将棋教室へ通い始めてから、私の一週間には明確な山ができた。
教室のある日だ。
その日だけは朝から身体の中の何かが少し速く回る。
目が覚める時間が気持ち早くなり、朝食の間も落ち着かず、父が鞄を持つ音や母がハンカチをたたむ音にまで意識が向く。
もちろん、表面上はせいぜい「今日は好きな習い事の日でそわそわしている幼児」程度にしか見えないだろう。実際、そう見えるようにしている。
だが頭の中では、もっとずっと切実なことが起きていた。
盤へ近づける。
この時代の将棋へ、また少し近づける。
それが嬉しくて仕方ないのだ。
「しおり、今日は先生にちゃんとあいさつできる?」 母が髪を結びながら聞いた。 「……おねがいします」 「うん、その前」 「こんにちは」 「よし、完璧」 父がすぐ乗ってくる。 「帰るときは?」 「ありがとうございました」 「えらい!」 「あなたが一番浮かれてる」
母が苦笑する。
教室では、将棋そのものと同じくらい、礼が大切にされていた。
来たらあいさつをする。
対局の前に「お願いします」と言う。
終わったら「ありがとうございました」と頭を下げる。
前世ではあまりに当たり前すぎて、意識の表層に上がることの少なかった作法だ。
だが、子どもたちにとってはそれが最初のルールになる。駒の動かし方より先に、盤を挟んだ相手へどう向き合うかを覚える。
悪くない。
むしろ、とても正しい。
将棋は一人では成立しない。
どれだけ強くなっても、相手がいなければただの盤面遊びで終わる。
盤の向こうに人間がいるからこそ、勝ちも負けも痛みを持つ。
その前提を小さいうちから身体へ染み込ませるのは、大事なことだった。
前世の私は、礼を欠かしたことはない。
ないが、それを“形式”として流していた時期はあった。
今度は違う。
もう一度最初から覚えるなら、作法もまた最初から意味を持たせたい。
◇
教室では、その日のはじめに簡単な問題を解く時間があった。
机の上に配られるのは、子ども向けのごく初歩的なプリントだ。
王手とは何か。
詰みとは何か。
どこへ逃げれば助かるか。
どうすれば逃げ道を塞げるか。
大人から見れば簡単すぎる。
前世の私から見れば、呼吸のような問題だ。
だが、だからこそ面白いとも言えた。
将棋の本質は、最終的には玉を詰ませることにある。
どんな序盤も、どんな中盤も、最後はそこへ向かう。
つまり、初心者に「王手」と「詰み」を教えるのは理にかなっている。ゴールが分からなければ、途中の手筋も意味を持たない。
その日、先生は盤の上に王と金を置き、私たちに問いかけた。
「王さまをつかまえるには、どうしたらいいかな」
子どもたちが口々に答える。
「おうて!」 「いっぱいおうて!」 「にげられないようにする!」
どれも間違っていない。
先生は笑って頷きながら、一つずつ整えていく。
「そう、王手は大事。でもね、王手しても逃げられたら終わらないよね。だから、逃げ道をなくすことが大事なんだよ」
逃げ道をなくす。
この説明は幼児にも届きやすい。
王を追い回すだけではだめで、囲い込む必要がある。
まるで鬼ごっこのようでいて、その実、将棋の根幹に触れている。
私は先生の指先を目で追いながら、心の中で別のことを考えていた。
逃げ道をなくす。
それは、勝負にも人生にもよく似ている。
前世の晩年、私が追い詰められていたのはまさにそこだった。
若手が強いのではない。
時代が速いのではない。
そういう言い方は表面だ。
本当に恐ろしいのは、こちらがまだ息をつけると思っていた局面で、実はもう逃げ道が残っていないことだ。
古い将棋観、古い価値観、古い美学。
それらを抱えたまま一手ずつ指していくうち、気づけばどこにも逃げ場がなくなる。
だからこそ私は、子ども向けのこの初歩問題を軽く見ない。
詰みとは、最後の形だけの話ではない。
もっと手前から、局面は少しずつ詰みに近づいていく。
