赤城と榛名という強力な二つの「縁」が顕現し、横須賀鎮守府が活気づいてから数日後。太平洋の暗闇へと消えていた九隻の強行偵察部隊が、ついに横須賀への帰還を果たした。
一週間に及ぶ、死と隣り合わせの長旅。桟橋に降り立った少女たちの顔は硝煙と潮風で煤け、艤装にはいくつもの弾痕や擦過傷が刻まれていた。しかし、誰一人欠けることなく帰投した彼女たちの瞳には、人類の歴史を左右する大任を完遂したという、何物にも代えがたい誇りが宿っていた。
ヤン・ウェンリーは彼女たちを最大の賛辞で出迎え、労いもそこそこに、すぐさま執務室にて第一線の報告を受ける場を設けた。集まったのは、偵察部隊の中核を担った軽空母・瑞鳳と軽巡・神通。そして、鎮守府側から大淀と金剛である。テーブルの上には、妖精たちが命がけで持ち帰ったデータに基づく、最新の敵配置図が広げられていた。
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「……結論から申し上げます。フィリピン海域の主要港湾に展開している敵艦艇の総数は、控えめに見積もっても六十隻を超過。空母から戦艦級に至る大艦隊です」
神通が、極めて冷静な、しかし内容の重さに反比例するような淡々とした声で告げた。
「さらに、マニラ湾の最奥には、これまで確認されたことのない敵の『超弩級戦艦』らしき巨大な熱源が存在します。おそらくは、南方海域の総司令官クラス、あるいはそれに準ずる旗艦かと」
「六十隻、それに超弩級戦艦か。こいつはなかなか、途方もない数字だね」
ヤンはベレー帽を脱ぎ、ボサボサの頭を乱暴に掻き回した。先日ヤン自身が見積もったマニラ急襲に割ける戦力(十二隻)の、実に五倍である。正面からぶつかれば一瞬で消し飛ぶ質量だ。
「しかし、収穫は十分すぎるほどにある。……やはり私の予想通り、リンガエン湾は戦闘艦の少ない純然たる『物資集積所』であり、スービック湾とマニラ湾が最も強固に要塞化された心臓部であると判明したわけだ」
「はい!」
瑞鳳が力強く頷く。
「リンガエンには輸送艦がひしめいていました。対して、マニラとスービックは要塞砲まで完備されており、極めて厳重な防衛陣地が築かれています」
「ならば、やはりここ(マニラ)を獲るのが一番の最適解だろうね」
ヤンは海図のマニラ湾を指で強く叩いた。
「敵の心臓部であり、絶対的な象徴である超弩級戦艦を真っ先に叩き落とすことができれば、深海棲艦の指揮系統と士気は崩壊する。フィリピンの制海権は、間違いなく我々のものとなるだろう」
そしてヤンは、報告書から目を離し、深く息を吐き出した。歴史家としての鋭い洞察力が、敵の陣形が孕む致命的な『矛盾』を捉えていた。
「だが、今回の報告を聞いて、もう一つ導き出された結論がある。……『やはり、深海棲艦の指揮官は、あまりにも慎重すぎる』という点だ」
ヤンの言葉に、同席していた少女たちが一斉に首を傾げた。
「慎重、ですか? これほどの大戦力を集結させているのに?」
と大淀が問う。
「大戦力を集めている『から』だよ」
ヤンは冷めた紅茶を啜り、用兵家としての分析を披露した。
「考えてもみたまえ。六十隻もの大戦力があれば、今の佐世保鎮守府など赤子の手をひねるようにすり潰せる。我々が苦労して繋いだシーレーンだって、容易に分断できるはずだ。にも関わらず、彼らはフィリピンに引きこもり、さらに鉄底海峡方面から未だに戦力を集めようとしている」
ヤンは呆れたように肩を竦めた。
「あの東シナ海で戦った時の敵大将もそうだったが、自らの圧倒的な戦力(カード)を能動的に使おうとしない。……全く、ずいぶんと舐められたものだよ。人間など、放っておいてもいつでも潰せるとタカをくくっているのか。あるいは、自軍の強大さに寄りかかりすぎて、戦略的なリスクを取ることを極端に恐れているのか」
「なるほど……」
大淀が眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「防衛に固執するあまり、攻勢の機会を自ら放棄しているのですね」
