鎮守府の地下深く、妖精たちが支配する不可侵の領域たる建造ドック。溶鉱炉の熱気が立ち込めるその空間へ足を踏み入れたヤン・ウェンリーは、出迎えた小さな職人たちに向けて、兵器の「近代化改修」や「改装」という概念について身振りを交えて尋ねた。
すると妖精たちは、鍛冶作業のハンマーを止め、総毛立つほどの自信に満ちた動作で一斉に首を縦に振った。ヤンの歴史的推論は正しかった。このオカルトに支配されたシステムの中にも、兵器としての性能を一段階引き上げる「進化」の機能は明確にプログラムされていたのである。
「素晴らしい。ならば、彼女――金剛の改装は今すぐ可能なのかい?」
ヤンが傍らに立つ戦艦を指し示すと、妖精たちは先ほどの自信をすっかり引っ込め、短い両腕を頭の上で交差させて明確な「バツ(×)」のサインを作った。
「オーウ……ショックデース……」
金剛が分かりやすく肩を落とし、あからさまな落胆の声を漏らす。激戦をくぐり抜け、高速修復材(バケツ)によって船体のダメージも完全に癒えた今の自分に何が足りないというのか、納得がいかない様子であった。
だが、妖精たちも無慈悲にそれを切り捨てたわけではないらしかった。落ち込む金剛の姿を見た彼らは、何やら額を寄せ合い、身振り手振りを交えて熱烈な議論――無音の白熱した会議――を交わし始めたのである。
そして、やがて意見がまとまったのか、代表格と思しき一人の妖精が大淀の足元へと歩み寄り、彼女のスカートの裾を引いて懸命にジェスチャーによる伝達を始めた。大淀はしばらくその複雑なパントマイムを真剣な眼差しで解読していたが、やがて深く一つ頷き、ヤンの方を振り返った。
「提督。どうやら彼女たちからの伝言は、『明日また来てほしい』とのことです」
大淀の通訳が正確であることを証明するように、足元の妖精たちが一斉に力強く首を縦に振る。何らかの特殊な資材を準備するための時間が必要なのか、あるいはオカルト的な冷却期間が求められているのか。論理的な理由は定かではないが、明日になれば新たな扉が開かれるという確約だけは得られた。
「わかった。専門家の意見には素直に従うのが、怠惰な司令官の唯一の美徳だからね。それなら、その通りにしよう」
ヤンはボサボサの黒髪を掻きながら、軽く肩を竦めた。
「果報は寝て待てと言いマース!」
と途端に機嫌を直した金剛の背中を促しつつ、不敗の魔術師は謎多き建造ドックを後にする。明日の朝、この理不尽な世界が自らの手駒にどのような新たな力を与えてくれるのか、用兵家としての静かな期待を胸に秘めながら。
■
そして、その日の夕方。ヤンは次の一手を打つために、新たな作戦を考案する。集められたのは、軽巡洋艦・神通を筆頭とする第六駆逐隊の面々と、軽空母・瑞鳳。横須賀鎮守府が誇る、最も機動力に優れた俊足の部隊である。ヤン・ウェンリーは作戦会議室の海図に広がる広大な南方の海域へ、静かに指示棒を滑らせた。
「明日の夜、君たちには出撃してもらう。任務はバシー海峡からフィリピン沿岸にかけての長距離偵察だ」
ヤンは冷めかけた紅茶を一口啜り、真っ直ぐな瞳で少女たちの顔を見渡した。
「今回の主目的は、あくまで敵の巨大な兵站拠点の特定と情報収集にある。決して、敵の撃滅ではない。私がこの任務に君たちを選んだ理由は、ひとえにその『足の速さ』にある。敵の懐を三十ノット近い高速で駆け抜け、決して捕まらないこと。これが絶対条件だ」
神通がその戦術的意図を完璧に理解したように静かに頷き、瑞鳳が真剣な面持ちで背筋を伸ばす。
「出撃は明日の日没後とする。太平洋側からの出撃を偽装し、敵の目を完全に欺くため、まずは日本列島の沿岸に張り付くようにして瀬戸内海へと潜り込んでほしい。そこから豊後水道を抜け、一気に南方の沖ノ鳥島方面へと転進する」
