――俺が神になれば、まどほむハッピーエンド。
昨日の夜に辿り着いた、我ながら雑すぎる結論だった。細かい問題は何一つ解決していない。そもそも俺が魔法少女になれるのか。なれたとして、まどかの代わりに円環の理なんてものになれるのか。必要な因果も方法も、何一つ分からない。
ただ、最初の一歩だけは分かる。
魔法少女になること。
まどかの代わりを目指すなら、まずそこへ立たなければ話にならない。
「……問題は、キュゥべえとどう接触するかだな」
ベッドへ寝転がったまま呟く。学校にはまどかとマミさんがいるし、キュゥべえも二人の近くにいることが多いだろう。会おうと思えば、そこまで難しくないはずだ。
ただ、こっちから「契約したいんだけど」と声をかけるのは嫌だった。
めちゃくちゃ嫌だった。
何というか、負けた感じがする。
「別に契約したくてするわけじゃないしな……」
「そうなのかい?」
「…………」
声がした。
数秒固まってから、ゆっくり顔だけを横へ向ける。
机の上。
白い身体。赤い目。ふさふさした尻尾。
キュゥべえがいた。
「…………お前、いつ入った?」
「さっきだよ」
「いや、時間じゃなくて」
「?」
「どこから入った?」
「それは重要なことなのかい?」
「重要だろ」
窓は閉まっている。玄関も鍵をかけた。帰ってから誰かを入れた覚えもない。
なのに、こいつは当然のような顔で机の上に座っている。魔法少女だとか宇宙人だとか以前に、防犯上かなり嫌だ。
「君に話があったから来たんだ」
「玄関使えよ」
「僕には必要ないからね」
「こっちには必要なんだよ」
「そうなのかい?」
「…………」
駄目だ。
この会話、たぶん続けるだけ無駄だ。
「それで、何の用?」
「君には、叶えたい願いがあるんじゃないのかい?」
「…………」
タイミング良すぎない?
昨日考えたばかりなんだけど。
「お前、人の思考読める?」
「いいや」
「じゃあなんで」
「昨日、巴マミの家で契約について説明した時から、君は他の二人とは反応が違っていたからね」
「どんな?」
「願いそのものより、契約することについて考えているように見えた」
「…………」
怖い。
やっぱりこいつ怖い。
表情が一切変わらないくせに、人間のことは妙に細かく見ている。
「それに、君には素質がある」
「俺に?」
「ああ。どの程度かまでは、まだ僕にも分からないけれどね」
キュゥべえは机の上から、まっすぐ俺を見る。
「だから聞きに来たんだ。君は僕と契約して、魔法少女になるつもりはないかい?」
その時だった。
「…………?」
どこからともなく、聞き覚えのある音楽が流れ始めた。
静かな部屋には似合わない、妙に神秘的で、それでいて嫌な予感しかしない曲。
「……待て」
知ってる。
このBGM、知ってるぞ。
何度もアニメで聞いた。
キュゥべえが少女へ契約を持ちかける時、妙にそれっぽい空気を作ってくる、あの曲。
通称。
キュゥべえの営業テーマ。
「…………」
なんで流れてるんだよ。
誰が流してるんだ。
この世界、BGMまで実装されてるのか?
「どうかしたのかい?」
「……いや」
キュゥべえは当然のような顔をしている。
こいつには聞こえてないのか?