「しおりちゃん、これ分かる?」
先生が私の前に、小さな部分図を置いた。
王の逃げ道が一つだけ空いている図だ。
そこを塞げば一手詰みになる。
私は少しだけ首を傾げた。
すぐ答えては不自然だ。
だが考えすぎても、ただの幼児らしさに見える。
程よく数秒置いてから、金を一マス動かす。
「そうそう、それで逃げ道がなくなるね」
先生が褒める。
父は後ろで満足そうに何度も頷き、母はそんな父を見て半分呆れている。
「しおりちゃん、詰みの形好きそうですね」 先生が笑いながら言った。 「好きそう、って何ですか」 父が聞く。 「なんというか……王さまを追いかけるより、逃げ道をふさぐ方を先に見る子なんです」 「へえ」 「小さい子は派手な駒を動かしたがることが多いんですけど、この子は割と“最後の形”を見てる感じがします」
私は内心で少しだけ緊張した。
見抜かれすぎるのは良くない。
だが、褒め方としては自然な範囲だ。
“少し終盤感覚のある子”くらいなら、天才の領域ではなく、個性で収まる。
大事なのはここからだ。
変に警戒しすぎて弱く見せる必要はない。
ただ、速さではなく好みとして受け取られる位置に留まればいい。
「でも、まだまだこれからですよ」 先生はすぐに続けた。 「小さいうちは、楽しいって思えるのが一番ですから」 「そうですよね」 母の声が少し柔らかくなった。
私はそのやり取りを聞きながら、胸の内で小さく安堵する。
この先生は信用できる。
強さの芽を煽りすぎず、楽しさの方へ言葉を戻してくれる。
こういう大人の存在は、長く将棋を続ける上できっと大きい。
◇
教室には、私より少し年上の男の子がいた。
名は翔太という。
五歳か六歳くらいだろうか。
元気が良く、声も大きい。駒を置く音も大きい。勝つとすぐ顔に出るし、負けると分かりやすく唇を尖らせる。
将棋の内容はまだ粗いが、いわゆる“戦いたがる将棋”を指す子だった。
私は彼が少し気になっていた。
理由は簡単だ。
こういう子は伸びる時、一気に伸びる。
大人から見れば雑に映る。
けれど駒をぶつけることを怖がらず、失敗してもまた前へ出る子は、ある段階でぐっと化けることがある。もちろん、ただの雑さで終わる場合もある。だが、戦うこと自体を怖がらない資質は貴重だ。
その翔太と、ある日私は練習対局をすることになった。
「しおりちゃん、今日は翔太くんとやってみようか」 先生が言う。 「えー、しおりちゃんちっちゃいよ?」 翔太が言った。 「ちっちゃくても将棋はできるよ」 「……できる」 私が言うと、翔太は少しだけ眉を上げた。
子ども同士のこういう反応は分かりやすい。
見た目で侮る。
けれど、相手が思ったより堂々としているとすぐ警戒する。
悪くない反応だ。
盤上で油断しない子になる素地がある。
盤は、いつもの初心者向け簡略形だった。
ただし以前の美咲との時より駒数が多い。王、飛車、角、金銀、歩が少し。
完全な本将棋にはまだ遠いが、局面の幅は広がる。
「お願いします」 翔太が先に言った。 「……おねがいします」
頭を下げる。
私は盤へ視線を落とした。
翔太の初手は速かった。
歩を前へ出す。
次も歩。
そして早々に飛車を使いたがる。
予想通りだ。
囲いより先に攻めを見ている。
幼い子どもにはよくある傾向だが、この子の場合はただせっかちというより、盤上で何かを起こしたい欲が強い。
私はそれを正面から受けず、まず王の周りを整えた。
とはいえ、整えすぎると逆に不自然だ。
この年代の子どもが“受けすぎる”将棋は、かえって教室内で浮く。
だから最低限の逃げ道だけを作り、金銀の位置も少し甘く見える程度に留める。
翔太は飛車を前へ出し、王手を狙う形を見せた。
先生が横で見ている。父と母も後ろから息をひそめている。
私はその飛車を見ながら、ほんの一瞬だけ別の光景を思い出した。
若い頃の私も、王手が好きだった。
