乳児という生き物は、想像以上に忙しい。
眠る。起きる。泣く。飲む。眠る。
たまに機嫌良く天井を眺め、次の瞬間には理由もなく世界に抗議する。少なくとも周囲にはそう見えるだろう。実際には理由はある。腹が減った、眠い、暑い、寒い、居心地が悪い、音がうるさい、あるいは逆に静かすぎる。だがそれを言語化できないから、最終的に私は泣くしかない。
かつて対局室で、敗勢の局面を前にしながら無言で最善を探していた人間が、今ではオムツひとつで理性を失っている。
人生は、つくづく皮肉だ。
ただ、その皮肉を笑っていられるうちはまだいい。
本当に苦しいのは、笑えないときだ。前世の終盤、私は何度もそれを味わった。盤上で最善が見えない、見えても指が追いつかない、指しても相手の方がさらに深い――そんな局面を重ねるうちに、人は冗談を言う余裕を失っていく。
だからこそ、私は今の情けなさをむしろ歓迎していた。
泣ける。眠れる。腹が減る。
つまり、生きている。
それだけで十分、とまでは言わない。私はそこまで悟っていないし、これからもおそらく悟れない。
だが、生きていることが前提になるのは確かだった。盤に向かうにも、勝つにも、奪い返すにも、まず生きていなければ話にならない。
そういうわけで、私は乳児としての務めを果たしながら、並行して二度目の人生の設計図を引いていた。
設計図、と言っても出来ることは少ない。
現状把握。家族観察。時代認識。身体制御。
それと、将棋に繋がるあらゆる断片の回収。
いまの私に必要なのは、一局の読みではなく、十年単位の準備だった。
◇
生後半年を過ぎる頃には、世界はようやく「ぼやけた光景」から「意味のある景色」へと変わり始めた。
母の顔は、もうはっきり分かる。
父の顔も分かる。
表情の差も以前より読めるようになった。
母――天羽真紀は、笑うと目尻が柔らかく下がる。疲れているときでも、私の前ではなるべく口元を上げようとする癖がある。だが眠気が極まると、その気遣いすら追いつかなくなる。そんな日は髪をひとつにまとめ、ソファに腰かけたまま数秒単位で意識が飛ぶ。
父――天羽恒一は、感情が顔に出やすい。
仕事がうまくいっている日は声が少し高く、逆に嫌なことがあった日は靴を脱ぐ音がやや重い。けれど私を抱くときだけは、たいてい別人のように表情が緩んだ。
「ただいまー、しおりー」 「寝てるよ」 「小声で言えばいい?」 「意味ある?」
そんなやり取りをしながらも、結局父はそろそろと私のそばに来て、寝顔を見て満足する。
私は眠っているふりをしながら、その気配を感じていた。
一般家庭。
平凡な両親。
大金持ちでも、将棋一家でもない。
だが、この平凡さは私にとって十分すぎるほど贅沢だった。
前世で私が得られなかったものの多くは、こういう「大きな事件にならない温かさ」だった気がする。タイトルを取る興奮は劇的だ。だが劇的なものは、いつか途切れる。平凡なものは、毎日少しずつ積み上がる。
後者の方が、人を長く支えるのかもしれない。
もっとも、そんな感傷に浸り続ける余裕はない。
私は私で、この家の生活音の中から将棋の入り口を探していた。
テレビからニュース番組が流れ、たまに将棋の話題が混じる。
父がネットの記事を読み上げることもある。
スマートフォンの動画から、中継らしき声が聞こえることもある。
断片的だ。あまりにも断片的。
だが何もないよりずっといい。
『序盤は研究範囲で――』
『終盤力には定評があり――』
『AIの推奨手では――』
その種の言葉を拾うたび、私は胸の奥に針を刺されるような感覚を覚えた。
聞き慣れているはずの単語なのに、今はむしろ遠い。
盤がない。棋譜も見えない。局面も分からない。
将棋の話をしているのに、私はその中心にいない。
焦燥は少しずつ形を持ち始めていた。
もしこのまま、ただ成長を待つしかないなら。
もし盤に触れられる年齢になるまで数年を無為に過ごすしかないなら。
前世で得た優位は、その分だけ目減りしていくのではないか。
記憶はいつか摩耗する。
感覚は放っておけば鈍る。
そして何より、現代将棋は止まらない。私が乳児として寝返りの練習をしている間にも、どこかで新しい定跡が生まれ、研究会では何百何千もの変化が検証され、子どもたちは当たり前のように吸収していく。
怖い。
――だが、その怖さは悪くない。
怖いということは、まだ欲がある。
まだ盤へ戻りたいと思っている。
つまり私は、前世の敗北を諦めていない。
◇
その冬、私は初めて「形」として将棋に出会った。
直接ではない。テレビ越しだ。
夕方の情報番組の一角で、将棋の特集が組まれていたらしい。母が夕食の支度をしながらつけっぱなしにしていたテレビから、聞き覚えのある音が流れてきた。駒音。もちろん録音か中継の音声だが、私にはそれだけで十分だった。
『最年少で――』
『驚異的な勝率を維持し――』
『この一手に会場がどよめきました――』
