薄暗い地下の独房から、ヤン・ウェンリーのパーソナルスペースである執務室へと舞台を移した一行を待ち受けていたのは、さらなる不可解極まりない光景であった。
どこから湧いて出たのか、執務室のドアを開けるなり、十人を超える作業着姿の『妖精さん』たちが雪崩れ込んできたのである。彼らは新たな客人であるイムヤの姿を認めるや否や、まるで未知の巨大遺跡を発見した考古学者か、あるいは新兵器の図面を前にした技術者のように、彼女の全身へと群がり始めた。
小さな職人たちは、イムヤのスクール水着の生地を引っ張って感触を確かめたり、背中の艤装のサイズを巻き尺で測ったりと、やりたい放題である。時には妖精同士で額を寄せ合い、『あーでもない、こーでもない』と、音のない激しいジェスチャーで白熱した議論を交わしているようだった。
「……彼らは、本当に神出鬼没だな。この鎮守府のセキュリティはどうなっているんだか」
「妖精さんたちに物理的なドアの鍵は無意味ですからね。彼女たち、空間の隙間から勝手に出入りしますし」
明石が苦笑交じりに解説するのを横目に、ヤンはやれやれと肩を竦め、執務室の隅にある給湯器へと向かった。オカルトと形而上学が乱舞するこの狂った世界において、ヤン・ウェンリーの理性を繋ぎ止める数少ないアンカーが、自らの手で淹れる紅茶であった。茶葉の分量を量り、適切な温度の湯を注ぐ。その極めて物理的で化学的なプロセスを経ることで、彼は司令官としての冷静な思考を取り戻すのだ。
やがて、芳醇な香りを漂わせる2つのティーカップが用意された。ヤンはそのうちの一つを手に取り、妖精たちに囲まれてソファにちょこんと座っているイムヤへと差し出した。
「ひとまず、温まりたまえ。海の中から引き揚げられて、さらに冷たい独房に押し込まれていたんだ。体が冷えているだろう」
「……あ、ありがとう。提督さん」
イムヤは少しだけ驚いたようにヤンの顔を見上げ、それから両手で大切そうにティーカップを受け取った。立ち上る湯気に顔をほころばせ、ふーふーと息を吹きかけてから、上品な手つきで一口啜る。
その様子を、デスクの脇に立つ金剛と明石が、それぞれ異なる視線で見つめていた。明石は、妖精たちの動きを注視しながら、技術者としての純粋な探求心と興味を隠しきれない様子である。一方の金剛は、腕を組み、歴戦の戦艦としての鋭い警戒心を僅かに残したまま、イムヤの一挙手一投足を油断なく観察していた。敵の骸から生まれた存在であるという事実が、彼女のオリジンとしての本能に警鐘を鳴らさせているのだ。
「さて、イムヤ」
ヤンは自らも紅茶を啜りながら、ソファの対面に腰を下ろした。尋問ではなく、あくまで歴史家が過去の真実を探り当てるような、穏やかで理知的なトーンであった。
「いくつか確認させてほしいのだが。……君には、かつての『艦船』としての記憶は、ちゃんとあるんだよね?」
その問いに対し、イムヤはティーカップを膝の上に置き、当然だとばかりに胸を張った。
「当たり前じゃない。誇り高き大日本帝国海軍、呉鎮守府所属の伊号第一六八潜水艦よ。ミッドウェー海戦にも参戦して、敵の空母(ヨークタウン)にトドメを刺したんだから!」
そこまで一気にまくし立てた後、イムヤは少しだけバツが悪そうに視線を落とした。
「……まぁ、最後はラバウルの方で、敵の潜水艦にやられて沈んじゃったんだけどね」
「なるほど」
ヤンは肩を竦めた。彼女の語った艦歴は、ヤンがかつて旧世紀の海戦史で読んだ記録と完全に符合している。ミッドウェー海戦という、歴史の転換点となった大敗北の中で、唯一と言っていい戦果を挙げた武勲艦。それが彼女のルーツであることは間違いないらしかった。