もちろん、ただ好きなだけで勝てる世界ではない。
だが、王手には甘美さがある。相手の玉へ直接触れた感覚。場の空気が少しだけ変わる感覚。
人はそこに酔う。
しかし強くなるほど、分かってくる。
王手そのものには価値がない。
逃げられる王手は、ただの手番の消費で終わることすらある。
重要なのは、相手の呼吸を奪う王手だ。
「おうて!」 翔太が嬉しそうに言った。
飛車が私の王に迫っている。
初心者向けの局面としては十分な脅威だ。
後ろで父が「おお」と息を呑む気配がした。
母も少し身を乗り出している。
私は盤を見つめたまま、ゆっくり指を伸ばす。
逃げることもできる。
受けることもできる。
だがここは、それだけではもったいない。
私は金を一枚、飛車の利きを遮る位置へ動かした。
同時に、その金が次の反撃の起点になる位置だ。
先生が小さく頷く。
「いい受けだね」
翔太の顔が曇った。
彼は王手をかければそれで優勢になる感覚だったのだろう。
だが将棋はそう甘くない。
王手を受けられたあとの姿まで見えていなければ、むしろ攻め駒の位置が偏る。
もっとも、私はここで安堵しない。
翔太のような子は、こういうところで急に無茶を通そうとする。
無茶は時に悪手だが、相手が受けを誤ればその瞬間だけ真理になる。
案の定、翔太は次の手で角をぶつけてきた。
筋としては粗い。
だが、受け損なえば一気に形が崩れる。
私は内心で少しだけ笑った。
いい。
その雑さは嫌いじゃない。
むしろ、今の将棋に必要な“踏み込みたがる性質”がそこにはある。
前世の晩年、私が苦しんだのはこういう相手だった。整っていないのに踏み込んでくる相手。形を崩すことを恐れず、結果的にこちらへ難しい対応を押しつけてくる相手。
私は一手だけ長く考えたふりをした。
そして、王の逃げ道を残しつつ角の筋を外す。
派手ではない。
だが、正しい。
翔太は悔しそうに眉を寄せた。
攻めが続かない。
続かないと分かると、子どもは急に次の手が荒くなる。
そこで勝負が決まった。
飛車が前に出すぎていた。
角も支えを失っている。
私は一つずつ咎めていく。
王の安全を確保し、利きの少ない方から駒をぶつけ、最後に飛車を働かせる。
勝ち筋は細くない。
もう十分に見えている。
だが私は、最後の最後まで表情を変えなかった。
幼児らしく無邪気に喜ぶよりも、この局面では“盤だけを見ている子”でいたかった。
詰みの直前、先生が言う。
「しおりちゃん、ここ、どうする?」
私は飛車を一つ寄った。
逃げ道を塞ぎ、王の呼吸を奪う手。
翔太はしばらく考え、盤を見て、先生を見た。
「……ない」 「うん、詰みだね」
終局。
翔太は露骨に悔しそうだった。
だが泣かない。唇を尖らせて、ぐっとこらえている。
その姿に、私はほんの少しだけ好感を持った。
「ありがとうございました」 先生に促される前に、翔太が言った。 「……ありがとうございました」
私も頭を下げる。
盤上の勝敗が終わったあと、ちゃんと礼が戻ってくる。
それだけで場は崩れない。
子どもの将棋だろうと、その部分はきっと大人と同じだ。
◇
対局が終わると、父が目を輝かせて近寄ってきた。
「すごかったなあ、今の!」 「声大きい」 母がすぐ制する。 「だってすごかったじゃん」 「教室で騒がない」 「はい……」
先生が笑って、「お父さんも嬉しいですよね」と助け舟を出してくれた。
母も最後には少し笑う。
私はそのやり取りを聞きながら、勝ったことそのものより、別のことを反芻していた。
翔太の攻めは粗い。
だが、怖かった。
まだ子どもの将棋だ。
少し受け方を間違えたところで即座に終わるわけではない。
それでも“嫌な筋を押しつけてくる”感覚があった。
それは才能というほど大仰ではないかもしれない。けれど、勝負勘の芽ではある。
この時代の子どもは、こういう芽を早い段階で持っている。
