皐月賞を勝った。
クラシック一冠目。残るは日本ダービーと菊花賞。順調と言えばこれ以上ないくらい順調なのだけれど、次の一冠については一つ、かなり大きな問題があった。
「勝ち方が思いつきません」
「はい」
「ブライトに」
「認識しています」
ブルボンさんの返事はいつも通り淡々としている。
別に勝負にならないと思っているわけではない。
能力そのものなら十分勝負になるし、皐月賞では実際に勝った。
ただ、あの時はこちらにかなり条件がよかった。
中山の直線は短く、最後には急坂もある。
先行したボクが先に抜け出し、ブライトが追いつくための時間を与えないまま坂をパワーで押し切れた。
日本ダービーは違う。
東京芝二千四百メートル。
何より怖いのが、長い直線である。
「皐月賞であれだけ来たんですよ」
「はい」
「東京でも同じ位置から追ってきたら、もっと長く追われますよね」
「単純比較はできませんが、メジロブライトさんに有利な条件になる可能性は高いと判断します」
「ですよねぇ」
しかも二千から二千四百へ距離が延びる。
距離が延びれば延びるほど怖くなるのがブライトだ。
入学した頃、一緒に六百メートルだけ走った時から変わっていない。
切れ味そのものはドーベルほどではない。
でも、一度伸び始めるとこちらが最高速度に入った後もまだ伸びる。
いつまで加速しているんだと言いたくなるあの末脚を、東京の長い直線で使わせることになる。
ブルボンさんといくつか案は考えている。
先行から抜け出す。
ブライトに合わせて仕掛けを遅らせる。
逆に早めに前へ行く。どれも勝ち筋はある。
でも、どれも最後には結局あの末脚と正面から勝負することになる。
「もうちょっと何かないです?」
「検討を継続します」
「必殺技とか」
「ありません」
「即答」
悩みは尽きないまま、オークスが終わった。
勝ったのは
「オークスウマ娘にもっと敬意を払いなさい」
「この前まで桜花賞ウマ娘だったのに称号増えましたね」
「当然でしょ」
「調子乗ってます?」
「皐月賞ウマ娘には言われたくない!」
メジロドーベルだった。
桜花賞に続きオークスまで制覇。
ティアラ二冠。
そんな絶好調のドーベルと、以前約束した二度目のデートに来ている。
今回はボクが行き先を考える番だった。
昼食を取ってから買い物をして、今は休憩がてら甘いものを食べている。
前回よりドーベルが明らかに機嫌がいいのは、オークスに勝ったばかりだからだろう。
「ホワイト」
「何です?」
「これ、美味しい」
「でしょう? 調べました」
「ちゃんと考えたのね」
「失礼ですね。約束しましたから」
「……そう」
少しだけ嬉しそうにする。
「ところで」
「何?」
「東京の二千四百、どうでした?」
「オークス?」
「はい」
「きつかったわよ。でも勝った」
「参考にならない」
「何でよ!」
「そりゃドーベルが勝ったのは見てましたから」
「じゃあ何が聞きたいの?」
「東京二千四百で後ろから来る人をどうやって倒せばいいです?」
「私に聞く?」
「同じコース勝ったばかりなので」
「でもホワイト、先行でしょ」
「そこが困ってるんですよ」
ドーベルもボクが何に悩んでいるかわかっているだろう。
ブライトの末脚。
皐月賞では押し切れた。でも東京では直線が長くなる。
その上、距離が伸びているのもブライト向き。
ドーベルは少し考えてから、フォークを置いた。
「だったら、もっと困るかも」
「嫌な前置き」
「ブライト、最近ライアンさんにかなり見てもらってるから」
「……ライアン?」
「メジロライアン。知ってるでしょ」
「もちろん」
知っている。
メジロの有名人の一人だ。
こちらの世界でも人気がある人だった。
「私も見てもらってるけど。クラシックに入ってから、ブライトは特に終盤の走りをかなり鍛えてる。長く脚を使ってもフォームを崩さないようにしたり、坂でも最後まで踏めるようにしたり」
「……」
「ホワイト?」
「ちょっと待ってください」
前世の記憶。
メジロライアン。
メジロドーベル。
メジロブライト。
「そういえば」
競走馬としてのドーベルとブライト。
二頭とも
「ライアン産駒じゃないですか」
「?」
「何でもありません」
この世界では別に親子ではない。
でも前世ではメジロライアンの産駒。
そして今世では、その二人が実際にメジロライアン本人から走りを教わっている。
「出来すぎでは?」
「何が?」
「こっちの話です」
メジロライアン。
あの豪脚。
力強い末脚。
そのライアンからただでさえすごいブライトの末脚がさらに
「強化されてる?」
「そうなるわね」
「聞きたくなかった」
