心が読めるスキルを持って貞操逆転世界に転生したので、エッチな妄想が可愛い聖女様を徹底的に堕として曇らせようと思う 作:ひきさん
人は、抗わなければ、幸せになれる。
ぼくは昨日、ナツミちゃんの足の下で、それを学んだ。
そして今朝、ぼくはもう一つ、新たな学びを得た。
それは、抗わないでいると、
「聖女様は早朝より、サマー公爵家へ向かわれました」
召使長は、ぼくの朝食の皿を置きながら、そう言った。
サマー公爵家。
ぼくが、神の足元に跪く幸福な平穏の余韻の中で、すやすやと眠っていたあいだに。
ぼくの聖女様は、ぼくの神様のところへ、一人で行ってしまっていた。
――いったい、何が起こった?
……いや、いったん落ち着け。
こういう時こそ、人は冷静さを保たなければならない。
ぼくには、心を読む力がある。情報が足りないなら、集めればいい。
「召使長さん。聖女様は、ほかになにか、おっしゃっていませんでしたか?」
ぼくは皿を受け取るふりをして、情報を得ようと、召使長の指先に自分の指を触れさせた。
(……ゆ、指……また、指が……いけない、この子は聖女様の召使、わたしのような年増が、こんな、ああ、でも……)
情報は、ゼロだった。
ぼくは、そっと召使長さんにお礼を言い、それから、家で待つことにした。
まあ、考えてみれば――
――これはラブコメ的には、むしろ正しい展開ではないか?
ヒロインAが、主人公抜きで、ヒロインBのところに乗り込む。ラブコメにおいては、王道中の王道といえるシチュエーションである。
そして、ここから先の展開について、ぼくの明晰なるラブコメ脳が、前世ですでに幾度となく読んできた主人公たちの経験から、ある未来を演繹できる。
まず、修羅場になることに間違いないだろう。次に、どちらかが泣いて逃げ出す。そうして、ヒロインは主人公のもとに辿り着く。主人公はヒロインを抱きしめ、告白され、物語は次の段階へ進む。
――いいだろう。
鳴くまで待とうホトトギス、と洒落こもうではないか。
ラブコメにおいて、主人公とは、しばしば待つ側であるものだ。
ぼくは、待った。
午前中、床を磨きながら、修羅場の光景を想像した。予想1。ナツミちゃんがモモを泣かせる。順当である。あの女神に勝てる人類はいないからである。予想2。モモが泣きながらぼくの名前を100回呼び、ナツミちゃんがそれを笑う。妥当である。あの少女は極めて純粋かつ愚直であるために、ナツミちゃんの前では児戯のごとく弄ばれるだろう。予想3。モモが踏まれる。――これは大穴だが、あり得る範疇にある展開だ。あの女神は、ぼくを踏んだ翌日に聖女を踏むくらいのことは、朝飯前にやってのけるだろう。それほどまでに、ナツミちゃんとは、畏怖すべき、恐ろしき、圧倒的ラブコメ力と小悪魔性を併せ持った真の女神なのであるから――
昼、昼食を食べながら、ぼくは、そろそろモモがこちらに来る頃だと思った。
来なかった。
午後、洗濯物を干しながら、ぼくは、さすがにもうそろそろモモが泣きつく頃だと思った。
モモは、帰ってこなかった。
夕方、干した洗濯物を取り込みながら、ぼくは、一つの重要な事実に気づいた。
――ぼくは、いま、
我らが聖女様は、いま、ぼくに絶対服従の身である。
その聖女様が、ぼくに一言もなく、一日中、帰ってこない。
一方の我らが女神は、ぼくを踏み、ぼくを飼い、ぼくを自分のものにした。その神様もまた、ぼくを一日中、呼ばない。
絶対服従の相手にも、絶対服従している相手にも、同時に、放置されている。
これは――
果たして、ラブコメ、なのか――?
ぼくの明晰にて広範なるラブコメ脳をもってしても、該当するラブコメ類型は、一片たりとも見つからなかった。
強いて言えば――
これは物語において、留守番と呼ばれる状況にあたる。
特定のキャラクターが、特定のイベントにおいて、なんらかの必然的理由から、あるいはなんらかの作者的都合から、そのイベントに参加せず、そのイベントの間登場しない。
これを、物語の世界においては、しばしば留守番と呼ぶ。
しかし――
一般に、主人公とは、留守番をするものではない。
断じて違う。
そんな根本的にして深遠な問題を抱えながら、それでもモモを待つしかないぼくが、洗濯物を抱えて途方に暮れていると――
――公爵家の紋章が入った馬車が、屋敷の門をくぐってきた。
降りてきた使いの女は、ぼくを見つけると、一通の手紙を差し出した。
サマー公爵家当主、ナツミ・サマーの封蝋入りである。
『タカフミくんへ。モモちゃんは今日、わたしのおうちにお泊まりです。モモちゃんの寝間着一式を持って、すぐに来てくださいね。約束ですよ? 追伸。ワンちゃんは、もちろん、馬車の床に座ってくださいね♡』
……公爵家の正式な書状に、♡が書いてある。
もちろん勤勉なる召使であるところのぼくは、聖女様の寝間着を鞄に詰め、すみやかに馬車の床に座った。
放置されず、きちんと役割を与えられ、さらに♡までつけてもらいラブコメ的歓びに身を浸す。
なにかが間違っている気もするが――
――ぼくは、いま、幸せだった。
*****
昨日踏んでくれた女の子の家に、ぼくに絶対服従している女の子の寝間着を持って、犬として、馬車の床に座って、到着した。
簡潔に状況を整理してみると――
このラブコメは、おかしい。
根本的にジャンルごと崩壊している気がしてならない。
どうして、こうなった――?
