活俠傳<南溪ルート>   作:鉄仮面

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1年目6月 嶺南の女侠、唐門の醜侠に出会う②

 ほのかに甘い香りに鼻をくすぐられ、南溪はゆっくりと瞼(まぶた)を開いた。

 

「……ここは?」

 

 パチパチという焚き火の音に安らぎながら身体を起こす。

 建物の造りから、どこかの廃寺だろうと、南溪はアタリをつけた。

 外はすっかり日が落ち、屋根を叩く雨音が聞こえてくる。

 

「おっ、目を覚ましたな」

 

 そんな中、不意に聞こえた男の声に南溪は悪寒を覚え、音とは逆方向に飛び退く。

 

「っ!? 誰だ!」

 

 飛び退いた先には瓦礫もあるが、崩すことも音を立てることもなく、瓦礫の上に両の足で立つと、すかさず声の主を問いただす。

 南溪は七星剣を手にしようとして空を切り、始めて自分が今武器を取り上げられている事に気が付く。

 そればかりか嶺南の外衣を脱がされていることに気付き、南溪の怒りは烈火の如く燃え上がる。

 「男女授受不親」の教えがある以上、彼女の怒りは当然のものだ。

 

「……殺す!」

「待て、話せば分か、危ねぇっ!」

 

 南溪は男が言い終わる前に、足刀を顔へと放つ。

 

「黙って死ね!」

 

 洗練されたその動きから、素人が見たとしても拳掌の覚えがあることは分かるだろう。

 とはいえ、距離があったため躱されてしまい、右足が風化した壁をぶち破る。

 南溪は決して男を逃がしてなるものかと、すかさず拳を放ち、肘に膝、技を次々と続けるも、これまたスルリと避けられてしまう。

 

「ハァ、ハァ、ネズミのように煩わしい……!」

 

 急に動いたせいだろうか。ほんの数回技を出しただけで、南溪は息を荒げ、動きが止まる。

 好機とみて、男は叫んだ。

 

「落ち着いてくれ! 脱がせたのは外衣だけだ! 仕方ないだろう? 君の外衣は血とゲロと毒薬塗れだったんだ。川で洗い流さなければ、もう二度と着れなくなるぞ」

「……」

「外衣ならそこにある。決して邪な想いはない。もしあるなら、今ごろ君の手足には縄で縛っていただろうに」

「……」

「剣なら君が寝ていたゴザの下だ。こうなるだろうから、隠していたんだ。だから……女侠?」

「………………気持ち悪い」

 

 南溪は口を手で抑えながら腰を下ろす。

 理路整然とした状況説明と、敵意や悪意を認められず、男が悪人ではないと分かった途端、喉の奥から迫る焼け付くような痛みと嘔吐感に襲われたからだ。

 

「君は毒を受けたんだ。解毒薬は飲ませたが、おそらく喉のあたりがやられてるな。覚えてるか? 君は血も吐いたんだ。しばらく横になったほうがいい」

「横になれば楽になるのか?」

「ならない。だが俺は唐門の者だ。医術の心得もあるし、準備もある。今痛みを和らげる薬を調合するから、それまで身体を休めてくれ」

「……分かった」

 

 南溪は男の言葉に従い、先ほどまで横になっていたゴザへと向かう。

 よく見ればゴザには不自然な膨らみがあり、ゴザを少しめくるだけで七星剣を見つかった。

 外衣も水をたっぷりと含んだ状態で、縄に吊るされ干されていた。

 例え衣類を脱がされていたとはいえ、性急過ぎたか? 南溪はバツが悪そうになりながら横になる。

 いや、誤解を招くようなことをしたほうが悪いのだし、そもそも賊共も彼を裏切り者と貶(けな)していた。警戒するのは当たり前だ。

 そう思考を切り替えた南溪は、ゴリゴリと薬の調合をしている男へ視線を送る。

 彼の第一印象は何かと問えば、道行く百人全員が『醜い』と答えるだろう。

 そしてそれは南溪も同じだった。

 心身が弱ると人は卑屈になるものだ。

 彼の醜さに対し、南溪は失意のため息を吐く。

 

 ――もし彼が少しでもあ(・)あ(・)でないならば、こんな風に疑わないのに。

 

 不意に南溪はそのような考えが頭をよぎり、衝動的に奥歯を噛み締めた。

 

(私は何と失礼なことを考えたのだろうか。どのような理由があるにせよ、3人の賊を相手にしながら、毒を受け動けぬ私を彼は助けた! 礼を言うのが何よりも先のはずだろう!)

 

「……その、小侠」

「ん?」

「礼をまだ言っていなかった。ありがとう」

「いいんだ。実を言うと君が受けた毒の責任の半分はこちらにあるんだ」

 

 そう言うと男――趙活は事のあらましを語った。

 唐門から毒が盗まれたこと。自分は毒を盗んだであろう晁和を追ってきたこと。晁和は自分に似ていて、さっきの賊はそれで勘違いしたんじゃないかということ。そうそう賊はいざという時の煙玉を投げながら、毒だ! 猛毒だぞ! と叫んだら尻尾を巻いて逃げていったこと。

 趙活は話している間にも手を止めず、時に淡々と、時に堂々と、時に仰々に、話のタネは尽きることなしと言わんばかりに語り続け、遂には全く関係のない話まで始める始末だ。

 南溪は自分を苦しめた毒の在処(ありか)に眉をひそめたが、あまりにも彼が楽しそうに話すので、何だかどうでもよくなってきた。

 