画面の向こうで盤が映ったのだろう。母が「あ、将棋だ」と言い、父が「へえ、すごいな」と相槌を打つ。私はベビーラックの上で、身体を精一杯ひねってテレビの方を向こうとした。
「しおり、どうしたの?」 「音に反応した?」 「賢いなあ」 「親バカ」
親バカで結構。
もっと褒めろ、とまでは思わないが、少なくとも今の私は将棋の音に飢えている。
ようやく視界の端に、盤らしき木目が映った。
小さな長方形。升目。整列した駒。
その瞬間、胸の奥で何かが焼けた。
懐かしい、と思った。
そして同時に、悔しいとも思った。
たったそれだけの映像なのに、盤はあまりにも遠い。
私は知っている。そこに広がる八十一マスがどれほど豊かで、残酷で、美しいかを。どんな名画より、どんな夜景より、私にとってはあの木目の方が心を動かす。
なのに、今の私はそれをただ見上げることしかできない。
「すごいねえ、あんなに若いのに」 「子どもの頃からやってるんだろうな」 「天才っているんだね」
母と父は気楽に言う。
その「天才」という言葉に、私はほとんど反射で内心渋い顔をした。
天才。
便利な言葉だ。
強い子どもを見れば、人はすぐそう呼ぶ。
だが本当は、強くなる過程にはもっと泥臭いものがある。
才能。環境。反復。読みの質。負荷への耐性。負け方の学習。勝ち癖。研究の執念。指導者との相性。時代との噛み合わせ。
それらが無数に絡み合った結果を、世間は簡単に「天才」で片付ける。
もちろん、私だってかつてそう呼ばれたことがある。
そしてその言葉の便利さに、少しだけ甘えてしまったこともあった。
だからこそ、今度は違う形で頂点に行きたいと思う。
前世の再演ではなく、学び直した末の到達として。
テレビの特集は数分で終わった。
芸能ニュースに切り替わり、盤は消える。
私はその晩、妙に不機嫌で、珍しく長く泣いた。
腹も減っていないし、眠くもない。ただ、遠くにあるものへ手が届かない苛立ちがどうしようもなかった。
「どうしたのかなあ」 「テレビうるさかった?」 「熱はないよね」 「ないと思うけど……」
心配する両親には悪いが、これは病気ではない。
将棋欠乏症だ。
そんなものを理解してもらえるはずもなく、結局私は母に抱かれて寝かしつけられた。胸元に頬を寄せると、一定の鼓動が聞こえる。心臓の音。生きている音。
その音を聞きながら、私は自分の焦りを少しずつ沈めていった。
急ぐな。
急いでも、駒はまだ持てない。
焦っても、乳児の時間は飛ばせない。
だが、飛ばせないなら飛ばせないなりに、出来ることはあるはずだ。
◇
生後八か月、私は「掴む」ことの意味を覚えた。
指が意思に従う割合が、ようやく少し増えたのだ。
もちろん大人のようにはいかない。狙った場所を正確に掴むには程遠く、力加減もめちゃくちゃだ。だが、目の前の玩具に手を伸ばし、指先で引き寄せ、握る。この一連の流れが偶然ではなくなってきた。
これは大きい。
将棋を指すとは、結局のところ「駒を持つ」ことから始まる。
読むだけでは足りない。実際に駒を摘まみ、升目へ運び、音を残す。その身体感覚こそが局面の手触りを作る。前世の私はそれを知っていた。知っていたが、知識としてではなく、あまりにも当たり前すぎる前提としてしか意識していなかった。
いまは違う。
駒を持てる、ということがどれほど尊いか、骨身に染みて分かる。
その頃から、私は木製のものに強く反応するようになった。
スプーン。積み木。家具の角。
父は「木の感じが好きなのかな」と笑い、母も「手触りが違うもんね」と納得していた。
違う。
いや、違わなくもないが、もっと直接的だ。
私は木の匂いに、盤と駒の記憶を重ねている。
積み木を握らされるたび、私はその辺の角を無意識に指でなぞっていた。
表面の滑り。重さ。指への収まり。
駒ではない。もちろん駒ではない。
だが、木の物体を指で扱う感覚そのものが久しく懐かしく、どうしようもなく恋しかった。
「しおり、積み木好きだねえ」 「この子、ほんと集中すると黙るよね」 「わかる」 「なんか考えてる顔するし」 「赤ちゃんが?」
赤ちゃんだって考える。
少なくとも私は考えている。
かなり切実に。
だが、両親の感想はむしろありがたかった。
私が物に集中する癖を「扱いやすい個性」として受け止めてくれるなら、今後の布石が打ちやすい。極端に神童扱いされても困るが、何にでも興味を示す子、集中力のある子と思われるぶんには問題ない。
私は積み木を床に並べ、たまに意味もなく正方形に近い形を作っていた。
もちろん九×九など無理だ。まだそこまでの精度はない。
それでも「区切られた面」に手を置く行為が、妙に落ち着いた。
盤の代用品を、私は本能的に探していたのだと思う。
◇
一歳を迎える頃、私はようやく家の中を移動できるようになった。
はいはい、つかまり立ち、よちよち歩き。
人類史的にはめでたい進歩だが、私個人としては「やっと盤を探しに行ける」という感想が先に立った。
天羽家は広くない。
リビング、台所、和室、二階の寝室。
