スイートプリキュア♪ -ArrangeScore-   作:おとともの

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ep4.「トントン! 響と聖歌の進む道ニャ!」

授業も終わった放課後、アリア学園の廊下を北条響は考え事をしながら歩いていた。

 

「よーし、今日も張り切って行くぞー!」

 

「和音、早く早く!」

 

「わ、ちょっと二人とも、引っ張らないでってば……わわわっ」

 

階段を下った時、女子サッカー部員であるカナとマナに引っ張られて廊下の先へと向かっていく西島和音の姿が見えた。おそらくこのまま女子サッカー部の部活動に入るのだろう……そう想像して、響は自分の中の更に深い思考に入り込んでいく。

 

腕組みをし、ぶつぶつと何かつぶやきながら廊下を歩いて行く響を、後方から猛スピードで駆けて来た女生徒達が取り囲む。響を取り囲む女生徒達が一斉にまくし立て始めた事で響は現実に引き戻され、ようやくその状況を理解する。

 

「うわっ……っと、何!?」

 

「響ぃ、今日野球部助っ人に来てよぉ! 相手のチーム、メチャメチャ強いんだって!」

 

「ちょっと、響にはテニス部が先にお願いしてたのよ!」

 

「何言ってんの!? バレー部は一週間も前から予約してたのよ!?」

 

「ふざけないでよ! 響はバスケ部の助っ人に来るって決まってんの!」

 

皆、響に助っ人を頼みに来たスポーツ部の女子達だった。響にお願いしに来たはずなのに、途中からどの部が響を助っ人に引き抜くかで口論を始め、響が聞いた事も無いような約束話まで持ち出されている。

 

響は慌ててその騒ぎを鎮めようとした。

 

「ちょ、そんな約束してないし! みんな落ち着いてってば!」

 

響の言葉で口論をやめた女子達だったが、今度は響の方を見て、全員が一斉に叫んだ。

 

「「「「じゃあ、響はどの部活の助っ人に来てくれるの!?」」」」

 

(ハモッた……)

 

ハモッた女生徒達の声を受けて響は一歩後ずさり、頬を指で軽く掻きながら、目を泳がせて言った。

 

「えっと、今日は……助っ人に入るのは……無理、かな……」

 

「「「「え~~~~~~!?」」」」

 

「そっ、そういう事だから! ごめん!」

 

頭を下げ、上ずった声で謝罪した後、女生徒達の尚も食い下がろうとする声から逃げるように、響は真っ直ぐ下校口へと駆け出した。

 

 

---

 

 

「はぁ…………」

 

帰宅路の坂を下りながら、響は尚も続く答えの出ない思考に溜息を漏らした。空を見上げると、雲一つない晴れ渡った空がある。

 

……こんな空の下で思いっきりスポーツをしたら気持ちいいだろうな……などと考えると同時に、どうして先ほどの助っ人依頼を断ってしまったのだろうと響は後悔した。

 

奏と聖歌はスイーツ部、和音は女子サッカー部の活動があって、一方の自分は彼女らとも付き合えず、やる事もなく暇な状態。響は、こんな事になるなら助っ人依頼を受けておけば良かった……と考える。

 

……しかし、どの部活の?

 

「よー、響ねーちゃん!」

 

「……ん?」

 

物思いにふけりながら歩いていた響が後ろからかけられた声に振り向くと、そこには南野奏の弟である南野奏太が立っていた。奏太は左の脇に野球のグローブを二つ挟み、右手で野球のボールを弄んでいる。

 

「なんだ、奏太じゃない」

 

「なんだはないだろ。響ねーちゃん、どうしたんだよまたそんな難しい顔してさ。似合わねーの」

 

「年頃の女の子ってのはね、難しく考え込んじゃう時っていうのがあるもんなの!」

 

「ぷっ、女の子って! それこそ似合わないって!」

 

「なぁんですってぇ!?」

 

吹き出して笑い出す奏太を響は睨み付け、それに奏太は一瞬怯むが、すぐに再び表情を崩した。

 

「まーまーそんな事よりもさ、響ねーちゃん、一緒に広場でキャッチボールでもしない?」

 

「ん? どうしたの急に?」

 

「早く帰ったら店の手伝いやれって言われるかもしれないだろ? あいにく今日は一緒に遊べる奴もいなくてさ、響ねーちゃん付き合ってくんねーかな」

 

「そうなんだ。ん~………まぁ、いいか」

 

付き合ってくれる友達がいなくて暇。それは今の自分も同じ。

 

頭の中の思考も一進一退を繰り返すだけで迷走していた所だったので、何も考えず体を動かして気分転換するのもいいか……と響は奏太の誘いを受ける事にした。

 

 

---

 

 

パス、パス、と小気味よくキャッチボールが続いている。

 

奏太が受けられるよう丁度良い加減のボールを投げ、奏太のなかなかに上手いコントロールのボールを受ける、という動きを、響は『何も考えずに』行なっている。

 

ただ、何も考えていないというのはあくまでキャッチボールの動作に対しての事で、響の頭の中では、先ほどから続いている思考が延々と渦を巻いている。響は体の反射行動だけでキャッチボールを続け、頭の中でぐるぐると思考を回し続けているのであった。

 

(キャッチボール……キャッチボール…………ボール……ミット……野球……野球…………野球部?)

 

キャッチボールは延々と続いていた。その間、奏太は何度か響に言葉をかけていたのだが、響はその内容を頭に入れる事も無く「うん、うん」と軽く返していた。

 

そのままキャッチボールが順調に続いていくかと思われたその時。

 

「あっ、ごめん!」

 

それまで悪くないコントロールで響に向けて飛んでいた奏太の投球にブレが生じ、ボールがあらぬ方向へと飛んでいった。

 

……が、それで響が動じる事は無く、即座に反応した響の体は芝生へと飛び込み、スライディングで伸ばした手によってボールを見事キャッチした。

 

「……悪い悪い! 大丈夫か響ねーちゃん!」

 

芝生の上に倒れこむ形でボールをキャッチした響の所に奏太が駆け寄って声をかけるが、響は言葉を返さないばかりか、その体勢から微動だにしない。

 

「響ねーちゃん……?」

 

(野球部……野球…………スライディング……セーフ……アウト……)

 

うつぶせに倒れこみ、左手はグローブでボールをキャッチした状態で、響は尚も考え事を続けていた。響は、飛び込んでボールをキャッチするという行動すらも、無意識の体の反射行動で行っていた。

 

思考の一部が口からつぶやきとして漏れ、ボールをキャッチした手とは反対の右手の指先で、響は芝生をトントン……と叩いている。

 

「ひ、響ねーちゃん、本当に大丈夫かよ……?」

 

さすがに心配になってきた奏太が恐る恐る声をかけるが、響はぶつぶつと何か言いながら指で芝をトントンする事をやめない。誰か呼んできた方がいいだろうかと奏太が考え始めていたその時、奏太に声をかける者が居た。

 

「奏太、こんな所で何やってんの?」

 

「あ、アコ!」

 

奏太がいつも一緒に居る――というより、本当は奏太が気を遣っていつも一緒に居てあげているのだが――相手、アコが奏太の後ろに立っている。

 

「何やってるって……キャッチボールだよ」

 

「キャッチボールって、そこに寝転がってる人と?」

 

「え~っと、これは……」

 

アコの問いに答える奏太だったが、アコは地面に寝そべったままの響を見下ろして馬鹿にしたような口調で返す。奏太自身も、この状況を上手く呑み込めていないので、何を言い返す事も出来ない。

 

「そんな事はどうでもいいわ。奏太、あんたコレ忘れていったでしょ」

 

「ん? なんだよって……それ俺のテストの答案じゃねーか! ねーちゃんに知られたらヤバイから隠してたのに! か、返せっ!」

 

アコがカバンからさっと取り出したのは、南野奏太の名前と、赤いペケマークが沢山描かれたテストの用紙だった。奏太が慌ててそれを取り戻そうと紙に飛びつくが、アコが一歩引いてテストの答案を避けたために、奏太は芝の上にずっこける形となった。

 

「あれ、お姉さんの方に渡した方が良かった?」

 

「ば、馬鹿! そんな事したらねーちゃんに何されるか分からねぇって! か、返せよ~!」

 

すぐさま起き上がった奏太から逃げるように、アコはテストを見せびらかしながら走りだし、奏太はそれを追いかける。いつの間にか二人が寝転がる響の周囲をぐるぐると回る形となっている。

 

(駆けっこ……追いかけっこ…………100メートル走……陸上部?)

 

追いかけ追いかけられを続ける奏太とアコの中心で、響は考え事を続け、尚も指で芝をトントンと叩き続けていた。

 

 

---

 

 

「ん~と、ここがああだからこうなって……」

 

「セイレーン様」

 

「セイレーン様?」

 

「セイレーン様ぁ」

 

かのん町時計塔内部。世界を不幸に包もうと企むマイナーランド陣営の住人がねぐらとする場所。

 

前足の爪で床に図を描きながら、あれこれと悩むセイレーンをトリオ・ザ・マイナーが囲っていた。

 

床には丸に点が二つチョンと描かれた絵が四つあり、それらを線と線とが繋いでいる。北条響、南野奏、西島和音、東山聖歌、四人の相関図を描いているつもりなのだろうか。

 

「セイレーン様、いい案は浮かびましたかな」

 

「あーもう! 黙ってなさいよ! 今いい考えが浮かびそうだったのに!」

 

「そうは言いましても……メフィスト様からの連絡が無くなってからしばらく経ちますが、我々は何一つ成果を上げていません……」

 

「もう、いつメフィスト様から連絡が来るかと思うと、怖くて怖くて夜も眠れましぇん……」

 

しょんぼりとうなだれるバリトンとファルセット。バスドラは腕を組み、拗ねたように視線を逸らす。“頼りないリーダー”に対して不満がある、という意思表示なのだろう。

 

セイレーンは床をガリガリと引っかいて描いていた図形を消すと、パッと表情を明るくして話し出した。

 

「そ、そうだわ! こんなのはどう? 聖歌はスイーツ作りに高いプライドを持ってる! 奏の姿に化けて不っ味いスイーツを作って食べさせてやれば、聖歌は奏の事を見損なって、二人の関係はグチャグチャに……」

 

「それ、前に似たような作戦やりませんでしたぁ?」

 

ファルセットの突っ込みに、セイレーンがう……と口をつぐむ。

 

バリトンが続く。

 

「聖歌に化けて、奏に不味いスイーツを食べさせましたが……材料の名を間違えて正体がバレてしまいました」

 

「えっ……と、そうだったかしら」

 

「響に化けても、和音に化けても、結局は見破られて終わりだったじゃないですか。……もう、その作戦じゃ通用しませんよ」

 

バスドラが呆れ顔で言う。

 

ああ言えばこう返され、こう言えばそう返される。頭が追いつかず言葉が出て来ないセイレーンの視線と思考がグルグル回る。

 

「ええとぉ……だからぁ……」

 

「あいつらの信頼関係が強固なものになってしまった以上、ハーモニーパワーを失わせる事なんて出来ません」

 

「ハーモニーパワーがある限りプリキュアが弱る事もなく」

 

「四人になったプリキュアに対抗する手段もありません」

 

バリトン、ファルセット、バスドラが続けざまに並べ立てた言葉を受けて、セイレーンはついには体ごと視線を回し、ねじれさせ、そして床に倒れた。

 

バリトン、ファルセットが不安そうに、バスドラは不服そうに声をかけた。

 

「「「セイレーン様?」」」

 

「……音符よ」

 

それが、セイレーンがようやくの形で漏らした言葉だった。

 

「あ、アンタ達、音符を集めに行くのよ!」

 

「え、プリキュアの事はどうするんですか!?」

 

「ぷ、プリキュアの事はプリキュアの事、音符の事は音符の事よ! メフィスト様から連絡が入った時、プリキュアは倒してない、音符は集まってないでは話にならないわ! とにかく音符だけは集めておくのよ!」

 

セイレーンは必死だった。

 

「しかし、それは何ら根本的な解決にはなっていないような……」

 

「あーもう、お黙り! とにかく今日は全員で音符集め! 解散!」

 

いつものように高飛車な口調で締めくくったセイレーンだが、その声は今一つ押しが弱い。それに対しトリオ・ザ・マイナーが何かを言おうとしていたが、セイレーンはその前にさっさと階段を駆け降りていた。

 

無言で顔を見合わせたトリオ・ザ・マイナーは、ため息を漏らして自分達も階段を下っていく。

 

 

---

 

 

「お、あれは……お~い、奏~!」

 

キャッチボールがアコの乱入によってそのままお開きになってしまい、またも暇な状態になってしまった響は、ある考えに思い至り、通学路を学校へ向け引き返していた。

 

その途中で、下校途中の南野奏を発見したのだった。

 

「あれ? どうしたの、響?」

 

