スイートプリキュア♪ -ArrangeScore- 作:おとともの
「じゃあ、食べてみて」
南野奏はカップケーキを目の前の少女に差し出した。ラッキースプーンの野外席には、スイーツ部員が集まり、スイーツコンテストに向けてアイディアを纏めながら、試作品の試食を行っている。
しかし、奏が試作品のケーキを差し出していたのはスイーツ部員ではなかった。
「……別々の素材の味が、変に自己主張しててイマイチ。……フルーツを入れるのはいいけど、食感も悪い」
試作品ケーキを口にして、ばっさりとした意見を奏に言ったのは、最近になって謎の人物、調辺音吉との関係が判明した調辺アコだった。澄ました顔でキツい感想を言うアコに対し、奏はむっとしたような表情でじっと彼女の顔を見つめている。
その様子に、他のスイーツ部員達も緊張した面持ちを見せていたのだが……
「……そう。分かったわ、ありがとう。……作り方を工夫してみるから、またその時は感想聞かせてね」
「……別に、いいけど」
表情を和らげて、素直に感謝の言葉を述べる奏に、周囲の部員は胸をなで下ろす。
アコに奏が試食を頼むのはこれが初めてではない。リコーダー演奏会での一件以降、アコや奏太が響達の集まりに顔を見せる事が前以上に多くなり、奏太かアコか奏か、誰が最初に提案したのかは今となっては分からないが、奏のスイーツコンテストへ向けての試作品の試食をアコが行うようになっていた。
アコの嫌味な言動に奏が怒る、というのが今までのパターンであり、これまでの両者の関係を知らないスイーツ部員であっても、奏がアコの容赦のない感想にいつか堪忍袋の緒が切れるのではないかと思いひやひやしていたのだが、余計な遠慮や手心を加えるような事をしないアコの素直な感想を、奏は歓迎している様子だ。
相変わらず斜めに構えた所はあるものの、感謝の言葉や他人からの期待をある程度素直に受け入れられるようになったのか、アコは相手の態度に若干戸惑いながらも、奏のスイーツ試食に協力し続けている。
「ねーちゃんとアコが一緒にいるの、な~んか慣れねえなぁ」
両者の関係に不思議なものを感じているのは奏の弟の奏太だ。
お店の手伝いでテーブルの拭き掃除をしながら――それをサボりながら――奏太はアコと奏の変化した奇妙な関係を、じとっと見守っていた。
「おやおや奏太くん! 彼女を姉に取られて嫉妬かね!」
「……なっ、だ、だだだ、誰が彼女だよっ!?」
調子のいいおっさんのような口調で奏太に声をかけたのは北条響だ。響のからかい言葉に、顔を真っ赤にして反応してしまう奏太。端から見れば、奏太がアコに向けてる想いは明白である。
焦ってアコの方を見る奏太だったが、アコはそれらの会話を聞いていなかったのか、それとも聞いていて無視しているのか、奏太など眼中にないといった様子でスイーツ部の活動を見ていた。
「やっほ、奏太!……アコちゃんにスイーツ部のみんなも、こんにちは!」
響の後ろから、西島和音も現れ、集まっている一同に挨拶をする。スイーツ部の面々もそれに応え、アコも最後にぽつりとつぶやくように挨拶を返した。
「……こんにちは。……響さん、今日はもうピアノのレッスンは終わり?」
「ううん、今日はまた後からしらべの館に行くよ。奏達のコンテストに向けての活動も応援したいから、一度こっちに来ただけ。……わっ、凄い美味しそうなスイーツの群れ!……聖歌先輩、食べてもいいですか!?」
「ええ。構わないわよ。試作品はこれからもっと作らないといけないから、また響達に協力してもらおうかしら」
部の中心にいた部長の東山聖歌がそう応えるや否や、響は凄まじい勢いでテーブルに並べられたスイーツに食らいついていく。
顔をクリームだらけにしながらスイーツに貪りつく響にスイーツ部の面々は苦笑いし、アコはげんなりとした表情を浮かべる。
「……ほんと、ピアノ弾いてる時とは別人みたい、普段の響さんって」
「でもよ、響ねーちゃんはずっとこんな感じだぜ?」
「変に着飾らない所が響の良さだよ。あ、わたしもいただきまーす!」
冷ややかな言葉を発するアコに、何を今更、といった調子で言う奏太。響に加えて和音までスイーツ大食いに参加し始めた事で、小学生二人組は肩をすくめている。
「響に和音、来てたんだ……って何よその顔!? もう、二人とも小学生じゃないんだから、そんなはしたない食べ方はやめなさい!」
一度店内に姿を消していた奏が戻って来るが、友人二人が早速顔をクリームまみれにしているのを見て母親のように叱りつける。
響と和音は軽い調子でごめんごめん、と返し、ナプキンで顔を拭きながら、顔についたクリームをべろりとなめてまた奏に怒られた。
「はあ、まったく……まあ、丁度いいわ。響達にもあれを見てもらいたかったし。ね、聖歌先輩?」
「ええ、そうね」
奏と聖歌の言葉を響と和音が不思議に思っていると、スイーツ部の面々はてきぱきと皿を端の一カ所に集め、そして聖歌が取り出した紙をテーブル一杯に広げた。
「はい、こちらになりま~す」
どこから取り出したのか、スイーツ部の一人のアヤがトライアングルをチリ~ン、と一回鳴らす。広げられた紙には、巨大なケーキのイラストが描かれていた。
「そうか、スイーツ部のみんな、スイーツコンテスト本戦に出場するんだもんね!」
「これが作るスイーツってこと? でも、このデザインって……」
スイーツ部の面々は予選選考を無事通過し、本戦出場を決定していた。それは響達にも周知の事実だったが、響達が驚いたのは本戦にて彼女たちが作るとされるそのアイディアスケッチに描かれたケーキのデザインだ。
「……今の私だったら、テーマにするのはこれしかない、と思って」
「……そう、「音楽」をテーマにした特大ケーキ、『スイートオブスイーツ』よ」
側面にはチョコで描かれた五線譜のライン、その上に踊るのは同じくチョコで形作られた音符。柱を挟んで二段重ねになったケーキのそれぞれの段の上には、メレンゲ人形の音楽隊が様々な楽器を手にしている。
「この音楽隊ってもしかして、わたし達!?」