動き回れる範囲が増えたおかげで、私は家の中のあらゆる場所を観察できるようになった。
棚の上。引き出し。テレビ台の下。押し入れ。
もちろん勝手に開けられるわけではないが、大人が開けたときに中身を覗くことは出来る。
そしてある日、和室の押し入れの奥で、私はついに「それ」を見つけた。
古びた箱だった。
木箱ではなく、やや擦れた紙箱。大きさと形が、妙に見覚えに近い。
母が冬物の布団を出そうとして押し入れを開けたとき、私はよちよちと近づき、その箱から目を離せなくなった。
「ん? 何これ」 「どうしたの?」 「いや、昔おじいちゃんにもらったやつかな」
母が箱を引っ張り出す。
側面に印刷された文字を、私はまだ完全には読めない。だが、読めなくても分かった。いや、むしろ分かってしまった。
将棋盤セット。
たぶん安価な携帯用だ。
折りたたみ盤かもしれない。駒もプラスチック混じりだろう。
それでも、そんなことはどうでもいい。
あった。
この家に、将棋があった。
「しおり、これ気になるの?」 「なんだろうねえ」
母が箱を開ける。
ぱたん、と軽い音がして、中から折りたたみの盤と駒が現れた。
私は、その場で固まった。
前世の名局が走馬灯のように蘇る、などという芝居がかったことは起きない。記憶はもともと消えていない。だが、視界に飛び込んだ木目と駒の輪郭は、過去のあらゆる時間を一瞬で現在へ引きずり戻した。
盤だ。
将棋盤だ。
正確には、本格的な厚い榧盤ではない。
音も香りも、その種の上等なものには到底及ばない。
けれど、八十一マスは八十一マスだ。駒は駒だ。王将も飛車も角も、そこにある。
胸が熱くなる。
熱くなりすぎて、私はその場にへたり込みそうになった。
「わ、転ばないで」 「これ危ないかな。駒、小さいし」 「飲み込んだらまずいよね」 「まだ早いかあ」
早い。
悔しいが、早い。
あなたたちの判断は正しい。
私は内心で歯噛みした。
目の前に将棋があるのに、乳児の身体と安全管理がそれを阻む。棋士としてこれほど理不尽なことがあるだろうか。いや、ある。前世ではもっと理不尽な負けをいくらでも味わった。そう思えば、これはむしろまともな理不尽だ。
母は私が駒に手を伸ばす前に、箱を閉じて少し高い場所に置いた。
「もう少し大きくなったらね」 「じいちゃん、将棋好きだったっけ?」 「好きってほどじゃないけど、昔ちょっとやってたって言ってたかな」 「へえ」
その会話の一言一言を、私は聞き逃さなかった。
祖父に由来する将棋セット。
家には将棋文化がゼロではない。
これは大きい。
今後、私が将棋に異様な執着を見せても、「じいちゃんの影響かも」「たまたま興味を持った」で処理できる余地がある。
将棋一家ではないが、完全に無縁でもない。
この中間地点はありがたい。
とはいえ、ありがたがっている場合ではなかった。
盤は見つかった。
次は、どうやって触るかだ。
◇
一歳を過ぎてからの私は、露骨にその箱を探すようになった。
和室へ行く。
棚の上を見る。
押し入れの前で立ち止まる。
父や母があの箱を出す気配があれば、最優先で寄っていく。
当然、両親はすぐに気づいた。
「しおり、もしかしてあれ好きなの?」 「将棋?」 「わかんないけど、押し入れの前でよく止まるよね」 「ほんとだ」
よし。
気づいてくれ。
私はそこで、小さな賭けに出た。
父が休みの日、例の箱を取り出してくれそうな空気のときに、私は持っていた積み木をわざと床に規則的に並べ、父の方を見て、もう一度並べ直した。
まだ言葉はない。
だが、人は意味を見つけたがる生き物だ。
意味ありげな行動を繰り返せば、勝手に文脈を補ってくれる。
「なにこれ、並べてる?」 「ほんとだ」 「几帳面だなあ」 「あなたに似たんじゃない?」 「いや俺こんなに整頓しないけど」
整頓ではない。
誘導だ。
父はしばらく私を眺め、それからふと思い出したように和室へ行った。
数十秒後、あの箱を持って戻ってくる。
「これ、見せるだけ見せてみる?」 「口に入れないかな」 「俺がついてるから大丈夫でしょ」 「絶対目離さないでよ」 「もちろん」
もちろん、ではない。
頼むぞ本当に。
箱が開き、折りたたみ盤が広げられた。
淡い木目の盤面。少し軽い駒。
前世で使っていた道具に比べれば玩具のようなものだ。
だが、私には十分すぎるほど神々しかった。
私はゆっくりと近づき、盤面に手を置いた。
ひやりとした感触。
平らな面。
升目の境界。
――帰ってきた。
その感覚に、私は一瞬だけ息を呑んだ気がした。もちろん実際には幼児の浅い呼吸だ。けれど心だけは、確かに盤前へ戻っていた。
「うわ、ほんとに興味あるんだ」 「珍しいねえ」 「ほら、駒はまだだめ。飲み込むから」 「じゃあ盤だけ?」
父が一枚だけ、王将の駒を手に取った。
私からは少し離し、見える位置で揺らす。
「ほら、これが将棋の駒」 「わかるわけないでしょ」 「わかるかもしれないじゃん」
分かる。
