建造ドックの青白い熱気と、妖精たちの歓喜の喧騒から離れたヤン・ウェンリーは、静寂を取り戻した執務室のデスクで、再び重々しい暗号通信用の受話器を耳に当てていた。
回線の接続先は、瀬戸内海に陣取る呉鎮守府。相手は当然、フィリピン防衛戦の生き残りであり、ヤンにとって最も話の通じる同僚――井上提督である。
『おや、横須賀の魔術師殿から直々のご連絡とは。また何か、突拍子もない戦術のタネあかしでもして頂けるんですかな?』
「買い被りはやめてくれ。私はただ、自分の立てた無謀な計画の尻拭いを、有能な同僚に押し付けようとしているだけの、しがない公務員だよ」
ヤンが自嘲気味に返すと、回線の向こうで井上が楽しげに笑う声が聞こえた。ヤンが今回、彼に連絡を取った最大の理由は『根回し』であった。近く、ヤン自身が大艦隊を率いてフィリピン・マニラへと前進泊地を構築しに向かう。その間、どうしても手薄になる横須賀の正面海域――、首都防衛の要を、呉と大湊の戦力でカバーしてほしいという要請である。
『なるほど、マニラに前進泊地を。……相変わらず、凡人の心臓に悪い絵図を描かれますね、ヤン提督。ですが確かに理にかなっている。横須賀の留守の件、もちろんお引き受けしますよ。ヤン提督のお願いとあっては、断る理由がありませんからね』
井上は、ヤンの構想の意図を瞬時に理解し、二つ返事で快諾した。
『それに、東シナ海を抜けたおかげで、佐世保の連中もかなり順調に息を吹き返してきていますからね。南西方面の防衛は、彼らに任せても十分に回るでしょう。……日本海側の舞鶴鎮守府は、まだしばらく再建に時間がかかりそうですが』
「舞鶴は、まだ時間がかかるのかい?」
オウム返しにヤンが尋ねると、井上は『ええ、まぁ』と少しばかり苦笑するような声を出した。
『あそこは長らく孤立していましたから。ですが、幸いなことに、ユーラシア大陸側からの深海棲艦の侵攻は、現在のところ確認されていないのですよ。ですので、舞鶴で動かせる戦力が海防艦数隻と、駆逐艦が数隻程度だとしても、日本海側の防衛には十分事足ります』
「なるほど。背後を突かれる心配はないというわけか。それは確かに不幸中の幸いだ」
ヤンは海図の日本海側に目をやりながら頷いた。敵の戦力が太平洋と南方に集中している以上、日本海側は相対的に安全地帯となっている。限られた戦力を振り分ける上で、これは大きな利点であった。
『ええ。ですからご安心を。横須賀の海は、我ら呉の艦隊と北の大湊できっちりと守り抜いてみせます。ヤン提督は、背後の憂いを忘れて、南方への侵攻に全力を注いで、ご集中ください』
「恩に着るよ。横須賀の留守は頼んだ」
ヤンは短く、しかし深い信頼を込めて言った。互いの能力を疑わず、背中を完全に預け合える同僚の存在は、どのような最新鋭の兵器よりも指揮官の精神を安定させる。
「……さて。君に連絡を取ったのは、実はもう一つ理由があってね」
『ほう? なんでしょう』
「さきほど、我が鎮守府の建造ドックに火が入った。……どうやら横須賀でも、『赤城』が顕現しそうでね」
ヤンの報告を聞いた瞬間、暗号通信のノイズ越しでもはっきりと分かるほど、井上は『おおっ!』と歓喜の声を上げた。
『それはおめでたい! 正規空母の増援とは、ヤン提督の南方作戦に向けて、これ以上ない吉報じゃありませんか。……赤城といえば、うちの呉鎮守府で最初に顕現してくれた、第一号の艦娘なんですよ。おそらく、彼女の生まれ故郷である『呉海軍工廠』の強い縁(えん)が引き寄せたんでしょうね』