いや、今そこを追及してる場合じゃない。
問題は、目の前の白い営業マンだ。
BGMまで完璧に揃ったところで、キュゥべえがまっすぐ俺を見る。
「僕と契約して、魔法少女になってよ」
「…………」
来た。
有名なやつ。
本物だ。
しかも営業テーマ付き。
「……演出完璧すぎるだろ」
うわあ。
嫌だ。
ものすごく嫌だ。
原作を知らなければ、もう少し感動できたかもしれない。願いを一つ叶えてもらえて、その代わりに魔法少女になる。それだけ聞けば悪い話には見えない。
でも俺は知っている。
ソウルジェムが何なのか。魔力を使えば濁っていくこと。濁りきれば魔女になること。魔法少女と魔女が、同じシステムの前後にすぎないこと。
それだけじゃない。目の前のこいつがインキュベーターと呼ばれる存在で、人間の感情エネルギーを宇宙の延命へ利用していることまで知っている。
全部知っている。
その上で契約しようとしている。
普通に考えれば、正気じゃない。
「随分考えるんだね」
「そりゃ考えるだろ。一生に一度の願いなんだろ?」
「そうだね」
「軽いな」
「事実だからね」
「…………」
本当にこいつは。
俺は身体を起こし、ベッドの端へ座った。
逃げることはできる。契約しないという選択肢だってある。今ならまだ普通の中学生として生きられるし、魔女の結界に近づかなければ、少なくともすぐ死ぬ可能性は下げられる。
でも、それでは何も変えられない。
ワルプルギスの夜が来る。マミさんが死ぬ。まどかが死ぬ。ほむらが契約して、時間を巻き戻す。
そこから先は、俺が知っている地獄だ。そして最後にはまどかが人間をやめ、そのまどかを取り戻すために、ほむらも人間ではなくなる。
それを変えたいと思った。
俺が代わればいいと思った。
なら、ここで怖がって契約を拒むのは違う。
「キュゥべえ」
「なんだい?」
「願いって、本当に何でもいいんだよな?」
「もちろん。君自身の因果で叶えられる範囲ならね」
「因果……」
その言葉に少し引っかかった。
まどかが最終的にあれほど巨大な願いを叶えられたのは、ほむらのループによって因果が集中したからだ。
今の俺にどれだけの因果があるのかは分からない。突然この世界へ現れた転生者。それだけで何か特殊なのかもしれないし、ただの一般人と大差ない可能性だってある。
だから最初から、「鹿目まどかの代わりに円環の理になりたい」なんて願うつもりはなかった。そもそも、それをキュゥべえに明かす気もない。
俺が何をしようとしているのか。
誰の代わりになろうとしているのか。
それは、俺だけが知っていればいい。
「決まった」
「聞かせてもらえるかな」
「ああ」
一度だけ息を吸う。
「俺は――誰かの代わりになれる存在になりたい」
部屋が静かになった。
さっきまで流れていた曲も、いつの間にか聞こえなくなっている。
……本当に何だったんだ、あれ。
キュゥべえが俺を見つめる。
「誰かの代わり?」
「ああ」
「随分曖昧な願いだね」
「駄目?」
「いいや。ただ、君が何を求めているのか興味がある」
「誰かが困った時、その人の代わりになれたら便利だろ」
「それだけかい?」
「それだけ」
嘘ではない。
俺の本当の狙いも、その延長線上にある。
鹿目まどか。
最終的に、俺が代わりたい相手。
でも、それを口にする必要はない。
「なるほど」
キュゥべえはあっさり頷いた。
「それが君の願いなんだね?」
「ああ」
「後悔は?」
「するかもしれない」
「それでも?」
「やる」
知っているからこそ怖い。この先、自分の魂がどうなるのかも知っている。
それでも。
「叶えてくれ」
「分かったよ」
次の瞬間、胸の奥を何かが引き抜いた。
「――っ!?」
痛い、というのとは少し違う。身体の中心にあった何かを無理やり掴まれ、そのまま外へ引っ張り出されたような感覚だった。
息が止まる。視界が白く染まり、身体から一気に力が抜ける。
「っ、く……!」
知っていた。
これが何なのかも、頭では全部分かっている。
それでも、実際に自分の魂を身体から抜き出される感覚まで知っていたわけじゃない。
やがて光が収まる。
荒くなった呼吸を整えながら、俺はゆっくり手を開いた。
そこに、小さな宝石があった。
「…………」
ソウルジェム。
俺の魂。
銀色だった。
髪とよく似た淡い銀色の光が、宝石の中で静かに揺れている。
「これが……」
「君のソウルジェムだよ」
「知って――」
口を閉じる。
「ん?」
「……いや。綺麗だなって」
「そうかい」
危ない。
今のは危なかった。
知っている。
魔法少女の力の源。
そして、本体。
反射的にソウルジェムを握り込む。今ここで仕組みを知っているとバレる理由はないし、俺がキュゥべえの正体をどこまで知っているのかは伏せておいた方がいい。
その時。
「…………」
キュゥべえが、珍しく黙った。
「何?」
