江湖の武侠達が好むものと言えば、酒に女、そして金。そこに噂が続くものだ。
例えば葉兄妹が隠し持つという岳飛の財宝。
例えば江湖で最も美しいとされる夏侯蘭。
例えば世にも恐ろしき千面人魔。
とかく彼らは噂を好む。
それが大げさであればあるほど、より大げさに話を行うのが己の
そうした噂の中でも最近一際目立つ
曰く、高き名声を誇るも落ちぶれた、かつての名門『唐門』に、天の気まぐれか次世代の中でも突出した、宝剣を
一人を『
振るう剣は
一人を『
振るう剣は
一人を『雪剣《せつけん》』の
振るう剣は
そんな、同世代の中でも武名が突出した彼らが、唐門の外堡に居座っているとくれば、噂にならないはずがない。
その内の一人、葉雲舟の理由は分かる。
重病人たる妹の療養のためであり、宝を狙う悪漢共から身を守るためでもある。
しかし、龍湘と南溪が外堡に残る理由はてんで分からない。故に、噂好き達はこぞって妄想豊かに好き勝手に述べる。
――葉雲舟は容姿端麗とも聞く。だから龍湘と南溪が葉雲舟を取り合っているのだ。と。
――龍湘の持つ宝剣は、他二人に比べて一際名高い。そして葉雲舟と南溪が剣を賭けて勝負を挑んでいるが、未だ決着がつかないのだ。と。
――南溪の淫売の噂は実は本当で、葉雲舟と龍湘を取り込んでおり、そのまま唐門も乗っ取ってしまおうというのだ。と。
今日も今日とて、江湖の何処かの酒場では、そんな噂を
その根底にあるのは若き才能への妬みであり、疑惑であり、憧れでもある。
故に彼らは語るのだ。あぁ、彼らは今どんな事をしているのか。と。
―
―――
―
「何これ?」
「な、南姉、あ、あのね、えっと……」
「何、コレ?」
夕暮が差し込もうとしている中、唐門の
青い服の女性は南溪だ。
嶺南剣派伝承者たるその
しかし、ただの鉄屑ではない。見事と褒める他なき一刀両断された鉄鍋の
白い服の女性は龍湘だ。
同世代では傑出した剣の腕を持ち、出会う悪党全ての首を討ち取った女侠である彼女は今、義姉妹の誓いを立てた南溪より発せられる、氷のような凍てつく視線に耐えきれず、少しでも耐えようと視線を地面へ向けていた。
それは物を壊して怒られる童女のようであり、そしてそれが今の彼女の立場そのものである。
「南女侠。そろそろお止めになられてはいかがかと。彼女にも悪気があったわけではありません」
静かに怒気を発する南溪を鎮めようと、声を挙げる男が一人。
彼こそ、数多の女性からの覚えもめでたい眉目清秀の青年『蒼松剣客』葉雲舟その人である。
ただ悲しいかな、今の南溪にとって、剣の腕や容姿は無用の長物でしかない。
怒りは薄皮一枚分も治まらず、黙って
「葉雲舟。私が何故ここまで龍湘を責め立てているか分かるか?」
「え? それは、鍋を壊したから、かと……」
「そうだ。なのに何故貴方は悪気の有無で諌めようとする?」
「義がないからです、南女侠。誰とて失敗することがあります。悪意があるならば強く戒めるのも当然ですが、悪意がないならば
「葉小侠。私は義で龍湘を責める気はない。また、龍湘が理で制することができる武侠の者だとも思わない。義によって治まるならば、私の怒りは既に治まっている。理で片付くならば、龍湘は今回の失敗をしていない」
「それは……仰るとおりです」
葉雲舟は南溪の思いがけない反論にひるんでしまった。
一度勢いが付いてしまった南溪の
「知らないようだから教えてやる。そこにいる我が義姉にして殺人魔の龍湘は、ひと月前にはまな板ごと具材を断ち、一週間前には
「いえ、寡聞にして存じません……」
「『まな板なら切れてしまうが鍋なら切れないだろう』と」
「……」
予想外の言葉に葉雲舟は言葉を失った。
「切らないための工夫から、まな板代わりに鍋に置いて具材を切り分けようとした。すると、『切りにくい』という当たり前の結果から、あろうことか天觴剣を持ち出して鍋ごと断ち切った! 借り物の鍋を、だ」
「えぇ、と……その……」
「確かに龍湘には悪意はない。でも悪意はなくとも殺意がある! これを戒めるのが義姉妹たる私の使命ではないか。如何か葉雲舟」
「……南女侠の仰るとおりです」
ここに勝敗は決した。しかし、負けた相手を責め立ててはならないと誰が決めたのか?
