「あっれー、秋ちゃんじゃん。おはよ」
電車を待つホームで、声をかけられる。
少し嬉しさを含んだように聞こえるその声に、わたしは視線を向けた。
そこには、見慣れてしまった赤髪。だけど、ほんの少しだけ、どきりと胸が高鳴った気がした。
「……お、おはよう、ございます。カルマくん」
カルマくんに、お辞儀をしながら挨拶を返す。
ふあ、と欠伸を漏らして眠そうなカルマくんにつられて、欠伸が出そうになる。
「駅で会うの初めてじゃない?この時間にいつもいないよね?」
「いつもは、これより1本早い電車なんですが、その、……寝坊、してしまって」
気恥ずかしくて、鞄を持ち上げて顔を隠す。
だけど、身長の高いカルマくんには無意味だったようで。カルマくんは「ホントだ」と言いながら、わたしの髪に触れた。
「寝癖ついてる、かーわい」
揶揄うように笑うカルマくん。わたしはすぐに髪に触れて、寝癖を隠した。
そして、くるりとカルマくんに背を向ける。はやく、電車が来ることを祈りながら。そうすればきっと、この顔の熱も治ってくれると信じて。
電車の中、ガタンゴトンと規則的な揺れが眠気を誘っていて。さらに、混雑の中、隣にいるカルマくんの体温が暖かくて、うとうとと瞼が落ちそうになる。
うとうとした意識の中、肩に誰かの手が触れる。支えてくれるみたいに優しい手が心地良くて、この手がずっとそばにいてくれたらいいのに、と思った。
「……秋ちゃん、起きて。駅、着くよ」
カルマくんがわたしの肩を揺らしながらそう言っていて、目がぱちり、と開いて目が合う。
うとうとしていた意識がみるみるうちに鮮明になっていく。醜態を晒してしまって恥ずかしいわたしは、カルマくんに謝りつつも、彼の顔を直視することができなかった。
鳴り響く心臓の音がうるさくて。
駅に着いた途端、わたしは急いで学校へと向かった。隣にはカルマくんがいて「そんなに急がなくても遅刻にはならないよ」と余裕そうに微笑んでいた。
***
一緒に教室へ入ると、クラスメイトたちが面白いものを見た、と言わんばかりの表情をしていて。
「あれれ〜?もしかしてふたりって付き合ってんの〜?」
ニヤニヤと、愉しそうな顔をした中村さんがわたしに近付いて来て、そう尋ねた。
わたしはその質問の意図が分からなくて、思わず首を傾げる。
「?……え、っと、?」
「イチャイチャしてたって目撃証言もあるんだからね!」
そう言って、ススス……と手を挙げるクラスメイト数名。ボイスチェンジャー風に声色を変えて、「朝から熱々だった」「髪の毛触ってた」「寝ている花宮さんの体をカルマが支えてた」と次々に証言する。
そして、「証拠写真もある!」と見せられたのは、カルマくんに支えられながら寝ているわたしの写真。
「わ、なにその写真。俺にも送ってよ」
と、楽しそうに中村さんに言うカルマくんは、どこか他人事みたいに愉しそうで。
わたしは思わず中村さんの手を握って「だ、ダメです!」と叫んだ。
「は、恥ずかしい、から、消して、ください……それ、に、カルマくんは、たまたま隣にいた、わたしを支えてくれた、だけ、なので」
本当に、たまたま、朝ばったり会って。
うとうとしてしまったわたしを、支えてくれた、それだけ。
「それに、カルマくんはちゃんと話したら、優しい人、ですし、その、わたし、だから、という訳ではないですよ。ね、カルマくん」
そう言ったわたしに、中村さんは目を見開いて、あんぐり、と口を開けたまま視線をカルマくんの方へと向けた。他のみんなもカルマくんを見ていて、わたしもつられるように彼に視線を移した。
その顔はやや不機嫌そうにも見えて。ぱちりと目が合ったと思えば、すぐに目を逸らされた。
その瞬間、ずしり、と胸が重くなったような気がして、身体が固まるような感覚に陥る。それがどうしてなのか分からなくて、わたしはただカルマくんを見つめた。
「俺は、秋ちゃんにしかしないよ。秋ちゃん以外どうでもいいし」
カルマくんの言葉に、黄色い声が教室に響いた。
耳の端で、クラスの女子たちがきゃあきゃあと言っていて。だけど、その声がどんどんと遠くなっていく感覚に陥っていた。
はしっと、手を掴まれて「放っておいて行こ」と、席へ促される。固まっていたように思えた身体は、すんなりと動いて。掴まれた手首がすごく熱かった。
「あの、」
わたしの言葉を遮るように、カルマくんが微笑む。
「俺は秋ちゃんだから、優しくしたいんだよ」
わたし、だから?
わたしは、カルマくんに対して何もできないのに?
