これはゲヘナ風紀委員会がアビドスから撤退し、便利屋がアビドスから去った後の話。
半壊して床が水浸しになったどこかの教室。
壊れた教室の外には机や椅子が積み上がり、青い空と蒼い海が覗いていた。
電気をつけなくても教室の中が明るいのは、消失した天井から差し込む日の光によるものだろう。
誰がどう見ても「もう使えない」と判断するような教室に存在するのは2人。
青い生地に白い襟元のセーラー服に丈の短い白いスカート。白いリボンをカチューシャのように着用した薄い水色のショート髪の上には青くて丸いヘイローが浮かんでいる。
シッテムの箱のシステム管理者であり、メインOS。そして、先生をアシストする秘書でもある少女・アロナ。
それが彼女の名だ。
対面にもう1人。
灰色のスーツに紺のネクタイ。首からシャーレの身分証を掛けている成人男性。
センター分けにしたマッシュウルフの黒い髪に黒い垂れ目、常に優しげな微笑みを浮かべている顔は不思議と人を惹きつける魅力がある。
シャーレの『先生』である。
“アロナ、彼のことについてなんだけど⋯⋯”
「その事なんですが⋯⋯彼についての戸籍や在籍情報と言った情報データがキヴォトスのどこにも存在しなかったんです。」
“存在しない⋯⋯そっか、ありがとう。”
「こんなこと、あり得るんでしょうか?」
“連邦生徒会長の件もあるし無いとは言い切れないんじゃないかな⋯⋯?”
『伽藍堂シュウ』。柴関ラーメンのアルバイトであり、黒見セリカを狙ったカタカタヘルメット団の誘拐計画を邪魔し、ゲヘナ風紀委員会侵攻時には便利屋68に向けて放たれた攻撃を杖で防いだ青年。
そして『先生』がアロナに頼んで調べさせた人物でもある。
ぴこん、ぴこんと軽快な音を立てて空中に浮かび上がるモニターには防犯カメラに残されていたのであろう『伽藍堂シュウ』の姿が映し出されていた。
駅のホームのベンチに座って眠っているシュウ、黒服の後を着いて歩くシュウ、黒服と柴関ラーメンに向かうシュウ。セリカと共に街中を走り回るシュウに、病院に駆け込むシュウ。
これら全ての画像はすべて同じ1日を切り取った物だ。
“隣にいる黒い人が誰か分かる?”
「すみません、先生。こちらもデータが存在しませんでした⋯⋯ただ、駅のホームから柴関ラーメンまで行動を共にしている人物なので親しい間柄なんじゃないでしょうか?」
“そうかな⋯⋯?”
画面の中に映るシュウの黒服を見つめる目は警戒した鷹が周囲を見回している時のそれに近い。
見たところ年齢は大学生くらいの彼がそんな目をして見る相手。
(“そんな視線を向ける相手は、本当に親しい間柄なのかな?”)
先生はシュウと黒服の関係を知らないどころか、黒服がどんな人物なのかすら知らない。
最も、先生が黒服について知り対面するのは更に後の事になるので、今知らないのは仕方のないことなのだが。
だがシュウが鷹の目のような眼光を以て見つめる人物について、先生はもう一人心当たりがあった。
(“あの時彼が私に向けていた視線⋯⋯あれ、もしかして警戒されてたのかな”)
もしそうなのだとすれば、彼が先生の面会を断った事にも一応の説明がつく。
警戒している相手をわざわざ病室に通そうとは思わないからだ。
──まあ、その予想は大外れなのだが。
彼の視線が敵意に満ちていた事など、今の先生には知る由もない。
「そういえば先生、どうして突然私にこの方を調べさせたんですか?シッテムの箱から見ていましたが、特に変わった様子は⋯⋯」
“⋯⋯アロナになら、話してもいいかもね。”
“生徒達が自治・運営している学園が集まってできたキヴォトスには、カイザーローンとか柴関ラーメンみたいな大人が運営している企業がたくさんあるでしょ?”
“その中には生徒を使って良からぬことを企む大人や搾取しようとする大人がいるかもしれない。言葉巧みに生徒を操って悪いことをさせる大人がいないとも限らない。”
思い浮かぶのはカタカタヘルメット団の団員の子が「兄貴」とシュウの事を呼んで駆け寄っていた姿。
セリカ襲撃を邪魔されて彼に怪我をさせたヘルメット団の子と、この数週間でそこまでの関係を築くことができるのだろうか?
