盤上に咲く幼竜   作:ぬっく~

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第二十話 団体戦、開幕

 中学に入って最初の大きな山は、個人戦ではなく団体戦だった。

 

 文部科学大臣杯につながる、中学全国将棋大会の地区予選。

 同じ学校の三人で一組を組み、三面同時に対局し、二勝した側が勝ち上がる。

 その日はベスト8までを決め、後日、その八校で地区代表の座を争う。

 

 個人戦とは空気が違う。

 

 自分が勝てば終わりではない。

 自分が負けても、仲間が勝てば前へ進める。

 逆に、自分が勝っても、他の二面が落ちれば終わる。

 

 しおりはその形式を嫌いではなかった。

 むしろ、面白いと思っていた。

 

 将棋は一対一の勝負だ。

 盤の前では誰も助けてくれない。

 それでも団体戦になると、盤の外にだけ仲間がいる。

 その矛盾が、少しだけ好きだった。

 

     ◇

 

 問題は、しおりが一年生だということだった。

 

 この学校の将棋部には、昔から妙な伝統があった。

 中学団体戦の代表は、原則として二年生以上から選ぶ。

 一年生は見学か、補欠。

 どれだけ強くても、本戦の空気を知るのは来年から――そんな古い慣習だ。

 

「馬鹿みたいだよね」

 

 しおりは放課後の部室で、はっきりそう言った。

 

「言い方」

 

 坂本がすぐに突っ込む。

 

「でも実際そうだろ」

 

 黒田は苦笑しながら腕を組んだ。

 

「伝統っていうか、前から何となくそうなってただけなんだよ。新入生はまず慣れてから、みたいな」

 

「慣れる必要ある?」

 

「お前にはない」

 

 それはもう、部内の共通認識だった。

 

 覇王。

 小学生時代の全戦全勝。

 参加大会三百超。

 アマ竜王優勝。

 

 そんな怪物に「一年生だから団体戦はまだ早い」は、もはや冗談にもならない。

 

 顧問の三枝も、さすがにそこは即決だった。

 

「特例で出す」

 

 職員室での部内面談のとき、三枝は書類を見ながらきっぱり言った。

 

「というか、出さない理由がない」

 

「他の先生とか言わないんですか」

 

 黒田が少しだけ心配そうに聞く。

 

「言わせておけ。勝つために最善を選ぶのが顧問の仕事だ」

 

 三枝は眼鏡を押し上げてから、しおりを見た。

 

「天羽」

 

「なに」

 

「団体戦だからといって、一人で全部やろうとするな」

 

「無理だよ」

 

 しおりは即答した。

 

「三面あるんだから」

 

「そういう意味じゃない」

 

「分かってる」

 

 しおりは静かに返した。

 

 たしかに団体戦は、個人戦とは違う。

 だが盤の上でやることは結局同じだ。

 目の前の相手を倒す。

 それだけでいい。

 

 代表は、黒田、坂本、そしてしおりになった。

 黒田が大将。

 坂本が中堅。

 しおりが副将。

 

 最初は「一年を副将に置くのかよ」と坂本がぶつぶつ言っていたが、誰もその配置に本気で文句は言えなかった。

 部内で一番勝率が高いのがしおりなのだから、実力順に置けば当然そうなる。

 

「絶対に二つ取ればいいんだよな」

 

 大会前日、坂本が言った。

 

「簡単に言えばな」

 

 黒田が答える。

 

「簡単に言えば?」

 

「実際は簡単じゃないってことだよ」

 

「知ってる」

 

 坂本はそう言いながらも、少しだけ落ち着かない顔をしていた。

 

 個人戦とは違う。

 自分が勝つだけでは足りないし、自分の負けがそのままチームを揺らす。

 しかも今回は、しおりがいることで周囲の視線まで集まる。

 

 学校の代表というより、覇王のいる学校として見られるだろう。

 

 その重さを、坂本なりに感じているのだ。

 

     ◇

 

 大会当日。

 

 会場は地区の大きな公民館だった。

 広いホールに長机が並べられ、対局番号が貼られ、参加校の生徒たちが思い思いの位置で準備をしている。

 三人一組のチームが並ぶ光景は、個人戦とはまた違う圧があった。

 

 制服姿の中学生たち。

 顧問たち。

 保護者。

 将棋連盟のスタッフ。

 

 ざわめきはある。

 だが、そのざわめきの下には、勝負の緊張がきれいに沈んでいる。

 

