氷菓くん短編集   作:氷菓くん

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2026 08/18 サキュバスの佐藤さん

※ サキュバスとは、不死身で性に寛容な異種族である。見た目が人間女性にそっくりだし社会性もあるから、普通に地球で人間社会に参加して暮らしている。

 

※ 本記事には、漫画「亜人」のネタバレが含まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数ヶ月前のこと。

 大学で昼食を食べつつスマホで漫画を読んでいたら、「それ面白いよね」と急に背後から話しかけられた。声が女性だったから内心驚きつつ振り返ったところ、ビジュがえげつなく良い上におっぱいもでかい女が至近距離に立っていてさらに驚いた。

 彼女の名前は佐藤奈々。……といってもそれは人間社会に紛れるための仮の名前で、本名は何だったか、なんだかまったく聞き慣れない長めの横文字だったことまでは覚えている。

 要するに彼女はサキュバスだった。少年漫画とアクションゲームが好きで、サキュバスという種族の例に漏れず性に奔放。そしてコミュニケーションの距離の詰め方が巧みかつやたらと前のめり。そんな彼女と俺が友達になるまでには半日かからなかったし、セフレになるまでには三日かからなかった。

 趣味の話が出来て、ヤれて、美人で、面倒なことは何一つなくて。そんな都合のいい相手を好きにならないわけないのだが、同時に俺にとっての奈々の印象は「善人だけどちょっと変」でもあった。この「変」に性の奔放さや距離を詰める早さは含まない。

 では何が「変」なのかといえば、初対面のあの時、仲良くもない人のスマホを当たり前のように覗いて来たこと。そういう些細な「変」が奈々の行動のあちこちに、弾けそびれたポップコーンの種のように目立っていた。付き合いが長くなるほどそれが目につくようになる。目につくだけでべつに悪くは思わなかったけど、客観的に「変な人だ」とは思っていた。初めてセックスをしようぜって日にふざけた文字入りのTシャツを着てきたりだとか……。

 彼女のことを元々そういう人だと思ってはいたから、結果としてはそれが幸いだったのだと思う。幸い……というか、心の準備になっていたのだと。

 奈々とセフレになってから数ヶ月後、ある日の夜。昨日まで冗談を言い合っていたLINEで突然言われた。

 

「あのさ。本当に申し訳ないんだけど、もう会うのやめたい」

 

 ……まぁさすがに驚きはしたし、理由も聞いた。なんで? 傷つけるようなことしちゃった……? もしそうならごめん。……大体そういう月並みなことを言ったと思う。すると奈々からは、「理由は言ったら怒ると思うから言いたくない」という返事があった。

 俺は悩んだ。聞くと怒る理由とはいったい何なのか、何があり得るのか。俺の体感としては、奈々とは今まで後腐れない楽しい関係を続けていたつもりだ。それを向こうに怒られるならともかく、俺の方が怒るに至る道理なんて見当もつかない。まさか「私はもっとちゃんとした関係になりたいけど、そっちは嫌だろうから、もういっそ会いたくない」みたいな話なのだろうか? いや、まさか奈々に限ってそんなことは……。

 ……あれこれ考えた末、俺は奈々に「絶対に怒らないようにするから理由を教えてほしい」とお願いした。すると明かしてもらえた答えは、とてもシンプルだった。

「べつに嫌なことなんて一つもなかったけど、本当に楽しかったんだけどね? ……なんか飽きちゃったんだよね」

 飽きた。

 その答えを目にした瞬間、またいろいろなことを考えた。数分前に思考した恥ずかしい勘違いを口にしなくてよかっただとか。「飽きた」だなんて、それは「理由は言いたくない」の言い換えなのでは……だとか。

 だけどもし、彼女の答えが本心そのままだったら。本心から「飽きた」と答えているのに「それは建前だろう、本心は何だ」と言われたら。それが一番彼女を傷つけることなんじゃないか。返事の潔すぎる端的さを見れば、奈々がどのみち俺との関係を続ける気がないことは明らかだった。だとすればもはや俺に出来ることは、彼女の本心が何であるかにはもはや関係なく……。

「飽きちゃったか。それはしょうがないね。分かった」

 こちらも潔くそう返信したあとで、ハッと思い出して付け足す。

「怒る要素なかったよ!」

 ……すると、既読はすぐに付いた。そしてこちらがそれを確認した直後、通話の呼出音が鳴った。

 まるで修羅場だ。応える指がさすがに緊張で震える。正直にいえば出ることに気が進まなかった。

 俺は本心から、奈々の選択を悪くなど思っていない。俺が奈々と仲良くなれたのは奈々の功績だからだ。彼女があの日俺に話しかけなければ、異様に愛想よくしてくれなければ、俺のことを必要としてくれなければ、きっと今ほど仲良くはなれていなかっただろうし、そもそも知り合えてもいなかった。だからその奈々が関係を終わらせたいというなら、今までありがとう以外に言うことがないのは当然の道理になる。

