学校帰りのまどかたちと合流してから、三人でしばらく歩いていたところで、ふと気になることがあった。
「そういや、これからどこで集まる?」
俺が尋ねると、まどかが顔を上げた。
「集まる場所?」
「ああ。魔女の巡回とか、今後のこととか。今までみたいに相談する場所は必要だろ。マミさんの家でもいいんだけど……」
言いかけて、少し迷った。
昨日もあの部屋へ行った。今まで何度も集まった場所だし、合鍵もある。けれど、六人で囲んでいたテーブルに三人だけで座るのは、思っていたよりずっと居心地が悪かった。
それに、寝室には今も三人が横たわっている。あの扉の向こうを気にしながら、これから誰がどこを巡回するかなんて話をする気には、どうしてもなれなかった。
「……うん。私も、ちょっと……」
まどかも同じことを考えていたらしい。言葉を探すように視線を落とし、鞄の持ち手を握り直した。
無理にマミさんの家へ行く必要はない。そう分かっていても、ほかに集まる場所が思いつかなかった。俺の家は学校での田中の生活に結びついているし、まどかの家には家族がいる。魔法少女の話をするには、どちらも都合が悪い。
「あ、あの……」
それまで黙っていたほむらが、遠慮がちに声をかけた。
「よかったら、私の家に来ませんか?」
「ほむらちゃんのおうち?」
「はい。私、一人暮らしなので……その、話をするくらいなら大丈夫だと思います」
ほむらは二人の顔を交互に見たあと、少し慌てて付け加えた。
「もちろん、嫌でなければ、なんですけど。そんなに広くはないですし、おもてなしできるようなものも……」
「私は嬉しいな。ありがとう、ほむらちゃん」
まどかが答えると、ほむらの表情が少し和らいだ。
「マギカさんは……?」
「俺も賛成。場所を貸してもらえるなら助かるよ」
「よかった……」
ほむらが胸を撫で下ろしたところで、俺はあることを思い出した。
『……そういや、ほむらの部屋って』
アニメで見た、あの妙な空間。
壁があるのかどうかさえ怪しい空間に並ぶ資料や、異様に広い室内。奥行きも間取りもよく分からず、普通の中学生の部屋というより、どこかの研究施設か作戦司令室のようだった。
当時は演出だと思っていたけれど、魔法が実在する世界へ来てしまった今となっては、それだけで片づけるのも早い気がする。下手をすれば、固有結界みたいな何かで拡張されている可能性だってあるんじゃないか。
……いや、さすがにそれはないか?
「……マギカさん?」
「ん?」
「何か、気になることでも……?」
「いや、ちょっと楽しみだなと思って」
「た、楽しみ……ですか?」
ほむらが不思議そうに首を傾げた。
ごめん。お前の部屋に何を期待してるんだ、俺は。
◇
ほむらの住むマンションは、外から見る限り、ごく普通の建物だった。
エントランスには郵便受けと掲示板があり、駐輪場には何台か自転車が並んでいる。通り沿いの住宅と何も変わらず、少なくとも外観からは異空間へ繋がっているような気配は感じられない。
もっとも、外見が普通だからといって、中まで普通とは限らない。何しろ相手は時間を止められる魔法少女だ。少しくらい変な部屋でも、今さら驚くことはないだろう。
そんな馬鹿なことを考えているうちに、ほむらが玄関の鍵を開けた。
「どうぞ、入ってください」
「お邪魔します」
まどかに続いて靴を脱ぎ、俺も玄関を上がる。
「お邪魔しまーす……」
ほむらに案内され、部屋の中を覗き込んだ。
そこにあったのは、教科書とノートが置かれた机、小さな本棚、きちんと整えられたベッドだった。カーテンも家具も特別変わったものではなく、机の脇には学校の鞄が置かれている。参考書の間からプリントが少しはみ出していて、ちゃんとここで中学生が暮らしているのだと分かる。
「……あれ?」
思わず声が漏れた。
「えっ? ど、どうかしましたか?」
ほむらが振り返る。
「いや、何でもない。思ったより普通だなって」
「ふ、普通……?」
まずい。ほむらが困っている。
「あー、いや、ほら。ちゃんと片づいてるし、落ち着く部屋だなってこと」
「……ありがとうございます」