「そこまではいい。他の艦娘たちと同じ、かつての地球における鋼鉄の記憶だ」
ヤンはマグカップをデスクに置き、両手の指を顔の前で交差させた。黒い瞳の奥に、本質を射抜くような鋭い光が宿る。
「では……その人間の体で、この横須賀の地で『目覚める直前』の記憶はどうだい?」
執務室の空気が、微かに張り詰めた。ヤンの問いが意味するものは明確である。つい昨日まで、彼女は『深海棲艦の潜水艦』として海中をうろつき、第六駆逐隊と死闘を繰り広げていた怪物だったはずなのだ。その期間の記憶がどうなっているのか。それは、この戦争の根幹に関わる重大な機密であった。
イムヤは眉間にしわを寄せ、何か重苦しいものを頭の奥から引っ張り出そうとするように、こめかみを指で押さえた。
「……朧げね」
「朧げ?」
「うん。なんか……暗くて、冷たい海の底で、ずっと何かを憎んでいたような気がするわ。とにかく『恨み』みたいなドロドロした感情に支配されていた記憶はあるんだけど……具体的に何をしていたかとか、どういう姿だったかとかは、霧がかかったみたいで思い出せないわ」
イムヤは首を横に振り、少しだけ怯えたように自らの細い両腕をさすった。
―――恨みに支配されていた記憶。
その決定的な証言を聞き、ヤン・ウェンリーの脳内で、バラバラだったいくつかの歴史のパズルピースが、カチリと音を立てて噛み合った。
(……なるほど。そういうことか)
ヤンは内心で深い嘆息を漏らした。深海棲艦と艦娘。人類の生存圏を脅かす謎の怪物と、人類の希望たる鋼鉄の乙女たち。その両者が、全く別の起源を持つエイリアンや突然変異体などではなく、本質的に『同一の存在』の表裏であるという仮説が、歴史家であるこの男の頭に浮かぶ。
冷たく暗い海の底で、理不尽に沈められた無念や怨念(恨み)に支配された状態が『深海棲艦』であり。その魂が反転し、かつての誇りや温かい記憶を取り戻して浄化された状態が『艦娘』なのではないか。
(もしそうだとすれば、我々人類は、宇宙からの侵略者と戦っているわけではない。かつて自分たちが海へ沈めた『自軍の兵器の幽霊』を相手に、終わりのない内戦(シヴィル・ウォー)を繰り広げていることになる)
なんという皮肉、なんという悲劇だろうか。後世の歴史家がこの事実を知れば、人間の業の深さと、このオカルトのシステムの悪趣味さに、筆を折って嘆き悲しむに違いない。
「興味深いデータですね……」
ヤンの沈黙をよそに、明石はバインダーに何事かを猛烈な勢いで書き込みながら、目をキラキラと輝かせていた。技術者にとって、未知のプロセスを経て誕生した個体は宝の山である。
対して金剛は、僅かに目を細め、どこか疑い深い、しかし同情も入り混じったような複雑な視線をイムヤへ向けていた。昨日まで殺し合っていた相手が、今日からは同じ姿をした仲間になる。その事実を完全に消化するには、彼女の魂の記憶はあまりにも多くの喪失を経験しすぎていた。
そして、そんな人間たちの深刻な空気をよそに、イムヤの足元や肩の上を陣取っている妖精さんたちは、何故かどこか楽しげに、キャッキャと音のない笑い声を上げながら彼女の髪を三つ編みにしたりして遊んでいる。彼らにとって、善悪や怨念の反転など、世界の理の一部に過ぎないのかもしれない。
「……よし、分かった」
ヤンは思考の海から浮上し、パンッと軽く手を打って場の空気を変えた。
「イムヤの素性と、現状の安全については把握した。だが、劇的な変異を遂げた直後だ。ひとまずは数日間、専門家の元で様子を見させてくれ。もしかしたら、後から急に体調が悪くなったり、オカルト的な拒絶反応が出たりするかもしれんからね」
