体育の授業は殺せんせーの作成した小テストの時間。静かにいけない時間にも関わらず、前からは"ぶにょん、ぶにょん"と不思議な音が響いていた。
わたしは既に埋まっている答案用紙を横目に、不思議な音の正体――壁にパンチをしている殺せんせーに目を向けた。前の方に座るクラスメイトたちはその音に小言を溢している。
「ブニョンブニョンうるさいよ、殺せんせー!小テスト中なんだから!」
岡野さんがとうとう痺れを切らしたのか、怒るように言葉を発していて。
だけど、そんな殺せんせーよりも気になる人物に、わたしは視線を泳がせた。
……隣に座る、赤髪の少年。彼もまた、問題は解き終えたようで、余裕そうな表情をしていた。
「よぉ、カルマぁ、あのバケモン怒らせてどーなっても知らねーぞ」
「またおうちにこもってた方が良いんじゃなーい」
更に奥の席から、赤羽くんを揶揄うような声が聞こえた。それは、寺坂くんと村松くんで。だけど、それに対して、彼はまるで関係ない、と言わんばかりに飄々としていた。
「殺されかけたら怒るのは当たり前じゃん、寺坂。しくじってちびっちゃった誰かの時と違ってさ」
「な、ちびってねーよ!!」
ドン、と机を叩く音が響く。それに反応するようにわたしの肩がびくりと震える。
殺せんせーがすぐに「こらそこ!テスト中に大きな音立てない!」と、自分が出していた音は棚に上げて、寺坂くんたちを注意をしていた。
それに対して、赤羽くんの右手が少し上に上がる。
「ごめんごめん、殺せんせー。俺もう終わったからさ、ジェラート食って静かにしてるわ」
その手にはジェラート。わたしはそれをどこから出したのだろう、と不思議に思ってただ、赤羽くんのその手を見つめていた。
「ダメですよ、授業中にそんなもの。まったくどこで買ってきて…」
と、言った直後、殺せんせーは何かに気づいたように、ハッとしていた。
「そっ!それは昨日、先生がイタリア行って買ったやつ!」
「あ、ごめーん。教員室で冷やしてあったからさ」
殺せんせーのジェラート、だと分かっても赤羽くんは気にせず、ぺろりと一口舐めていて。
それが、殺せんせーをもっと怒らせる、とわざとやっているのがよく分かる。
「ごめんじゃ済みません!溶けないよう苦労して寒い成層圏を飛んできたのに!」
赤羽くんからジェラートを取り返そうと、ずんずんとこちらに向かってくる殺せんせー。
だけど、突如、その触手はぐにゃり、と溶けた。
「!!」
殺せんせーは、明らかに驚いた表情を浮かべていて。
下をよく見ると、床には対先生用BB弾がばら撒かれていた。
「あっはー!まぁーた引っかかった」
楽しそうに笑う声に、また肩が震える。
殺せんせーに向けられた、赤羽くんの悪意が痛くて、少しずつわたしの呼吸を苦しくさせていた。
――パン、パンと銃が発砲する音が聞こえた。
赤羽くんの左手には、殺せんせーに向けられた銃が握られていて、彼が撃ったのだろうと思った。そして、それを殺せんせーは躱したのだと。
「何度でも、こういう手使うよ。授業の邪魔とか関係ないし……それが嫌なら、俺の親でも殺せばいい」
さっきまでの楽しそうな声とは違う、少し冷たい声。
一歩ずつ、彼は殺せんせーに近づきながら、重たい言葉を投げ捨てる。
「でも、その瞬間から…もう誰もあんたを先生とは見てくれない。ただの人殺しのモンスターさ。あんたという"先生"は俺に殺されたことになる」
まるでナイフを刺すように、右手に持っていたジェラートをぐりぐりと押し付ける。そしてそれは、ぐにゃりと床に落ちていった。
赤羽くんが殺せんせーを見る瞳が、怖くて、わたしはただ、下を向くことしかできなかった。
「はいテスト、多分全問正解。じゃあね"先生"。明日も遊ぼうね」
赤羽くんはそう言いながら小テストを殺せんせーに手渡して、そのまま教室を出て行った。
わたしの視界には、ただ答えの埋まった答案用紙だけ。彼を追いかけることも、彼に言葉をかけることもわたしにはできない。
だって、わたしは赤羽くんのことを、何も知らないのだから。
彼の、拘っている、"なにか"。
それは"先生"と呼ばれる何かだと、なんとなくは予想できる、けれど。
まるで泣きそうなくらい、苦しい殺意。
わたしは、解答用紙から、誰もいない隣の席に視線を移した。
***
授業も終わり、帰路の途中。駅へ向かうと、赤い髪が揺れているのが見えて、一瞬、息が詰まった。
強烈なその色に、わたしはほぼ無意識に、彼の名前を呼んでいた。
「……赤羽、くん?」
わたしの声が届いたのか、くるりとこちらを向く赤。その表情は、殺せんせーを挑発していた時とはまるで違っていて、柔らかくも見えた。
「まさか同じクラスだったなんてね。しかも、隣の席とか。あの時はボロボロだったのに、すっかり元気そうじゃん」