「うわ……」

 

 坂本が小さく声を漏らした。

 

「思ったよりいるな」

 

「地区予選だからね」

 

 黒田が答える。

 

「ここからベスト8まで絞るんだろ。そりゃ多い」

 

 しおりは会場を見回した。

 

 知らない顔。

 初めて見る学校名。

 そして、その中に、知っている顔がいくつもあった。

 

 小学生時代に当たった相手たち。

 

 低学年の大会で泣きながら負けた子。

 高学年オープンでしおりに寄せ切られた子。

 交流戦で何度か当たり、そのたびに一手差で沈んだ子。

 

 彼らもまた、中学生になってここへ来ている。

 

 そして、しおりを見つけた瞬間、その表情が変わった。

 

「あ……」

 

「まじかよ」

 

「なんでいるんだよ……」

 

「一年だろ、あいつ」

 

 声は小さい。

 けれど、しおりには十分聞こえる距離だった。

 

 絶望。

 

 それが一番近い感情だろうと、しおりは思った。

 

 無理もない。

 小学生時代、ずっと優勝を奪い続けた相手が、今度は中学の団体戦にまで出てくるのだ。

 しかも、ただ出てくるだけではない。三人戦の一角として確実に一勝を計算される位置にいる。

 

「知り合い?」

 

 坂本が横目で聞く。

 

「昔の相手」

 

「うわ……相手校かわいそう」

 

「まだ始まってないよ」

 

「始まる前から終わった顔してるやついるぞ」

 

 たしかにいた。

 

 別の学校の副将席あたりにいる男子が、しおりと目が合った瞬間、ほんの少し肩を落とした。

 しおりはその顔に見覚えがあった。小六の終わりごろ、県大会の準決勝で当たった相手だ。序盤研究で外してきたのに、最後は一手足りずに負けた。

 

 あのときも、負けたあとで盤をしばらく見つめていた。

 

 中学に入っても出てくるのは偉い。

 だが、再会の感想としては最悪だろう。

 

     ◇

 

 開会式が始まる。

 

 大会の趣旨。

 団体戦のルール。

 三人一組であること。

 二勝したチームの勝ちであること。

 本日はベスト8まで進出校を決め、後日に代表決定戦を行うこと。

 

 しおりは椅子に座ってそれを聞き流しながら、指先で膝を軽く叩いていた。

 

 視線を感じる。

 

 他校の生徒たちから。

 顧問たちから。

 ときには保護者からも。

 

 天羽しおり。

 覇王。

 アマチュア界の怪物。

 

 そんな噂が中学団体戦の場にまで流れ込んでいるのだろう。

 

 別に構わない。

 見たければ見ればいい。

 

 結局、盤の前では一人だ。

 

 黒田が小さな声で言った。

 

「しおり」

 

「なに」

 

「今日、変に目立つかもしれないけど」

 

「いつものこと」

 

「そうだけど、団体戦だからな」

 

「分かってる」

 

 しおりは前を向いたまま答える。

 

「一勝取る」

 

「頼もしいな」

 

「坂本先輩も勝って」

 

「プレッシャーえぐいな、お前!」

 

 それでも坂本は少し笑った。

 緊張がほどけたわけではない。

 ただ、いつものしおりの調子が逆に助けになっている。

 

     ◇

 

 一回戦。

 

 相手は市内の公立中だった。

 部員数もそこそこ多く、団体戦に慣れていそうな顔ぶれ。

 だが副将席に座った男子は、しおりを見た瞬間、明らかに顔が引きつった。

 

「……天羽」

 

 小声だった。

 

「ひさしぶり」

 

 しおりが言うと、相手は苦笑いのようなものを浮かべた。

 

「最悪だ」

 

「そう?」

 

「そうだよ」

 

 その正直さに、しおりは少しだけ口元を緩めた。

 

「お願いします」

 

「お願いします」

 

 対局が始まる。

 

 相手は慎重だった。

 小学生時代の記憶があるのだろう。簡単に乱戦に付き合わず、まずは形を作ってくる。悪くない選択だ。

 

 だが、いまのしおりは小学生の頃よりもっと速い。

 ネット将棋で浴びた現代の速度。

 棋譜並べで吸い込んだ中盤感覚。

 凛々花との何年もの激戦で磨いた終盤。

 

 それら全部が、ゆっくり形を作ろうとする相手の将棋に噛み合ってしまう。

 