「あんたが聞いたんでしょ!」
頭を抱える。
今でも十分怖いのに。
「ところでドーベル」
「何?」
「敵に塩を送っていいんです?」
「……敵?」
「ブライトの情報ですよ。ボク、今からブライトとダービー走るんですけど」
「ああ」
ドーベルは納得したように頷いて、それから何でもないことのように言った。
「別に敵じゃないでしょ」
「そういうもの?」
「ライバルではあるけど」
「なるほど」
「それにブライト本人が、別に隠すようなことじゃないって言ってたから」
「本人公認?」
「『走れば分かりますもの~』って」
「……言いそう」
ものすごく。
「じゃあ遠慮なく利用します」
「利用?」
「情報を」
「好きにすれば?」
「ドーベル、意外と太っ腹ですね」
「その代わりダービー勝ちなさいよ」
「何で?」
「オークスウマ娘がデートしてる相手がダービーで負けたら格好悪いでしょ」
「またその理屈」
「何よ」
「いえ」
でも笑ってしまう。
「ありがとうございます」
「……別に」
照れているかわいい。
その日の夜。
「メジロライアン」
改めて前世の記憶を掘り返す。
日本ダービー。
ライアンも出ている。
強かった。
でも勝っていない。
勝ったのは
「アイネスフウジン」
レコードの走りの逃げ。
東京の長い直線を後ろから来るライアンより前で
押し切った。
そしてメジロブライト。
前世の競走馬としての日本ダービー。
あちらも勝っていない。
勝ったのは
「サニーブライアン」
この世界にはいない。
でも前世では逃げた。
「……」
一度なら偶然かもしれない。
でも二度
「別に前世や血統のオカルトに頼り切るつもりはないですが」
でも考える価値はある。
メジロライアン。
強烈な末脚。
それが届かなかった。
メジロブライト。
長い末脚。
それが届かなかった。
どちらも前に負けた。
逃げた相手に
「……逃げる?」
自分で言って少し笑う。
東京は逃げに有利なコースではない。
直線が長い。
後ろには追いつく時間がある。
しかも今回スズカがいる。
前を走りたい子。
そんな相手がいるところへ
わざわざ逃げる。
「……」
でもそれなら。
「ブライトに普通のレースをさせなくて済む」
ブライトが怖いのは最後まで余裕を残して長い直線へ入った時。
そこから延々と伸びるから。
なら
直線まで余裕を残させなければいい。
全員疲れた状態で直線へ入ればいい。
「……これ」
ありかもしれない。
翌日。
「逃げます」
「はい」
「……反応薄くないです?」
「理由を確認します」
ブルボンさんの前。
東京二千四百メートルのコース図。
「普通に先行してブライトと勝負すると、最後に向こうの得意な長い末脚を使われます」
「はい」
「なので、使わせません」
「方法を」
「最初から速くします」
前を指でなぞる。
「ボクが逃げる。できれば大逃げ」
「サイレンススズカさんがいます」
「だからです」
「ふむ」
「スズカは前へ来ます。ボクがさらに前へ行けば、多分ついてくる」
「可能性は高いと判断します」
「二人で前を速くします」
後ろのブライトやステゴ。
その他の追いかけてくるメンバー。
「追うなら、早い段階から脚を使う。追わないなら、大きな差を作れる。どっちを選んでもらってもいい」
「ハイペースによる消耗戦」
「はい」
「自身も消耗します」
「そこは」
笑う。
「スタミナ勝負なら、かなり自信があります」
「根拠を」
「今までのトレーニング」
「はい」
「身体能力」
「はい」
「それから」
少し胸を張る。
「ボク、ライスシャワーの娘ですよ」
「……」
ブルボンさんがほんの一瞬止まった。
「母譲りの長距離適性を考えましたか」
「はい」
「感情論ではありません」
「でしょう?」
ママ。
ライスシャワー。
前世の競走馬としても
この世界のウマ娘としても
長距離で無類の強さを発揮した。
ボクだって短距離しか走れないわけではない。
むしろ今までどれだけ走ってきたと思っている。
「それにブルボンさん」
「はい」
「ダービーを逃げて勝った先輩が目の前にいます」
「……私ですか」
「あなた以外誰がいるんです?」
ミホノブルボン。
日本ダービー逃げ切り。
「経験をください」
「私の日本ダービーと今回では条件が異なります」
「それでも」
「……」
少し考える。
「逃げる最大の利点は、自分がレースの基準を設定できることです」
「はい」
「後方の判断を待つ必要がありません。自分が維持可能な速度を決め、その速度を全体へ要求できます」
「それです」
「ただし、要求した速度に自分が最初に耐えられなくなれば敗北します」
「耐えます」
ブルボンさん本領発揮。
