翌日、教室に入ると、教壇の上にはナイフが刺さったタコ。あまりの衝撃に言葉がでなくて、わたしは見て見ぬふりをして自分の席へ向かった。
「おはよー、秋ちゃん」
まるで当たり前みたいに、悪意のこもっていない声が、隣から聞こえて。
わたしは、そこにいるカルマくんを一目見てから、その視線を下に落とした。
「……お、おはよう、ございます。カルマ、くん」
「ねえ、俺、そんなに下にいないんだけど」
と、そう言って、カルマくんは、わたしを下から覗き込む。
ぱちり、と合った目に、わたしはびくりと反応して、一歩後ろへ下がった。
「う、……その、ごめんなさい、」
そこに、ガラリと扉を開く音が聞こえて、そちらを見る。そこには、殺せんせーがなにかブツブツ言いながら教室に入ってきていて。
ちらりと教壇と殺せんせーを見比べていると、「……ん?どうしましたか、みなさん?」と言って、彼も教壇の上のタコに気が付いた。
「あ、ごっめーん!殺せんせーと間違えて殺しちゃったあ。捨てとくから持ってきてよ」
さっきまで目の前にいたカルマくんが、くるりと殺せんせーを振り向く。
おそらく彼は精神的なダメージを殺せんせーに与えたいのだろう。そんな殺せんせーは「わかりました」と言って、カルマくんの方へ歩み寄る。
直後、殺せんせーの触手がドリルに変わり、一瞬にして消えた。
そしてすぐに、殺せんせーは、教壇にあったタコをなにかを持って現れた。
「見せてあげましょう、カルマ君。このドリル触手の威力と自衛隊から奪っておいたミサイルの火力を」
か、烏間先生……自衛隊からミサイル奪われてますよ、と、心の中でここにはいない烏間先生に告げる。
また、彼の眉間の皺が濃くなりそうだ、と眉を下げた。
「先生は、暗殺者を決して無事では帰さない」
そう言いながら、殺せんせーがドリル触手とミサイルでなにかを作っていた。それは。
「あっつ!!」
カルマくんの大きな声に、びくりと肩を揺らして、そちらを見る。
彼の口には、たこ焼きが放り込まれていた。
殺せんせーはカルマくんに朝食を食べていないことを指摘し、「健康優良児に近付けますね」とからかうように言っていた。
「先生はね、カルマ君。手入れをするのです。錆びて鈍った暗殺者の刃を。今日1日本気で殺しに来るがいい。その度に先生は君を手入れする」
……手入れ。その言葉に、カルマくんの表情が変わった気がした。
「放課後までに、君の心と身体をピカピカに磨いてあげよう」
その日、殺せんせーの本気の手入れが、カルマくんを襲っていた。
警戒心MAXとなった殺せんせーに、カルマくんの攻撃は届かない。
それどころか、手入れと評して、ネイルアートをされたり、フリフリの可愛いエプロンを着せられたり、髪の毛を整えられたりされていた。
隣の席からは、カルマくんのイライラがちくちくと感じられる。ほんの少し、呼吸がしづらくて、霞んだ視界の中、教室から出て行く彼をただ、見ていた。
――本当に、それでいいのか。
このままでいいのか。殺せんせーへ、ではない、その奥のなにかに向けられたカルマくんの殺意。
わたしは、その殺意が怖くて。だけど、それ以上に、そんな殺意は悲しくて、手放してほしいと思った。
ガタリ、と椅子の音が鳴る。
わたしは、もう姿の見えないカルマくんを追って、教室から出た。
頭の中でサイレンが鳴り響く。彼を追えという、警告音が。
***
着いた先は、裏山にある崖の上。そこに迫り出した木の上にカルマくんは座っていて、その近くには渚くんも立っていた。
「…カルマ君、焦らないでみんなと一緒に殺ってこうよ。殺せんせーに個人マークされちゃったら……どんな手を使っても1人じゃ殺せない。普通の先生とは違うんだから」
渚くんはカルマくんを諭していて。
だけど、その言葉はカルマくんには届いていないように見えた。
「あ、あの、……その、無茶、しないで、ください」
わたしには、カルマくんが何を考えているのかは、分からない。
だけど、何か、とんでもないことをしそうなカルマくんが怖くて。その直感ともいえる嫌な感じが、サイレンのように鳴り響いていた。
「……やだね。俺が殺りたいんだ。変なとこで死なれんのが一番むかつく」
何かを考えてから、そう言ったカルマくん。
そこに、殺せんせーが現れた。
「さて、カルマ君。今日はたくさん、先生に手入れをされましたね。まだまだ殺しに来てもいいですよ?もっとピカピカに磨いてあげます」
殺せんせーの顔は、緑と黄色のシマシマ。
これは、人を舐めている時の顔だと、渚くんが言っていたっけ。
「確認したいんだけどさ、殺せんせーって先生だよね?」
「? はい」
「先生ってさ、命をかけて生徒を守る人?」
頭の中で鳴り響いていたサイレンが更に大きくなる。
