今日は、月に一度の全校集会。
クラスのみんなからどういうものかを聞くと、まずE組は一番に整列をしていなければいけない、らしい。
つまり、この校舎から離れた本校舎へ移動するためにお昼休みを返上しなければならない。
出発前。教室にはわたしとカルマくんだけ。
だけど、本校舎へ向かう気配が全くないカルマくんに声をかけた。
「あ、あの……カルマくんは行かないんですか?」
「んー、面倒だし、パス」
面倒くさい、とバッサリと断るカルマくん。
カルマくんは気分屋で授業もふらっと出て行ってはサボったりをしていて。その回答もカルマくんらしい、といえば彼らしい。
ちなみに集会をサボると罰があるらしいけれど、カルマくんは出席よりも罰の方がマシ、とあっけらかんとした表情でそう言っていた。
「秋ちゃんも一緒にお昼寝しようよ」
ふわり、と手を掴まれて、優しい声でわたしを誘う。
その誘いはきっととても魅力的なんだろう。きっとここにいれば、傷付かなくて済むんだろう。
これは、カルマくんらしい優しさだって、わたしはもう気付いている。
だけど、わたしはふるふると首を横に振った。
「……いえ。わたしは集会に行ってきます」
エンドのE組と呼ばれるこのE組は、この学校では弱者で、虐げられるべき人間なんだろう。
だからこそ、そんな目で見る周りの人達から負けたくない、と思った。
だって、彼らは決して弱者ではなく、優しくされるべき人間だということを、この1ヶ月で知ったから。
「わたし、E組以外のみんなも知りたいんです」
「知らなくても、いい。あんな所、行く必要ないよ」
「……それでも、わたしは逃げたくありません」
カーディガンの下。まだ傷跡の残る腕をさすりながら、わたしはカルマくんにそう告げた。
E組以外のみんなは、きっとわたしたちのことを見下して、蔑んで、馬鹿にしている。何も持たない、弱者たちと。
「では、行きますね。急がないと、遅れてしまいます」
***
本校舎に入るのは初めてで、わたしは少しだけそれにドキドキしていた。だけど、その緊張感とは裏腹に、ひやりとした冷たさを感じた。
クラスメイトに少し遅れて入った体育館の中で、全校集会の開始を待つ。慣れない場にそわそわしているわたしを片岡さんが心配そうに覗き込んだ。
「花宮さん、大丈夫?」
「なんかすごいキョロキョロしてんね。そんなに珍しいかね、本校舎」
中村さんも困ったようにそう言って、眉を下げる。
「わたし、E組のみんなしか知らないので。その、他の方たちはどんな方なのかな、と少し、不安で」
「花宮さん、かわいー!」
中村さんにぎゅっ、と抱きしめられる。
想像もしていなかった行為と衝撃に「わ」と声を漏らした。
「いつもカルマに独占されてるから、いないうちに花宮さんを堪能しないと」
いつの間にかクラスの他の女子もやって来ていて、「確かに」と頷いていた。
カルマくんに独占、という言葉にわたしだけが置いてけぼりで。わたしは、少し困ってしまって、眉を下げた。
「……カルマくんは、優しいんです。はじめて会った時も、見ず知らずのわたしを助けてくれました。……それだけ、ですよ」
本当に、それだけ。それだけで、あればいい。
それだけじゃなければ、わたしはきっと怖くなる。そして、ただそれだけなら、今の優しさがなくなっても傷付かないから。
「それに、わたしはみんなと仲良くなりたいです。だって、わたしたちは同じ教室で学ぶクラスメイトですから」
わたしは、まだ、人との繋がりを恐れている。
いつだって他人はわたしに優しくなくて。わたしを傷付ける。だから、わたしは言葉を選ぶの。
もう誰にも傷付けられたくはないから。
「じゃあ、秋って呼んでいい?」
「はい。呼びやすい名前で呼んでください」
その名前に、意味なんてないのだから。
