隣から向けられる視線を、気のせいだと言い聞かせる。だけど、その視線が気になって隣を見ると、何度も合うカルマくんの視線。
今日一日のほとんどで感じたその視線の正体が分からなくて、意を決してわたしは尋ねた。
「あ、あの……わたし、なにか、気に障るようなこと、しましたか?」
気付かないうちに何かをしてしまっただろうか、と頭を巡らせる。
もしかしてこの間、暗殺を邪魔してしまったからだろうか。それとも、勝手に抱きしめたりしたからだろうか。だけど、あれは、カルマくんを助けるために、仕方なく、というか、身体が勝手に、というか。
と、頭の中でぐるぐると巡らせていると、ふっと笑う声が聞こえた。
「ううん。もっと秋ちゃんのこと知りたいなあって思って」
わたしのことを、知りたい?
わたしは、誰にも知られたくないのに?
ぎゅっ、とガーディガンの袖を握る。隠した傷や痣も、生きている価値のない過去も。全部、誰にも知られたくないのに。
「え、えと……」
どう答えたらいいのか分からなくて、言葉が詰まる。
視線も、下に落ちていって、カルマくんを見ていた目も今は床を映していた。
「……わ、わたしなんか、知っても、つまらないだけ、ですので」
そう言って、次の授業の準備をする。
次は理科で、確か理科室で実際を行うはずだ。わたしは、逃げるように教室から出て、理科室を目指した。
***
理科室での授業。教室とは違って、横並びではなく、目の前にいるカルマくんから目を逸らしながら、わたしは授業を受けていた。
今日はお菓子の着色を抜く実験で、みんなが楽しそうにしている中、わたしだけがふわふわとした感情になっていた。
「秋ちゃん、手元みないと危ないよ」
目の前から降ってくるその声は優しくて、だけど、思わずびくりと反応する。わたしはちらりと、揺れる赤髪を見てから、すぐに目を逸らした。
「……う、集中、します」
ふう、と一息吐く。
わたしは、ただのモルモットで、ただの人形だ。誰もわたしの意思なんか必要としていなくて。
お菓子から色が消えていく。
それは、まるで過去のわたしみたいに思えた。
あの白い箱の中で、無機物になっていくわたし。心を持たないように逃げていたあの頃のわたしのように見えて、瞼の奥がすごく熱く感じた。
「実験は、これで終了。余ったお菓子は先生が回収しておきます」
と、わたしの手からお菓子の箱が消える。
教室中からお菓子をかき集めると、殺せんせーは一瞬でそれを何処かへ持っていって、帰ってくる。
それを呆れたように見るクラスメイトたちを横目に、わたしは空っぽになった手のひらを見つめた。
そこに、ガタリ、と椅子を引く音が聞こえた。
それはわたしの隣からで。わたしはキラリと光る試験管に、思わず視線が動いた。
隣に座っていた奥田さんが、ゆっくりと殺せんせーに歩み寄っていた。
彼女の手には何かが入った試験管やフラスコが握られており、これから彼女は暗殺をするのだと、一目瞭然だった。
だけど、もしあれらがただの毒なら、残念だけど、殺せんせーには効かないだろう。
人間に効く毒が殺せんせーに効くのなら、彼はもうとっくに死んでいるはずなのだから。
「毒です!飲んでください!!」
奥田さんのその言葉に、わたしは小さく口を開いた。
シンプルで、素直で、正直で。その言葉には嘘や偽りはなくて、隠し事だらけのわたしとまるで正反対の彼女から、わたしはすぐに目を逸らした。
それは、わたしにはできないことだから。その真っ直ぐさが、ちくりと胸を痛めた。
「……奥田さん、これはまた正直な暗殺ですねぇ」
「あっ…あのあの、わ、私、みんなみたいに不意打ちとかうまくできなくて…でもっ、科学なら得意なんで真心こめて作ったんです!」
真心こめて作った毒……と言われて飲む人はいないだろう、と思うわたしとは裏腹に、殺せんせーは「いただきます」と奥田さんに渡された毒を飲み干した。
「!!こ…これは…」
ごくり、と飲み干した直後、にゅ、と音がした。
音の方を見ると、殺せんせーの頭から、ツノが生えていた。
「この味は水酸化ナトリウムですね。人間が飲めば有害ですが、先生には効きませんねぇ」
どういう反応なのか分からなくて、わたしはこめかみ――殺せんせーのツノが生えたあたりに思わず触れる。
理屈が分からなすぎて呆然としていると、殺せんせーはさらに2本の毒を飲み干した。酢酸タリウムではツノから翼が生えて、王水を飲んだら真顔になった。
「どれも先生の表情を変える程度です」
「……はい…」
殺せんせーは、"優しい"。
杉野くんを励ますために、野球選手に絡みに行ったり。カルマくんを助けるために、ネバネバになってみたり。
「それとね、奥田さん。生徒1人で毒を作るのは安全管理上、見過ごせませんよ」
「…はい。すみませんでした…」
「放課後、時間があるのなら、一緒に先生を殺す毒薬を研究しましょう」