「ええ。今の私達の活動の楽しさを、スイーツでも表現出来たらいいな、って思って」
嬉しそうに驚く響に、穏やかな笑みで応える奏。
題名は『スイートオブスイーツ』。そのまま読めば甘さの中の甘さ、特別なスイーツを意味する名前。しかし、スイートには『組曲』という意味もある。スイーツの甘さの中に存在する音楽。皆のこれまでの活動が、そのデザインの中に込められている。
「絵だけでも凄いけど、実際に完成したら、もっと迫力あるんだろうな!」
「……でも、これだけのものを作った後、食べちゃうんでしょ。……なんか勿体ないかも」
「……そうね。結局は食べるものといえばそうだけど……食べる前に、見る人を楽しませる事が出来るなら、それは意味のある事だと思うわ」
素直に驚く奏太に対し、ちょっと寂しそうに感想を言うアコ。しかし、聖歌の淀みない言葉にアコも納得をしたようだ。
「まぁ、とっても素敵なデザインね」
「本当だ。完成したものを見るのが楽しみだね」
ラッキースプーン店内から出てきたのは、このお店を経営している、奏と奏太の両親でもある南野美空と南野奏介の夫婦二人だった。
「南野さん、作業場所から材料から、何から何まで、本当にありがとうございます」
聖歌が恭しく頭を下げる。コンテスト用のケーキはスケールダウン版でテストや調整を行う予定になっているが、どうしても本番前に完全な状態のものを一度仕上げるための最終テストが必要だった。しかし、それを学校の部室である家庭科室で行うには手狭で設備にも限界がある。また、有名なスイーツ大会の本選出場という事で学校から部費として予算が出てはいるものの、事前テストと本番とで使う材料費が不足する懸念もあった。
その事を奏が両親に話したところ、一日の場所の提供とテスト用の材料の用意を買って出たのだ。その事に対し、他のスイーツ部員も聖歌に倣って「ありがとうございます」と頭を下げる。
「なぁ~に、可愛い娘とその友達のため、お安い御用さ」
「楽しみね、あなた達の作るスイーツ。きっと、会場の皆さんを丸ごと笑顔にしちゃうわね!」
お店にかかる負担の事など気にも留めていない様子で、南野夫婦は楽しげに答える。
「ただ、パティシエの僕達が助言したりする事は出来ないからね。協力出来るのはここまでだよ」
「もちろん。このコンテストはスイーツ部の皆でやり遂げてみせるから。ここまでしてくれて、本当にありがとう。お父さん、お母さん」
父の言葉に奏は力強く答え、そして改めて感謝の言葉を述べる。
「スイーツ部の皆さんがお店を使う日は、久しぶりに二人っきりのデートを楽しもうか。ねっ、ママ?」
「やだぁ、あなたったら。うふふっ」
「あ、あはは……」
スイーツ部や響達もいるというのに、いつもと変わらず行き過ぎたおしどり夫婦っぷりを見せつけて来る両親の姿に、奏と奏太は頬を引きつらせて乾いた笑いを発していた。響や周りの皆も困ったように笑う。
二人の世界に入り込んでいる南野夫婦から目を背け、再び皆の意識はスイーツ部のスケッチに集まる。
「スイーツ部のみんな、頑張ってよね! わたし達も、全国大会の予選に向けて頑張ってるからさ!」
「そっちこそ!」
「全国に行けたら、またクッキー作って応援に行くから!」
片手でガッツポーズを取り激励の言葉を贈る和音に、スイーツ部の面々も活き活きとした様子で言葉を返す。
スイーツ部に女子サッカー部。元々は関連性の薄いこの二つの部の間にも、気がつけば不思議な繋がりが生まれていたのであった。
(……わたしも、これからなんだ。みんなに負けないようにしないと!)
そんな様を見守って、響も密かにピアノコンクールへ向けての決意を固める。
仲間達それぞれが、それぞれの想いを胸に、それぞれの道に向け邁進していた。
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慌ただしく過ぎ去っていくある日の放課後。奏が荷物を纏めて調理実習室に一人向かっていた時だった。
(あれ、この音色は……王子先輩!?)
奏は音楽室から漏れる音楽を耳にし、それが聞き覚えのある旋律……王子正宗の奏でる音楽だと察すると、誘われるがままに音楽室に引き寄せられる。
音楽室にたどり着いた頃には音楽は止んでいた。奏は出入り口の窓から中を伺い、そして飛び込んできた光景に心臓を跳ね上げる。
奏の予想通りピアノ演奏をしていたのは王子正宗で、ピアノの前に座る彼は振り返ってある人物を見ていた。
その相手は……東山聖歌。
王子と聖歌は音楽室で二人きりで向かい合っていたのだった。
(せ、聖歌先輩と、王子先輩が二人きり!?……こんな所で何を…………いやいや!)
思わず顔を隠してしまう奏だったが、思い返してみれば王子と聖歌は同じクラスで、親しい友人同士なのだ。だから二人で仲良く音楽を聞かせ合っていても何も不思議ではない……なのに奏の心臓がバクバクと激しく鼓動を重ねて静まらないのは、二人の間に、今まで見たことのないムードが漂っているのを感じたからだ。
奏はおそるおそるといった調子で再び窓から二人の様子を伺う。
「……素敵な演奏だったわ。……今までは、なんとなくでしか王子くんの演奏を聴けなかったけど、自分で音楽をするようになってから、王子くんの演奏の凄さを改めて知る事が出来た」
「そ、そう……かな。ありがとう。聖歌さん」
二人がお互いに、儚げな表情を相手に向ける。
「聖歌さん、スイーツコンテストの本戦に進んだんだったね。コンテストで聖歌さん達が作るスイーツ、楽しみにしているよ」
「王子くんも、また、演奏会に参加するのよね? 私も、王子くんの演奏会、楽しみにしているわ」
二人の表情が夢見るようなうっとりとしたものに変わっていく。
「……聖歌さん。あの日……幼い頃に交わした約束。忘れてないよ」
「……ええ。もちろん、私も」
その頃にはもう、奏の心臓の鼓動ははちきれんばかりに激しくなっていて、奏はこの心臓の音が二人に聞こえるのではないかと思って、左胸を必死で押さえる。だが、押さえても押さえても、深呼吸で息を整えようとしても、鼓動が収まる事はなく……
