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「───────っ!?」
突然海に叩き落とされ、着水と同時に無理矢理引き上げられたような。肺満杯に溜まっていた酸素が真空パックに入れられたように、一気に息が吐き出された。それに伴って半開きになった口から「あ」とも「う」とも付かない言葉にならない叫び声が溢れ出す。
叩きつけられた背中に恐る恐る手をやると服の上からでもん分かる、じんわりとした熱が掌にゆっくりと伝わってきた。叩きつけられたあとに地面に落ちたから背中どころか尻も痛い。痛みがあるということは生きているということ。まあ、突っ込んできたのは人だから死ぬことはないと分かっていたが。
気絶は一瞬。覚醒も一瞬。感覚としては寝落ちしかけて頭がガクンと下がったのと同時に起き上がったようなものだ。
「い、いたたた⋯⋯はっ!?」
聞こえてきたうめき声に目線を下げてみると狐耳を生やした少女達が倒れているのが見える。なるほど、ぶつかってきたのはこの子達か。それにしても人数が多い。
折り重なって倒れる彼女らの一番下にいた一際目立つ少女が頭を振って身体を起こし、軽やかに折り重なった人間ドミノの下から這い出てくる。
「すみません!えっと、大丈夫すか?お怪我はありませんか!?」
「うん、なんとか。」
「そ、そうですか。それは良かったです⋯⋯!」
俺を見下ろす少女が手を差し伸べてきたのでありがたくその手を取って立ち上がる。
色鮮やかな花が躍る羽織に濃いピンク色のマフラー。黒髪は肩上で短く切り揃えられ、狐面のアクセサリーや狐耳が生えている。目の端にはこれまた鮮やかな桃色の染料。蜂蜜より黃が鮮やかなその瞳は無邪気という言葉を体現したようにキラキラ光り輝いていた。
「⋯⋯久田、イズナ」
「イズナの事を知ってるんですか!?」
「うん、有名だし。それで、後ろに倒れているのは⋯⋯魑魅一座?」
目を向けた先で次々に体を起こし始めていたのは丈の短い黄色い着物にひょっとこや天狗などの仮面をつけた少女の一団──魑魅一座。イベントでは黒幕に雇われて破壊工作や妨害を行っていた、なににも縛られぬ者たちである。
「いてて⋯⋯」
「な、なにが⋯⋯」
「待てー!逃さないんだからーッ!」
うめき声と状況把握を求める声に混じって、遠くにも近くにも聞こえる声が聞こえてくる。いや、俺はこの声を聞いた覚えがある。それもつい先ほど。記憶を辿って身じろぎすると指先が何か冷たいボトルに触れる。まだ水滴が表面についたペットボトルのお茶。
──嗚呼、思い出した。
「誰が捕まるもんか!あたしの足の速さには誰もついてこられな──うわあああああっ!?」
「待てええええ──うわああああっ!?」
まさにデジャヴ。曲がり角から飛び出してきた魑魅一座と同じ面をつけた小柄な少女とプラチナブロンド色の髪を靡かせた少女が、まだ倒れていた魑魅一座の少女の脚に引っかかって漫画のようにすっ転んだ。
─────────────────
「──要するに。魑魅一座ちゃん達と久田さんが祭りの妨害をしていたところを目撃した七稜さんが制圧目的で追いかけたところ、予想外の抵抗に。そしたら状況不利になった魑魅一座ちゃん達が逃走しだして、慌てて御陵さんが追いかけたところ今に至るってこと?」
「そういうこと。」
俺の隣で腕を組んでうんうんと頷くアヤメ。その足元には魑魅一座とイズナが大人しく正座していた。全員を起こし、怪我の有無を確認し終えてから状況説明を求めたところ、「俺も巻き込まれた被害者だから」ということでアヤメから何があったのかを教えてもらえたのだ。
「これからこの子たちはどうなるの?」
「百花繚乱のメンバーが到着次第、拘束・連行。その後何でこんな事をしたのか尋問かな。でも、他の子たちが来るの遅くなりそうなんだよね⋯⋯」
「そりゃまた、なんで?」
「他のところでも魑魅一座が暴れてるみたいで、他の子たちも皆その制圧に出払ってるんだよね。ホント、どうしようかな⋯⋯」
そう言うアヤメの顔には若干の翳り。⋯⋯先程から見せる笑顔と言い、どこか違和感がある。
「⋯⋯じゃあさ、ちょっと俺に任せてもらえない?」
「貴方に?」
「うん、俺に。外部の人間だからあんま口出ししちゃ不味いし、信頼できないかもしれないけど、ちょっと考えがあるんだ。」
「ん〜⋯⋯まあ、魑魅一座達を逃走させるとかじゃないなら、まだ百花繚乱の子達が来るまで時間があるしいいよ。」
「ありがとう。もし心配なら、後ろでお茶でも飲んで待ってて。そこのペットボトルのお茶、まだ口つけてないし。」