王将だ。
その一字に、どれほどの物語が詰まっていることか。
将棋は玉を詰めるゲームだ。王は中心であり終着点であり、すべての価値がそこへ向かって収束する。
だから最初に見る駒が王であることは、妙に象徴的だった。
私は手を伸ばした。
父は少し迷い、それから慎重に私の前へ王将を置いた。
指先で触れる。
ざらり、とした表面。
ほんの少し角ばった輪郭。
掌にはまだ大きすぎる。
それでも、私は駒を掴んだ。
――重い。
もちろん本当に重いわけではない。
子どもの手には相対的に重い、というだけだ。
だがその小さな重さが、私にはたまらなく嬉しかった。
駒だ。
私は駒を持っている。
前世であれほど当然だったことが、いまは奇跡みたいに思える。
「すごい、持った」 「でも危ないからちょっとだけね」 「うん」
王将を口へ運ぼうとするふりすらしなかった私は、両親を驚かせた。
普通の幼児なら、まず何でも口へ入れたがる時期だろう。だが私はそんなことをする気になれない。王将を噛むなど、将棋を冒涜している気がする。いや、幼児の発達としては普通なのだろうが、少なくとも元竜王の感性がそれを拒絶した。
私は駒を指でなぞり、裏返そうとして失敗し、盤の上へころんと落とした。
軽い音がした。
たったそれだけの音で、胸が震える。
駒音。
未熟で、弱々しく、雑な音。
それでも駒音だ。
盤と駒が触れ合って生まれる音は、それだけで世界を変える。
父と母はそんな私を、半ば面白がり、半ば不思議がって見ていた。
「しおり、ほんとに好きなのかな」 「まだわかんないけど……嫌ではなさそう」 「なんか真顔だよ」 「真顔だね」
真顔にもなる。
こっちは再会に必死なのだ。
◇
それからしばらくの間、将棋盤は「父が家にいる休日だけ、短時間出してもらえる特別なおもちゃ」になった。
母一人のときは安全面の不安があるらしく、基本的には出さない。
私はそれを理解しつつも、金曜の夜からそわそわするようになった。週末が来れば盤に触れられる。将棋に近づける。
週末を待ち遠しく感じるのは、前世でもよくあった。タイトル戦の日程、研究会、イベント。だが今の待ち遠しさはもっと原始的だ。駒を持ちたい。音を聞きたい。盤を見たい。それだけで胸が騒ぐ。
最初のうちは、本当に触るだけだった。
王将。飛車。角。金。銀。桂。香。歩。
父が気まぐれに一枚ずつ私の前に置き、私はそれを掴み、倒し、並べ、時々じっと見つめた。
文字はまだ読めない。
しかし形で分かる。
駒種ごとの輪郭の違い、手触りの微差、文字の太さ、配置。
前世の記憶がある私には、視認さえ出来れば識別は容易だった。
難しいのは、身体の方だ。
うまく掴めない。
立てられない。
狙った場所へ置けない。
まっすぐ並べたつもりが斜めになる。
指先に力を入れすぎて、駒がひっくり返る。
苛立つ。
ひどく苛立つ。
脳内では何百局でも指せるのに、現実の一枚の歩すら綺麗に立てられない。
前世では終盤の一秒に全神経を研ぎ澄ませていたのに、今は桂馬一枚で手こずる。
この落差は、ときに滑稽で、ときに残酷だった。
だが、苛立ちの中にわずかな喜びもある。
出来なかったことが、次の週には少し出来る。
手首の角度。親指と人差し指の使い方。置く瞬間の脱力。
盤上の技術は指先の積み重ねでもある。私はそれを、ゼロから身体に教え込まなければならなかった。
「しおり、上手くなってない?」 「何が?」 「持ち方」 「そんなの見るの?」 「見るよ」 「あなた、案外こういうの観察するよね」 「将棋って観察するゲームっぽいし」 「知らないくせに」
父は苦笑した。
知らないくせに――それはその通りだ。
彼は将棋のルールを少し知っているだけで、深く指す人間ではない。
だが、その浅さが今はありがたかった。
もし本格的な将棋好きが父親なら、私の不自然さにもっと早く気づいていたかもしれない。
いまの恒一は「娘が変わった物に執着している」くらいの認識で済んでいる。
それでいい。最初はそれで十分だ。
◇
言葉を覚え始めた頃、私は最初の大きな悩みにぶつかった。
何を、どの順番で、どの程度まで「普通の子どもらしく」見せるか。
前世の記憶を持っている以上、私の内面は明らかに異常だ。
だがそれをそのまま外に出すわけにはいかない。赤ん坊の頃は勝手に誤魔化されていたものも、幼児になればそうはいかない。言葉を使えるようになった子どもが不自然に老成していれば、周囲は確実に戸惑う。
私はまだ盤に触りたい。
将棋を学びたい。
けれど、それと同時に「説明可能な天才」の範囲に留まる必要がある。
難しいところだ。
前世の私なら、勝ちさえすれば細部はどうでもよかったかもしれない。
だが二度目の人生では、長期戦になる。家庭、学校、将棋教室、奨励会、プロ世界。
どこかで無理が出れば、そのしわ寄せは必ず後に響く。
だから私は、急ぎながら急がないことにした。
まずは「好き」を示す。
その次に「ルールを覚えるのが早い子」になる。