ひと月前。病院でわたしを助けてくれた少年。
わたしはまさか相手も覚えているなんて思わなくて。わたしの身体は、思わず、ぴたりと固まってしまう。
「ちょっとなに、無視?それとも、――覚えてない?」
忘れるはずがない。
この、強烈な赤を、わたしは鮮明に覚えている。
迷いを孕んだ、悲しそうな目。だけど、真っ直ぐで、正しいと思い行動するその姿勢に。
白だらけの世界は、ほんの少し色付いたのだから。
「えっと、……その、病院、で。あ、わたしは、花宮 秋、といいます、その、……」
何を言ったらいいのかわからなくて、言葉が詰まる。視界も、彼を捉えなくて、辺りを彷徨うばかりで。
「おっけー、秋ちゃんね。俺のことも、カルマって呼んでよ」
どうしたらいいか分からないわたしとは裏腹に、赤羽くんはぐいぐいと詰め寄ってくる。
それに対して、わたしは更にどうしたらいいのか分からなくなる。
――彷徨った視界の端に、青を見つけた。
それはクラスメイトの渚くんで。同じ制服を着た生徒たちと一緒にいる。だけど、その様子は級友と楽しくおしゃべり、という雰囲気ではなくて。
わずかに聞こえたのは、侮蔑の混じった言葉。
「うっわ最悪。マジ死んでもE組に落ちたくねーわ」
わたしの視線の先を辿るように、赤羽くんの視線もそちらへ向かう。
彼は、ゆらり、とその辺に転がっていた空き瓶を拾ったかと思えば、それを持ってふらふらと渚くんの方へ向かっていく。
――ガシャン、と空き瓶の割れる音が響く。
その音と、赤羽くんから放たれる殺意に、カタカタと指の先が震えた。
「えー、死んでも嫌なんだ…じゃ、今死ぬ?」
「あっ、赤羽!!」
「うわぁっ!」
その異常ともいえる行動に、なのか、カルマくん自身になのかは分からないけれど、渚くんに酷いことを言っていた彼らは怯えるように逃げていった。
それを、ただ見ていたわたしは、一歩ずつ、渚くんの方へ近付く。だけど、近くにいた赤羽くんのことは、どうしてだろうか、見ることができなかった。
「渚くん、……だ、大丈夫、でしたか?」
差し伸べた手を、まるで折るように、赤羽くんは楽しそうに笑っていた。
「あはは、殺るわけないじゃん」
本気なのか冗談なのか分からないその言葉に、わたしの視線は下がっていく。
「…花宮さん、カルマ君」
「ずっと良いオモチャがあるのに、また停学とかなるヒマないし」
ころころと変わる、赤羽くんの感情。
それにわたしは追い付けなくて、だけど、それは彼の出したサインにも思えて、わたしは彼のことを理解したくなった。
目的地も一緒だからか、3人で駅のホームに向かっていた。改札を通る時、赤羽くんが渚くんに殺せんせーのことを聞いていて。わたしは、ただ、2人に付いていくことしか出来なかった。
駅のホームに着いて、渚くんの声が、静かに響く。
「……カルマ君、次はなにを企んでんの?」
渚くんの問いに答えるように、くるりとこちらを見る赤羽くん。
「俺さあ、嬉しいんだ。ただのモンスターならどうしようかと思ってたけど、案外ちゃんとした先生で」
さっきとはまた違う表情。
「ちゃんとした先生を殺せるなんてさ、前の先生は自分で勝手に死んじゃったからさ」
その表情は歪んで見えて、背中がぞくりと疼いた、そんな気がした。
***
ホームに着いた電車に乗り込むと、それは赤羽くんも一緒で。混んでいる車内で、彼の息遣いが聞こえた。
「混んでるけど、大丈夫?」
「……え、と、はい……大丈夫、です」
下を向いたまま、そう告げる。
このまま、はやく目的地に着けばいい、そう思っていると、思いもよらない言葉が降ってきた。
「……俺のこと、怖い?」
下を向いていた顔が、上がる。
彼の瞳には、悲しみを含んでいるように見えて。あの時のように、彼の手を包み込むようにそっと触れた。
「……暴力、は、嫌い、です」
怖くない、それを言うのは簡単だろう。
だけど、歪んだ殺意を孕んだ瞳が、わたしはすごく怖くて、すごく悲しく感じた。
「だけど。赤羽くんは、誰かを、守れる人、だから」
赤羽くんの暴力は、怖い。
けれど、病院での彼を思い出す。ただ傷付けるだけじゃない、暴力。誰かを助けるための、誰かを守るための暴力。赤羽くんには、その力があるから。
「……優しい、赤羽くんは、怖くない、です」
この答えが、正しいかは、分からない。
赤羽くんが何を思って、そう聞いてきたのか、わたしには理解できないから。
見上げた赤羽くんの顔は、夕陽に染まっていて。
その瞳には悪意も殺意もなくて、わたしには分からない感情が、そこにはあるように見えた。
「やっぱ、カルマって呼んでよ。秋ちゃんには、そう呼ばれたい」
ゆっくりと、口を開く。
それは、きっと、彼に歩み寄るための一歩目。
「……か、カルマ、くん」
放った言葉は、彼に届いただろうか。