甘い言葉で誘惑・洗脳し、騙しているのではないかと、先生が邪推してしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
それを言ってる本人は数週間どころか一日でミレニアムの会計を堕としているのだが⋯⋯
「彼がそんな大人かもしれない⋯⋯だから先生は前もって調べようとしたってことですか?」
“うん。セリカと仲が良いみたいだし、興味を持ったっていうのもあるんだけどね。”
果たして彼はどうなのか。
先生はそっと割れた教室の窓に目をやり、彼の姿を思い浮かべる。
だが、先生は知らない。
向かう先が交わることはあれど、彼と敵対する未来はどうあっても避けられないのだということを。
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同刻、とあるホテルの一室。
備え付けのバスローブを着てタオルを首に掛けたシュウが頬を上気させて部屋に戻ってきた。
いつもは鷹の目のように鋭い黒き瞳も、穏やかに緩められている。
風紀委員会侵攻後、ヘルメット団の子達と別れてからシュウが向かった先は、以前黒服から勧められたホテルだった。
キヴォトスに流れ着き、逃走劇を繰り広げ、病院に入院し、退院してすぐに柴関ラーメン爆発と、ここまでの期間は住居に困ることはなかった。
キヴォトスに来た初日に病院送りになったのだから病院が住居のようなものになっていたのだから当然といえば当然なのだが。
だが、退院してからの住居を考えていなかったことに気がついた彼は黒服から勧められたホテルの存在を思い出して、ホテルに向かうことにしたのだ。
そこで彼を待っていたのは格安なわりに豊富なサービスと露天風呂を兼ね備えた、まさに天国のようなホテル。まあ、露天風呂から見えるのはD.Uの夜景なのだが。
もう1日、あと1日⋯⋯とズルズル滞在が伸びてしまい、今日で1週間目である。
とはいえ、お金もバカにならないのでつい先ほどアパートの契約に行ってきたところである。
D.U内の安い物件ではあるものの一人で済む分にはちょうどいい広さの物件を借りたので、ホテル生活は今日でおしまいなのである。
「さて、と。今日も始めますか。」
取り出したのは部屋の隅に丸めて置いておいた大きな白い模造紙に黒と赤のボールペン。
ホテルによくある丸テーブルに広げられた模造紙にはびっしりと文字や図形、イラストが並んでいた。
風紀委員会侵攻の日から彼はずっと考えていた。
行き当たりばったりで動くよりも情報を整理してから筋道立てて動いたほうが効率もいいし、トラブルがあっても修整ができる。
(セリカ誘拐の時もそうだったけど、直前になってアレコレ考えるのはキツイからな⋯⋯やれる事は今のうちにやっとかないと。)
この紙には彼が覚えている限りのブルアカの情報とキヴォトスに実際足を踏み入れて気がついたこと。そして、それに関する考察などが事細かに記されている。
紙を広げ、ボールペンを片手に持って気分は研究者。
自分以外誰もいない室内なのでどれだけ独り言を言っても不気味がられることはないので、遠慮なく独り言を呟くことにする。
「まずは状況の確認から。俺はここ、アビドス1章の最後まで辿り着いた。」
紙の一番左側の「アビドス1章」の文字をペンでコンコンと叩く。
「山場はあと4つ。1つ目、エデン条約編。2つ目、パヴァーヌ編2章。3つ目、最終編。最後にアビドス3章。ここを過ぎればある程度は何とかなりそうだ。つーかアビドス3章までしか知らん。」
「砂狼シロコがテラー化した際にセリカの失踪が語られていた。アビドス編1章に介入してカタカタヘルメット団の子達による誘拐の阻止したことによって、その未来が起こりうる可能性は低くなったと考えていいはず。」
「アビドス編2章は俺が介入する必要が無い。これは先生達で解決しないと意味が無いし、ぶっちゃけ俺がいたところで戦力どころか足手まといにしかならないからな。同様の理由でパヴァーヌ1章も介入NG。なぜならアリスがいないと最終編でアトラ・ハシースの方舟に突入する以前に詰むから。」
「リオのフォローをどこかでできないかな⋯⋯?モモイが独断で行った事とは言え、アリスの学籍偽造が露呈した事がリオがアリスへの不信感を抱く一因になったわけだしな。いや、この場合は『先生』にメールを送ればいいのか?「アリスの入学を偽造させるな、ゲーム開発部をしっかり監督しろ」みたいな。」
カタカタヘルメット団による誘拐にバツ印をつけ、矢印をつけ足した上で「失踪の可能性低下」と書き加える。アビドス編2章の下には「介入しない」の文字を。
