もう一度戦えるようにするべきなのか。ワルプルギスの夜はまだ来るのに、今の俺には魔法も刀もない。
考え始めれば、いくらでも出てくる。だからこそ、今決めることじゃない。
可能性があるかもしれない。今は、それだけでよかった。
◇
「君はこれからどうするんだい?」
「知らねえよ」
自分でも笑うくらい即答だった。
「髪は真っ白、魔法はない、自分が何なのかも分からん。まず考えるところからだ」
「そうかい」
キュゥべえはそれだけ言うと、身体の向きを変えた。
「じゃあ、僕は行くよ」
「今度こそ行くんだな」
「次の契約候補も探さないといけないからね」
歩き出した白い背中を見ながら、さっきの言葉が頭を掠めた。
まだ足りない。
何が足りないのかは、結局あいつは答えなかった。
「……ほんと自由だな、こいつ」
◇
「……マギカさん」
「うわっ」
背後から声をかけられ、思わず肩が跳ねた。
振り向くと、ほむらが少し申し訳なさそうに立っている。両手を胸の前で軽く握り、こちらの反応を窺っていた。
「あっ……ご、ごめんなさい。驚かせるつもりじゃ……」
「いや、大丈夫」
少し離れた場所を見ると、まどかは壁にもたれて座り、顔を伏せていた。
「鹿目さんは……その、少し休んでいます」
「そっか」
「はい……」
ほむらは俺の白くなった髪へ一度視線を向け、それから胸元の金色へ落とした。
「あの……さっき、キュゥべえと話していましたよね」
「ああ」
「その……何か、分かったんですか?」
胸元へ手が伸びかけて、途中で止まった。
因果。
再契約。
どちらも、まだ何一つ確定していない。
「あいつにも、よく分からないらしい」
ほむらが一度瞬きをした。
「……そう、なんですか」
「ああ」
それだけで終わるかと思ったが、ほむらは少し迷ったあと、眼鏡の位置を直した。
「でも……その、ずいぶん長く話していたように見えたので……」
「……」
そこで一度、言葉が止まる。
ほむらは俺の顔を窺ってから、ほんの少しだけ声を小さくした。
「何か……少しだけでも、分かったことがあったのかなって」
思ったより鋭い。
「それだけですか?」
言ったあと、自分でも少し踏み込みすぎたと思ったのか、ほむらの視線が揺れた。
「……まあな」
そう答えると、ほむらは何か言いかけてから口を閉じた。
「……そう、ですよね。分からないことなら……仕方ないですよね」
完全に納得した顔ではない。
それでも、それ以上は踏み込んでこなかった。
「……ごめんなさい。なんだか、疑ってるみたいな聞き方になっちゃって……」
「何で謝るんだよ」
「その……」
言葉を探すように視線が落ちる。
俺は実際、隠している。
だから謝られると、少し困った。
「いいよ」
ほむらは小さく頷き、それからまどかの方を振り返った。
「私、鹿目さんのところへ戻ります」
「ああ」
「マギカさんも……」
一度迷ってから、こちらを見る。
「その……あまり、無理をしないでください」
「魔法ないのに?」
「そういう意味じゃありません!」
「……お」
思ったより強い声だった。
ほむら自身も驚いたのか、目を大きくしてから、すぐに視線を落とす。
「あ……す、すみません」
「いや、分かったって」
思わず少し笑うと、ほむらは困ったように口元を緩め、それから小さく頷いた。
「……はい」
そのまま、まどかのところへ戻っていく。
◇
ほむらの背中を見送りながら、胸元の金色へ触れた。
因果のことも、再契約の可能性も言わなかった。どちらもキュゥべえ自身が分からないと言った程度の話だ。今伝えたところで、余計な期待や不安を増やすだけかもしれない。
そう理由をつければ、黙っていることはいくらでも正当化できた。
「因果、か……」
指先で宝石の表面をなぞる。何なのかも、契約が本当にできるのかも、まだ分からない。
「……まだ、言わなくていいか」
口にしてから、妙な既視感だけが残った。