2014年9月に「第2次ドネツク国際空港の戦い」が始まった時、タラスは何とも言えない違和感を感じた。
それまで親露派兵たちは、生き当たりばったりの戦い方をしていて、脅威ではなかった。
しかし、ロシア正規軍の関与が強まってからは、根本から戦い方が変わった。
単に兵員数が増強されただけではなく、戦術が洗練されたような気がした。
しかも、一般歩兵に混じり、ロシア軍特殊部隊……いわゆる「スペツナズ」と思しき兵士の影まで感じるようになった。
(スペツナズか…? だとしても、個人の能力だけじゃない、戦術自体がアップグレードされている……相当、頭の切れるヤツが指揮を執ってるはずだ…)
空港周囲のウクライナ軍の拠点はスペツナズの斥候に次々と暴かれ、ロシア正規軍の機甲部隊に蹂躙された。
補給路を行く兵員は、スペツナズのスナイパーによって排除され、物資も増員兵も絶たれた。
タラスは、空港を包囲する「ロシア軍と親露派武装勢力の混成部隊」の背後に長身の将校を度々見かけるようになった。
あからさまに将校と判る風貌なのに、偽装する素振りも隠れる事もない。
(妙だな…他の軍将校とは明らかに違う……軍人ではない!? 情報機関の人間か…?)
ドネツク国際空港から撤退し、市街地に潜入したタラスは件の情報将校を探し求めた。
アイツを排除し、ロシア軍に一矢報いたい……そうしなければ自身のプライドが保てない。
復讐の鬼と化したタラスの執念は、空港とドネツク市中心部の中間にある、FSBの拠点と思われる建物に辿り着いた。
拠点の監視を続けていたタラスの前に1台のUAZ Patoriotが停車し、1人の男を吐き出した。
長身の情報機関将校……。
『見つけたぞ…』
2003年、セルゲイ・イワノヴィチはサンクトペテルブルク国立大学の数学力学部で数学を学ぶ学生だった。
数学界の難問の一つ、「ポアンカレ予想」を解決した同校の卒業生、グリゴリー・ペレルマン。
ペレルマンを輩出した同校で、セルゲイは「次の天才」と噂されるほどの才能を見せていた。
彼は、数学の研究に没頭している時が一番幸せだった。
趣味である精密射撃でもその才能をいかんなく発揮し、文武両道を地で行く存在でもある。
自分の射撃の腕前を確かめたくなった彼は、地方大会からエントリーし国内大会にも出場する。
そこで優勝したセルゲイは射撃への興味を失くし、数学の研究に専念する事を決めた…。
そんな「異能の存在」だったセルゲイに情報機関FSBが目を付け、組織に勧誘するようになる。
何度となく固辞していたセルゲイだったが、FSBから「祖母が交通事故に遭い、亡くなった」と知らされた時、諦めた。
地元の警察より12時間も早くFSBから連絡を受けたのだ。
「事故」ではない事は明白だった。
セルゲイは、「怒り」という感情を自分の意思決定に持ち込まない。
祖母が死んだ時も、
「最初にFSBの誘いを受け入れていれば、祖母を死なせずに済んだ」
と、悲しむ人間だった。
「結果」を無条件で受け入れ、「原因」を探る……「過程」に感情を挟まない。
それは「数学者」として培われた思考そのものだった。
「そこに至る道は複数あれど、答えは一つ」
それがセルゲイの信条である。
その異能を買われ、FSB内で急速に頭角を現したセルゲイ・イワノヴィチが、劣勢に陥っていたドネツクに派遣されたのは2014年9月の事だった……。
2014年3月、ロシアが一方的にクリミア半島を併合した際、アメリカを初めとする西側諸国は軍事介入を避けた。
その後、ドンバス戦争が始まっても当初は「ロシアへの経済制裁とウクライナへの非殺傷装備の供与」を中心とした対応に留まった。
ウクライナはNATO加盟国ではなく、軍事支援をする法的義務がない事や、ドイツ等はロシアのエネルギーに深く依存している…という現状もある。