「なら、次に介入すべきなのはエデン条約編。エデン条約編で介入するべきなのは間違いなくサオリが先生を撃つ場面。サオリが「先生を撃った」っていう罪悪感を抱かせないようにするのが狙い。先生を助けるカタチになるのは不本意だけど、良くも悪くもあの人はキーマンだ。ムカつくけどな。」
「本編とは違う流れになるとは思うけど、俺という存在がキヴォトスにいる時点で既に本編とはズレてるだろうし。サオリに先生を撃たせなくても後の流れ的にも問題はない⋯⋯はず。ただ、それだとセイアが救われない。どうすりゃセイアと先生を引き合わせられる?無理やりにでも気絶させれば解決か?」
「サオリに撃たせないのは決定事項として、防ぐ手段がない。『グリダヴォル』で銃弾を弾く?⋯⋯映画じゃないし、俺にそんな技術はないな。盾もって先生の前に出る?⋯⋯盾持ってる俺が撃たれて死にそうだな。頭とか撃たれたら俺がデッドエンドだし。なんで俺にはアロナバリア無いんだよ、必要だろ。」
「それ以前に介入してナギサを救いたいけど接触が難しすぎる。ハナコの意趣返しは阻止したいところだけど⋯⋯どうすれば流れを変えなくて済む?というか、流れを変える=キヴォトス滅亡ルートとは限らないのが判断に困るんだよな。というか、ストーリーの殆どがトラブルなんだから俺が介入してトラブルの芽が摘まれるなら良いことじゃね?⋯⋯思い上がりかなぁ」
「保留」と下に書き加えた彼は、「ナギサ」と付け加えた後に箇条書きで懸念点ややりたいことを書き出していく。
キヴォトスの生徒と比べてなんの取り柄もない彼にできることは考え続けること。
本編を知っているというアドバンテージを活かして自分にできることを探し続けることだけが彼が今できる最大限のことである。
例えそれが机上の空論だとしても、空論が出てこないよりかは遥かにマシなのだ。
「そうなるとやっぱこの問題に行き詰まるよな⋯⋯」
紙の下の方に書かれた問題点をペンがつつく。
1に人手、2に金、3にタイミングである。
エデン条約襲撃時はアリウス勢もゲヘナ・トリニティ勢も入り乱れての戦だ。そこを生身で突破することはまず不可能。だがサオリの銃撃を防ぐのだとしたら、どんな形であれ突破しなければ話にならない。
なのでアリウス勢やユスティナ信徒を抑えてくれる人員が必要不可欠なのだ。生徒を手駒のように扱っている時点で
人員を掻き集めるには金が必要だ。雇うにしろ、何にしろ、人は明確なメリットがない限り集まらない。どれだけ俺が誰かを助けたいと叫んだところで、他の人からすれば知ったこっちゃないというのが本音だろう。
故に、明確なメリットが必要なのである。
そしてタイミング。
人員や金の問題をクリアしたところで、どのタイミングで介入するか、どうやって接触するかの問題が残る。
ティーパーティーのトップ・桐藤ナギサはなかなか姿を表さないだろうし、こちらから接触を掛けるにしてもエデン条約前ということで警戒がされているだろう。
「というか、今一番の問題は金じゃね⋯⋯?」
柴関ラーメンが爆破され、シュウの収入はゼロである。所持金もホテル代に消費され続けているのでそろそろ何とかしないと介入どころの話ではない。
柴大将のお見舞いに行った際に「もうすぐお店を畳む予定だった」という話を聞いた彼は「引退を決断するのはもう少し待ってくれませんか?」と返すことしかできなかった。
(ストーリーで知ってたとはいえあんな意気消沈してる柴大将見るのは辛いし、アビドス2章後に屋台を始めるのは知ってるけど俺がいる世界じゃどう転がるか分からんし⋯⋯引退を撤回してくれると良いなぁ)
柴関ラーメンはシュウのバイト場であると同時にカタカタヘルメット団の子達が働く場でもあった。
交流の場が失われてしまうのもちょっと惜しい。
そんな思いもシュウの中にはあった。
「なんでキヴォトスに来てからも金に困らなくちゃいけないんだよ⋯⋯俺が何やらかしたってんだ。マジで俺「お前は死ね」って言われてんじゃねえ⋯⋯?」
閑話休題。
ブルーに成りかけた気持ちを立て直し、頬を叩いて気合を入れなおす。
「一旦の目標は金銭と人員問題を解決すること。そのためには⋯⋯」
取り出したスマホ画面にはキヴォトスの求人サイト。
新着と強調された『百夜ノ春ノ桜花祭 アルバイト募集』『トリニティ構内清掃 アルバイト募集』『ゲヘナ学園給食部補助 アルバイト募集』等の文字が躍っている。
「まぁ、まずは真っ当にお金を稼ぐしかないよね。」
銀行強盗する趣味は彼に無い。
アビドス編はこれにて完。