ヤンの指示棒が、海図の上を鋭く縦断した。大きく迂回する欺瞞ルートだが、それゆえに敵の哨戒網の意表を完全に突くことができる。
「沖ノ鳥島周辺の海域に到達し次第、瑞鳳は索敵機を発艦させてくれ。敵の拠点化が進んでいると思われるフィリピン沿岸の状況を、空から丸裸にするんだ。ただし、道中は完全な無線封鎖を維持すること。空からの報告は、母艦への発光信号か、通信筒の投下による目視確認に頼ることになる。苦労をかけるが、頼めるかい?」
「はいっ! 妖精さんたちには、しっかりと伝えておきます。空からの目は、私にお任せください!」
瑞鳳が力強く請け負うと、ヤンは満足げに頷いた。
「艦隊は沖ノ鳥島からフィリピンに向けて、東から西へと時速三十ノット前後を維持したまま、止まることなく最大の速力でクルージングをしてほしい。敵の哨戒に見つかっても、決して足を止めて撃ち合ってはならない。情報を拾い集めたら、そのまま黒潮の流れに乗って一気に北上し、横須賀へと帰還する」
ヤンは指示棒を置き、いつになく真剣な眼差しで歴戦の少女たちを見つめた。
「英雄的な戦果は一切求めない。一枚でも多くの敵の海図を持ち帰り、そして……全員が必ず生きて帰ってくること。それがこの作戦のすべてだ。頼んだよ」
不敗の魔術師の理にかなった、しかし何よりも部下の命を重んじる命令に対し、神通と第六駆逐隊、そして瑞鳳は一糸乱れぬ動きで姿勢を正した。
「了解いたしました!」
彼女たちの清冽な敬礼が、決戦を前にした作戦会議室に頼もしく響き渡った。
■
翌日の朝。ヤン・ウェンリーが日課であるぬるい紅茶を啜りながら書類仕事に手を付けようとした矢先、執務室の扉をノックする者がいた。
現れたのは、昨日「明日また来てほしい」とジェスチャーで伝えてきた建造ドックの妖精たちであった。彼らは作業着の袖をまくり上げ、準備は万端に整ったと言わんばかりに胸を張り、ヤンのズボンの裾を引いて廊下へと促した。ヤンは、
「どうやら私のスケジュールは、彼らによって完全に管理されているらしい」
と苦笑しながら立ち上がり、大淀と金剛を伴って、再び地下の建造ドックへと向かうこととなった。しかし、その道中において、ヤンの優れた記憶力と、そうでもない空間把握能力が、ある奇妙な異常を告げた。
地下連絡通路の曲がり角。昨日まではただの無機質なコンクリートの壁面であったはずの場所に、真新しい、しかし重厚な鉄の扉が突如として出現していたのである。
「……大淀さん」
ヤンは足を止め、その異物を示すように顎をしゃくった。
「私の記憶違いでなければ、昨日はこんな場所……いや、こんな扉は無かったような気がするんだが?」
「確かに、そうですね。鎮守府の施設図面にも、このような空間は記載されていません」
大淀が怪訝な顔で手元のバインダーの資料と実物を何度も見比べる。
「私も知らないデースね? 鎮守府の探検は隅から隅までやったハズなんデスが」
金剛も不思議そうに首を傾げた。近代的な軍事基地の構造物が、たった一晩で、しかも誰の許可もなく増築されるなど、常識的な物理法則と軍の官僚主義を真っ向から否定する現象であった。
「工兵隊も真っ青の施工速度だな」
とヤンがぼやいていると、先を急ぐ妖精たちが「寄り道をしている場合ではない」とばかりに、再びヤンのズボンをぐいぐいと引っ張り始めた。
「わかった、わかった。謎の扉の調査は後回しにしよう」
