朝日杯フューチュリティステークスへ向けたトレーニングが続く中、走り方とは別に、そろそろ決めておかなければならないものがあった。
「勝負服です」
「はい」
ブルボンさんの返事はいつも通りだったけれど、ボクにとってはかなり重要な問題である。これまでは学園指定の競技用ウェアで走ってきたものの、これからG1へ出るとなれば、自分の名前と一緒に覚えてもらえる勝負服が必要になる。
「走りやすいのは当然として、見た瞬間にピュアホワイトだって分かる服にしたいです」
「識別性を重視するという意味であれば合理的です」
「あとかわいい」
「競走性能とは直接関係ありません」
「あります」
「根拠を」
「ボクの機嫌がよくなります」
「心理状態への影響として考慮します」
「最近、理解が早くなりましたね」
ボクが自分のかわいさをかなり重要視していることについて、ブルボンさんもようやく学習したらしい。
まずは身近な先輩の勝負服を参考にした方がいい。
そういうわけでブルボンさんも連れて実家へ帰り、ママに昔の勝負服を見せてもらうことにした。
「まだあります?」
「あるよ?」
ママが少し懐かしそうに笑い、お父さんに頼んで奥から大きな衣装箱を出してもらう。中から現れたのは黒を基調に白と青を合わせ、ひらひらとした装飾やスカート部分を持つ、いかにもママらしいドレス調の勝負服だった。
「かわいいですね」
「えへへ……そうかな?」
「はい。ものすごくママっぽいです」
黒を中心にした少し重たい色合いと、小柄で柔らかいママの雰囲気がよく合っている。装飾は多いのに全体としてまとまっていて、昔の映像で何度も見た姿そのものだった。
「せっかくなので着てください」
「ライスが?」
「実物を着たところも見たいので」
「もうずっと着てないよ?」
「入らないんです?」
「た、多分入ると思うけど……」
少し不安そうにしながら、お父さんに手伝ってもらって別室へ向かい、しばらくして戻ってきた。
「……」
「……」
着られる。
ちゃんと着られてはいる。
ただ。
「パツパツですね」
「ホワイトちゃん!」
昔の映像ではもう少し余裕があったはずの勝負服が、今はかなり身体へ沿っていた。
現役時代ほど身体を絞る必要がなくなったせいだろう、全体的に柔らかく肉付きが増していて、特に胸回りは以前より生地に余裕がなく、走ったらこぼれそうだ。
「昔よりお肉つきました?」
「うぅ……」
「悪い意味じゃないですよ。今の方が柔らかそうでかわいいです」
「ほんと?」
「はい。昔とは違う方向ですけど」
「違う方向……」
そこへお父さんがママを上から下まで眺め、にやりと笑った。
「いやあ、さすがに昔のままってわけにはいかないな」
「……お兄さま?」
「この辺なんか随分幸せそうになった」
「お兄さま!」
「褒めてるぞ?」
「絶対からかってる!」
「昔はあんなに細かったのになあ」
「もう!」
ママの頬が一気に赤くなる。
「ホワイトちゃんの前でそういうこと言わないで!」
「別にいいじゃないですか。ボクは今のママもかわいいと思いますよ」
「ホワイトちゃんまで!」
「じゃあ昔とどのくらい変わったか、もう少し詳しく確認するか」
「え?」
「着替えも手伝う」
「一人でできるよ!?」
「まあまあ」
「お兄さま!」
お父さんが車椅子を押し、そのままママを奥へ連れていく。
「ちょ、ちょっと、お兄さま! ホワイトちゃんたちまだいるから!」
「勝負服考えてるんだから邪魔しない方がいいだろ」
「そういう問題じゃ――」
扉が閉まった。
「……」
何となく。
何かある。
それくらいは分かる。
「妹できたりします?」
「可能性については回答を控えます」
隣にいたブルボンさんが真顔で答えた。
「そうですか」
まあ、できたらできたでかわいいだろう。ママ似でもお父さん似でも、多分大丈夫だ。
「邪魔しないでおきましょう」
「同意します」
大人には大人の事情がある。
多分。
気を取り直し、今度はブルボンさんの昔の勝負服を見ることにした。
「これ、結構好きなんですよね」
「ありがとうございます」
