俺がマギカなのか……?改   作:きのこ大三元

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第5話 魔女の結界

目の前の景色が、大きく揺れた。

 

「……え?」

 

 ほむらの声が聞こえる。

 

 さっきまで夕方の住宅街だったはずの風景が、ゆっくりと形を崩していく。建物の輪郭は紙を切り貼りしたように歪み、道路は奥行きも方向も無視して折れ曲がり、アスファルトに浮かんだ意味不明な模様が壁や空へまで広がっていった。遠近感も色彩も現実の法則から外れ、目の前にあるものを見ているだけなのに距離感が掴めない。

 

「…………」

 

 知っている。

 

 嫌になるくらい見覚えがある。

 

 アニメを見ていた時なら、独特な演出だとか、イヌカレー空間だとか、そんな感想で済んでいた。画面越しなら不気味でもどこか綺麗で、まどマギらしい世界観の一つとして見ていられた。

 

 でも今は、その中にいる。

 

「田中さん……ここ、どこなんですか?」

 

 ほむらが不安そうにこちらを見る。

 

 答えは分かっていた。

 

「……魔女の結界」

「魔女……?」

 

 口にした瞬間、自分の中でも現実味が増した。

 

 魔女の結界。人間を誘い込み、使い魔や魔女が潜む異空間。普通の人間が迷い込めば、まともに抵抗する手段はない。原作を見ていた私なら、それくらいは分かる。

 

 問題は、その先だった。

 

「出口、どこだ……?」

 

 そこまでは知らない。

 

 アニメでは魔法少女が結界へ入り、魔女を倒し、気づけば元の世界へ戻っている。結界内部の構造や出口の探し方なんて、攻略本みたいに説明された覚えはない。

 

「田中さん、何か知ってるんですか?」

「少しだけ。でも説明は後」

 

 周囲を見回す。

 

 魔女らしき姿はない。

 

 だからといって安全とは限らない。

 

「暁美さん。私から離れないで」

「は、はい」

 

 そう言いながら、自分にも何ができるのか分かっていなかった。昨日まで男だった。今は女子中学生。武器はないし、戦闘経験も当然ない。手元にあるのは、二つ繋がった正体不明のソウルジェムらしき宝石だけだ。

 

 仮に本当に魔法少女だったとしても、使い方すら知らない。

 

「……まず逃げよう」

 

 今はそれしかない。

 

 ほむらの手を取ろうとした、その時だった。

 

 結界の奥から、何かを擦るような音が聞こえた。一つではない。複数の音が重なり、壁のように見えていた紙片の隙間から奇妙な影が這い出してくる。

 

「ひっ……」

 

 ほむらが息を呑んだ。

 

 人形にも動物にも見える。けれど、どちらでもない。身体の一部だけが妙に大きく、同じ動作を何度も繰り返しながらこちらへ近づいてくる。

 

 使い魔。

 

「……走るよ」

「え?」

「走って!」

 

 ほむらの手を掴み、その場から駆け出した。

 

 背後で使い魔たちが一斉に動く。

 

 速い。

 

「っ……!」

 

 結界の床は見た目からしてまともではなかった。平らに見えた場所が突然傾き、壁だと思っていたものが床へ倒れ込み、数歩先の距離さえ信用できない。それでも止まれば追いつかれる。形の定まらない道を、ほむらの手だけは離さないように走り続けた。

 

「はぁ……っ、はぁ……!」

 

 隣を走るほむらの呼吸がすぐに乱れ始める。

 

 当然だ。

 

 今日の体育でも、軽いランニングすらまともに続けられなかった。長期入院明けの身体で、足場も距離感も狂った結界の中を全力疾走させれば持つわけがない。

 

「もう少し……!」

 

 言ってから、自分でも何がもう少しなのか分からなかった。

 

 出口の位置は知らない。ただ止まれない。角らしき場所を曲がるたび景色が変わり、紙のような壁と意味の分からない模様ばかりが続く。何度走っても同じ場所へ戻っているような感覚まであり、方向感覚はとっくに失っていた。

 

「くそ……!」

 

 原作を知っている。魔女が危険なことも、使い魔が人を襲うことも、普通の人間ではまともに戦えないことも知っている。

 