ガンガンと鳴り響くサイレンは、わたしを躊躇させる。
「もちろん、先生ですから」
「そっか、良かった。なら殺せるよ」
そう言って、カルマくんは銃を構えた。そして。
「確実に」
倒れるように、崖から飛び降りた。
「っ!?、カルマくん!?」
崖から落ちていくカルマくんの姿が、どんどんと小さくなっていく。
「ま、待って……っ、!」
足が、腕が、身体が勝手に動いた。
カルマくんを追いかけるように、力強く崖を蹴り上げて、わたしの身体は逆さまに落ちていく。
「花宮さんっ!?」
崖の上から、渚くんの声が聞こえた。
だけど、そちらを見ないで、わたしはただ、先に落ちていくカルマくんだけを見ていた。
ぱちり、と目が合ったような気がして。わたしは、口角を上げて、まるで「大丈夫」と告げるように、微笑んだ。
「つか、まえた」
勢いを付けていたお陰か、カルマくんに追いついて、ふわりと包み込むように抱きしめる。
風が顔に当たって息がしづらい。だけど、今はそんなこと、どうでも良かった。
カルマくんは、自分を犠牲にしてまで殺せんせーを殺す算段なんだろう。
殺せんせーがマッハで助ければ、その衝撃にカルマくんは耐えらない。かといって、ゆっくり助ければ、カルマくんに殺される。
そして、彼を見殺しにした時点で――"先生"として、死ぬ。
でも、それだと。カルマくんが助かる道はない。
死ぬのは、怖くなかった。
傷付くのも、痛いのも、もう慣れてしまった。
ーーだけど。
「しな、ないで」
誰かが傷付く姿は、見たくない。
カルマくんが助かる道がこの暗殺の失敗なら、わたしは何度だって邪魔をしよう。
だって、わたしに見せてくれた笑顔は優しくて、あたたかくて。それをまた、見たいと思ってしまったから。
逆さまの中、わたしは祈ることしかできない。
殺せんせーなら、わたしたちを助けてくれると。
だけど、落ちていく恐怖心から、わたしはカルマくんを抱きしめていた腕に力が入った。
直後、網のような何かがわたしたちを受け止める。それが殺せんせーの触手だと理解するのに時間はかからなかった。
「カルマ君、自らを使った計算づくの暗殺お見事です。音速で助ければ君の肉体は耐えられない。かといって、ゆっくり助ければその間に撃たれる……そこで先生ちょっとネバネバしてみました」
身体にネバネバが張り付いて、身動きが取れない。
少しずつ冷静になっていく頭とは裏腹に、恥ずかしいことをしてしまった思いで顔が熱くなっていく。
ぱちり、と合ったカルマくんの視線を避けるように、目の前にある彼の胸に顔を埋めた。
「……すいません、でした。暗殺の、邪魔をして、しまって……本当に、すいません」
「別に」
「おやおや、カルマ君。赤くなってますねー、中学生らしい、いい反応です」
殺せんせーの声色は、からかうみたいに軽くて。
きっとニヤニヤと笑っているのだろうと、容易に想像ができた。
「うるさい、タコ。殺すよ」
対してカルマくんの声色には怒りが込められていて、殺せんせーに短く反論していた。
「けれど、これでは撃てませんねぇ……ああ、ちなみに"見捨てる"という選択肢は先生にはない。いつでも信じて飛び降りてください」
殺せんせーのその言葉に、カルマくんがぴくりと反応するのが伝わった。
それは、まるで安堵のように。早かった彼の心臓の音が、ゆっくりになるのが聞こえた。
「いい先生ですね。カルマくんも……そう思いませんか?」
「……先生としては、ね」
殺せんせーなら、どんな生徒だって、手入れができる。
教育という手入れの中、きっと、正しい方向へと導いてくれるのだろう。
***
ネバネバの触手から解放されて、わたしたちは崖の上へと戻ってきた。
「…カルマ君、平然とムチャしたね…まさか、花宮さんも飛ぶとは思わなかったけど」
帰ってきたわたしたちを迎えてくれたのは、呆然とした表情の渚くんで。わたしは、カルマくんの近くにいるのが気恥ずかしくて、殺せんせーの後ろに思わず隠れた。
「別に……今のが考えてた限りじゃ1番殺せると思ったんだけど。しばらくは大人しくして、計画の練り直しかな」
「おやぁ?もうネタ切れですか?報復用の手入れ道具はまだたくさんありますよ?君も案外チョロいですねぇ」
カルマくんにチョロい、と言われたのを根に持っていたんだろう。殺せんせーの触手の先にはたくさんの手入れ道具があり、向かえる準備は万端のようだ。
それに対して、カルマくんは随分イラッとした表情を浮かばせる。だけど、その表情はさっきまでのピリピリとした雰囲気を纏っていないように思えた。
「殺すよ、明日にでも」
なにかが吹っ切れたみたいに、爽やかな表情。
殺せんせーを見てみると、満足したみたいに、顔にマルが現れた。