真新しい、しかしどこか長年使い込まれたような油と鋼の匂いが漂う巨大な地下空間。並べられた旋盤やクレーン、そして青白い火を噴く溶鉱炉をぐるりと見渡しながら、ヤン・ウェンリーは呆然とした声を出した。
「……これはつまり、この空間ごと、妖精さんたちが一晩で作り上げたということか。大淀さん」
「そう、ですね。私もこの鎮守府に長くおりますが……このような施設を見るのは初めてです」
普段は冷静沈着な秘書艦である大淀も、バインダーを抱えたまま完全に呆気に取られていた。物理的な空間の拡張、資材の無からの生成、そして未知の設備の構築。近代建築学と物理学の常識を木っ端微塵にするその所業の主たちはといえば、ヤンの足元で「どうだ、びっくりしただろう」と言わんばかりに、小さな胸を反らせてドヤ顔を決めている。
「いやはや、本当に、いきなり出現するのだな……。私の学んできた宇宙物理学だの空間幾何学だのといった学問は、この鎮守府では旧世紀の錬金術以下のガラクタらしい」
ヤンは呆れ半分、感嘆半分の溜息を吐きつつ、気を取り直して目の前の新顔――工作艦を名乗った溶接ゴーグルの少女に向き直った。
「それで、改めて……。明石、と言ったか。ここでは実際、何が出来るんだい?」
「はい。艦娘の『改装』と、新たな『装備の開発』です」
「ほう。私の貧困な想像力ではいまいちピンとこないな。詳しく説明してほしいのだが」
ヤンが腕を組んで先を促すと、明石はコホンと一つ咳払いをして、まるで熟練の工廠長が新任の士官に講義をするような、自信に満ちた口調で語り始めた。
「では、改装からですけれど――、これは端的に言えば、艦娘の性能の底上げです。実戦や演習を重ねて練度(経験値)が一定のラインに達した艦娘に対し、資材を投入することで、船体や艤装を一段階上のものへとアップグレードさせます。火力、装甲、対空能力などが劇的に向上しますよ」
「素晴らしい。兵器の近代化改修というわけだね」
「はい。ただ……」
と、明石は少しだけ申し訳なさそうに人差し指を立てた。
「出力が上がり、艤装が大型化する分、燃費は悪化するので留意してほしいとのことです。一回の出撃で消費する燃料や弾薬の量が、これまでよりも増えてしまいます」
「……なるほど。オカルトの世界であっても、質量保存の法則やエネルギー効率の原則だけはちゃっかりと適用されるというわけか」
ヤンはボサボサの頭を掻き回した。大出力を得れば、それだけ大食らいになる。兵器開発の歴史において、用兵家と補給部隊を常に悩ませてきた普遍の真理である。最前線の火力を取るか、兵站の維持を取るか。その悩ましい取捨選択を、このシステムは司令官たるヤンに突きつけてきているのだ。
「で、もう一つの『装備の作成』だが、こちらはどういう理屈なのかな?」
「開発です。そうですね……概念として少し難しい所ですが、『依り代(よりしろ)』みたいなものと考えてくれればいいと思います」
「依り代?」
「はい。艦娘たちが持つ力や、歴史上の兵器としての記憶を引き出すための、文字通りの『触媒』です。例えば、主砲の依り代を持たせればより強力な砲撃が可能になり、電探(レーダー)の依り代を持たせれば、索敵能力が向上し、砲雷撃戦の命中率が向上したり、暗闇でも敵を見つけやすくなります」
明石の解説を聞きながら、ヤンは空母・加賀の姿を脳裏に思い浮かべていた。瑞鳳との模擬戦でも、彼女が手にした和弓から放たれたただの「矢」が、空中で零式艦上戦闘機へと実体化し、そのコックピットには妖精さんが乗り込んで操縦桿を握っていた。あの非科学的な現象も、加賀が「戦闘機」という概念の依り代を装備していたからこそ発現した奇跡なのだろう。
「……加賀の航空機が、矢から戦闘機になり、その中に妖精さんが乗っていることを鑑みるに……まぁ、それが事実なんだろうな」
ヤンは、半ば思考を放棄して現実逃避気味に呟いた。理屈で考えるだけ無駄だ。事象(結果)が存在する以上、それを受け入れて活用するしかない。
「しかし、そうすると疑問が残る。金剛らはどうなるんだい?」
ヤンは背後で話を聞いていた戦艦を振り返った。
「彼女たちは、今ここで新しく装備を作ってもらわなくとも、先日の激戦で立派に砲弾を撃ち、敵の装甲を貫いていた。何も装備をしていないのに砲弾が打てるとでもいうのかな?」
