「将校」はセルゲイの背後に密着し、銃を彼の首筋に押し当てたまま、ロシア語で喚いている。
セルゲイも悠然と、静かな口調でロシア語を吐き出していた。
苛立ったアクセルが絶叫する。
『Speak english or Die!!』
セルゲイは吹き出した。
『全く君は変わらないな。 我々がイメージする「ステレオタイプなアメリカ人」そのものだ。 ここは私のオフィスだよ。 下品な言葉は慎んでくれ…フフフ』
タラスがセルゲイを睨見つける。
タラスはこの11年間、セルゲイとアクセルの顔を思い出さない日は無かった。
今、何処で何をしているのか?
何を考えているのか?
こんな時、彼らならどうするのか?
2人の思考回路をリアルに想像出来る域にまで達していた。
それは、アクセルとセルゲイも同じだった。
3人の視線が濃密に絡み合う……。
3人は同時に動いた…。
セルゲイがホルスターに手を伸ばし、上体を屈める。
露出した「将校」の左眼に、アクセルが放った.300BLK弾が飛び込む。
タラスがセルゲイのGlockをはたき落とす。
1秒にも満たない時間で、状況が急変した…。
ドサッ…
「将校」が大きな音を立て、床に崩れ落ちる。
11年前、セルゲイに右手を撃ち抜かれたタラスは、今日はその時間を与えなかった…。
『よくやった…』
セルゲイがタラスの顔を見つめ、呟く。
「答え合わせ」が始まろうとしていた……。
3人は視線を絡め合ったまま、動けずにいた。
ほんの数秒だったかも知れない。
しかし永遠にも感じられる、長い、長い、数秒だった……。
最初に口を開いたのは、アクセルだった。
セルゲイの足元に転がる金庫を睨みながら、
『おい……どういう事だ…』
金庫の扉が無理にこじ開けられ、中のファイルや記憶媒体が無残に破壊されている。
CIAが金庫に仕掛けたトラップにより、物理的に壊されていた。
『お前ほどの男が……しくじるはずはない!! 何を考えてる!?』
セルゲイは既にタラスもアクセルも見てはいない。
視線を宙に漂わせ、語り出した…。
『誰も死なせたくなかった…。 私は……人を殺したいなんて…思った事は……1度も無い!』
タラスとアクセルは、息を飲んだ。
『私は…数学だけを愛する、寂しく乾いた男だったのだ。 FSBに祖母を殺されるまでは……』
セルゲイの頬を涙が伝う…。
『それを……突然、人が人の背後を奪い合う、戦場に放り込まれた…。 正気を保つのに、精一杯だったよ…ずっとな。 「人間」を「人間」として見ていたら、気が狂うと思った…。 だから、私は! ……「人間」を数字とだけ認識するようにしたのだ…』
タラスはセルゲイの「告白」を聞きながら、息苦しさを覚えた。
『目の前の「数字」を…どうやって効率的に「ゼロ」にするか…それだけを考え、生きて来た……たくさんのウクライナ人を殺してしまった……すまない…』
セルゲイは再びタラスの眼をしっかりと見据えた。
『そんな日々も、今日で終わる……。 先日、母が…死んだよ。 父は数年前に、死んでいる。 もう……私を…戦場に縛りつけるものは無いのだ…』
タラスもアクセルも、言葉が出なかった。
目の前の哀れなFSB高官は、家族を人質に取られ、その手を血に染めてきた。
数学だけをこよなく愛していた青年を「殺戮マシーン」に変えたのは、何だったのか……。
自分とセルゲイは何処が違うと言うのか…。
大国の指導者たちが、己のメンツと名誉を追い求め、他国ばかりか自国の民の人生をも蹂躙する現実に、喪失感だけが募って行く…。
アクセルは東洋の島国でテレビタレントが発した言葉を心の中で反芻していた。
TOKYOの横田基地で聞いた、悲しい言葉を……。
「戦争とは…ジイサンが始めて…オッサンが命令し…若者が死んでいくもの」
セルゲイはタラスの眼を見つめながら、言葉を紡いでいく。
『何故、私をすぐに殺さなかった? 「将校」に私を撃たせる事も出来たはずだ。 何故…なんだ?』
タラスは歯を食いしばり、セルゲイを睨む。
そして…背負ってきたものを、一気に吐き出した。
『お前を……お前を殺すのは、俺でなくてはならない! そう思って、11年間……生きて来たんだ!!』
タラスの眼にも涙が浮かぶ…。
『それなのに……お前を憎んでいるのか、本当に殺したいのか……それすら、判らなくなった……。 もし、これからもお前が生き延びるなら……俺の11年間は、何だったんだ!!!』
セルゲイは、目の前のArtanの少佐をじっと見つめた。
そして、口を開く…。
『兵士にとって、自分の銃を敵に奪われ、それで撃たれる事が何よりも屈辱なのだろう?』
タラスの足元に転がる自分のGlockを指指した。
『その銃で、私を撃つのだ。 それで、全て終わる。 人差し指を、ほんの少し動かせばいい…。 簡単な事だ…』
アクセルは黙ってタラスを見守っていた。
タラスはGlockを拾い上げ、スライドを僅かに引く。
薬室に9mm弾が装填されている事を確認すると、マガジンキャッチを押した。
ゴトッ…
硬い音を立て、マガジンが床に転がる…。
タラスは、薬室に弾丸が込められただけのGlockを、セルゲイに差し出した。
セルゲイはタラスの眼をじっと見つめ、一言呟いた。
『ありがとう……』
タラスは踵を返し、部屋を出て行く。
アクセルもタラスの後を追ったが、崩れ落ちたドアの横で立ち止まり、セルゲイの方を向いた…。
『下品な言葉は……謝るよ』
そして、静寂に包まれた廊下を進むアクセルとタラスの背後から……
ダァーン…
悲しい銃声が響き、2人の鼓膜を震わせるのだった……。