存在しないはずのライスシャワーの娘に転生しました 作:みやび(雅媛)
トレセン学園の入学試験として行われた、東京レース場芝1200メートル。
18人立てのフルゲート。
しかもボクが引いたのは、一番外の8枠18番だった。
短距離で大外。
どう考えても有利とは言い難い枠順である。
結果は、一着。
二着以下は遥か後方。
正確な着差はまだ出ていないけれど、目測なら大差は間違いないくらいには離れている。
まあ、当然である。
枠順には恵まれなかったが、だからといって負ける気は最初から一切なかった。
『一着、十八番──ピュアホワイト!』
場内放送から名前を呼ばれる。
ピュアホワイト。
それが今世におけるボクの名前だ。
名前通りというべきか、髪も耳も尻尾も、混じり気のない白。
低い身長に対して少々育ちすぎた体格だけは母に似なかったけれど、顔立ちそのものはかなり似ているとよく言われる。
そして真っ白な中でひときわ目立つ赤い瞳。
鏡を見るたびに我ながらかわいいと思う。
いや、自惚れではない。
客観的事実である。
現に母はとてもかわいい。
それに似ているボクも当然かわいい。真理である。
走り終えたボクは息を整えながら、係員の誘導に従ってコースから引き上げる。
試験は実技だけで決まるわけではなく、筆記と面接がある。
とはいえ、筆記も完ぺきだった自信があるし、さらにこの走りを見ておいて不合格ということはないだろう。
トレセン学園はレースで活躍するウマ娘を育てる学校なのだ。
速いウマ娘を落とす理由はない。
つまり、合格間違いなし。
いやあ、めでたい。
「ホワイトちゃん!」
聞き慣れた声に顔を上げる。
観客席と関係者エリアを隔てる柵の向こう。
そこに声の主がいた。
「ママー!」
思わず駆け出す。
青みがかった黒髪。
そこから伸びる黒い耳。
右耳のそばには、青い薔薇をあしらった髪飾り。
そして今は、自分の脚では立ち上がることのできないウマ娘。
ライスシャワー。
ボクの母である。
「ホワイトちゃん、すごかったよ!」
柵を抜けて近づけば、満面の笑みで両手を広げてくれる。
そのまま遠慮なく胸へ飛び込んだ。
「最後、すっごく速かった! びゅーんって、みんな追い抜いて……!」
「ふふん」
当然の結果とはいえ、褒められると嬉しいものだ。
ましてや褒めているのがライスシャワーである。
前世のボクが聞いたら卒倒するんじゃなかろうか。
なにしろ前世のボクは競馬ファンであり、その中でもライスシャワー号が特に好きだった。
そんなボクが気づけば生まれ変わってウマ娘になっていた。
そこまででも驚きだが、さらに驚いたのは母親である。
ライスシャワー。
あのライスシャワー。
もちろん、競走馬ライスシャワーに産駒など存在しない。だって、ライスシャワー号はあの宝塚記念で虹の向こうにわたってしまったのだから。
ウマ娘の世界のウマ娘は、異世界、前世の世界の馬の名前と運命を引き継ぐ。
つまりボクは、どう考えても本来この世界にはいない存在である。
だからどうしたという話だが。
転生できた。
ウマ娘になれた。
しかも大好きだったライスシャワーの子供になれた。
これを幸運と呼ばずして何と呼ぶのだろう。
「ねえ、お兄さま! ホワイトちゃん、本当にすごかったよね!」
「あ、ああ……」
ママが嬉しそうに振り返る。
その車椅子の後ろに立っているのが、ボクの父だ。
かつて中央でトレーナーをしていた人であり、現役時代のライスシャワーを担当していた人でもある。
そして結婚して娘までいる現在も、妻から『お兄さま』と呼ばれている。
……そういうプレイなんですかね?
