様子のおかしいウマ娘が今日も元気に走るようです 作:あーきもてぃー
「いやぁ、いきなり話しかけて悪かったねぇ。アタシはナイスネイチャっていいまーす。よろしくー」
ノートをめくることに必死な私など気にも留めず、横からナイスネイチャさんの言葉が届く。今はそっとしておいてほしいのが本音だけど、話しかけられてしまった以上、これ以上ノートに集中するわけにはいかない。
私は極力音を立てないようにノートを閉じて、ゆっくりと顔を滑らせた。笑顔を作る自信がないから、所作だけは丁寧にいかないと。
ひとつ息を吐いてから、ナイスネイチャさんの方を見る。なぜか僅かに微笑んでこちらを見ていた。
「い、いきなり話しかけられても悪くない。わたしはレコードチャリオットっていいます。よろしく」
うん。動揺したけど、挨拶は完璧。ナイスネイチャさんはなぜか瞼を開いて目を大きくして反応してくれた。失敗はしていないから、気にしないでおく。
それより、この子の髪はかなり特徴的で、見惚れる。目に入るのは、触り心地の良さそうな赤茶の髪。私の視線がずっとそこを刺していることに気がついたのか、ナイスネイチャさんは右の手のひらで自身の髪の毛をポンポンと叩いた。
「レコードね。改めてよろしくー」
ポンポンと叩く手を止めて、今度はその手のひらをこちらに向けて、ふりふりと左右に振るナイスネイチャさん。
私のことは、レコードと呼ぶらしい。とても端的で効率的だ。時間の短縮として、実に優れている。気に入った。
よし。自己紹介も済んだし、もう話すことはないだろう。私は軽く首を下げて会釈してから、再びノートへ視線を戻し、開いた。数ページだけめくってから白紙のページにして、推理をする。
キラキラとは、なにか。同意した手前、半端な結論ではいけない。だから、真剣に考える。
キラキラの意味。難しく考えなければ、「輝いている」とか「光っている」という意味になる。でも、まさか現実的に体が発光するわけがないから、この意味ではないはず。
なら、このキラキラは比喩で使われていると考えていいのではないか。例えば、輝きそう、光りそう、という解釈ならどうだ。学業でも輝かしい成績や才能を持つ人に対して、「光るものがある」という表現を使うことは耳にしたことがある。この意味なら、なにもキラキラという表現におかしいものはない。
ただ、ナイスネイチャさんはキラキラがたくさんあるような言い方をしていた。ここ、中央に来る人たちというのは、基本、最低限の才能は担保されているだろうし、入学前から名の通ったウマ娘も少なくないはずだ。
しかも、言い方的に誰がキラキラしているのか分かっているかのような口ぶりだ。
……やらかした? 私、それが誰か分からない。
ナイスネイチャさんは誰がキラキラしているかを知っていて、つまりこの先の競合の強敵をしっかり把握していて、私はそれが分からないまま同意した。
「……」
静かに、ばれないように、ちらりとナイスネイチャさんを見る。
とても、穏やかな笑みがあった。肘を立てて頬に手を添え、黒板の前でわいわいとはしゃいでいるウマ娘の輪をただ眺めていた。
とても、不思議だ。
周囲に視線を滑らせても、ナイスネイチャさんのような雰囲気を持つウマ娘はいない。大人びていて、静かそう。でも会話が苦手というわけでもなさそうで、こうやって何かを品定めしていそうな視線をする。
最初こそ意味の分からない話しかけられ方をされたけど、もしかしたら、この子。
私と相性がいいんじゃないかな。
だって、ナイスネイチャさんは、ノートに意識を戻した私から興味をなくして、すでに違うところを見てた。つまり、勝手に人の領域には踏み込まない。そんな人なんじゃないか。
目の前で私が必死にめくるノートにすら、質問してこなかったし。
「なんですかー、じろじろ見ちゃって。ネイチャさんのお顔に、なにかついてる?」
うわ、ばれた。
全くこっちの方など見てなかったのに。もしかして、横に目でもついてるのかな。
けど、ばれちゃったなら、嫌な思いをさせないように。下手な嘘ついて、初日から居場所がなくなるなんて嫌だ。さっきは適当に反射で嘘をついてしまったから、今度はちゃんと正直に言ったほうが絶対に良い。
「ナイスネイチャさんのことを、考えてた」
「あ、あたし?」
「うん。だから、見てた」
これでいい。ナイスネイチャさんからしてみれば、見られてたのに、見てないなんて言われたら不快でしかないはず。だから、これは完璧な回答。
「へぇ。なーんで、ネイチャさんを見てたのかなぁ」
「うん。気になるから」
「気になるって、アタシが?」
「うん」
「……そっかぁ」
ナイスネイチャさんは肘を机から外して、また髪の毛をくるくると触り始めた。何かを考えているようで、たまに瞼がひくひくと揺れている。
ナイスネイチャさんは無言のまま再び正面を向くと、こちらを見てくることはなくなった。
私もゆっくり視線をノートに戻す。
好きな人、ナイスネイチャさん追加、と。
間もなく、このクラスを受け持つ女性の担任が来て、初めての授業が始まった。
レースのシステムや、レース結果によるグレード制のクラス分け。さらには、トレーナーのことやチームのこと、施設の概要まで。およそ半日を使って学園で過ごすための最低限の雑学のようなものを叩き込まれた。
そして、
「では、一人ずつ自己紹介をお願いします。名前と意気込み。それから、目標を」
午後の二時。昨日の反省を活かして事前にパンを買っていた私は、変に疑われることもなく昼休みも一人で乗り越えた。もう問題ないと安堵したのも束の間、先生の口から放たれたのは、悲劇だった。
心臓が速く波打ち、胃からなにかが逆流してくる。あれを、言わなきゃいけないの?