 でも、知っているだけだ。

 

 出口の探し方も、使い魔の倒し方も、結界の歩き方も知らない。知識と実際にできることの間には、思っていたよりずっと大きな差があった。

 

「田中さん……!」

 

 ほむらの身体が大きく傾いた。

 

「暁美さん!」

 

 腕を掴んで引き寄せ、何とか転倒だけは防ぐ。けれど、ほむらはもう限界だった。肩で大きく息をし、脚にも力が入っていない。

 

「はぁ……っ、ご、ごめんなさい……」

「謝らなくていい」

 

 後ろを見る。

 

 使い魔はまだ追ってきている。

 

 しかも、数が増えていた。

 

「……まずいな」

 

 逃げ切れない。

 

 その直後。

 

 結界全体が大きく軋んだ。

 

「え?」

 

 足元に描かれていた模様が一斉に動き、床だったはずの場所が左右へ裂ける。紙片を何枚も重ねたような壁が下からせり上がり、俺とほむらの間へ強引に入り込んできた。

 

「暁美さん!」

「田中さん!?」

 

 咄嗟に手を伸ばす。

 

 指先が触れる。

 

 けれど次の瞬間、俺たちの間を巨大な壁が横切った。

 

「っ……!」

 

 手が離れる。

 

「暁美さん!」

 

 返事は聞こえた。

 

「田中さん! 田中さん!」

 

 すぐ近くにいる。

 

 なのに見えない。

 

 壁の向こうから声だけが響き、その位置さえ結界の歪みのせいで正確には掴めなかった。

 

「待って! 今そっちに――」

 

 一歩踏み出そうとして、背後から気配を感じる。

 

 振り返る。

 

「…………」

 

 使い魔。

 

 さっきまで俺たちを追っていたものとは別の個体が、歪んだ壁の隙間から次々と這い出していた。

 

 一体。

 

 二体。

 

 その奥にもいる。

 

「最悪……」

 

 壁の向こうでは、ほむらがまだ俺を呼んでいる。

 

「暁美さん! そこから動かないで!」

「で、でも……!」

「いいから!」

 

 言いながら、自分にもどうするつもりなのか分からなかった。

 

 ここを抜けないとほむらのところへ戻れない。

 

 でも目の前には使い魔。

 

 逃げる方向も分からない。

 

 なら。

 

 戦うしかない。

 

 そう考えて、すぐ自分で否定する。

 

 何で。

 

 素手で?

 

 使い魔が跳んだ。

 

「っ!」

 

 反射的に横へ避ける。

 

 身体が思った以上に速く動いた。

 

「え?」

 

 使い魔の攻撃が、ほんの少し前まで自分がいた場所を通り過ぎる。もう一体が反対側から迫り、今度は腕で顔を庇いながら身体を捻った。

 

 ぎりぎりで避ける。

 

「……何だ?」

 

 昨日までの身体なら絶対に間に合っていない。

 

 今の少女の身体が特別なのか。

 

 それとも。

 

 制服のポケットが熱い。

 

 二つ繋がった宝石へ手を入れると、銀色の方が今までとは比べものにならないほど強く光っていた。校門やクラスメイトを前にした時の反応とは違う。明らかに、この結界か使い魔そのものへ反応している。

 

「ソウルジェム……」

 

 もし本当にこれがそうなら。

 

 この身体の持ち主が、すでに契約していたのなら。

 

「いや、待て」

 

 手の中の宝石を見る。

 

「俺、契約した覚えないんだけど」

 

 キュゥべえに会った記憶もない。

 

 願いを叶えてもらった覚えもない。

 

 そもそも昨日まで、この身体ですらなかった。

 

 それなのに、どう見てもソウルジェムらしきものが手元にあり、今まさに魔女の結界へ反応している。

 

「……俺、魔法少女なの?」

 

 自分で言っていて意味が分からない。

 

 俺。

 

 学校では意識して「私」としていたはずなのに、追い詰められた瞬間には自然と昔の一人称が戻っていた。

 

 でも、今はそんなことどうでもいい。

 

 壁の向こうにはほむらがいる。

 

 そしてこっちには使い魔がいる。

 