だから、もしも殺せんせーの行動に意図があるのなら。
それは、奥田さんを正しく導くための優しさなのだろう。
真っ直ぐすぎる奥田さん。
それは、光のように眩しいけれど、それだけでは、この不条理ばかりの世界では生きていけない。
わたしでも分かる、彼女の欠点。それが改善された時、彼女はもっと成長するんだろう。
ふと、目の前のカルマくんを見る。
彼は変わらずこちらを見ていて、楽しそうに微笑んでいた。
***
翌日、登校して教室に入ると、奥田さんの周りには渚くんや茅野さんがいて。奥田さんの手には、ビーカーに入った怪しげな液体が見えた。
それはどうやって作ったのか想像もできない色をしていて。一目で"毒"と分かるものだった。
前の席で、楽しそうに話す奥田さんをただ、眺める。
それは手に握られている毒薬と、ちぐはぐに見えて。わたしは、それを見ないように下を向いて、授業の準備を始めた。
「きっと私を応援してくれてるんです。国語なんてわからなくても、私の長所を伸ばせばいいって」
奥田さんの言葉が、わたしをひどく動揺させる。
素直で、真っ直ぐで、正直で。愚直すぎる彼女を、わたしは直視することができない。
だって、このままでは、きっと彼女は、悪いことに簡単に利用されてしまう。今のままの彼女では、いつか、ずたずたに傷付いてしまう。
――そう、思ったから。
そこに、殺せんせーが現れた。
「あ、来たよ。渡してくれば?」
「はい!」
茅野さんが奥田さんを促すと、奥田さんは元気いっぱいの声で返事をする。そして、足軽に彼女は殺せんせーへ先ほどの不気味な毒薬を差し出した。
「さすがです…では早速いただきます」
殺せんせーはそれをごくごくとまるでジュースを飲むみたいに飲み干した。そして、飲み終えた顔は、何かを企んでいるみたいな、悪い顔をしていた。
「……ヌルフフフフ…ありがとう、奥田さん。君の薬のおかげで、先生は新たなステージへ進めそうです」
「…えっ、それってどういう……」
殺せんせーの身体が、ビキビキと音を立てて光り出す。
「グ ォ ォ ォ オ オ オ !!!」
叫び声の後、ふう、と一息つく殺せんせー。
すぐにそちらを見ると、どろどろに溶けていた。
「君につくってもらったものはね、先生の細胞を活性化させて流動性を増す薬なのです」
頭の理解が及ばないわたしたちを尻目に、殺せんせーはシャッと素早く移動する。
「液状ゆえに、どんな隙間にも入り込むことが可能に!しかもスピードをそのままに!さあ殺ってみなさい」
ビュンビュンと床や天井、机の中など、いろんな場所へ移動をする殺せんせー。
まるで虫に似た奇妙な動きが気持ち悪くて、わたしは目を瞑りながらぶんぶんと対先生用ナイフを振りました。
「ちょっ…ムリムリこれムリ!」
「床とか天井に潜り込まれちゃ狙いようないって!」
「なんだこのはぐれ先生!」
みんなの騒ぐ声が聞こえて、一瞬だけ目を開けた。
そこに、液体化した殺せんせーがこちらを向かってきているのが見えて、身体を後ろに仰け反らせる。
すると、ぐらり、とバランスを崩して、わたしは背中から床に倒れそうになった。さっきまで前を見ていた身体は上を向いていて。わたしは、ぎゅっと目を閉じた。
「っと、大丈夫?」
背中に感じたのは痛み、ではなくて、暖かい熱。
ゆっくりと目を開くと、カルマくんが心配そうに覗き込んでいた。
すぐ「大丈夫です」と告げて、カルマくんから離れる。だけど、触れられた背中が熱くて、むず痒かった。
「だっ…騙したんですか、殺せんせー!?」
奥田さんの悲痛な声が教室に響く。
その瞬間、殺せんせーはつーんと真顔になった。
「奥田さん、暗殺には人を騙す国語力も必要ですよ」
「えっ…」
「どんなに優れた毒を作れても…今回のようにバカ正直に渡したのでは、暗殺対象に利用されて終わりです」
殺せんせーは渚くんに「君が毒を盛るならどうするか」と問いた。それに対して渚くんの答えは「殺せんせーの好きなジュースに混ぜる」というもの。
「そう、人を騙すには相手の気持ちを知る必要がある。言葉に工夫をする必要がある。上手な毒の盛り方、それに必要なのが国語力です」
相手の気持ちを知る必要がある。
その言葉に、わたしはぎゅっと手を強く握りしめた。わたしは、ここにいる誰の気持ちも理解していない。
「君の理科の才能は将来、みんなの役に立てます。それは多くの人にわかりやすく伝えるのために…毒を渡す国語力も鍛えてください」
そう奥田さんを諭した殺せんせーは、効果が切れたのはいつもの見慣れた姿に戻っていて。
奥田さんは「はい!」と、満点の返事をかえしていた。
「あっはは、やっぱり暗殺以前の問題だね~」
カルマくんが、笑いながらそう言っていて。
それを見て不思議と、わたしも思ってしまった。わたしを知りたいと言う、カルマくんを知りたい。カルマくんの気持ちが知りたい、と。