「……今度の演奏会が無事に終わって、私の方もスイーツコンテストでいい結果が残せたなら、そしたら……私達…………」
その言葉を最後まで聞き届ける事は出来ず、奏は逃げ出すようにその場を後にした。
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「「王子先輩と聖歌先輩が恋人同士?」」
しらべの館に丁度自分と響と和音の三人しか居ないタイミングを見計らって、奏は自分の疑念を口にした。
あの時二人が見せていた雰囲気、交わしていた言葉……それは二人の関係が恋人のそれではないかと疑わせるには十分なものだった。
「……うん、あの時の様子を見たら、やっぱりそうとしか思えなくて……」
奏の脳裏に「二人は恋仲なのではないか?」という疑念が生まれた事は一度や二度ではない。だが、聖歌と王子が一緒に居る時、二人がごく自然に友人のような接し方をしているのを見る度、その疑念を晴らしていた。
……しかしそれも、自分にとって都合の悪い結論を頭から追い出そうとした結果生まれたものだったのではないか、と今の奏は思っている。
「う~ん、”王子”先輩にスイーツ”姫”……おっ! これってなんか、お似合いのカップルって感じ!」
脳天気な和音の言葉に、沈んだ調子の奏の顔がさらに下へと沈んでいく。
響はなんとかフォローを入れようとあれこれ考えているが、そもそも恋愛経験どころか、異性を好きになった経験の無い響には、何をどう言ったらいいのかなど分かるはずもない。
それに、奏の疑うとおりに聖歌と王子が恋人同士であるのならば、その時点で奏の恋は終わってしまっているのであり、それ以上どうこうする事も出来ないのだ。
「あっ……そういえば聖歌先輩、小さい頃にクッキーを作って喜んでもらえたのが嬉しくて、その人を喜ばせたくてスイーツ作りを続けてたって言ってた……その人って、王子先輩の事だったんだ……」
聖歌や王子の関係を振り返る過程で、響は過去に聖歌に聞かされたスイーツ作りのきっかけを思い出した。
その話に出てきた”ある人”の正体……『幼い頃に交わした約束』という聖歌と王子の話の内容を聞いた今でなら確信を持てる。その相手が王子正宗その人であると。
幼い頃の聖歌が、幼い頃の王子にクッキーを差し出し、それを食べた王子が、柔らかな笑顔で美味しい、と言う。その光景を響は無理無く想像出来た。そしてそれは、奏も同じ。
(……そういえば結局、聖歌先輩のスイーツ作りに込めた想いが何なのか、聞けてなかったんだっけ…………)
奏が聖歌と想いをぶつけ合った時、二人はお互いのスイーツ作りに対する想いを語り合おうと誓った。
約束を忘れていたという訳ではない。ちゃんとその事についてはお互い話をしている。ただ、聖歌のスイーツ作りのきっかけ、それは響の場合と同様に、漠然とした昔話だけの内容でしか奏は聞いていない。
その奥にあるもっと深いものを聞けるほど、自分は聖歌に近しい関係になる事は出来なかったという事なのか。奏には聖歌の真意が見えない。
「でもさ、奏?」
響と奏がそれぞれ頭を捻っていたその時、変わらず脳天気な様子で、しかし少し真面目な表情を見せながら、和音が口にした。
「気になるんだったら、聖歌先輩に直接聞いてみるしかないんじゃない?」
「そうだよね、こんな風に相手の見えない所で話してるだけなんて、奏らしくないと思う」
和音の提案に、響も同意を示す。
奏はしばらく黙って考え込んだ後、顔を上げ、言った。
「……うん、分かった。言ってみなくちゃ、何も始まらないもんね」
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「聖歌先輩!」
放課後の人気の少ない廊下で。
調理実習室にスイーツ部の面々が集まろうかという時間、奏は上手く聖歌と二人になれるような場所を選んで彼女を待ちかまえていた。
聖歌の方は、緊張の面持ちで廊下の中央に仁王立ちしている奏の姿を見て、不思議そうに小首を傾げている。
「奏、どうしたの? そんな所で立って」
「あ、あの……きょ、今日はどうしてもせ、聖歌先輩に……お聞きしたいっ、事が! ありまして!」
声を発する度身を堅くし、顔を赤くしていく奏の様子にまた不思議そうな表情を見せる聖歌。
奏は一度背を向けて、スーハー、スーハーと大きく深呼吸を繰り返して呼吸を整えた後、聖歌に振り返り、覚悟を決めて己の疑問を口にした。
「あのっ! ……聖歌先輩。聖歌先輩と王子先輩は…………お、お付き合い……してるんでしょうか!」
……言ってしまった。
しん、とその場が静まりかえる中、グラウンドで活動している運動部の声かけが遠ざかっていくように感じる。奏の心の中には、悪いことをした訳ではないというのに後悔の念が浮かんでいた。
何を後悔する事があるのか……いつかは確認しなければならない事だし、本人のいない所であれこれ噂話するよりかは遙かにマシだ。そうは思っても、これでよかったのかという不安が押し寄せて来るのは、ここで聖歌が肯定の言葉を返してきたら、自分の王子に対する恋心も、儚く散ってしまうと恐れているからだ。
聖歌は視線を泳がせて自分に目を合わせて来ない奏の姿をしばらく見つめ続けた後、窓の外のグラウンドの様子に目を向けて、ゆっくりと話し出した。
「…………奏は、王子くんの事が好きなのね」
「……えっ! っと、そ、それは…………」
いきなりの聖歌の核心を突く言葉。
奏は聖歌に対して、王子の事が好きだという気持ちを語った事は無い。しかし、奏が王子に見せている恥ずかしい態度を見ていれば、誰であってもその気持ちに気づく事は出来ただろう。
「ねえ、聞かせて下さらない? 奏は、どうして王子くんの事が好きなのかしら」
「え、えっとえっと…………王子先輩は、とってもかっこよくて、優しくて、それにピアノの演奏も素敵で、だから、だから…………」
