《あいう》は書いた文字を示します。
50m走、握力、立ち幅跳び、反復横跳び。
勝己くんをはじめ、クラスのみんなは個性を活用してすごい記録ばかりを出していた。
陸地に向かないわたしの個性では、平々凡々な数値しか出ない。それに加えて、運動神経のあまり良くないわたしは、平均以下の値ばかりだ。
そして、"無個性"の緑谷くんも、わたしと同じでヒーロー科にしてはパッとしない記録ばかりだった。
第5種目:ボール投げ
さっき挨拶をしてくれた麗日さんが、『∞』という記録を出していた。わたしはそれに驚いて、スケッチブックに書いた文字を勝己くんに見せる。
《∞だって!》
《あの子すごいね!》
どういう個性なんだろう。
いいなあ、みんな。あんなにすごい個性たちだもん。きっと素敵なヒーローになるんだろう。
勝己くんは興味がないようで、「ケッ」と悪態をついている。そんな姿に苦笑いをこぼした。
《勝己くん》
《ちゃんと見なきゃだめだよ》
ぐっと両手で勝己くんの顔を掴んで、グラウンドの方へ向ける。
勝己くんは「離せやコラ!」と言うが、決して振りほどきはしない。
「次。爆豪」
勝己くんの名前を呼ばれて、パッと手を離す。
「(が、ん、ばっ、て、ね)」
「うっせ」
勝己くんは個性把握テストの説明の時と同じように、爆発に乗せてボールと高く飛ばす。
先ほどよりも高く飛んでいくボールに、勝己くんは嬉しそうな顔をしていた。
そして、次は、緑谷くんの番。
硬い表情のまま、緑谷くんはグラウンドへ向かっていく。
「緑谷くんはこのままだとマズいぞ…?」
「ったりめーだ。無個性のザコだぞ!」
「無個性!?彼が入試時に何を成したのか知らんのか!?」
飯田くんは、緑谷くんが無個性だなんて信じられないようにそう勝己くんに言う。
わたしの口が少し開く。そして、その口に合わせるように。
「は?」
隣で、勝己くんの漏れた声が聞こえた。
緑谷くんが意を決したような表情をしながら、ボールを構えて、投げた。
弧を描き、トンと落ちるボール。
相澤先生が「46m」と冷たく言い放っている。そう言われた緑谷くんの顔がどんどん青に染まっていく。
「な…今確かに、使おうって…」
「"個性"を消した。つくづくあの入試は…合理性に欠くよ。お前のような奴も入学出来てしまう」
静かで、冷たい声。
その声に、わたしの肩がびくりと揺れる。
わたしに言われた訳じゃないのに。場違いなのが自分で分かっているからこそ、ひどく胸を抉られる。
「消した…!あのゴーグル…そうか……!抹消ヒーローイレイザーヘッド!!」
周りのみんなが、「知らない」「名前だけ見たことある」と楽しそうに話している。
だけど、わたしは、ぐっと勝己くんの体操服の袖を掴んで下を向く。
本当は、目を塞ぎたい。耳を塞ぎたい。でも、ここにいる以上、きっと許してはくれないから。
「見たとこ…"個性"を制御できないんだろ?また行動不能になって、誰かに助けてもらうつもりだったか?」
個性が制御できない。行動不能になる。
待って。みんなは、一体、誰の話をしているの?
緑谷くんの身体に、相澤先生が首元に巻いていた太い紐のようなものが絡まる。
そして、相澤先生は緑谷くんに何かを告げている。
「(み、ど、り、や、く、ん)」
緑谷くんは、"無個性"のはず。
彼が、個性を使っている姿を見たことがない。勝己くんだって、ずっと緑谷くんのことを無個性だと言っていた。
「指導を受けていたようだが」
「除籍宣告だろ」
勝己くんの声に、わたしの視線が少しずつ上がっていく。
グラウンドには、何かを考えているような表情を浮かべている緑谷くんの姿。
大きく振りかぶって、ボールを投げる。
勝己くんの体操服を掴んでいた手から、力が抜けていく。
なんで。どうして。答えの出ない問いばかりが、頭の中で繰り返される。
鋭く、天に向かって伸びていくボール。
それは、初めて見る緑谷くんの力だった。
「やっとヒーローらしい記録出したよー」
「指が腫れ上がっているぞ。入試の時といい…おかしな個性だ……」
「スマートじゃないよね」
クラスメイトたちの声が遠い。
なのに、勝己くんの息遣いだけが鮮明に聞こえる。
息を呑んで、そして、――短く吸った。
「どーいうことだ。こらワケを言え、デクてめぇ!!」
そう言って、緑谷くんの方へ駆け出していく、勝己くん。
反射的に伸びた腕が下がっていく。わたしは、勝己くんを止める術を知らない。
「んぐぇ!ぐっ…んだ、この布、固っ…!」
緑谷くんも身体の動きを止められた、太い紐のような布が、勝己くんの動きを止める。
そして、さっきまで爆発していた手のひらが、静かになった。
「炭素繊維に特殊合金の鋼線を編み込んだ『捕縛武器』だ。ったく、何度も"個性"使わせるなよ…俺はドライアイなんだ」
わたしは勝己くんの元へ移動した。
声も出せないわたしは、どうしたらいいか分からないのに。