そこから「よく考える子」「強い子」へ進む。
最初から完成品を見せるのではなく、成長の軌跡を与える。
これは演技ではない。
実際、身体は本当に未熟だし、運動や発声の発達も年齢相応にしか進まない。
問題は頭の中だけだ。
そして、その頭の中をどれだけ隠せるか――それもまた、勝負の一種だった。
◇
二歳の誕生日が近づいた頃、私はついに「将棋」という単語を口にした。
狙っていたわけではない。
だが、父が例の盤を片づけようとした瞬間、思わず喉からこぼれた。
「……しょ、ぎ」
部屋が静まり返った。
父の手が止まり、母が目を丸くする。
私は自分でも少し驚いた。発音はたどたどしく、語尾も崩れていたが、それでも十分に通じる音だった。
「え、今……」 「将棋って言った?」 「言ったよね?」 「えっ、すごくない?」 「これ、教えてたっけ?」 「教えてないと思うけど……」
しまった、と思ったのは一瞬だけだった。
すぐに判断を切り替える。
ここで取り繕っても遅い。むしろ素直に「将棋という言葉を覚えた子」として受け入れてもらった方が自然だ。
「しょーぎ」
私はもう一度言って、盤を指さした。
父と母は顔を見合わせ、それから同時に笑った。
「好きなんだねえ」 「ほんとに好きなんだ」 「じゃあ、ちょっとずつ教えてみる?」 「まだ早いかなあ」 「でも興味あるならいいんじゃない?」
勝った。
いや、将棋で勝ったわけではない。
ただ一歩、こちらの望む形で世界が動いた。
その日から、週末の将棋時間は少しだけ性質を変えた。
ただ触るだけでなく、父が簡単な説明をつけるようになったのだ。
「これは王様。取られたら負け」 「おうしゃま」 「王さま、だね」 「これは飛車。まっすぐいっぱい動ける」 「ひしゃ」 「こっちは角。ななめにいく」 「かく」
父の説明は、決して上手くはなかった。
だが、上手すぎないことがむしろ良かった。
私にとって将棋の知識そのものは不要でも、「初心者にどう教えるか」の形を知るのは有益だ。
自分が今後どうやって“自然に強くなっていく子ども”を演出するか、その参考にもなる。
私は時々わざと間違え、時々わざと迷い、しかし全体としては少し早く覚えるように振る舞った。
飛車はまっすぐ。
角はななめ。
金は前と横と斜め前。
銀は少し違う。
桂馬は跳ねる。
桂馬の動きを父が説明したとき、母が「そんな変な動きするの?」と驚いた。
私は思わず笑いそうになった。
変な動き。
確かに初心者から見ればそうだろう。
だが、その“変な動き”にどれだけの血と涙が詰まっていることか。桂馬一枚の利きに泣き、桂頭を責め、桂跳ね一発で流れを変えられた棋士を私は何人も知っている。
駒はただのルールではない。
一枚一枚に性格がある。
それを二歳児にどう説明するかと言われれば、もちろん無理だ。
だから私は、今はただ「知っている」ことを飲み込み、素直な幼児の顔をしていた。
◇
その冬、祖父母が家に来た。
母方の祖父は、小柄で穏やかな男だった。
例の将棋セットを昔くれた本人でもある。
祖母はよく喋り、私の頬をつついては「しおちゃんはお利口さんねえ」と笑う。
食後、父が何気なく言った。
「この子、将棋好きみたいなんですよ」 「将棋?」 「ほら、お義父さんがくれたセット」 「ああ、あれか」 「名前まで覚えちゃって」
祖父は意外そうに目を瞬かせ、それから少し照れたように笑った。
「わしは昔、会社でちょっと指しただけだよ」 「でも駒動かすのくらいは分かるでしょ?」 「まあな」
私は、祖父の方をじっと見た。
この人が本当に“ちょっと指しただけ”かどうかはまだ分からない。
将棋好きには、往々にして謙遜が混じる。
いや、好きだった過去を年齢とともに軽く言うようになる人もいる。
祖父は私の視線に気づき、「やるか?」と半ば冗談めかして盤を出してきた。
母が「いやいや、まだ無理でしょ」と笑う。
だが祖父は構わず盤を広げ、王将と歩をひとつずつ置いて見せた。
「これは王さま。こっちは歩。歩は一つずつ前に行くんだ」
私は、息をするのも惜しいほど真剣にそれを見た。
父の説明でも分かっていたことだ。
だが、駒を動かして見せてもらうのはまた違う。
王が一歩動く。歩が一歩進む。
その単純な動きが、盤上の呼吸を生む。
「ほら、やってみるか」
祖父が歩を私の前へ置く。
私は慎重に摘み、盤の上の一マス前へ運んだ。指先はまだ覚束ない。途中で少し傾き、それでもどうにか着地させる。
とん。
小さな駒音。
「おお」 「できたねえ」 「すごいじゃん、しおり」
大人たちが褒める。
私はそれどころではなかった。
歩が進んだ。
自分の意思で、自分の手で、前へ。
たった一手。
たった一手なのに、胸の奥の何かがほどけていく。
前世で味わったあらゆる歓喜に比べれば、小さすぎる一手だ。
タイトル獲得の快感とも、逆転勝ちの震えとも違う。
けれど、この一手には別種の尊さがあった。
始まりの一手。
将棋という海へ、もう一度足を踏み入れる最初の一歩。