「そちらでは初の艦娘だったのか。……なるほど、それはまた、君にとっても思い出深い船というわけだ」
最初の絶望的な状況下で、提督の前に姿を現した第一号の艦娘。それは指揮官にとって、単なる兵器を超えた、戦友以上の特別な感情を抱かせる存在であるはずだ。
「先日、君のところで『分霊』というオカルトシステムの講義を受けていなければ、私は今頃、ドックの前で物理学と神学の矛盾に頭を抱えて卒倒していただろうね。……ところで井上提督。先輩として、一つご教授願えるかい?」
『何なりと』
「私はまだ、彼女と面識がない。指揮官として、彼女がどういう性格の艦娘なのか、あらかじめ知っておきたいのだよ」
兵器の性能はカタログスペックで読めるが、艦娘の『性格』は共に戦ってみるまで分からない。一軍の将として、部下の気質を事前に把握しておくことは、部隊編成上の必須要件であった。
『ええ、もちろんです』
井上は少し懐かしむような、優しい声色になった。
『一言で言えば、極めて真面目で、誇り高い大和撫子ですね。歴史の上で、彼女は日本海軍の顔たる『空母機動部隊(第一航空艦隊)』の旗艦を長く務めていましたから、非常に面倒見が良く、後輩たちからの信頼も厚い。艦隊の精神的支柱になってくれるはずです』
「ふむ。それは頼もしいな」
『ただ……』
井上はそこで少しだけトーンを落とし、忠告するように言った。
『その輝かしい武勲と誇りの裏返しとして、時折、自らの実力を過信し……『慢心』してしまうことがあるのですよ。あのミッドウェーでの歴史の記憶が、彼女の魂の奥底にどう作用しているかは分かりませんが……油断が命取りになる戦場において、その点だけは提督として、十分に留意してあげてください』
「なるほど。……慢心、か」
ヤンは海図の上に置かれた駒を見つめた。無敵を誇った巨大な組織がたった一つの油断から崩壊していく歴史を、ヤンは嫌というほど学んできた。慢心とは、軍隊を内側から食い破る最も恐るべき病魔である。
「承知した。……では、演習や実戦においては、一航戦の僚艦である『加賀』を常に行動を共にさせれば、その点は安心できるかね? 加賀は極めてストイックで、他者にも自分にも厳しい性格をしているようだから、良いストッパー役になると思うのだが」
『ああ、それは素晴らしい采配です! 加賀さんとなら、互いの背中を完全に任せられる最高の相棒(パートナー)になるでしょう。戦術的にも申し分ありません』
井上は我が意を得たりとばかりに明るい声を出したが、直後、思い出したように『まー……』と苦笑混じりの声を付け足した。
『あとは、ですね。彼女、燃費の重い正規空母だということを差し引いても……個人的に、比較的『食いしん坊』なので、その点だけはご自身の胃袋と、鎮守府の台所事情にご注意ください』
「…………食いしん坊?」
『ええ。ボーキサイトはもちろんですが、間宮の羊羹からカレーライスまで、本当によく食べます。目を離すと、鎮守府の食料庫がすっからかんになることもありますから』
その言葉を聞いた瞬間。ヤン・ウェンリーは、先ほどまでの「慢心」という軍事的な懸念事項を聞いた時よりも、遥かに深刻で絶望的な顔つきになった。
(……ボーキサイトの大食らいが、三隻(加賀、翔鶴、瑞鶴)。そこにさらに大食らいがもう一隻追加される上に、物理的な食糧まで山のように消費するだと……?)