「奏こそ、今日の部活はもう終わり?」

 

「うん、今日は家の手伝いをしなきゃいけない日だし、区切りも良かったから解散って事になったの。……それで? 何か用があるんじゃないの?」

 

奏のその問いに、響は腕を組んであらぬ方向を見ながらうんうんと首を上下に振る。そんな響の様子に、奏は怪訝そうな表情を見せる。

 

「用、っていうか何ていうか……奏、わたしってさ、どんなスポーツでも素晴らしい実力を持つ最高のスポーツウーマンじゃない?」

 

響はテニスラケットを振る動き、サッカーボールを蹴る動きなど、様々なスポーツを身振り手振りで表現しながら奏に話す。

 

「……うん、まあ、そうだとは思う」

 

響の自画自賛の言葉が引っかかる奏ではあったが、それを言うだけの実力を響は実際に持っている事を知っているので、とりあえず相づちを打って答える。

 

「それでさ、奏の目から見て、その中でも特別、わたしに合ってるスポーツって何だと思う?」

 

明るい顔で奏を見て言う響だったが、その言葉を聞いた奏は突然呆れたような表情を見せ、はぁ、と一回ため息をついた。

 

「響ってさぁ…………」

 

奏のそんな反応を不思議に思い「?」な表情を見せている響に対し、奏がゆっくりと、しかし同時にはっきりと告げる。

 

「『優柔不断』、だよね」

 

「い゙っ!?」

 

思いもかけない奏の言葉に、響はまるで頭に金ダライが落ちてきたかのような衝撃を受け、大きく仰け反った。

 

「な、なぁ~にを突然……」

 

「響、決まった部活に入らなかったのは『色んなスポーツをしたいから』って言ってたけど、本当は色んな部活から勧誘を受けて、どれか一つに決める事が出来なかったからでしょ?」

 

「そ、それは……」

 

響はなんとか反論を試みようとするが、出来なかった。響自身、明確に意識していた訳ではない。だが、奏のその言葉はおそらく正しいと自分で感じてしまったからだ。

 

響は色んな部活から一度に勧誘を受け、どれに応えるのも、どれを断るのも悪い気がして、結局、「わたしは色んなスポーツがしたいから助っ人専門で行く事に決めた」という尤もらしい理由を口にして部活には入らなかった。

 

だが、今奏に本質的な部分を突かれて、周りに主張していたその理由も、自分に言い聞かせていただけだったのではないか……と響は自分で感じ始めていた。

 

「今になって突然『自分に一番合うスポーツはどれ?』なんて聞いてきたのも、和音が女子サッカー部に入って成功したから、それに影響されて、自分も一つの部活に絞ってみようとか……どうせそんな考えでしょ」

 

「う……どうしてそこまで…………」

 

呆れ顔で全てを見通した事を言う奏の言葉に、響はぐぅの音も出ない。

 

「和音はさ、響にただくっついていくだけの自分に疑問を感じて、女子サッカー部で一人頑張ろうって決めたのよ? それなのに、響の方が和音の成功に釣られて『じゃあ私も!』なんて言い出したら……和音に対して失礼だと思わない?」

 

「い、いや……そ、その…………」

 

奏の視線は冷たい。その冷たさの中には、はっきりとした『軽蔑』の意味合いも含まれてた。響は何も言えずただ縮こまる事しかできない。

 

「それも、自分では何をしたいか決められないから私に聞こうだなんて……甘えるのもいい加減にしてよね」

 

「か、奏……でもっ、わたしは……」

 

「ご・め・ん・な・さ・い。これからお店の手伝いをしなくちゃいけないの。もう付き合ってられないわ」

 

ごめんなさい、の所を強調する突き放すような言い方をして、その後は振り返りもせず歩き去っていく奏。響は何も言えず、その後ろ姿を見送る事しか出来なかった。

 

奏の姿が見えなくなった頃、ふと奏の言葉が脳裏に蘇り、響はハッとした。

 

――“甘えるのもいい加減にしてよね”

 

(……わたし、また奏に甘えようとしてたのかな)

 

和音が悪のプリキュアとなって響に対する心情を吐露した時、響は気づいた。自分が、自分を助けてくれる近しい人たちに甘えてばかりなのだと。

 

和音や、奏の心を惑わせてしまった事を恥じ、奏達には甘えまい……と思っていたはずなのに、自分はまた奏に甘えようとしていたのだろうか。

 

響の思考が沈む。

 

(でも、でも、でも…………)

 

 

---

 

 

「うぇぇ~~~~~~~ん、聖歌せんぱ~~~~い!」

 

「あらあら、突然どうしたのかしらこの子は」

 

「食べ過ぎでお腹でも壊したニャ?」

 

響の姿は今度はアリア学園スイーツ部部室、調理実習室にあった。……結局、響は人を求めて道を遡り、アリア学園にまで戻って来てしまったのだった。

 

上体を机に投げ出しバタバタと手を動かしている響の向かいには聖歌が座り、聖歌の側の机の上にはハミィが座ってケーキを食べていた。

 

聖歌は部が解散になった後も一人でスイーツコンテストに向けてのスイーツのアイディア、制作を煮詰め続けており、作ったスイーツの味見をハミィに頼んでいたという事らしい。

 

聖歌は響が泣き顔で喚き続けていても黙って待ち、響が落ち着きを取り戻した事を見計らって切り出した。

 

「それで、今日はどうしたの、響」

 

「……ぐすん、それが……」

 

響は話し始めた。和音の活躍を見て思う所があり、自分も一つの部活に絞って活動しようかと思っている事、それを奏に相談しようとして奏に言われた事。

 

「和音の活躍に影響された、って言われたら確かにそうだけど……それだけじゃないんです! 助っ人で参加して、いい所だけ持っていくって、本当は、その部の為にならない事なんじゃないかって……それに、本気でぶつかろうとしなくちゃ、そのスポーツに対しても失礼なんじゃないかとも思うし」

 

響はぽつりぽつりと言う。

 

聖歌は響の話が一区切りするまで黙って待ち続け、ハミィは特に関係なく隣でケーキを貪っていた。

 

「……じゃあ、響が本気でぶつかりたいと思うスポーツって何なのかしら」

 

「う~ん、それで迷ってるんですよねぇ~……わたしってスポーツ万能だから、どんなスポーツも楽しめるし、どんなスポーツでも出来るし」

 

「……『なんでも出来る』というのは、『何も出来ない』のと同じじゃないかしら」

 

「ゔっ……」

 

響は再び頭に金ダライを落とされたかのような衝撃を受けた。

 

「せ、聖歌先輩、さらっと結構キツい事言いますね……」

 

「あら、そうかしら?……あ、クッキー食べる?」

 

体を再び机に沈み込ませる響だったが、聖歌の差し出したクッキーのバスケットを見て体を跳ね上げた。

 

「あっ、食べます食べます!…………もぐもぐ」

 

クッキーをどんどん口に放り込む響を見ながら、聖歌はしとやかに話し始めた。

 

「ねぇ響、響は……スポーツの中から何か一つ選べさえすればそれでいいの?」

 

「うーん、それは……」

 

クッキーを右手に持ちながら、響は視線を天井に向け、考えている。

 

「響の中に、本気でぶつかりたいと思えるスポーツがあるのなら、最初から迷ったりはしないんじゃないかしら?」

 

「う~ん……それを言われると……」

 

いつの間にやらクッキーを食べ終えていた響は、頬を右手に乗せ、左手の指で机をトントントントン……と叩きながら考え込む。

 

本気でぶつかりたいと思うものがあるなら最初から迷いはしない。聖歌の言葉には説得力があるように響には感じられた。だからこそ自分は迷っているのだから。

 

そして、自分の中にやりたいものが無いにも関わらず、部活を一つに決めようとしているのは、先に奏に言われた通り、和音の成功に釣られただけという事になってしまい……

 

響の表情は暗くなり、顔は手の平の上からずれて机に沈み込みそうになっている。

 

机を叩く左手の指は、いつの間にか親指から小指まで全ての指が動いており、トトトトトン、トトトントンと左手全体で机を叩いていた。

 

「あっ、コンテストの試作として作ったケーキ、食べる?」

 

「あっ、はいはい食べます食べます! ……あむっ、んぐんぐ…………おいし~~~い!」

 

聖歌の言葉に体を跳ね上げて、飛びつくような勢いで嬉しそうにケーキを食べ始める響。そのあまりにも落差のある態度に、聖歌は思わず吹き出してしまう。

 

「あむ、あむ……奏のカップケーキも凄いけど、聖歌先輩のスイーツって本当に凄い! 工場とかで作られてるようなケーキより絶対美味しいもん!」

 

「あら、そうかしら。でも、私もまだまだよ」

 

「聖歌先輩は、やっぱり将来はパティシエになるんですか?」

 

「ええ……そうね」

 

「そりゃそうですよね! ……あれ? でもそういえば……聖歌先輩ってどうしてスイーツ作りを始めるようになったんですか? やっぱり、奏みたいに両親がパティシエだったとか?」

 

興味津々な様子の響の言葉に、聖歌は困ったように笑って頭を横に振った。

 

「ううん、違うわ。父は普通の会社員だし、母は料理は上手だけど、スイーツ作りをしている訳じゃない」

 

「えっ? えっ? だったらどうして?」

 

「……きっかけなんて、簡単なものよ」

 

聖歌は一度目を伏せてふっと息を吐くと、遠くを見るような表情で話し始めた。

 

「ある人にね、手作りクッキーを食べてもらったの。料理本に書いてある事の見よう見まねで……形も味も酷いものだったと思うけど、あの人はそんなクッキーを笑顔で『美味しい』って言って食べてくれて。それがとても嬉しかった」

 

「へぇ~、聖歌先輩に美味しくないスイーツを作ってた頃があったなんて信じられないなぁ」

 

響の感心したような言葉に聖歌は苦笑した。響は聖歌の言葉に聞き入りながらも、手と口を動かしてケーキを食べる事は止めなかった。

 

「それからも、その人の笑顔が見たくって、色々なスイーツを作って、もっともっと美味しくしようとスイーツの研究をして、いつの間にか周りのみんなから『スイーツ姫』と呼ばれるようになって、そして……いつの間にか、その呼び名にふさわしい事をしなければいけない、なんて考えるようになってしまって……」

 

聖歌の表情が少し曇る。その理由は響にも良くわかっている。悪のプリキュアとして響達の前に立ちはだかった時、聖歌の吐露した内に秘めた想い。

 

いつの間にか、スイーツ姫という立場を守る事が目的となってしまった聖歌。そんな聖歌の迷いを、奏が打ち砕いたのだった。

 

「私はね、奏があのケーキコンテストで優勝してくれて、本当に良かったと思ってるの。……『食べた人に笑顔になってもらう』、いつの間にか忘れてしまいそうになっていた気持ちを、奏は思い出させてくれた……」

 

聖歌は瞳を閉じ、胸に手を当てる。まるで、自分の心の中にある大切な気持ちがこぼれ落ちないよう、守るかのように。

 

響は奏の事を思う。奏はいつも真っ直ぐで、自分が道を踏み外しそうになった時、必ず一喝してくれた。今日会った時、ズバリとキツい一言を言ってきたのも、自分の中の焦りや迷いを見抜いていたからなのだろう……響は思った。

 

そう……自分は、迷い、そして焦っている。

 

聖歌が話している間にケーキを食べ終えていた響は、今は答えの出ない泥沼な思考の中に居た。また、左手がテーブルをトントンと叩いている……

 

「『どんな事だって、全力でぶつからなくちゃ、本当に楽しむ事なんて出来ない』……」

 

響がぽつりと漏らしたのは、女子サッカー部部長のハルナが響に言った言葉。その一言を聞いてからずっと、この言葉は響の頭の中で重く響き渡っている。

 

「聖歌先輩も奏も、スイーツ作りに本気でぶつかってる。和音も、今はサッカーで…………わたしには出来ないのかな、何かに全力でぶつかるなんて事……」

 

一人思考を続ける響の姿を、聖歌は静かに見守っていたが、やがて一言発する。

 

「本当は、もう答えは出ているんじゃないかしら」

 

「えっ…………?」

 

響が聖歌の方を見ると、聖歌は響の顔……よりも少し下に視線を向けている様子だった。

 

響が視線を辿ると、そこにあったのは、左手。五指が綺麗に机の上に並べられ、その指が先ほどまでトントントン……と音を鳴らしていた事に、自分が無意識に指を動かしていた事に、響は今更ながらに気づいた。

 

聖歌の視線と、直前の言葉。それらは、響の指の動きの事を指し示していた。

 

聖歌の言わんとする事が、響には分かるような気がした。だがしかし、響は表情を曇らせ、聖歌の言葉に対し……

 

「あ~美味しか~ったニャ~! ハミィはもうお腹一杯ニャ!」

 

「……さぁっ! もう遅くなってきた事だし、帰りましょう」

 

響が言葉を口にする前にハミィの脳天気な声がそれを遮った。示し合わせていたかのように聖歌が手を叩きながら立ち上がり、机に並べられた皿を片付け始める。

 

気がついてみれば、机に並べられたスイーツ群は全て無くなって皿だけになっている。というより、それはハミィと、他でもない響自身が食べて片付けたものだった。

 

「せ、聖歌先輩……もしかして余ったケーキをわたしに片付けさせたんじゃ……」

 

「あら、何の事かしら?」

 

気にした風もなく、皿を洗って片付けていく聖歌。どこまでが天然でどこまでが計算尽くなのか分からない所が聖歌の凄い所であり、怖い所でもあると響は思った。

 

響は、皿洗いをする聖歌の後ろ姿を見て考える。先ほどの、自分の言葉をハミィの言葉が遮ったのと同時に聖歌が話を切り上げたのは偶然だろうか、それとも、ハミィの言葉が無くとも聖歌はあそこで話を終わらせるつもりだったのだろうか……?