(こうして人と話すのは、人の声を聞くのはいつ以来だろう)

 

 嶺南に狙われ、噂に貶(おとし)められ、影に夜へと追いやられた南溪にとって、人の声とは自分を襲う誰か他人のものだという認識に染まりつつあった。

 声が聞こえるのすら煩(わずら)わしく、陰口を叩く小人(しょうじん)共の口をいっそ横一文字に割ってやろうかとすら本気で思っていた。

 

 趙活の話は正直に言って、そこまで上手くはない。

 時々話が止まったり、明後日の方に行ってしまうこともある。

 講談師がここにいれば、苦虫を潰したような顔をしただろう。

 

 しかし、趙活は南溪を和ませようと誠実であった。

 彼は決して南溪のことを聞こうとしない。喉をやられている彼女が喋らなくてもいいからだ。

 彼は決して鬱々とした話もしない。傷つき弱っている彼女には、そうした話こそが毒になりえると知っているからだ。

 

 南溪はそのことに気がつくと、趙活を容姿で見下していた己を戒(いまし)め、改めて彼を注視する。

 

 改めて見ても、やはり彼は醜い。

 例え新月の闇の中だろうと、晴天の下であろうとも、趙活の醜さは少しも陰(かげ)ることはないだろう。

 しかし、肌に刻まれた無数の傷が、両手に残る柄の跡が、間違いなく彼が江湖に生きる1人の武侠であることを証明していた。

 

 趙活の話はどんどん盛り上がっていく。そんな彼を見ながらいつの間にか、南溪は大冒険をしてきた我が子の冒険譚を聞く慈母のように、愛おしそうに趙活の話に耳を傾けていた。

 

「さぁ話も上々。女侠、薬が出来たぞ〜」

「あぁ、ありが、と……?」

 

 南溪は趙活から渡された椀(わん)を覗き、蛇に睨まれた蛙のようになった。

 少なくとも、彼女の記憶にある薬の中に、濁った緑黄色の液体というものはない。

 見るだけで正気を疑いたくなるようなソレに、彼女は怯まざるを得なかった。

 

「……これを、飲む?」

「飲むんだ。恐ろしく苦いが、痛みがかなり和らぐぞ」

「…………薬効はあるのか?」

「あぁ、保証する。死ぬほど苦いが」

「……………………本当に?」

「女侠、この薬は見ていても身体に効かないぞ。飲まないと意味がない。コツは薬湯を飲むとは思わないこと。蛇が卵を吞むように臓腑へ届けることだ。コイツの味を知ると二口目は絶対拒絶するからな」

 

 南溪は薬を飲むことを決意し、しかし寸前で止めるという動きを四度ほどした後、意を決し、一気に薬を飲み干し――飲んだことを心の底から後悔した。

 

「〜〜っ!?!?」

 

 南溪は確信した。吐く。絶対吐く。吐かねばならない、と。

 

「おおっ! ちゃんと飲んだな。ほら、口直しの白湯(さゆ)だ。たらふく飲め」

「んっ!? んっ!! くっ、はっ、はぁ、はぁ、こ、これ、毒じゃないか!?」

「女侠、いい機会だから教えるが、唐門の毒は無味無臭が多い。味があるのは薬だけだ。夫(そ)れ良藥は口に苦(にが)しと言うだろう?」

 

 趙活は穏やかに笑いながら、南溪から椀を受け取った。

 

「俺は道具を片付けてくる。女侠は寝て、少しでも体を癒すんだ」

 

 白湯で漱(すす)いだはずが、いまだに口内へ苦みを残した薬を恨めしく思い、こんなので治るのか。嘘だ。絶対嘘だと、まるで子どものようにい(・)じ(・)け(・)ながら、とりあえず言われたとおりに横になった。

 

(これで痛みが取れないならどうしてやろうか。威風が出るとでも言って、薄皮一枚分、顔に傷をつけてやる)

 

 すっかりへそを曲げた南溪は少しでも気を和らげようと瞼(まぶた)を閉じる。

 ふと、趙活が自分の名前を言わなかったことに気付いた。

 

(そういえば、名乗っていなかったな)

 

 南溪は何度目かも分からない自省の念を覚える。

 

(趙侠が戻ってきたら、きちんと名乗らなければ)

 

 そう考えると、ちくりと彼女の心が痛んだ。不思議に思うがすぐに分かった。

 「南溪」の名はすっかり汚れてしまっている。

 彼が自分を「南溪」だと知ったならば、どうなるだろうか。

 今まであった世人(せじん)と同じく、私を糾(ただ)そうとするのかもしれない。

 

 しかし、彼は違うかもしれない。

 そう信じたい。人を厭(いと)うのは、もう疲れていた。

 だが、彼も他と同じだ。

 そう決めてしまいたい。人を信じるのも、疲れてしまった。

 

(あの醜くも輝かしい男に、どうしてこんなにも心を乱されてしまうのか。……あぁ、本当に疲れた。気の迷いだ。いっそ、このまま……)

 

 南溪は何かを決意しようとして、しかしそれはスルリと零れ、彼女はゆっくりと夢の世界へ微睡(まどろ)んでいった。

 

 結局、南溪が何を決意しようとしたのかはもう分からない。

 彼女自身も忘れてしまったからだ。

 

 雨の中戻ってきた趙活は、すぅすぅと子犬のような南溪の寝息を邪魔しないように、彼女へ布をかけてやると、そのまま朝まで寝ずの番を務めた。

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