「そうですねー。まず提督は勘違いなされているのかと」
と答えたのは明石だった。
「金剛さんに限らず、艦娘は、顕現したその時から『初期装備』という形で、すでに依り代を持っていますからね。現状でも戦闘には全く問題はないんです」
明石は新たな装備が出来るであろう、炉を手で示すようにして言った。
「ただ、その工廠で作った新たな依り代を『交換』することによって、艦娘の役割を柔軟に変えることができます。例えば、金剛さんの……例えば、対空機銃の依り代を装備から外して、代わりに水上偵察機の依り代をセットすれば、索敵機の搭載も可能ですよ」
「……現状で?」
「ええ、現状で、です。大規模な改装を待たなくとも、装備を入れ替えるだけで」
「それは良い事を聞いた」
ヤンの黒い瞳の奥で、知的な閃きが鋭く光った。戦艦が自前で航空機を飛ばし、索敵の目を持つことができる。空母を絶対的な防空の傘として運用し、足の速い水上打撃部隊で敵を刺すヤンの戦術において、「目」が増えることの戦略的価値は計り知れない。
ヤンは腕を組み、工廠の青白い炉の火を見つめながら深い思考の海へと潜っていった。
(なるほど。少しずつだが、艦娘という存在の根本的な概念がわかってきたぞ)
ヤンの歴史家としての頭脳が、一つの仮説を組み上げていく。彼女たち艦娘は、単なる兵器の擬人化ではない。それはかつての地球の海戦史において、数多の人々の意志と血を吸い込み、海に沈んでいった鋼鉄の記憶そのものだ。いわば、オカルト的な表現を借りるならば、日本の古き信仰にある「神仏」や「付喪神(つくもがみ)」の類なのだ。
神社の御神体が、鏡や剣といった『依り代』を通してその神威を発揮するように。艦娘たちもまた、自らの魂の中に眠る強大な軍艦としての概念を、「主砲」や「偵察機」といった『装備(依り代)』を通して現実に投影しているのである。
依り代を強力なものへと入れ替えれば、顕現する力もより強大に、より精密になる。この工廠は、兵器工場というよりも、彼女たち神仏に捧げる新たな「神具」を鋳造するための祭壇なのだ。
「……面白い」
ヤンはふっと口元に笑みを浮かべ、明石へと向き直った。
「試しに何か装備を作れるかね? 明石」
「勿論です!」
明石は待ってましたとばかりに快活に笑い、炉の前に備え付けられたコンソールパネルをポンと叩いた。
「基本的には、艦娘の建造と変わりません。燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイト……この4つの資材の配分を提督が決めてくだされば、あとはこの工廠の炉で、私と妖精さんたちとで
「よろしい。ならば、先ほど話題に出た『索敵機』……水上機系の依り代を狙って、資材を配分してみるとしようか。空を飛ぶものだから、やはりボーキサイトが多めがいいのかね」
ヤンがコンソールに向かい、数字を入力するための思索を巡らせ始めていると、その後方で、一連の高度に形而上学的な会話に完全に置いてきぼりにされた二人が、ポカンと口を開けて立ち尽くしていた。
「……信じられません。初めてです、こんな……戦術の根幹を揺るがすような施設が、一晩で……」
「すごいデスねー……。なんだかよく分かりまセンが、ワタシ、もっと強くなれちゃうって事デスね!」
大淀は常識の崩壊に眩暈を覚えたようにこめかみを押さえ、金剛はどこか上の空で無邪気に歓声を上げている。不敗の魔術師の手に、また一つ、歴史の盤面を大きく覆すための新たな「手札」がもたらされた瞬間であった。
■
ヤン・ウェンリーがコンソールに弾き出した資材の配合レシピは、水上機、すなわち「空を飛ぶ目」を意図してボーキサイトを多めに割り振ったものであった。妖精たちが意気揚々と炉に飛び込み、カンカンと小気味よいハンマーの音を響かせる。オカルトの儀式は数分で完了し、ドックの中央には真新しい装備が恭しく並べられた。
しかし、そこに置かれていたのは、翼を持った航空機ではなかった。ずんぐりとした円筒形の機械装置が二つと、ドラム缶のような形状をした爆発物の投射装置が二つ。
「……ふむ」
ヤンはボサボサの黒髪を掻き回し、どこか達観したような苦笑を浮かべた。