「少し変わっているね」
「何が?」
「君の魂だよ」
「…………」
一瞬、心臓が跳ねる。
「どう変なんだ?」
「輪郭が少し曖昧なんだ」
「輪郭?」
「ああ。普通なら、肉体から切り離した魂はもっと明確な一つの構造として安定する。けれど君のものは、ほんの少しだけ境界が重なって見える」
「……問題ある?」
「今のところは何も。契約も正常に成立しているよ」
「じゃあいい」
「気にならないのかい?」
「めちゃくちゃ気になるけど、今のお前に分からないなら俺にも分からん」
「それもそうだね」
「納得早いな」
キュゥべえは何でもないことのように尻尾を揺らした。
俺もそれ以上は聞けない。転生者だからじゃない? なんて言えるわけがないし、本当にそれが原因なのかも分からない。
ただ、銀色の光を見ていると、ほんの一瞬だけ、その中心にもう一つ薄い光が重なった気がした。
「…………」
瞬きをする。
もう何もない。
気のせいか。
「契約は完了したよ」
「……そうか」
自分の身体を見る。見た目は何も変わっていない。銀色の長い髪も、小さな手も、昨日からいまだに慣れない女子中学生の身体もそのままだ。
でも、もう違う。
俺は魔法少女になった。
昨日まで男だった人間が、この世界で女子中学生になって、その翌日には魔法少女。
「……情報量多すぎるだろ」
「何の話だい?」
「人生の話」
「そうかい」
「流すな」
キュゥべえが首を傾げる。
今さらだけど、本当に魔法少女なんだよな。魔法少年ではなく。見た目が完全に女の子だから、システム上も問題なかったらしい。そこについても少しくらい説明が欲しかったけど、もう契約した後だった。
「それで」
銀色のソウルジェムを眺める。
「俺の魔法って何?」
「それは君自身で確かめるといい」
「は?」
「魔法少女の力は、願いの性質と深く結びついているからね」
「説明書なし?」
「必要なのかい?」
「必要だろ」
「願いは叶えた。力も与えた」
「うん」
「あとは使えば分かる」
「雑!」
キュゥべえが首を傾げる。
「そうなのかい? わけがわからないよ」
「…………」
出た。
本物の『わけがわからないよ』だ。
いや、感動してる場合じゃない。
「こっちは自分の魂を宝石にされて、魂の輪郭まで変って言われて、その上能力説明なしなんだけど」
「契約は正常だよ」
「そこじゃない」
「?」
「……もういい」
こいつ相手に常識で殴り合おうとするだけ無駄だ。
「とにかく、ヒントくらいないの?」
「君の願いは『誰かの代わりになれる存在になりたい』だった。なら、その願いに沿った力になっているはずだよ」
「つまり、自分で確かめろと」
「そういうことになるね」
「雑だな……」
まあいい。
願いは『誰かの代わりになれる存在になりたい』。なら、能力もそこから派生している可能性が高い。他人へ変身するとか、能力をコピーするとか、誰かの身代わりになるとか。考えられるものはいくらでもある。
「試してみるか」
「今からかい?」
「昨日、使い方分からないまま死にかけたばっかなんだぞ」
「そうだったね」
「覚えてるなら聞くな」
「確認しただけだよ」
「…………」
こいつ、絶対俺とは相性悪いな。
原作知識はあっても、戦う力がなければ意味がない。今度は違う。力を手に入れたなら、使えるようにしておく必要がある。
「人気のない場所って、この辺にある?」
「君は僕に道案内まで頼むのかい?」
「昨日来たばっかなんだよ」
「そうだったね」
「じゃあ案内して」
「分かったよ」
「そこは素直なんだな……」
数分後。
俺は部屋を出ていた。
ポケットの中には銀色のソウルジェム。キュゥべえは途中まで案内したと思ったら、いつの間にか姿を消していた。
帰る時くらい玄関を使えと思ったけど、たぶん言っても無駄だろう。
夜の見滝原を歩きながら、ときどきポケットの中の感触を確かめる。
魔法少女になった。俺が。まだ実感は薄い。
それでも、計画を思いついただけだった昨日までとは違う。ようやく一歩目を踏み出した。
まどかの代わりになる。
ほむらも終わらせない。
そのための力を、これから確かめる。
「……さて」
人通りのない場所まで来たところで、足を止める。
銀色のソウルジェムを取り出した。
「何ができるんだろうな、俺」
淡い銀色の光が、手のひらの上で静かに揺れている。その表面には、小さく俺の顔が映っていた。
銀色の髪。
まだ見慣れない少女の顔。
昨日から何度も見ているはずなのに、やっぱり少し変な感じがする。
その奥で、さっきキュゥべえに言われた言葉が引っかかっていた。
魂の輪郭が、少し曖昧。
境界が、重なって見える。
「……転生のせいか?」
答えは出ない。
今はまだ、それでいい。
「まあいい。まずはこっちだ」
ソウルジェムを握り直す。
この身体と、この力で何ができるのか。
確かめてみよう。