 次の一体が迫ってきた。

 

「っ!」

 

 避けきれない。

 

 咄嗟に腕を前へ出した瞬間、掌の宝石から銀色の光が漏れた。

 

「……え?」

 

 宝石だけじゃない。

 

 身体の奥まで熱が広がっていく。

 

「ちょ、待っ……」

 

 光が一気に強くなる。

 

 何が起きているのか分からない。

 

 でも死にたくない。

 

 ほむらも放っておけない。

 

 この状況で頼れそうなものは、それしかなかった。

 

「……なんとかなれー!」

 

 自分でも雑すぎると思う。

 

 戦えるなら。

 

 武器があるなら。

 

 魔法少女だというなら。

 

 何でもいいから出てこい。

 

 そう念じた瞬間、銀色の光が弾けた。

 

「――っ!」

 

 視界が白く染まる。

 

 身体が一瞬だけ浮いたような感覚があり、制服の感触が消えていく。代わりに別の布地が身体へ巻きつき、長い銀髪が強い風に煽られたように広がった。掌にあった二つの宝石も光の中へ浮かび上がり、少しずつ形を縮めていく。

 

 それが左胸の上、鎖骨のすぐ下へ吸い寄せられた。

 

 銀色の台座が衣装の一部として形を取り、二つ繋がった宝石をそのまま包み込む。

 

 顔にも何かが触れた。

 

 硬い。

 

 そう思った時には、光はもう消え始めていた。

 

「…………は?」

 

 足元を見る。

 

 制服ではない。

 

 銀と白を基調にした、どう見ても魔法少女らしい衣装へ変わっている。長い銀髪はそのまま。顔の上半分には、表情の一部を隠す銀色の仮面。

 

 左胸には、さっきまで掌にあった二つの宝石がブローチのように固定されていた。

 

「……これも付くのか」

 

 思わず指先で触れる。

 

 二つの宝石は斜めに並び、細い銀色の枠で繋がっている。銀色の片方だけが淡く光り、その隣の空っぽな宝石は、変身した後も相変わらず何の色も宿していなかった。

 

 そして右手には。

 

「……刀?」

 

 一振りの日本刀が握られていた。

 

 鞘は見当たらない。

 

 刀身は普通の鋼色ではなく、鏡のように周囲の景色を映している。歪んだ結界の模様がそのまま刃へ反射し、角度を変えるたび銀色の光が走った。

 

 どう見ても武器だ。

 

 変身した。

 

 つまり。

 

「……本当に魔法少女じゃん」

 

 意味が分からない。

 

 いつ契約した。

 

 願いは何だ。

 

 空っぽの方の宝石は何なんだ。

 

 疑問はいくらでもあった。

 

 でも今は後回しだ。

 

 目の前に使い魔がいる。

 

 そして壁の向こうには、ほむらがいる。

 

 使い魔が飛び込んできた。

 

「っ!」

 

 刀を振る。

 

 思っていたより、ずっと速い。

 

 腕が一気に動き、鏡面の刃が使い魔の身体へ食い込んだ。

 

 手応え。

 

 そのまま使い魔が弾かれ、歪んだ床へ転がる。

 

「…………」

 

 斬れた。

 

「……いける!」

 

 一瞬だけ、そう思った。

 

 次の一体が来る。

 

 刀を振る。

 

 外した。

 

「え?」

 

 勢いが強すぎる。

 

 身体だけが速く、頭がついていかない。刀に引っ張られるように姿勢が崩れ、慌てて踏ん張った横を使い魔の攻撃が通り過ぎた。

 

「うおっ、危な……!」

 

 さらに横からもう一体。

 

 反射的に後ろへ跳ぶ。

 

 普通なら数歩の距離を、一気に何メートルも飛んだ。

 

「え、ちょっ……!」

 

 着地の仕方なんて知らない。

 

「うわっ!」

 

 足がもつれ、そのまま派手に転がる。

 

 肩へ痛みが走った。

 

「っ……痛」

 

 すぐ立ち上がろうとする。

 

 身体そのものは明らかに強くなっている。動くものがよく見えるし、脚へ力を入れれば普通ではあり得ないくらい簡単に距離を取れる。さっき使い魔を斬った時の力だって、変身前の自分には絶対出せない。