G8からロシアを除名し、資産凍結等で国際的に孤立させれば、いずれウクライナから手を引くはず……当時、西側にはそんな期待もあった。
ドンバス戦争が激化して、ウクライナ東部の政情不安が著しくなった時、CIAは好機と捉えた。
戦乱に紛れ、ロシア国境近くに複数のアネックス(拠点)を設置し、ウクライナ側との情報協力を強めていった。
この「ドンバス地方での拠点設営」に関し、米軍は「CIA主導になり過ぎる」事への懸念を示す。
いざ軍事介入となった場合を想定し、ドンバス地方での影響力を保持したいと考えた米軍は、CIAのアネックス設立に関与する事を要求した。
対してCIAは「軍人」が関与する事に否定的だった。
もし「現役の米軍兵士」がドンバス地方で活動中だとロシアに知れたら、国際問題になる……NATOとロシアの全面衝突に繋がる…と言って拒否した。
両者の思惑が激しく交錯した結果…
折衝案としてCIAは「軍事顧問」という名目で、「1人だけ」デルタフォース隊員を受け入れる。
その名は…アクセル・コールマン。
アクセルは、並外れた戦闘スキルだけでなく、優れた探索能力でCIA要員の危機を何度も救い、アネックス設営に多大な貢献をした。
拠点設立が成された後は、ドンバス戦争の戦況分析である。
CIAはやがて、ロシア側の部隊に軍人とは異なる動きをするFSB関係者がいることを把握した。
その人物がもたらす情報はロシア側の作戦に少なからぬ影響を与えている事も、次第に明らかになっていった。
CIAはアクセルに対し、件の情報将校を監視するよう命じた……。
CIAは件の情報将校について調べ上げたが、出自について判らない事ばかりだった。
名はセルゲイで、父性がイワノヴィチ、ラストネームは不明…。
将校である事を隠そうともせず、頻繁に出没する理由も判然としない。
アクセルに「観察により人物像を見極めろ」との任務が下る。
まずアクセルは、セルゲイが拠点としている司令本部の特定を行い、監視に入った。
(警護が大統領クラスだ……)
通常、FSB将校の警護は地域ごとのROSN(地域特殊任務課)のスペツナズが行う。
しかし、セルゲイの警護はFSO(連邦警護庁)のSPが行なっていたのである。
FSOはプーチン大統領や政府高官の警護を専門に行う部署であり、セルゲイがクレムリンにとり「換えの効かない」重要人物だと言う事を示唆していた。
4人のSPは一辺が30ヤードの正方形を描くように配置され、その中心にセルゲイがいる。
セルゲイがどんな動きをしようと、その正方形は決して形を変えずに連動して動くのだ。
SPの練度の高さにアクセルは感嘆した。
更にセルゲイの移動ルートには、「アルファ」の隊員が前方・後方配置され、狙撃を警戒している。
セルゲイが戦場で大胆な行動をとれたのは、このような理由があったのだ。
ここまでの警護態勢をサーチ出来たのは、アクセルの手腕だろう。
並のパラミリでは即座に監視を見破られたはずだ。
だが、数日に一度の頻度でセルゲイが専属運転手と2人だけで行動する事があった。
第2のセーフハウスとも言うべき建物に入る時だけは、警護を外していた。
はっきりとした理由は判らないが、クレムリンの監視から逃れたい時があるのではないか……アクセルは、そう想像した。
監視を始め数日が経った頃、アクセルはセルゲイを尾行する1人の人物に気付いた。
何処にでもいる自動車整備工のような格好をしているが、「動き」
はプロのそれだった。
厳重な警戒網の中、ロシアの情報将校を追尾する自動車整備工…。
(あいつ…何者だ……)
CIAに照会すると、整備工の正体が判明した。
タラス・ドロシェンコ…第95独立空中強襲旅団に所属する一等軍曹だった……。