怒れる南溪の口功は未だ止まらず、何故龍湘を庇うのか。そばにいたのならなぜ止めないのか。そうだ、妹君のいたずらでこの前大変なことになったなど、徐々に脱線する始末である。
一人の女性を脇に置き、女が男を責め立てる。端から見れば、まるで浮気現場を押さえられた夫婦喧嘩のようにも見えるかもしれない。
しかし、その場にいるものにとっては、たまったものではない。
南溪の怒声は徐々に高まり、葉雲舟は治める術を知らず、龍湘は目尻に涙を溜めていた。
実のところ南溪は、もう止めようとは思っているのだが、言葉を吐き出せば吐き出す程に、知らず知らずに怒りが込み上げてしまっているのだ。
それに気付いて自制をしようとしてもうまくいかず、己の未熟さを思い知り、ますます怒りが高まっていくという悪循環を引き起こしていた。
立場と言葉が違えども、今、彼らの心は一つである。
―――どうにかして、早く終わらないか。
彼らのやりとりに、外堡の住人達も心配半分野次馬根性半分で集まり出した時、一人が彼らへ声をかけた。
「御三方、一体どうしたんだ?」
趙活だ。
醜い、という以外に取り立て上げるべき特徴のない男だが、今の南溪達にとってみれば、菩薩如来の降臨とさえ思っただろう。
「趙兄」
葉雲舟は長雨の中に差し込んだ、日の光を見たかのように彼を迎えた。
「弟よ!」
龍湘は荒海に溺れながら、偶然にも
「趙活」
南溪は迷子になった妹が、迎えに来た兄を喜ぶように彼の名を挙げた。
そんな三者三様の大きな期待を抱かれていると、露ほどにも思わない趙活は軽い気持ちで言葉を続けた。
「ざっと見るに……姉さんがやらかしたんだな、何を壊した?」
「うぐっ」
「鍋よ。この通り」
南溪が手に持った鍋だったものを見せびらかすように揺らした。
「うおっ、すげぇ切り口……姉さん、鍋は悪党じゃない」
「知ってるわ! あ、いえ、知っています……」
「こりゃかなり南女侠に絞られたな。となれば今更俺がアレコレ言う必要もないか。南溪、湘姉への罰はまだか?」
「お説教なら十分に」
「まだってことだな。罰は俺が決めていいか?」
趙活の提案に、南溪は少し悩んでから
どのみち、南溪には龍湘への適切な罰など思い付かなかったので、渡りに船でもあった。
「ということで姉さん、鍋を叩き切った罰として
「勿論! 南姉、本当にごめんなさい。いつもあなたには迷惑ばかりかけてしまって」
「……分かってくれるならいい。私も龍姉に、その、言い過ぎた、と思う」
南溪からの和解の言葉に、龍湘の気分は大きく晴れ渡り、
「葉兄、疲れているところ悪いんだが、姉さんを見張ってくれないか。あの様子だと用意している木材だけじゃなく、目に付いた木という木を全て、薪に変えてしまってもおかしくない」
「はい、お任せください、趙兄」
手持ち無沙汰にしていた葉雲舟も、仕事を割り振られると生き生きとなった。
実のところ、口功で責め立てられた南溪から、いったん離れて落ち着きたいということもあったからなのだが、事情を知らない趙活は、文句の一つも言わずに仕事をこなす葉雲舟に、ますます感嘆の意を向けた。