まだ少し首を傾げていたが、まどかが「私も素敵なお部屋だと思うよ」と続けると、ほむらはようやく安心したように笑った。
俺は改めて室内を見回した。壁にはちゃんと終わりがあるし、家具の配置も常識の範囲内だ。どこまでも続く奇妙な通路も、謎の資料で埋まった壁も見当たらない。
『……じゃあ、あの部屋は何だったんだよ』
今のほむらと、俺がアニメで見たほむらは違う。これから時間を繰り返すうちに部屋の様子が変わるのか、それとも何か別の理由があるのか。
少し気にはなるが、今ここで聞いても本人が困るだけだろう。
「……あの、椅子が二つしかなくて」
ほむらが申し訳なさそうに机の椅子を引いた。
「私、ベッドに座りますから、お二人はこちらへどうぞ」
「いや、俺が床でいいって。三人とも座れれば十分だろ」
「で、でも、お客様ですし……」
「そんな気を遣わなくていいよ、ほむらちゃん」
まどかも笑って、ほむらのそばへ鞄を置いた。
結局、椅子を寄せたり、ベッドの端を使ったりして、三人が落ち着ける場所を作ることになった。
マミさんの家に比べれば、ずいぶん狭い。けれど、今はそのくらいの方がよかった。
ほむらが机の引き出しからノートを取り出す。
「それじゃあ……これからのことを、少し相談してもいいですか?」
俺とまどかが頷くと、ほむらは少し緊張した顔で、机の上に見滝原の地図を広げた。
赤いペンでいくつか印が付けられ、その横には日付と簡単な記号が添えられている。最近魔女を見かけた場所や、使い魔の痕跡を確認した場所が書き込まれているらしい。
以前なら、こういうものを広げるのはマミさんの役目だった。みんなを座らせ、紅茶を出し、危険な場所を確認して、誰がどこを見回るかを決める。必要なら杏子が横から口を挟み、さやかが何か言い返して、それでも最後には話をまとめてくれた。
目の前の地図には、そんな賑やかさが何もない。印の横に必要なことだけが書き込まれ、余白もずいぶん残っている。
ほむららしいといえば、ほむららしい。
それでも、地図を囲んでいるのは俺たち三人だけだった。
「まだ、この街には魔女がいると思いますし……」
ほむらはペンを持ち直し、地図へ視線を落とした。
「今までみたいに人数を分けて探すのは、難しくなりましたよね。ですから、まずは確認する場所を少し絞った方がいいと思うんです」
「そうだな。全部回ろうとしたら、二人とも倒れちまう」
俺が地図を覗き込むと、ほむらは頷いて赤い印を二つ指した。
「この辺りは昨日までに確認できています。でも、こちら側はまだ十分に調べられていなくて。使い魔の反応も、何度かあったと思います」
「……放っておけないよね」
まどかが自分のソウルジェムを見下ろした。
その声に、ほむらのペンが止まる。
「はい。ただ、全部を追いかけるのも危ないと思うんです。グリーフシードのこともありますし……」
少し前なら、こんな話をしている間に誰かが別の意見を出していただろう。今はほむらが地図を見直し、まどかがその続きを待っている。
俺は机の端に置かれたノートを引き寄せた。
「とりあえず、今日確認する場所を決めようぜ。無理に全部回る必要はないだろ」
「……はい。私も、その方がいいと思います」
ほむらは少し安心したように頷き、地図の端へ印を追加した。
俺もその横から覗き込み、まだ確認していない道を指でなぞる。
「じゃあ、まずこっちを見て、それから駅の方へ回るか。何もなければそれで終わり。反応があったら場所だけでも覚えておけばいい」
「え……?」
ほむらが顔を上げた。
「何?」
「あ、いえ。その……マギカさんも行くつもりなんですか?」
「そりゃ行くだろ。地図を見てるだけじゃ分からないこともあるし」
何でもないことのように答えたつもりだったが、二人とも黙ってしまった。
まどかが先に口を開く。
「マギカちゃん、今は魔法が使えないんだよね?」
「まあな」
「それでも、魔女を探しに行くの?」
「探すだけならできるだろ。戦い方まで忘れたわけじゃないし、別に前みたいに一人で突っ込むって言ってるわけじゃないぞ」
「前みたいに、ですか……」
ほむらが小さく繰り返した。
「何か言いたいことがあるなら、言っていいぞ」
「その……」