興奮する自分の気持ちを抑えながら、必死で自分の気持ちを言葉に変えようとする奏。
……しかし、そんな奏の言葉を聞いていた聖歌は、ふぅ、とため息をつく。
「……王子くんがハンサムだから、王子くんが優しいから、音楽王子隊を率いる学園のスターだから…………そんな理由で王子くんに近寄ってくる人は沢山いるわ」
「え…………」
聖歌の言葉の雰囲気が変わったのに気づき、奏が聖歌に向き直る。聖歌は、変わらずグラウンド方を……いや、そのまた向こうの遠くの世界を見ているようだった。
やがて聖歌も奏の方を向く。
聖歌の表情はいつもと変わらず柔らかく、優しげなもので、次に発したその言葉も、いつもと変わらぬ穏やかなものではあった。だがそれを聞いた奏は、かつてないほど強く、強く聖歌から突き放されたような気持ちになった。
「あなたがもし、そんな理由で王子くんを好きだと言うのなら……あなたに、王子くんは渡せないわ」
「……せ、聖歌、先輩…………」
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夕焼けに染まる校舎を背に、奏はとぼとぼと校門へ向け歩いていた。
聖歌からあの”拒絶”の言葉を聞かされ、その後平然と調理実習室に向かう聖歌の背をためらいがちに追い、奏も聖歌と一緒にスイーツ部の活動に参加した。
また、あの時のような不和が生まれてしまうのか……? という奏の不安は杞憂に終わり、聖歌はごくごく自然に部長としての立場を全うしており、奏の事を無視したりする事もなく自然に接していた。
あまりに自然すぎたために、奏もそれに引っ張られる形で聖歌に対し自然に接していたのだが……奏の心に引っかかる気持ちは拭いきれなかった。
王子との関係を聞いた時の、自分が王子への気持ちを語った時の、聖歌の反応を思い返す。そこには明確な「失望」と「拒絶」があった。
あの時の聖歌と同じように、奏は自分自身に対して呆れる気持ちを込めてため息をつく。
(……そうだ。王子先輩に憧れてキャーキャー騒いでるだけの女子なんて、いくらでもいる。私も、その一人でしかない…………)
学園を歩くだけで周囲に女子が群がり黄色い歓声を浴びる王子。自分は、端から見れば鬱陶しく騒いでいるだけの、その他大勢の女子の一人でしかないと、奏は今更ながらに気づいたのだった。
それに対し、響の推察を信じるのであれば……聖歌は王子と古いつきあいで、王子のいい所、悪い所、いろんな面を知っているのだろう。
(王子先輩の事、ただかっこいい先輩としてしか知らなくて……それで、何が王子先輩の事が好き、なのよ…………呆れちゃう)
自分に対する失望感に沈む奏が門の所まで来た時、門の前でひそひそと……いや堂々と談笑している生徒達の声が奏の耳に入ってくる。
「ねぇねぇ聞いた? あの王子先輩と聖歌先輩、恋人同士なんですって!」
「きゃ~~~~! すっごーーーい!」
ぎくり、と奏の動きが止まる。学園でも有名人である二人だったが、そんな二人が付き合っているなどという話は、奏は学園内で一度も耳にした事がない。
だからこそ先日その関係に初めて勘付いたのだ。二人の関係が公に知られていない事に関して、二人とも目立つ存在なので、付き合ってるのが知れる事によって余計な噂が広がる事を避けるため、学園内ではあまり一緒にいないようにしているのではないか、と奏は推察をしていた。
そんな二人の関係がいきなり広まっているとは……? 奏は、まさか口の軽い響がうっかり漏らしてしまったのかと、話をしている女生徒達に視線を向ける。
「王子先輩はピアノの天才! 聖歌先輩はスイーツの天才!」
「まぁ、なんて素晴らしいカップルな・の! 憧れちゃうわぁ~!」
最初にその声を耳にした時から妙な感じを奏は受けていたのだが……最初の女性の声はいいとして、その後の妙に甲高い声、大人びた太めの声、そして最後の野太い声は何か?
そして、アリア学園女生徒の制服は着ているものの、妙にガタイのいい三人の姿……特に、頭部左右に突き出た髪と、顎の左右から突き出た……髭! を持ったその姿は……
「……って、セイレーンとトリオ・ザ・マイナー!?」
「きゃ~~~~~~ん、急に声かけられちゃってぇ、エレン困っちゃ~~~~う!」
「「「困っちゃ~~~~~~~うぅ!」」」
体を左右にいやいやと振りぶりっこポーズを取るセイレーンことエレンと、それに合わせて合唱を行うトリオ・ザ・マイナーの姿に、奏は怒りを一瞬で通り越して呆れの感情に包まれた。
「な、何やってるの……あなた達?」
「人と人の間に生まれる不協和音、悲しみの音色の気配があったらぁ、エレンはいつでもどこでも駆けつけちゃうの、キャピッ☆」
いつまでこの喋り方を続ける気なんだコイツは……と奏は通り越した怒りが再び沸き上がって来るのを感じて眉をピクつかせていた。今のセイレーンの話から考えれば、奏と聖歌……そして王子との三角関係によって生まれるであろう不和を嗅ぎつけてやって来たという事だろう。
プリキュアの力の源は心を重ねた時に生まれるハーモニーパワー。それを奪うべく、セイレーンは響達の関係に疑心を染み込ませ、仲間割れをさせようと暗躍した事が何度もあった。
しかし、そういった作戦も最近はしてこなかったように奏は感じていたのだが……
「私達のハーモニーパワーを奪おうとしたって無駄よ。あなた達が一体何をしようと……」
「喧嘩しても仲直り。むしろ前よりとっても素敵な仲になる! それは何度も見せられたけどぉ、今回はそれでなんとかなるのかしら。エレン興味津々!」
星を浮かべたように目を輝かせて、エレンは奏に向けて頭を横に傾ける。そのエレンの言葉を聞いて奏は「う……」と言葉を詰まらせた。
今まで、奏や響達との間で生まれていた関係の不和は、自分の気持ちを押し込めてそのままにしたり、相手のことをよく理解しないままでいたりといった対話の不十分さが生んだものだった。
だが……今回の事は。今回の奏と聖歌の問題は……対話をしたとして、果たしてそれで解決する問題なのだろうか?