本当に?
嘘をつくか、本当のことを言うのか。どちらかしかない。でも、どちらも、多分失敗。
そうやって悩む間にも時間は進み、一人ひとりが席を立つ。順番に自己紹介を済ませていき、ついに隣の席のナイスネイチャさんの番へ。
「ナイスネイチャっていいまーす。意気込みはまぁ、ぼちぼちってかんじでー。目標はおいおいっすねぇ……ってのは冗談で、恥ずかしいから、秘密でーす」
頭に手を置いて、タハハと笑って着席するナイスネイチャさん。その自己紹介は、まさに神からのお告げのように、救いだった。
吐き気も、心臓の鼓動も、落ち着いていく。
「で、では、次の人」
きた。私は、席を立つ。ナイスネイチャさんも、こちらを見ている。学んだことを、実践しよう。そしてちゃんと、お礼を言おう。
「レコードチャリオットと言います。意気込みはぼちぼち。目標は、適当です。……というのは嘘で、実はあるんですけど、秘密です。恥ずかしいので、それで勘弁してもらえると」
うん。完璧。雁字搦めになっていた私にお手本を示して救ってくれた、ナイスネイチャさん。感謝するために、私はナイスネイチャさんを見た。
「……レコードさんや、アタシのこと、馬鹿にしてる?」
あ、あれ?
ナイスネイチャさんの目は細められ、温度のない声が、私の耳に届いた。
⭐︎⭐︎
放課後。結局、誰とも目が合わないまま、私は教科書をスクールバッグに詰め込んでいた。ただ、その手は震えて、なかなか苦戦する。
ひとつ詰め込んでは、手が止まる。ナイスネイチャさんを模倣したことは明確な失敗だった。もう後戻りできないという言葉の刃が、心臓を貫いてくる。
それを誤魔化すように、また教科書をひとつバッグに入れる。
そうこうしている間にクラスメイトたちはポツポツと教室を去り、ついに残っているのは、私だけ。
……もう、やっていけないのかな。
頑張ってみたけれど、ノートにたくさん対策をとってみたけれど。
やっぱり私は、おばさんの言う通り、誰にも評価されない存在は迷惑な役立たず、なんだろうな。
私は教室を出て、そのまま校舎を出た。学園の案内板の前まで行き、緊急事態のためにひっそりと置かれている公衆電話の場所を把握する。
幸い、そういったものは利便性の高い場所にあるため、手間をかけずに行けそうだ。
予想どおり、手間をかけずにたどり着いた。私は受話器を取った。これも無料、すごい。
何度目かの呼び出し音のあとで、目的の人物は電話に出た。
「もしもし。わたし」
「あら、レコちゃんじゃない。どうしたの?」
「おばさん。わたし、ここでやっていけないかも」
「……そう。やっぱり、難しかったのかしらね」
比較的人通りの多いところなのか、公衆電話を見つめながらも、後ろを通る人影がこちらを気にしているのが分かった。公衆電話に僅かに差す影が、私のちょうど後ろで立ち止まるのが分かる。
珍しいのかな。このご時世に公衆電話なんて。
「でも。困ったわね、レコちゃん」
「……うん」
「私たちへの恩や思いを、忘れたわけじゃないのでしょう? 夫だってあなたの活躍を楽しみにしてるんだから」
「ごめん。そう、だよね」
「弱音言ってないで、さっさと走ってきなさい。それしか、あなたの取り柄はないでしょう?」
「……うん」
「もし辛くなったら、慰めてあげるから帰ってきなさい。二時間だけなら、家にいてもいいから。ご馳走も、きちんと用意するわよ」
「ありがとう」
「じゃあね、レコちゃん。あなたのこと、とっても応援してるんだから」
「知ってる」
「けどね、だからって、あまり活躍しすぎちゃダメよ? あまり目立たないように、長く稼ぐの。それが、一番幸せになれるんだから。くれぐれも、重賞なんかに出ないこと。いいわね?」
「うん。知ってる」
おばさんは、返事もなく受話器を切った。やっぱり、おばさんは優しい人だ。明確に、私が進むべき道を示してくれる。
役立たずで何もできない私を、レースで稼げると見抜いてくれた。
やっぱり、一日挫けただけで弱音を吐くのは良くない。おばさんに、恩を仇で返すところだった。
……気合いを、入れよう。
失敗しても、その失敗は取り戻せる。おばさんが前に言ってた。足が折れても、治ればまた走れるって。
でも、どうやってやればいいんだろう。
……ユキノサンライズさん。
顔が、浮かんだ。
あの人なら、相談に乗ってくれるかな。
いや、だめだ。相談ではなく、それとなく話そう。今から三日ほどかけて迷惑をかけない質問を考えて、吟味して、不快にさせないよう、聞く。
うん。なら、さっそく部屋に戻って対策を取ろう。
私は受話器を置き、部屋へ戻ろうと振り返った。
「お、おいっすー……なーんて、アハハ」
ナイスネイチャさんが、そこにいた。