ぼくはただ、聖女様を堕として曇らせる、そんなささやかな望みを抱いていただけなのに――
無限に続きそうな思考に配慮されることもなく、ぼくは応接間に通される。
そこに、二人がいた。
二人の美少女が、ソファに並んで座っている。
だが、なにかがおかしいことは0.0000000003秒のうちに理解できた。
モモは、いつもの白い聖衣のまま、背筋を伸ばして、聖女の顔をしていた。その左手が、隣の美少女の黒髪を、ゆっくりと撫でている。
というのも――
撫でられている方は――
ナツミちゃんは――
膝枕、されていた。
ツインテールはほどかれて、肩に流れていて、横向きになった頬に、髪が一筋、張りついている。
そうしてナツミちゃんは、モモの太ももの上に、自らの頭を預けていて――
昨日、ぼくの上で女神のように微笑んでいた、あの絶対に打ち勝てないはずの小悪魔が――
まるでモモの従順なるペットのように――
モモに、甘えていたっ……!
「……あ。タカフミくん。来てくれてありがとうございます」
……なんだ?
なんだ、いまのは。
あのナツミちゃんが、ぼくの名前を呼んで、素直に感謝する。
からかわない。踏んであげましょうか、とか言わない。犬は床に座ってくださいね、とか言わない。
ナツミちゃんは、ただ、ぼくの名前を呼んで、感謝した。
……病気か?
あのナツミちゃんが、ぼくをからかわない。それは、ぼくの知っているこの世界の法則において、モモが自らの性欲を失うのと同じくらい、天地がひっくり返ってもあり得ないことである。
ぼくが鞄を抱えたまま硬直しているあいだに、ナツミちゃんは、自らの上位に位置するモモを見上げた。
そして、言った。
「おかあしゃま。タカフミくんが、来ました」
……おかあ、しゃま?
いま、なんと言った?
ぼくの聞き間違いか?
この若さにして、ぼくは不可解な幻聴に悩まされていた。
おかあしゃま。
ナツミちゃんが。
モモを。
――おかあ、しゃま?
「うん」
モモは、ナツミちゃんの頭を撫でたまま、頷いた。
それから、ぼくの方を向いて、聖女の顔のまま、言った。
「神様。いらっしゃい」
神様。
一人の少女が、一つのソファの上で、母と、聖女と、信徒を、同時にやっている。
いったい――なにが起きた?
今朝から、この夕方までの、たった半日のあいだに、この家で、いったいなにが起きた?
……いや、考えるより――
いまは、確かめる方が早い。
「聖女様。お召し物を、お持ちしました」
ぼくは鞄を差し出し、その受け渡しにかこつけて、モモの右手に、自分の指を触れさせた。
(やった! やったやったやった! わたしは、やりとげたのだっ! 我が敵を絶対服従させた! 全部、神様が示してくださった正解の通りに、うまくいった! そして、この女は――この女は、ついに、わたしの手で泣いた! 泣きわめいた! なぜか、おかあしゃまと呼ばれるようになっているが――不可解にも理由はまったく分からないが――しかし、この女はもう、わたしのものになったことに間違いはない! よって、この女のものである神様は、わたしのものである! Q.E.D.!)
「ひゅいっ」
ぼくの口から、変な声が漏れていた。
「……神様?」
「いや……なんでもない。ちょっと理解できない深遠な問題に出くわしただけだ」
ナツミちゃんが、ふふっ、と小さく笑った。
……。
えっ……!?
何が……
何が、起きた……?
……整理しよう。冷静に整理しなければ、このあまりにも困難な事態を理解することは不可能だ。
まず、情報量が、多い。
多すぎる。
あまりにも理解困難な思考が多すぎた。
だが、ある一点だけは、はっきりと理解できてしまった。
ぼくがあの夜、モモにした、あの一連の、あの――
モモは、何らかの手法により、ナツミちゃんに、施した。
そして、
そうしてモモは、ぼくの女神の、神となった。
……嘘だろ?
あのナツミちゃんが、モモに、服従した?
前世と今世、二つの人生をかけてぼくを踏みつづけてきた、あの、絶対で、自由で、傲慢なる小悪魔が――
誰よりも愚かなる聖女に、服従している……?