「ほろ苦い初恋の記憶……私にも覚えがあります」
「えっ、そうなんですかぁ!?」
「んもう、私も素敵な人とおつき合いしたいわぁ~~~」
しみじみと語るバリトンを意外そうに見るファルセット。そしてその後のバスドラの相変わらずの女言葉に、エレンも含む一同はどん引きしていた。
「……こほん。さあ……アンタはどうするのかしらね? 友達から恋人を奪い取る? それとも、友達が大事だから恋を諦める? どっちにしてもハーモニーパワーなんて生まれそうにないけどねえ? アンタ達と次に戦う時、一体どうなるか、楽しみにさせてもらうわ!」
「それでは! いい加減この格好も恥ずかしいのでこの辺で!」
「ちょっとクセになっちゃうか・も!」
「それマジで言ってるんですか……」
言いたい事だけ言って、セイレーン達マイナーランド一同はさっさとどこかへ去って行ってしまった。
自分の恋心をネタにされて煽られ、奏は怒りを爆発させなくてはいけない所……のはずだったのだが、今の奏には怒る気力もない。むしろ、セイレーンらの言うとおりだとすら奏は思った。
王子の事を諦めても、諦めなくても、聖歌との間にわだかまりを残す形になるのではないか……奏は足下がぐらつくような感覚を覚えて額を押さえる。
説教臭いと響から言われる事もあるほど、奏は正義感が強い。だが今の奏には、何が正しい事なのかが分からない。困難が目の前にあったとしても、信じ抜けると思えるものがあれば進めるのに……今はその「信じられるもの」が何なのか、奏には見いだす事が出来ないのだ。
力も覇気もなく学校を去っていく奏の姿。それを校舎側から見届けている者がいた。和音だ。
和音は、落ち込んだ様子の奏の姿を確認しながらも、その後を追うような事はしなかった。
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「ハニャ~、疲れたニャ~。聖歌の言う通りに、メイジャーランドから色々持ってきたのニャ」
「お疲れさま、ハミィ。それにしても、凄い量ね」
部活が終わった後の調理実習室で、聖歌とハミィは向かい合っていた。今日はもう既にスイーツの類は片づけられており、二人が挟んでいる机には、様々な小物が風呂敷の上に雑然と並べられている。
それらの物品は、セイレーンに関わるものだと、ざっと見ただけでも分かる。セイレーンが音楽堂らしき場所で歌っている絵、誇らしげな表情をしたセイレーンの彫像……どうやらそれは、セイレーンが歌姫だった時代を象徴する物品の数々だったようだ。以前の戦いでセイレーンが残していったリコーダーもついでのように置かれている。
「メイジャーランドにも、写真のような技術があるのね……これは何かしら?」
メイジャーランド産の”写真”を物珍しそうに見ていた聖歌が、机の上に置いてあった小物の一つを手に取る。電球の球体部分が宝石に置き換わったような形状のそれに、聖歌はなんとなく見覚えがあった。
「これ……まるでフェアリートーンみたい」
「こっちで言う、レコードやCDみたいなものニャ! キュアモジューレでも再生が出来るはずだニャ」
聖歌はポーチからキュアモジューレを取り出し、その小物をセットする。少しの間の後、キュアモジューレから音楽があふれ出す。
聖歌には聞き覚えがある歌声が音楽に乗せられる。何度となく聞いた、セイレーンの歌声。しかし聞こえてくるその歌は、聖歌達が今まで聞いてきたような悲しみを込めたものではなく、心に安らぎを与える暖かみを持ったものだった。
その音楽と歌声に聞き入っているハミィに聖歌は視線を向ける。
「これが……本来のセイレーンの歌なのね」
「そうだニャ。セイレーンはすっごく歌が上手で、みんなの憧れの的だったニャ!……だから、セイレーンは皆に慕われていて、親友も沢山居た…………とハミィは思ってたニャ」
落ち込んだ様子で顔を下げるハミィを見て、聖歌は写真の中の一枚を取り上げる。自信満々といった風なセイレーンを中心に、他の歌の妖精達――聖歌には猫にしか見えないのだが――が脇を固めている。
一見するとセイレーンとその友人達が集まった写真なのだが、聖歌には一目で分かった。まるで縄張りを誇示するように周囲を突き放す表情を見せるその取り巻き達が、セイレーンの親友などではなく、セイレーンの”歌姫という立場”にすり寄って来ている者達であろう事が。
聖歌には、そういう人種によく覚えがある。「スイーツ姫」という肩書きにすり寄ってくる者達、そして、「学園のアイドル」である王子正宗にすり寄って来る者達……
「ハミィは、セイレーンがずぅっと憧れだったニャ。だから、セイレーンみたいな歌姫になりたいって、ただただそれだけを目標に頑張ったんだニャ。……それで、ハミィが歌姫になる事で、セイレーンを傷つける事になるなんて、そんな事、全然分かってなかったんだニャ……」
いつになく悲しそうな表情を見せるハミィに、聖歌は何度か感じていた一つの疑問を投げかける。
「……ハミィ。どうして、私にだけこの話を相談しに来たの?」
「聖歌は頭が良くて、いつも周りのみんなの事をよく見ているニャ。そんな聖歌なら、ハミィが、本当はどうすれば良かったのか……教えてくれるんじゃないかと思ったのニャ」
ギガトーンが誕生したあの日の戦い、セイレーンに再度の拒絶を受け、響達の絆の成長を見せられたあの日から、ハミィは自分とセイレーンの関係をずっと考え続けていた。考えた末に、ハミィは聖歌に相談を持ちかける事に決めた。
「ハミィは、セイレーンから歌姫を奪いたいなんて思っていなかったのニャ。だから、セイレーンに歌姫を譲ってもいいって……でも、そう言ったらセイレーンはすっごく怒ったニャ。ハミィが……最初から歌姫になんてならなければ、セイレーンを悲しませる事も、怒らせる事もなかったのかニャ……」
聖歌は、再び机に広げられたセイレーンの栄光の象徴の数々に視線を落とす。これらの、セイレーンの過去を示す物品をメイジャーランドから持ってくるようハミィに要請したのは聖歌だった。
セイレーンの関係をなんとかしたい、というハミィの相談に、何かしらの答えを出すためには、セイレーンの過去とハミィとの関係をきちんと知らなければいけないと聖歌は考えたためだ。
聖歌はそれらの物品から読みとれる情報と、ハミィの話を頭の中で統合し、口を開く。
「セイレーンが自分の生き方を曲げてマイナーランドに行ってしまったのは、歌姫の座から転落したからなのは間違いないでしょうね……ただ、それは彼女自身が自分の挫折とどう向き合ったかの問題であって、ハミィのせいという訳ではないはずよ」
「でも、でも……ハミィはセイレーンを悲しませたくなかったのニャ」
聖歌の言葉に、ハミィは納得は出来ても、素直にそれを受け入れる事は出来ない様子だった。形式上の説得が簡単に通るとは、聖歌自身も思ってはいない。
「確かに、ハミィは歌姫になる事でセイレーンを傷つけてしまったのかもしれない。…………でも、それがあらかじめ分かっていたとして……セイレーンのためだからと、ハミィが歌姫になる目標を諦める事が、本当にいい事だと思う?」