 

響は机の上に並べられた自分の指に再び視線を落とす。

 

(私の中の『答え』……違うよ、それはやっぱり……)

 

 

---

 

 

帰宅路を響と聖歌、ハミィの三名で歩いていた。響の悩みの件についてはスイーツ部部室の中の話で一区切り付け、今の三人は他愛無い世間話を続けている。

 

「どうなんですか、スイーツコンテストに向けての活動は?」

 

「ええ、選考に出すスイーツのアイディアはとりあえず固まったわ。後は作るだけね」

 

「あ~んな美味しいスイーツなら、優勝まちがいなしニャ!」

 

「ふふ、ハミィ、これはまだ予選なのよ。この選考を越えて初めてコンテストに参加出来るようになるの」

 

「な~んだ、そうなのかニャ」

 

笑いあう聖歌とハミィ。響も釣られて笑ってはいたが、やはりどこかすっきりとしていない様子で、話の合間合間で考え込んだようになるタイミングが度々生まれる。

 

「響、どうしたニャ?」

 

「あ、ううん、何でもない……」

 

「…………」

 

そんな響の様子に気づき、疑問の声をかけたハミィに、曖昧な言葉で返す響。聖歌は、響のそんな様子を真顔のまま黙って見ていた。

 

ハミィは、響の答えと態度にイマイチ納得出来なかったようで……

 

「でもニャ響……あっ」

 

「ん? どうかした……」

 

言葉の途中、ハミィが“響の方を見て”声を上げた。響がその声の意図を知ろうとハミィへ視線を向けたその時。

 

「きゃあっ!」

 

「うわっ、っと……あれ、あなた、大丈夫?」

 

道の左手にある路地から、小学生くらいのショートヘアーの女の子が飛び出して来て、響にぶつかって地面に尻餅を付いていた。

 

響が手を貸そうとする間もなく、女の子はバッと飛び起きる。

 

「あ、アハハ、大丈夫大丈夫……きゃあっ!?」

 

「ハニャ?」

 

尻餅付いた状態から飛び上がったばかりだというのに、直後にまた少女は飛び上がりそうになっていた。立ち上がって足を一歩前に出そうとした時、その足の先にハミィが居た事で意表をつかれたようだ。

 

慌ただしい少女の様子に、響と聖歌は顔を見合わせる。

 

「ねぇ、本当に大丈夫?」

 

「怪我とかしてない?」

 

「う、ううん、本当に大丈夫だから……」

 

そうは言う少女だったが、少女は立ち去る訳でもなく、その場でもじもじとして動こうとしない。聖歌が少し心配そうに話しかけた。

 

「ねぇ、もしかして……パパかママとはぐれちゃったの?」

 

聖歌の言葉に、響はなるほど、と思った。もう夕暮れ時の今、こんな小さな子が一人で居るというのもおかしな話だ。はぐれた親を探している所なのだろう……と納得する響。

 

一方の少女の方は、しどろもどろになるだけでイエスともノーとも返さない。

 

「……ねぇ、あなた、名前は何て言うの? パパかママ、わたし達が一緒に探してあげようか?」

 

響はなるべく少女を刺激しないよう、優しく話しかけた。それを受けて、ようやく少女が少しづつ言葉を並べる。

 

「わ、私の名前は……え、えれな。……パパやママの事は…………べ、別に探してくれなくていい」

 

「え、どうして?」

 

「どうしてって……帰りたく、ないから」

 

響と聖歌は再び顔を見合わせた。

 

「パパやママと、何かあったの?」

 

緩やかに問いかける聖歌の言葉に、えれなは視線を泳がせるだけで答えない。よっぽど込み入った事情があるのだろうか……と響達が思い始めたその時。

 

「……ピアノ」

 

えれなの漏らした一言に、響は心臓がドキンと跳ね上がるのを感じた。

 

……ピアノ? ピアノが一体何なんだろう。響はその先を急かして聞き出したい衝動に駆られながら、なんとかそれを抑え、少しづつ語り出す少女の言葉に耳を傾けた。

 

「ぴ、ピアノ……ピアノのレッスン、させられるから……家に帰りたくないし、パパやママにも会いたくない」

 

……ピアノ、親。どこかで聞いた事のある話。

 

事情は響とはまた異なっているようだったが、ピアノに関する事で親と不和が生まれているらしい「えれな」という少女に対し、響は強い親近感を覚え始めていた。

 

 

---

 

 

「えれなちゃん、どうしてピアノのレッスンが嫌なのかな?」

 

かのん町の公園。

 

えれなを放置する気にはなれず、かといってそのまま親に突き出すというのも忍びなかった響達は、とりあえず公園で落ち着いてえれなの話を聞く事にした。

 

ベンチで響と聖歌に挟まれたえれなは、響の質問にたどたどしく答える。

 

「なんでって……嫌なものは嫌なの! みんな、私の演奏の事……馬鹿にするし」

 

「そんな……」

 

人の演奏を馬鹿にするなんて、なんて酷い事をするんだろう……と響はえれなに同情するのと同時に、「みんな」という言い回しから、この子はコンクールに参加した事があるんだろうな……とある程度の事情を察した。

 

響自身にも覚えがある。この年齢から大人たちの視線を受けながらピアノの演奏をするというのは強いプレッシャーを受ける事なのだ。まして、大人の厳しい言葉などを聞いてしまったら…………

 

そこまで考えた所で、響の頭に浮かぶものがあった。『大人の厳しい言葉』、たとえば、それは……

 

――今日の響は、音楽を奏でていないね。

 

そういったものだろうか。

 

響の脳裏に浮かぶこの言葉は、かつて自分が音楽を捨てようとしたきっかけとなった、父・北条団の言葉。当時の響は、その言葉の意味を「お前には音楽の才能が無い」というようなものだと考えていたが、今は全く違う印象を持っている。

 

えれなは周囲の人達の言葉を悪意あるものとして受け止めているようだが、本当にそうなのだろうか。響は疑問に感じた。

 

「ねぇ、えれなちゃんの言う『みんな』って、本当にえれなちゃんの演奏の事、馬鹿にしてたのかな?」

 

「……馬鹿にしてたよ!」

 

突然えれなが、吐き出すような強い言葉で言った。今までずっとたどたどしい口調を続けていたえれなの、はっきりとした強い言葉に、響と聖歌は面食らった様子だ。

 

「みんな、ちょっと失敗したくらいで寄ってたかってあたしの事馬鹿にして! なんであたしがこんな目に遭うの!? ……音楽なんて、音楽なんて、大っ嫌いよ!」

 

一気に吐き出されたえれなの言葉に、響も聖歌も何も言えず、ベンチの下に居たハミィも驚いている。

 

『みんなに馬鹿にされている』、というのはえれなの思い込みなのではないか。響はそんな想像を働かせたが、本当の所は分からないし、えれなの心にこれ以上不用意に踏み込む事も出来ない。

 

えれなが落ち着くまでの一間隔開けて、聖歌が別の話題を切り出す。

 

「ねぇ、えれなちゃんがピアノを始めたきっかけって、何だったの?」

 

不機嫌そうな顔をしていたえれなが、今度の聖歌の質問にはちょっと驚いたような顔をし、そして何かを考え込んだ後、困ったような表情を浮かべる。

 

「きっかけ、って…………なんだろう、良く覚えてない」

 

「あはっ、それってわたしと同じだ」

 

笑って同調する響に、えれなはきょとんとした表情を浮かべた。

 

「……? 同じって?」

 

「そのまんまの意味。わたしも……なんで自分がこんなに夢中になってるのかって、そのきっかけを思い出せないんだ」

 

「それって、おねえちゃんが音楽を始めたきっかけ、ってこと?」

 

「えっ!?……ああいやいや! わたしの場合はスポーツの話なんだけどね! ははは……」

 

響は誤魔化すように笑う。えれながちょっと不審そうな視線を響に向け、聖歌もどこか含みのある視線を向けている。

 

それからも響や聖歌がえれなに対していくつかの質問をしたが、以降のえれなはあまり質問内容にはっきりとは答えなかった。

 

日はどんどん暮れていく。この少女をそのままにして行く訳にはいかないが、かと言って親の元に連れて行くというのも……響は迷った。

 

聖歌は今の状況をどう思っているのだろうと考え、えれなと話している聖歌の表情を響は読み取ろうとしたが、聖歌はいつも通りのゆったりとした調子で話していて、自分と違い少しの焦りも感じられない。

 

ふと、響の視界の中の聖歌に奏の姿が重なる。もし、奏がこの場に居たら……多少強引にでもこの女の子を親の元に届けようとするだろう。子供は親の保護の下に居るのが当たり前の事だし、家庭の事情に赤の他人が口出し出来る訳もない。

 

真面目な性格の奏ならそう考え、すぐに行動するだろう。響にはその様が容易に想像出来た。

 

しかし今の自分には……それが正しい事とは思えても、行動に移す事は出来ない。

 

今では響自身にもはっきりと分かっていた。自分は、このえれなという少女に深い“同情”と、同時に“共感”を覚えている。

 

音楽について、親の、周りの人に言われた事で傷つき、『音楽』から目を背けようとしている……かつての自分の姿を、響はこの少女に重ね合わせていた。

 

……でも、だからといって何が出来るのだろう?

 

あの時の、ピアノと音楽を捨てようとしていた自分の前に、関係の無い人間が一人現れたとして、その人が一体何をしてあげられるのだろう?

 

……何もしてあげられる訳が無い。しかし、何も出来ないと分かっていても、何かしたいと考えてしまう。

 

『優柔不断』。

 

奏の言葉の通りだと、響は思った。自分では何も出来ないまま、決められないまま、ただ時だけが過ぎていき、心の中に焦りばかりが生まれて行く。

 

「……響、響」

 

響が沈み込んだ表情をしていると、ベンチの下に居たハミィが、響だけに聞こえるような小さな声で話しかけてきた。響はえれなと聖歌がまだ話を続けているのを確認すると、気付かれないよう顔をハミィに近づけた。

 

「ん、どうかしたの?」

 

「響、あの子をしらべの館に連れていったらどうニャ?」

 

突然のハミィの提案に、響は面食らう。

 

「えっ……しらべの館にって、それでどうするの?」

 

「あそこにはピアノがあるニャ」

 

「……それで?」

 

「一緒に楽しく演奏すればいいニャ!」

 

にっこり笑顔で力強く言うハミィの顔を見て、今までの話を聞いてなかったのか……と響は脱力しそうになった。

 

えれなは周りのみんなに言われた事で、音楽に対して不信感を持っている。そんなえれなが一緒に演奏してくれる訳がない……と響は言おうとした。

 

「あのね、ハミィ……」

 

「……響だからこそ、出来る事があるハズだニャ」

 

響の言葉を遮ってハミィの放った一言に、響はまたもドキン……と心臓の鼓動が高まるのを感じた。

 

響は、自分がこの子に何かしてあげられる事は無いだろうか……と先ほどからずっと考えている。まるでそれを見透かしているかのようなハミィの言葉に、そしてそんな深い考えは全く感じさせないハミィの屈託のない笑顔に、響は驚かされたのだ。

 

……そういえば、と響は思い出す。

 

聖歌と和音の二人の中に響達の音楽活動に対する不信感が生まれた時、響は演奏を聞かせる事によってその不信感を溶かそうと考えた。今のこの状況は、あの時の再現なのだろうかと、響は考える。

 

ただ、相手は自分の友人でも何でもないし、和音と聖歌の時は結局音楽を聞いてもらう前に二人と和解する結果になった。では、今度は……

 

響の中の迷いは消えず、はっきりとした考えが生まれる事も無い状態で、それでも響は何か行動を起こそうとえれなの方を振り返った。

 

「ねぇ、えれなちゃん……」

 

 

---

 

 

「……こんな所に来てどうするの?」

 

「えっと、まぁ……なんというか……」

 