「うん、分かったわ。提督さんがそう言うなら」
イムヤは素直に頷いた。
「明石」
「はい、提督!」
「彼女の身柄を君に預ける。工廠の奥にでも居住スペースを作って、バイタルや艤装の定着度合いをチェックしてやってほしい。もちろん、拘束や尋問の類は一切禁止だ。あくまで大切なお客様として扱うように」
「承知しました! データの収集には万全を期します!」
明石は敬礼し、それからイムヤの元へと歩み寄って、彼女の手を取った。
「じゃあ、イムヤちゃん。数日間、よろしくねー! 痛い検査はしないから安心して!」
「はい、明石さん。こちらこそ、お願いします!」
人懐っこいイムヤは、新しい友人を得たように嬉しそうに立ち上がった。彼女の体に張り付いていた妖精たちも、民族大移動のようにゾロゾロと明石の後をついていく。賑やかな足音とともに、二人の少女(と無数の妖精)が執務室のドアから出ていくと、部屋の中には、急速に訪れた静寂だけが残された。
ドアがパタンと閉まった後。
主のいなくなったソファと、空になった三つのティーカップを見つめながら、ヤン・ウェンリーと戦艦・金剛は、重々しい沈黙を共有していた。
やがて、ヤンがベレー帽のつばを押し上げ、ひどく疲労した声で口を開いた。
「……いや、本当に、どうなっているんだか。私の学んできた歴史や論理学の教科書を、すべて暖炉に放り込みたくなるよ」
そのぼやきに、金剛もいつもの快活さをすっかり引っ込め、ひどく間の抜けた、しかし心からの同意を示す相槌を打った。
「…………デースねぇ」
天才的な用兵家と、東シナ海を制した歴戦の戦艦。二人は示し合わせたように、全く同じタイミングで自らの頭をボリボリと掻き回した。
深海棲艦と艦娘の真実という、人類が触れてはならないパンドラの箱の蓋を、うっかりと開けてしまった。そんな徒労感と厄介事の予感に包まれながら、ヤン・ウェンリーの長い、長すぎる徹夜の朝は、ようやく終わりを迎えようとしていた。
■
正午を回り、初秋の陽光が天高くから横須賀の軍港を照らし出していた。
吹き抜ける潮風に乗って、上空を規則正しく旋回する加賀の直衛機――九九式艦爆や零戦の単調な星型エンジンの爆音と、遥か沿岸の演習海域から轟く天龍・龍田の連装砲の砲声が、断続的に執務室の窓ガラスを震わせている。日常と戦時が奇妙に同居した、軍事拠点特有の重苦しい生活音であった。
デスクの上の通信機から、佐世保鎮守府との暗号電報の最終確認がもたらされたのは、イムヤを明石の工廠へ預けてから一時間ほど後のことである。
佐世保で敵の残骸から発現した自称・翔鶴と瑞鶴の二名。彼女たちもまた、妖精たちの厳密な鑑識と現場の確認を経て、正真正銘の「艦娘」――それも旧世紀の日本海軍が誇る最強の一角、第五航空戦隊の正規空母姉妹であることが確定したという。
しかし、問題はその後の処遇であった。佐世保は今までの深海棲艦による攻勢で大破した艦娘たちの修理と、飢餓状態からの再建の真っ只中にある。正規空母という、運用に莫大な燃料と弾薬、そして何より山のようなボーキサイトを喰らい尽くす大食らいの巨艦を、今の脆弱な兵站で養う余裕など微塵も存在しなかった。呉についても同様で、現在は赤城一隻での哨戒任務で兵站は手一杯とのことだった。
結果として、彼女たち二隻の身柄と艤装は、物資に最も余力のある「横須賀」へと回されることが決定したのである。半分は、東シナ海を抑えた褒章という面もあると、御老人たちは笑いながらヤンに告げていた。
「……それにしても、陸路で艤装ごと運搬されてくるとはね」