前世知識を持つボクとしては、この呼び方がどこから来ているのか理解してはいる。
理解しているのだが。
娘の立場から見ると割と特殊である。
そこについて両親へ詳しく質問する勇気はない。
世の中には、知らない方が幸せなこともあるのだ。
「何かご不満でも? お父様?」
かわいらしく首を傾げてみる。
父はボクを見た。
それから今しがた走ってきたコースを見た。
もう一度ボクを見る。
「えげつなさすぎて、新入生の走りじゃないなって」
「?」
何のことだろう。
思い当たる節はないが、少し振り返ってみよう。
まずゲートに入ってから。
十八番枠のボクをやたらと気にしている子が何人かいた。
理由には心当たりがある。
「あの白い子、ライスシャワーの娘でしょ?」
パドックでもそんな声が聞こえていた。
ボク自身にはまだ何の実績もない。
それでも母親の名前だけは有名だ。
もちろん、その有名というものが必ずしも良い意味ではないことも知っている。
ライスシャワー。
ミホノブルボンの無敗三冠を阻み。
メジロマックイーンの天皇賞春三連覇を阻んだウマ娘。
望まれた記録を壊す者。
祝福されるはずだった舞台へ水を差す者。
ヒール
現役当時、そう呼ぶ人間がいたことをボクは知っている。
それから、宝塚記念。
ママはそこで大事故に遭った。
一命こそ取り留めたものの、二度と走れなくなった。
歩くことさえできなくなった。
その時もいろいろ言われたらしい。
父がトレーナーをやめることになるぐらい、いろいろあったらしい。
そんな一度ついた印象というのは簡単には消えない。
今日だってそうだった。
「あれ、ライスシャワーじゃない?」
「本当だ……本当に車椅子なんだ」
「じゃあ、さっき走ってた白い子って……」
「娘がいたんだ」
そんな声ならまだいい。
中には。
「……黒い刺客の娘か」
なんて声もあった。
聞こえてますよ。
ママにも聞こえていたかもしれない。
けれど、ママは何も言わなかった。
少しだけ耳が伏せられたのを、ボクは見ている。
なので少々、頑張ることにした。
ゲート内でボクを意識しているなら、それを利用しない理由はない。
スタート直前。
身体へぐっと力を入れ、今にも飛び出すような気配を見せてみた。
もちろん出ない。
ゲートはまだ開いていないのだから。
でも左右にいた二人は見事に反応した。
一人は前のめりになってゲートへ額を軽くぶつけ。
もう一人は一度力を入れたことでタイミングを外し、スタートで出遅れた。
ボクは何もしていない。
勝手にこちらを見て、勝手に反応しただけである。
まあ、ゲート内で知りもしない相手のことを悪く言って集中できないでいたから天罰が下ったのだろう。
その次。
スタート直後。
大外枠からずっと外を走るなんて、いくら1200メートルでも距離損が大きい。
当然、内へ入りたい。
なので少々前へ圧をかけた。
ぶつからない。
進路を塞がない。
斜行もしない。
ただ、視線と位置取りで、
そこ、ボクが欲しいんですけど。
と伝えてみただけだ。
だが、新入生候補というのは素直である。
何人かがボクを意識しすぎて互いの位置まで気にし始め、内側のポジション争いが少々ごちゃついた。
そこへ自然に空間ができたので、ありがたく入らせてもらった。
これも問題ない。
空いていたから入っただけである。
まあパドックでボクや母のことを気にしてぼそぼそ言っていたぐらいだ。集中を欠いていたいのだろう。
そして道中。
『八方にらみ』
『魅惑のささやき』
これも多分違うだろう。
こういった前世のゲームで存在したスキルはこちらの世界でも存在し、URAから公式に認められた技術である。
さらに言えばボクの麗しき赤い瞳に見つめられ、美しい声で囁いてもらえるのだ。
むしろご褒美では?
「今、思い浮かべたやつ全部だよ」
「心を読まないでください」
「顔に出てる」
失礼な。
こんなに愛らしい顔なのに。
笑顔を向けると父はたじろいだ。
なんだかんだで娘には激甘な父である。
「それに、やり方を教えてくれたのはお父様ですよ?」
「俺は相手を観察しろとは教えた」
「はい」
「自分が相手からどう見られてるか考えろとも教えた」
「はい」
「その結果、新入生十七人を最初から最後まで騙し続けろとは教えてない」
「応用ですよ」
「応用する方向がおかしいんだよ」
納得がいかない。
牽制。
相手の観察。
場の支配。
自分が動いた時に相手がどう反応するのかを読むこと。
全部、元中央トレーナーである父から習ったものだ。
教えを存分に使いこなした娘を誇らしく思ってほしいものである。
「でも、ホワイトちゃん、すごく上手だったよ?」
ママが援護してくれる。
「ですよね?」
「うん。ちゃんと周りを見ながら走れてたし、最後まで落ち着いてたし……」
