《あいう》は書いた文字を示します。
雄英高校に着いて、やっと実感する。
手のひらにじわりと汗をかいて、それが鱗に変わっていく。
「教室、どこだ」
ぶっきらぼうな声に、わたしは以前渡されていた説明用紙を取り出した。
それを、勝己くんも覗き込むように見る。
すると、勝己くんが「あ、?」と小さく息を漏らした。
「(か、つ、き、く、ん、?)」
唇を形を変えて、首を傾げる。
ぐいぐいと制服を引っ張るも、反応が薄い。
勝己くんから深いため息が溢れる。
ギロリ、とこちらを睨み付けたように思えば、その視線が前を向く。
「行くぞ」
制服を掴んでいた手が剥がされて、そのまま手首を掴まれる。
ぐっと引かれた腕に抗うことはできず、勝己くんが向かう方向にわたしの足は歩いていった。
異形型の個性に合わせてか、廊下や扉がすごく大きい。前に来た時は、見学する余裕なんてなかったから、今はキョロキョロと視線が彷徨う。
勝己くんはそんなわたしなんて気にも留めず、真っ直ぐと進んでいく。
しばらく経って、勝己くんの足が止まる。
見上げると、大きなドアに書かれた『1-A』の文字。
「着いたぞ」
パッと離される手。
そろり、とドアから教室を覗くと既に何人か同じ制服を身に纏った男女がいた。
ズンズンと入っていく勝己くん。その手を掴んで、「待って」の形に口を動かした。
「(こ、こ、ひー、ろー、か)」
「てめェも同じクラスだろうが。ちゃんと説明用紙読みやがれ」
その言葉に、少し紙が寄れた説明用紙を読む。
一行ずつ文字を追っていくと、『ヒーロー科に在籍し、身を守る術を学ぶこと』と記載されていた。
「(お、ん、な、じ、?)」
同じ学校。同じ制服。同じクラス。
ヒーローを目指す、勝己くんと、同じ。
緊張が固くなっていた頬が緩んでいく。
この場にいることに不安がないと言えば、嘘になる。だけど、勝己くんと一緒なら。
「(いっ、しょ、う、れ、し、い)」
パクパクと動くだけの口元。
この声が勝己くんに届かなくても。
この気持ちが、届けばいいのに。
***
ドサリ、と音を立てて自分の席に座る勝己くんを追いかけながら、わたしも教室に入る。
机の上に足を乗せる勝己くんはわたしは近付いた。
「(あ、し、の、せ、る、の、だ、め)」
ぺしぺしと足を叩きながら注意する。
喋らないわたしと、態度の悪い勝己くんに教室の視線が集まっていく。居た堪れなくなって、勝己くんの足を叩く手がピタリと止まった。
「机に足をかけるな!雄英の先輩方や机の制作者に申し訳ないと思わないか!?さっきからそこの女子も、注意しているだろう!」
突然、隣から降ってきた声に、肩がびくりと跳ねる。眼鏡をかけて、真面目そうな人。勝己くんより身長が大きい所為か、威圧的に見えて、少し怖い。
すぐに勝己くんを盾にするように、後ろに隠れた。
「思わねーよ。てめー、どこ中だよ端役が!」
「ボ…俺は私立聡明中学出身、飯田天哉だ」
勝己くんに注意するのは、飯田くんというらしい。
わたしに向けられた自己紹介ではなかったけれど、じっと飯田くんの方を見る。
「聡明〜〜!?くそエリートじゃねぇか。ブッ殺し甲斐がありそうだな」
「君ひどいな。本当にヒーロー志望か!?」
確かに。と、うんうんと首を縦に振る。
慣れてしまっていたけれど、勝己くんは口が悪過ぎる。
「君は、」
飯田くんの視線が、わたしに移る。
だけど、その視線がすぐにドアの方へと移った。
わたしもそちらを向く。そこには、もうひとりの幼馴染である緑谷くんが立っていた。
飯田くんは緑谷くんの方に歩いて行き、自己紹介を始めた。
「緑谷くん…君は、あの実技試験の構造に気付いていたのだな。俺は気付かなかった…!君を見誤っていたよ!悔しいが君の方が上手だったようだ!」
