南溪と趙活が街に着いたとき、街中は人の往来が活発になっているころだった。
「趙侠、その、そうだ。頼りになる女性というのは誰なんだ?」
唐突に、南溪は趙活へ尋ねた。
誘いを保留にした手前、廃寺から街中まで何となく趙活と会話するのが、なんとなく悪いことだと感じていた南溪だったが、まったく会話しないのはもっと悪いだろうと、思い直したためである。
「ん? あぁ、
「龍湘!? 彼女がここに、いや、そもそも趙侠は彼女と知り合いなのか!?」
南溪は趙活から一番遠いはずの人物の名が出てきたことに大きく驚いた。
実を言うと、南溪は龍湘をお互いに伝説の剣を持つ者同士、密かに好敵手として特に強く意識していた人だった。
強く、仁義を重んじる若き侠客。
そうした噂の中でも特に知れ渡っているのが、江湖の男たちを虜にするほどの美貌である。
それが真逆とも言える趙活と知り合いとは、南溪はどうしても紐付ことができなかった。
「知り合いというか……あっ」
「いた! いたよ兄貴! 南溪だ!」
趙活が南溪の問いに答えようとした瞬間、
南溪を襲った賊らが、執拗に追ってきたのだ。
「しつこいな畜生! 南溪、身体はどうだ?」
「問題ない。趙侠の薬がよく効いている」
趙活と南溪はどちらが言うまでもなく、逃げるよりも戦うことを選び、武器を構える。
5人の賊が彼らの前に広がると、その内の1人が半歩前に出てきた。
おそらく、兄貴と呼ばれた親玉だろう。
「もう逃がさねえぞ、南溪。そして裏切り野郎め」
「だから俺はテメェらの仲間じゃねぇよ! 毒を売ったのは別人だ!」
「うるせぇ! テメェみたいなブサイクが2人もいるはずねぇだろうが!」
「そうだそうだ! このブサイク野郎!」
「見ていて吐き気がするんだよ!」
「殺してしまったほうが世の中のためになるってもんだ!」
多勢に無勢とはよく言ったもので、1つ返すと4つになって返ってくる状況では、何を言っても無駄になる。
それでも趙活は隙を見出すために叫び返そうとしたところ、耳元で南溪が囁いた。
それは春の小鳥のように透き通る声で、趙活は蛮賊の叫び声よりも南溪の小声の方がよく聞こえると感じた。
「趙侠、すまないが3人頼めるか? 少しの間でいい」
「最初からそのつもりだ。何なら4人でもいいぞ」
「そうか、では4人頼む」
「えっ」
南溪は趙活の返事を聞く前に、鞘を勢い良く相手へ向けて振った。
直後、鞘の中から鎖で繋がれた暗器が飛び出し、賊の一人へと雷鳴のように襲い掛かる!
暗器に襲われた賊は、うわっ! と叫びながら武器を振り回し、暗器を払おうとしたため、全員が大きく動揺した。
「あっ! く、くらえ
そこに一拍遅れ、趙活が
唐門の暗器には全て毒があり、その効力を誰もが知っているからだ。
「くそッ! 卑怯者め!」
「お前は私だ」
「な、南溪! でやぁっ!」
そこへ南溪が一瞬にして間合いを詰めた。なんという軽功だろう!
「へへっ。どうしたよ南溪。折角近くに来たんだ。もっと来ないとその剣は届かないぜ?」
「必要ない」
「あ?」
「
言うが早く、
「え、あ? いつ?」
「さっき」
それだけ言うと、南溪は
頭だけとなった
「このブサイク野郎、くらえ!
「卑怯者め、うりゃぁあっ!
「俺のもくらえ!
「この毒野郎!