 深呼吸を一つしてから通話に出ると、向こうの第一声は聞いたこともないほど不安そうな……あるいは疑り深い雰囲気をしていた。

「……本当に怒ってないの?」

「え、うん」

「なんで……?」

「なんでって言われても……」

「普通、怒るでしょ。急に飽きたとか言われたら」

「なんで?」

「いやなんでって……」

「……いやまぁ、普通怒るっていうのは分かる、想像つく」

「でしょ」

「いやでも、だから、アレ。俺が怒ろうともならないのは……」

 関わりに突然飽きるという現象は、実際のところ普通にあるんだろうなと思ったから……と答えては、また「なんで?」と聞かれてしまう。

 なんで? の答えに、「自分も夢中になって遊んでいたゲームに突然飽きることがあるから」と答えては、まるで奈々のことをゲームだと思っているみたいに聞こえてしまう。しかもその上、その答えは答えになっていない。なぜなら、きっとそんな風にゲームに飽きる男だって、セフレから……いや友達から突然に「飽きたから会いたくない」と言われたら、怒るからだ。

 だから、俺が答えるべきなのはそんな内容ではなくて。俺が今彼女に伝えるべきなのは……。

「……亜人って漫画知ってる?」

「え?」

「あるんだけど、そういう漫画が。人間の不死身版みたいな「亜人」っていう、なんか能力者みたいな人が出てくる話なんだけど」

「はぁ」

「その漫画の敵がさ、その亜人なんだけど。亜人……不死身だから、不死身なのを活かして、なんかこうすごい方法で、国家転覆テロとかやり始めるんだよね」

「うん」

「で、主人公たちは、それを頑張って阻止しようとするんだけどさ。待ち伏せみたいな作戦でいざ決戦って時に、敵がなぜかその待ち伏せ場所に来なくなっちゃうんだよ」

「うん」

「なんで来なかったのかっていうと、「飽きた」って。待ち伏せを察知したとかじゃなくて、もうめちゃくちゃな数の人を殺してるし建物とか施設とか破壊しまくってるのに、テロを全部やり遂げる前に、途中で飽きちゃったらしくて。それで主人公たちの思惑が外れるんだよね」

「なるほど?」

「うん。で、俺はそれを読んでたからさ。あーなんか、そういうことってあるんだなぁと思って。だから奈々に飽きたって言われた時、あー、亜人で見たやつだって思ったから。だからそれで、なんか意外ではなかったというか、起きるかもしれないことが起きたな〜みたいな印象で。あんまり怒るとかなかったんだよね。…………伝わった?」

「……なるほどね、うん。大体は」

 文法とか、もしくはさらにそれ以前の問題とか、とにかく何もかもぐちゃぐちゃで全然上手く話せなかった気がするけれど。俺は言いたいことを言った。俺にとっての真実を語った。

 通話の向こうにいる奈々の声は、いつの間にか、からかうような笑みを含んでいた。

「それってつまり、私は敵ってこと? 人殺しのテロリスト?」

「いや、そういうわけじゃなくて」

「ふふ、分かってる。うん、そっか、ありがとね。……たぶん私、その敵の気持ち、だいぶ分かっちゃうな」

「おすすめだよ、漫画。亜人」

「うん、覚えとく。……本当にありがとね。怒らないでくれたの、嬉しいっていうか、助かる」

「それはよかった」

「うん。……じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 通話が切れる。俺たちの縁もそこで切れた。

 ……なんてことは意外にもなくて、それから一週間と少しが経った頃、もう二度と送られてくることはないのだろうと思っていた奈々からのLINEが普通に飛んできた。

「亜人、全巻読んだよ。めっちゃ面白かった」

「ナイスすぎる。画力の進化エグいよねあの漫画」

「いや本当それ」

 他愛ないやり取りをしながら、独りでに綻ぶ己の口元はそれはそれとして、奈々についての疑問を考えていく。

 あのやり取りをしたあとで、なぜこんな普通のLINEが飛んでくるのか? よく思い返せば彼女はたしかに「会うのをやめたい」と言っていた。それはつまりオンラインのやり取りは続けたいということだったのか? いったいなぜ、それはどういう感情……? 少なくとも漫画「亜人」の中にその答えはないが……。

 しかし、会うことと話すことを別口の事として考えた時、ふと思い出すことがあった。それは奈々の「変」なところの一つに、スマホ依存気味な面があったこと。

 彼女のコミュニケーションはものすごいペースで距離を縮められるほどフレンドリーで、愛想がよくて、積極的だった。奈々と話した場面の数々を振り返れば、どれも心底楽しそうに話して聞いてをしている彼女の姿が思い浮かぶ。

 にも関わらず、同時に彼女の印象として、一緒にいる時によくスマホを見ていることがあった。話しかければ即座に対応してくれるからべつに彼女のスマホ依存に悪印象はなかったのだけど、なんだかチグハグな印象だなぁとは前々から思っていたのだ。

 そのことが今、氷解した気がした。

 もしもあのスマホで奈々がしていたことが、他の男と連絡を取ることだったなら。他の誰かと水面下で、他愛ないやり取りをしていたとしたら。そう考えれば「会う相手」は「話す相手」と違って厳選しなければならないということに合点がいく。いくら奈々がマルチタスクだったとしても、奈々の体は一つしかないから、別々の誰かと同時に会うことはできない。会う相手に関しては「一番」を決める必要がある。

 今、画面の向こうで、奈々は何をしているのだろう。

 またLINEが来る。

「ていうか私、永井くんの性格めっちゃ好きだわ」

 ……永井とは俺の名前ではない。亜人の主人公の名前だ。

 俺もたぶん、世間から見ればややズレた性格をしているのだろう。相手が会えなくなったばかりの元セフレでも、自分が勧めた漫画にハマってくれる様子を眺められるのは普通に嬉しかった。

 

 

 

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