黒服に案内された先は駅から歩いて数分ほどの廃ビルだった。
見た目からしてボロボロなこのビルの内部が綺麗であるわけもなく、床には瓦礫や割れたガラスが散乱。
倒れた観葉植物は土を撒き散らし、天井からぶら下がるちぎれたコードは時折火花を散らしていた。
不思議なことにこれだけ荒れていても蜘蛛の巣や虫の死骸などは見当たらない。
もしかしたら、黒服がそうならないように掃除していたりして⋯⋯っていうのは俺の考えすぎか。
というより、それができるなら瓦礫とかもなんとかしなさいよって話だし。
というか、よくもまあ、こんな危なそうな場所を拠点にしてるよなこの人は⋯⋯
呆れの籠もった目で見つめていると、その事に気付いたように振り向いた黒服がジィ⋯⋯っとこちらを見つめてくる。
見つめながらも器用に瓦礫を避けて歩いているのは一体何なんだ、そして怖いからこっちを見ないでくれ。
そんな言葉を飲み込んで歩くこと1分弱。
5階建てのビル、その最上階へとたどり着いた俺を黒服は恭しく片手でドアを開けて導いた。
部屋の中は簡素な作りで、窓を背にするかたちで配置されたスチールデスクと左右にはガラスで中が見えるようになっている棚が設置されていた。
棚の中には紙がぎっしり詰まっているだろうファイルとよく分からない模型が飾られている。
恐らく神秘やそれに関連する事象について纏めたものなのだろう──というのはアビドス編で黒服がやろうとしたことから予想をつけただけなのだが。
「どうぞ、おかけください」
そう言って黒服が何処からか持ってきたスチール椅子をデスクの前に置き、自分は窓を背にして椅子に座った。
アビドス編で先生と対峙した黒服のスチルがあったが、それに近い形だ。
唯一違うのは俺が黒服の前に座っていることだろうか。
「まずは自己紹介から。貴方が駅で言い当ててみせた通り、私の名前は黒服。何故あなたが私の名前を知っていたのかは⋯⋯クックック、聞かないでおきましょう。」
「⋯⋯駅でお前が言い当ててみせた通り、俺の名前は伽藍堂シュウだ。それで、何の用だ。」
「⋯⋯まず、はっきりさせておきましょう。私たちは貴方と敵対するつもりはありません。むしろ協力したいと考えています。」
「先生と違ってシッテムの箱も大人のカードも持たない俺なんかがお前達の障害になる事はない。それでもお前が俺に接触してきた理由はなんだ?」
先生と接触するならまだ分かる。
アビドス編では黒服は障害となりうる先生をゲマトリアに引きずりこむことで自らの計画を進めようとした。
まあ、先生が拒絶したことでそれはご破算になったのだが。
でも、俺に接触してきた意味が分からない。
『先生』と違って何も持たない上、銃弾1発でも死に至るような貧弱な俺なんかを警戒する理由はないはずだ。
「何か勘違いなされているかもしれませんね。私達は観察者であり、探求者であり、研究者です。キヴォトスに誰がどのように出入りしたのかというのは調べるのが簡単ですが、貴方はまるで初めからそこにいたかのように駅のホームのベンチに現れた。私達にとってはそれだけで貴方に接触する価値はあるのですよ」
⋯⋯なるほど。確かにそれなら目をつけられるのもやむなし、と言ったところか。
そこにいなかった人間が突然現れ、その人間は外の世界から来た大人だとすれば⋯⋯探究心旺盛な奴が接触してこないほうがおかしい。
「それで俺に接触し、協力を持ち掛けてきたと?」
「はい。私達に協力するつもりはありますか?」
「無い。」
「ほお。真理と秘儀を手に入れられるこの提案を断ってまで、貴方はキヴォトスで何を追求するおつもりなのですか?」
「別に何も。突然連れてこられてそれどころじゃないのに、ここで何をするかなんて決まってるわけないだろ。」
建前とかではなく本心からの言葉だった。
そもそもここから元の世界──日本に帰る方法だって分かっていない。
この世界で暮らしていくなら衣食住は不可欠だが、今ある所持金だけでは足りるはずがない。
働く場所と住むところ。少なくとも、この2つを確保しなければ未来に目を向ける余裕はできない。
「それに、お前らと違って俺は生徒達のことを搾取する対象と見做していない。だから、お前達に協力するつもりはない。」
「そうですか、それは残念です。」
「用がそれだけなら帰らせてもらうが。」
「いえ、もう一つ要件があります。」
くるりと椅子を回転させ、窓の外に目をやる黒服。
俺はその姿から目を離さない。
本編では黒服が先生に危害を加えることはなかった。
それは『先生』が大人のカードを持っていたからであり、彼は黒服たちゲマトリアの観察対象だったからだ。
だが、俺は違う。観察対象だったとしても俺は黒服に対処できるほどの力を持っていない。
故に、黒服が俺をここで始末しようとすれば始末することができるのだ。
黒服の言う要件がどんなものかは分からないが、俺が思わず拒んでしまうような要件だったならば俺はどんな目に遭わされるか分かったものではない。
そう警戒していると、黒服が立ち上がってこちらに急接近し───
「どうぞ、こちらを。」
───手をこちらに向け、何かを差し出してきた。
恐る恐る目線を下げるとそこにあったのは一本の杖だった。
くすんだ銀色のボディは俺の指先から肩くらいまでの長さで、持ち手の部分には山羊の頭を象った金色の意匠が施されていた。
受け取ってみると、手に伝わるずっしりとした感触。
重くはあるのだが移動の邪魔になるほどではなく、まるで人体の一部であったかのように手に馴染む。
金属特有の冷たさが手に心地よい。
「⋯⋯これは?」
「私共が見つけたオーパーツ、名を『グリダヴォル』と言います。」
「『グリダヴォル』⋯⋯」
聞いたことがある。
確か、北欧神話に登場するグリーズという女巨人がトールに貸した杖の名だ。
杖からビームを撃ったり伸縮自在だったりするわけではないが、この杖の真価は「頑丈であること」。
洪水で荒れた川を渡るトールが杖として使用したり、天井と椅子との間に突き立てることで圧殺を免れたりしたという逸話が残っているほど、神話におけるこの杖は頑丈なのだ。
となると、この杖もそれと同様に頑丈なのだろうか?
