色のない世界で君と   作:もちもち。

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11/泡沫の境界線

 

この間の集会で学秀くんと再会してから、わたしはどこかうわの空だ。

校舎も別で、連絡先も知らないわたしたちがまた出会う確率は低くて、ほんの少しそれに安堵してしまう。そんなわたしが、少し嫌に思えた。

 

 

「秋ちゃん、おはよ」

 

「……お、おはよう、ございます」

 

朝のホーム。カルマくんとは待ち合わせもしていないのに、同じ時間の電車に乗って学校へ向かう。

揺れる車内の中、今日もわたしは学秀くんのことを考えていた。

 

「秋ちゃんさ、最近なんかあった?」

 

「えっ、と……その、」

 

覗き込むような目から逃げるように、ばっと逸らして、下を向いた。

 

「もし悩み事なら、聞くよ?」

 

その優しさに、目頭が熱くなる。

この優しさに縋ってしまえば楽になるだろうか。この優しさに溶けられたら、きっと、――。

 

「え、と……小さい頃に、仲良くしてくれた人と再会、したんです。けど、わたし、逃げちゃって、……」

 

もう会いたくない、とか。

嫌いになってしまった、とか。

そういうのじゃない、のに。

 

「怖い、んです。だって、わたし、もう、あの頃のわたしじゃ、ないから」

 

家族のいないわたしに優しくしてくれた学秀くんが、あの頃のわたしの全部だった。

学秀くんと会うのが楽しくて、嬉しくて、わたしがわたしで居られる、たったひとつの居場所だった。

 

だけど、わたしの世界は白で塗り潰された。

痛くて、怖くて、逃げ場のない白の世界。

だから、傷付かないために、わたしはわたしを捨てた。ただのモルモットとして、実験動物として。

だって、道具になれば、感情を捨てれば、きっとわたしはもう傷付かなくて済むとおもったから。

 

「わたし、……楽しいとか、嬉しいとか、もう、分からなくて。本当は全部、怖いんです」

 

その時、ガタン、と電車が揺れる。

後ろに立っていた人の腕が当たって、バランスが崩れた。

 

 

***

 

 

――ぽす、とカルマくんの胸に飛び込んだみたいに。わたしの身体が、カルマくんに寄りかかった。

カルマくんの手が、わたしの背中を優しく支える。それはまるで抱きしめられているみたいな安心感があった。

 

「……俺といるのも、怖い?」

 

囁くように、耳にカルマくんの息が触れた。

わたしはカルマくんの胸に顔を埋めて、小さく「はい」と答えた。

 

「そっか」

 

その声に、わたしは上を向く。

カルマくんの瞳はわたしを映していた。

その瞳はいつもの揶揄うような目じゃなくて、真っ直ぐとわたしを見る真剣な目。

 

「カルマくんが、怖い、んじゃなくて。みんな、優しいから、……いつか、それがなくなるのが、怖いんです……」

 

わたしのちっぽけな世界は、ぐらぐらと不安定だ。

学秀くんがいた世界が、暴力的な白の世界に変わって。今は、殺せんせーで繋がった世界の中にいる。

じゃあ、殺せんせーを殺したら、わたしの世界はどうなるんだろう。

 

「……わたし、カルマくんやみんなともっと一緒にいたいのに。わたしは何もできない役立たずで、きっといつか嫌われちゃう、から。きっと、あの人も、昔と違うわたしに失望しちゃう」

 

だけど、どんな世界でも、わたしはわたしを一番嫌ってる。

それだけはきっと、変わらないと思う。

 

「俺はさ、秋ちゃんのこと、嫌いになんてならないし、離すつもりもないよ」

 

嫌いにならない、離さない、なんて甘い言葉を言わないで。

人は変わってしまうの。わたしみたいに。カルマくんだって、いつか変わってしまう。

 

「俺だって、秋ちゃんが、俺からいなくなるって考えるだけで怖い。だから、ずっと秋ちゃんのこと捕まえさせて。逃がさないから覚悟しててよ」

 