えれなをしらべの館内へと連れてきた響達。えれなの当然の疑問に、響は曖昧な笑みを浮かべる。響自身、一体どうするつもりなのかはっきりしてないのだ。

 

――響って、『優柔不断』、だよね

 

奏の言葉が再び響の脳裏をよぎる。ハミィの言葉に促されるまましらべの館に来て、しかして未だにそこで何をするのか明確なビジョンは何も無い。

 

(……それでも)

 

なんとかしてあげたい、そう響は思った。音楽を目の前にして迷う少女がいる。

 

自分は、同じ立場に立った時、音楽から逃げた。音楽が好きなのに、音楽を避けて、嫌いだと言って、その結果、長い間苦しみ続けた。

 

この子に、同じ想いを味わって欲しくない。その気持ちだけは確かなのだと、響は自分に言い聞かせた。

 

(……ここで決めなきゃ、女がすたる)

 

……では、実際どうすればいいのか。響はえれなという少女の事をほとんど知らない。

 

響にはっきりと分かる事と言えば……響は正面に広がるホールの先に置かれたピアノを見た。

 

(……この子は、音楽が好きなんだって事)

 

えれなは響との会話の中で、『音楽が好き』などとは一言も言っていない。むしろ、音楽を嫌がるような事ばかり言っている。だが何故か、『えれなは音楽が好きである』という事だけは、間違いなく正しい事なのだという確信が響の中にあった。

 

響はホール入り口で、聖歌やえれな、ハミィの視線を受けながら立ったままだったが、やがて、えれなの手を優しく掴んでホールの中央を歩き始めた。聖歌とハミィもそれに続く。

 

「さぁ、えれなちゃん、ここに座って」

 

響はピアノの前の椅子に座ると、えれなにも隣に座るよう促す。

 

「えっ……や、やだ……私、演奏なんかしたくない」

 

「ううん、演奏なんてしなくていい。ただ、隣に座っているだけでいいの」

 

響が何をしようとしているのか、良く分からず困惑している様子のえれなだったが、手を差し伸べる響の優しげな表情に心許したのか、「うん」と頷いて隣に座った。

 

響の行動を黙って見守っていた聖歌は、現在はこのホールに備え付けになっているドラムセットの椅子を持って来てピアノの後ろ側に座り、その膝の上にハミィがちょこんと座り込む。

 

「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド…………」

 

響は、音階を一つ一つ踏みしめて上がっていくように、鍵盤を一つづつ叩く。隣に座るえれなの視線が、その動きについて来ている事を確認すると、響は突然サッと腕を動かし、今度は鍵盤をなでるような動きで音階を弾き鳴らした。

 

その緩急のついた動きと音にえれながハッとしている間に、響は曲をスタートさせた。その曲は、今まで奏と一緒に連弾していた曲でも、今現在和音と聖歌を含んだ四人で演奏している曲とも違った。

 

……エチュード(練習曲)。演奏法や表現力を覚えるために作られた曲。

 

響が一人密かに練習する時弾いている曲で、ピアノのレッスンを受けているえれなならば、その曲を弾いた経験があるかもしれないと踏んでの選択だった。

 

響は可能な限りの集中力を指先に注ぎ込み、一曲を完走した。

 

ふぅ、と一息つき、響がえれなの方を見ると、えれなは不満そうな顔を見せていた。

 

「演奏を聴かせる為にここに連れて来たの? 自信満々だった割に、あんまり上手じゃないんだね」

 

「え……そ、そうかな?」

 

響はたはは……とばつが悪そうに頭を掻く。

 

「それに、16小節目の演奏、間違えてたし」

 

「え? そうだった? 気づかなかったけど」

 

「もう、ホントに練習してるの? ここはこうでしょ」

 

今度はえれなが変わって、響の間違えた所を弾き直した。その演奏は短いながらも非常に正確で、えれなの腕前をはっきりと感じさせるものだった。

 

「……凄い。えれなちゃんって、本当にピアノが得意なんだ」

 

「当然!…………あ」

 

自信満々に言った所で、えれなはようやく気づいた。『ピアノなんて弾きたくない』と言っていたのに、響に釣られてついピアノを弾いてしまった事に。

 

響は半分「してやったり」というような雰囲気の笑みを見せ、後ろで見ていた聖歌とハミィも顔を綻ばせる。

 

えれなの指摘した響の演奏の失敗点も、実は響が意図的に間違ってみせていたものだった。それに釣られる形となったえれなの演奏は、響が想像していた以上のものではあったが。

 

「あ、わ、私っ…………!」

 

えれなは急に恥ずかしくなったように顔を赤くしたが、そんなえれなが何かを言う前に、響は再び演奏を始めた。先ほどと同じ曲。

 

しかし、えれなが指摘した失敗点は綺麗に修正されていた。演奏を再び終え、響は今度はえれなに演奏するよう、身振りと視線で促す。

 

それを受けて迷うえれなに、響は優しく告げる。

 

「いいんだよ。今は……何も考えなくても。あなたの事を悪く言う人なんて、ここにはいないから」

 

戸惑いながらも、えれなはゆっくりと鍵盤に手をかけ、演奏を始めた。

 

最初はたどたどしい、遠慮がちな演奏だったが、隣にいる響が笑顔でゆったりとしたリズムを取っているのに気づいて、聖歌とハミィもにこやかに見守っているのに気づいて、だんだんと演奏から恐れと迷いが消え、その音色は『本来のえれな』の演奏へと変わっていった。

 

響は驚いていた。えれなの演奏は自分が弾いたのと同じ曲なのに、まるで別の曲であるかのように音が広がり、その中に深い表現力を感じさせるものだった。

 

そして驚くと同時に、響は喜んでいた。素晴らしい演奏を聞く事が出来たというのも勿論の事、その演奏をしているえれなが……笑顔を見せていたからだ。

 

演奏をしている間、響も、聖歌もハミィも、そして……えれなも、皆が笑顔だった。

 

「……やっと、笑ってくれたね」

 

「え、あ……私…………」

 

演奏終了後の余韻を残している間に、響はえれなに言った。えれなは自分の事だというのに、『笑っている』という響の言葉が意外だったようで、自分の頬に手を当てて戸惑っている。

 

「やっぱり……えれなちゃん、ピアノが、音楽が……大好きなんだ」

 

「わ、私、は…………」

 

えれなは突然椅子から飛び降りると、ホール内を出口へ向け走り出した。

 

ハミィが聖歌の膝上から飛び降り、響と聖歌達も慌ててえれなを追おうと立ち上がるが、ホール中央で立ち止まったえれなの大きな声がそれを制止した。

 

「来ないで! ……私、パパとママの所に、帰るから…………!」

 

「えれなちゃん……」

 

えれなの突然の言動に、どう言うべきか、どうするべきか迷う響がちらりと聖歌の方を見ると、聖歌は小さく首を振って見せた。『追ってはいけない』という意味なのだろうか。

 

「あの…………おねえちゃん、その……」

 

振り返らず、えれなが何かを言おうとしている。その声は濁っていて、かすかに震えを持ってもいた。

 

……泣いているのだろうか。

 

「あのっ!…………!」

 

そのえれなの言葉は最後まで紡がれる事は無く、響がどうするべきかと悩む間に、えれなはそのまま駆け出して、響達からは陰になって見えない壁の向こう側へと消えていった。

 

響は力無く椅子に腰を下ろす。

 

「大丈夫よ。あの子、ちゃんとご両親の所に帰ると思うわ」

 

「……………………」

 

響を安心させるように聖歌が言ったが、響の表情が晴れる事はなかった。

 

しばらくの沈黙の後、響がぽつりと口にする。

 

「…………わたし、あの子に酷い事をしちゃったのかもしれない」

 

「どうして? 演奏していたあの子、とてもいい笑顔をしていたわよ」

 

聖歌の言葉に、響は『そうじゃない』と言わんばかりにゆっくりと首を横に振る。

 

「演奏を聞いてみてはっきりと分かった……あの子、本当に音楽が好きなんだ。……でも、好きだからこそ辛い想いを抱えてる。もしかしたら……もしかしたら…………あの子が自分で言う通りに、今ピアノをやめた方が幸せだったのかもしれない」

 

あの子は、もしかしたらまたピアノレッスンに挑もうとするかもしれない。そしてもしかしたら……またそのレッスンの中で苦しい想いをするかもしれない。そんな風に考えて、響は顔を俯かせる。

 

「奏の言う通りだ……わたし、なんて優柔不断なんだろう。あの子のためを思ってあんな事をしたのに、今度はそんな事して良かったのかなって迷ってる……」

 

「…………」

 

暗く沈む響の姿を見ていた聖歌は、視線を外して遠くを見ながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「かのん町ってね、町中が音楽に溢れる、音楽を愛する人達の住む町だから、音楽家を目指す人が自然と増えるみたいなの」

 

聖歌の言葉に、響が顔を上げる。

 

「実際、世界的な音楽家が生まれる事も多いみたい。あなたのお父様やお母様みたいにね」

 

ちらりと響の方を見る聖歌の視線に、響はうん、と一回頷いて答える。聖歌は再び視線を外す。

 

「だけど、本気で音楽家を目指す人が多い分、実力差をはっきりと見せつけられて挫折してしまう人も多いみたい」

 

「そう、だよね…………あの子も……もしかしたら……」

 

またも悪い想像を働かせて沈み込む響に顔を向け、聖歌は言う。

 

「夢を諦めなくてはいけない事になるのって、本当に辛く、苦しいものだと思う。……でもね? 本気でその夢に立ち向かって、全力でぶつかったのなら、夢を目指している間にした事、抱えていた想いが無駄になる事って、無いと思うの」

 

「…………」

 

響は黙っている。今度は聖歌の方が首を振った。響が自分の行動に対して後悔するのは違う、と示すように。

 

「私は……後悔したくないから、パティシエの夢に全力を尽くしたいって思ってる。“全力を出しきれなかった”って、後でそう思う事になる方が悲しい事だと思うから。…………だから」

 

聖歌は立ち上がり、顔を俯かせる響の手を取った。響が顔を上げ、聖歌を見上げる。

 

「あなたがあの子にした事は、無駄じゃないと思う。……少なくとも、それを信じていましょう」

 

「聖歌先輩……」

 

響が瞳を潤ませ、聖歌は優しく微笑んでこくりと頷いた。

 

「わたしも……そう信じたいけど………だけど。……せめて、せめて…………」

 

その言葉は最後までは出なかった。目元を服の袖でぬぐい、鼻をすする響の肩を、聖歌は優しく腕で包む。

 

「……………………」

 

その話が続いている間、ハミィは何も言わず、えれなの消えた闇の中を、ただ黙って見つめていた。

 

 

---

 

 

「なんでっ、なんであたしは…………!」

 

えれなは、しらべの館の外には出ていなかった。響達からは死角となる所で、壁に寄りかかって顔を伏せ、両手を強く握りしめていた。

 

暗がりの中にあるえれなのその姿が、淡い光に包まれ、その形を変えていく。大きく膨らんだそのシルエットは、響達と同年代の女性の姿。腰まで伸びた長い紺色の髪、その間から覗く黄色い瞳。

 

彼女の名前は「黒川エレン」。マイナーランドの歌姫、セイレーンのもう一つの姿だった。

 

全ては、音符探しに町を巡るセイレーンが、下校途中の響達の姿を見かけた所から始まる。

 

響の体に、音符の一つが飛びつくのをセイレーンは発見したのだ。音符をかすめ取るべく、セイレーンは少女の姿へと変身し、偶然ぶつかった風を装って響に近づいたのだが……

 

「あのっ! ハミィの奴が! あんな所にいなければ!」

 

たまたま響とセイレーンの間に挟まっていたハミィの存在に驚いたせいで、セイレーンは音符を奪って去っていくタイミングを失ってしまった。

 

「あたしは音符が欲しかっただけ……! だから、あの甘ちゃん達が同情するような話をでっち上げてやっただけなのに……!」

 

ハミィが音符の存在に気づく前に、隙を伺って音符を奪い去ろうとセイレーンは考えたのだが、ハミィは音符の存在に気づかない一方で、セイレーンに対し完全に隙を見せるという事も無かった。

 

そして……

 

「なんで、なんであんな言葉にムキになって!」

 

――ねぇ、えれなちゃんの言う『みんな』って、本当にえれなちゃんの演奏の事、馬鹿にしてたのかな?

 

響の何気ない一言に、セイレーンは激昂してしまったのだ。でたらめの話をしているだけだったのに、セイレーンは架空の人間を演じる中で、その架空の人物と自分を重ね合わせてしまった。

 

かつてはピアノを愛し、周りのみんなに言われた事から、ピアノのレッスンが嫌になったえれなという少女。

 

かつては幸福(しあわせ)のメロディの歌姫として喝采を浴び、その地位から転落した事から、音楽やメイジャーランドを憎むようになったセイレーンという歌の妖精。

 

響に言われた言葉に怒りを見せたえれなという少女の叫びは、セイレーンの心の叫びそのものだった。

 

『みんな、ちょっと失敗したくらいで寄ってたかってあたしの事馬鹿にして!』

 

(そうだ、あたしが歌姫の座から転落した途端、あいつらは……!)