黒服がオーパーツと言っていたことから何かしら特殊な力があると考えていいだろう。
「杖の先端をご覧ください。」
「これは⋯⋯穴?」
杖の石突──地面と接触している箇所に穴が空いていた。こんな所に穴が空いていた所で、何の意味もないだろうに。
いや、穴の側面に螺旋状の溝が刻まれている。
もしかしてこれは──
「銃口、か?」
「ご明察です。杖型の仕込み銃、それがこのオーパーツです。これを貴方に。」
「何故?」
「キヴォトスでは銃という物は珍しくありません。見たところ貴方は銃を持っていないようですし、護身用に必要でしょう?」
「そうじゃなくて。アンタが俺にここまでする理由はないだろう。」
対価のない善意は悪意に満ちているかもしれない。
特に「子供は搾取するもの」と捉えているような黒服達からの善意は間違いなく裏になにかある。
だからこそ問いただす。
「クックック⋯⋯そう身構えないでください。私共としても、貴重な観察対象が消えてしまうのは免れたいのですよ。」
「本当にそれだけか?」
「ええ。疑われるのならば念書を書くこともやぶさかではありませんよ?」
そう言って取り出してきた念書に目を通し、「小さな文字や裏面に何か書かれていないか」「こちらに不利になる内容が書かれていないか」などを確認して署名する。
「クックック⋯⋯こちらは後でコピーしてお渡ししますね。」
「改竄とかするなよ?」
「クックック⋯⋯疑り深いですね。ですが、貴方のそれは生きのびるための術だとお見受けします。もちろん、改竄などはしませんよ。」
そう言って黒服は部屋の片隅にあったコピー機を起動し、念書のコピーを取る。
⋯⋯いや、なかなかにシュールだな。もっとこう、不思議な力で念書を増やすとかするもんだと思っていたが。
そのままコピーした方に日付と捺印、「本写しは原本と相違ないことを証明します」の文言を書き込んでこちらに手渡してきた。
「⋯⋯ありがとう。」
「どういたしまして。話は以上です、お帰りいただいて構いませんよ?」
言われなくても帰るつもりだ。そう思いながら立ち上がり、背を向けてドアノブに手を掛け──
「⋯⋯いや、1つだけ聞かせてくれ」
「何か?」
「⋯⋯アンタ、もう『先生』に接触したのか?」
「いいえ、まだです。これから接触するつもりではありますが。」
「⋯⋯そうか、ありがとう。」
そのまま振り返らず部屋の外に出る。
なるほど、『ブルーアーカイブ』がアビドス編第一章、もしくは第二章の前半まで進行しているというわけだ。
そうと分かれば次に行く場所は決まったようなものだ。
アビドス──その中にある『柴関ラーメン』へ向かうとしよう。
爆破されていなければアビドス編第一章の前半、爆破されていれば第一章後半から第二章前半だと知ることができるし、あわよくばアルバイトとして職を見つけることができるかもしれない。
⋯⋯嫌な見分け方だが、今はそれ以外手が無いので仕方ないものとする。
そうと決まれば⋯⋯もう一度扉を開けて顔を突っ込む。
「アビドスってどうやって行けば良いんだ?」
「⋯⋯クックック」
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横を歩く青年にそっと目をやる。
黒い瞳は鷹の目のように鋭く、黒い髪は襟首まで伸ばされてはいるものの清潔感は感じられる。
顔立ちも特段整っているというわけではないが不細工というわけでもない。
特段目立つ特徴があるわけではないが、それでも不思議と目が離せない。
黒服は『伽藍堂シュウ』にそんな感想を抱いた。
疑り深く警戒心は強いが、必要と判断すれば相手が誰であろうと頼ることに躊躇しない柔軟さがある。
黒服にアビドスまでの道案内をさせているのがその証拠だ。
「⋯⋯なんだ?」
こちらの視線に気づいたシュウは黒服を見上げる。
疑心、不安、警戒──そういった感情の籠もった視線を黒服はいいえなにも、と受け流した。
(クックック⋯⋯私達ゲマトリアは、いつでも貴方を観察していますよ。)
目指すは駅。
アビドスへ向かう大人2人組がラーメンを食べて解散するまであと数十分。
『グリダヴォル』
全長85cmほどの銀色の杖で、仕込み銃としての機能も兼ね備えている。ヤギの頭を象った金色の意匠が持ち手にあり、銃として使用する際はここをグリップとして持つ。
地面に接触する部分がバレルとなっており、火薬がなくても撃つことができる。装弾数は1発。