「ピュアホワイトさん」
「はい」
「メイクデビューの日程が決定しました」
「……おお」
ついに来た。
トレセン学園へ入学して。
ブルボンさんに鍛えられて。
選抜レースも走った。
同期とも何度も競った。
でもまだどれも、正式な戦績には残らない。
「函館レース場。芝千メートルです」
「函館」
「はい」
「千メートル」
「はい」
短い。
かなり短い。
「タイキが喜びそうですね」
「タイキシャトルさんは出走しません」
「分かってますよ」
距離だけの話だ。
「それにしても千ですか」
「問題がありますか?」
「いえ。もっと長いところから始めるのかと思ってました」
今までの感触なら長い方が得意だと思う。
ママの娘だし、かなり幅広い距離を走れると思うが、短距離は専門外だろう。
もちろん早い時期のレースは短距離ばかりというのはあるだろうが……
「今回は勝利だけを目的としていません」
「ほう」
ブルボンさんが端末を操作する。
「公式競走におけるスタート」
「はい」
「加速判断」
「はい」
「他者のペースに影響されないこと」
「はい」
「最後までフォームを維持すること」
「試験みたいですね」
「その認識で問題ありません」
やっぱり。
「千メートルであれば、判断項目を限定できます」
「なるほど」
長くなればなるほど考えることが増える。
位置取り。
スタミナ。
仕掛け。
展開。
まずは短いところで。
公式戦というものに慣れろ。
限定された項目につき完ぺきにこなせ。
そういうことらしい。
「作戦は?」
「指定しません」
「え?」
「ピュアホワイトさん自身が判断してください」
珍しい。
「逃げでも先行でも?」
「はい」
「差しても?」
「構いません」
「つまり好きに勝っていいと」
「表現には問題がありますが、概ね正解です」
「いいですね」
自由。
好きである。
「ただし」
「はい」
「勝つことを優先するあまり、事前に確認した課題を無視しないでください」
「分かってますよ」
「信用度は七十二パーセントです」
「微妙に高いの腹立ちますね」
全部は信用していないらしい。
メイクデビューが決まったことで当然ながら準備が始まった。
「……多くないです?」
「必要な項目です」
ブルボンさんから渡された一覧を見る。
出走手続き。
遠征予定。
健康診断。
蹄鉄の確認。
シューズ調整。
現地での練習予定。
宿泊。
食事。
移動。
持ち物。
そして。
「公式競走用衣類の準備」
「はい」
「これ楽しそうですね」
勝負服ではない、体操着だが、それを選ぶというのも楽しそうである。
そういうわけで翌日。
「……」
ずらり。
並んでいる。
シャツ。
短パン。
ブルマ。
色とサイズがさまざまである。
「多いですね」
「走行時の衣類は身体との相性が重要です」
ブルボンさんの言う通り。
普段のトレーニングなら。
多少気になるところがあっても我慢できる。
でもレースは違う。
ほんの少し擦れる。
ほんの少しずれる。
ほんの少し動きを邪魔する。
それだけでも千メートル走れば数字に出る。
「まず上から」
「はい」
試着。
動く。
腕を振る。
身体を捻る。
軽く跳ぶ。
「これは?」
「肩周辺に違和感」
「却下します」
「早いですね」
「レース中に改善することはできませんしありません」
「ごもっとも」
次。
「これは?」
「悪くないです」
「胸部固定は?」
「問題なし」
「腕振りへの干渉は?」
「なし」
「候補に残します」
真面目だ。
いやボクも真面目に選んでいるのだが。
「次は下です」
「はい」
短パン。
走る。
「少しばたつきますね」
「却下します」
ブルマ型。
「……」
鏡を見る。
「何です?」
「いえ」
前世から言えばかなり古い学校体育のイメージがある。
こちらでは普通に競技用のウェアだ。
「動いてください」
「はいはい」
軽く走る。
腿を上げる。
しゃがむ。
伸ばす。
「……あ」
「問題がありますか?」
「かなり動きやすいですね」
普段は短パンをはいているが、こちらの方が余計な布が少ないため、当然ずれにくい。
走るためだけなら合理的。
「フィット感もいいです」
「数値上も問題ありません」
「これいいかも」
ただ。
「見た目がちょっと恥ずかしいですね」
「走行性能への影響はありません」
「ブルボンさん、そういうところですよ」
「どういうところでしょうか」
「服には見た目もあるんです」
「公式競走用衣類に求められる第一要件は走行性能です」
「第二要件は?」
「安全性」
「第三」
「耐久性」
「第四」
「整備性」
「いつ見た目出てくるんです?」
「現時点では優先項目外です」
「知ってました」
結局一つ一つ試した。
走って、曲がって、軽くスタート姿勢を取って、腰や腿の動きを確認する。
「これ」
最終的に残ったのは。
体にフィットするシャツに、しっかりフィットするブルマ。
「いいですね」
「理由を」
「走りやすい」
「はい」
「ずれない」
「はい」
「軽い」
「はい」
「でもちょっと恥ずかしいですね」
フィットしている分体の線がはっきり出る。
