無人島から帰ってきて数日、夏の気配がまだ完全には消えていないというのに、街の菓子店だけは一足早く秋になっていた。
「栗です」
「見れば分かるわよ」
「さつまいももあります」
「それも見れば分かる」
「かぼちゃまで」
「ホワイト」
「はい?」
「さっきからメニューを読み上げてるだけじゃない」
「違います。秋を感じています」
「食べ物で?」
「食べ物ほど分かりやすく季節を感じられるものってあります?」
「もっとあるでしょ」
向かいに座ったドーベルが呆れた顔をしているけれど、ボクとしてはかなり真面目だった。栗のモンブラン、さつまいものタルト、かぼちゃのプリン、ぶどうのパフェ、りんごを使った焼き菓子まで並んだ期間限定メニューは、それだけで夏が終わったことを実感させるし、何より美味しそうである。
「で、どれにするの?」
「全部」
「は?」
「全部」
「ホワイト、菊花賞前よね?」
「前哨戦すらまだですよ」
「そういう問題じゃないわよ」
「大丈夫です。食べた分は走ります」
「ブルボンさんが聞いたら怒るわよ」
「必要な栄養補給です」
「栗のモンブラン二つが?」
「モンブランは一つですよ」
「じゃあその横の栗のタルトは?」
「分類が違います」
「同じ栗じゃない」
「調理法が違います」
「屁理屈だけは一流ね」
結局、二人で分けるという建前のもと、かなりの種類を注文することになった。もっとも、実際に運ばれてきた皿の大半を消費するのが誰なのかは、注文した時点でドーベルにも分かっているらしい。
「いただきます」
「本当に嬉しそうね」
「秋って素晴らしい」
「まだ食べてないでしょ」
まずモンブランを一口。
「……秋です」
「だから味の感想を言いなさいって」
「甘くて美味しい秋」
「もうそれでいいわ」
ドーベルも一口食べると、さっきまで呆れていた顔が少し緩んだ。
「美味しいでしょう?」
「まあね」
「ほら」
「なんでホワイトが得意げなのよ。作ったのはお店でしょ」
「選んだのはボクです」
「はいはい」
次にさつまいものタルトへ手を伸ばしながら、ふと気になっていたことを聞く。
「順調です?」
「何が?」
「秋華賞に向けて」
「まあまあ」
「ドーベルのまあまあって、だいたいかなり順調ですよね」
「勝手に決めないで」
「合宿も結構よかったんでしょう?」
「まあね。メジロの施設でライアンさんに見てもらいながら、かなり走り込んだわ」
その話題を振ると、ドーベルはさっきまでより少しだけ真面目な顔になった。
メジロ家は当然ながらドーベルだけが合宿をしていたわけではなく、ブライトも同じ環境で秋へ向けた調整を続けていたので、二人の仕上がりについては本人同士がかなりよく知っている。
「ドーベルは何をやったんです?」
「基本は今までの延長だけど、末脚はかなり細かく見直したわ。今までは最後の一瞬で一気に切り替えるところを重視してたけど、そこへ入るまでの加速をもっと滑らかにして、最高速度に入るまでの時間を少しでも短くする練習」
「嫌ですね」
「何でよ」
「今度一緒に走ったら、前より早く飛んでくるってことでしょう?」
「……まあ」
「しかもドーベルって元々一瞬の切れ味は同期でもかなり上なのに」
「……」
「ドーベル?」
「別に」
口ではそう言うけれど、少し嬉しそうである。
「あと、最高速度に入ってからも少し長く保てるようになってると思う」
「もっと嫌になりました」
「褒めてるの?」
「最大限褒めてます」
「ならいいけど」
ドーベルが紅茶を飲み、少しだけ視線を逸らす。
「ブライトは?」
「かなりやってるわよ」
「ライアンさんと?」
「ライアンさんもだけど、最近はマックイーンさんにも見てもらってる」
「……メジロマックイーンさん?」
「そう」
「なんで?」
「菊花賞があるからに決まってるでしょ。長距離ならメジロで一番頼れる人の一人なんだから」
「それはそうですけど」
非常に嫌な情報を聞いてしまった。
「何教わってるんです?」