ほむらは眼鏡を直しかけて、途中で手を下ろした。
「知っていることと、実際に戦えることは違うと思います。もし急に襲われたら、私たちが間に合うとは限りませんし……」
正論だった。しかも、俺自身がこれまで何度も思い知らされてきたことでもある。
「……分かってるよ。危なくなったらちゃんと下がるし、無茶はしない」
まどかが疑わしそうな顔をした。
「本当に?」
「本当だって」
今度はほむらまで微妙な顔をしている。
「……何だよ。そんなに信用ない?」
「信用していないわけじゃ……ないんですけど」
そこでほむらは言葉を濁した。まどかも何も言わず、俺を見ている。その顔を見ていると、これ以上強く言い返す気にはなれなかった。
「分かった分かった。二人の邪魔にならないようにする。それでいいだろ?」
ほむらはまだ何か言いたそうだったが、最後には小さく頷いた。
◇
部屋を出てからしばらくは、何事もなかった。
駅から少し離れた住宅街を三人で歩き、ほむらが時々地図を確認する。まどかはソウルジェムの反応を気にしながら周囲へ目を向けていたが、俺には二人が何を感じ取っているのか分からなかった。
以前なら、少なくとも自分の中に魔力があることだけは意識できた。今は二人が足を止めても、同じものを探しているつもりで辺りを見回すしかない。
「この先、少し反応があったと思うんですけど……」
ほむらが建物の間へ目を向ける。
「うん。私も、何かあるような気がする」
二人が立ち止まったことに気づくまで、俺はさらに二、三歩進んでいた。
「……ん?」
振り返ると、ほむらがこちらを見ている。
「マギカさん、あまり離れないでくださいね」
「ああ、悪い」
慌てて戻ると、まどかが少し心配そうな顔をした。何も言われなかったけれど、その表情が妙に引っかかった。
その後も二人は時々立ち止まり、何かを確かめるように辺りを見回した。俺もそれに合わせて歩く速さを落とす。先頭に立って周囲を警戒することなら慣れているのに、二人が何を見つけたのかを後から聞くばかりというのは、どうにも落ち着かなかった。
少し先で、買い物袋を提げた女性が路地の角を曲がった。
ほむらが顔を上げたのは、その直後だった。
「……鹿目さん」
「うん、私も感じた」
まどかの視線が、女性の消えた方へ向く。
俺もそちらを見たが、最初は何も分からなかった。ただ、建物の隙間から妙な影が這い出してきたところで、ようやく二人が何を警戒していたのか理解する。
使い魔だった。
小さなものが数体、壁を伝うように動いている。まだこちらには気づいていないらしく、先ほどの女性が歩いていった方向へゆっくり向きを変えた。
「まずいな……」
俺が呟くと、ほむらがすぐに盾へ手を添えた。
「マギカさんは下がっていてください。鹿目さん、あの人を――」
その指示が終わる前に、使い魔の一体が女性の背後へ飛び出した。
身体が勝手に動いた。
「危ない!」
声を上げながら地面を蹴り、使い魔と女性の間へ出ようとする。右手はすでに腰へ伸びていて、何度も繰り返した動作の続きを探していた。
ところが、指先が掴んだのは自分の服だけだった。
「――っ!」
そこにあるはずの柄がない。
反射的に魔力を呼び起こそうとしたが、何も応えなかった。足は止まらず、使い魔との距離だけが縮まっていく。
まずいと思ってから、ようやく身体を後ろへ引こうとした。
遅かった。
「マギカさん、下がって!」
ほむらの声が響いた。その直後、横から桃色の光が走る。
まどかが変身していた。弓を引いた指がほんの一瞬だけ止まったように見えたが、すぐに狙いを足元へ変えて矢を放つ。舗装へ突き立った光が弾け、使い魔の身体を女性から遠ざけるように吹き飛ばした。
突然の物音に女性が振り返ったものの、何が起きたのか理解できなかったらしい。まどかが危ないので離れてくださいと声をかけると、戸惑いながらも通りの向こうへ走っていった。
俺がそれを見送った時には、ほむらはもう盾へ手を掛けていた。
次の瞬間、目の前にいた使い魔の位置が変わっていた。
さっきまで建物の壁に張りついていた二体が地面へ落ち、ほむらも別の場所に移動している。何をしたのか考える間もなく、小さな爆発が起きて使い魔が弾け飛んだ。残った一体にはまどかの矢が突き刺さり、路地に漂っていた嫌な気配も消えていく。