それは、ただの記号なのだから。わたしを成すための、ただの記号にすぎないのだから。
「じゃあ、私も秋ちゃんて呼ぼ~」
倉橋さんのふわふわとした声に続くように「私も」と声が広がる。
ただの記号のはずなのに、みんなから呼ばれるその名前は、まるで自分を認めてもらえてるみたいで、心があたたかくなっていった。
「で。秋ちゃんとカルマくんって付き合ってたりするの?」
カルマくん、その名前に反応するように、無意識に彼に掴まれた手に触れた。
もうないその温もりを探すみたいに。だけど、その手をすぐにだらりと下ろした。
「前も言いましたが、わたしとカルマくんはそんな関係じゃないですよ。わたし、可愛くないですし、その、カルマくんみたいなかっこいい人、には似合わない、です」
わたしとカルマくんでは釣り合わない。
自由を知らないわたしと、自由に生きているカルマくん。
ふ、と教室に残してきたカルマくんが頭に過ぎる。きっと、言葉通りにお昼寝しているのだろうか。
それが少し羨ましくて、わたしは、どうしたらいいのか分からない。だって、わたしは自由のなり方が分からない。自由は、羨ましいけど、怖い。
「秋って、カルマのことかっこいいって思ってんだ?」
「まあ顔は良いよね。顔だけは」
「てか花宮さんは普通に可愛いよね」
人が集まってきて、ざわざわと声が聞こえる。
それは、こっちを見て嘲笑っているようにも思えて、わたしは視線を床に向けた。
「ほら、花宮さんからかうのはそこまでにして。もうそろそろ始まるよ、皆。花宮さんは一番後ろね」
そこに学級委員の片岡さんがそう告げる。
テキパキと指示を出したら、みんながちゃんとそれに従っていた。
そして、キリッとした眉が悲しそうに下がっていく。
「……ここは、花宮さんが思ってるほど、良いものじゃない。だから、何も言われても、気にしたらダメだからね」
この学校には、明確な差別がある。
3年E組は落ちこぼれのレッテルを貼られた、可哀想なクラス。みんなが彼らをバカにする。自分たちよりも下の、弱者だと。
「大丈夫、ですよ」
それだけ答えて、列の後ろへ並ぶ。
大丈夫。いつものように何も考えなければいい。
あの白い箱の中で、わたしは弱者で、いつも強者に虐げられてきた。それを思い出せば、きっと、大丈夫。
どうせわたしは意思を持たないモルモット。死んだように生きてきたのだから。
だけど、ふと過ぎる優しい赤。
気がつけば隣いたカルマくんが、今はいないのが少しだけ寂しく感じた。
***
そして、集会が始まった。
「……要するに、君達は全国から選りすぐられたエリートです。この校長が保証します……が、慢心は大敵です。油断してると…どうしようもない誰かさん達みたいになっちゃいますよ」
校長先生がそう言った後、周りから笑いが起きた。
何が面白いのか理解できなくて、わたしは頭を悩ませる。ただ、悪意に満ちた笑みがこちらを見ていて、チクリと刺さる。
「続いて、生徒会からの発表です。生徒会は準備を始めてください」
アナウンスが体育館に響いた直前。
体育館のドアが少し開いて、烏間先生が現れた。
隣の列から、「格好いい」という声が聞こえて、わたしは少しだけ嬉しくなる。
E組を見る目が、侮蔑だけではなくなったことに。
そこに、またガラリと体育館の扉が開く。そこからビッチ先生が颯爽と歩いて、何故か渚くんの方へ向かった。そして渚くんを胸の中に押し付けて、楽しそうに笑っている。
「…はいっ、今皆さんに配ったプリントが生徒会行事の詳細です」
目の前から聞こえた声に、はたり、と体が固まる。
立場が上の人間からの苦言、まわりの生徒からの冷ややかな目と、嘲笑う目。そして、物理的な差。
学級委員である磯貝くんが、プリントについて尋ねる。
「…すいません、E組の分、まだなんですが」
