「さて、
「仕事?」
「あぁ、この鶏を仕込むから、羽をもいでくれないか」
趙活は持ってきていた荷物を解き、締めた鶏を取り出す。
少しばかり機嫌を戻した南溪だったが、ムッと眉間にしわを寄せて抗議した。
別に龍湘に意地悪をしたいわけではないが、何となく、面白くなかった。
「少し、
「そうでもないさ。この鶏はそもそも、龍湘へのお礼として届けられたものだ。このまま姉さんに渡して炭になるのと、俺が
「ずるい質問だ」
(確かに、湘姉に渡しても炭になるだけだな)
南溪は真っ黒になった鶏を手にグスグスと泣きながら、炭をかじる龍湘の姿が簡単に想像できてしまい、おもわずクスリと笑った。
「それに鶏だけじゃない。野菜や米も貰っているから、今日はちょっとしたご馳走を作ろう。酒も持ってきたからな、今日は四人で酒宴だ。飲むぞ、飲むぞ、飲むぞ~!」
「おぉ……! あぁいや、それは嬉しいが、いいのか? 趙侠も多忙だろうに。料理までしてもらうのは……」
南溪は唐門に身を寄せるようになった後、自然と知るようになった。
趙活は外姓弟子であり、朝から晩まで雑用をしていることを。
自主的にとはいえ、死人に鞭を打つような真似に、南溪は少し尻込みをした。
「君は自分のことを低く見過ぎているな。『
「……」
料理の準備を進めながら、趙活は意気揚々と語る。
日々の忙しさなど、君たちに会えたことに比べれば苦にもならないと笑いながら。
ただ、南溪は『七星剣』の言葉に羽をむしる手をピタリと止めてしまった。
不自然な動きのため、流石の趙活でも気付く。
「南溪? 何か気に障ったか?」
「あ、いや、その……あれだ。他の二人に比べて、私の格が低いだろうと思ってな。少し気後れしたんだ、うん」
「そうか? まぁ、それじゃあこれは景気づけだ。ほら」
趙活は鶏などが入っていた荷物の中から、小さめの容器に入った何かしらの白い粉を一つまみ分だけ器に出し、南溪へと差し出した。
「これは?」
「調味料だ。一口どうぞ」
南溪は器を受け取り、ちろりと舌先で粉を舐めた。
すると、柔らかくも香り高い、果実の甘みが南溪の口内に広がった。
これは果糖だ。しかもとても丁寧に作られた、純度の高い高級品ではないか。
味と香りに頬を綻ばせながらその考えに至り、焦りながら趙活へ声をかけた。
「あぁ、甘い……。趙活、これは高いものじゃあないのか? ……趙活?」
対して趙活は言葉を失い、茫然としていた。
言ってしまえば実に下品なことなのだが、南溪の小さな舌が、器の上を滑らかに動く様子に趙活は目を奪われてしまっていたからだ。
それだけではない。果糖の甘さにも勝る甘い声、わずかに朱に染まった頬、桜の花びらのように薄紅色の唇。
南溪の所作の、どの場面を切り取っても、趙活の心を揺り動かすには十分だった。
「え? あぁ、何だって? 南溪」
「だから、高いものだろう? これ」
「まぁ量に比べて、高いと言えば高いが、おいしいものはダメになる前に口に入れなきゃあな、ハハハ!」
「……やはり疲れているんじゃないのか。酒宴はまた今度でも」
南溪が心配そうに趙活へ声をかける。
声をかけられた趙活は、なんとも不埒なことに、この瞬間、
―――もしそれを彼女が気付いたら、この関係は終わるだろう。
そんな未来を想像すると、氷雪に埋もれたように心が冷たくなった。
趙活は誤魔化すように、おどけて答えた。
「ヤダね。今日は飲むんだ! 頼むよ南女侠~。名士みたいに大侠達と酒宴を開きたいんだ。俺のささやかな夢を叶えさせてくれ、な?」