 

 でも。

 

 その力をどう使えばいいのか分からない。

 

「刀なんて使ったことないんだけど!」

 

 当たり前だ。

 

 前世でも剣道経験なんてないし、まして真剣を握ったことなど一度もない。身体能力だけ渡されても、どの角度で構え、どれくらい踏み込み、どこへ刃を通せばいいのかなんて分かるわけがない。

 

 一体なら勢いで何とかなった。

 

 二体になっただけで、もう怪しい。

 

 さらに三体目が壁の向こうから現れる。

 

「……増えた」

 

 四体目。

 

「いやいや」

 

 その後ろにもいる。

 

「多いって!」

 

 一斉に動いた。

 

「っ……!」

 

 右へ刀を振り、一体を何とか弾く。そのまま返そうとして手首の角度がおかしくなり、別の個体への対応が遅れた。

 

「痛っ!」

 

 肩へ衝撃。

 

 身体が横へ持っていかれる。

 

 何とか踏み止まったところへ、今度は正面。

 

 刀で受ける。

 

「っ……重い!」

 

 魔法少女になったからといって、相手の攻撃まで軽くなるわけではないらしい。力任せに押し返すと、予想以上に相手が飛び、その反動で自分の姿勢まで大きく崩れる。

 

 高性能な身体へ突然乗せられて、説明書なしで操作しているようなものだった。

 

 力を入れれば予想以上に動く。

 

 避ければ飛びすぎる。

 

 刀を振れば止められない。

 

 魔法少女になった。

 

 だからといって、戦えるわけじゃない。

 

 技も知らない。魔力の使い方も知らない。刀の扱いも知らない。身体能力だけが上がって、できることまで自動的に増えたわけではなかった。

 

 原作では、マミも杏子もほむらも当然みたいに戦っていた。

 

 でもあれは、最初からできたわけじゃないのかもしれない。

 

 何度も戦って、失敗して、生き残るために覚えた結果なのか。

 

「そりゃ……そうだよな」

 

 力があることと、使えることは違う。

 

 考えてみれば当たり前だった。

 

 壁の向こうから、何かが崩れる音がした。

 

「――っ」

 

 ほむら。

 

「暁美さん!」

 

 返事がない。

 

 一瞬、血の気が引いた。

 

「暁美さん!」

 

 今度は遠くから、小さな声が返ってくる。

 

「田中さん……!」

 

 無事だ。

 

 でも声が遠い。

 

 さっきまで一枚だった壁がいつの間にか何重にも折れ曲がり、結界そのものが俺たちを別方向へ押し流している。

 

「待ってて!」

 

 使い魔を振り払い、声の方へ走る。

 

 足へ力を込めすぎた。

 

「うわっ!」

 

 身体が一気に加速する。

 

 慌てて壁へ刀を突き立て、無理やり止まった。

 

「……だから速すぎるって」

 

 それでも進む。

 

 声を追う。

 

 使い魔を一体弾く。

 

 狭い隙間を抜ける。

 

 その先で、ようやく開けた場所が見えた。

 

「暁美――」

 

 いた。

 

 少し離れた場所。

 

 ほむらが床へ座り込み、壁際へ追い詰められている。

 

 そして、その前には使い魔。

 

 一体。

 

 ほむらには気づいている。

 

 ゆっくりと近づいていく。

 

「……っ!」

 

 走る。

 

 間に合え。

 

 脚へ力を入れる。

 

 身体が一気に前へ飛ぶ。

 

 それでも遠い。

 

 使い魔が跳んだ。

 

 ほむらが頭を庇うように身体を縮める。

 

「ほむら――!」

 

 思わず叫んだ。

 

 刀を振る。

 

 届かない。

 

 次の瞬間。

 

 桃色の光が、俺の横を一直線に駆け抜けた。

 

「――え?」

 

 光の矢が使い魔を貫く。

 

 一瞬遅れて、その身体が弾けるように消えた。

 

「…………」

 

 見覚えのある色。

 

 見覚えのある魔法。

 

 視線を上げる。

 

 結界の向こう。

 

 そこに、桃色の光をまとった少女の姿があった。

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