「どうやら、オカルトの女神様は私の注文書を読み間違えたらしい。思い通りにはいかないわけか」
「も、申し訳ありません、提督……!」
工作艦・明石が、自分の失敗ではないにも関わらず、しゅんと肩を落とした。建造ドックの妖精たちも「あれー?」と首を傾げながら、互いに顔を見合わせてワチャワチャと反省会を開いている。どうやらこの世界の兵器開発(開発システム)には、理論的な確率論をあざ笑うかのような『乱数』という名の気まぐれが多分に介在しているらしい。
「いや、気に病む必要はないよ、明石。歴史を紐解けば、求めていたものとは違う失敗作から、画期的な発明が生まれた例は数え切れない。で、これは一体何に使う装備なんだい?」
「あ、はい! これは『九三式聴音機』と『爆雷投射機』です!」
明石はすぐに顔を上げ、技術者としての誇りを取り戻したように早口で解説を始めた。
「予定していた偵察機ではありませんが、これも絶対に必要になる重要な装備です! これを駆逐艦や軽巡洋艦の皆さんに装備してもらえれば、海に潜む厄介な『潜水艦』相手への絶対的な特効兵器(キラーアイテム)になりますよ!」
「潜水艦、か」
ヤンは顎を撫でながら、ソナーと呼ばれる金属の塊を見つめた。しかし、その瞳にはいつものような知的な閃きも、戦術的な興味も薄く、いまいちピンと来ていない様子であった。
■
―――ここで、一つの事実を指摘しておかなければならない。
不敗の魔術師ヤン・ウェンリーは、軍事史の権威であり、戦略・戦術の構築において並ぶ者のない天才である。大艦隊を三次元空間で縦横無尽に操る手腕は、芸術の域にすら達している。
だが、それはあくまで「宇宙空間」という特殊な環境下における話なのだ。
宇宙における艦隊戦において、敵を隠すものは小惑星帯や特殊なジャミング程度しかない。レーダーやタキオンセンサーは光の速度で虚空を走り、敵の動きは常に三次元の座標として可視化されている。「隠密行動」や「ステルス」という概念は存在するが、物理的な遮蔽物によって完全に姿を消すことは極めて困難である。
しかし、地球の海には「海水」という、電波を遮断し、光を屈折させ、音を歪める、極めて分厚く絶対的な物理障壁が存在する。
海面(サーフェス)と、海中(サブ・サーフェス)。
全く異なる二つの物理法則が重なり合う「海戦」特有の三次元戦闘――とりわけ、海という分厚いカーテンの向こう側に潜む「潜水艦」という暗殺者の真の恐ろしさを、宇宙の海しか知らないヤンは、知識としては知っていても、肌感覚としての『実感』を持っていなかったのである。
■
「テイトク? どうかしマシタか?」
金剛が不思議そうに覗き込むが、ヤンは、
「いや、水の中の敵というのは、どうにも実感が湧かなくてね」
と正直に肩を竦めた。そのヤンの反応を見た瞬間、明石の技術者としてのスイッチが入った。
「ぴ、ピンときてませんね、提督!」
明石はヤンの目の前まで詰め寄り、その目を真ん丸に見開いて熱弁を振るい始めた。
「潜水艦を甘く見ちゃダメですよ! 彼女たちは分厚い海の底に潜んで、こちらのレーダーや目視を完全に無効化して忍び寄ってくるんですよ!? そして、何の前触れもなく、一撃必殺の魚雷をこちらの旗艦や、丸腰の輸送船の横腹に叩き込んでくるんです!」
大淀も、明石の言葉に深く頷きながら補足した。
「明石の言う通りです、提督。深海棲艦の潜水艦は、攻撃手段としてだけでなく、姿を現さずに海域に留まることで、哨戒や偵察、味方の艦隊運動の監視まで完璧にこなしてしまいます。彼女たちに見つかれば、こちらの行動はすべて筒抜けになりますし、見つけたら直ぐにこの『ソナー』と『爆雷』で対応しないと、一方的に狩られるだけです!」
「姿を現さずに哨戒や偵察、敵情視察を行う……?」
ヤンの表情から、それまでののんびりとした空気がスッと消え失せた。
(――見えない敵。音もなく忍び寄り、こちらの情報を筒抜けにする監視者)
ヤンの脳内に、かつての同盟軍や帝国軍が用いていた指向性ゼッフェル粒子や、完全な電子兵装を備えた偵察艦の概念がフラッシュバックする。しかし、それは違う。ここは海だ。海中という完璧なステルス空間を利用し、敵が「見えない目」として海域に点在しているのだとしたら?