ママとは正反対で、メカニカルな意匠が目立ち、身体へ沿う一体型のレオタードを基礎にしながら、余計な布をかなり削った形になっている。
「速そう」
「空気抵抗、衣服重量、関節可動域を重視した設計です」
「そこがいいんですよ」
「また、私は自身の筋肉の動きを視認可能にすることも重視していました」
「なるほど」
「当初案では、さらに露出面積を増加させる予定でした」
「へえ」
「自身の肉体が訓練によって構築された成果であり、それを観客へ提示することにも意味があると判断していました」
「分かります」
せっかく鍛えたのだから見せたい。
そこはボクも同意できる。
「それで何で今の形に?」
「マスターに止められました」
「黒沼さんに?」
「はい。『走るのに必要ない』と」
「厳しいですね」
「必要ないからだ」
「うわ」
後ろから低い声がした。
「黒沼さん、いつから?」
「今来た」
「ブルボンさん、もっと攻めた服にしようとしてたんですって」
「知ってる。俺が止めた」
「もったいない」
「お前まで乗るな」
「でも似合ったでしょう?」
「似合うかどうかと必要かどうかは別だ」
「見た目も必要ですよ」
「だから全部止めたわけじゃない」
今でも十分大胆なデザインなのだから、初期案はよほどだったらしい。
「じゃあ久しぶりに着てください」
「了解しました」
そして少しして、昔の勝負服を着たブルボンさんが戻ってきた。
「……ブルボンさんもパツパツですね」
「はい。現役時と比較して身体組成が変化しています」
ママとは変化の仕方が違う。ブルボンさんの場合、今でも日常的にかなり身体を鍛えているせいか、肩や背中、脚などに以前より厚みがあり、昔の勝負服が全身へかなりぴったり沿っている。
あとお尻がパツパツだ。食い込みがすごい。
「きつくないです?」
「可動域に問題はありません」
「そう答えると思いました」
腕を回し、脚を上げ、軽くしゃがんでも普通に動く。
「昔の写真より明らかに身体大きくなってますよね」
「筋量および体重は増加しています」
「なるほど」
ママは柔らかくなった。
ブルボンさんは厚くなった。
同じ昔の服でも、今着ればちゃんと違って見える。
「じゃあボクも、今のボクに一番似合う勝負服にすればいいですね」
「その認識で問題ありません」
参考写真を見ていると、ママの別の写真が出てきた。
「……おお」
そこには白い衣装を着たママがいた。
「ウェディングドレス?」
写真のママは白を基調にした花嫁衣装風の勝負服を着ていて、普段の黒い勝負服とはまるで印象が違った。
「かわいい」
「そう?」
「これはかなりかわいいです」
純白。
ヴェール。
ドレス。
花嫁。
「……」
見る。
しばらく見る。
「これですね」
「何がですか?」
「方向性」
急にしっくり来た。
「花嫁って、一番輝く時じゃないですか」
「え?」
「少なくとも見た目に関しては、その日のためにものすごく綺麗にするでしょう?」
「まあ、そうだな」
「だったら」
自分を指差す。
「レースで一番目立つボクが、花嫁みたいな格好するの、かなりよくないです?」
「発想がそこへ行くんですね……」
ブルボンさんがあきれた顔をした。
「白は元々使うつもりでした」
「はい」
「髪も白」
「はい」
「尻尾も白」
「はい」
「花嫁衣装も白」
「はい」
「完璧ですね」
「色彩上の統一性は高いと判断します」
「でしょう?」
さらに。
「差し色は赤」
「瞳の色ですか?」
「はい。それと」
写真のママの衣装を見る。
「赤いリボン」
「白地に赤は高い視認性を持ちます」
「決まり」
白いウェディングドレス。
赤いリボン。
これを軸にする。
「最初は普通にドレスで描きますか」
紙。
ペン。
描く。
長いスカート。
大きく広がる裾。
ヴェール。
レース。
赤いリボン。
「いいですね」
「花嫁衣装としては一般的です」
「かわいい」
でもしばらく見て。
「……」
「問題がありますか?」
「走りにくそう」
「はい」
ブルボンさんの即答。
「このスカート、風受けますよね」
「空気抵抗は増大します」
「邪魔ですね」
消す。
「ちょっと短く」
描く。