私は歩を進めたあと、しばらく盤を見つめ続けた。
祖父はそんな私を見て、少しだけ目を細めた。
「この子、ほんとに好きなんだな」 「ねえ」 「興味持つの早いなあ」
祖父の声には、茶化しではない柔らかさがあった。
彼は深く追及しなかった。
ただ「好きなんだな」とだけ言った。
それがありがたかった。
◇
二歳半を過ぎると、私は簡単な駒の動きならほぼ身体に馴染ませていた。
もちろん正式な対局など無理だ。
集中力も短いし、指先もまだ不安定だし、ルール説明を受けるふりをしなければならない。
だが、歩と王だけの追いかけっこ。飛車の一直線。角の斜め。
そうした最小単位の理解はもう十分だ。
父は時々、私向けの“遊び”として盤上に駒を一、二枚だけ置き、「王さまのところまで行けるかな?」などと言ってくれるようになった。
初心者向けの導入としては悪くない。むしろかなり良い。視覚的で、目的も分かりやすい。
私はここでも、少しずつ強さを見せる加減に気を遣った。
簡単すぎる課題はすぐ解く。
少し複雑なものは一呼吸置く。
難しそうに見える場面では首をかしげ、考えている素振りを混ぜる。
すると大人は「この子なりに考えている」と喜ぶ。
演技といえば演技だ。
だが、嘘という感覚はあまりない。
実際、幼児の身体では局面を読む以前に駒操作だけでリソースを使う。前世の知識があっても、現実の処理能力は年齢なりなのだ。
それに――私は少しずつ、この時間そのものを楽しめるようになっていた。
前世の将棋は、途中からずいぶん重くなっていた。
勝たなければならない。負けてはいけない。期待に応えろ。衰えるな。時代に取り残されるな。
そうした圧の中で指す将棋は、もちろん充実もあるが、無垢ではない。
今は違う。
父が笑って駒を並べ、母が横から「へえ、しおりちゃん分かるの?」と覗き込み、私が一枚の歩を一マス進めるだけで拍手が起こる。
こんなに優しい将棋があっていいのか、と時々思う。
もちろん、私はその優しさに甘えきるつもりはない。
いずれ盤は牙を剥く。
勝負になれば、将棋は人の人生を容赦なく切り取る。
それを私は知っている。
だが、入口が優しいのは悪いことではない。
むしろ、その温度を知っている方が、先で冷たさに晒されたとき折れにくいのかもしれない。
◇
三歳の春、私は絵本より盤を選ぶ子どもになっていた。
母は最初こそ面白がっていたが、次第に少し心配し始めたらしい。
「将棋ばっかりで大丈夫かな」 「ばっかりってほどでもないでしょ」 「でも、同じことずっとしてるし」 「好きなんだからいいんじゃない?」 「そうだけど、外遊びとかもさ」 「そのうちするよ」
そのうちする。
実際、ある程度はしなければならない。体力も必要だし、人付き合いの基礎も要る。
棋士は盤の前だけで完結する職業ではない。長時間の集中力、移動、会話、礼儀、取材対応、イベント。
前世で足りなかったのは、将棋以外の筋肉だったのではないか、と今では思うことすらある。
だから私は、必要な範囲では子どもらしく振る舞った。
散歩にも行く。公園にも連れて行かれる。砂場にも座る。
ただ、その最中でも頭の隅には盤がある。
滑り台を見れば、利きの通り道を連想する。
ジャングルジムを見れば、駒の配置に見える。
ブランコの往復には、手の往復読みのようなリズムがある。
職業病だ。
たぶん一生治らない。
ある日、公園から帰った父が、ふと思いついたように言った。
「しおり、将棋の本とか見る?」 「まだ早いんじゃない?」 「でも絵がいっぱいならいけるかも」 「子ども向けのあるかな」
本。
私はその単語だけで耳をそばだてた。
まだ文字は十分読めない。
だが、図があるだけでも価値は大きい。駒の配置、盤面、基本ルール。
何より、「将棋に関する物が家庭内で増える」こと自体が重要だ。
翌週、父は本当に子ども向けの将棋入門らしきものを一冊買ってきた。
表紙には丸っこい駒のイラストと、笑顔の子どもが描かれている。
内容はきわめて初歩的だったが、それでも私は夢中になった。
王将の動き。
飛車の動き。
角の動き。
詰みとは何か。
取った駒は使える。
成るとは何か。
知っていることばかりだ。
知っている。知っているはずなのに、私は一ページ一ページを飽きずに見た。
たぶん、それは再確認ではない。
“今の私として覚え直す”ための時間だった。
前世の知識をそのまま倉庫から出すのではなく、天羽しおりという子どもの頭と手に、改めて将棋を入れていく。
この作業は意外に大事だ。
知識は肉体と結びついて初めて力になる。
「ほんと好きだなあ」 「将棋のなにがそんなに面白いんだろ」 「考えるのが好きなのかも」 「あなたより静かに座ってるよ」 「比べる対象がおかしいって」
父と母は笑っていた。
その笑いに、まだ重さはない。
私の将棋はまだ“かわいい趣味”の範囲だ。
だが、そう遠くない未来に、この家の空気は変わるだろう。
私が本気で勝ち始めれば、将棋は遊びではなくなる。