「長距離で無駄に脚を使わないこと、途中でちゃんと呼吸を整えること、周りが動いても必要がなければ釣られないこと、それから疲れてきた時ほどフォームを崩さないこと。ブライトって元々長く脚を使えるけど、マックイーンさんから見ればまだ無駄があるみたい」
「……」
「ホワイト?」
「なんでボクのライバルは順調に強くなってるんでしょう」
「知らないわよ」
「ただでさえ三千メートルでブライトって嫌なのに、マックイーンさんから長距離の走り方まで教わってるんです?」
「そうよ」
「ずるくない?」
「あんたはブルボンさんに教わってるでしょ」
「それを言われると何も言えない」
しかも、こちらの母はライスシャワーである。
前世の記憶まで含めて考えると、メジロマックイーンから長距離を教わったメジロブライトと、ライスシャワーの娘であるボクが菊花賞でぶつかるというのは、何とも妙な巡り合わせだった。
「でもブライト、相当自信つけてるわよ」
「でしょうね」
「『三千なら今度こそホワイトさんに勝てます~』って」
「言いそう」
「実際、合宿でも長い距離だとかなり調子よかったし」
「聞きたくなかった」
「あんたから聞いたんでしょ」
「そうでした」
かぼちゃプリンを口へ運ぶ。
甘い。
現実逃避にちょうどいい。
「そっちは?」
「ボク?」
「合宿。去年と同じ島だったんでしょ?」
「はい。建物もちゃんと残ってましたよ」
「……まずそこから普通じゃないのよ」
「今年は増築しました」
「何の合宿?」
「夏合宿」
「普通、合宿で家を増築しないの」
「人数が増えたので」
「人数?」
ドーベルのフォークが止まった。
「ブルボンさん以外にも誰かいたの?」
「タイキ」
「……タイキ?」
「はい」
「一緒に行ったの?」
「ずっと」
「聞いてないんだけど」
「言ってませんでしたっけ?」
「聞いてない」
「そうでしたか」
ドーベルの目が若干細くなる。
「なんでタイキが?」
「路線が分かれたので、逆に一緒に走れる時くらい走ろうって。タイキはマイル中心、ボクは長距離中心なので、別メニューも多かったですけど」
「ふーん」
「でもマイルの併走は結構しましたよ」
「勝ったの?」
「一回も」
「……一回も?」
「全部負けました」
ドーベルが本気で驚いた顔をした。
「珍しいわね」
「もうマイルでは勝てる気がしません」
「朝日杯では勝ったじゃない」
「あれは完全に勝ち逃げですね。今のタイキと一六〇〇でやったら無理です」
「そこまで?」
「強いですよ。加速も速度もそうですけど、マイルをどう走るかという感覚が完全にボクより上です。何回やっても最後には前にいる」
「悔しくないの?」
「悔しいですよ。でもタイキもずっと努力してますからね。ボクがクラシック走ってる間に、タイキはずっと一番得意なところを磨いてたわけですし」
「……」
「それに、ボクは長いところで強くなればいいので。お互い得意なところで強くなって、たまに走ればいいんですよ」
「ホワイトらしいわね」
「でしょう?」
「自分で言うな」
ドーベルは小さく笑ったけれど、すぐに何か思い出したように視線を戻した。
「それで、ずっと一緒だったの?」
「タイキと?」
「そう」
「はい」
「トレーニング以外も?」
「建物作ったり」
「うん」
「ダチョウの石像作ったり」
「待って」
「何です?」
「なんでダチョウの石像を作るの?」
「本物のダチョウがいたので」
「理由になってない」
「かなり似てましたよ」
「聞いてない」
「あとラーメンを麺から作りました」
「だから何の合宿なのよ」
「楽しかったですよ」
「……タイキと?」
「ブルボンさんもいます」
「そういう意味じゃない」
「?」
何か機嫌が悪くなっている気がする。
「海にも入った?」
「入りました」
「タイキと?」
「はい」
「水着?」
「当然」
「どんなの?」
「タイキは星条旗のビキニでした」
「……」
「すごく似合ってましたよ」
「……ふーん」