優しくされても、わたしにはそれを返すこともできないのに。
その言葉に何も返せなくて。わたしは、冷たい床をただ、見つめることしかできなかった。
始業開始のベルが鳴り、殺せんせーが教室に入ってくる。
だけど、その様子はいつもと異なっていて、殺せんせーの腕にはとても美人でスタイル抜群の外国人女性が甘えるように抱きついていた。
「…今日から来た外国語の臨時講師を紹介する」
「イリーナ・イェラビッチと申します。みなさんよろしく!」
そう言って彼女を紹介する烏間先生の額には青筋が浮かんでいた。
「本格的な外国語に触れさせたいと学校の意向だ。英語の半分は彼女の受け持ちで文句はないな?」
「…仕方ありませんねぇ」
対して、殺せんせーの顔はデレデレで。
いつも以上にだらしない顔になっている殺せんせーを見たくなくて、視界に入らないように下を向いた。
「ああ…見れば見るほど素敵ですわぁ…その正露丸みたいなつぶらな瞳、曖昧な関節、私、とりこになってしまいそう…」
ハートマークが見えそうなくらいに甘い声が、教室に響く。その声を聞きたくなくて、わたしは耳を塞いだ。
ねえ、殺せんせー。
貴方みたいな優秀な人が、気付いてないはずがない。その女の人が普通じゃないってことに。貴方を殺しに来た、殺し屋だということに。
この時期に、普通の人がこのクラスに来るはずがない。他のみんなだって、気付いているだろう。
わたしたちは、殺せんせーを狙う暗殺者。そこまで鈍くはないのだから。
***
お昼休み。校庭で暗殺サッカーをしているみんなを少し離れた場所から見ていると、カルマくんがやってきた。すとん、と隣に座ったと思えば、楽しそうに笑っていた。
「すごかったね、新しい先生。殺せんせーもあんなバレバレな色仕掛け引っかかっちゃってさ」
「すごく綺麗な方、ですし、その、スタイルもすごいので……男の人が好きになってしまうのも、仕方ない、のでしょうか」
わたしは、何が嫌、なのだろう。
殺せんせーが色仕掛けに引っかかったこと?それとも、あぐりさん以外を好きになってしまったこと?
「でも俺は、秋ちゃんみたいな可愛い子がタイプだけど?」
その言葉に、ぐるぐると考えていたことが吹き飛ぶ。
言われたことのない言葉に、わたしの思考はそちらに引っ張られた。
「……え、と」
「あはは。顔、真っ赤じゃん」
そう言われてから、自分の顔が熱いことに気付く。
すぐに手で覆うように、顔を隠した。
「か、からかわないで、ください。わたし、可愛くなんて、ない、ですし……それに、そんな風に言ってもらえる資格は、ないんです」
だって、わたしは、ただの――。
「からかってないってば。俺は本気で秋ちゃんを可愛いって思ってるし、秋ちゃんだから、……一緒にいたい」
重い扉をこじ開けるみたいに。カルマくんによって、顔を隠していた手が開けられる。
そこにいたカルマくんの顔は赤くて、その瞳は真剣で、その瞳の奥に、泣きそうなわたしの顔が見えた。
どうして、わたしはそんな顔をしているのだろう。その顔が見たくなくて、わたしはカルマくんから逃げるように、暗殺サッカーをしているみんなの元へと走った。
ちくちくする痛みと、ドキドキする熱。まったく違うふたつの感情が、わたしの胸の中で渦巻いている気がした。
すると、イリーナ・イェラビッチさんもこちらに来ていて、殺せんせーに甘えた声で本場のベトナムコーヒーが飲みたいと甘く、すり寄った。
殺せんせーは「お安いご用です」と言って、マッハで飛び去っていく。それを、下を向いて見ないようにした。
そこに丁度、ベルが鳴った。
「…で、えーとイリーナ…先生? 授業始まるし、教室戻ります?」
学級委員である磯貝くんが、彼女にそう話しかける。すると、先ほどまで甘かった空気が一転、冷たく感じた。彼女の表情も冷めているように見えて、ぞくりと、嫌な感じがする。
「授業?…ああ、各自適当に自習でもしてなさい」
そう言って、タバコに火をつけながら、冷たく言い放った。本当にさっきまで、殺せんせーに甘い声を放っていた人と、同一人物か疑いたくなるほどの変わりように、わたしの呼吸が止まる。
「それと、ファーストネームで気安く呼ぶのやめてくれる?あのタコの前以外では先生を演じるつもりないし、"イェラビッチお姉様"と呼びなさい」
高圧的なその姿が、昔の白を思い出させる。
ぎゅっ、とカーディガンを握る。それは、少しだけ震えている身体を隠すように。
「…で、どーすんの?"ビッチねえさん"」
この場にそぐわないような愉しげな声。
「あんた殺し屋なんでしょ?クラス総がかりで殺せないモンスター…ビッチねえさん1人で殺れんの?」
誰もが思ったその言葉を、カルマくんは挑発混じりに彼女に尋ねた。
その問いに、彼女は余裕そうに微笑んで答えた。
「…ガキが。大人にはね、大人の殺り方があるのよ」
そう言って、彼女は「潮田渚ってあんたよね?」と、渚くんに近付いていく。
渚くんが答えるよりも早く、渚くんの唇はイリーナ・イェラビッチさんの唇により塞がられていて。何度も何度も、吐息混じりに行われる行為に、ふたりが離れる頃には渚くんはくたくたになって彼女に支えられていた。
「後で教員室にいらっしゃい。あんたが調べた奴の情報、聞いてみたいわ」
その行為に驚いて、思わず後ずさると、肩にぬくもりがぶつかる。そちらを見ると、面白そうに渚くんを見ているカルマくんがいて。わたしとぶつかったことに気がつくと、その視線はこちらに向かった。
カルマくんと目が合うと、彼はまた、優しく微笑んで「大丈夫?」と聞いてくれる。
その優しさが、わたしには怖くて、わたしはすぐに下を向いて「大丈夫です」と短く返事をした。
「ま…強制的に話させる方法なんて、いくらでもあるけどね。その他も!有力な情報、持ってる子は話しに来なさい!良いことしてあげるわよ。女子にはオトコだって貸してあげるし」
機械的で、冷徹で血の通っていない彼女の言葉が、棘のように突き刺さる。
「技術も人脈も、すべてあるのがプロの仕事よ。ガキは外野で大人しく拝んでなさい。あと、少しでも私の暗殺の邪魔をしたら…殺すわよ」
冷たくて重いその言葉に、わたしは彼女がプロの殺し屋だと実感した。