戦いはすぐに終わった。
俺はその間、一度も武器を握らなかった。
◇
「マギカさん!」
ほむらが駆け寄ってきた。眼鏡が少しずれ、走った拍子に乱れた髪が頬へかかっている。
「だ、大丈夫ですか? どこか怪我を……」
「大丈夫だって。どこも当たってない」
「でも、さっき……!」
言いかけたほむらの声が止まった。目が俺の腰の辺りへ向き、そこから空になった右手へ移る。
見られていたらしい。
まどかも弓を消して近づいてきたが、いつものように怪我がないか尋ねるより先に、俺の顔を見つめていた。
「……悪い」
先に謝ると、まどかの眉が下がった。
「マギカちゃん、約束したよね。危なくなったら下がるって」
「分かってる。さっきは、その……つい」
「つい、じゃないよ……」
怒っているのだと思った。
けれど、まどかは拳を握ったまま、なかなか続きを言わなかった。ようやく口を開いた時には、声の方が少し震えていた。
「マギカちゃんまでいなくなっちゃったら、私……」
そこで俯いてしまう。
何か返そうとして、やめた。
まどかの目の前で、俺は一度死んだと思われている。そんな相手が、何の力もないまま使い魔へ向かっていったのだから、怖くないわけがなかった。
自分ではあの時、通行人を助けることしか考えていなかった。
相手が目の前にいるなら、まず自分が前へ出る。刀を抜き、必要なら魔法を使う。間に合わなければ、もう少し無茶をする。
それが、いつの間にか当たり前になっていた。今は最初の一つさえできないのに。
「……マギカさん」
ほむらが俺を見た。
「私、その……さっきは、本当に怖かったです」
眼鏡の奥の目が落ち着かない様子で揺れている。それでも、今度は視線を逸らさなかった。
「止まってほしかったのに、マギカさんがそのまま前へ行ってしまって……。もし私たちが間に合わなかったらって思うと……」
「……ああ」
「だから、もうあんなことはしないでください。お願いします」
最後の方は少し声が弱くなったが、言いたいことは十分に伝わった。
俺は無意識に右手を握っていた。
「……分かった。悪かったよ、二人とも」
ほむらが少し驚いた顔をする。
「え……あ、いえ。謝ってほしかったわけじゃ……」
「いや、謝るところだろ、これは」
「そ、そうですけど……」
言われてますます困ったらしく、ほむらは口を閉じた。
その様子に、まどかがほんの少しだけ笑う。
「マギカちゃんが素直に謝ったから、ほむらちゃんもびっくりしちゃったんだね」
「おい。俺だって謝る時は謝るぞ」
「……はい。そうですよね」
ほむらは慌てて頷いた。それを見て、俺も少しだけ笑った。
けれど、腰へ伸ばした手の感覚はまだ残っている。
さっきの使い魔がもう少し速かったら、あるいは二人の反応が少し遅れていたら、こんなふうに話してはいられなかった。そのことだけは、笑って済ませられなかった。
◇
その日の巡回は、そこで打ち切ることになった。
ほむらはもう少し先まで確認したそうだったが、まどかが今日は戻ろうと言うと、すぐに頷いた。俺も反対しなかった。反対できる立場じゃないというのもあるが、それ以上に、自分がまた余計なことをしないという自信がなかった。
帰り道では自然と二人が前を歩き、俺は少し後ろからついていく形になった。
まどかは何度かこちらを振り返った。ほむらも曲がり角へ差しかかるたびに歩く速さを落とし、俺が追いつくのを待っていた。
そんなに気にしなくても大丈夫だと言いたくなる。けれど、言えばまた二人を困らせる気がして、何も言わなかった。
ほむらの部屋へ戻ると、地図は出かける前と同じ状態で机に広がっていた。ほむらは荷物を置くなり、さっき使い魔を見つけた場所へ新しい印をつける。
まどかはその横から覗き込み、少し考えてから口を開いた。
「ねえ、これからは、一人で魔女を探しに行くのもやめない?」
「……そうですね。二人だけですし、何かあっても助けを呼べませんから」
ほむらは頷き、ノートへ書き込んだ。
「それと、ソウルジェムのことも。濁ってきたら、ちゃんと言うようにしたいな」