「…………ハミィには、分からないのニャ」
聖歌は、両手を胸の上で重ねて、さらに続ける。その表情には、少し悲痛な色が混じっていた。
「相手のためを想うからと、自分の望むものを捨てるのは、私は……私は、違うと思う。相手と何かを奪い合う形になったとしても……相手を想うからこそ、それを諦めず、正面から自分の望む事をぶつけ合える…………それが、本当の親友というものなんじゃないかしら」
「だから、奏にもあんな事を言ったのかニャ?」
自分を見上げて放たれるハミィの鋭い言葉に、聖歌は自嘲気味のため息をつく。
「……見てたのね。あの時の事」
「聖歌は、奏の事を本当に大切な親友だと思ってるから、だから……奏の事を想うから、あんな事を言ったのニャ?」
今度は聖歌の方が寂しそうな表情を浮かべ、ゆっくりと頭を振る。
「ううん、あれはやっぱり……自分のためかも。……相手のため、自分のため……難しいわよね。相手のためを思って行った事が結局は自分のためだったり、自分のためと思っての行動が相手のためになったり…………私も、今やっている事が誰のためなのか、よく分からないでいるの」
伏し目がちにぽつりぽつりと語り続ける聖歌。
「ハミィは、セイレーンと本当の親友になりたいと思って、それでずっと、仲良くなれる方法を考えたニャ。……でもそれも、ハミィのためでしかないのかニャ……」
聖歌とハミィ、二人で窓の外の黄昏れの景色を眺める。
しかし、しんみりとしたその場の空気を、ガラガラと扉を開く音が破った。
「おっ邪魔しまっ~~~~す! こんにちは、聖歌先輩! あれ、ハミィもいる」
「ハニャ? 和音だニャ」
「あら和音、どうしたの?」
部活動終了後にわざわざ部室を訪ねて来る者など多くはない。突然の和音の登場に、ハミィも聖歌も不思議そうな顔を浮かべている。
「いやね、さっき、校門の所で奏を見かけたんですよ」
「…………! 奏の様子、どうだった……?」
不安そうな顔を浮かべる聖歌を見て、和音はえ~と、とどう答えるか迷う様子を見せながらぽりぽりと頬を掻く。
「うん、まあ……落ち込んでました。凄く」
「そう……よね…………」
和音の一言で、聖歌もまた深く落ち込んだような表情になる。
「奏、たぶん……聖歌先輩と話したんですよね。王子先輩とのこと」
「やはり、もう皆も知っていたのね。ごめんなさい、和音……この事については……」
聖歌の言葉を和音は皆まで言うな、といった風に片手で制す。和音の顔には、いつもと変わらぬほがらかな笑みが浮かんでいた。
「聖歌先輩、わたしも響も、恋愛の事なんてよく分かんないし……それに、奏と聖歌先輩との事だから、口出しするつもりはないです。ただ……」
一区切り入れて改めて聖歌の事を見据える和音。
「奏、今は落ち込んでいるけど、きっと、自分なりの答えを持ってまた聖歌先輩の所に来ると思うんです。だから……その時は、奏の気持ち、ちゃんと受け止めてあげてください。聖歌先輩」
「…………和音。……ええ、分かったわ」
和音の言葉を聞き届けて、聖歌の顔にも柔らかな笑みが戻って来る。
そして、ハミィの表情からもまた、暗い影が薄らぎ始めているようだった。
「自分なりの答え…………ハミィの、答え……」
ハミィは窓の外の景色を見上げ、そして、友の事を想った。
---
「はぁ…………」
しらべの館中央ホールの観客席に腰掛けながら、奏は何度目かも分からないため息をついていた。
目の前では響がピアノ演奏を続けているのだが、奏の耳にはその音色も届いていないらしい。演奏が終わっても奏は反応らしい反応も示さなかった。
「奏…………」
今、このホール内には響と奏の二人しかいない。
いつもこの場に居る響を中心に、集まったメンバーで音を合わせるのがしらべの館での暗黙の了解だったが、奏は今日この場に来てから、ずっと物思いにふけって溜息をつくばかりで、もはや備え付けの状態になったドラムセットに触りもしていない。
響はそんな奏とドラムセットを交互に見比べ、腕を組んでう~んとしばらく悩んだ後……結局考えが纏まらなかったようで、髪をわしゃわしゃとかきむしった。
「奏!……奏ってば!」
「…………えっ!? 何か言った?」
耳元で呼ばれてようやく響が自分の事を呼んでいたという事に気づいた奏。普段の彼女ならば、ここで「耳元で怒鳴らないでよ!」とでも返していただろうが、呼ばれて意識を覚醒させた後も、奏は惚けた様子で響を見ているだけ。
そんな奏の様子に、またも頭を掻いて悩んだ様子の響だったが、意を決して口を開いた。
「奏、久しぶりに……ピアノの連弾してみない?」
「えっ…………連弾を……どうして?」
「今さ、ここにはわたしと奏の二人しかいないでしょ。なんだか懐かしいと思って。……ここ最近はずっと別々の楽器で音合わせしてきたけど、久しぶりに一緒にピアノ演奏してみるのも楽しそうじゃない?」
「ええと……じゃあ、まあ、いいけど」
奏にはらしくない曖昧な返事だったが、無気力に拒絶される可能性も考えていたので、響はとりあえずその返事で良しとして、奏をピアノの席へと誘導する。
「昔やってた曲とは違うけど、出来るよね? 奏がリズムパートで、わたしがメロディパートね」
「う、うん…………」
若干強引に響が場を進め、演奏開始を促す。奏が刻むリズムに響がメロディを乗せる形なのだが、やはり奏は曲に集中し切れていない様子で、しかも慣れない曲であるため少したどたどしい演奏だ。
しかし、響のメロディ演奏は、最初こそ奏のテンポに合わせた速度だったが、少しずつその速度を速めていく。
だが、奏が戸惑ったり、慌てたりするような事は無かった。響の演奏は一人で駆け抜けようとするものではなく、おぼつかない奏の演奏を立て直させるリードのためのものだったからだ。
最初は自分の演奏速度に合わせた、そこから段々とテンポを上げていく響の演奏に知らず知らずのうちに引っ張られるうち、奏の演奏は地に足を着けたものとなり、その意識も演奏へと集中していく。
(この感じ…………本当に、懐かしいな、あの時以来の連弾)
奏の脳裏に浮かぶのは、聖歌や和音と二人がぶつかり合ったあの時の事。あの頃から、変わったものもある。そして……変わらないものも。
あの時、二人が音楽への気持ちを確かめるきっかけとなった演奏……「楽譜無き演奏」を行うよう言ったのは奏だった。そして、あの時はお互いがお互いの演奏を支え合う形だったが、今は響の演奏が奏を導いている。
奏は自分の周囲に、白く輝く世界が広がっていくのを感じていた。
穏やかで、暖かい光。それに包まれながら、その世界で奏は響に手を引かれてゆっくりと前に進んでいく。
(そうだ、あの時…………)
演奏に身をゆだねながら……響に引かれながら。遡っていくように当時の記憶が蘇っていく。あの楽譜無き連弾を奏が行おうとしたきっかけ、それは……
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「……ありがとう、響。なんだかピアノの演奏に集中してたら、もやもやした気持ち、吹っ飛んじゃったかも」