 

『なんであたしがこんな目に遭うの!?』

 

(あたしは……あたしは歌姫で、最高の地位に居る歌の妖精だったはずなのに……!)

 

『……音楽なんて、音楽なんて、大っ嫌いよ!』

 

「そうよ、あたしは楽しげな音楽なんて、大っ嫌いなのよ! なのに、なのに……!」

 

響の演奏、セイレーンからすると下手過ぎる響の演奏につい反応してしまい、更には響に誘われるがまま“楽しい演奏”をしてしまった。セイレーンにとっては、話を合わせるためだけに行った事であるはずの演奏の中で、確かに彼女は音楽を楽しみ、そして笑っていたのだ。

 

楽しく演奏し、周囲の人をも笑顔にする。それは、人を悲しみに包む音を操るマイナーランドの住人としてあるまじき行為であり、今のセイレーンにとっては屈辱的行為以外の何者でも無かった。

 

セイレーンは考える。最後、響達の下から飛び出し、背を向けた状態で、自分は何を言おうとしていたのかを。

 

まさか、音楽を無意識に楽しみ、その気持ちに流されるがまま……

 

「許せない…………あいつらも、楽しい音楽も、この世界の連中も、みんな、みんな……!」

 

セイレーンは影からピアノのあるホールを覗き込む。響の体にくっ付いていた音符は、響達の演奏に惹かれて今はピアノの中に宿っている。

 

セイレーンはそれを確認すると、今度は本来の姿、猫に似た妖精の姿へと変わり、ホールへと飛び出した。

 

---

 

「見つけたわ、その音符!」

 

「……セイレーン!」

 

突然のセイレーンの言葉と、ハミィの驚きの声を聞いて、響と聖歌は同時にセイレーンに振り返る。そして、彼女達が何をする間も無く、セイレーンは魔物を呼び出す言霊を放っていた。

 

「いでよ、ネガトーーーーーーーーン!」

 

 

---

 

 

「ネーーーーーガトーーーーーーーーーーン!」

 

セイレーンの力によって魔物へと変えられたピアノのネガトーン。

しらべの館の壁を突き破り外に飛び出したネガトーンは、町の中心部へと移動し、下に向けた胴体部のフタを大口のように開け、そこから悲しみの音を無差別にまき散らしていた。

 

悲しみの音を聞いた人は、深い悲しみに包まれ、頭を抱えてその場にうずくまって行く。

 

「さぁ、町の連中をどんどん不幸のどん底に突き落としてやりなさい! ほらほら!」

 

「「待ちなさい!」」

 

息を切らせてその場に駆け付けたのは、しらべの館からネガトーンを追跡してきた響と聖歌、そしてハミィの三名。

 

響達は、周囲の悲しみに包まれて泣きわめく人々の惨状を見て、怒りを込めた視線をネガトーンとセイレーンに向ける。

 

「どうして…………こんな……!」

 

響は握り拳を作って身を震わせている。普段よりも、悲しみと怒りの感情の色が濃い。

 

聖歌は響のその姿を見て若干の不安を覚えた様子だったものの、前に向き直って響に対し変身の合図を出した。

 

「行きましょう!」

 

「うん……!」

 

「「町の人々を悲しませるなんて……絶対に許せない!」」

 

「ドドッ!」「ドドーッ!」

 

響と聖歌が変身アイテム…キュアモジューレを突き出すと、それにフェアリートーンのドリーとドドリーがそれぞれ合体する。

 

「「レッツプレイ! プリキュア、モジュレーション!」」

 

二人の声に合わせ、キュアモジューレから音の力が溢れ出し、二人の姿を伝説の戦士、プリキュアのそれへと変えていく。

 

「爪弾くは荒ぶる調べ! キュアメロディ!」

 

「爪弾くは煌く調べ! キュアシンフォニー!」

 

「「届け! 二人の組曲! スイートプリキュア!」」

 

変身が完了し、名乗りを上げた二人のプリキュア。キュアシンフォニーがネガトーンに対しどう仕掛けるか、キュアメロディに声をかけようとした時、既にメロディはその場から飛び出していた。

 

「だああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

「メロディ!?」

 

メロディは一人でネガトーンに突っ込み、拳や蹴りを滅茶苦茶に叩き込む。ネガトーンが巨大な拳で反撃するが、それを腕のガードで無理やり受け止め、痛みやダメージも気にせず攻撃を続ける。

 

「メロディ、危険よ! 戻って!」

 

「どうして……どうしてっ! あんなに楽しそうで、笑顔だったのに! こんな風に悲しませて!」

 

シンフォニーの叫びにも耳を貸さず、ただただ攻撃を続けるメロディ。

 

えれなとの一件で苦悩し、落ち込んだままの状態でネガトーンの出現に巻き込まれ、悲しみの音で苦しむ人々の姿を見せつけられたメロディは、怒りや悲しみが混ざり合った思考の渦の中に居た。

 

今のメロディには悲しみの音で苦しめられる人々の姿が、えれなの悲しそうな後ろ姿に見えていた。えれながピアノを演奏していた時の笑顔も、悲しそうな最後の後ろ姿も、今暴れているネガトーンとは何の関係も無く、メロディは支離滅裂な事を喚いているだけで、自分の今置かれた状況すら分からないほど混乱している。

 

そんなメロディの姿を見て、シンフォニーと同様に、遠くから見守るハミィは大慌ての様子で、逆にセイレーンの方はその様を見て不敵な笑みを漏らした。

 

「あわわ……冷静になってニャ、メロディ~!」

 

「フン……好都合だわ、ネガトーン、そいつを徹底的に叩き潰してやりな!」

 

激しいながらも単調なメロディの攻撃を大きな両腕でガードしていたネガトーンは、その体勢のまま大口の蓋を開いた。ひたすら攻撃に集中しているメロディに対し、至近距離から直接悲しみの音の波動を浴びせかけようとしていたのだ。

 

「……いけない!」

 

危険を察知したシンフォニーはすぐに行動を開始した。

 

シンフォニーが両手の指をパチンと鳴らし、左右の手の平に現れた輝く音符を一つに合わせると、光に包まれてトランペット型武器が出現する。

 

「吹き鳴らせ! 輝きのシンフォニー! シャイニングトランパー!……おいで、シリー!」

 

「シシー!」

 

シンフォニーの呼びかけに応えて出現したフェアリートーンのシリーがシャイニングトランパーの第一ピストン部へと合体する。

 

「チューニング1! ブラストトランパー!」

 

ピストン部に合体したシリーを押し込みながらシャイニングトランパーを吹き鳴らすと、トランペットの先端部のベルから虹色の輝きを纏った光の帯が無数に飛び出し、それが空中で渦を巻くと、巨大な竜巻となって真っ直ぐネガトーンへ向けて伸びていく。

 

「ネッ、ガッ~~~~~~~!?」

 

虹色の突風は今まさに悲しみの音を吐き出そうとしていたネガトーンの口に命中し、ネガトーンは後ろに転げていく。

 

「やぁぁぁぁぁぁ! ……っ!?」

 

「待ちなさい!」

 

吹っ飛ばされるネガトーンに尚も追撃を加えようとするメロディの腕を、シンフォニーが掴んで止めようとする。

 

「は、放して!」

 

「落ち着きなさい!」

 

シンフォニーの手を振りほどこうと暴れるメロディを無理やり引き寄せて自分の方を向かせ、シンフォニーはメロディの顔を真正面から見据える。

 

「落ち着いて……周りを良く見て」

 

「はぁ…………はぁ…………」

 

肩で荒く息をしながら、ぐるりと周囲を見渡すメロディ。メロディの視界の中で、えれなの悲しそうな後ろ姿が、ネガトーンによって苦しめられる人々の姿へと変わっていく。

 

「あ…………わ、わたし……」

 

「冷静にならなくては、守れるものも守れなくなってしまうわ」

 

メロディは息が整うと共に冷静さを取り戻し、焦点の定まっていなかった視点もしっかりとシンフォニーの顔を捉えるようになった。

 

「ごめんなさい、わたし、あの人達を見てたら、えれなちゃんの姿を思い出しちゃって……」

 

「……いいのよ。それより、また来るわ!」

 

メロディとシンフォニーが向き直ると、起き上がったネガトーンが突進し拳を振り上げている所だった。

 

叩きつけられた拳によって、ドスン、という重量感のある音が辺りに広がり、同時にネガトーンの強烈なパワーによって地面が沈み込む。しかし、メロディとシンフォニーの二人は攻撃が来る一歩前に、後方に大きく飛び退いていた。

 

その様を見てセイレーンが舌打ちをする。

 

「チッ、チャンスだったのに……!」

 

拳を引き抜こうと悪戦苦闘しているネガトーンを前にして、チャンスと見たシンフォニーはメロディに話しかけた。

 

「メロディ、ちょっとそこでじっとしていて!」

 

「えっ……何ですか一体?」

 

シンフォニーはメロディの後ろに回りこみ、トランパーをメロディへと向けた。

 

シンフォニーの意思を感じ取り、シリーが一旦分離して、今度はトランパーの第二ピストン部へと合体する。

 

「チューニング2! アレグロ・コン・ブリオ!」

 

「……うわっ!?」

 

シリーを押し込みながらシンフォニーがトランパーを吹き鳴らすと、今度はラッパ部から飛び出した光の帯がメロディの体を包み込み、そのまま体の中に吸収される。すると、メロディの体から淡い輝きが広がり、メロディは全身に力がみなぎるのを感じた。

 

「す、すっごい!」

 

「メロディ、私が後ろから援護するわ! さぁ、行きましょう!」

 

「はい!」

 

ようやく拳を引きぬいたネガトーンへ向け、メロディとシンフォニーが走り出す。

 

シンフォニーの技によってパワーを溢れさせるメロディは、光の軌跡を残しながら急加速し、シンフォニーと大きく距離を離してネガトーンの懐に飛び込む。

 

「何っ!? あのスピードは!?」

 

セイレーンが驚いている間に、目にも留まらぬ速さでメロディは右、左の拳のコンビネーションからの回し蹴りを放つ。ネガトーンが反撃しようと拳を振り下ろすが、今度はメロディも無理なガードをする事は無かった。

 

回し蹴り後の動作が終わるかどうかというそのタイミングで既にメロディはネガトーンの視界から消えており、今度はネガトーンの頭上に出現したメロディは、背面跳びの要領で一回転すると同時に、ネガトーンの後頭部に向け脚を叩き落としていた。

 

「ブラストトランパー!」

 

地面に沈み込みそうになったネガトーンの体を、シンフォニーの放った虹色の竜巻が包み込み、その風圧によって宙へと吹き飛ばす。

ネガトーンの頭上に居たメロディは、その浮き上がるネガトーンの体と共に空中高く浮き上がり、風圧の影響が終わって宙に投げ出された瞬間に、ネガトーンの真上から再度キックを叩き込み、そのまま地面へと落下した。

 

「ネッ!…………ガ、ト……ン……」

 

ネガトーンは今度こそ地面に沈み込み、メロディの方はシンフォニーの側に着地する。

 

「よし……今だ!」

 

身動きを取れないでいるネガトーンを見て、今度はメロディが両手から光の音符を出現させ、それを合わせる事で専用武器、ミラクルベルティエを取り出す。

 

「奏でましょう……奇跡のメロディ! ミラクルベルティエ! おいで、ミリー!」

 

メロディの掛け声に合わせ、フェアリートーンのミリーがベルティエに合体する。

 

その様を見て、セイレーンの顔に焦りが浮かぶ。

 

「ま、マズイ…………このままじゃ、負ける! また、いつものように……」

 

いつものセイレーンだったならば、ここですぐに負けムードになって諦めていたかもしれない。しかし、今のセイレーンの脳裏に浮かぶのは、響に誘われてピアノ演奏をした時の、セイレーンにとっては屈辱的な光景。

 

「あたしは、負けない…………こんな奴らに、こいつには……!」

 

屈辱的な記憶が、セイレーンに今までにない行動をさせた。

 

「駆け巡れ! トーンのリング! プリキュア・ミュージックロンド!」

 

「……あっ、セイレーン!?」

 

「えっ!?」

 

メロディが必殺技のミュージックロンドを繰り出したまさにその時、戦いを見守っていたハミィが声を上げた。同じく遠くから見ていたはずのセイレーンが、今まさにトーンのリングを食らわんとしているネガトーンに駆け寄っていたのだ。

 

「アンタ達なんかには負けない…………! さぁ、ネガトーン! このあたしの力を受け取りなさい!」

 