時間も、お金も、期待も、結果も動き始める。
だから今のうちに、この穏やかな時間を覚えておこうと思った。
盤の前に座っても、誰も勝敗を急がない。
間違えても笑われるだけで、責められない。
歩を一枚進めただけで褒められる。
こんな将棋の時間は、たぶん長くは続かない。
◇
三歳半のある夜、父が酔った勢いで言った。
「よし、しおりと勝負するか」 「あなた、ルールちゃんと分かってるの?」 「だいたいは」 「だいたい、で勝負するの?」 「子ども相手だからいいんだよ」
いい。実にいい。
来た。
私はテーブルの向こうで、なるべく無邪気な顔を作った。
もちろん正式な平手戦は無理だ。駒の全配置を維持しながら指し続けるには、まだ身体も集中力も足りない。
だが、父が用意したのは案の定、かなり簡略化した形だった。王と飛車、金いくつか、歩少々。子ども向けのミニ将棋に近い。
「じゃあね、王さまを取ったら勝ち」 「おうさま」 「そうそう」
父は本気ではない。
手つきも軽い。
だが、軽いからこそ癖が出る。飛車を不用意に振り回し、王を薄くし、利きの感覚より自分の“やりたい手”を優先する。
初心者だ。
それを見た瞬間、私は奇妙な感慨に襲われた。
前世で散々見てきた。
強い手ではなく、指したい手を指す人間。
受けが必要なのに攻めたくなる人間。
王様の危険を後回しにして、派手な駒の動きに酔う人間。
将棋は正直だ。
その人の性格が出る。
父の将棋は、優しい。
雑だが、悪意がない。
奪う快感より、動かす楽しさを優先している。
私は父の飛車が働きすぎているのを見ながら、どう勝つべきか少し迷った。
強すぎてはいけない。
弱すぎても不自然だ。
だから、私は“考えながら偶然良い手を見つけた幼児”の速度で指した。
少し迷う。
指しかけて止まる。
父の顔を見る。
それから王手に近い筋を選ぶ。
「お、しおり上手いじゃん」 「ほんとだ」 「あれ、待って、これ……」
数手後、父の王は逃げ道を失いかけていた。
私は最後に飛車を打ち込み、ぎこちなく「おうて」と言った。
父と母が笑う。
だが父の笑いは途中から少し真剣になった。
「え、ちょっと待って、これ俺負ける?」 「負けるんじゃない?」 「うそだろ」 「子ども相手に本気出しなよ」 「本気って言われても」
さらに二手後、私は父の王を詰ませた。
もっとも、詰ませたと言っても内容は初歩的だ。並べ詰みに毛が生えた程度。
けれど父にとっては十分な衝撃だったらしい。
「ええ……」 「負けたの?」 「負けた……」 「しおりちゃん強い」 「いや、俺が弱いのか?」 「たぶん両方でしょ」
母は面白そうに拍手し、私はそこで初めて少しだけ誇らしい気持ちになった。
勝ちたい。
もちろん勝ちたい。
それは前世から変わらない。
だが今の勝ちは、タイトルでも記録でもない。
父が悔しそうに頭を掻き、母が笑い、家の中が明るくなる勝ちだ。
こういう勝ち方もあるのか、と私は思った。
◇
それ以降、父は何度か私に挑むようになった。
挑む、と言うほど大げさではない。夕食後に数分、盤を広げて簡単な形で指すだけだ。
しかし回数を重ねるにつれ、父の側にも変化が生まれた。
「この前みたいにやられたくないな」 「勉強した?」 「動画ちょっと見た」 「本気じゃん」 「娘に負けっぱなしは悔しいだろ」
いい傾向だ。
家庭内に将棋が居場所を作り始めている。
父が少し勉強すれば、私にとっても都合がいい。
相手がほんの少しでも強くなる方が、自然な形で私の強さを引き出しやすい。
最初から圧勝ばかりでは「異様」になりかねないが、相手が学んだ上でなお勝てない、という形なら才能として認識されやすい。
私は父の手が少しずつ丁寧になるのを感じていた。
王を囲おうとする。
飛車をぶつける前に利きを見る。
歩を突きすぎない。
まだ初心者だが、盤を見る時間が増えた。
すると将棋は面白くなる。
面白くなれば、家の中に置かれる時間も増える。
将棋は、環境を食う。
身近にあるほど強くなる。
それを私は誰より知っている。
ある晩、父がぽつりと言った。
「この子、将棋教室とか行ったらどうなんだろう」 「もうそんな話?」 「早いかな」 「でも、好きなのは本当でしょ」 「そうだけど……まだ小さいし」 「まあ、今すぐじゃなくても」
将棋教室。
その言葉に、背筋が静かに伸びた。
来た。
いよいよ来る。
もちろん、今すぐではない。三歳児を本格的な道場へ放り込むには、早いと感じる親も多いだろう。
だが発想が出たこと自体が大きい。
両親の中で、私の将棋が「一時の気まぐれ」ではなく「継続的な興味」として定着し始めている証拠だ。
私は平静を装いながら、駒を一枚ずつ並べた。
歩、歩、歩。
父はその様子を見て、苦笑する。
「ほら。やっぱり好きなんだよ」 「そうね」
母の声はまだ慎重だった。
娘が何かに強く傾くことへの、嬉しさと不安が半分ずつ混じっている。