軽さも相まって全裸と錯覚しかねないような頼りない感覚が羞恥心をあおる。
「最後の項目は評価対象外です」
「重要でしょう」
「走行タイムへの寄与率を確認できません」
「精神状態に影響しますよ」
「……」
ブルボンさんが止まる。
「変えますか?」
「いえ、これで行きます」
羞恥心より勝敗を取った。
シューズも調整する。
函館の芝。
当日の馬場。
千メートル。
いつものものから大きく変える必要はない。
ただし念のため。
何種類か持っていく。
「遠征って大変ですね」
「慣れてください」
「今後もあります?」
「勝利を重ねれば増えます」
「海外とかも?」
何となく。
少し前に会ったローレル先輩を思い出した。
凱旋門賞。
フランス。
「可能性はあります」
「へえ」
ブルボンさんは普通に言う。
「海外競走への出走を希望する場合、輸送、時差、語学、環境変化への適応も訓練項目に含まれます」
「今からやります?」
「不要です」
「即答」
「まず函館です」
「ですよね」
いきなりフランスを心配しても仕方ない。
その日の夜。
実家へ電話した。
『函館!?』
「はい」
ママの声が大きい。
『本当に!? もう決まったの!?』
「決まりました」
『メイクデビュー!?』
「そうです」
『ホワイトちゃんの!?』
「ボク以外のメイクデビューを報告しませんよ」
『どうしよう、お兄さま!』
向こうでバタバタしている。
『落ち着けライス』
落ち着いたお父さん。
『だってホワイトちゃんの初めてのレースだよ!』
「選抜なら走ってますよ」
『公式戦は初めてでしょ!?』
「まあ」
そこは確かに違う。
「勝ったら一戦一勝です」
『そうだな』
お父さんの声。
『負けたら?』
「考えてません」
『考えろ』
「必要になったら」
『そういうところだけ昔から変わらんな』
何の昔だ。
『ちゃんと寝るんだぞ?』
「寝ます」
『食べるんだぞ?』
「食べます」
『怪我しないようにな?』
「気をつけます」
『無理するなよ?』
「ブルボンさんが止めます」
父が一通り注意を重ねる。
『……ライスの仕事ない』
「応援してください」
『する!』
母が拗ねたがすぐ気を取り直した。
『すっごくする!』
「ほどほどでお願いします」
『現地行ってもいい!?』
「いいですよ」
『お兄さま!』
『もう手配してる』
「早いですね」
『前から聞いてたからな』
さすがお父さん。
準備がいい。
「じゃあ函館で」
『うん!』
『初戦だからって変なことするなよ』
「分かってます」
『いつも通り走れ』
「はい」
電話を切る。
「……初戦」
改めて口にする。
入学試験。
選抜レース。
模擬レース。
何度も走った。
でも次は違う。
一戦目。
ボクの名前の横に正式に一つ数字が付く。
「いいですね」
一戦一勝。
二戦二勝。
三戦三勝。
ずっと増やしていけばいい。
「……簡単そうですね」
言うだけなら。
そして遠征当日。
「おお……」
目の前に新幹線が止まっている。
「函館まで直通です」
ブルボンさんが言う。
「そこなんですよね」
「何がでしょうか」
「いや」
ボクの前世でも北海道新幹線はあった。
ただしできたのは2015年かそこらだ。
タイキシャトルがメジロドーベルが活躍した1990年代には影も形もなかった。
少なくともボクの知っている世界ではそうだった。
「普通に函館まで行くんですね」
「はい」
「乗り換えなしで?」
「はい」
「便利ですね」
「遠征時の負担軽減につながります」
「そういう話じゃないんですけど」
世界が違う。
ウマ娘がいる。
ライスシャワーが母親。
サイレンススズカが走っている。
三女神が本当にいるかもしれない。
今さら函館まで新幹線が通っている程度。
驚くようなことでもない。
ないのだが。
「こういう細かいところで実感しますね」
「何をですか?」
「いえ、こっちの話です」
荷物は多い。
競技用ウェア。
普段着。
シューズ。
予備。
ケア用品。
その他。
「ブルボンさん」
「はい」
「ボク、三泊くらいですよね?」
「はい」
「海外遠征みたいな量なんですけど」
「不足するより合理的です」
「お父さんと同じこと言ってますよ」
荷物の詰め方まで似ている。
心配性同士だ。
新幹線がゆっくり動き出す。
「……」
流れていく景色を見る。
東京。
そこから北へ。
「ホワイトさん」
「はい?」
「緊張していますか?」
「ボクが?」
「心拍数が平常時より上昇しています」
「測ってるんです?」
「観察です」
怖い。
「まあ」
少し考える。
「ちょっとは」
勝てるか不安。
ではない。
「公式戦なんだなって」
「はい」
「今までも本気で走ってましたけど」
でも次は。
記録に残る。
「ボクの戦績が始まるんですよね」
「その通りです」
「ゼロから」
「はい」
ゼロ戦。
ゼロ勝。
まだ何もない。
「……いいですね」
「何がですか?」
「ここから全部、自分で増やせるので」
「敗戦数も増加する可能性があります」
「必要になったら考えます」
「推奨しません」
やっぱり言われた。