前世の私なら、ああいう踏み込みを「雑」と切り捨てていたかもしれない。
だが、今の私は違う。
雑さの中に含まれる速度を、ちゃんと恐れたい。
恐れた上で、それを上回る最善を積みたい。
負けないために。
ただ勝つだけでなく、勝ちの中身を更新し続けるために。
「しおりちゃん、王手を受けるの上手だね」 女性の先生が言った。 「おうて、うける」 「うん。追いかけるだけじゃなくて、ちゃんと逃げられるようにしてる」
私は小さく頷いた。
受けが上手い。
それは今の年齢では少し珍しい褒められ方だろう。
子どもは攻める方が楽しい。王手をかける方が分かりやすい。
だから、王手を受ける側の手筋へ先に目が行くのは、多少変わっている。
でも、それでいい。
前世で私が最後まで手放せなかったものの一つが、玉を見る感覚だった。
終盤で命を繋ぐ感覚。
負け筋の輪郭を嗅ぎ取り、かろうじて外す感覚。
そこだけは、今の私にもまだ強く残っている。
ただし、それだけでは足りない。
受けるだけの将棋は、いずれ時代に遅れる。
受けながら、踏み込む。
安全を残しながら、速度でも負けない。
その両立が要る。
なんとも贅沢で、なんとも難しい注文だ。
だが元竜王の転生ものとしては、それくらいでちょうどいい。
◇
帰り道、翔太の将棋のことを考えていたせいか、私はいつもより少し黙っていた。
父は最初こそ興奮気味に話していたが、私が静かなのに気づいて途中で口数を減らした。
母はそれを察して、何も急かさず、ただ歩幅を合わせてくれる。
商店街の夕方は賑やかだった。
買い物帰りの人。
自転車で通り過ぎる学生。
総菜屋から流れてくる揚げ物の匂い。
犬を散歩させる老人。
その雑多な中で、私は盤のことを考えている。
子どもらしくないといえば、その通りだろう。
だがこの“考えてしまう”ところは、もはや性分だ。
「しおり、疲れた?」 父が屈みこんで聞く。 「……ちょっと」 「そっか」 「でも」 「でも?」 「たのしかった」
父の顔がすぐに緩んだ。
母も横でほっとしたように笑う。
「ならよかった」 「また行こうね」 「……うん」
楽しかった。
これは本当だ。
怖さや違和感ばかりではない。
現代の子どもの将棋に触れるたび、自分の古さを意識するたび、胸の奥に冷たいものが走る。
だがその一方で、知らないものへ手を伸ばしている高揚も確かにある。
前世の末期には、もうあまり感じられなかった種類の高揚だ。
新しい手を知る喜び。
新しい価値観に触れる不快と興奮。
強くなる余地がまだ自分にあるという感覚。
それが嬉しい。
だからこそ、私は負けたくない。
まだ幼いこの時期から、一局一局の中で少しずつ将棋を作り替え、最後まで無敗で行きたい。
勝ち方を更新し続けながら。
絶体絶命の局面も、ぎりぎりで潜り抜けながら。
やがて来る本当の怪物――竜王との戦いまで。
◇
その晩、夕食のあとに父がいつものように盤を広げた。
「今日の復習しよう」 「ほんと好きね」 母が茶碗を洗いながら言う。 「いいじゃん。しおりも好きだし」 「……すき」 「ほらね!」
単純だな、と私は少しだけ笑う。
だが、その単純さがありがたい。
父は教室で見た局面をうろ覚えで再現しようとした。
当然、ところどころズレている。
翔太の飛車の位置が違う。
角の利きも一本ずれている。
王の逃げ道も微妙に違う。
「こんな感じだっけ?」 「違うんじゃない?」 母が即座に言う。 「いや、たぶん近い」 「近い、で大丈夫?」 「大丈夫だよな、しおり」 「……ちがう」 「えっ」 「ほら」 母が笑う。
私は立ち上がって、父の置いた飛車を一マス戻し、角を少しずらした。
それから王の前の歩を直す。
父がぽかんとする。
母も手を止めてこちらを見た。
「……今、直した?」 「直したね」 「覚えてるの?」 「……うん」
ここで一気に不自然にならないよう、私はそれ以上は喋らず盤へ視線を落とした。
