まだ慣れない制服を着て、険しい通学路を歩きながら、校舎を目指す。
いつもより早く目覚めてしまって、すこし早めに着いた3年E組の校舎。
そこには、杉野くんが振りかぶっている姿が見えて。殺せんせーはグローブをはめて杉野くんの球を難なくキャッチしていた。
朝早くから超生物とキャッチボール?と首を傾けながら、わたしは「おはようございます」と声をかける。
そこには渚くんもいて、杉野くんの浮かない表情から、楽しくキャッチボールをしていた訳ではないと悟った。だけど、わたしはこういう時、どんな対応をしたらいいのか分からなくて。わたしが答えを出すよりも先に杉野くんは校舎に入っていった。
「あの、杉野くんは、一体どうしたのでしょうか」
「さあ……よくわからないんだ。暗殺に失敗してからあんな感じで」
暗殺……?さっきのキャッチボールが?
プロの野球選手でもない、ましてやスピードの遅いボールが殺せんせーに当たるなんて不可能に近いだろう。
「僕たちも、行こうか」
「あ……はい、」
わたしは渚くんの背中を追うようにして教室へと向かう。
その日は一日中、杉野くんは落ち込んだままに見えて。その落ち込んだ表情をどうすることもできないわたしは、ただのつまらない傍観者に思えた。
***
次の日も、杉野くんは変わらず元気がないように見えた。
数日、このクラスで過ごして分かったことがある。今のこのクラスでは、殺せんせーを殺すことができないこと。その力量を持つ生徒が誰一人としていないからだ。そして、殺せんせーは常に進化をしていること。もはやあの時の面影がないくらいに、"殺せんせー"という存在になっていた。
思わず深いため息が漏れる。
こんな状況を、あの人が知ったらどう思うのだろう。殺せんせーをいつでも殺せる立場にいて、殺すことができない不甲斐ないわたしをまた甚振って、見下すのだろうか。
放課後になり、殺せんせーから出された課題を提出するため、職員室へ向かっていた。
その道中、目に映ったものに対して、自分でも思った以上に低い声が出た。
「一体……、何を、しているんですか」
杉野くんが、殺せんせーの触手に。
「絡まれてる!?」
すぐ後ろで驚いた声が響く。そちらを見ると立っていたのは渚くんで。わたしと目的が一緒なのだろうか、ノートを持っていた。
「これは、どういうことですか?」
「そうだよ!生徒に危害を加えないって契約じゃなかったの!?」
というか、一体どうやって絡み付いているんだろうか。うねうねと動く触手に、杉野くんは呑まれていた。
「杉野君、昨日見せたクセのある投球フォーム、メジャーに行った有田投手をマネていますね」
「!!」
図星だったのか、驚いた表情を浮かべる杉野くんを殺せんせーはゆっくりと地面へ降ろした。
わたしは、有田投手、という人物が分からなくて少し置いてけぼりなこの状況に、疎外感を覚えた。
「でもね、触手は正直です。彼と比べて君は、肩の筋肉の配列が悪い。真似しても彼のような豪速球は投げられませんねぇ」
まるで分かりきったようにそう言い放つ殺せんせーに、わたしは杉野くんよりも先に意を唱えた。
彼らは、何も出来ないわたしとは違う、と。なにもしようとしなかったわたしと違う、と。
「なんで!……なんで、貴方に、そんなことが分かるんですか……どうして、断言できるんですか」
この人が才能に溢れた人だということを知っている。この人があらゆる才能を会得したことを知っている。
出来損ないのモルモットであるわたしと優秀なモルモットのこの人を、比較するために渡された資料に、この人のことは全部載っていたから。
けど。だからって。
「貴方に、……そんなこと言う資格なんて、」
「昨日、本人に確かめてきましたから」
「へ……?」
殺せんせーが自慢げに見せてきた新聞には、触手に絡まれる野球選手の写真が載った記事。
確かめたのなら……、仕方、ない、のかと納得しそうになってから、すぐに国家機密が一体何やっているんだと冷静に考える。
そして、殺せんせーは泣きながら色紙を見せる。
そこには「ふざけんな触手!!」の文字。
「その状態でサイン頼んだの!?そりゃ怒るよ!!」
「ある意味、勇気ありますね…」