最初の二百
四百
千
前半。
中盤。
どこまで上げる。
どこで維持。
どこから耐える。
大逃げとは最初から全部出すことではない。
最後まで誰にも楽をさせない速度で前を走り続ける。
そこには当然自分も含まれる。
「サイレンススズカさんが想定以上に競りかけた場合」
「少し譲る?」
「いいえ」
「おお」
「今回の目的と矛盾します」
「ブルボンさんが言うと怖いですね」
「ハイペースを選択する以上、中途半端な速度低下は後続の回復を助けます」
「じゃあ」
「設定上限まで維持してください」
「はい」
「ただし上限を超えないでください」
「はい」
「絶対に」
「……はい」
念を押された。
そして日本ダービー当日。
東京レース場 芝二千四百メートル。
去年観客席からナリタブライアンが圧勝するのを見た場所。
今年はボクが走る。
「ホワイト」
「スズカ」
「今日は、前?」
「はい」
「……」
スズカの目が少し変わる。
「逃げるの?」
「そのつもりです」
「私もです」
「知ってます」
「じゃあ」
「勝負ですね」
でも少し違う。
「スズカ」
「はい」
「今日はボクの方が前に行きますよ」
「……」
少し驚いた顔のスズカ。
「前?」
「はい」
「私より?」
「はい」
「……」
そして笑う。
「抜かせません」
「どうぞ」
想定通り。
「ホワイトさん~」
「ブライト」
一番怖い人は今日もふわふわだ。
前より仕上がって見える。
「ライアンさんに鍛えてもらったそうですね」
「まあ~。ドーベルからお聞きになりましたか~?」
「はい」
「いっぱい教えていただきました~」
「聞きたくなかった」
「でもホワイトさんなら、知っていても問題ありませんもの~」
「自信ありますね」
「ホワイトさんもあるでしょう~?」
「もちろん」
ブライトがにこにこしてる。
「今日は、どんなふうに走られるのですか~?」
「秘密です」
「あら~」
「走れば分かります」
「まあ。私と同じですね~」
やっぱりこの人は侮れない。
「ただ」
「はい~?」
「今日は、追いつかせませんよ」
「では」
笑う。
「頑張って追いかけますね~」
ゲートに入る。
東京レース場は後ろ有利。
普通ならそう。
でも
「今日は」
普通に走らない。
ゲートが開く。
「っ!」
出る。
最初は悪くない。
隣のスズカはやっぱり速い。
いつも通り自然と前に行こうとする。
でも
「今日は」
こちらがさらに行く。
いつもよりも前に。
スズカよりも前に。
「ホワイト?」
聞こえた気がした。
でも加速は止めない。
先頭は譲らない。
『ピュアホワイトが行った! 皐月賞ウマ娘ピュアホワイト、今日は先頭!』
そのままさらに速度を上げる。
『速い! ピュアホワイトが飛ばす! サイレンススズカが二番手!』
当然スズカが追いかけてくる。
視界にボクがいるなら当然追ってくる。
「来ましたね」
でも渡さない。
先頭がボク、二番手がスズカ。その他大勢は後ろ。
『二頭が後続を離していく! これは速い流れ!』
予定通り。
最初のコーナー。
速度確認。
身体感覚よし。
ブルボンさんと何度も刻んだ範囲内。
「まだいける」
スズカはすぐ後ろ。
いつもなら誰もいない前を気持ちよく走っている。
でも今日はボクがいる。
「ホワイト」
「はい?」
「速いです」
「スズカに言われたくないですね」
「前へ行きたいです」
「あげません」
譲らない。
少しスズカが近づく。
こちらは設定上限近くを維持し競る。
上げすぎない。
それでも十分速く後ろは苦しいはず。
千メートル通過。
『ハイペース! 前二人が大きく飛ばしています!』
狙い通り。
ここから誰にも休ませない。
スズカにも
ブライトにも
ステゴにも
自分にも。
向こう正面。
まだボクが前。
スズカが少し後ろ。
さらに後続とは差がある。
でも詰め始めている。
追ってきた。
「そうですよね」
放っておけばセーフティリードを取られる。
そう思わせる。
そのための大逃げ。
追うと脚を使う。
追わないと差を作られる。
二択を強いる。
三コーナー。
「っ……」
さすがに苦しい。
胸が熱い。
脚が重い。
でもまだ想定内。
スズカもいる。
でも息は上がっている。
「楽しいです」
「このペースで?」
「はい」
「本当に好きですね」
「ホワイトもでしょう?」
否定はできない。
四コーナー。
後ろが近づく。
ブライト。
ステゴ。
その他。
でも全員いつもの軽い脚じゃない。
ここまで速い流れを追ってきた。
消耗している。
「ここから」
東京の長い直線。
正念場。
普通ならここから後ろの子が飛んでくる。
でも
「今日は」
もうみんな疲れてる。