なんということだ。
ぼくは、いま、生まれて初めて、人生においては自分のちっぽけな想像を遥か上回る、あまりにも理解困難な事態が時に起きるということを知った。
前世では、そんな発想すらなかった。
ナツミちゃんは、決して服従なんてするはずもなかった。ぼくを惑わし、誘惑し、支配し、そして曇らせる、完全なる天上の存在だった。
ナツミちゃんとは、ぼくのような地を這う童貞が、天上から降ってくる気まぐれな微笑みに一喜一憂し、勝手に曇り、勝手に晴れ、勝手に妄想し、勝手に自らを慰める、そういう営みのすべてを司る女神である。
その、天上の側が誰かに服従するという事態は、ぼくの論理体系に、そもそもとして全くもって存在すらしていなかったのだ。
だが、ぼくは、いま、見てしまった。
髪が頬に張りついたナツミちゃんを。
膝枕してもらい甘えるナツミちゃんを。
モモのことを、おかあしゃまと呼ぶ、ナツミちゃんを。
結論として――
――女神は、服従するのだ。
「……あれれ?」
女神の、声がした。
さっきより、少しだけ、高い声だった。
「ワンちゃん……いま、わたしの顔を見て、なにか、考えましたよね?」
――どきり、とした。
触れていない。ぼくの手は、ナツミちゃんに触れていない。読まれるはずがない。
「顔に書いてありますよ? こんな事態が起きるはずがないって」
ナツミちゃんは、女神は、にこりと微笑んでいた。
「残念ながら――モモは本物の聖女で――本物の、わたしのおかあしゃまです。異論は認めません」
……?
……待って待って待って。
前世を含めたぼくのすべての人生において、初めて観測するシチュエーションに、ぼくの明晰な頭脳が破壊されている。
なんなんだ。
なんなんだ、この状況はっ……!
「ワンちゃん♡」
――そのとき、ぼくの背筋に、雷が走る。
「は、はい、ナツミちゃん……」
「ちゃんとそこに座ってください。……床に、ですよ?」
ぼくは、床に座った。
ソファの上の二人を、下から見上げる形になる。
ナツミちゃんは、それを確認すると、また、モモを見上げた。
「おかあしゃま。ワンちゃんを、座らせました」
「うん。えらい」
……?
なぜ、ぼくが座って、ナツミちゃんが褒められるのだ。
いや、それ以前の問題がある。
切り替わっている。
ナツミちゃんの中で、ぼくに対する回路と、モモに対する回路が、まったく別のものとして動いている。ぼくには、絶対の唯一神。モモには、母を前にした子供。それが、いま、同時に可能性として重ね合わせられている。
そしてモモは、ぼくには信徒として頷き、ナツミちゃんには母として頷く。こちらも、二つの役割が同時に存在してしまっている。
ぼくの明晰なラブコメ脳が、猛烈な勢いで、このかつてないほど困難な状況の分類を試みる。
まず、事実を整理しよう。
1.モモは、ぼくに絶対服従している。これは、あの朝、モモ自身が自ら誓った絶対の法則である。
2.ぼくは、ナツミちゃんに絶対服従している。これは、昨日、ぼく自身が、ナツミちゃんの足の裏で誓った、絶対の安寧である。
3.ナツミちゃんは、モモに絶対服従している。ナツミちゃんは、モモをおかあしゃま、と呼び、えらいと言われて極めて嬉しそうににまにまとしている。
……一周、している。
モモはぼくに。ぼくはナツミちゃんに。ナツミちゃんはモモに。
ぼくの神様は、ナツミちゃん。ナツミちゃんの神様は、モモ。モモの神様は、ぼく。
つまり、ぼくは、ぼくの神様の神様の、神様である。
……。
なんだそれは。
いや、待て。逆から回ってみよう。
ぼくは、ナツミちゃんの犬。ナツミちゃんは、モモの子。モモは、ぼくの信者。
つまり、ぼくは、ぼくの信者の子の、犬である。
……。
神様の神様の神様であり、信者の子の犬。
頂点にして、底辺。
頂点と底辺が同じ場所にある図形を、ぼくは知らない。
三角関係のすべてが神であり底辺であるラブコメも、記憶にない。なさすぎる。
一般に、三角関係には、勝者がいる。ハーレムには、中心がある。寝取られには、寝取る者と、寝取られる者がいる。
だがここでは、モモはぼくをナツミちゃんに寝取られ、ぼくはナツミちゃんをモモに寝取られ、ナツミちゃんはモモをぼくに寝取られている。
三人しかいないのに、全員が、寝取られている。しかも全員が、それぞれの寝取った相手に、絶対服従している。
……ぼくの、このぼくが、ここまで楽しく育ててきたはずの異世界ラブコメは――
突如として、ぼくたちが知るラブコメというジャンル、ラブコメという時空の遥か外、誰も見ぬ異次元の亜空間、圧倒的に未知すぎる理解不能な高次元に、脱出してしまった……!