無論、南溪はそんな彼の内心に気付かない。
南溪が心の
趙活の幾年にも育てた
ただ、そうだとしても彼の声に込めた明るさは本物だ。
そうでなければ誰も騙せない。
だからこそ、南溪は彼の声が好きだった。
聞いていると不思議と元気が出てくる声だ。
虚飾と欺瞞で人を陥れようとする声ではない。
他人を想う、善人の声だ。
だからこそ、南溪はそれに応えた。
「そうだな。趙小侠の頼みなら聞かなくてはな」
素っ気ないが、春の陽光のような柔らかく暖かい声が、趙活の耳に届く。
それだけで体の奥底にある疲れが、
「そ、そんなに持ち上げられると……フヒヒッ」
「まぁ、よからぬことしたら切り落とせばいいしな。首とか。趙侠の血肉なら、七星剣も喜ぶだろう」
「祖先に誓って、一切そのようなことはいたしません!」
そんな冗談のような掛け合いをしながら、二人は調理の準備を進めていく。
「さて、私も仕事をしよう。いい加減な処理をして、粗末な鶏ももを出したら湘姉に斬られてしまう」
「湘姉はそれでも文句なく食べるさ」
「だろうな。ただ、『おいしいものはダメになる前に口にいれるのがいい』。そうだろう?」
「ハハハ、違いない」
南溪は鶏の処理を終えた後も、拙い手つきながら趙活の指示に従って準備の手伝いをした。
龍湘は薪置き場を薪で埋め尽くすも、何だか物足りずに山林へ向かおうとしたため、葉雲舟が言葉を尽くして何とか止めた。
夕闇の中、二人が帰ってくると、鶏ももをはじめとした料理と酒を趙活と南溪が準備していた。
龍湘は大いに喜び、葉雲舟も
外堡の一角に用意した一つの卓に四人が席を同じくし、お互いの武芸話を
葉雲舟は妹のために、宴もそこそこに先へ戻った。
月が頂点に達するころ、料理と酒を
龍湘は寝床で横になっても、よくできた
趙活は宴の後始末をした後、唐門の大院へと戻った。
同室の師兄達が、趙活が三宝剣――特に龍湘と南溪――と酒宴を共にしたことを知ると、唾を飛ばして 責した。今度は俺も呼べ。と。
趙活は同門からの妬みを話半分に聞き流し、南溪の琥珀色の瞳の光と、肉付き良い豊満な肢体を思い出しながら、まどろみの中へと沈んでいった。
―
―――
―
「あれ? ここは?」
気が付くと趙活は生まれ故郷の家にいた。
唐門から遠く離れた故郷に、何故いるのだろうか。
趙活は首をひねった。
「あなた」
愛しい彼女の声がした。
振り向くと、嶺南の衣を纏った南溪がいた。
しかし、『あなた』ときた!
そうだ、今や南溪の夫とは、
「夕飯の準備が整いました。早く家に入ってくださいな」
「お、おぉ……!」
趙活は南溪の淑やかな態度に、新鮮さと色っぽさに興奮たまらず、南溪へと近寄った。
まるで火に向かう
「ところで、あなた」
「何だろうか。わ、我が妻よ」
「えぇ―――あの女は誰だ?」
「え?」
唐突に南溪は殺気を向ける。末路は決まったのだ。
「妻のいる身で、どうしてお前は女を腕の中に抱いたんだ?」
「ち、違う! 誤解だ、南溪! 誤解なんだ!」
南溪は七星剣の柄を握った。末路は決まった。
「そうか。誤解か」
「そうだ南溪! 聞いてくれ!」
「誤解なら、勿論聞くとも」
「おぉ!」
「なら、喋らぬ首から下は不要だな?」
「え?」
七星剣が振るわれた。一振り両断。
醜侠、絶叫、首飛翔。
「あぁああああああああぁぁぁぁ~~!!?」
―
―――
―
宵の刻、趙活は多量の寝汗と共に目を覚ました。
何か恐ろしい夢を見たことは覚えていたが、その内容までは覚えていなかった。
それはとても幸運なことで、知らない方が幸せなのだ。