「え、ない?おっかしーな…ごめんなさーい。3-Eの分、忘れたみたい。すいませんけど、全部記憶して帰ってくださーい!ほら、E組の人は記憶力も鍛えた方がいいと思うし」
返って来た答えは、明らかにわたしたちを見下していて。侮蔑が混ざった笑いが、体育館に響いた。
わたしは、E組には届かないプリントを持つ生徒たちを、ただ、静かに眺めていた。
その時。ふわり、とわたしの手にプリントが舞い落ちてくる。
「磯貝君、問題ないようですねぇ。手書きのコピーが全員分あるようですし」
心の中で、いつもの殺せんせーの笑い声が響く。
それは、闇をこじ開けるみたいな優しくてあたたかい光が差したように思えた。
「え?あ…うそ!なんで!?誰だよ笑いどころつぶしたやつ!あ…いや、ゴホン、では続けます」
先生たちの方に視線を移すと、ビッチ先生が殺せんせーに向かってナイフを何度も振りかざしていた。
それを見た烏間先生は、怖い顔をしてビッチ先生をどこかに連れていった。
いつもと違う場所なのに。いつもと同じ雰囲気を感じて、すごく心が軽くなる。
ここに、わたしたちの居場所があるって、肯定してくれているみたいに。
***
全校集会も終わり、散り散りになっていく生徒たち。E組のみんなも、いつもの校舎に戻ろうとしていた。
だけど、わたしの行き先は裏山でなくて、それを見た片岡さんに「そっちじゃないよ」と、声をかけられる。
「えと、お手洗いに行きたくて、」
片岡さんはそんなわたしに、「迷子にならない?」「着いていこうか?」と心配そうに声をかけてくれる。だけど、わたしはそれを断って、トイレを目指した。
トイレを済ませ、E組の校舎に戻るために足を進める。
目の前には知らない生徒の集団。傲慢さを含んだその足取りにわたしの足は重たくなる。
下を向いて、静かに、まるで存在しないように。すれ違った。
――だけど、その時。
ぱしり、と掴まれる腕。
それに驚いて、わたしはその腕の主の方へ振り向いた。
目の前にいるのはオレンジかかった金。
見知らぬ少年に、わたしは戸惑って声が出ない。
「秋……?」
その少年の口から出たのはわたしの名前。
「どうしてここにいる。その制服は……うちの制服だろう。一体、どこのクラスに、」
切羽詰まった声。詰め寄るように掴まれた肩が熱くて、わたしはどうしたらいいのか分からなくて、目を彷徨わせる。どこを見ればいいのか分からなくて、その視線はどんどん下に向かう。
「もしかして……覚えてないのか」
悲しみを含んだその声に、思わず伏せていた目を上げる。視界に入った少年の顔は、今にも泣きそうに見えた。
「小さい頃、よく君と図書館で本を読んでいたんだ」
小さい頃。図書館。本。
頭の中で検索するみたいに、記憶を巡らせる。
思い出を隠していた、宝箱をそっとあけるみたいに。固く閉ざした扉を開けるみたいに。
冷たい白い箱だった研究所に行く前の記憶。あたたかくて、大切な思い出。
養護施設でも居場所がなかったわたしの、唯一の、居場所だった人。白で塗りつぶされたその顔が、クリアになっていく。
「……学秀、くん……?」
わたしがその名前を呼ぶと、目の前の彼は嬉しそうに微笑んだ。だけど、すぐその顔は、ハッとしたように、自信のこもった顔に変わっていく。
「秋は一体どこのクラスなんだ?校舎で君を見たのは初めてだが……」
「あ、えっと、……い、E組です」
その答えに、ピクリと動きが止まる。学秀くんの周りにいる人たちも、わたしを見て動揺していた。
「その、わたし、授業があるので行きますね」
学秀くんの腕を振り解いて、周りを見ないよう下を向いて、廊下を走った。
もう、わたしは昔のわたしじゃない。
あの頃のわたしにとって、学秀くんの隣は居心地がよかった。何も知らない世界を、学秀くんが広げてくれたから。
だけど、わたしは、知りすぎた。
この世界は優しいだけじゃなくて、とても残酷だということを。