《あいう》は書いた文字を示します。
季節はあっという間に過ぎ、3月。
みんなが受験勉強を頑張っている中、わたしはひとり、ある場所に向かっていた。
勝己くんには、言ってない。言える筈がない。彼は、ここに来たくて頑張っているのだから。
「ようこそ、雄英高校へ」
目の前にはネズミによく似た生物――根津校長は、校長室の椅子に座りにながら、そう言った。
そして、そのままわたしをじっと見ている。わたしはその視線から逃げるように、スケッチブックを持つため、下を向いた。
《魚尾 聖です》
いつものように、スケッチブックに文字を書いて、相手に見せる。根津校長はそれを読んでから、また、わたしに視線を戻した。
「単刀直入に言います。あなたを保護させていただきたい」
保護。その言葉に、手の力が抜ける。
持っていたスケッチブックが落ちそうになり、慌てて掴んだ。
「あなたの事情は知っています。幼い頃、誘拐事件に合い、3ヶ月程行方不明になっていますね」
どくんどくんと心臓の音がうるさい。
聞きたくないのに、耳が拾う。わたしの、忘れたい記憶。
「狙われた原因は、あなたの個性『人魚』」
……知ってる、全部、全部。
人魚になったわたしの血は人の治癒力を活性化させること、鱗は解毒作用のある薬になること。そして、わたしの歌声は、人を惑わせてしまうこと。
全部、知ってるから。
――お願い。何も、言わないで。
「強力な個性故にあなたはいくつも傷付いてきたでしょう。だからこそ、我々はあなたをこの学校で保護したい、救りたいのです」
ぱちり、と目が合う。
真剣な瞳が、根津校長の覚悟を映していた。
バラバラと、地面が割れていくみたい。
足場がなくなって、ぽちゃん、と水の中に落ちていく。
だけど、それは広大な海じゃなくて、小さな水槽。
「あなたを救るための決断です。決してあなたの自由を奪うためのものではない。あなたがこの雄英に所属することでこの学校のヒーローは必ずあなたを守ります」
ヒーロー育成の名門校・雄英校長。
卒業生には、オールマイトやエンデヴァーなどの有名なヒーローを輩出している。
教師陣も全員、プロのヒーロー。
確かにこの学校ほど安全な場所はない。
《みんな》
《この学校に来たくて》
《頑張っています》
幼馴染ふたりが頭に過ぎる。
余りある才能があり、努力をすることもできる勝己くん。多くのヒーローに憧れて、努力を続ける緑谷くん。
《そんな人たちを》
《落としてまで》
《わたしは雄英には》
《いたくないです》
誰かを蹴落としてまで、わたしは守ってもらいたくない。
誰かの夢が奪われてまで、わたしは救かりたいわけじゃない。
「そこは安心してください。あなたの入学は特別枠として設けます。よって、定員にあなたは含まれません」
ああ、どうしてだろう。
わたしのことを考えて、思って、救おうとしてくれているはずなのに。どうして、こんなにも息苦しく感じるのだろう。
涙が、頬に流れる。
涙を伝うように、顔には薄い青色の鱗が浮かび上がった。
スケッチブックが滲む。
だけど、わたしは書いた字をこの人に見せなければならない。
《わかりました》
《よろしくお願いします》
目の前のこの人は、この答えしか望んでいない。
だからわたしは、そう答えることしかできなかった。
下を向いて、ぱくぱくと口を動かす。
この場にいない人の名前を呼ぶように。
「(か、つ、き、く、ん)」
わたし、こんな理由で雄英になんて、来たくなかったよ。
もっと、ちゃんと、選びたかった。
わたしの人生なのに。まるで、わたしのものじゃないみたいだ。
***
雄英に行ったあの日から、わたしは部屋に閉じこもっていた。勝己くんからは毎日のようにメッセージが届いていて。だけど、それに返事をすることは一度もなかった。
もう、入試試験は終わって、結果も出たんだろう。
勝己くんは受かったのだろうか。
緑谷くんは、受けたのだろうか。
聞きたいことはたくさんあるのに、スマホまでの距離が遠く感じる。
「おい、」
静寂だったはずの部屋に、聞き慣れた声。
ドア越しに聞こえるその声に、膝を抱えていた身体を持ち上げる。
「受かったぞ、雄英」
勝己くんの夢が、また一歩現実に近付いた。
それが嬉しいはずなのに、わたしはこの部屋から一歩も動けない。
「……てめェは、どうすんだ、高校。この部屋に一生閉じこもってンかよ」
どこにも行かなければ。
誰にも会わなければ。
わたしは、ただ守られる存在じゃなくなるだろうか。
「おばさんに聞いた。……雄英の、特別枠のこと」
なんで。
なんで、勝己くんがそれを知ってるの。
なんで、勝己くんに、それを言うの。
なんで。なんで。なんで。
「俺は、てめェが安心して暮らせるなら、……」
ドアを勢いよく開ける。
バッと開いた先に、立っている勝己くんと目が合った。
「っ、」
ぐっと勝己くんの口に、手を押し付けて、言葉を奪った。
嫌だ。聞きたくない。
勝己くんに、そんな風に思われたくない。
勝己くんに、そんな風に言われたくない。
勝己くんの口を塞ぐ手が、震える。
勝己くんの目は、怖いくらいに真剣で。だからこそ、この口を塞ぎたい。
彼の口から、何も聞きたくない。
「(い、や)」