だが、もう十分だったらしい。
「記憶力すごくない?」 父が小声で言う。 「たまたまかもしれないでしょ」 母も小声だが、声色は完全否定ではない。 「でも、教室のあとだよ?」 「……まあ、将棋のことはよく見てるよね」 「だよなあ」
私は二人の会話を聞き流しながら、盤を見つめた。
翔太の攻め。
私の受け。
最後の詰みの形。
再現しながら、改めて分かる。
あの局面、もし私が子どもらしく見せることを意識しすぎて受けを一手緩めていたら、少し嫌な展開になっていた。
もちろん最終的には立て直せただろう。
だが“立て直せる”と“危険がない”は別だ。
勝つために自然さを装う。
自然さを装うために最善を少し曲げる。
そのバランスは、思ったより難しい。
今後もっと相手が強くなれば、なおさらだ。
少しの手抜きが、そのまま絶体絶命へ繋がる。
ならば、覚えておかなければならない。
私はもう、盤上で油断できる立場ではない。
幼児に見えても、中身は元竜王だ。
その自覚がある以上、取りこぼしは許されない。
「しおり、次どうする?」 父が聞く。
私は答えず、金を一枚動かした。
逃げ道を塞ぎ、相手の飛車の働きを止める位置だ。
「あっ」 父が声を漏らす。 「それか」 母も横から覗きこむ。 「すごいね」
すごい、で片づく話ではない。
これはただの一手だ。
だが、その一手に至る読みの筋を、いまの家族へ説明する必要はない。
説明しないまま、少しずつ見せていけばいい。
好きな子。
考える子。
勝つときはちゃんと勝つ子。
そうやって天羽しおりは形作られていく。
◇
夜、布団に入ったあとも、私はしばらく目を閉じずにいた。
窓の外では風が鳴っている。
隣室からは父と母の小さな話し声。
内容までは拾えないが、声の調子だけで分かる。今日の教室のことを話しているのだろう。
その気配を感じながら、私は胸の中で今日の対局をもう一度並べ直した。
王手は、甘美だ。
詰みは、残酷だ。
だがその間には、必ず受けがある。
逃げ道を作る手。
相手の利きを外す手。
見た目には地味でも、命を繋ぐ手。
前世の私は、そういう手に何度も救われてきた。
そして晩年には、そういう手の価値判断が時代とズレ始めていた。
ならば今度は、受けの意味まで更新しなければならない。
古い受けでは足りない。
ただ安全なだけでも足りない。
次に反撃へ繋がる受け。
速度を失わない受け。
現代の攻めを見据えた受け。
難しい。
だが、それでいい。
難しいから、面白い。
難しいから、もう一度やる価値がある。
私は布団の中で、小さく手を握った。
ことばより先に詰みを知った子。
周囲はたぶん、そんなふうに私を見るのかもしれない。
だが本当は違う。
私は詰みを知っているのではない。
詰みに至るまでの、逃げ場が少しずつ消えていく怖さを知っている。
だからこそ、逃げ道を作る一手に執着する。
だからこそ、最後に相手の逃げ道を塞ぐ一手に快感を覚える。
それはきっと、前世の敗北ごと受け継いだ感覚だ。
でも悪くない。
負けた記憶すら、使えるものは使えばいい。
この二度目の人生で、無駄にしていいものは一つもない。
やがて眠気がゆっくりと降りてくる。
意識が沈む寸前、私はまた九×九の盤を頭に描いた。
歩を進める。
王を寄る。
飛車を走らせる。
受ける。
逃がさない。
盤のない研究は、もう盤のある研究へ少しずつ変わり始めていた。
そしてその変化の中心には、家族の温かい手と、小さな教室の駒音がある。
私はその両方を抱えたまま、静かに次の一手へ向かう。
まだ小さい。
まだ幼い。
けれどもう、将棋は私の中でただの遊びではなくなっていた。
それでも、楽しいと思える。
その事実が、何より大きかった。
眠りに落ちながら、私は胸の中でそっと呟く。
――次も、勝つ。
誰にも聞こえない誓いは、夜の底で小さく熱を持ち続けた。