よし、アヤメからの許可は出た。地面に正座している魑魅一座とイズナの前に移動し、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
こういう時、きちんと目線を合わせるのは重要だ。相手より上から声を投げかけるのは相手からすれば見下されているように感じてしまう。きちんと会話をするなら相手と対等な状態で。交渉は銃を置いて。それは間違いなく、「誰かと話し合いをする」ということにおいてはとても大切なことだ。
「初めまして、俺は伽藍堂シュウ。君たちの名前は後で教えてもらうとして⋯⋯唐突だけどさ、俺の手伝いをしてくれない?」
「手伝い⋯⋯?」
「なんで私たちがそんな事を⋯⋯」
「祭りの準備ってさ、やること多いのね。この提灯をこのワイヤーに付けるのとか。俺一人でも結構量が多いから手伝ってくれると助かるな〜って。」
「そんなこと言われて、私達が素直に従うわけないじゃん」
警戒を露わに薄ら笑いを浮かべる魑魅一座。イズナだけは素直な彼女らしく真剣な表情でこちらを見つめている。ここからが俺の腕の見せ所だ。
「そりゃそうだ。だから──もちろん、タダでとは言わない。俺の今日のアルバイト代を山分けにしてあげるし、桜花祭の日には屋台でなにか奢ってあげる。」
「バイト代を、山分け?正気なの?」
「俺は至って正気だよ。祭りの妨害をする余裕はあるんだから、祭りの手伝いをする余裕だってあるはずだろ?それに、どうせ百花繚乱の子達が来るまで君達は暇なんだ。暇潰しに手伝いするくらい、わけないだろ?」
「それは⋯⋯」
口籠る少女達。その静寂を元気いっぱいの声が一振りの刀のように斬り裂いた。ぴょこんと狐耳が揺れ、バッと勢いよく右手が挙がる。
「そういうことならイズナがお手伝いします!」
混乱の中に差し込まれた一筋の光。それは、漣のように周囲へと伝播していく。
「⋯⋯まあ、確かにタダ働きじゃないなら」
「私達も桜花祭楽しみたいしね〜」
イズナに引っ張られるように次第に広がっていく肯定的な意見。子どもの素直さはこういう時ありがたい。その場にいた全員が協力をしてくれるみたいだ。
「君達がなんで祭りの妨害をしていたのかを俺からは聞かないよ。それは百花繚乱の子達の仕事だからね。⋯⋯泥にまみれて誰かの笑顔のために働いた数千円のほうが未来の足しになる。お祭りを壊すより、お祭りを作るほうがよっぽど楽しいってこと、その身に叩き込んであげるから。」
────────────────
あれから数時間が経った。私の目の前には最初の方にあった険悪なムードが消え去った、和気あいあいとした雰囲気が漂っている。
始めたての頃はとてもギスギスしていた。提灯を付けるのが上手くいかないからと投げ出す人、作業せずに駄弁り始める人、銃を抜いて喧嘩しようとする人⋯⋯真面目に作業しようとする人以外にも様々な人がいて、まとまりもなくて。
それでも彼は、その度に寄り添い続けた。投げ出した人には何処が上手くいかなかったのかを聞いて導いたり、銃を抜いた人たちの間に入って仲裁したり。時には、駄弁っていた人たちに作業を回しながらその会話の輪に入ったりもしていた。
「最近何が流行っているのか」「どんなものが好きなのか」「キヴォトスの最近のニュース」⋯⋯話題は飛び飛びだったけど、それでも彼はそれはそれは楽しそうに魑魅一座の話を手を止めずに聞き続けていた。
私はと言うと、空いた提灯の箱の上に腰掛けて彼と魑魅一座の背中を見つめるばかり。たまに彼が話を振ってくれることもあるが、私は魑魅一座を監視することしかできていなかった。
一度手伝いを申し出たけれど、「連日の治安維持で疲れてるでしょ?そこで休んでて。」と彼に断られてしまった。そればかりか、椅子代わりの提灯の箱とペットボトルのお茶を手早く準備し、私が快適に監視できるスペースを作り上げてしまったほどだ。
正直、その気遣いがありがたかった。
──でも。その鋭い目が私の笑顔の仮面の奥にある「本当の私」を見抜いているようで、少し不気味だった。彼の目つきは決して優しいものではないし、どちらかといえば鷹の目のように鋭い。
けれど、その黒い瞳は「私」ではなく「笑顔に隠した本当の私」を捉えているようで。その目を見る度に、少し胸の辺りがきゅーっとなる。
⋯⋯多分、怖いんだ。私をこれまで苦しめてきた張り付いた笑顔の仮面。『いつでも笑っていて、不機嫌になることなんてない私』の心が疲弊している事を見抜かれてしまうのが。本当は完璧なんかじゃない私を、暴かれてしまうのが。
けれど、暴いてほしいと心の奥底で叫んでいる私もいる。きっと暴かれてしまえば、私のこの葛藤も少しは晴れるだろうから。
こんな感情を初対面の相手に抱いてしまうほど、私は疲れていたのかな?