ヒーロー科の試験について話しているのだろう。
着いていけないわたしの視線が少しずつ下がっていく。わたしも緑谷くんに挨拶したいのに。
そう思った瞬間、勝己くんが「デク……」と緑谷くんの名前を小さく呼んだ。
「(か、つ、き、く、ん、?)」
勝己くんの視線は、ドアの近くにいる緑谷くんに向かっている。
元々、無個性の緑谷くんがヒーローを目指すことに対してひどく不安定だった勝己くん。この場所に彼がいることに、勝己くんはどう思っているのだろう。何を感じているのだろう。
わたしは、そんな勝己くんから視線を逸らして、自分の席へと向かう。21個目のあぶれた席。そこが、ヒーローを目指さないわたしの席だ。
椅子を引いて、席に座る。
その瞬間に、キンコンカンコンとチャイムが教室内に響いた。
緑谷くんたちは未だにドアの付近で話している。
楽しそうな女の子の声が聞こえて、思わず喉を掴むように触れる。
苦しくないのに、息苦しい。
じわりじわりとこの場所が、自分の居場所ではないと分からせてくるみたいに、痛い。
「ハイ。静かになるまで8秒かかりました。時間は有限。君たちは合理性に欠くね」
制服姿ではない大人の人がそう言った。
この人も、プロヒーローなのだろうか。だけど、ヒーローが好きな緑谷くんがポカンとした表情で、その人を見ている。
「担任の相澤消太だ、よろしくね。早速だが、体操服着てグラウンド出ろ」
担任の、相澤先生。
その視線が、わたしに移る。
「言っとくが、すべからく全員だ」
すなわち、わたしも、ということだろう。
ヒーローを目指さないわたしも、含めて全員。
相澤先生の視線が突き刺さるみたいに、痛く感じた。
***
女子更衣室で体操服に着替えて、グラウンドへ向かう。チラチラとこちらを見る視線に、どんどん顔が下がっていく。
「個性把握…テストォ!?」
個性把握、テスト。
その単語に、どくどくと心臓が高鳴っていく。
さっき、緑谷くんに話しかけていた女の子が「入学式は!?ガイダンスは!?」と相澤先生に尋ねている。
だけど相澤先生からの返事は、冷たくて、教室で放った言葉がよく似合う。
「ヒーローになるならそんな悠長な行事出る時間ないよ」
まさしく、合理的だ。
「雄英は"自由"な校風が売り文句。それは"先生側"もまた然り」
ごくり、と喉が鳴った。
まるでふるいのようだ。ふるいにかけるみたいに、品定めするみたいに。相澤先生は言葉を続けた。
「ソフトボール投げ、立ち幅跳び、50m走、持久走、握力、反復横跳び、上体起こし、長座体前屈。中学の頃からやってるだろ?"個性"禁止の体力テスト。」
そう言って、相澤先生は勝己くんに"個性を使って"、ソフトボール投げをするように指示をした。
円の中で、ぐっぐっと身体を伸ばす勝己くん。
そして。
「んじゃまあ……死ねえ!!!!」
物騒な掛け声と、大きな爆発音。
ボールが空高く上がっていく。
「まず自分の『最大限』を知る。それがヒーローの素地を形成する合理的手段」
ピピ、と相澤先生の持つ端末に結果が現れる。
『705.2m』。その飛距離がどれほどすごいのか、まだ実感が湧かない。だけど、周りの盛り上がりがそれを打ち消した。
「なんだこれ!すげー面白そう!」
「705mってマジかよ」
「"個性"思いっきり使えるんだ!さすがヒーロー科!」
そのざわつきに、中学時代を思い出す。
元々、人間の姿でできることは限られている。勝己くんみたいな派手な個性じゃない。運動神経がいい訳じゃない。水をほんの少し操れるだけ。
陸上においてわたしの個性は――無個性と同義だ。
「……面白そう…か」
相澤先生の声に、びくりと肩が揺れる。