 中盤でしおりが歩を叩いた瞬間、相手の表情が固まった。

 その一手はただの攻めではなく、数手先で陣形全体を歪ませる楔だった。

 

「……うそだろ」

 

 声に出ていた。

 

 しおりは返さない。

 盤の上で答えるだけだ。

 

 十分後。

 二十分後。

 

 相手はよく粘った。

 けれど最後は、やはり一手足りなかった。

 

「……負けました」

 

「ありがとうございました」

 

 顔を上げると、坂本のほうも勝っていた。

 黒田はまだ終盤のねじり合いだが、もう二勝している。

 

 一回戦突破。

 

 団体戦の初陣としては、上々だった。

 

     ◇

 

 二回戦、三回戦と進むにつれ、周囲の空気はますます露骨になった。

 

「ほんとに出てる……」

「副将に天羽がいる学校、当たりたくねえ」

「一勝計算されるのきつすぎるだろ」

 

 他校の生徒たちのそんな声が、控えスペースのあちこちでひそやかに交わされる。

 

 しおりは気にしなかった。

 ただ、黒田と坂本には確実に効いていた。

 

「なんか、俺たちまで怪物チームみたいに見られてない?」

 

 二回戦のあと、坂本が紙コップの水を飲みながら言う。

 

「見られてるよ」

 

 しおりが即答する。

 

「即答すんな」

 

「事実だから」

 

 黒田は苦笑しつつも、少しだけ肩をすくめた。

 

「でも悪くない。相手が先に固くなってくれるなら助かる」

 

「黒田先輩、ちょっと頼もしくなったね」

 

「誰のせいだと思ってる」

 

「わたし」

 

「そうだよ」

 

 三人の空気は、以前よりずっとまとまっていた。

 

 しおりが絶対的な勝ち頭であることは変わらない。

 だが、それだけでは団体戦は勝てない。

 坂本が一本取る。

 黒田が崩れない。

 その積み重ねで、チームは前へ進む。

 

 三回戦の相手校には、しおりの小学生時代の宿敵候補のひとりがいた。

 

 小学六年の高学年オープンで何度も当たり、毎回あと一歩まで追い詰めてきた男子だ。

 しおりを見た瞬間、相手は露骨に天を仰いだ。

 

「うわ、終わった……」

 

「まだ始まってないよ」

 

「お前がいる時点で半分終わってるんだよ」

 

 その言い方に、坂本が横で吹き出しそうになるのを堪えていた。

 

 だが対局が始まれば、笑える余裕はなくなる。

 

 相手は強かった。

 小学生時代より明らかに伸びている。

 こちらの得意なもつれに付き合わず、受けるべきところを受け、急所だけを外してくる。

 

(いい)

 

 しおりは内心で思う。

 

 こうでなくてはつまらない。

 

 中盤、しおりは一度だけ押し込まれた。

 形勢が揺れる。

 相手にも勝ち筋が見えたのだろう、指先に熱が乗る。

 

 だが、その熱が最後には命取りになる。

 

 しおりは薄い受けを一枚利かせ、相手の読みの土台を半手だけずらした。

 そこから終盤で一気にひっくり返す。

 

「……またかよ」

 

 相手が苦く笑う。

 

「また」

 

 しおりは短く返した。

 

「ありがとうございました」

 

 また勝った。

 そして、また相手に絶望を残した。

 

     ◇

 

 気づけば、ベスト8決めだった。

 

 ここを勝てば、今日は終わり。

 後日の代表決定戦へ進める。

 

 相手校は、地区の強豪として知られる私立中だった。

 三面とも手強い。

 見た目の落ち着きからして違う。

 

「ここが山だな」

 

 黒田が小さく言う。

 

「勝てばベスト8だ」

 

「勝つよ」

 

 しおりは即答した。

 

「お前さ、その迷いのなさ、たまに羨ましいわ」

 

 坂本が乾いた笑いをこぼす。

 

「先輩は迷うの?」

 

「迷うに決まってんだろ」

 

「じゃあ、わたしが先に勝つから」

 

「またプレッシャー!」

 

 でも、その言葉が坂本の背中を押したのも事実だった。

 

 対局開始。

 

 副将席の相手は、しおりを知っていた。

 知っているどころか、どうやらかなり調べてきている。序盤から露骨に研究を外してきた。

 

(へえ)

 