ヤン・ウェンリーは受話器を置き、呆れたような、しかし感心したような苦笑を浮かべた。軍艦の艤装を貨物列車や大型トレーラーに積み込み、東海道の鉄道網を使って陸上輸送する。海の上では数万トンの威容を誇る空母の力が、陸に上がれば人間大の荷物として線路の上をガタゴトと運ばれてくるのだ。
「考えれば当たり前の理屈だが……なかなか便利というか、シュールというか。かつての宇宙艦隊の整備兵が聞いたら、卒倒して羨ましがるだろうな。主砲や推進機関をバラさずに、そのまま貨車に乗せて前線へ送り届けられるのだから」
ヤンは椅子に深く背を預け、開け放たれた窓から南の空を見上げた。青く澄み渡る大気。しかし、その視線の遥か彼方、水平線の向こう側では、昨夜送り出した九隻の強行偵察部隊――阿武隈、神通、瑞鳳、そして第六駆逐隊らが、時速三十ノットの全力航行で波頭を蹴立てているはずであった。
「……そろそろ、伊豆七島を抜けて太平洋の深みへと突入している頃合か」
不敗の魔術師の胸中を、冷たい針で突くような鈍いプレッシャーが締め上げた。現場にいる時は、どれほど敵の大艦隊に包囲されても、理詰めで盤面をひっくり返す手筋を考える余裕がある。だが、こうして安全な後方の部屋に閉じ込められ、通信封鎖の闇の中にいる部下の命運をただ祈るしかない時間というのは、指揮官の胃を最も無慈悲に蝕むものであった。
「……やはり、ブランデーが欲しいな」
ヤンは誰もいない部屋で、ぽつりと本音を漏らした。紅茶に一滴、琥珀色の液体を垂らすだけで、どれほどこの締め付けられるような頭痛と胃の痛みが和らぐことか。
「それか、せめて……くだらない悪態をつき合える、愚痴の相手でも欲しいものだ。革命家気取りの後輩か、小言を言う居候でもいれば、少しは気が紛れるんだがね」
無い物ねだりだと分かっていても、ボサボサの頭を掻き回さずにはいられない。まさにその時、執務室のドアが控えめな音を立てて開いた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、数時間の仮眠をとって身だしなみを整え直した秘書艦・大淀であった。その顔からは先夜の疲労の色が綺麗に抜け落ち、いつもの理知的な眼鏡の奥に、澄んだ瞳が戻っていた。
「ああ、大淀さん。よく眠れたようだね」
「はい。それで、ヤン提督。睡眠薬のお世話にならずとも、しっかりと休息は取れましたか?」
「おかげさまで、退屈とプレッシャーで胃に穴が開きそうなこと以外は、至って健康だよ」
ヤンは自嘲気味に笑い、彼女が不在の間に起きた出来事をかいつまんで説明した。今朝、桟橋で回収された敵潜水艦の残骸が、スクール水着を着た「伊168」という少女へ変貌したこと。妖精たちの審査をパスし、現在は念のための経過観察として明石の工廠に預けてあること。
「……敵の残骸から、潜水艦の艦娘が……?」
百戦錬磨の大淀も、さすがにその報告には目を丸くし、絶句した。
「そんな現象、前例がありません。ですが……妖精さんたちが認めたのであれば、間違いなく我々の新たな仲間なのでしょうね。理解が追いつきませんが」
「なに、理解する必要はないさ。事実を受け入れればいい。……そしてね、大淀さん。驚くべき報せはそれだけじゃないんだ」
ヤンはデスクの上の電文用紙をトントンと指先で叩いた。
「佐世保でも同じ現象が起きた。敵の空母と航空戦艦の残骸から、二人の少女が現れたそうだ。自称、翔鶴と瑞鶴」
「翔鶴さんと瑞鶴さん!? 第五航空戦隊の……正規空母がですか!?」
「ああ。そして、その正規空母二隻が、近日中にこの横須賀へやってくることになった」
大淀は息を呑み、眼鏡の位置を直しながら問い返した。