『ピュアホワイト先頭! サイレンススズカ追いすがる! 後続も迫ってきた!』
スズカが並びかけてくる。
いつもより鈍い。
あのハイペースにずっとついてきたのだ。
「ホワイト」
「はい」
「前」
「今日は最後まで譲りません」
「……なら」
スズカが姿勢を低くした。
こちらも踏みこみを強くする。
残り五百。
長い。
本当に長い。
スズカのスピードは上がり切らない。
「っ……」
ついに鈍りはじめる。
『サイレンススズカ苦しい! ピュアホワイトまだ先頭!』
残り400m
坂が始まる。
足がどんどん鈍る。
スズカはずるずると下がる。
しかしこれで終わるわけがない。
『メジロブライトが来た! 外からメジロブライト! ステイゴールドも追い込んでくる!』
「来た!」
残り300m
坂を上り切ったところ。
まだ中山の直線ぐらい残っている。
追い上げてくる影。
知っていた。
ブライトがくる。
こんなペースでもすごい末脚で
豪脚といわれる追い上げが
来る。
長距離に強いメジロ。
その意地。
そしてライアンさんに鍛えられた末脚。
残り二百。
並ばれた。
その足はしかし速くない。
遅くはない。
ただ皐月賞の時みたいに一歩ごとに際限なく伸びてこない。
ブライトも疲れてる。
あの子も二千四百を。
このペースで走ってきた。
狙い通り
あとはスタミナと根性の勝負。
長距離のメジロ。
ぎりぎりのスタミナ勝負でこそ本領を発揮する。
「でも!」
こちらだってスタミナ勝負で負ける理由はない。
「こっちだって!!」
ボクのママはライスシャワー。
あのライスシャワーだ。
長距離で誰よりも
あのメジロマックイーンよりも
強かった。
「稀代のステイヤーの娘なんですよ!」
血。
そして努力。
どちらでも負けるつもりがなかった。
残り百。
ブライトがさらに一段階伸びた。
でも負けるつもりはない。
最後の力を振り絞り、こちらはもう一歩前に出る。
『ピュアホワイト先頭! メジロブライト追う! しかし差が詰まらない!』
最後の一歩。
ゴール。
『ピュアホワイト――一着!』
「っ……!」
抜ける。
速度を落とす。
息できない。
「はぁっ……はぁっ……」
脚が鉛のように重い。
全身が熱い。
でも結果は
『一着、ピュアホワイト! 皐月賞に続いて日本ダービー制覇! 無敗の二冠ウマ娘誕生です!』
「……」
二冠。
「よし」
拳を掲げる。
『二着メジロブライト! 三着ステイゴールド! サイレンススズカは四着!』
「ホワイトさん~」
少ししてブライトが来る。
さすがにいつもより息が荒い。
「勝ちました」
「負けてしまいました~」
「危なかったですよ」
「ずいぶん前へ行かれましたね~」
「追いつかれたくなかったので」
「追いかけたのですけれど~」
「知ってます」
怖かった本当に。
「でも」
「はい~?」
「今日は最後、いつもよりちょっと遅かったですね」
「まあ~」
「疲れました?」
「とっても~」
「やった」
「喜ばれてしまいました~」
にこにこ。
でも悔しい。
多分すごく。
それも分かる。
「次は負けませんよ~」
「ボクもです」
「菊花賞は、もっと長いですものね~」
「……」
またそれ。
「ブライト」
「はい~?」
「今は二冠を喜ばせてください」
「ふふ~」
その向こうにスズカ。
「ホワイト」
「はい」
「今日はずっと前でした」
「はい」
「……悔しいです」
「珍しいですね」
「次は、もっと前へ」
「まだ行くんです?」
「はい」
「いいですね」
そしてステゴ。
「ひどいレースするね」
「褒め言葉?」
「半分くらい」
「残り半分は?」
「巻き込まれた側の恨み」
「ちゃんと三着来てるじゃないですか」
「疲れたよ」
「ボクもです」
「でも」
ステゴが少し笑う。
「逃げ切りのダービーか」
「はい」
「歴史、好きだね」
「歴史を参考にしただけですよ」
「誰を?」
「内緒です」
「知ってるけどね」
「でしょうね」
知っているのはたぶんこの世で二人だけ。
少し笑う。
日本ダービー一着。
ピュアホワイト。
二冠。
皐月賞とは全然違う。
あの時は中山の短い直線を先に抜け出して
坂を押し切った。
今日は東京の長い直線へ入る前から
全員を疲れさせた。
ブライトの一番強いところを消すために。
自分も
スズカも
後ろも
全部苦しくした。
脚がまだ震えてる。
本当にぎりぎり。
でも
「勝ちました」
欲しいのは一着。
そして今日もちゃんと取った。
クラシック三冠。
残り一つ。
菊花賞 三千メートル。
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