「七稜さん」
そもそも、彼は一体何者なんだろう。伽藍堂シュウと名乗った彼の背格好も顔も、年齢的には私たちに近いような気がする。黒い髪に黒い瞳の彼は一見普通の生徒に見えるけど、キヴォトスで男子生徒を見たことなんてない。
ということはキヴォトスの生徒じゃない?見た目にそぐわず大人?最近、外の世界から『シャーレの先生』が来たって話を聞いたことがある。もしかして彼がシャーレの先生?それにしては若すぎるような⋯⋯
「七稜さん?」
それにしても、百花繚乱の子達来るの遅いなぁ⋯⋯。まだ他のところで暴れている子達がいるのかな?それとも、『私なら一人でもやれるから任せて大丈夫』って放っておかれているのか。
もしかしたら、モモトークにヘルプが送られてきているのかもしれない。
けれど、スマホに手を伸ばす気が起きない。助けを求められたら助けに向かうし、誰もが目を背けるような現場でも目を背けたりはしない。だけど、今は誰かの助けを求める声を見たくない。それほど、私は疲れてるのかもしれない。
「七稜さん!」
気づいたら、彼が私を覗き込んでいた。踏み込みすぎず、けれど私に声が聞こえる距離を保ったまま心配そうに私を見つめていた。心配をかけてしまっていたみたいで、少し申し訳ないな。
「ごめん、ぼーっとしてた!どうかした?」
いつも通りの笑顔の仮面が私の顔を覆う。そんな私の顔を見て、眉をピクリと上げた彼は一瞬の間を置いてからにこりと微笑む。
「これ、近くのお店の人から差し入れ。甘いもの、大丈夫?」
「うん、食べられるけど⋯⋯いいの?私、何の手伝いもしてないよ?」
「そう?七稜さん、魑魅一座ちゃん達を捕まえるために追い掛けてた訳だし、手伝いしてなくても貰う権利はあると思う。」
穏やかな表情でそう言う彼の厚意に甘えて白い紙の箱に入ったお饅頭を1つ手に取り、フィルムを剥いて口に含む。優しい甘さの桜餡が口の中でほろりと解け、桜の香りが鼻を抜けていった。
「⋯⋯美味し」
「⋯⋯美味しいよね、これ。」
思わず呟いた私の言葉を聞き逃さずに、彼の返答が返ってくる。流れる穏やかな雰囲気がくすぐったくて、この空気を変えようと彼に質問してみる。
「ねえ、どうして魑魅一座の子達に手伝いをさせたの?」
「そうだな⋯⋯。魑魅一座の子達って祭りの妨害してたわけじゃん?破壊衝動なのか、誰かの差し金なのかは俺には分からないけど、それでも「誰かの作ったものを壊したこと」には変わらないでしょ?」
頷く。
彼の瞳は提灯をコードに繋げる魑魅一座に注がれている。
「だから、「自分達が壊したものが、作るのにどれだけの手間が掛かっているのか」を知ってもらったらそういう事もやらなくなるんじゃないかなって思ったのが1つ。」
「1つって⋯⋯他には?」
「あんまり高所の作業をしてこなかったから、純粋に腕が疲れた。情けないけど腕がもうパンパン。」
あまりに素直な彼の答えに思わず吹き出してしまう。
真面目な顔でそんな事言わなくてもいいのに。
「⋯⋯少しは気が晴れた?」
私の笑いが収まった頃、唐突な彼の言葉に心臓がドクンと跳ねる。やっぱり、見抜かれていた?
「⋯⋯なんのこと?」
「⋯⋯あくまで俺から見た印象なんだけど。」
そう前置きして彼は言葉を探すように瞳を泳がせながら一つ一つ言葉を絞り出す。
「声かけた時もそうだったんだけど、なんか思い詰めた表情してたし。俺が話しかけた時の七稜さんの笑顔、どっか作り物めいてたなって感じたから。作り物めいていたっていうか、笑顔を貼り付けたみたいな感じって言えばいいのかな⋯⋯?勘違いだったらすごい申し訳ないんだけど。」
⋯⋯ああ、やっぱり私の内面を見抜いてたんだ。この短時間で見抜いちゃう彼の観察眼が凄いのか、私がわかりやすいのか。
「⋯⋯凄いね」
「⋯⋯どっちでの意味かは聞かないでおくよ。」
そう言うと彼は箱に残った桃色の饅頭を2個、私の掌に載せる。
「それじゃ、俺はそろそろ作業に戻るよ。その饅頭、良ければ食べちゃって。」
「貰っちゃっていいの?」
「うん。もう全員に配ったし、疲れたときには甘いものでしょ。⋯⋯あ、でも。」
「なに?」
「2個渡したのは他の子には内緒でお願い。」
渡したのバレたら間違いなく騒がしくなるし、と付け加えて彼は去っていく。残された私は掌のお饅頭を1つ掴んで口に運ぶ。
嗚呼、相変わらず
「甘いなぁ⋯⋯」