カルマくんの手に力が込められて、ぐっと引き寄せられる。その手は腰にまわされていて、わたしは彼の『逃がさない』を全身で感じた。

 

信じることは、すごく怖い。

けれど、カルマくんの真剣な目から『逃げる』なんて選択肢はなかった。

だから、ほんの少し、カルマくんになら捕まってみたい、そう思ってしまった。

 

伝わるカルマくんの熱が、わたしを落ち着かせる。

 

「……カルマくんのおかげで少し勇気が出ました。もし次、あの人に会えたら、逃げないで、ちゃんとお話したいと思います」

 

「うん。また仲良くできるといいね」

 

腰にあった手が、ふわりとわたしの頭を撫でる。

カルマくんは、どこまでわたしに勇気をくれるのだろう。

 

学秀くんに会えたら、まずは逃げたことを謝ろう。

そして、また、仲良く話ができるといい、な。

 

 

***

 

 

授業中、すごく殺せんせーが張り切っていて。

どんどん殺せんせーが増えていった。

 

「「さて、始めましょう」」

 

わたしたちひとりひとりの前には殺せんせーが立っていて、それぞれの殺せんせーの額には教科名が書かれたハチマキが巻かれている。それは、わたしたちひとりひとりの苦手教科だった。

 

「学校の中間テストが迫ってきました」

「そうそう」

「そんなわけで、この時間は」

「高速強化テスト勉強を行います」

 

たくさんいる殺せんせーが一言ずつ発する姿はとてもシュールで、現実離れしていた。

「先生の分身が1人ずつマンツーマンで、それぞれの苦手科目を徹底して復習します」

 

わたしの目の前にいる殺せんせーの額には、国語の文字。記憶力が良くて暗記教科が得意なわたしは、ほとんどの教科で点数を取ることができる。

だけど、他人の意を汲む問題がとても苦手で、小テストではいつもそこに躓いてしまっていた。

 

「花宮さんは、どうして苦手なのかを既に理解していますね」

 

わたしには、経験がないのだ。

あの場所は何も考えなくても良かった。考えさせてくれなかった。だからこそ、自分で思考する能力がどこか欠けている。

 

「では、この本を読んで花宮さんが思ったことを素直に書きましょう。そうすれば、花宮さんの気持ちに輪郭が付く」

 

と、机に埋め尽くされる量の本が置かれる。

そのほとんどが今回の試験範囲とは関係のない本ばかりだ。絵本、ミステリー、歴史小説、エッセイ、青春群像劇に、恋愛小説。

 

「分からないことがあれば何でも聞いてください」

 

まずは何から手を取ればいいのか分からない。

わたしは、一番上に置かれた海の色をした本を手にとってページをめくった。

 

少し読み進めて、やっぱり登場人物の感情が分からず、頭を悩ませる。気分転換、になるかは分からないけれど、視線を上に上げた。――その瞬間、目の前の殺せんせーの顔が歪んだ。

 

「ひえっ……」

 

思わず声を漏らして、口を押さえる。

 

「急に暗殺しないでください、カルマ君!!それを避けると残像が全部乱れるんです」

「「意外と繊細なんだこの分身!」」

 

隣のカルマくんを見ると、べっと舌を出しながら殺せんせーにナイフを向けていた。

みんなが真剣に勉強をしている中、カルマくんだけは不真面目だ。

 

「……カルマくん。暗殺も大事ですが勉強も大事ですよ」

 

「えー?俺、別にここの範囲くらい余裕だし?殺せんせーが分身で忙しいなら、俺が教えてもいいよ、秋ちゃんに」

 

本当に余裕そうに微笑むカルマくんに、わたしを眉を少し下げる。

 

「……いえ、勉強のことは先生である殺せんせーに聞きます。だから、生徒であるわたしたちは勉強しましょう?」

 

わたしは視線をカルマくんから本に戻した。

 

 

***

 

 