まどかが続けると、ほむらのペンが一瞬止まった。
「……はい。隠しても、いいことはありませんから」
二人の視線が、机の上へ落ちる。
俺は地図の横に置かれたグリーフシードを見た。
「残りの数も確認しておこうぜ。どっちが何個持ってるか分からなくなると困るし、次にどこを探すかも、それを見ながら決めた方がいい」
「あ、それもそうだね」
まどかが頷くと、ほむらは新しい行を作った。
ノートへ文字が増えていく。
誰が何を持っているか。どこを探したか。危険な場所はどこか。以前ならマミさんが自然に確認してくれていたことを、今度は三人で一つずつ決めなければならない。
もっとも、俺が横から口を挟むたび、ほむらがいちいちメモを取ろうとするのは少し面白かった。
「いや、今のは別に書かなくてもいいだろ」
「え? でも、忘れたら困るかもしれないので……」
「そんな細かいことまで書いてたら、ノートが何冊あっても足りねえぞ」
「そ、それは……」
ほむらが困ってまどかを見る。
まどかは少し考えてから、ノートの端を指した。
「大事なことだけ、ここにまとめたらどうかな?」
「……あ、それなら」
ほむらが頷いて、書きかけの文字へ二重線を引いた。
こういうところは、まだ少し不器用だった。けれど、さっきの戦いで俺たちを守ったのも、今こうして今後のことを考えているのも、同じほむらだ。
それを見ていると、何となく口を挟む回数が減った。
「……それと」
ノートの最後まで書き終えたところで、ほむらが俺を見た。
「マギカさんのことも、決めておきたいんですけど」
「俺?」
「はい。その……今日みたいなことが、また起こると困るので」
ほむらは少し言いづらそうにしていたが、まどかが頷くのを見てからペンを動かした。
『マギカさんは、魔女との直接戦闘には参加しない』
書かれた一文を見て、思わず眉を寄せた。
「最後、俺だけ別枠じゃね?」
「……ごめんなさい」
「いや、別に謝らなくてもいいけど」
「でも、マギカちゃん」
まどかが俺を見た。
「今は、本当に危ないから。私たちも、マギカちゃんに無理してほしくないんだよ」
その言い方が思ったより真剣で、俺は口を閉じた。
分かっている。さっきも言われたばかりだし、実際に失敗した。それでも、頭のどこかではまだ、自分が戦えないことを認めたくなかった。
地図を見れば、危ない場所へ行く方法を考えてしまう。誰かが襲われれば、自分が間に入る場面を想像する。刀がないことは知っているのに、次の戦いで何をすればいいかと聞かれると、前へ出ることばかりが浮かんでくる。
「……分かったよ」
俺は椅子の背にもたれ、書かれた一文をもう一度見た。
「直接戦闘はしない。それでいい」
まどかが小さく息を吐き、ほむらも肩の力を抜いた。
その顔を見ると、何だか自分がひどく面倒な奴になった気がした。実際、そうなのかもしれない。
◇
「でもさ」
ノートを閉じかけたほむらへ声をかける。
「戦わないって決めたとして、俺は何をすればいいんだ?」
ほむらの手が止まった。
「何を、ですか?」
「ああ。二人が出かけるたびに、俺だけ何もしないで待ってるのもな。地図を見るくらいならできるし、見張りとかでも……」
「それも危ないと思う」
まどかがすぐに首を振った。
「じゃあ、結界の外で待機するとか」
「魔女の口づけもありますし、外なら必ず安全というわけでは……」
「……そうだよな」
自分で言い出しておいて、何となく納得してしまった。どうも俺は、何か役割を探そうとするたびに、戦場へ近づく方法ばかり考えているらしい。
まどかは少し考えてから、俺の方へ身体を向けた。
「あのね、マギカちゃん。私たちが帰ってきたら、話を聞いてほしいな」
「……話?」
「うん。今日どこへ行って、何があったとか、分からなかったこととか。私もほむらちゃんも、まだ知らないことがたくさんあると思うから」
「それなら別に、帰ってきてからじゃなくても……」
「それがいいの」
まどかは、今度は少しはっきり言った。
「一緒に考えてくれる人がいるだけで、私も安心すると思う」
ほむらも隣で頷く。