「ほら」
「ライスはそう言うと思ったよ」
父が疲れたように額を押さえた。
そんな父の態度に、ママが少し頬を膨らませる。
「ホワイトちゃん、悪いことしてないよ?」
「してない。してないから何も言えないんだ」
父としてもそこは認めるらしい。
当然である。
ボクはルールを守る真面目なウマ娘なのだから。
「そもそも、普通に走れば勝てただろ」
「それは結果論です」
「最後、どれだけ余裕あった?」
「さあ?」
「目を逸らすな」
別に逸らしてはいない。
たまたま視線の先に気になるものがあっただけだ。
ちょうど次の組の試験が始まるところだった。
ゲートから飛び出したウマ娘たちが、向こう正面へ駆けていく。
その中に、鹿毛の髪を大きく揺らすウマ娘がいた。
前半は特別目立たない。
むしろ少しのんびり、どんくさいようにさえ見える。
けれど最後の直線。
「……速っ」
思わず声が漏れた。
後ろにいたはずの少女が、一気に前との差を縮める。
一歩ごとに速度が増していくような、長い末脚。
さすがに後ろすぎて届かなかったようだが、ゴール板を通り過ぎてもまだ伸びそうな勢いだった。
「あらぁ~……もう終わりですかぁ?」
遠くからそんな声まで聞こえてきた気がする。
見覚えがある。
というより、前世知識にある。
「メジロブライト……」
「よく知ってたな」
「有名ですから」
危ない危ない。
まだ同期になる相手を知っているはずがない。
父は特に疑問に思わなかったようだ。
そのさらに後の組では、今度は黒髪の少女がきっちり好位につけ、最後まで崩れずに抜け出していた。
派手さはない。
けれど無駄もない。
「あちらはドーベルさんですわ」
「え?」
急に横から声がした。
振り返る。
長い芦毛。
紫色の瞳。
上品な立ち姿。
見間違えるはずもない。
メジロマックイーンがそこにいた。
「マックイーンさん……!」
ママの背筋がぴんと伸びた。
車椅子に座ったままなのに、ちょっと緊張しているように見える。
「お久しぶりですわ、ライスさん」
「うん。久しぶり」
「本日はメジロの子らの様子を見に来たのですが……」
マックイーンの視線がボクへ移る。
「こちらが、ライスさんのお子さんですのね」
「はい。初めまして。ピュアホワイトです」
ぺこりと頭を下げる。
ボクとしては内心かなり興奮していた。
メジロマックイーン。
本物だ。
しかも、隣にはライスシャワー。
原作知識のある人間からすると、とんでもない光景である。
ただ。
周囲の空気が少しだけ変わった。
さっきまでちらちらこちらを見ていた何人かが、今度は露骨に視線を寄越してくる。
ライスシャワーとメジロマックイーン。
この二人が並んでいるだけで、昔の天皇賞春を連想する人間は多いらしい。
「素晴らしい走りでしたわ」
マックイーンがそう言った。
「え?」
「ピュアホワイトさんです。少々……いえ、かなり癖のある走り方ではありましたけれど」
そこで父が小さく笑った。
失礼な。
「最後の伸びは見事でした。ライスさん、自慢のお嬢さんですわね」
「ホワイトちゃんは、ライスの自慢なの!」
「ママ」
笑顔で堂々と言われると少し照れる。
「ふふ。そうでしょうね」
マックイーンも穏やかに笑った。
それだけだった。
昔のことには触れない。
天皇賞春にも。
ヒールにも。
宝塚記念にも。
でも、今はそれでいいのだと思う。
なにしろ今日はボクの、そして先ほど走っていたメジロの子らの入学試験なのだから。
主役はボクたちなのである。
「ちなみにホワイト」
「はい?」
父が話を戻してきた。
「お前、最後の直線で手抜いただろ」
「人聞きが悪いですね」
「明らかにゴール前で流してたぞ」
「後続との距離を確認して、安全にゴールしただけです」
「……まあいいけど」
父はため息を吐いた。
けれど口元は少し笑っている。
ママは最初からずっと嬉しそうだ。
マックイーンからも褒めてもらった。
入学試験では大差勝ち。
そして同期には、ブライトやドーベルのような面白そうな相手までいる。
いやあ。
実に素晴らしい。
前世で死んだことを不幸だとは思わない。
だってその結果、ボクはここにいる。
ライスシャワーの娘として生まれ。
愛してくれるママとお父様がいて。
好きなだけ走れる身体がある。
そのうえ、トレセン学園にも無事入れそうだ。
やはりどう考えても。
ボク、ピュアホワイトは相当に運がいい。
「ホワイトちゃん?」
「なんでもありません」
ママの膝へ頬を寄せる。
「ちょっと、嬉しいだけです」
「そっか」
優しく頭を撫でられる。
気持ちいい。
──さて。
メジロブライト。
メジロドーベル。
それから、同期にはまだ何人もいると思われる。
まあ。
誰が相手でも、負けるつもりはないけれど。