第1章「大国の駒」
2026年10月1日正午 ウクライナ コスティアンティニフカ(ウクライナ戦争の最前線都市)
アクセルは市街地の手前2kmのところで、ODカラーのUAZ Patoriot(ロシア製SUV車)を乗り捨て、タラスと共に無言で市の中心部に向かい歩いている…。
アクセルもタラスも、満身創痍だ。
戦闘服は破れ、顔や手は傷だらけで出血していた。
2階部分を吹き飛ばされた廃屋の前のT字路に差し掛かった時、アクセルは歩みを止め、前を行くタラスの背中を見つめた。
タラスは立ち止まり、ゆっくりとアクセルの方を向く…。
アクセルの右手に握られたGlock19Xが真っ直ぐ自分に向けられているのを見ても、タラスは表情を変えなかった。
『タラス……許してくれ。 俺も命令を受けていたんだ……作戦の痕跡を1ミリも残すな…ってな』
『色々とありがとう……。 感謝してるよ。 ここで…お別れだな』
タラスはそう言うと、眼を閉じた…。
2026年9月26日 ポーランド ポズナン キャンプ・コシチュシュコ(在欧米軍基地)
『クロフォード…アンタがラングレー(CIA本部)から直々に出張って来たって事は、ウクライナだろう? 別にワルシャワでもキーウでもいいじゃないか。 何でコシチュシュコなんだ?』
アクセルはウンザリしたように、対面のクロフォードに聞いた。
曲がったネクタイを直しながら、クロフォードが答える…。
『今回の作戦は私が直接立案した。 ロシアはもちろん、ウクライナにも……ホワイトハウスにも知られる訳にはいかんのだ』
アクセルがクロフォードを睨む。
クロフォードは構わず続けた。
『マリンカのアネックスが堕ちた……。』
『マリンカだと!? ドネツクの目と鼻の先じゃないか! 大した度胸だな……え? それに…マリンカに拠点があるなんて、初耳だぞ…』
クロフォードはアクセルを真っ直ぐに見据える。
『我々が何かを為す時、間口を複数開けるのは知ってるだろう? 軍事顧問だった君が、知らん事もある。 カンパニー(CIA)が、「個人」を信用する事は無いのだ…』
アクセルは不敵な笑みを浮かべ、言った。
『一昨年ニューヨーク・タイムズにすっぱ抜かれ、トランプには骨抜きにされ…いいところ、無かったのにな』
2024年2月、ニューヨーク・タイムズは過去10年に渡り、ロシアとの国境近くのウクライナ国内にCIAが複数の拠点を設置し運営していた事を暴露した。
また2025年3月、トランプ政権下のジョン・ラトクリフCIA長官は、ウクライナに対する情報共有を一時的に停止した事を認めた。
和平交渉における、トランプ大統領とゼレンスキー大統領の確執が背景にあるとみられた。
『我々は既にホワイトハウスの使用人ではないのだ。 12箇所のアネックスを閉鎖した…というのは表向きだ。 CIAが独自に動かなければ、祖国を護れない……。 「外交」を「商談」と勘違いしてる老害にはウンザリだ』
いつも冷静沈着なクロフォードが、ここまで毒を吐くのは珍しい…とアクセルは思った。
『多くのアネックスを閉鎖…もしくは規模を縮小したのは事実だ。 だが、3箇所だけ規模を維持したまま運営していたんだ…。 ウクライナの情報総局と完全に縁を切るなんて出来る訳がない。 そんな事をして、利するのはプーチンだけだろう?』
アクセルは沈黙し、次の言葉を待った。
『残していた3箇所のうちの1つが、マリンカだ。 そのセーフハウスがウクライナのドローンで破壊された。 ……誤爆だよ』
『クポル・ドンバス……奴らの電子戦システムか』
『そうだ。 ジャミングされた。 マリンカは半数以上の建物が既に破壊されてるのに、よりによってうちのアネックスを誤爆しおった……』
『で? どうなったんだ…?』
『アクセル……地下の隠し部屋にあった金庫がFSB(ロシア連邦保安庁)に押収された……』
バァンッ!!
アクセルは机を叩いて立ち上がった。
『マズイだろ……それは……』
クロフォードは眼鏡を外し、目頭を擦った。
『職員の退避は成功した。 しかし、金庫を持ち出す時間は無かったのだ。 中の「ファイル」がロシアに堕ちれば……何人のアメリカ人が命を落とすかな?』
『何故、俺を呼んだ? 俺に何をさせたいんだ?』
クロフォードはアクセルの眼をじっと見つめ、口を開いた。
『ドネツクのFSB管理局に行って、ファイルを取り返して来てくれ』
アクセルは仰け反った。
『ふざけるな! そんな作戦、成功すると思ってるのか? ロシアの空挺がホワイトハウスの中庭にランディングするより難しいんだぞ!!』
クロフォードは眼鏡をかけ直し、笑みを浮かべている。
『知ってると思うが、ファイルには君も顔写真付きで載ってるぞ? 妻と生後半年の娘が待つアリゾナの自宅住所もだ』
アクセルは指が白くなるほど拳を握り、ワナワナと震えた。
『アンタの詳細な資料もだろうが!?』
『ラングレーに勤務するCIAの高官を狙うヤツは…そう多くはないだろう? それに……君の同僚たちが、護ってくれるしな』
アクセルはドカッと椅子に腰を下ろした。
『まったく喰えない奴だな……』
『安心したまえ。 ヴィンスとスティーヴンも呼んである。 こういう作戦では、間違いなく指名すると思ってな』
アクセルは観念するしかなかった…。