「まだ広がります」
「はい」
さらに削る。
「ここもいらないですね」
「走行上の必要性は低いです」
削る。
また削る。
ドレスの裾が消えていく。
「このフリル」
「空気抵抗を発生させます」
「いらない」
消す。
「この飾り布」
「走行中に動く可能性があります」
「消しましょう」
消す。
「この大きいリボン」
「背部で気流を乱す可能性があります」
「でもこれはかわいいし……」
どんどんウェディングドレスが消えていく。
「……」
しばらくして。
紙を見る。
「ブルボンさん」
「はい」
「ウェディングドレスだったはずなんですけど」
「はい」
「ドレスなくなりました」
「はい」
残っているのは。
身体へ沿う白いハイレグインナー。
レース模様の長い白手袋。
頭から後ろへ流れるヴェール。
腰には赤いリボン。
ガーターベルトとレースのストッキング。
「花嫁要素、ヴェールとレースとリボンくらいですね」
「識別可能な意匠は残存しています」
「ならいいか」
「いいのか?」
黒沼さんが低い声で言った。
「だって走りにくい部分全部取ったらこうなったので」
「ウェディングドレスを参考にした意味は?」
「一番輝く感じ」
「概念だけ残ったな」
「大事ですよ」
さらに調整する。
白を基調にしながら、胸元から腰へ細く赤いラインを流し、腕は肘より上まで届く長手袋にして、表面へ細かなレース模様を入れる。
脚回りは動きを邪魔しないようすっきりさせる。
「ヴェールは絶対残します」
「空気抵抗が発生します」
「これ取ったらもう誰も花嫁って分からないでしょう!」
「……」
「ここは譲りません」
走った時にちゃんとなびく。
そのくらいの長さ。
「完成」
「まだ試作前です」
「デザイン完成」
改めて紙を見る。
「……」
最初に描いたウェディングドレスとは全然違う。
「大分すごいことになりましたね」
「装飾を競走性能へ影響しない範囲まで削減した結果です」
「でも」
白。
赤いリボン。
ヴェール。
レース。
長手袋。
ガーターストッキング。
「ボクっぽい」
「はい」
「かわいい」
「完成後に評価します」
「慎重ですね」
誰かの真似ではない。
ママの普段の勝負服でもない。
ブルボンさんの勝負服でもない。
ママが一度着た花嫁衣装から思いついたけれど、そこから走るために余計なものを全部削って、結果としてボクにしか着ないような服になった。
「朝日杯、これで行きます」
「了解しました」
「勝って」
「はい」
「センターで」
「はい」
「一番かわいく歌います」
「複数目標を確認しました」
「初回は三十パーセントでしたから」
「まだ気にしていたのね」
ママが苦笑する。
「当然です。レースもライブも両方取ります」
レース。
タイキシャトル。
まだどう走るかは決めきれていない。
でも勝負服はかなり見えてきた。
「そういえば」
ふと思う。
「ブルボンさん」
「はい」
「ブルボンさんのウェディングドレスは?」
「……」
一瞬ブルボンさんが止まった。
「花嫁勝負服とかないんです?」
「ありません」
「作らなかったんです?」
「はい」
「本物のウェディングドレスは?」
「着用経験はありません」
「じゃあ今後?」
「現時点で着用予定はありません」
「……」
少し空気が止まった。
「そうですか」
「はい」
「……」
「……」
何となく触れてはいけないところへ触れた気がする。
「そのうちありますよ」
「根拠を要求します」
「ブルボンさん綺麗ですし」
「結婚との因果関係が不明です」
「そういうところですよ」
「?」
ブルボンさんは本気で分かっていない顔をしている。
少し離れたところで黒沼さんが深いため息をついた。
「ピュア」
「はい?」
「その辺にしておけ」
「何でです?」
「何でもだ」
ボクにはまだよく分からないことにした。
ただボクの勝負服はウェディングドレスを目指したはずなのに。
ドレス部分だけ綺麗さっぱり消えた。
そしてブルボンさんにはまだウェディングドレスを着る予定がない。
「……世の中、思い通りにはいきませんね」
「お前の勝負服と一緒にするな」
黒沼さんに怒られた。