「そっか、良かったぁ。奏、ずっと悩んでるみたいだったし。……答え、見つかった?」
「それは………まだ、分からないかな」
目を伏せる。奏は演奏前と違って穏やかな表情は見せていたが、まだ心の中で整理がついていない様子だった。
「奏ってさ、わたしが中途半端な事しそうになると、いつもビシッと叱ってくれたよね」
響の言葉に奏が顔を上げた。
「でもさ、聖歌先輩と王子先輩の事、それに気を取られちゃったら……スイーツコンテスト、中途半端な気持ちのまま終わっちゃうかもしれないよ」
「そう……よね」
響に向けていた視線を逸らし、神妙な面持ちになる奏。しかし、今度は視線を下には向けていなかった。
「わたしはヤだな。奏が何かを中途半端で終わらせちゃうの」
ピアノの椅子に座ったまま、まっすぐ前を見据えて微動だにしない奏。
やがて、ふっと一息漏らし、晴れやかな表情で響に向き直る。
「まさか、響に教えられる事になるなんてね」
「え~! まさか、ってなによ、まさかって!」
奏の言葉に不服そうに口を膨らませる響。しかし、両者の間に険悪なムードはない。響も、奏が本気で挑発的な言葉を言ったとは思っていない。
奏は顔を綻ばせ、改めて響に口を開いた。
「……本当に、ありがとう」
「奏。……うん」
見つめ合う二人の間には確かな信頼関係があった。その二人の関係を繋いできたのは、二人が前にしているピアノだ。
響と奏の関係を。二人と和音と聖歌の関係を。絆を繋いできたピアノと演奏。それが今また、進むべき道を迷う奏の道標となった。
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次の日の放課後。奏は、今度は偶発的な流れでなく、自らの意思でその場所にやって来た。
音楽室からはピアノの音色が漏れ出している。奏はドアの前に立ち、その小窓から、演奏者の姿を見据える。王子正宗。
真剣に、情熱的に、目の前の演奏に集中している王子。奏は黙ってその旋律に耳を傾ける。
演奏が終わり、ピアノの前で動きを止める王子。しかしそれは、一息ついているという訳ではなさそうだった。真剣な表情。しかしそこからは、ただの真剣さだけではなく、苦悩や迷いのような感情も漏れ出ている。
表情に現れている感情はごく僅かだったが、ただそれだけであっても、普段のさわやかで優雅な雰囲気の王子からはかけ離れた印象を与える。
奏は思い出す。聖歌と話している時、演奏会が近いと話していた事を。その演奏会に向けて練習する中で、自分自身で納得できていない所があるのだろう。普段王子が他人に見せない必死さが顔に現れている。
奏の知らない、王子の別の一面。
――違う。知っていたはずだ。
『ちょっとピアノの演奏練習で行き詰っちゃってね、気分転換に来たんだ』
奏は響との演奏の中で思い出した。ネガビートとネガシンフォニーに苦しめられ、道を見失いかけていた時。二人が立ち直るきっかけとなった楽譜なき連弾。
『そんな時は……やっぱり、ピアノを弾くよ。ただ……何も考えずに』
『そう。練習だとか、自分の将来だとか……そんな事は一切考えずに、楽譜すらも見ずに、ただピアノを弾くんだ』
それを教えてくれたのは、王子だった。
『教えて下さっている北条先生はああ見えて音楽に対しては厳しいからね、自分には才能が無いんじゃないか……そんな風に思ってしまう事だってあるよ』
『何も考えず、指の動きに従って音を楽しんでいるとね、自分がピアノに対して本気で向き合おうと思った理由、音楽をする上で本当に大切な事を思い出せるような気がするんだ』
王子は決して完璧なだけの人間ではない。挫折も経験し、迷いも抱え、それでもピアノに向き合おうとしている人物だ。
それを……知っていたはずなのに。教えてもらったはずなのに。
奏はドアに片手を添える。今すぐドアを開けて、彼と話してみたい。彼の内に秘めた想いを、聞いてみたい。
だが、奏は扉を開け放つような事はしない。それは、彼の真剣さに泥を塗るような行為だ。それに……自分が今やるべき事は、それではない。
奏は音を立てないようゆっくり振り返り、音楽室を背にする。再び王子の演奏が背後で広がり、そして遠ざかっていく。
王子から楽譜なき演奏を教えてもらったのは、奏にとってとても大切な思い出だ。だが、奏が王子を意識するようになったのは、それがきっかけという訳ではない。
それに、王子が挫折や苦悩を抱える一人の人間だという一面を知っているからと言って、聖歌の言葉に、聖歌の真剣さに応えられるほど、自分は王子の事を知っているとは言えないと奏は思う。聖歌の知る王子と自分の知る王子とでは、その情報と想いの密度は全く違うはずだ。
『奏は、どうして王子くんの事が好きなのかしら』
その言葉には、まだ答えられない。自分の中の王子への気持ちに整理がついた訳でもない。
だけど。やるべき事は決まった。
王子の演奏を背に受けながら、奏は自分の向かうべき場所に歩みを進め始めた。
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「聖歌先輩」
スイーツ部の部室である家庭科室前に、あの時と同じように奏は待っていた。聖歌がやって来るのを。
奏のその真剣な表情を見て、聖歌は奏の待ち構えていた意味を察した様子で、穏やかながらも真剣な眼差しで奏を見つめる。
「どうしたの、奏」
聖歌の顔を真っすぐ見つめる奏。
「……聖歌先輩。今の私には、聖歌先輩の満足するような答えは出せません」
聖歌は、表情を変えず黙って奏の言葉を待っている。
「聖歌先輩の言う通りでした。私は……王子先輩の人気に群がっている人達と同じ。どうして王子先輩が好きなのかって、説明する事も出来ない」
一瞬、奏の目線がぶれる。奏の中にある迷いが、真っすぐ向き合う気持ちを揺るがせる。
「王子先輩と長い付き合いの聖歌先輩からしたら、そんな人……許せない、ですよね」
今度は聖歌の表情が揺らぐ。目が僅かに細くなり、何かを口にしようとして僅かに開き、しかしそれを紡ぐ事が出来ず、閉じるという事を繰り返す。やがて奏の方が先に言葉を形にした。
「……でも! 簡単に諦められる訳でもないんです! 自分の中で、くすぶってる気持ちがあって、本当に大切な時に、王子先輩に救われた事もあって。ただ憧れるだけじゃなく、あの人の事をもっと知りたいって気持ちがあって……」
まくし立てるように言葉を並べながら、自分でも言いたい事が纏まり切っていない事に奏は気づき、言葉を区切って息を吐く。
「王子先輩の事、今すぐに答えを出せる訳じゃないし、聖歌先輩と、簡単に同じ舞台に立てる訳でもないっていうのも、分かってます。だから……」
再び奏が聖歌を正面から見据える。今度は、気持ちを揺るがせない。
「今は……スイーツコンテストに、全力を尽くしたい。……答えを出せなくて、卑怯かもしれないですけど……聖歌先輩、今は、せめてスイーツコンテストが終わるまでは、私と一緒に……力を合わせてくれますか?」