その感情は理解できる。将棋は外から見るほど軽い趣味ではない。のめり込めば生活を変える。
まして、女の子が将棋の世界へ深く入ることには、前世でもいくつもの壁があった。
――だが、それでも私は行く。
今度の人生では、最初から女として盤へ向かう。
誰かの偏見も、驚きも、物珍しさも、全部受けて立つ。
前世にはなかった戦い方だ。
だからこそ、価値がある。
◇
その年の年末、祖父が小さな木の駒台らしきものを持ってきた。
正確には駒台ではなく、工作品に近い台だ。だが形はそれらしく、祖父は照れたように言った。
「余ってた木で作ってみた」 「すごい」 「お義父さん器用ですね」 「大したもんじゃないよ」
私はその台を見た瞬間、少しだけ息を止めた。
盤、駒、駒台。
揃っていく。
もちろん本格的な対局環境ではない。
だが家の片隅に、将棋の景色が形作られていく。
前世では当たり前すぎて気づかなかった光景が、今は一つひとつありがたい。
祖父はその日、少し長めに私と盤を挟んだ。
父よりは明らかに慣れている。
駒の置き方が静かで、王を無闇に前へ出さず、歩の意味を知っている。
会社でちょっと指しただけ、は半分本当で半分嘘だろう。
この人は少なくとも、将棋を“遊び”以上に触れた時期がある。
「しおちゃん、これはなんだ?」 「きん」 「じゃあこれは?」 「ぎん」 「よく知ってるなあ」
祖父は嬉しそうに笑い、時々わざと間違った動かし方をしてみせた。
私は当然それに反応する。首を振り、駒を戻し、正しい筋へ置き直す。
「ほら、違うって言ってる」 「ほんとだ」 「なんだ、この子」
大人たちは笑っていたが、祖父だけは少し真面目な顔で私を見ていた。
疑っている、というほどではない。
ただ、何かの芯を感じ取ろうとしている視線だった。
将棋を少しでも知る者は、子どもの“本気の目”に時々気づく。
盤をおもちゃとしてではなく、世界として見ている目だ。
私はその視線を正面から受け止めた。
逃げなかった。
この人はたぶん、悪いようにはしない。
「好きなら、やらせてみたらいい」
帰り際、祖父が両親にそう言った。
簡単な言葉だった。
だが、その一言で何かが少し動いたのを感じた。
◇
四歳の春、私の生活の中で将棋は完全に“特別なおもちゃ”ではなくなっていた。
週末だけでなく、平日の短い時間にも盤が出る。
父は仕事帰りに簡単な詰みの本を買ってきたり、スマホで初心者向け動画を流したりする。
母も最初ほど距離を置かず、「これはどこに動くの?」と興味を示すようになった。
家の中で将棋の単語が普通に飛ぶ。
王手。飛車。角。詰み。
その空気の変化が、私は嬉しかった。
そして同時に、嬉しすぎる自分を少しだけ戒めてもいた。
ここは出発点にすぎない。
家族に受け入れられたからといって、盤上が優しくなるわけではない。
これから先、どれだけの激戦が待っているか、私は知っている。
無敗で進むと決めた以上、なおさらだ。
外から見れば圧勝でも、内側ではいつも薄氷を踏むことになるだろう。
だが、薄氷の上を歩くには、足場を知っていることが大事だ。
この家の温度、この盤の匂い、父の不格好な駒音、母の笑い声、祖父の静かな視線。
それらは全部、私にとっての足場になる。
ある日、父が近所の掲示板を見て帰ってきた。
「商店街の先にさ、小さい将棋教室あるらしい」 「へえ」 「子ども向けって書いてあった」 「ほんとに?」 「体験もできるみたい」
母が少しだけ黙る。
私は息を潜めた。
「……行ってみる?」 「しおりが嫌がらなければ」 「嫌がるかなあ」 「どうだろ」
父が私の方を見る。
私は盤の上の歩を、そっと前へ一つ進めた。
それを見た父が笑う。
「たぶん、嫌じゃないと思う」 「そうかもね」
母も、最後には笑った。
「じゃあ、今度見に行くだけ行ってみようか」
その一言を聞いた瞬間、私は胸の奥で静かに拳を握った。
来る。
家の外の将棋が来る。
同年代の子どもたち。教える大人。知らない強さ。現代の空気。
前世の記憶だけでは測れない、新しい盤上。
怖い。
楽しみだ。
その両方だった。
将棋との出会いは、たぶんひとつではない。
最初に盤を見た瞬間。
最初に駒を持った瞬間。
最初に歩を進めた瞬間。
父を詰ませた夜。
祖父に「好きならやらせてみたらいい」と言われた日。
どれも出会いだ。
そして今、もう一つの出会いが近づいている。
家の中の優しい将棋から、外の勝負の将棋へ。
私はまだ幼い。
背も低く、指先も小さく、駒を摘まむ手つきは未熟だ。
それでも心の奥では、ずっと同じ炎が燃えている。
前世で取りこぼした時代を、今度こそ掴む。
この手で。
この名前で。
天羽しおりとして。
盤上に置かれた歩を、私はもう一度見つめた。
ただ前へ進むだけの、小さな駒。
けれど、将棋はそこから始まる。
ならば私も、まずは一歩だ。
家族の笑い声の中、私は自分の歩を静かに押し出した。
その一手はまだ誰の記録にも残らない。
だが確かに、二度目の人生の本譜へと繋がっていた。