思った以上にやりたい放題している目の前の国家機密に、顔が引き攣る。
殺せんせーに色々言われていた杉野くんをちらりと横目で見ると、だいぶ落ち込んでいるようで、その顔は曇っているように見えた。
「……そっか、やっぱり才能がちがうんだなぁ」
「一方で、肘や手首の柔らかさは君の方が素晴らしい。鍛えれば彼を大きく上回るでしょう」
殺せんせーは、杉野くんに向けてそう言った。
その声はとても優しくて、あたたかみのある声に聞こえた。
「いじくり比べた先生の触手に間違いはありません。才能の種類はひとつじゃない、君の才能に合った暗殺を探してください」
才能の種類はひとつじゃない。
自分の才能に合った暗殺。
じゃあ、わたしの才能って、一体なんだろう。
今まで我慢することしか出来なかった、わたしに出来ること。わたしにしか、出来ないこと。
「肘や手首が…俺の方が……俺の…才能か…」
杉野くんは嬉しそうに、自分の肘や手首を見ていた。
「杉野くん、よかったですね」
「ああ、俺、もっと頑張るわ!」
さっきまで意気消沈していたのが嘘みたいに、やる気を取り戻した笑顔。
わたしはまだ、3年E組のみんなとの絆とか友情とかはないけれど、それでも、悲しんでる顔や落ち込んでいる姿は見たくないと思った。
「いつか、殺せんせーを殺せる野球選手になれるといいですね」
杉野くんだけの、杉野くんだけにしかない才能。
それを、磨けば、いつかは。
わたしも、見つけたいな。
わたしだけの、わたしにしかない才能を。
「……さてと。では、殺せんせー、課題を……って、あれ、どこに行ったのでしょうか」
気がつくと、殺せんせーと渚くんの姿はいなくて。
わたしは行きますねと杉野くんに声をかけてから、殺せんせーを探すために校舎をぐるぐると歩き回った。
***
「先生はね、渚君。ある人との約束を守るために君達の先生になりました」
陰から聞こえた声に、思わず身体が固まる。
ある人。
……あぐりさん、?
ひたすらに前向きだったあぐりさん。いつも、笑顔を絶やさなかったあぐりさん。
あぐりさんだって、泣きたいくらい辛い状況だったはずなのに。
わたしは、殺せんせーとあぐりさんの交わした約束を知らないけれど。それでも。
優しくて、あたたかい、そんな約束をしたんだと思った。
「私は地球を滅ぼしますが、その前に君達の先生です。君達と真剣に向き合う事は……地球の終わりよりも重要なのです」
わたしはまだ、何も知らない。
たくさんの資料を読んで、殺せんせーのことを知った気になっているだけで。彼のことを、なにも知らない。
「……殺せんせー、採点スピード誇示くるのはわかるけどさ、ノートの裏に変な問題書き足すのはやめてくんない?」
「本当……変な問題ですね」
「わ、花宮さん!?」
ノートを覗き込むように後ろから声をかけると、渚くんは飛び跳ねるように驚いていた。
「ごめんなさい……驚かせてしまって、」
「ううん!大丈夫!!」
渚くんは慌てるように、気にしないでと微笑んでくれた。
「でも、本当に変な問題ですね。これ、わたしの分の課題です。採点を、お願いします」
そう言いながら、殺せんせーに課題のノートを手渡す。殺せんせーはマッハで採点を始めた。
「にゅやっ!そんなにハッキリ言わないで!ボーナス感があって喜ぶかなと…」
「むしろペナルティだよ」
渚くんの的確な突っ込みがおかしくて。
わたしは、ふっと声が漏れた。
「……花宮さんって、そんな風に笑うんだね」
笑う、という言葉にわたしは思わず、固まる。
「……わたし、笑ってましたか」
「え、うん。ねえ、殺せんせー」
困ったように殺せんせーに同意を求める渚くんと。少しだけ嬉しそうな顔に見えた殺せんせー。
「そうですね。そんな訳で、君たちも生徒と暗殺を真剣に楽しんでください。ま…暗殺の方は無理と決まってますがねぇ」
殺せんせーはにやにやと笑いながら、わたしたちを見ていて。馬鹿にされてる、なんて言葉にしなくても分かった。
数日後。杉野くんと渚くんがキャッチボールしている姿を目撃した。杉野くんが投げたボールはまるで、消えたみたいに変化していて。
誰にでもない、杉野くんだけの、特別な才能。
杉野くんの横側は、眩しいほどに輝いていた。