ヤンの脳裏に、悲鳴を上げる大淀と主計科の姿、そして底をつく鎮守府の予算書が鮮明にフラッシュバックする。軍隊は胃袋で行進する、とは旧世紀の英雄の言葉だが、その胃袋がブラックホールであった場合、軍隊は戦う前に破産する。
「……承知、した」
ヤンはひどく疲れた声で、どうにかそれだけを絞り出した。
「まぁ、兵站(ロジスティクス)の管理は指揮官の義務だ。彼女の胃袋を満たせるだけの補給線を、マニラに築くしかないな。……皆が仲良く、飢えずにやれれば御の字かね」
『はっはっは。健闘を祈りますよ、ヤン提督』
井上のからかうような笑い声を聞き、ヤンは「やれやれ」と大きく息を吐き出した。
「さて、随分と長話をしてしまった。お時間を取らせて申し訳ない。マニラへの作戦行動開始時には、改めて暗号電報で連絡するよ」
『承知しましたよ、ヤン提督。横須賀の魔術師による、鮮やかでよき作戦行動を期待していますよ』
同僚からの最大級の激励。しかしヤンは、いつものようにどこか素っ気なく、ひねくれた青年の口調でそれに答えた。
「言われなくとも。……私だって、こんな面倒な仕事はさっさと終わらせて、ブランデーでも飲みながら歴史の本を読み、昼寝がしたいからね。そのためなら、どんな知恵でも絞ってみせるさ」
ヤンが受話器を置くと、ガチャンという無機質な音と共に、通信のノイズが途切れた。
呉との根回しは完了した。新たなる戦力である空母・赤城の気性(と胃袋の恐ろしさ)についての事前情報も得た。盤面を動かすためのピースは、着実に、そして急速にヤンの手元へと集まりつつある。
■
呉の井上提督との痛快な通信を終えたヤン・ウェンリーは、一息つく間もなく、暗号通信機のダイヤルを次の接続先へと回した。次なる相手は、九州防衛の要であり、先日ヤンが血路を開いた東シナ海に面する最前線基地――佐世保鎮守府であった。
通信の接続を待つ数秒間、ヤンの胸中には、わずかばかりの『警戒感』が渦巻いていた。
彼がこの世界で目を覚まし、横須賀の惨状と全軍の指揮権を押し付けられた直後のことである。佐世保の司令部からは、
「そちらの横須賀に余裕があるのなら、戦力として艦娘をこちらへ回してくれ」
という、極めて身勝手で強硬な暗号電文が送られてきていたのだ。当時、横須賀もまた深海棲艦の包囲下にあり、飢餓と絶望の淵にあった。そんな状況下で、自軍の保身のみを優先し、他所の虎の子を寄越せと要求してくる官僚的な厚顔無恥さ。その電文を読んだ時、ヤンは佐世保の司令官という人物の顔に、かつて彼が最も嫌悪した一人の政治家の姿を重ね合わせていた。
ヨブ・トリューニヒト。
他者に血を流させ、自らは安全な後方で美辞麗句を並べ立てる、あの悪辣で利己的な最高評議会議長である。もし佐世保の提督がその類の人間であった場合、今後の共同作戦において、政治的な駆け引きや足の引っ張り合いという、最も不毛な労力を割かれることになる。
(……どうか、ただの勘違いであってくれよ)
ヤンが内心でそう祈った時、暗号化のノイズが晴れ、回線の向こうから重々しい男の声が響いた。
『――これは、ヤン提督。わざわざそちらからご連絡をいただき、恐縮の至りです』
その声を聞いた瞬間、ヤンは思わず小さく息を呑んだ。油の乗った野心家の声でも、相手を値踏みするような狡猾な響きでもない。それは、長年潮風に吹かれ、機関室の喧騒と波の音に耳を傾け続けてきた、実直で生真面目な『船乗り』特有の、低く落ち着いた声であった。
『東シナ海の作戦においては、我が佐世保の艦隊も随分と助けられました。ろくにお礼の言葉もお伝えできず、申し訳なく思っておりました』
「……いや。構いませんよ」
ヤンは、無意識のうちに姿勢を正していた。言葉の端々に滲む、飾り気のない誠実さ。どことなく不器用で、しかし与えられた任務と部下の命を何よりも重んじる、熟練の職人のような気配。その声は、ヤンの記憶の底に眠る、一人の偉大な老提督の姿を強烈に思い起こさせた。