セイレーンは人間の姿、黒川エレンへと変身すると、ネガトーンの背から伸びる肋骨のようなパーツの上に両足をかけて立ち、ネガトーンの後頭部にあたる鍵盤にその指先を叩きつける。

 

ブァーン、と暗く悲しみの篭った音と共に、セイレーンの両手から光の波動がネガトーンの全身へと広がっていく。

 

「ネガッ! ネ~ガ~…………ト~~~~~~~~~~ン!」

 

地面に体を沈み込ませていたネガトーンが突然立ち上がり、その体から黒い波動を放つと、ネガトーンの体と、その背に乗るセイレーンが邪悪な音の力の宿る膜に包まれる。その膜が、メロディの放ったミュージックロンドを受け止め、激しい衝撃が周囲に広がった。

 

「そ、そんな!」

 

「ミュージックロンドを、受け止めた!?」

 

「何もかも、悲しみに包まれてしまえ……! 聞きなさい、私の悲しみのメロディを!」

 

セイレーンは息を大きく吸った後、歌声と共にネガトーンの鍵盤で演奏を開始する。それは地の底から響き渡るような、どこまでも深い、悲しみを纏ったものだった。

 

セイレーンの注ぎこむ悲しみの音の力を、ネガトーンが体内に取り込んで増幅し、大口から周囲に響き渡らせる。

 

ネガトーンの体に接触した状態で、勢いの向かう先を失って激しく暴れていたトーンのリングは弾け飛び、広がる悲しみの音の力はメロディやシンフォニーをも吹き飛ばす。

 

そして、当然…………

 

「うわぁぁぁぁぁぁ~~~~~ん!」

 

「悲しいよぉぉぉ~~~~~~~~!!!」

 

周囲に居る人々は、増幅され広がる悲しみの音に巻き込まれ、それまで以上に深く暗い悲しみに包まれていく。

 

「な、なんて事を……!」

 

「く……セイレーン!」

 

シンフォニーが大きく後方に吹き飛ばされる一方、メロディは空中で体勢を立て直して着地する。そして、足をしっかり踏みしめ、悲しみの音の力による圧力を体で受けながらも、メロディは一歩ずつネガトーンと、その上に乗るセイレーンの元に歩み寄っていく。

 

ネガトーンの側に近づけば近づくほど、悲しみの音を浴びて苦しむ人の声がより大きくなっていく。

 

「アッハハハハハハ! いいわ、これよ! 悲しむ人間どもの大合唱! これこそマイナーランドの求める最高の音楽だわ!」

 

「…………!」

 

悲しむ人々の声が大きくなる中、その声の中心で高笑いをするセイレーンの姿を見て、メロディの中で再び怒りがふつふつと沸き上がっていく。

 

「なんで…………」

 

「……ん?」

 

「なんで……笑ってんのよ…………セイレーン! ハミィから聞いてる、あなたはメイジャーランドの歌姫だったんでしょ!? 人々を、幸福のメロディで幸せにして来たんでしょ!? なんで、なんで平気でこんな事が出来るの!?」

 

「なんで、ですってぇ…………? アンタ達みたいに何も考えずに笑ってるバカ共の泣き顔を見るのが楽しいからに決まってんでしょーが! そぅら!」

 

セイレーンが指先で鍵盤を操ると、ネガトーンが先ほどまでとは比べ物にならないスピードで拳を放った。

 

シンフォニーの技によって与えられていた力も既に消え去っていたメロディには回避する事も防御する事も出来ず、直撃を受けたメロディは、体勢を立て直していたシンフォニーより遥か遠く、遠巻きに見ていたハミィより更に後ろへと吹き飛ばされた。

 

「め、メロディ!」

 

「ホラホラ、よそ見してんじゃないわよ!」

 

吹き飛ばされるメロディを目線で追った一瞬の間に、シンフォニーの間近へとネガトーンが高速で迫り、そのままの勢いでシンフォニーを蹴り飛ばした。

 

「アワワ……メロディ、シンフォニ~!」

 

「ハミィ、良く見てなさい、あんたのプリキュアが為す術もなく倒されていく様をね!」

 

メロディとシンフォニーを心配するハミィの姿を横目に、セイレーンは自らの操るネガトーンの強烈な力によってメロディとシンフォニーに攻撃を加えていく。

 

ネガトーンの圧倒的なパワーと、蓄積されていくダメージによって、メロディとシンフォニーは為す術もなく攻撃を加えられ、その姿がボロ雑巾のように宙を舞う。

 

---

 

その光景を見て圧倒されていたのはハミィだけではなかった。

 

「せ、セイレーン様……まさかあのような力を隠し持っていたとは…………」

 

遠くの建物の屋根の上で、バリトンが身震いを起こしながら呟く。音符を探して街中をさ迷い歩いて居たトリオ・ザ・マイナーは、騒ぎを聞きつけてこの場に駆けつけていた。

 

「鬼気迫るって感じで……な、何だか怖いですよぉぉぉ~~~~~~」

 

バスドラの後ろに隠れてビクつきながらファルセットが言う。

 

一方、普段セイレーンの居ない場所では上司である彼女の愚痴ばかりを言っているバスドラが、今はセイレーンへの文句など一言も言わず、むしろセイレーンの戦う様に驚きながらも感服した様子だった。

 

「あ、あれが……伝説の楽譜の歌姫に選ばれる者の力なのか…………」

 

---

 

「ぷ、プリキュア~~~~~!」

 

セイレーンの操るネガトーンの猛攻を受け、メロディとシンフォニーはボロボロになって地面に倒れ伏せ、近寄って声をかけるハミィの声にも、うめき声を漏らすだけで答えられない。

 

「ははははは、ざまぁないわ!」

 

プリキュアのその様を見て高笑いをしたセイレーンは、ネガトーンの背から一段上がり、その頭上に立ってプリキュア達を見下ろすと、倒れる二人に向けて話し始める。

 

「音楽は楽しく演奏出来ればそれでいい、なぁ~んて思ってる甘ちゃんのアンタ達に教えてあげるわ。音楽だってねぇ、所詮は勝つか負けるかが全てなのよ! 下手糞なヤツ、負けたヤツはどんどん落ちこぼれ、上手いヤツ、勝ったヤツはそいつらを踏み台にして上へと上がっていく! それが音楽よ、勝てないヤツはただのゴミなのよ!」

 

「セイレーン……」

 

セイレーンが吐き捨てるように言う。楽しく音楽を奏でた記憶を自分の頭から追い出すように。

 

ハミィは、そんなセイレーンの姿を見て悲しそうな表情を浮かべた。

 

「あ…………も……」

 

「あん? 何か言った?」

 

力なく倒れていたメロディの上半身が僅かに動き、上体を持ち上げながら首を起こそうとする。

 

「あなた、も……そうだったの…………えれな、ちゃん……」

 

「…………っ!?」

 

自分を見上げながらメロディが言ったその言葉に、セイレーンは恐れおののきながら仰け反る。

 

しかし、セイレーンに向けて放たれたかのように思えた言葉は、実はセイレーンに対してのものではなかった。メロディの目は虚ろで、セイレーンを見ているようで見ていない。

 

ネガトーンの攻撃によるダメージで意識が朦朧とする中、メロディは再びえれなの幻を前にしていた。メロディの視界に、えれなの悲しそうな後ろ姿が見える。

 

「音楽で、負けて…………みんなに馬鹿にされて……だから、大好きな音楽を、楽しむ事が、出来なくなって…………」

 

「な、何を…………!」

 

セイレーンは背筋に冷たいものが走るのを感じた。メロディが幻覚と話しているのが分かっても、その言葉が自分自身の事を言っているようで、自分の心の奥底を見透かされているようで、恐ろしくなっていたのだ。

 

「せめて、せめて…………」

 

えれなの背中がメロディには見える。えれなが後ろを向いたまま何かを言おうとしている。

 

『あのっ!…………!』

 

最後まで聞けなかった言葉。えれなが何を言おうとしていたのか、メロディには最初から分かっていた。

 

……『ありがとう』。

 

「せめて……あの……言葉を、あの言葉を最後まで……聞けたら」

 

そうしたら、自分がえれなにした事が『意味のある事』だったと、それを信じる事が出来たのに。メロディはそう思っていた。

 

あの言葉が最後まで続かなかったために、メロディの脳裏には、これから先、音楽を前にして苦しむえれなの姿が浮かんでしまう。自分がやった事のせいで、余計にえれなを苦しめてしまったかもしれないと、そう思ってしまう。

 

「でも」

 

メロディの視界の中の悲しげな後ろ姿を見せるえれなの隣に、もう一人のえれなが現れた。演奏している間、楽しげな笑顔を見せていたえれなの姿。

 

「えれなちゃん…………あなたが……あの時見せてくれた笑顔は、嘘じゃ、ないよね…………」

 

「だ…………黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

メロディの言葉で、セイレーンの脳裏に響と一緒に演奏した時の楽しげな記憶が蘇る。屈辱的な記憶に怒り狂ったセイレーンが再びネガトーンに力を注ぎ込んだ事で、ネガトーンがその腕を振り下ろそうとする。

 

「プリキュアァァァァァァァ!」

 

「……ビート・ソニック!」

 

ハミィの叫び声が周囲に木霊したその時、青い光の音符の矢がネガトーンに向け飛んできた。

 

湾曲した軌道によって四方八方から飛んでくる無数の光の矢が命中し爆発を起こしても、ネガトーンの体が揺らぐ事は無かったが、最後の一撃が命中した時、ネガトーンがうめき声を上げて一歩後ずさった。

 

ようやくの形で体を起こしていたシンフォニーが、自分とメロディ、それぞれの隣に立つ者の姿を確認する。

 

「リズム……!」

 

「シンフォニー! 大丈夫ですか!?」

 

「メロディ、ごめん、遅れちゃって! 大丈夫!?」

 

「う……うん、なんとか」

 

奏の変身したプリキュア、キュアリズムと、和音の変身したプリキュア、キュアビートの二人が救援に駆け付けたのだった。シンフォニーはリズムの、メロディはビートの肩を借りて体を起き上がらせる。メロディの朦朧とした意識も、少しずつ覚醒し始めているようだ。

 

「リズム、ビート! 来てくれたニャ~!」

 

ハミィが救援者の登場に大喜びで飛び上がった。

 

「……四人になったって、同じ事よ…………やれ、ネガトーン!」

 

「ネ~ガト~~~~~~~~~~ン!」

 

体勢を立て直したセイレーンが、再び鍵盤を叩きネガトーンに力を注ぎ込む。溢れるパワーで咆哮を上げるネガトーンは、そのままメロディ達へ突っ込んでいく。

 

「もういっちょ! ビート……ソニック!」

 

シンフォニーとメロディがなんとか自分で立つ事が可能となり、両手が使えるようになったビートは専用武器、ラブギターロッドを弾き鳴らして再び光の矢を放つ。しかし、飛んでいく無数の矢を受けてもネガトーンは一切怯む事無く、メロディ達四人はその場で大きくジャンプしてネガトーンの突進を回避した。

 

「うそっ、効いてない!?」

 

「あのネガトーン、セイレーンの力を与えられてパワーアップしてる! バリアみたいなものを張ってるんだよ!」

 

リズムとビートに敵の説明をしながら、メロディ達は地面に着地する。

 

「じゃあ、私達の攻撃は通用しないの!?」

 

「うん、あのバリアは、ミュージックロンドも軽く跳ね返してた……」

 

「ええ~!? じゃあどうすりゃいいの!? どうしようもないって事!?」

 

「……いえ、最初にビートが攻撃した時、見えたわ」

 

突進から急ブレーキで動きを止め、ゆっくりとこちらに振り返ってくるネガトーンを鋭く見据えながら、シンフォニーが言った。他の三人の視線がシンフォニーへと集中する。

 

「ほとんどの攻撃は防がれたけれど、最後の一撃だけは確かにダメージになっていた。あのバリアにはきっと目に見えない“隙間”があるんだわ」

 

「……そこを、見つけ出さないといけないって事ですか」

 

リズムが圧倒的な迫力で迫るネガトーンを見て冷や汗を垂らす。一方、ダメージが残り、疲労感も消えないメロディではあったが、闘志は蘇って来たようで、ネガトーンを見て力強く他の3人に言う。

 

「わたし達……四人の力を合わせよう! あいつの弱点、必ず見つけ出せるはず!」

 

「ええ!」

 

「やりましょう!」

 

「おっけ~~~ぃ!」

 

まず最初に、シンフォニーがトランパーの二番ピストン部にシリーを合体させ、リズムに向かって吹き鳴らす。

 

「チューニング2! アレグロ・コン・ブリオ!」

 

「ありがとうございます、シンフォニー! ……はああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

シンフォニーの技により強化・加速されたリズムは、ネガトーンへと急接近し、周囲を高速で移動しながら様々な方向、角度からネガトーンに何度も攻撃を加える。しかし、手応えのある一撃は無く、ネガトーンはびくともしていない。