ヤンたちは妖精に急かされるまま、建造ドックへと足を踏み入れた。しかし、そこでヤンを待ち受けていたのは、昨日以上の不可解な光景であった。ドックの中央、普段は空になっているはずの台座の上に、分厚いキャンバス地のヴェールにすっぽりと覆われた「新造艦」のシルエットが鎮座していたのである。
「……新しい艦娘かい?」
ヤンが驚きつつ妖精たちに尋ねると、彼らは力強く首を縦に振った。
「建造開始のボタンなど、私は押していなかったはずだが?」
ヤンがさらに問いただすと、妖精たちは悪びれる様子もなく、むしろ「サプライズ大成功」とばかりに全員で満面のサムズアップを決めてみせた。
資源の投入も、司令官の決裁も経ずに、兵器が自己増殖(あるいは自然発生)する。もはやヤンが長年学んできた軍事学や経済学のあらゆる理論が、この地下空間では紙屑同然であった。
「……なんともまぁ、デタラメな。それで、この新造艦は一体どういうものなんだい?」
ヤンがそう問いかけると、妖精さんたちは嬉しそうにうなずいた。そして、妖精たちの合図と共に、ヴェールが滑車で引き上げられる。白煙の中から姿を現したのは、戦艦のような巨大な主砲も、空母のような飛行甲板も持たない、しかしどこか職人めいた機能的な艤装と、頭に溶接用のゴーグルを乗せた見慣れぬ少女であった。
「工作艦、明石です。提督、修理や改修ならお任せくださいね!」
彼女は朗らかな笑みを浮かべ、ヤンに向かって美しい敬礼を見せた。戦闘を主眼とするこれまでの艦娘たちとは明らかに毛色が異なる、技術者としての気風を纏ったその姿に、ヤンは
「なるほど……オカルトか。OK、まぁ、うん。飲み込む、呑み込もうじゃあないか」
と深く頷いた。そして、気を取り直すと、明石に右手を差し出した。
「ヤン・ウェンリーだ。着任したばかりの怠け者の提督だが、君のような技術の専門家が来てくれるのは、どんな大艦隊の増援よりもありがたいよ」
ヤンが挨拶を返すと、明石は
「ふふっ、光栄です」
と微笑みながら、ヤンの手を握る。その直後、足元の妖精たちがワチャワチャと明石の周囲に群がり、何やら複雑な身振り手振りで激しい情報交換を始めた。明石は彼らのパントマイムをウンウンと頷きながら解読し、
「なるほどなるほど」
「ええ、準備はバッチリよ」
と、完全に意思疎通を図っている。その超常的な光景に、ヤンだけでなく大淀や金剛までもが
「一体何を話しているのデース?」
と首を傾げるしかなかった。やがて打ち合わせを終えたらしい明石が、ヤンたちに向かってニッコリと微笑んだ。
「お待たせしました、提督。それでは、どうぞこちらへ」
明石が先導してドックを出ると、彼女が向かったのは、つい先ほどヤンたちが首を傾げながら通り過ぎたばかりの、あの『謎の扉』の前であった。
■
妖精の一人が慣れた手つきで重厚な扉のロックを解除し、ドアを開け放つ。中に広がっていたのは、単なる倉庫などではない。巨大なクレーン、旋盤、オカルト的な青白い光を放つ溶鉱炉、そして無数の工具が整然と並べられた、まるで錬金術師の工房と近代的な兵器工場を掛け合わせたような、一種異様な熱気を帯びた空間であった。
「ここは……」
「ここは『工廠(こうしょう)』です」
驚きに目を見張るヤンたちに対し、明石は胸を張り、その空間の主として高らかに宣言した。
「私とこの子たちに資材とご依頼をいただければ、艦娘たちの『改装』や、新しい『装備の開発』が行えますよ! 提督の艦隊をもう一段階強くするための、専用の工房というわけです!」
一晩で空間を拡張し、自らの手で技術者を呼び寄せる。
それが、オカルトに支配されたこの鎮守府の「回答」であった。ヤン・ウェンリーは、呆れを通り越して感嘆の息を漏らし、新たな歴史の扉を開くための工房へと、ゆっくりとその足を踏み入れた。