だけど、このまま、勝己くんを放っておくことも、わたしにはできなかった。
「(か、つ、き、く、ん)」
勝己くんの眉間の皺が、どんどん寄っていく。
勝己くんの目に、わたしは映っていない。
今、彼が見ているのは、緑谷くんだ。
「(か、つ、き、く、ん)」
届かない声が、何度も空に消えていく。
なんで。そんな顔をしているの。
勝己くんの個性はすごくかっこいいのに。
勝己くんの個性はすごく強いのに。
誰よりも、ヒーローみたいだと思っているのに。
ぐっと勝己くんの手に触れる。
振り解かれはしないけど、勝己くんがこちらを見ることはなかった。
***
そして全種目が終わる。
結局、わたしはどの種目でも最下位だった。
「んじゃ、パパっと結果発表。トータルは単純に全種目の評点を合計した数だ。口頭で説明するんのは時間の無駄なので一括開示する」
ブワン、と順位が表示される。
その一瞬だけ、前。
「ちなみに除籍は嘘な。君らの最大限を引き出す、合理的虚偽」
相澤先生がそう言った。
だけど、そう言っている顔こそ、まさしく嘘を吐いている顔に見えた。
緑谷くんたちは驚きのあまり、大きな声を出している。近くにいた女の子が「嘘に決まってる」と言っていた。
わたしは、そうは思えない。
多分、本当に、彼は誰かを除籍させる気があったと、思う。だって、表情は嘘を吐けないから。
「そゆこと。これにて終わりだ。教室にカリキュラム等の資料があるから目ぇ通しとけ」
掲示された成績順位。
わたしの名前は、案の定、最下位。
その上に緑谷くんの名前が書いてある。
そして――勝己くんの名前は、3番目だった。
教室に戻って、相澤先生の指示通り、カリキュラムに目を通す。ヒーロー科だけあって、普通の授業以外にヒーロー基礎学という科目が書いてある。
ヒーロー基礎学って何をするんだろう。今日みたいな授業なのかな。
スカートの裾にぎゅっと力が入る。
なんで、わたしはこのクラスなんだろう。
雄英なら、普通科だってあるのに。
キンコンカンコン、と下校時間を告げる鐘が学校に鳴り響く。
「帰んぞ」
既に帰り支度を終えた勝己くんの声が、頭の上から降ってくる。
わたしの机の上には、まだ片付け終わっていないカリキュラムのプリントたち。
「さっさと片付けろや」
乱雑な手が、次々と机の上のプリントを片付けていく。
その手を見ない振りして、わたしはスケッチブックに文字を書いた。
《勝己くんと帰らない》
《先に帰って》
「は?」
スケッチブックの文字を読んだ勝己くんが、低い声を漏らした。
その声に、思わず肩が揺れる。
「てめェひとりでか?」
《緑谷くんと帰る》
《それならいいでしょ?》
ガタン、と机が揺れた。
その揺れに、視線を上へ向ける。
「……ンで、デクなんだよ」
まるで泣き出しそうな、そんな顔。
深く刻まれた眉間の皺。いつもの強気な顔は、そこにはない。
「(か、つ、き、く、ん、?)」
わたしと勝己くんは生きてる世界が違う。
ヒーローを目指している勝己くんと、戦い方も抗い方も、逃げ方すら分からないわたし。
ぐっ、と掴まれる腕。
込められた力に、わたしの顔が歪んだ。
騒つく教室の中。
不穏な空気を放つわたしたちに、みんなの視線が集まる。ヒソヒソと「やばくね?」「大丈夫?」という声が聞こえる。
「おい、やめろって」
勝己くんを止めようとする、声。
その声に勝己くんは「うるせェ、黙ってろクソモブ」と静かに答えた。
勝己くんの視線は、わたしをとらえてる。
グラウンドで、合わなかった目。その瞳の中で、わたしが揺れている。
「(や、だ)」
何が嫌なんだろう。
それも分からないのに、唇が形にしたのは、拒絶に似た言葉だった。
「……っ、うるせぇ行くぞ!!」
掴まれたままの腕を引かれる。
椅子から身体が浮き上がり、足が勝手に動いていく。
「(まっ、て)」
背中を向ける勝己くんに声は届かない。
いつの間にかリュックは勝己くんの手の中にある。
心配そうにこちらを見るクラスメイトに、わたしは眉を下げて笑顔をつくる。
「(だ、い、じょ、う、ぶ)」
「(し、ん、ぱ、い、し、な、い、で)」
伝わらないかも知れない。だけど、一生懸命口を動かした。
勝己くんが、みんなから誤解されるのは、嫌だから。
本当は、すごく優しいんだよ、って伝えたいのに。
なんで、わたしの口からは声がでないんだろう。音が鳴らないんだろう。
進んでいく勝己くんの背中が、近いはずなのに、遠い。
目から涙が溢れて、視界がぼやけていく。
勝己くんに掴まれた手と、スケッチブックを持つ手。
涙をぬぐうには手が足りなくて、涙の跡に鱗が浮き上がっていく。
「(か、つ、き、く、ん)」
「お前は、俺の、…」
勝己くんに似合わない、小さな声。
「俺だけ見てりゃいーんだよ」
見てるよ。勝己くん、だけ。
でも、勝己くんは、わたし以外も見てるから。
それが、どうしてか分からないけど、すごく寂しいの。