その瞬間、ヤン・ウェンリーの脳髄に、文字通り冷水でも浴びせられたかのような鋭い悪寒が走った。彼の優れた推論能力が、数日前に金剛から報告を受けた「ある不自然な事実」と、今この瞬間に得た「潜水艦の特性」を、最悪の形で結びつけてしまったのだ。
『テイトクの予想通り、太平洋側の南ルートは、見事にスッカラカンでしたヨ! 深海棲艦の影どころか、機雷一つ浮いていませんデシタ!』
「……待てよ」
ヤンは、自分でも驚くほど低く、冷たい声を出した。その異様な雰囲気に、明石も金剛もビクッと肩を震わせる。ヤンは自らのボサボサの黒髪を、指の腹で乱暴に掻き回した。いつもは冷静な彼が、明らかな『焦り』を露わにしていた。
「ヤン提督? いかがなさいましたか?」
大淀が恐る恐る尋ねるが、ヤンはそれに答えず、自身の頭の中で最悪のシミュレーションを猛烈な勢いで回転させていた。
(なぜ、私はあの不自然さに気づかなかった? 太平洋側に、敵の水上艦隊が『一隻もいなかった』理由。ハワイやグアムを中継拠点にしているはずの敵が、あんな広大な海域を完全に空白地帯にしておくはずがない。哨戒網を敷かないはずがないのだ。ならば、答えは一つしかない。敵は太平洋のルートに水上艦を配置していなかったのではない。『配置する必要がなかった』のだ)
ヤンの黒い瞳が、足元に置かれたソナーを鋭く射抜いた。
(敵は、我々の目には見えない海の中……『潜水艦』によるピケット・ライン(哨戒網)を、太平洋の海底に広範囲にわたって展開していたとしたら?)
もしその仮説が正しいとすれば、事態は極めて深刻であった。
金剛たちが「敵がいなかった」と判断して駆け抜けた太平洋の航路。そして、先日、呉へ向けて出航していった大輸送船団の航跡。それらの動きはすべて、海の底に潜む深海棲艦の潜水艦たちによって監視され、敵の中枢たるバシー海峡、あるいはフィリピンの司令部へと、筒抜けに報告されていた可能性がある。
「……私の完全な盲点だ。宇宙の常識に縛られ、海という戦場の本質(三次元構造)を根本から見落としていた」
ヤンは自嘲するように唇を噛み、しかし次の瞬間には、不敗の魔術師としての極めて冷徹で迅速な指揮官の顔へと切り替わっていた。
「明石。このソナーと爆雷投射機は、今すぐ装備可能なのか?」
「えっ? あ、はい! 駆逐艦や軽巡洋艦なら、妖精さんたちと協力すれば数十分で装備(セット)できますが……」
「大淀さん。申し訳ないが、バシー海峡への強行偵察へ出撃予定の第六駆逐隊から急ぎ二隻をここへ呼んでくれ。直ちにこの対潜装備を積ませる」
ヤンの唐突で強い口調の命令に、大淀は息を呑みながらも即座に敬礼した。
「は、はい! ただちに暁と響を呼び出します!」
「テイトク! 何かマズいことになったのデスか!?」
事態の急変を感じ取った金剛が身を乗り出す。ヤンは彼女へ向き直り、極めて深刻な顔つきで告げた。
「ああ、マズいなんてもんじゃない。私は取り返しのつかない大ポカをやらかしている可能性がある。金剛、君たちが太平洋を抜けた時、敵の姿はなかった。だが、敵の『目』は、君たちの足元にあったかもしれないということだ」
「足元……? アッ!」
金剛もついにヤンの危惧する事態を悟り、サッと顔色を変えた。
「もし、太平洋の沿岸に敵の潜水艦が配備されていて、我々の動きが筒抜けだったとすれば……明日の夜、第六駆逐隊と瑞鳳をフィリピン方面へ向かわせるルートは、すでに敵の待ち伏せ(アンブッシュ)の網を張られている可能性が高い」
ヤンは自身の考えの甘さを呪った。
欺瞞のために太平洋側を大回りさせるルートは、敵の潜水艦の哨戒網に自ら飛び込んでいくようなものだったのだ。姿の見えない敵に位置を把握された状態で、水上艦隊が高速で突っ込めば、暗闇の海中から放たれる必殺の酸素魚雷の餌食になる。
「だからこそ、このソナーと爆雷が必要なんだ。敵が海の底から見ているのなら、こちらの『耳』を海中へ潜らせて、強引にこじ開けて突破するしかない」
ヤンは工廠の天井を見上げた。
「幸運の女神が、手遅れになる前に警告をくれたのかもしれないな。……偶然とはいえ、この装備を引けたのは、私たちにとって最大の僥倖だ。感謝するよ明石、そして妖精さんたち」
ヤンは工作艦と小さな職人たちに向かって、深く頭を下げた。
「私の無知を笑ってくれて構わない。どうか、彼女たちが海中からの見えない刃に殺されないよう、至急、この装備を取り付けてやってほしい」
「て、提督が頭を下げることじゃありませんよ!」
明石が慌てて両手を振り、妖精たちも「任せろ」とばかりに小さな胸を叩いた。
歴史家たるヤン・ウェンリーにとって、これは痛烈な教訓であった。
海の戦いは、平面ではない。見えない深淵(そこ)にこそ、真の恐怖が潜んでいる。彼は冷や汗を拭いながら、間近に迫ったバシー海峡強行偵察の作戦図を、海中という新たな次元を加えて、根底から練り直し始めていた。