《あいう》は書いた文字を示します。
日が変わって、今日から通常授業開始。
朝、家を出るとそこには勝己くんが立っていた。いつも通りに。だけど、いつもよりも静かだった。
《おはよう》
《勝己くん》
スケッチブックを掲げて、挨拶をする。
わたしはスケッチブックで顔を隠して、勝己くんから返事は返ってこない。
スケッチブックを持つ手を掴まれて、無理矢理降ろされる。
その目にわたしが揺れている。勝己くんは瞬きをして、ふいと前を向いた。
「遅刻すんぞ」
その言葉に、こくりと頷く。
掴まれた手を振りほどけないまま、わたしは勝己くんの隣を歩いた。
午前中は、必修科目・英語等の普通の授業。
プレゼント・マイクが行う英語の授業は、想像よりも普通だった。
昼休み。クラスメイトのほとんどが大食堂へと向かう中、わたしは教室の中にいた。
お弁当を広げて、もそりとご飯を口に運んだ。
「なにひとりで食ってんだ、てめェは」
ドカリ、と音を立てて前の席に座る、勝己くん。
勝己くんの手には、お弁当箱が握られていた。
《食堂行くのかな》
《って思ってた》
「さっさと飯食うぞ」
そう言って、見た目とは正反対に綺麗な食べ方をする勝己くん。
昔から見てきた、いつもと変わらない、勝己くん。
《卵焼き》
《食べたい》
勝己くんの手に、ちょんと触れてそう伝える。
彼のお弁当に入っている黄色い卵焼き。
「ン」
勝己くんが卵焼きを箸で掴んで、そのままこちらへ向けてくる。
わたしはそれを、躊躇なく口へ運んだ。
「(お、い、し、い)」
「そーかよ」
勝己くんはそれだけ返事をして、自分のお弁当をまた食べ始めた。
わたしも、それに倣ってご飯を食べる。
ヒーロー科の午後の授業は、ヒーロー基礎学。
わたしは、本当にそれを習わなければいけないのだろうか。
《午後の授業》
《楽しみだね》
なんて、嘘を書く。
スケッチブックを持つ手に力が入って、紙が少し歪んだ。
***
「わーたーしーがー!!普通にドアから来た!!」
HAHAHAと笑いながら勢いよく登場するオールマイト。そんなオールマイトに、クラスメイトたちは釘付けになっている。
一気に騒つく教室。その中で、わたしはふっと視線を下に向けた。
「ヒーロー基礎学!ヒーローの素地をつくる為、様々な訓練を行う科目だ!早速だが今日はコレ!戦闘訓練!!」
戦闘訓練。その言葉に、ぐっと息が詰まった。
「そしてそいつに伴って…こちら!入学時に送ってもらった『個性届』と『要望』に沿ってあつらえた…戦闘服!!」
教室内に「おおお!」と興奮した声が響き渡る。
その声にわたしは、下がった視線を上げられない。
「着替えたら順次、グラウンド・βに集まるんだ!」
その指示に「はーい!」と返事をして、みんなは戦闘服の入った鞄を手に持ち、教室を出て行く。
それは、勝己くんも同様で。ワクワクした顔を抑えられない彼を見送り、わたしはオールマイトに近付いた。
《わたしは》
《どうしたらいいですか》
「君が、魚尾少女か。話は校長から聞いている。まずはそのまま見学だ」
見学。オールマイトのその言葉に、わたしの視線が少し下にズレた。
安堵したわけじゃない。落胆したわけでもない。ただ、いなくてもいいと思ってしまっただけ。
「ヒーローがどう動き、何を考えて人を救うのか、きちんと考えて、見て学ぶように」
見て、学ぶ。
それを見て、わたしは何を学べばいいのだろう。
すぐに返事が出せない。けれど、振り絞るように首を縦に振った。
「さあ行こうか」
誰もが認めるNo.1ヒーローのオールマイト。
幼馴染の憧れで、平和の象徴。
それなのに、わたしの気持ちは晴れない。
「格好から入るってのも大切な事だぜ、少年少女!自覚するのだ!!今日から自分は…ヒーローなんだと!!!」
グラウンドの入り口から、戦闘服を身に纏ったクラスメイトたちが出てくる。
その目には、眩しいくらい光が灯っているように見えた。
「さあ!始めようか、有精卵共!戦闘訓練のお時間だ!!」
勝己くんも、もちろん戦闘服を着ている。
はじめて見る勝己くんに、わたしは駆け寄った。
ツンツン、と腕に付いている爆弾の形をした装備に触れた。
「気安く触んな」
勝己くんらしい、デザインだと思った。
勝つために、考え抜かれたデザイン。
《みんなかっこいいね》
《すごくヒーローっぽい》
戦闘服を着ているからか、みんなの背中がしゃんとしているように見えた。
それが、少し寂しい、なんて思ってはいけないのに。
「先生!ここは入試の演習場ですが、また市街地演習を行うのでしょうか!?」
ヘルメットで顔を隠した人が、挙手をしながらオールマイトにそう尋ねた。
あの声は確か、昨日勝己くんに注意をしていた飯田くん。
「いいや!もう二歩先に踏み込む!屋内での対人戦闘訓練さ!」
敵退治は主に屋内で見られるが、統計でいえば屋内の方が凶悪敵出現率は高い。
監禁・軟禁・裏商売……このヒーロー飽和社会。真に賢しい敵は室内にひそむ。
そのオールマイトの説明に、身体が氷のように冷たくなる。