口を動かして、言葉を伝える。
音のない、声。
「(ま、もっ、て、ほ、し、い、な、ん、て、お、もっ、た、こ、と、な、い)」
わたしは。ただ、わたしは。
ただ、ひとりの人間として生きたいだけなのに。
夢を見て、将来を決めて、――恋をして。みんなみたいに、普通に。
「(わ、た、し)」
普通の、女の子になりたい。
「(じ、ゆ、う、が、い、い)」
安全が保証されている水槽より。
危険でも自由のある海に行きたい。
それに、わたしばかりが守ってもらうのは、不公平だと思うから。
世界には多くの傷付いて、ヒーローを待っている人がいるのに。
口を塞ぐ手を掴まれる。
その手をゆっくりと、下におろしていく勝己くんの手。
「……お前が選べねェなら、俺が選んでやる。俺が、お前に自由をくれてやる」
涙がぽろぽろと溢れてくる。
頬が鱗に覆われていく。
「俺は!……てめェが、!」
勝己くんの手が、震えている。
眉間に皺が寄って、ひどく不機嫌な顔になってる。
「〜〜っ、……死ね!」
振り解かれる腕。
突然の暴言に、目が見開いた。
「聖。俺と一緒に、雄英に来い。てめェがいねェ方が調子狂んだクソが!」
ン、と差し出される手。
粗暴な言葉たち。
「俺はNo.1ヒーローになる。てめェはそれを隣で見てりゃいいんだよ」
まるでヒーローっぽくない目の前の男の子。
ガサツで、乱暴で、口が悪い。なのに、どうして勝己くんの言葉はこんなにもあたたかく感じるのだろう。
空っぽになったわたしの存在意義に、ピースを嵌めてくれるみたいに。
「(や、く、そ、く)」
だから、もっと欲張りになってしまう。
欲張りな君が、わたしに求めるから。
わたしも、君に求めたくなってしまう。
「(ずっ、と、いっ、しょ、が、い、い)」
わたしも、勝己くんがいないと、嫌だ。
喋れないわたしを引っ張って、連れ出してくれる勝己くん。
ぱくぱくと音もなく動く口を勝己くんが見つめる。
眉間に寄った皺が、じわりと解けていた。
「ばァーか。今更離れてやるかよ」
生まれてからずっと一緒の幼馴染。
家が隣同士で、両親が仲良くて。
何度も手を繋いできた。何度も、その存在に助けられてきた。
そして、ヒーローを目指す彼は。
わたしにとってはもう、充分すぎるほど眩しいヒーローだ。
***
国立雄英高校、入学式の朝。
自分には分不相応な制服を身に纏い、わたしは玄関を出た。
「おせェ」
そこには、見慣れた幼馴染の姿。
わたしと同じ制服を着て、睨み付けるようにこちらを見ている。
《おはよう》
何度も開いて、ボロボロになったページ。
勝己くんはそれをチラリ、と見てから、視線をわたしの方へ移した。
《勝己くん》
《腰パンは》
《モテないと思うよ》
サラサラとスケッチブックにそう書いて、勝己くんへ見せる。
中学の時よりも気崩した制服。ネクタイもしておらず、まさに不良学生という感じだ。
「うっせェ!オシャレだわ!」
オシャレ。その言葉に、首を捻る。
《普通に着た方が》
《かっこいいと思う》
勝己くんは黙っていれば、お母さんに似て綺麗な顔をしている。
いつも不機嫌だから眉間に皺が寄ったり、目付きが悪かったりして強面になっているけど。
《勝己くん》
《かっこいいのに》
その文字を見た勝己くんの顔が、ぶわっと赤に染まっていく。持っていたスケッチブックを奪われて、そのページが破かれる。
いつもなら個性の爆破で燃やすのに、今回はそれがなくて。百面相しながら、ぐしゃぐしゃに丸めて自分の鞄に突っ込んでいた。
「(へ、ん、な、か、つ、き、く、ん)」
「〜っ、くだんねーこと言ってっと置いてくぞ!」
言葉の通り、ズンズンと進んでいく勝己くん。
わたしは置いてかれないように、小走りで隣を歩いた。
そして、くいっと勝己くんの袖を掴む。
「あ?」と怖い声を出してからこちらを見る勝己くんに、わたしはガサゴソとリュックから取り出したものを渡した。
《入学祝い》
《勝己くんに言いそびれてた》
《おめでと》
綺麗にラッピングされたプレゼント。
勝己くんの顔は、いつも以上に凶暴になっている。でもこの顔は機嫌が悪い、じゃなくて、どうすればいいか分からない時の表情。
《嬉しいなら》
《もっと嬉しそうな顔して》
ぐいぐいとスケッチブックを顔の目の前に持っていく。勝己くんの顔には、ピクピクと青筋が走っている。
「うぜェ!!」
そう言われて、スケッチブックを奪われる。
そのまま雑に勝己くんの鞄の中に入れられて、わたしはびっくりして口パクで「かえして」と繰り返す。
答えるようにバサリ、と胸に押し当てられたのは、真新しいスケッチブック。
ピカピカで、真っ白で、汚れなんてひとつもない。
「ババァから、入学祝いだとよ」
「(あ、り、が、と)」
嬉しくて、顔が綻ぶ。
もらったスケッチブックをぎゅっと抱きかかえながら、口パクでそう言った。
はじめては、何を書こう。
高校では、いろんな人と仲良くなれるだろうか。
「(こ、う、こ、う、も、よ、ろ、し、く、ね)」
決められたレールだけど。
勝己くんと一緒なら、きっと大丈夫。
わたしたちは並んで、雄英高校への道のりを進んだ。
勝己くんは、ヒーローになるという夢に向けて。
わたしは、自分の自由を見つけるために。