 

「うろちょろと……鬱陶しいのよ!」

 

「きゃっ! あ、危なかった……!」

 

ネガトーンの振り回す腕をバク宙でかろうじて回避するリズム。シンフォニーの技で加速していても、強化されたネガトーンの攻撃速度はそれを捉えんとするほどの勢いだった。

 

「今度はこっちだ! ビートソニック!」

 

「チューニング1! ブラストトランパー!」

 

ビートがラブギターロッドを弾き鳴らすと、今度はネガトーンの周囲を取り囲むように光の音符の矢が出現し、シンフォニーがシャイニングトランパーから虹色の突風を放ったのと同時に、一斉に光の矢がネガトーンへ向け飛んでいく。

 

「そんなものが……効くかぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

セイレーンが鍵盤に両手の指を叩きつけると、同時にネガトーンが大口をカパッと開き、全方位へ向け悲しみの音の衝撃波が放たれた。

 

ビートソニックもブラストトランパーも、ネガトーンに到達する間もなく消し飛んでしまい、ネガトーンに接近していたメロディ、リズム、ビートの三人は衝撃波を受けて吹き飛ばされてしまう。

 

「きゃあぁぁぁ!」

 

「うわあぁぁぁ!」

 

「ぅぐっ! …………こンのぉぉぉぉぉ!」

 

建物を背後にしていた事で、素早く勢いを殺す事が出来たメロディは、今度は壁を蹴ってネガトーンに飛び込みつつ、その体に足を叩きつける。

 

「うっ!?」

 

ネガトーンのバリアのせいで攻撃の手応えが無いどころか、逆にバリアから跳ね返って来た振動がメロディの傷ついた体を伝わって激しい痛みが襲う。うめき声を出しながら、その時メロディはハッと何かに気づいた。

 

足先から伝わって来る、“振動”。

 

「危ない!」

 

メロディが動きを止めている所に、ネガトーンが拳を振り下ろしたが、間一髪の所でビートがメロディの体を抱えて危険範囲から飛び出す。

 

「メロディ! 無茶しないで! そんなにボロボロになってるのに……!」

 

「う、うん……」

 

ビートの言葉を受けながら、メロディは先程の感触と、気づいた事を思い返す。傷ついたこの体だからこそ、より強く感じられた、相手のバリアから伝わって来る振動。

 

メロディは思い出す。あのバリアは、セイレーンが自らの悲しみの音の力をネガトーンに注ぎ込んだ事で生まれたものだった。

 

「音の、振動……あのバリアはセイレーンとネガトーンの“音の力”によって生まれた…………そうか! ねぇビート、力を貸して!」

 

「えっ!? あ……うん!」

 

一方、セイレーン操るネガトーンはノッシノッシと歩いてリズムとシンフォニーを追い詰めようとしている所だった。

 

リズムの体からはシンフォニーの技による強化効果は失われており、シンフォニーの方は何度もブラストトランパーによって攻撃を加えているがネガトーンを足止めする事も出来ない。

 

アレグロ・コン・ブリオは受け手も掛け手も少しの間無防備な状態になってしまう技であるため、ネガトーンに接近されている今使おうとすれば命取りになる。そのため、目の前までネガトーンが迫っている今、シンフォニーは行動に移す事が出来ない。

 

「さぁ……観念しなさいプリキュアども!」

 

「う…………」

 

「くぅ……」

 

じりじりと追い詰められていくリズムとシンフォニーを救ったのは、空中高くから聞こえた声だった。

 

「セイレーン! こっちよ!」

 

「何っ!?」

 

セイレーンが空を見上げると、空中高くからダイビングして来るビートと、その更に上から落下して来るメロディの姿が見えた。

 

「あいつら、一体何を……」

 

「ビート……ソニック!」

 

空中落下状態からビートは再度光の矢を放つ。その攻撃を、セイレーン操るネガトーンは片手で軽く払うだけで防ぎ、更には逆の拳で落下してくるビートへ向け鉄拳を放つ。

 

「ビートバリア!」

 

今度はラブギターロッドによって青い光のバリアを発生させ、ビートはその攻撃を受け止める。しかしそのバリアもほんの一瞬ネガトーンの拳を受けるだけですぐに粉々になってしまい、バリアで勢いが殺されてるとはいえ、十分な威力のあるネガトーンの拳をビートはまともに食らってしまう。

 

「ぐっ!……メロディ、行って!」

 

「……やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

殴り飛ばされながらも先へ行くよう促すビートの言葉を受け、メロディはビートの身体とネガトーンの拳をすり抜け、ネガトーンへと落下接近していく。

 

大きく振り上げたメロディのその右腕には…………

 

「ミラクルベルティエ!」

 

ミラクルベルティエが握られていた。メロディは落下の勢いのまま、ベルティエをネガトーンの体へ向け振り下ろす。

 

落下のスピードと共に振り下ろされたベルティエはバリアに直撃し、ベルティエから放たれた音の力が、ネガトーンの体を覆う音の力の膜の上を振動となって伝わっていく。

 

ネガトーンの体表面上を、音が、波紋となって、広がっていく。

 

――。

 

「あった! 音の途切れる場所! そこだあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

バリアの膜の上を伝わる音の振動が途切れる位置、つまりバリアの途切れている位置……セイレーンの立つ肋骨パーツを接続する背骨の一点へ向け、メロディは宙で一回転しながら、再度ミラクルベルティエを叩き込んだ。

 

「ネッ! ガ~~~~~~~~~~~~ッ!」

 

「そ、そんな……馬鹿な!」

 

ベルティエから放たれる音の力をまともに叩きこまれたネガトーンは叫び声を上げ、同時にその体を覆っていたバリアがはじけ飛ぶ。

 

ネガトーンは両足をプルプルと震わせた後、その場に両膝を突き動きを止める。その際の衝撃で、ネガトーンの背に居たセイレーンも地面に投げ出された。

 

それを見たメロディ達は、ネガトーンの前へと一斉に集結する。

 

「チャンスよ! これで決めましょう! メロディ、ベルティエをセパレートして!」

 

「はい! ミラクルベルティエ、セパレーション! ……おいで、ドリー!」

 

メロディがベルティエを分離させ、その片方にフェアリートーンのドリーが合体する。

 

一方で、シンフォニーは今度はシリーをトランパーの第三ピストン部へと合体させ、シャイニングトランパーをメロディへと向けた。

 

「チューニング3! ブリルランテ・チャージ!」

 

シンフォニーがシリーを押し込みながらトランパーを吹き鳴らすと、放たれた光の帯が、メロディの持つ一対のベルティエに合体するフェアリートーンにそれぞれ注ぎ込まれていく。

 

「なんか力が出て来たドドー!」

 

「メロディ、行くミミー!」

 

「分かった、行くよ! 溢れるメロディのミラクルセッション!」

 

メロディが両手に掴むベルティエで宙で大きな弧を描くと、揺らめく炎のような光が巨大なハートの形を宙に描き出す。メロディはそのまま両腕を後方に向けてグッと力を溜め…………

 

「フルチューニング! ミラクルハート……アルペジオ!」

 

力強く前方に両腕を突き出した。それと同時に、ハート型のエネルギーがネガトーンへ向け放たれる。

 

「はぁ……はぁ…………負けるもんですか……こんな、こんな奴らなんかにぃぃぃぃぃぃぃ!」

 

地面から起き上がり、よろよろとネガトーンの背によじ登ったセイレーンは、再び鍵盤からネガトーンに悲しみの音の力を注ぎ込む。

 

「ネッ、ガ~~~~~~~~~!」

 

「くっ……セイレーン…………!」

 

メロディのミラクルハートアルペジオと、ネガトーンから放たれる悲しみの音の力がぶつかり合う。

 

「負けない…………あたしは、負けない……っ!」

 

鬼気迫る表情のセイレーンが注ぎ込み続ける力が、ミラクルハート・アルペジオを抑えこむ。セイレーンのその気迫を前に、技に力を注ぎ込み続けるメロディの体すらも少しずつ押し戻されていく。

 

「みんな、私達全員の力をぶつけるのよ!」

 

「はい!」

 

「おーし!」

 

シンフォニーの合図で、三人が行動を開始する。

 

「刻みましょう、大いなるリズム! ファンタスティックベルティエ! おいで、ファリー!」

 

リズムがファンタスティックベルティエを出現させ、その先端部にファリーを合体させる。

 

「チェンジ! ソウルロッド! おいで、ソリー!」

 

ビートがラブギターロッドの胴体部を上にスライド、ソウルロッドへと変形させ、先端部にソリーを合体させる。

 

「チェンジ! シャイニングロッド!」

 

シンフォニーがシャイニングトランパーを縦に持ち替え、マウスピース部を伸ばして持ち手へと変え、完成したシャイニングロッドの先端のベルにシリーが再合体する。

 

「「「駆け巡れ! トーンのリング!」」」

 

三人がそれぞれの武器で同時に宙に円を描き、その軌跡から三つの音の力のリングが発生する。

 

「プリキュア! ミュージックロンド!」

 

「プリキュア! ハートフルビート・ロック!」

 

「プリキュア! シンフォニックレインボー・ファンファーレ!」

 

三人が放ったトーンのリングが縦に連なりネガトーンへと向かっていく。

 

ミラクルハート・アルペジオの後ろから更に三つのトーンのリングの力が加わり、ネガトーンを守っていた悲しみの音の力がついに決壊する。

 

ハート型のエネルギーと、三つの光のリングが同時にネガトーンを包み込んだ。

 

「あたしは……負ける…………また……また! ぐ、うううぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

 

「「「「三拍子! いち、にぃ、さん! フィナーレ!」」」」

 

四人の刻んだ三拍子のリズムによってネガトーンに集中した音のエネルギーが爆発する直前に、セイレーンはその場を離れた。

 

「ネガ、ネガ…………ネムイ、ネムイ……」

 

吹き出す音のエネルギーの奔流の中でネガトーンは浄化され、その姿を本来のピアノのそれへと変える。

 

「ニャップニャプー!」

 

「ドドーッ! ドドリー!」

 

ハミィの力によってピアノの中から浄化された音符が飛び出し、それをフェアリートーンのドドリーが吸収した。

 

「みんな~! 良くやってくれたニャ~~~~~!」

 

「……はぁぁ~~~~~~、終わったんだね、やっと」

 

「セイレーンとネガトーンのコンビネーション、とんでもない相手だったわ」

 

ハミィが喜びの声を上げて駆け寄ると、ビートが脱力したようにふにゃりと肩を落とす。リズムはようやく倒した相手の力を思い出し、身震いしているようだ。

 

この戦いの中でボロボロになっているシンフォニーは、同じくボロボロになっているメロディを見つめていた。

 

メロディは……元に戻ったピアノと、戦いに巻き込まれた周囲の人々を見渡していた。

 

セイレーンとネガトーンの力が合わさった強力な悲しみの音を受けたせいで、戦い終わった現在でも周囲の町の人々は悲しみに包まれたままだ。そして、その中央には、人々を悲しみに包み込んだ怪物の本来の姿、一台のピアノがあった。

 

「………………」

 

メロディは傷ついた体を引きずってゆっくりとピアノの側まで歩み寄り、鍵盤の前に立つ。

 

「えっ……メロディ?」

 

「何を……」

 

メロディの不思議な行動にリズムとビートが疑問の声を漏らしたが、そんな彼女らの言葉を、シンフォニーが片手で制した。

 

メロディはピアノを前にして考える。周囲にいる人々の事を、戦いが始まった時の自分はえれなと重ね合わせていた。

 

……いや、この人達は皆、えれななのだとメロディは思った。

 

音楽を楽しむ心を持っているのに、音楽によって苦しんだ人々。この人達は皆、えれなであり、そして……五年前の自分自身なのだと。

 

そんな人達を前にして、メロディは、今度こそ行動に迷う事は無かった。両手の指を鍵盤に乗せ、演奏を始める。

 

奇妙な光景だった。怪物と戦う伝説の戦士であるプリキュアが、町中でピアノを演奏しているのだ。

 

彼女の弾く曲は、えれなに聞かせ、えれなに聞かせてもらったエチュード。

 

しかしその演奏は、先刻に一人で弾いた時よりも、しっかりとして、滑らかで、そして深く心に染みわたるものとなっていた。

 

それは、えれなの旋律。

 

えれなが見せてくれた演奏法・表現力を、響は吸収していた。えれなと一緒に演奏した事が、響の成長を促す結果となっていた。

 

(えれなちゃん…………短い間に、あなたに色んな事を教えてもらった気がする)

 

それは、えれなに教えてもらった演奏。

 

それは、えれなに捧げる演奏。

 

それは、響とえれなの……二人だけのエチュード(練習曲)。

 

「いい演奏だニャ……セイレーンも、聞いているかニャ」

 