「佐世保は、彼女たちを手放すとおっしゃったのですか? 正規空母といえば、鎮守府の看板とも言える最高戦力ですよ」
「戦力としては喉から手が出るほど欲しいだろうがね。今の佐世保は、東シナ海の激戦で傷ついた艦娘たちの修理と、再建作業で手一杯だ。あの燃費の極めて重い大食らいの空母たちに、たらふくボーキサイトと燃料を食わせてやるだけの余力がないのさ。だから、一番懐の温かい我が鎮守府へ押し付け……いや、委託することになった」
「なるほど……兵站の現実ですね。到着はいつ頃に?」
「陸路を使って、艤装ごと運ばれてくるそうだ。おおよそ三日後、とのことだよ」
ヤンの言葉を聞くや否や、大淀の表情は一瞬で実務家の顔へと切り替わった。
「分かりました。であれば、すぐに宿舎と補給の手配を整えねばなりませんね。正規空母となれば、大型艦用の居室と、航空隊の妖精さんたちを収容する区画も必要になります」
「ああ、頼むよ。面倒な事務手続きを丸投げしてすまないね」
「いえ、それが私の仕事ですから。すぐに酒保と主計科へ連絡を入れて、受け入れ態勢を整えさせます」
大淀はテキパキと手元の端末を操作し、各部署への指示を飛ばし始めた。その無駄のない動きを見ながら、ヤンは手元の海図の南方――フィリピン諸島の上へと、再び視線を落とした。
「……正規空母が二枚、か。胃の痛む出費にはなるが、戦力としては途方もなく重いな」
ヤンは独り言のように呟き、唇の端をわずかに吊り上げた。不敗の魔術師の頭脳の中で、これまで防衛と威力偵察に留まっていた思考のチェス盤が、一気に戦略的反攻のフェーズへと拡大していく。
「大淀さん。もし今回の強行偵察が成功し、敵の防備の隙が明らかになったとして……我が軍に加賀に加えて、翔鶴、瑞鶴の正規空母三隻が揃えば」
「……はい」
「現在、敵の巣窟となっているであろう『バシー海峡』の制空権を、力づくで完全に抑え込むことができるかもしれん」
ヤンの指が、海図の台湾とフィリピンの間を鋭く突いた。
「バシー海峡を封鎖し、敵の増援ルートを断つ。そして、そのまま一気に南下して、フィリピンのルソン島……マニラ湾の周辺に、我々の前進泊地を構築する」
ヤンの描いた雄大な青写真に、大淀は作業の手を止め、息を呑んで提督の横顔を見つめた。
「マニラに泊地を……?」
「そうだ。あの湾は天然の良港であり、艦隊を収容するに十分なキャパシティがある。そこに我が軍の拠点を築くことができれば、東南アジアから日本列島へと続く石油と資源の海上輸送ルート(シーレーン)は、もはや細い糸ではなく、鋼鉄のハイウェイへと生まれ変わる。マラッカ海峡にも、ソロモン方面にも睨みを利かせられるからね。佐世保も呉も、物資の枯渇に怯える日々から完全に解放されるはずだ」
守るための戦争から、勝つための戦争へ。補給線を繋ぎ、拠点を奪い、敵の息の根を経済的に止める。歴史家ヤン・ウェンリーの戦略眼は、すでに数ヶ月先の、人類の反攻作戦のグランドデザインを正確に捉え始めていた。
「……ま、すべてはあの九隻の少女たちが、無事に敵の情報を持ち帰ってきてくれればの話だがね」
ヤンはふっと表情を緩め、いつもの気の抜けた青年の顔に戻って肩を竦めた。
「取らぬ狸の皮算用で頭を使いすぎた。大淀さん、宿舎の手配が終わったら、すまないがもう一杯、熱い紅茶を淹れてくれないか。今度は、砂糖を山のように入れてね」
「ふふっ、了解いたしました。疲れた脳には糖分が一番ですからね」
演習の砲声が響く横須賀の空の下。
数日後に訪れるであろう巨大な戦力と、遥か南の海を翔ける小さな偵察部隊。歴史の潮流が大きく唸土を上げて動き出そうとしている気配を、ヤンは冷えたマグカップの感触とともに静かに噛み締めていた。