かつてヤン艦隊において艦隊運用の全権を担い、決して派手な武勲を誇ることはなくとも、神業のような艦隊運動で常にヤンの戦術を完璧に支え続けてくれた、あの無口で頼れる分艦隊司令官である。
(……なんだ。ひどく懐かしい響きじゃないか)
ヤンの胸中から、トリューニヒトの幻影は綺麗に消え去っていた。
「それよりも、突然の連絡で申し訳ない、鈴木提督。……二、三、君に聞きたいことがあってね。時間は大丈夫かい?」
『ええ。ヤン提督のお願いとあっては、断る理由がありません。して、ご用件は?』
無駄話を好まない実務家特有の、簡潔な返し。ヤンはますます彼に好感を抱きながら、本題を切り出した。
「まず一つ。地下の司令部からすでに連絡がいっているかもしれないが……『艦艇』の確認だ。そちらの港には、人間や物資を乗せて太平洋の荒波を越えられるだけの、中型以上の船が残っていると聞いているのだが。本当かい?」
ヤンの問いに対し、鈴木提督は淀みなく答えた。
『ええ。数隻ですが、間違いなく残っています』
「……激戦地であった佐世保で、よくぞ無傷で残っていたものだね」
『幸運と、皮肉の産物ですよ。開戦直後、それらの船は燃料を完全に抜かれ、ドックの奥に係留されていました。そのせいで、熱源と駆動音を追う深海棲艦の潜水艦たちの標的にはならなかったのです。……かつて、米軍から払い下げられた旧式の軍用輸送艦や、カーフェリーです。人間を運ぶだけなら、十分に外洋を渡れます』
「そいつは吉報だ」
ヤンは安堵の息を吐いた。これで、最大の懸念事項であった、前進泊地構築のための移動手段が担保されたことになる。
『して、ヤン提督。その輸送艦を、何にお使いになるおつもりですか?』
「マニラに、我が軍の前進拠点を築こうと思っていてね。技術者や資材、司令部要員の人員輸送に使う」
ヤンが淡々と告げると、回線の向こうで数秒の沈黙が落ちた。軍事的常識を持つ者であれば、その言葉がどれほど狂気じみた計画であるか、即座に理解できるからだ。
『……それは。言葉を失うほど、大胆な作戦ですな』
鈴木提督の声には、驚愕と、わずかな畏怖が混じっていた。
『敵の喉元に、自ら首を突っ込むようなものだ。……どのようにして、その不可能を可能にするおつもりで?』
「目下、我が横須賀の足の速い連中が、フィリピン近海を強行偵察中です。彼らが無事に情報を持ち帰ることが前提となりますが……」
ヤンは海図に目を落とし、自らの頭脳に描かれた青写真を、フィッシャーの再来たる提督に向けて包み隠さず披露した。
「彼らの情報に基づき、まずは手薄な箇所から敵の防衛線を食い破り、要塞化に適したスービック、あるいはマニラ湾を力づくで奪取します。その一方で、敵はマニラの北、リンガエン湾に莫大な『物資』を集積していると睨んでおりましてね」
『……敵の備蓄物資、ですか』
「ええ。艦娘の機動部隊を先行させ、リンガエンを急襲。敵の輸送艦がため込んでいる物資をそのまま鹵獲(ろかく)し、それを我々の兵站に組み込んだ上で、マニラに恒久的な拠点を築く予定です。……敵の食糧で、我々の城を建てるというわけです」
相手の力を利用し、自らの弱点を補う。机上の空論と言われればそれまでだが、ヤン・ウェンリーが口にすると、それは恐るべき現実味を帯びた未来の歴史として響いた。
『……なるほど。完璧な論理だ。実行できれば、戦局は根底からひっくり返る』
鈴木提督は深く感嘆の息を漏らした。
『承知しました、ヤン提督。では、佐世保に残存している輸送艦群は、ヤン提督の指示があり次第、いつでも出港できるよう、機関の整備と偽装を済ませておきましょう』
「助かります。これで、私の寿命が少しばかり延びそうだ」
ヤンは心からの感謝を込めて言った。足回り(艦隊運動と輸送)の専門家が、完全に自分の意図を汲んで動いてくれる。これほど頼もしいことはない。用件は済んだ。そう思ってヤンが通信を切ろうとした時、鈴木提督の声がそれを引き止めた。
『ヤン提督。……そのマニラ強襲作戦の際は、事前に佐世保へも、詳細な日時の連絡をいただきたい』
「もちろん、そのつもりですが。出港のタイミングを合わせるためですね?」