わたしは、その冷たさを体感したことがあるから。
熱を求めるように、勝己くんの手に触れる。
勝己くんはその手をぎゅっと握り返してくれた。
「君らにはこれから『敵組』と『ヒーロー組』に分かれて、2対2の屋内戦を行ってもらう!」
「基礎訓練もなしに?」
「その基礎を知る為の実践さ!ただし今度はブッ壊せばオーケーなロボじゃないのがミソだ」
直後、様々な質問がオールマイトへ飛び交う。
隣で「ブッ飛ばしてもいいんスか」という物騒な勝己くんの声が聞こえる。
「いいかい!?状況設定は『敵』がアジトに『核兵器』を隠していて、『ヒーロー』はそれを処理しようとしている!」
『ヒーロー』は制限時間内に『敵』を捕まえるか『核兵器』を回収すること。
『敵』は制限時間内まで『核兵器』を守るか、『ヒーロー』を捕まえること。
どんどん進んでいく説明に、わたしは繋がれている手とは反対の手を上げた。
《人質はなくていいんですか?》
その為に呼ばれたのだと思ってた。
それくらいしか、今のわたしに役割はない。
「あ?」
隣から聞こえた、低い声。
それに、肩がびくりと揺れた。
「人質は必要ないよ!それはもっと先の話さ!さて、コンビ及び対戦相手はくじだ!」
じゃあ、わたしがここにいる意味ってなに。
どんどん進んでいく会話に追い付けない。ヒーローになりたいわけじゃないのに。
勝己くんの手が離れて、彼がくじを引きに行く。
クラスメイトたちが、アルファベットを書かれた紙を次々に引いていた。
「続いて最初の対戦相手は、こいつらだ!」
オールマイトが、『ヒーロー』と『敵』のくじを引く。
その手には、『A』と『D』の文字が記されたボール。
「敵チームは先に入ってセッティングを!5分後にヒーローチームが潜入でスタートする。他の皆はモニターで観察するぞ!」
その指示に従うように、他のみんなはぞろぞろと移動を始める。だけど、わたしの足は思うように動かない。
――まるで、人魚の姿になった時みたい。
くじの結果、勝己くんはD。そして、緑谷くんはAだった。
その2人の対戦が決まった、その瞬間。
勝己くんの目にはもう、緑谷くんしか映ってない。
屋内対人戦闘訓練が行われるビルの地下にあるモニタールーム。
クラスメイトたちはたくさんあるモニターを眺めている。モニターのひとつに、勝己くんが映った。
開始の合図。
緑谷くんと麗日さんが、ビルへ潜り込んだ。
慎重に先を進むふたり。でも、その前に現れたのは――
「いきなり奇襲!!」
大きな爆発音が響く。
勝己くんの手の軌道は、威嚇じゃなくて、緑谷くんへの攻撃だ。
「爆豪ズッケぇ!奇襲なんて男らしくねぇ!」
「奇襲も戦略!彼らは今、実践の最中なんだぜ!」
「緑くん、よく避けられたな!」
クラスメイトや、オールマイトの声が遠い。
今の勝己くんは、全然冷静じゃない。緑谷くん以外、見えていない。
再度、勝己くんが緑谷くんに攻撃するために仕掛ける。だけど、その攻撃はまるで読まれたみたいにいなされ、そして緑谷くんが逆に勝己くんを投げ飛ばした。
地面に叩きつけられるその姿が、まるでスローモーションのように見える。
「(か、つ、き、く、ん)」
わたしの声が届くはずもないのに。
唇だけが、音も立たずにただ動いていた。
身体を起こす勝己くんに、緑谷くんは真正面から向かって、何かを叫んでいた。
音声のないこの場所で、ふたりがどんな会話をしているか、分からない。
分からないからこそ、わたしの胸が張り裂けそうに痛くなる。
そして、勝己くんの口が小さく開いた。
緑谷くんと話しているのではないのが、分かった。
隣にいた赤髪の男の子もそれに気付いたのだろう、疑問をそのまま口から溢した。
「アイツ何話してんだ?定点カメラで音声ないとわかんねぇな」
「小型無線でコンビと話してるのさ!持ち物は+建物の見取り図。そして、この確保テープ!コレを相手に巻き付けた時点で『捕らえた』証明となる!」
オールマイトがその疑問に答える。
「制限時間は15分間で、『核』の場所は『ヒーロー』に知らされないんですよね?」
「Yes!」
「ヒーロー側が圧倒的不利ですね、コレ」
……わたしは、知っている。
『敵』という存在は、得てして用意周到だと。特に、突発的な反抗ではない、屋内を好む敵は。
だからこそ、わたしは、3か月という期間幽閉されていたのだから。
「相澤くんにも言われたろ?アレだよ。せーの!」
Plus Ultraの言葉を遮るように、西洋の騎士みたいな格好をした人が勝己くんの名を呼んだ。
その声に、勝己くんが映るモニターを探す。
緑谷くんに飛び掛かる勝己くん。
緑谷くんはそれをそのまま、確保テープで捕らえようとしていた。
「すげぇなあいつ!"個性"使わずに渡り合ってるぞ、入試一位と!」
みんなの目も、緑谷くんに向かっていく。
緑谷くんは、いつもずるい。
泣き虫で臆病なのに、誰よりも真っ直ぐで優しい。
その優しさが、痛くて堪らないの。
ポタリ。涙が床に染みた。