「うぉぉおおおおお!? 絶対違ぇえ!! 闇雲に振り回しているだけじゃねぇか!」
南溪と賊頭《ぞくがしら》の闘いは、時間にしてみればほんの少しだが、命のやり取りをしている中では、大きな時間だった。
趙活は暗器により先手を取ったものの、すぐに体制を立て直した賊共が一斉に趙活へと向かってきていた。
唯一の救いが、師の教えを受けていない武功とも呼べない暴力であり、何とか
そして最大の問題が趙活も師の教えを受けていない武功であったため、捌くことで精一杯だったことだ。
「趙侠、待たせた」
「南侠!」
そこへ南溪が横から割って入った。
剣一閃、その一振りで男4人はよろめき、驚きの声を上げた。
「な、なんだ!?」
「な、南溪!? 兄貴は!?」
「殺した」
「ひっ!? う、噓だろ!」
「兄貴の、く、く、首が!」
賊共へ淡々と答える南溪に、趙活は違和感を感じ、すぐに察した。
まだ傷が治りきっていないのに、無理を押して技を放ったのだ。
趙活は近くにいるからこそ、南溪の呼吸が乱れており、今の彼女が立っているのもやっとだということに気が付いた。
「まだやるのか? 2対4だが、俺たちの実力は分かっただろう? これ以上やるっていうなら全員土の下へ送ってやる!」
「ぐっ……! テメェ!」
「兄貴がやられておめおめと引き下がれるか!」
「そうだそうだ!」
「兄貴への弔いだ、やってやる。やってやるぞ!」
追い返そうと趙活は
いざとなれば、南溪だけでも逃がすことも趙活は視野に入れ、短刀と残り少ない飛鏢を握り締める。
その時、―――。
「無事か弟!?」
―――龍が唸った。
龍の咆哮が形となったかのような一撃が、叫び声をあげさせる間もなく4人の賊を殺した。
彼らには、何が何だか分からなかったことだろう。
横から見ていた趙活でさえ、
「湘姉! 本当に助かった!」
「騒ぎがあるから来てみれば、弟と女侠が大立ち回りしているからビックリしちゃった。怪我はない?」
「俺は無事だ。南侠、君は? ……南溪?」
南溪は放心していた。傷や痛みのせいではない。
趙活と女侠―――龍湘とのやり取りが、彼女を混乱の海へと叩き落していた。
「え、あ? いや、問題ない。ん? えぇと、それより、今、彼女を? 姉? と?」
「あぁ湘姉、龍湘とは、まぁ姉弟と呼び合う間柄でして……」
「その通り! 趙弟は私の自慢の弟!」
その言葉に南溪は今まで生きてきた中で1,2を争う衝撃を受けた。
天は落ち、地は裂けるのではないかと本当に疑った。
「それでえぇと、弟。この人は……?」
「湘姉、この人は南溪。
その紹介に、龍湘は一輪の野に咲く花のようにパァッと明るく笑顔で応えた。
「あなたが南溪!? 初めまして! 私は錦香宮の龍湘。私と同じような人を風の噂で聞いて、ずっと気になっていたの!」
南溪は『噂』という単語に、ピクリと反応した。
「私の噂を聞いているなら、その、あまり仲良くしない方が……」
「えぇ、知っているわ。七星剣を奪い取ったって。でも噂は噂よ。それだけで信じるのは良くないわ。こうして顔をみて話せば、貴方がそのような人ではないって分かるから!」
その言葉に南溪の目頭は熱く、涙で
人に信じてもらえるということがここまで心地良いものだと、彼女は思い出してきていた。
「湘姉、一応確認だけどまだしばらく
「え? あぁうん。まだかかりそうだと思うわ」
「実は彼女は荷物を奪われただけじゃなく、毒にやられているんだ」
「えぇ!?」
「解毒はしたけど、路銀もないから泊まれる宿もない。しばらく姉さんの部屋に泊めてくれないか?」
「もちろんよ! 荷物が盗まれるだなんて他人事とは思えないもの!」
龍湘は南溪の身の上話を聞いて、大いに
南溪はその様子にようやく目が覚め、趙活へ声をかける。
「ちょ、趙侠、まだ私は泊まるといったわけでは……」
「いーや、遅いね。ここで断ったとしても湘姉は引きずってでも君を泊まらせるぞ? 少なくとも一晩は絶対だ」
「趙侠……」
得意気に笑う趙活へ、してやられたと思うも、その温もりさえも感じさせる計らいに、南溪は深く想いを馳せた。
そこへ、龍湘が満面の笑みで割って入る。
「弟、それに南溪。それじゃあ今日はお祝いね! 何か市場で買って来るわ!
龍湘はそう言うと、あっという間に市場へ駆けていった。気炎万丈である。
「あ、待って、待ってくれ姉さん! ちょっと待って! あぁ、行っちまったよ……」
「どうした趙侠? 何かあったのか?」
「南侠、言い忘れていたが湘姉の二つ名は
「……いやそれはないだろ?」
南溪は否定欲しさに問いただすも、趙活はただ恐ろしい事実を述べるのみ。
「実を言えば、湘姉がちゃんと生活できているか不安だったんだ。頼むぞ南女侠。何も身の回りの全てをしてくれとは言わない。買い物だけでもいいから手伝ってあげてくれ。これ以上姜記肉まんを買えない姉さんを見たくないんだ」
「趙侠? もしかして私は厄介払いされていないか」
「ハハハ、そんなことはない。ただ、本当に頼んだぞ」
この後結局、龍湘はスリに会い、路銀を失ったためご馳走が買えず落ち込んでしまった。
あまりにも落ち込みように、趙活が料理をふるまい、彼女は大いに喜んだ。
日を改め、南溪は掌門に礼を尽くし、外堡に住む許可を得た。
南溪は龍湘との相室となった部屋で、腰を下ろし息を吐く。
ほんの数日前まで、休むために息を殺す日々を南溪は振り返った。
今となってはいい修行になったと言えなくもないが、当時の自分から見ればいつ終わるか分からない地獄の日々だ。もう一度味わいたいとは絶対に思わない。
南溪に天運はなかった。
しかし、今の彼女には安息の住処とかけがえのない友がいる。
今まさに、南溪は一歩を踏み出した。
大侠への道を。己の夢を叶えるために。