『いえ、それだけではありません』
鈴木提督の重々しい声が、通信機越しに確かな熱を帯びた。
『作戦発動と同時に、我が佐世保の艦隊を、東シナ海……いえ、台湾沖を抜けて『ルソン島の東方海域』まで、大きく進出させましょう』
「……それは」
ヤンは目を見開いた。ルソン島の東方、すなわちフィリピン海(太平洋側)への進出。ヤンが計画しているマニラやリンガエン湾は、ルソン島の『西側(南シナ海側)』である。つまり、鈴木提督の提案は、ヤンの本隊とは全く逆の方角に、佐世保の艦隊を派遣するという意味であった。
「それは、陽動(デコイ)を引き受けてくれるということですか?」
『ええ。そちらの突入と歩調を合わせます』
鈴木提督は、極めて冷静に自らの役割を定義した。
『我々佐世保の艦隊が、ルソン島の東側に姿を現し、僅かに早く攻撃を開始する……あるいは、意図的に敵の索敵網に発見される。そうすれば、フィリピンに集結している敵の主力の目は、間違いなく東側の太平洋へと向けられるでしょう。その隙を突いて、ヤン提督の主力部隊が西側のマニラへ突入するのです』
完璧な戦略的連携であった。敵の防衛線を分散させ、手薄になった本丸を叩く。だが、それは同時に、陽動を引き受ける佐世保の艦隊が、敵の猛烈な反撃を一身に浴びることを意味している。
「……非常に助かる提案ですが」
ヤンは眉をひそめ、声に厳しい色を滲ませた。
「囮になるということは、それだけ敵の集中砲火を浴びるということです。まだ傷が癒えきっていない佐世保の艦隊に、これ以上の犠牲を強いるわけには……」
『問題ありませんよ、ヤン提督』
ヤンの懸念を、鈴木提督は静かに、しかし絶対の自信を持って遮った。
『我々は、激戦の東シナ海で『生き残るための戦い方』を嫌というほど学んできました。足を止めず、敵を惹きつけ、危なくなれば即座に海域を離脱する。……決して、無駄な損害や犠牲を出すような無茶な艦隊運動はさせません。囮の役目だけを完璧に果たし、全艦無事に帰還させてみせます』
――損害を出さずに、敵を翻弄する。
それはまさに、神業的な艦隊運用を誇ったフィッシャー提督の真骨頂であった。ヤンは、この鈴木という提督が、ただ真面目なだけでなく、実戦の機微を完璧に心得た極めて優秀な用兵家であることを確信した。
「……分かりました。鈴木提督の用兵の手腕を、完全に信頼してお任せします。東からの援護、大いに助かります」
『お任せください』
「とはいえ、すべては強行偵察部隊が持ち帰る情報によりけりですがね」
『ええ。作戦の詳細なタイムスケジュールと航路については、また改めて詳しく擦り合わせましょう』
「ええ。決まり次第、必ず」
互いに敬意を込めた短い挨拶を交わし、通信は切断された。ガチャン、という音と共に静寂が戻った執務室で、ヤン・ウェンリーは受話器を置き、深く背もたれに体重を預けた。
「……やれやれ」
ヤンはベレー帽をずらし、ボサボサの頭を掻き回しながら、自分自身を嘲笑うように息を吐いた。
「『艦娘をよこせ』という電文一つで、彼をトリューニヒトのような政治屋だと決めつけていたが……とんだ見当違いだった。あの電文も、自らの部下を一人でも多く生かすために、泥をかぶる覚悟で打った悲痛な叫びだったのだろう」
ヤンはカップに残っていた冷たい紅茶を飲み干した。
「第一印象というやつは、全く当てにならないな。歴史家としては、偏見で物事を判断したことを大いに反省せねばなるまい」
だが、その反省の言葉とは裏腹に、ヤンの表情はどこか晴れやかであった。防衛を担う大湊、遊撃と陽動を担う佐世保、留守を預かる呉、そして本陣を率いる横須賀。それぞれの鎮守府に、信頼に足る優秀な指揮官たちが揃っている。不敗の魔術師の描いたグランド・デザインは、彼らの連携と献身を得て、いよいよ揺るぎない現実の軍事作戦として結実しようとしていた。
盤上のピースはすべて揃った。
あとは――フィリピンの暗闇から、九隻の少女たちが必要な「鍵」を持ち帰るのを待つだけであった。