本のタイトルは『人魚姫』。

深い海の中で暮らす人魚姫は、誕生日を迎えたある日、海の上にのぼった。そこには、海にはない景色があって、船の上にいる美しい王子様に恋をした。

そして、人魚は魔女の元へ行き、自身の美しい声を引き換えに、人間の足をもらう。だけど、彼女の恋は叶わない。王子様は別の女性に恋をしていたから。王子様の流した返り血を浴びると人魚に戻ると人魚姫の家族が言った。だけど、彼女は愛する王子様を殺せない。そして、愛をもらえなかった人魚姫は、――泡となった。

 

愛した人と、結ばれない物語。

それでも彼女は王子様を愛してた。たとえ、王子様が自分を見てくれなくても。王子様が他の人を愛していても。

 

「秋ちゃん。もうチャイム鳴ったけど、そんなに面白いの?その本」

 

気付かないうちに、授業は終わっていたらしく、教室の中も話し声で賑わっていた。

目の前に現れた赤に、わたしの胸はドキリと跳ねた。

 

「……カルマくんは、自分を傷付けてでも、誰かを愛したことがありますか?」

 

その言葉に、カルマくんは驚いた表情を浮かべる。そして、少しだけ頬が赤に染まった。

 

「あ、えっと、この本、人魚姫の物語で、その、人魚姫は好きになった王子様に声を代償に、会いに行くんです」

 

「あれ?人魚姫って、最後、王子と結ばれてハッピーエンドでしょ?」

 

「……いえ、この本では、王子様は別の人を愛していて、人魚姫は王子様を愛していたから泡になって、消えるんです」

 

とても切ない物語だと思った。

愛した人に愛されないのはとても悲しいのだと、思った。

 

「俺なら、どんな手を使ってでも、その王子を奪ってみせるよ。だって、自分が好きな人を、他人になんてあげたくないし」

 

それはまるで、頭を殴られたような衝撃が走る。

思ってもみない方向からの、だけどそれはすごくカルマくんらしい気もした。

 

「秋ちゃんは?もしそういう状況になったらどーするの?」

 

「わたしは……、分かりません。誰かを、好き、になったこと、ないので。でも、多分、人魚姫と同じだと思います。好きな人に幸せになってもらいたい、そこにわたしがいなくても」

 

その回答に、カルマくんは寂しそうで、苦しそうな目をしていた。

それが、どんな感情を帯びているのか分からない。

 

――問、カルマくんの気持ちを答えよ。

自分の気持ちも分からないのに、他人の気持ちなんて、もっと分からない。だけど、知らないままは嫌だと思った。もっと、もっとみんなのことを知りたい。

そうしたら、あぐりさんのように、もっと優しくなれるだろうか。

 

積み上げられたたくさんの本。

この中に、わたしの感情が少しでもあればいいのに。

 

「帰ろう。本持つの手伝ってあげるよ」

 

優しい声。目の前にはいつものカルマくん。

わたしはそれに「はい」と返事をした。

 

 

***

 

 

紙袋に入った数冊の本。それをカルマくんが持ってくれている。

 

「やっぱり、自分で持てますので、」

 

「いーよ。どうせ駅一緒だし。それに、秋ちゃんと一緒に帰れて俺は嬉しいよ」

 

ぴた、と足が止まる。

カルマくんはいつも優しい。何もできないわたしをすくってくれるあたたかい言葉をくれる。

 

「どうして、カルマくんは、わたしに優しくして、くれるんですか」

 

今朝、『離さない』『逃がさない』と言ったカルマくんを思い出す。

離れたくない、捕まりたいと思う気持ちとは裏腹に、やっぱりわたしはまだ、どこか怖くなる。

 

「秋ちゃんが自分を優しくしてあげないから、俺が秋ちゃんに優しくするんだ。そうすれば、俺から離れたくなくなるでしょ?」

 

わたしが、わたしに優しくない?

だってわたしは、本当は、生まれてこなければよかった存在で。ただのモルモットで。失敗作だ。

 

そんなわたしは、必要とされないに決まってる。

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