メロディの奏でるピアノの音色に耳を傾けながら、ハミィは空を見上げ、戦いの最中姿を消したセイレーンの事を想った。

 

「セイレーンはいつだって……たとえ人を悲しませる歌を歌う時だって、セイレーン自身は凄く楽しそうに歌っていたニャ。でも、今日のセイレーンは……ただただ、辛そうだったニャ。ハミィには、セイレーンの事が分からないニャ…………」

 

 

---

 

 

戦いから逃げ延びたセイレーンはエレンの姿で街中をふらつき歩いていたが、やがてエレンとしての姿を維持する事が出来なくなり、本来の歌の妖精の姿になって、今は狭い路地の中で倒れ伏していた。

 

「ハァッ……ハァッ…………」

 

荒い息をするセイレーン。セイレーンが行った、自らの音の力をネガトーンに注ぎ込むという行為、それは歌の妖精にとって、自らの命を削り取るのと同じ事であった。

 

「ここまで……ここまでしても、あたしは…………あいつらに勝てないっていうの……!?」

 

体を疲労感が包んでいるセイレーンの耳に、ピアノの演奏が届く。忘れもしない……いや、忘れようとしても頭に留まり続ける、セイレーンにとっては忌むべき記憶の中にあるピアノの演奏。

 

「ああ…………うるさい、うるさい……っ!」

 

煩わしく思って耳を塞いでも、演奏が聞こえなくなる事は無かった。記憶の淵から、心の奥底から響いてくるのだ。

 

響と自分による、楽しそうな演奏が。

 

「あたしは……こんな幸せそうな音楽なんて…………大っ嫌いなのよ……!」

 

狭い路地の暗がりの中で一人身を縮ませるセイレーンの瞳から、涙が流れ落ちていた。

 

 

---

 

 

…………演奏は続いていた。いつの間にか、その演奏に、苦しさから頭を抱えていた人が、悲しみから目を伏せていた人が、悲しみの音で苦しめられていた人々が聞き入っていた。

 

暗く優れなかった表情が少しずつ和らいでいき、いつの間にかその表情に笑顔が宿る。

 

町の人々だけではなく、ハミィも、シンフォニーも、ビートも、フェアリートーン達も心地よい笑顔を見せて聞き入り、体でゆったりとしたリズムを刻んでいる。

 

ただ一人……キュアリズムだけは、その演奏を聞いて、あっけに取られたような、狐につままれたような、そんな表情を見せていた。

 

その演奏は彼女が知るごく近い記憶の中での響の演奏よりも、遥かに上を行くものだった。短い間の響の演奏能力の急成長……しかしリズムが驚いたのはそこではない。

 

リズムは――奏は、響がピアノや音楽に対する興味を蘇らせるにつれ、その腕前が上達するにつれ、その演奏は自分達が大の仲良しだった幼き日の響の演奏に戻って来ている、というような印象を強くしていた。

 

だが、今彼女がしているこの演奏は、過去の世界に居る響の演奏とは違う。今までの響の演奏の中には見出せなかったものを、リズムはこの演奏に感じていた。

 

だからこそ、リズムは驚いたのだ。

 

やがて……彼女の演奏が終わり、メロディがゆっくりと顔を上げると、周囲の人々から拍手の雨が降り注いだ。皆、先ほどまで悲しみで呻いていた事など感じさせないような清々しい笑顔を浮かべている。

 

その拍手の雨に、シンフォニー達が驚いて周囲を見回す。

 

「町の人達から、いつの間にか悲しみの表情が消えている……」

 

「みんな、み~んな笑顔だニャ!」

 

「これも……プリキュアの力、なのかな」

 

「…………ううん、違う」

 

不思議そうに言うビートの言葉を、リズムが否定する。

 

「これは……響の、響の演奏の力だよ」

 

「響の……」

 

「…………」

 

人々の笑顔と拍手の中心に居るメロディを、リズムはどこか誇らしげな視線で見つめる。

 

今まで、彼女は――奏は、響が過去の音楽好きだった彼女自身に少しずつ戻っているのだと思っていたし、それを望んでもいた。だが、今この時の演奏を聴いて、彼女は気づいた。

 

響は、戻っているのではなく、進んでいるのだと。

 

(優柔不断なんて言って、ごめんね。……響も、自分の意思で前に進んでるんだ)

 

遠い日の幼き記憶は彼方へと消え、少女達は新しい道へと進み出す。

 

『奏の知らない響の姿』、それが生まれていく事が、今の奏にはとても喜ばしい事に思えた。

 

 

---

 

 

人々の拍手と笑顔の中、響はゆっくりと頭上の空を見上げた。突然、彼女の脳裏をデジャブが襲う。

 

いや、既視感などではない。

 

ピアノを演奏する自分が居て、それを聞いてくれている人が居て、その人の笑顔があって……それは、彼女の心の奥底に確かに存在していた記憶――

 

---

 

『まぁ、凄いわ響!』

 

『うん、とてもいい音楽を奏でていたね』

 

『ホント!?』

 

『ええ、勿論』

 

『響には、ピアノの才能があるかもしれないね。さすが、僕達の娘だ』

 

『じゃあ、じゃあ、わたし、これからもずっとピアノの演奏する! そしたら……いつか…………ピアニストになれたりする!?』

 

『ああ、響が音楽を奏でる事を止めない限りね』

 

---

 

白昼夢のような記憶は霧散し、気づけばメロディの目の前には澄み渡る空が広がっていた。

 

彼女は震える声で、一言呟いた。

 

「わたし、思い出せたよ……“きっかけ”」

 

メロディの瞳から、一筋の涙がこぼれた。

 

 

---

 

 

メロディを遠巻きで見守る仲間達。シンフォニーは、メロディの見せる表情から一つの確信を持つ。

 

(響、思い出せたのね……自分にとっての大切な想いを)

 

シンフォニーは――聖歌は、今日、響が相談を持ちかけてきた時点で、響の心が本当に求めているものになんとなく気づいていた。そして……それに対して響が素直な気持ちになれないでいる事にも。

 

聖歌には最初から分かっていた。彼女の中に答えはもうある。それに対して、自分は“きっかけ”を与える事くらいしか出来ないと。

 

(自分の目指すものは、大切に想うものは……どんなに苦しく、難しい事でも、最後にはやっぱり自分の心で決めなくてはいけないの)

 

聖歌には奏とぶつかり合った経験が、自分の迷いや見失ってたものに気づく“きっかけ”になった。しかし、そこからスイーツ作り、パティシエの夢に向き直る事を決めたのはやはり聖歌自身。

 

響がどんな道を行くにしても、それはやはり……響自身が決めなくてはいけない事なのだ。

 

(でも、響? あなたなら……きっと大丈夫よね)

 

シンフォニーはメロディを見つめ続ける。

 

拍手が、笑顔が、いつまでも止めどなく続いていた……

 

 

---

 

 

「たっだいま~……ん~? 随分と暗いねぇ」

 

北条団は我が家に帰って来て、まずは玄関の明かりを点けた。外から家を一見しただけで分かる事ではあったが、家の明かりが一切点いておらず、玄関の明かりを点けただけでは家の中はまだまだ真っ暗だ。

 

一瞬、響がまだ帰って来ていないのかと考えた団だったが、玄関の明かりが響の靴を照らし出している。

 

「お~い、響~? いないのかい?」

 

居間、階段、二階廊下と、明かりを点けながら響の事を探す団だったが、響の姿は見えない。響の部屋をノックしてみるものの反応は無く、中に気配も感じられなかった。

 

「ふ~む、…………」

 

考えた末に閃きを得た団は、一階のある部屋へと足を向ける。……そこに響は居た。

 

ピアノの間、暗闇の中で一人、響は蓋を閉じたピアノに体を預け顔を伏せていた。

 

「こんな所に居たのか。一体どうしたんだい?」

 

「…………」

 

反応の無い響を見て、眠っているのではないかと一瞬疑った団だったが、そうではなかった。響がぽつりとつぶやく。

 

「わたし……分かったんだ」

 

声が震えている。いつもと変わらないにこやかな表情を崩さない団ではあったが、軽口を叩くような事は一切せず、黙って響の言葉を聞いている。

 

「ううん、違う……ホントは、もっと前から分かってた」

 

響が体を上げ、父の方を見た。……目が赤くなっている。

 

泣いていたのだろう。

 

「パパに、パパにあの時『音楽を奏でていないね』って言われた、あれよりずっと前から……わたし、音楽を奏でてなんかいなかった」

 

「………………」

 

団は何も言わず、響の顔を優しげに見つめながら彼女の言葉を待っていた。

 

「“きっかけ”、最初のきっかけは……わたしの演奏を聞いて、パパやママが喜んで、笑顔を見せてくれた事。それが嬉しくて……わたしもピアノを演奏するのが楽しくて…………それで続けていたはずなのに、いつの間にか……パパに褒められたい、上手いって認められたい、その為には練習して上手にならなくっちゃ、コンクールでいい成績を出さなくちゃ、そんな風に思うようになってた……」

 

響の両の瞳から涙がボロボロとこぼれ落ちる。両手で涙を必死でぬぐう響の体を、団が優しく抱きしめた。

 

「……すまなかったね、響」

 

「ううん、違うよ、わたしだ……音楽が大好きだったはずなのに、音楽から逃げて、音楽が嫌いなんて言って自分に嘘を付いて……そんなわたしが、また、ピアノに対して全力でぶつかるなんて、プロを目指すなんて、そんなの駄目だ、ピアノは……音楽は……許してくれないって…………そう思ってた」

 

響は団の胸に顔を埋め、嗚咽の混じった声で、必死に言った。

 

「でもっ、やっぱり……! わたし、ピアノをやりたいよ! 本気で、本気でピアノにぶつかりたいよ……! 大好きだから、また、辛くなって、逃げ出しちゃいたくなる時もあるかもしれないけど…………それでも、わたし……っ、わたし…………」

 

涙で顔をぐしゃぐしゃにしている響の背を、団はポン、ポン、と優しく叩いた。

 

「響、音楽と…………仲直りは出来そうかい?」

 

音楽と、仲直りする。

 

奇妙な表現だったが、それは先程の響の「音楽が許してくれる訳がない」という言葉から来たもので、そして、響自身が心の底から望んでいる事でもあった。

 

「まだ……分からない。でも…………仲直り、したいよ。喧嘩して、それで終わりなんて……そんなの、嫌だもん……!」

 

団の胸から顔を上げた響の表情は、相変わらず涙のせいでぐしゃぐしゃで、目も真っ赤にした酷い顔ではあったが、それでも、笑顔だった。

 

団がゆっくりと頷いて見せ、そして響は…………大きな声で泣いた。

 

響の流した涙の粒は、部屋のピアノの上にもいくつか落ちて、表面にしずくを残していた。

 

まるで、響の悲しみを、ピアノが受け止めているかのように……

 

 

---

 

 

「「「「響ぃぃぃぃぃ~~~~~~~~~~!!!!」」」」

 

廊下を歩く響の後ろから、女生徒達が凄まじい勢いで駆け寄って来て、あっという間に響の周囲を取り囲んだ。

 

「響ぃ、今日野球部助っ人に来てよぉ! 今度こそ絶体絶命のピンチだよぉ!」

 

「ちょっと、絶体絶命っていうのは今のテニス部の事を言うのよ!」

 

「何言ってんの!? 響はねぇ、バレー部のあたし達と心と心で繋がってんの! 今日こそうちの助っ人に来てくれるわ!」

 

「ふざけないでよ! マブダチ度合いで言ったらバスケ部の方が上よ!」

 

またも響の意向を無視して勝手な話を続ける女子スポーツ部の面々。しかし、彼女達のまくし立てる声を聞いても、今回の響は一切戸惑う事が無かった。

 

カラッとした笑顔を見せ、そしてあっさりと言う。

 

「ごめん! わたし、もう……部活の助っ人には出ない!」

 

「なんだ……」

 

「そっかぁ……」

 

「……って」

 

「「「「ええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!?」」」」

 

(あら、またハモッた……)

 

『部活の助っ人には出ない』と言う響に部員達が更に顔を近づけて抗議する。

 

「な、な、な、何でそんな突然に~!?」

 

「わたし、見つけたんだ……ううん、思い出した、かな? ……自分が本当にやりたいと思う事」

 

「な、何なのそれ? まさか、和音みたいにどこかの部活に入るとか……?」

 

響がどこかのスポーツ部に入るのでは? と想像した女子スポーツ部の面々は、まさかこの中に響の選んだ部活があるのでは……と探り合うような視線を向け合ったが、響はそんな女子達の間をすり抜け数歩進んだ。

 

「響が、本当にやりたいと思うものって…………何なの?」

 

一人の質問に、響はくるりと振り返り、迷いのない、爽やかな笑顔で答えた。

 

「……ピアノ!」

 

 

 

 

 

 

つづく

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