「そういうことだ。そう考えると……」
ヤンは海図のフィリピン全域を見渡した。
「今までの傾向から言って、敵司令官は今後、艦隊を『分散』させるだろうね」
「分散、デスか?」
金剛が不思議そうに身を乗り出した。
「ああ。ま、理由を説明する。繰り返しになるが、今の時点でも彼らは、マニラ、スービック、セブ、ダバオと、フィリピンの主要な港湾のあちこちに戦力を配置している。防衛網を敷いていると言えば聞こえはいいが、相手(深海棲艦)にとっては、それは戦略的に何の意味もない悪手だ」
ヤンの黒い瞳に、冷徹な将帥の光が宿る。
「本当に我々を滅ぼす気があるのなら、さっさとマニラに全軍を集結させ、そのままの質量で我々のシーレーンを叩くか、東シナ海を奪い返しにくればいいのだからね」
「その通りです。なぜ、来ないのでしょう?」
神通の疑問に、ヤンは頭をかきながら、ハッキリと答える。
「その理由は不明だよ。ただ、言えることが一つある。おそらく、君たち偵察部隊が奥深くまで入り込んだことで、敵司令官はさらに警戒心を高めたはずだ。見えない敵の襲撃に備え、あらゆる拠点を守ろうとする。故に、この指揮官は、さらに戦力を『分散』させる方向に動くだろうね」
そこまで断言したヤンに対し、偵察を完遂して敵の恐ろしさを肌で感じてきた神通が、理知的な瞳で静かに問いかけた。
「提督。なぜ、そこまで言い切れるのですか? 敵が知性を持ち、我々の意図を見抜いて、あえて一点に戦力を集中させて迎え撃ってくる可能性は……」
その神通の極めて真っ当な疑問に対し。ヤンはふっと息を抜き、どこか遠くを見るような、ひどく懐かしく、そして苦々しい笑みを浮かべた。
「何、似たような愚行を……歴史の中で、嫌というほど見聞きし、実際に経験したことがあるだけさ」
かつて彼が所属していた自由惑星同盟軍が、帝国領へと三千万人の大軍を分散して侵攻させ、ラインハルト・フォン・ローエングラムという天才によって各個撃破の憂き目に遭った『アムリッツァ星域会戦』。拠点制圧と防衛にこだわりすぎて戦力を散らし、内側から崩壊していく軍隊の末路を、ヤンは血の滲むような実体験として知っていた。
「ま、あの時は……」
ヤンは自嘲気味に肩を竦め、小さくぼやいた。
「『分散してしまった方』の陣営に、私がいたんだけどね」
ヤンが苦笑すると、少女たちはその言葉の真意が分からず、不思議そうに顔を見合わせた。
しかし、過去のトラウマを自虐のネタにしつつも、若き司令官の放つその絶対的な戦略的予測には、いかなるオカルトにも勝る圧倒的な説得力が宿っていた。
敵の弱点は、その巨大すぎる質量の運用方法にある。不敗の魔術師の頭脳は、フィリピンにひしめく六十隻の大艦隊を『どのようにして各個撃破し、解体するか』という、次なる芸術的な手筋をすでに完成させつつあった。
■
呉の井上提督、および佐世保の鈴木提督との間に結ばれた戦略的合意は、速やかに地下の作戦司令部へと提出され、老人たちの厳粛な承認を得た。
ここに、横須賀、呉、佐世保の三鎮守府が連動する、人類史上最大規模の反攻作戦――『マニラ前進泊地構築・フィリピン奪還作戦』が正式に発動されたのである。
司令部の了承を得てから二日後の朝。
横須賀の軍港に、佐世保からの長き航海を終えた「三隻の軍艦」が静かに滑り込んできた。うち二隻は、人員と資材を運ぶための中規模な貨客船と輸送艦。そして、その護衛として先頭を進んできた一隻は、艦娘というオカルトの産物ではなく、紛れもない純然たる「鋼鉄の船」であった。
「……ほう」
桟橋に出迎えたヤン・ウェンリーは、その船の艦尾に記された『ゆうぐれ』というかすれた白文字を見上げ、感心したように顎を撫でた。
かつての大戦で建造された旧式の駆逐艦だ。旧名は「リチャード・P・リアリー」。長らくドックで放置されていたためか、船体のあちこちに赤錆が浮き、多少のガタが来ていることは否めない。しかし、その甲板には無骨な対潜迫撃砲や爆雷投射機が所狭しと増設されており、見えない海の底の脅威を狩るための「立派な軍艦」としての威容を保っていた。