元々低い相澤先生の声が、更に低くなる。
「ヒーローになる為の3年間。そんな腹づもりで過ごす気でいるのかい?よし。魚尾を除いた20名のうち、トータル成績最下位の者は見込みなしと判断し、除籍処分としよう」
一瞬、自分の名前を呼ばれたことに、理解が追い付かない。それ以上に、相澤先生の目が怖く感じてしまったから。
「生徒の如何は先生の"自由"。ようこそ、これが――雄英高校ヒーロー科だ」
ヒーローを目指す者たちが集うクラス。
ようやくわたしは、自分がとんでもなく場違いな場所にいることを理解した。
勝己くんと一緒、だなんて浮かれていた自分がバカみたい。
この場所は、ヒーローになるための戦場なんだ。
***
「最下位除籍って…!入学初日ですよ!?いや初日じゃなくても…理不尽すぎる!」
相澤先生に反論する声。
だけど、それに相澤先生は当たり前のように答える。
「自然災害、大事故、身勝手な敵たち…いつどこから来るか分からない厄災。日本は理不尽にまみれてる。そういう理不尽を覆してくのがヒーロー。放課後マックで談笑したかったならお生憎。これから3年間、雄英は全力で君たちに苦難を与え続ける」
理不尽。その言葉が、スッと胸の内に入ってくる。
わたしの人生は、理不尽だらけだ。
望んでもいない個性を手に入れて、その所為で知らない人に狙われて。今、守られるためにこの場所にいる。
「"Puls Ultra"さ。全力で乗り越えて来い」
相澤先生の人差し指が上へ向かう。
「さて、デモンストレーションは終わり。…っと、本番の前に…魚尾、来い」
呼ばれた名前に、びくりと肩が揺れる。
勝己くんの視線が、相澤先生からわたしに移った。
わたしは、ゆっくりと相澤先生の方へと歩いていく。
そして、ヒーロー科A組全員の姿を見る。
「魚尾は"ある事情"からヒーロー科ではないが、A組に所属することなった。以上」
あまりにも簡潔な紹介に、口が開いていく。
こちらとしても、有り難いはずなのに、どうしてか視線が下がっていく。
話さないわたしに、みんなの視線が集まる。
どうしたらいいのだろう。ぎゅっ、と体操服の裾を掴んだ。
「大丈夫?」
緑谷くんに話しかけていた声。その声が、駆け寄ってきて、わたしの手に触れた。
あたたかくて、柔らかい手。勝己くんのゴツゴツした手とまるで反対の手だった。
「(あ、……)」
口を動かしても声は出ない。
勝己くんから貰ったばかりの真っ白なスケッチブック。そこに、わたしは文字を書き込んだ。
《魚尾 聖といいます》
自分の名前。それを見た女の子が不思議そうに首を傾げた。
《声が》
《出ません》
《だから》
だから。その後に続く言葉が分からなくて、スケッチブックがどんどん下がっていく。
「えと、私は麗日お茶子。よろしくね、魚尾さん」
その声が引き金になったように、周りから「よろしく」の声が降ってくる。
それが背中を押してくれるみたいに思えて、わたしは、スケッチブックに文字を書き込んだ。
《よろしくお願いします》
そう書かれたスケッチブックを持ち上げて、顔を隠しながら、ぺこりとお辞儀をした。
そしてすぐに、わたしは幼馴染の元へと駆け寄る。
険しい顔をした勝己くんの表情は変わらない。けれど、わたしは彼の体操服をぎゅっと握りしめた。
「くっついてんじゃねぇ」
「(だっ、て、は、ず、か、し、い)」
口元だけを動かす。
その動きを見て、勝己くんはハァとため息を吐いた。
「こっからが本番だ」
相澤先生の声に、勝己くんの視線がそちらを向く。
眉間の皺がほぐれて、口角が上がっていく。
楽しそうなその表情に、わたしは思わず下を向いた。
ぎゅっと掴んでいた袖をそっと離す。
勝己くんは前を向いたまま、気付くことはなかった。