 悪くない。

 怖がるだけじゃなく、ちゃんと対策してくる。

 

 だが、対策は対策でしかない。

 実戦の熱の中で、それを最後まで正確に運べるかは別だ。

 

 盤面は中盤で大きくねじれた。

 相手の研究が刺さる。

 こちらも受けるだけでは悪い。

 なら、別の戦場を作るしかない。

 

 しおりは王の薄さを承知で踏み込んだ。

 

 相手の目が揺れる。

 その揺れで十分だった。

 

 終盤、しおりは一手一手を積み上げ、最後は鋭く寄せ切った。

 

「……負けました」

 

「ありがとうございました」

 

 顔を上げた瞬間、ちょうど坂本の卓からも「負けました」が聞こえた。

 一瞬、胸が冷える。

 

 一勝一敗。

 

 残るは黒田。

 

 団体戦らしい重さが、ようやく本気でのしかかってくる。

 

 しおりと坂本は声を出せない。

 ただ盤を見るしかない。

 

 黒田の将棋は苦しかった。

 だが崩れない。

 受けて、受けて、最後に相手の焦りを誘う。

 

 以前の黒田なら、ここで受け損ねて終わっていたかもしれない。

 だが今は違う。

 

 しおりとの日々で、部長は確かに変わっていた。

 

 終盤、相手が決めにきた一手に対して、黒田は冷静に受けた。

 そして数手後、相手の攻めが切れる。

 

「……勝ちました」

 

 黒田が小さく言った瞬間、坂本が思わず拳を握る。

 

「っしゃあ!」

 

 すぐに口を押さえたが、もう遅い。

 スタッフに睨まれ、坂本は慌てて頭を下げた。

 

 それでも、勝ちは勝ちだ。

 

 ベスト8進出。

 

     ◇

 

 対局表に、自分たちの学校名がベスト8として書き込まれる。

 

 後日行われる代表決定戦への進出が確定したのだ。

 

 会場の空気が少しだけ変わる。

 ここまで来ると、もう偶然ではない。

 しおりのいるチームは本物だと、誰もが認めざるを得ない。

 

「やったな」

 

 黒田が息を吐く。

 

「やりましたね、部長」

 

 西野が控え席から駆け寄ってくる。今日は応援と記録係として来ていたのだ。

 

「坂本先輩も勝ったし、黒田先輩も最後すごかったです」

 

「しおりが先に終わるから、胃が痛かったわ……」

 

 坂本が本音を漏らす。

 

「わたしのせいじゃないよ」

 

「半分くらいお前のせいだよ!」

 

「残り半分は?」

 

「俺が弱いせい!」

 

 そのあまりに正直な叫びに、黒田が笑い、しおりもほんの少しだけ口元を緩めた。

 

 顧問の三枝が近づいてくる。

 

「よくやった」

 

 三人とも姿勢を正した。

 

「今日は予定通りベスト8まで。次が本番だ」

 

「はい」

 

 黒田が答える。

 

 三枝はしおりへ視線を向けた。

 

「全勝か」

 

「うん」

 

「当然みたいな顔をするな」

 

「当然だから」

 

 三枝は一瞬呆れ、それから小さく笑った。

 

「まったく……」

 

 だが、その顔には誇らしさもあった。

 

 他校の生徒たちは帰り支度をしながら、まだこちらを見ている。

 小学時代の顔見知りたちも、遠巻きにしおりを見ていた。

 

 絶望。

 悔しさ。

 諦めの悪い敵意。

 いろんなものが混ざった視線だった。

 

 しおりはそれを受けながら、静かに思う。

 

 中学でも変わらない。

 大会に出る。

 勝つ。

 また次へ進む。

 

 ただ、今は少しだけ違う。

 

 一人ではない。

 

 黒田がいて、坂本がいて、同じ学校の名前を背負って前へ進む。

 それは悪くなかった。

 

 しおりは対局表のベスト8の欄を見上げる。

 

 今日はここまで。

 次は後日、地区代表決定戦。

 

 当然、勝ちにいく。

 

 小学生時代の相手が絶望するのも構わない。

 中学生の団体戦で目立つのも構わない。

 

 自分は止まらない。

 

 盤の上で勝ち続ける。

 そうして、その先へ行く。

 

 竜王まで続く道の途中に、このベスト8もまた、ひとつの通過点でしかなかった。




### あとがき

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それでは、次のお話でもお会いできれば嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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