「まだまだこいつは活躍できますよ。ボイラーも良く回りますからね」
執務室に通された、下総から急遽呼び戻されたというボイラー技師のタカハシがそう言うと、ヤンは頷きながら、
「悪くない」
ヤンは短く評価を下した。この『ゆうぐれ』こそが、ヤンと司令部要員が乗り込み、マニラへと向かうための「移動司令部」となる。最新鋭の設備がなくとも、浮いて前に進み、潜水艦の接近を防げるのであれば、文句のつけようがなかった。
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かくして、横須賀鎮守府の全機能の半分をマニラへと移転させる、大遠征の編成が完了した。
物理的な船である『ゆうぐれ』と二隻の輸送船には、ヤン・ウェンリーと共に、秘書艦・大淀と工作艦・明石が乗り込む。彼女たちの本来の姿は艦娘であるが、今回は前線司令部と工廠の機能を維持・展開させるため、多数の妖精さんたちと共に船上から後方支援と指揮連絡に専念することになる。
そして、その輸送船団を護衛し、敵の大艦隊を粉砕するための主力打撃群たる『艦娘』たちの編成は、以下の通りに決定された。
【第一艦隊(水上打撃部隊)】
旗艦を務めるのは、類まれなる統率力と索敵能力を誇る軽巡洋艦・神通。
その麾下に、横須賀の顔たる高速戦艦・金剛と、顕現したばかりの妹・榛名。再会を泣いて喜んだ姉妹が、ついに同じ戦場に並び立つ。
さらに直衛として、対潜・夜戦のエキスパートたる第六駆逐隊(暁、響、雷、電)が脇を固める。
【第二艦隊(空母機動部隊)】
主力は、加賀と赤城による第一航空戦隊、および翔鶴と瑞鶴の第五航空戦隊。計四隻の正規空母が並び立つ、かつてない超火力の航空打撃群である。
そして、空母たちの護衛と対潜警戒の要として、呉から急遽借り受けた第一水雷戦隊の旗艦・阿武隈が張り付けられた。
戦艦二、空母四、軽巡洋艦二、駆逐艦四。合計十二隻の戦闘艦。ヤンがかつて机上で弾き出した、敵の各個撃破に必要な理想の戦力比を、完璧に満たした大艦隊であった。
なお、手薄になる横須賀の留守は、軽空母・瑞鳳と、天龍、龍田の三隻が警備として残る。大湊と呉のカバーがあるとはいえ、彼女たちの肩にかかる首都防衛の責任もまた、極めて重いものであった。
さらに特筆すべきは、海中からのアプローチである。
先陣を切る先行偵察部隊として、潜水艦・伊168(イムヤ)は、すでに数日前から単艦で横須賀を出撃していた。彼女は現在、沖縄本島付近を潜航中であり、本隊の進軍に先んじてルソン海峡、バリンタン海峡、そしてバシー海峡へ入り込み、敵の動向を探るための布石となっている。
■ ■ ■
出港の刻が迫る、桟橋。
秋の冷たい潮風が吹き抜ける中、出撃を控えた十二隻の艦娘たち、そして輸送艦に乗り込む妖精たちが、ヤン・ウェンリーの前に整列していた。これから向かうのは、六十隻を超える深海棲艦がひしめく死地である。少女たちの顔には、決死の覚悟と、張り詰めた緊張感が漂っていた。
艦娘たちの誰もが、天才たる司令官から、士気を鼓舞するような熱い演説(ヒロイック・スピーチ)があるものだと期待していた。しかし、ゆっくりと駆逐艦『ゆうぐれ』のタラップの前に立ったヤンは、ベレー帽を無造作に直しながら、ひどく気の抜けた、まるで町内の草むしりにでも出かけるような口調で口を開いた。
「ま、気楽にやろう」
ずっこけそうになる少女たちをよそに、ヤンは続ける。
「これは、たかだか『人類の命運』がかかっただけの戦いだ。宇宙の歴史から見れば、辺境の惑星の海辺の小競り合いに過ぎない。……だから、変に気負う必要はないよ。今までやってきた訓練通りに、自分のできることをやってくれたまえ。そうすれば、まぁ……おそらく、死にはしないだろう」
なんとも覇気のない、そして身も蓋もない激励であった。