「私も……お願いしたいです。戦い方のこととか、次にどこを調べるかとか、マギカさんの方が気づくこともあると思いますし」
「……そっか」
それならできる。たぶん、二人の役にも立てるだろう。
ただ、素直に喜べるかと言われると、少し違った。
二人が危険な場所へ行き、俺は安全な部屋で帰りを待つ。帰ってきたら話を聞き、地図を広げ、次の戦いについて一緒に考える。
それが今の自分にできることなのだと、頭では分かっている。けれど、まどかとほむらが傷ついて帰ってきた時、何もできなかった自分がどんな顔で迎えればいいのか、まだ想像できなかった。
「……まあ、二人だけで考えるよりはマシだろうしな」
わざと少し軽く言ってみる。
まどかが笑った。
「うん。よろしくね、マギカちゃん」
ほむらも小さく頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「だから、そんな改まらなくていいって」
そう返しながら、俺はもう一度ノートを見た。最後の一文だけが、やけに目についていた。
◇
窓の外が夕方の色に変わった頃、ほむらは地図を畳み始めた。
「鹿目さん、そろそろ行きましょうか」
「うん。さっき確認できなかった場所だけ、見ておこう」
まどかが頷き、置いていた鞄を手に取る。
俺は椅子に座ったまま二人を見ていた。てっきり今日はもう終わりだと思っていたので、ほむらが地図を鞄へ入れるのを見て少し驚く。
「また行くのか?」
「はい。ただ、長くは回りません。さっき使い魔がいた周辺を、もう少しだけ確認しておこうと思って」
「無理はするなよ。反応が強かったら引き返せ」
「……分かっています」
ほむらは一度頷いたあと、少し考えてから付け加えた。
「私たちも、さっき決めたことは守りますから」
まどかも隣で頷く。
「大丈夫。危なかったら、ちゃんと帰ってくるよ」
それを聞いて、ようやく自分の口から出た言葉に気づいた。無理をするな。危なければ引き返せ。ついさっき、自分が言われたばかりのことだった。
「……そっか。なら、いいけど」
ほむらが少しだけ笑った。
準備を終えた二人は、部屋の入口で振り返る。
「行ってくるね、マギカちゃん」
「マギカさんも、ちゃんと休んでいてくださいね」
「分かったって。二人も気をつけろよ」
まどかは手を振り、ほむらも小さく会釈してから廊下へ出ていった。
扉が閉まる。
しばらくすると、外から二人の足音が聞こえなくなった。
俺は椅子から立ち上がり、窓際へ寄った。
少しして建物の下にまどかとほむらの姿が見える。二人は何か話しながら歩いていたが、曲がり角へ差しかかったところで、ほむらが一度こちらを振り返った。
俺に気づいたらしい。少し迷ったあと、小さく手を振ってくる。
俺も片手を上げると、ほむらは安心したようにまどかの隣へ戻った。
やがて二人の姿が建物の向こうへ消えた。それでも、俺はしばらく窓から離れられなかった。
以前なら、自分もあの二人と一緒に歩いていた。むしろ、誰かに待っていろと言って、自分だけ先に危ない場所へ向かうこともあった。
残された相手がどんな気持ちで待っているのか、考えたことがなかったわけじゃない。ただ、今まで本当には分かっていなかったのだと思う。
無意識に腰へ手を伸ばしかけて、途中で止めた。
もう刀はない。それでも、何度も繰り返した動作だけが身体に残っている。
行き場を失った手を下ろし、机へ戻った。
地図の上には、ほむらがつけた赤い印が残っている。さっきまで三人で話していた場所と、これから二人が向かう場所。どちらも分かっているのに、今頃どの辺りを歩いているのかと考えると、やけに落ち着かなかった。
俺は椅子へ腰を下ろし、閉じられていたノートを開いた。
何か見落としがないか、もう一度確かめてみる。さっき言われたとおり、帰ってきた二人の話を聞くために、今のうちからできることを探しておこうと思った。
けれど、しばらく文字を追っても、どうにも頭へ入ってこない。窓の外で車が通る音がするたび、つい顔を上げてしまう。
帰ってくるには、まだ早い。それくらい分かっているのに、何度目かに時計を見た時、思わず小さく息が漏れた。
『……こんなに落ち着かないものだったのか』