「ドーベル?」
「別に」
明らかに別にではない。
「ホワイトは?」
「白い水着」
「どんな?」
「セパレートのやつです」
「……」
「ドーベル?」
「何でもない」
また目が細くなる。
「それで?」
「それで?」
「他には何したの?」
「海でタイキに追い回されたり、くっつかれたり」
「くっつかれた?」
「後ろから」
「水着で?」
「水着で」
「……」
「何です?」
「寝る時は?」
「一緒でしたよ」
「……」
今度こそ完全に動きが止まった。
「一緒?」
「基本的に」
「一つの布団?」
「はい。最初は別だったんですけど、夜になるとタイキが入ってくるので、途中からもう追い出すのが面倒になって」
「……毎晩?」
「だいたい」
「ホワイト」
「はい?」
「あんた、本当に何とも思わなかったの?」
「暑かったですよ」
「そういうこと聞いてない!」
怒られた。
「タイキは朝も距離近いですしね」
「朝?」
「起きたら目の前に顔あるんですよ」
「……」
「それでアメリカでは朝の挨拶にキスするとか言い出して」
「断ったのよね?」
「最初は」
「……最初は?」
「押し切られました」
「……」
「軽くですけど」
「……」
「ドーベル?」
返事がない。
フォークを置いた。
「ホワイト」
「はい」
「タイキとキスしたの?」
「しましたね」
「朝?」
「はい」
「同じ布団で寝た翌朝に?」
「そうなります」
「……」
ドーベルが目を閉じる。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「食べ過ぎ?」
「違う!」
目を開けた。
顔が赤い。
「何でそんな普通に話すのよ!」
「聞かれたので」
「そうじゃなくて!」
「じゃあどう話せば?」
「もっと何かあるでしょ!」
「何か?」
「……もういい!」
完全に怒っている。
「嫉妬?」
「っ!」
一気に頬が赤くなった。
「当たり?」
「うるさい!」
「ブライトは普通に認めてましたよ」
「ブライトと一緒にしないで!」
「そこも怒る?」
「怒るわよ!」
かなり分かりやすい。
「でもタイキとは別に何も」
「キスしたでしょ!」
「しましたけど」
「一緒に寝たでしょ!」
「はい」
「水着でくっつかれたでしょ!」
「海なので」
「そういう問題じゃないの!」
「難しいですね」
「ホワイトが鈍いだけよ!」
残っていたタルトをドーベルが勢いよく口へ運ぶ。
「そんなに一気に食べたら喉詰まりますよ」
「誰のせいよ」
「ボク?」
「そうよ!」
「理不尽」
「理不尽でいい!」
それからしばらく、ドーベルは無言で秋のスイーツを消費した。
嫉妬しているからなのか、単純に甘いものが美味しいからなのかは分からないけれど、結果として注文した量はきれいになくなったので問題はない。
「美味しかったですね」
「……そうね」
「また来ましょう」
「……」
「ドーベル?」
「ホワイト」
「はい?」
「合宿で着てた白い水着、寮にある?」
「ありますけど」
「今日持ってメジロの家に来て」
「……何で?」
「いいから」
「泳ぐんです?」
「泳がない」
「じゃあ何で水着?」
「いいから!」
押し切られた。
一度寮へ戻って白い水着を鞄へ入れ、そのまま言われるがままメジロ家までついていく。
最初は秋の味覚を楽しむだけだったはずなのに、どうしてこうなったのかはよく分からない。
「ドーベル」
「何?」
「今さらですけど、何するんです?」
「着るの」
「誰が?」
「ホワイトが」
「ボク?」
「その水着を」
「持ってこいって言ったのドーベルでしょう」
「そうよ」
「だから目的を聞いてるんです」
「……確認」
「何を?」
「いいから」
分からないまま部屋へ連れていかれ、着替えるよう言われた。
「ここで?」
「私は向こう向いてるから」
「別室でいいのでは?」
「細かいこと言わない」
「ドーベル今日強引ですね」
「誰のせいだと思ってるのよ」
「タイキ?」