「生きて帰ってこい」と熱く語りかけるでもなく、
「祖国のために命を懸けろ」と強要するわけでもない。
ただ、「気楽に訓練通りやれば、死なない」という、極めて平熱の真理があるだけだ。
だが、そのいっそ清々しいまでのヤンの平常心は、逆に少女たちの極度に張り詰めていた緊張の糸を、心地よいレベルにまで緩める効果をもたらしていた。赤城や翔鶴といった新参のメンバーたちは目を白黒させていたが、金剛や神通といった古参組は「またテイトクの持論が始まった」とばかりに、微かな笑みすら浮かべている。
「テイトク!」
列の先頭に立っていた金剛が、腕を高く上げて質問の声を上げた。
「テイトクの作戦は、敵が各地に『分散』していることを前提に、各個撃破するというものでしたネ! でも……もし、テイトクの予想が外れて、敵の六十隻がマニラ湾に『一点集中』して待ち構えていたら、その時はどうするんデスか!?」
それは、この作戦が抱える最大のリスクを突いた、極めて鋭く、そして誰もが心の奥底で恐れていた懸念であった。十二隻の艦隊がマニラへ突入した瞬間、そこに六十隻の敵大艦隊が密集陣形を敷いて待ち構えていたとしたら。それは戦闘ではなく、ただの虐殺(ターキー・シュート)に成り下がる。
金剛のその真っ当な問いに対し、全軍の視線がヤン・ウェンリーに集中する。不敗の魔術師は、一体どのような神業的な次善策(プランB)を用意しているのか。
しかし、ヤンは特に慌てる様子もなく、ただゆっくりと両肩を竦めてみせた。そして、自らのボサボサの黒髪に手をやると、極めて正直に、あっけらかんと言い放ったのである。
「その時は、頭を掻いて誤魔化すさ」
「………………はイ?」
金剛の間の抜けた声が、海風にさらわれた。全軍が唖然とする中、ヤンは、
「そうなったら、一目散に反転して逃げるしかないからね」
とぼやきながら、くるりと踵を返して『ゆうぐれ』のタラップを登り始めた。
「さて、世間話は終わりだ。……出港しよう。我々の新しい家(マニラ)の建築予定地へ向けてね」
人類の存亡を賭けた大遠征は、壮壮たるファンファーレも悲壮な決意もなく。
ただ、一人の青年提督の「頭を掻いて誤魔化す」という極めて無責任な、しかしこれ以上ないほど信頼に足る開き直りと共に、静かに幕を開けたのであった。
ひとまずの執筆はここまで。
違うんデス。執筆カロリーが高すぎてね。あのね。限界でした。
誰か続き書いてマジで。いやほんと。私も読みたいの。艦これ×ヤンの戦記物。あんま無いのも書いてわかりました。難しいわこれ、資料集めて史実を艦これのステージやシステムとリンクさせて、ヤンの作戦も考えて、敵も動かして。いやこいつは執筆カロリーの塊よ。
とまぁ、愚痴はひとまずとして。ここまでご覧いただきありがとうございました。艦これ×ヤンのアイデアを頂いたモントゴメリー様、マヒロコウキ様には改めて感謝を。
っていっても、艦これは終わりが無いので……。
まぁ、ヤンならあの秋イベント(鉄底海峡)すらも切り抜けてしまうことでしょう。
では、またいずれ。
最後に。ご存知かとは思いますが、私は全ての執筆活動を辞めます。マンハッタンカフェの現実来訪を読んでない方は、ここでお別れです。
いやほんと、10年近くハーメルンでやっておりましたが、執筆活動楽しかったです。人生で初めて執筆した小説が「カメ子レ級」でしてね。あれに多くの感想と評価、お気に入りをいただけた時の脳汁たるやね。あの感動が忘れられず、10年も続けてしまいましたよ。
あの脳汁出る感じは書き手の特権でした。ただ、最近精神的にも安定しておらずで、ご迷惑かけることも多く、その点は申し訳ございませんでした。
ま、懲りずに、もしかしたら匿名で投稿するかもしれませんけどね!妄想はトマラネェンダ。人間の煩悩怖いわ。
と、言った所で、皆々様のこれからのご健康とご活躍、ハーメルンのより一層の繁栄を願いまして、次の言葉で〆たいと思います。
『暁の水平線に、勝利を刻みなさい!』