FSBドネツク管理局を出たアクセルとタラスは、エントランスの階段に腰掛けていた。
ヤシヌヴァタの「大爆発」の調査に殆どの工作員が駆り出され、そして今、「館の主」をも失った管理局は静まりかえっている。
通りを行く親露派民兵たちは、軍服を着た2人に特段の疑いも見せず、行き過ぎる。
煙を吐き出す建物など、見慣れた光景なのだ。
その建物がFSBドネツク管理局だと言う事を、末端の民兵は知る由もない…。
駐車場に停められたセルゲイの愛車、UAZ Patoriotに乗り込んだアクセルは溜息をついた。
『決死の覚悟で、ここまで来たのにな。 もっと早くセルゲイって男の本質を見極めていれば、あんなにたくさんの犠牲を出さずに済んだ…』
『人の内面なんて、簡単に判る事じゃないさ。 これでまた「背中に背負う亡霊」が、増えてしまったな…』
2人は、西に向け車を発進させた。
2026年10月1日正午 ウクライナ コスティアンティニフカ
アクセルは市街地の手前2kmのところで、ODカラーのUAZ Patoriotを乗り捨て、タラスと共に無言で市の中心部に向かい歩いている…。
アクセルもタラスも、満身創痍だ。
戦闘服は破れ、顔や手は傷だらけで出血していた。
2階部分を吹き飛ばされた廃屋の前のT字路に差し掛かった時、アクセルは歩みを止め、前を行くタラスの背中を見つめた。
タラスは立ち止まり、ゆっくりとアクセルの方を向く…。
アクセルの右手に握られたGlock19Xが真っ直ぐ自分に向けられているのを見ても、タラスは表情を変えなかった。
『タラス……許してくれ。 俺も命令を受けていたんだ……作戦の痕跡を1ミリも残すな…ってな』
『色々とありがとう……。 感謝してるよ。 ここで…お別れだな』
タラスはそう言うと、眼を閉じた…。
思考を合わせるアクセルとタラス……。
その思考の先の意図を互いに読み取った。
タラスが半歩横に動くと、アクセルのGlock19Xが火を噴いた。
スライドから吐き出された薬莢が宙を舞い、舗装の剥がれた地面に転がる…。
グフッ…
半壊した廃屋からヨロヨロと男が出てきた。
首を押さえた手の指の間から、間欠泉のように鮮血が迸っている。
ワシルたちを死に至らしめたDEVGRUの生き残りだった……。
地面に倒れ込んだDEVGRU隊員は、カッと眼を見開き、痙攣している。
アクセルはタラスにGlockを手渡し、言った。
『ケリをつけて来い……』
タラスは「武装したアメリカ人」を見下ろし、トリガーを絞る…。
『ワシルたちに謝罪してこい…』
プシュッ…
DEVGRU隊員の眉間に1cmにも満たない穴を穿った弾丸は、頭蓋内の圧力を急激に引き上げ、脳幹の機能を停止させた…。
タラスは振り向くと不敵な笑みを浮かべ言った。
『アクセル…アカデミー賞ものの名演技だったぞ』
『フン、お前こそ、カンヌで金賞が取れる』
タラスから返されたGlockを廃屋の2階に投げ込み、アクセルは天を仰いだ。
『終わったな……全て…』
『だけど、アクセル…君は組織に背いたんだぞ? 君だけじゃない…家族も危険に晒されるだろう?』
アクセルはポケットから衛星電話を取り出し、ヒラヒラと揺らした。
『さっき、クロフォードから電話が来たんだ…』
タラスは狐に摘まれたような表情を浮かべた。
『クロフォードが言うには……FBIに潜り込ませた部下に命じて、俺の家族を「証人保護プログラム」に入れたってよ』
タラスは目を回しそうになった。
『もう…誰も俺の家族に接触出来ない。 俺も含めてな…。 生きていてくれれば、それでいい……』
アメリカという大国の「駒」になる事を選んだアクセルの壮絶な人生を知り、タラスは唸る。
『アクセル…あのクロフォードって奴は、案外「悪者」でもないんだな…』
アクセルは吹き出した。
『実はな……俺の奥さんは……クロフォードの「娘」なんだよ』
タラスは全身から力が抜ける気がした…。
『クロフォードは確かに「喰えない狸ジジイ」だが、彼には彼なりの「愛国心」があるんだ。 例えホワイトハウスを欺いてでも、アメリカの国益に叶うなら、躊躇しない。 俺の妻を保護したのは、自分の「娘」だから…じゃない。 自分の命令で死にゆく男の「妻」だから…なのさ。 ま、死ななかったけどな!』
『アクセル…俺はアンタに会って、アメリカに対する感情が変わったよ。 クロフォードにもな。 クロフォードが今回の作戦を立案したのは、「アメリカを護る」ことだけじゃない。 ウクライナの事も憂いてくれていた…そう思う』
『俺も「Fu※k you, Russia!」とか言ったけどな…ロシア=悪じゃないんだ。 イゴールやアリーナが言うように、人間の価値を決めるのは「国籍」じゃない。 「個々の資質」だって、セルゲイが教えてくれた…』
ウクライナの太陽が頭上から2人を、ジリジリと焼き付ける…。
「本当の別れ」の時が近づいていた……。
『タラス…お前は、これからどうするんだ?』
『……判らない。 銃を握るのは…疲れたよ。 あまりにも多くの「死」を見過ぎた…』
『そうか……だが、お前だけの人生だ。 好きにすればいい…』
アクセルは尻のポケットから、封筒を取り出した。
古い100ドル紙幣で、1万ドル入っていた。
『人生をやり直せ…。 俺には……必要ない…』
タラスは封筒を受け取り、壊れ物を扱うように胸に抱いた。
『アクセル…もう2度と会う事もないだろう…。 元気で…』
タラスは踵を返し、西に向け歩き出す。
アクセルはタラスの姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた……。