「ホワイト!」
「冗談です」
怒られそうなので素直に着替える。
無人島で使った白を基調とした水着で、動きやすさを優先したビキニタイプだ。合宿中は海へ入るたび普通に着ていたものなので、今さら特別な感覚もない。
「終わりましたよ」
「……」
振り返ったドーベルが固まる。
「ドーベル?」
「……それ?」
「はい」
「タイキの前で?」
「何回も」
「……」
「何です?」
「別に」
「それ今日何回目です?」
「うるさい」
視線を逸らす。
「似合ってない?」
「似合ってるわよ」
「ならいいじゃないですか」
「……かわいい」
「でしょう?」
「なんでそこで堂々としてるのよ」
「実際かわいいので」
「そういうところよ」
ドーベルはため息をつき、それからクローゼットへ向かった。
「今度はドーベル?」
「そう」
「水着あるんですか?」
「ある」
「泳がないのに?」
「今日は比較するだけ」
「タイキと?」
「黙ってて」
何を比較するのか。
しばらくして、別室へ移動したドーベルが戻ってくる。
「……」
「ドーベル?」
「見る?」
「そのために着たんでしょう?」
「そうだけど」
「じゃあ出てきてください」
「……絶対笑わないで」
「笑いませんよ」
「絶対?」
「絶対」
「……」
ゆっくり扉が開いた。
ドーベルが出てくる。
「……」
緑を基調にした、細いストラップを使った水着だった。普段のドーベルからすればかなり大胆なデザインで、本人は出てきた時点でもう顔を真っ赤にしていて、こちらと目を合わせようとしない。
「……何か言いなさいよ」
「綺麗」
「……」
「すごく似合ってます」
「……」
「緑、ドーベルに合いますね」
「もういい!」
「何で!?」
「褒めすぎ!」
「でも本当に」
「見ないで!」
「見せるために着たんじゃないんです?」
「そうだけど!」
「難しいですね」
ドーベルは顔を真っ赤にしたまま、腕で少し身体を隠そうとする。
「タイキより」
「はい?」
「……タイキより似合ってる?」
「水着の方向性違いますよ」
「そういうのいいから」
「でも比較難しくない?」
「難しくない!」
「ええ……」
「タイキは似合ってたのよね」
「星条旗ビキニはかなり」
「……」
「あ」
また赤い。
怒りか。
恥ずかしさか。
「じゃあ」
ドーベルがこちらを見る。
「どっちが綺麗?」
「ドーベル」
「……」
「そこは即答できますよ」
「……ホワイト」
「はい?」
「今の、本気?」
「本気です」
「……」
「ドーベル?」
「もう喋らないで」
「何で?」
「これ以上言われたら無理」
「何が?」
「顔が熱いの!」
「さっきから赤いですよ」
「誰のせいよ!」
また怒られた。
でも、さっきまでの嫉妬で不機嫌だった時とは違って、今は明らかに嬉しそうでもある。
「タイキはかわいいですけど」
「まだ言うの?」
「聞いてくださいよ。タイキはタイキで似合ってました。でもドーベルは綺麗なんです」
「……」
「前から言ってるでしょう。ボク、ドーベルの顔すごく好きですよ」
「……」
「スタイルもいいし」
「ホワイト」
「はい?」
「黙って」
「はい」
素直に黙る。
「……やっぱり少し喋って」
「難しくない?」
「うるさい」
「かわいいですよ」
「それじゃない!」
「じゃあ何を?」
「もういい!」
本当に難しい。
「でも」
ドーベルが少し視線を落とす。
「次の合宿」
「はい?」
「タイキと二人で行かないで」
「ブルボンさんもいましたよ」
「そういう意味じゃない」
「?」
「……次は私も行く」
「無人島?」
「そう」
「タイキも多分来ますよ」
「ならなおさら行く」
「対抗心?」
「違う」
「嫉妬?」
「……」
赤かった顔がさらに赤くなった。
「うるさい!」
「やっぱり」
「だからうるさい!」
ドーベルは真っ赤な顔のまま言い切った。
どうやら前哨戦へ向けて一番仕上がっているのは、末脚でもスタミナでもなく。
ドーベルの嫉妬心なのかもしれなかった。