奏の言葉を聞き終えて、聖歌の表情が僅かに、口元が僅かに緩んだ。
「そんなこと……聞かれるまでもないわ。こちらの方こそ、力を貸してくれるかしら、奏?」
「……はいっ!」
問題は、何一つとして解決していない。しかし、二人の事を薄っすらと覆っていた緊張の色は消え、二人共に自然な笑顔を浮かべる。
「……それに、聞きたかった言葉は、聞けたから」
部室へと入ろうと振り返った奏の後ろで、聖歌がポツリとつぶやく。
「えっ? 聖歌先輩、何か……」
「あっ、ううん、なんでもないの」
奏が振り向いて疑問を口にするが、聖歌は穏やかな表情で言葉を濁す。気まずい様子もなく、奏はそれ以上は深く気にせず部室のドアを開け、奏に続いて聖歌も部室へと入っていく。
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「じゃあ、制作スタート!」
アヤがトライアングルをチリ~ン、と鳴らし、スイーツ部の部員達がテキパキとそれぞれの担当作業を開始する。アヤはストップウォッチや、テーブルの上の役割分担やタイムスケジュールを纏めたメモとにらめっこしながら全体の動きを統括するタイムキーパーの役目を負っている。
それぞれが担当する部位や材料の製作を進め、土台の上にそれらを積み被せ、装飾を行っていく。やがて、一つの大きなケーキが組み上がる。
大きいとはいえ、それは本番用のケーキの半分以下のサイズ。予行演習としてスケールを縮小したバージョンのケーキを作り、問題点を洗い出すのがその日の目標だった。
タイムキーパーのアヤはそれぞれのメンバーの作業工程の終了時間を全て逐一メモしている。実際の大会用のケーキとはサイズが違い、制作時間にも大きな差があるとはいえ、想定された作業時間と実際の時間のズレを見れば、本番を行う上での課題も見えてくる。
「……やっぱり、聖歌先輩の作業に余裕がないですね」
全員に見える範囲にメモを広げながらアヤが話している。他の部員の作業時間は誤差の範囲、もしくは作業内容が手に馴染めば解決する範囲のものだったが、聖歌の作業だけは時間を超過している上、それを切り詰める余裕がない。しかしそれは聖歌の力不足によるものではなく、むしろ逆の理由だった。
聖歌が主に担当するのは、テンパリング。チョコレートを溶かして固めるまでの温度調節。このケーキではチョコによる装飾が多数存在する。五線譜のライン。メレンゲ人形の音楽隊が持つ楽器。メレンゲ人形は材料としてあらかじめ作った状態で会場に持ち込む予定だったが、細かな楽器装飾は会場で作るチョコレート製にする必要がある。適切な温度調整をしつつ細かな装飾や造形を行うのは聖歌の技術が不可欠だった。
部員の中で手先が器用なケイコが、聖歌から教えてもらいながら全体の装飾担当として協力・分担を行っているが、難しい範囲は聖歌が行わなければいけない。
「装飾で時間を使って、更に味付けもするってなると、聖歌先輩の負担が大きすぎるわよね」
ケイコが懸念点を口にする。聖歌は他の部員の意見を聞きながら、メモに視線を落とし、自分の中での考えを纏めている。
「聖歌先輩、どうしますか? デザインや構造を見直すという手も……」
別の部員の言葉。皆の言葉を聞きながら、自分の中で思考を纏めた聖歌は顔を上げ、自身の考えと決断を話し始める。
「……いいえ。みんなには前にも言ったわよね。このスイーツコンテストには、スイーツ部の皆の力で結果を残したいって。私一人が全てをやればいいという事ではないの。だから……」
皆を見渡すように動かしていた聖歌の視線が、ある人物の所で留まる。その相手は奏。聖歌の視線によって部員の注目も集まるが、奏は動じる事はない。聖歌の視線と言葉の意図を、奏は既に理解していた。
「奏。味付けの担当はあなたに一任するわ。これを任せられるのは、あなた以外にいない」
奏と聖歌以外の部員が僅かに驚くしぐさを見せる。スイーツ作りで最も大事な部分を、聖歌ではなく奏が担当する。他の部員からするとそれはあまりにも大きな決断に思える。
しかし、それは聖歌からの、奏に対する信頼の証。
奏は沈黙の中で、聖歌からの信頼と、自分が抱える責任を全て受け止めた上で、静かに、そして力強く頷いた。
「……はい。任せてください、聖歌先輩!」
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それからも、スイーツコンテストに向けた練習と作業は続く。
スケールダウン版での分担作業の練習を繰り返しながら、メレンゲ人形などのあらかじめ材料として作っておける部分の製作、ケーキの段差を作るセパレータの準備、デザイン通りの構造が成立するかの検証、コンテストで長く見せておかなければいけない中で、常温環境下で崩れてしまわないか、味が落ちないかのテストなど、課題を一つずつクリアしていく。
また、それに平行して奏も味付けを完成させるために試行を繰り返していた。
ラッキースプーンの野外席で、いつものように試作品のケーキをアコに差し出す奏。アコはフォークで一部をすくい取って口に運ぶ。
黙って口の中で咀嚼し、味を確かめ、それを言葉にしようとして、アコは何度か戸惑った態度を見せる。表現の仕方に迷っている様子だ。
「悪く……ない」
迷った挙句に出てきた言葉に対し、隣に居た奏太が口を挟む。
「おいおい、そうじゃないだろ、アコ」
咎めるような言葉、しかしアコの気持ちを悟って後押しするようににこやかな表情を向ける奏太の顔を見て、アコが顔を赤くしながら、少し気恥ずかしそうに再び口を開く。
「……うん。…………おいしい」
自分の感情を素直に表現するのが苦手なアコ。そんなアコがようやくの形で賞賛の言葉を絞り出す。しかしそれは、何よりも嘘のない心の底からの気持ちの表れでもある。
アコの言葉を聞いて、奏の心に浮かんできたのは確かな実感。口は悪いが、感想に嘘は言わない彼女からこの言葉を引き出せたのは、奏にとってこれ以上ない成果だった。
「アコちゃん。……ありがとう!」
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検証と試行錯誤の繰り返しで精度と完成度を高めていき、ラッキースプーンのキッチンを借りた本番前の最終テストも完了。本番用の材料も出そろい、全ての事前準備が完了した事で、後はもうコンテスト当日を待つだけとなった。
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かのん町から電車で数駅。協賛の製菓専門学校にてスイーツコンテストは行われる事となる。
完成したスイーツの展示や品評が行われるホールに奏たちスイーツ部の面々が揃っていた。その広さと準備された設備、パティシエ界の著名人も含まれている審査員、準備スタッフが行き来する様子に、一同は緊張の面持ちで、コンテスト出場経験のある奏と聖歌も顔がやや強張っている。
スイーツ部に続いて入って来たのは、専用のキャリーバッグでこっそりとハミィを連れた響と、和音、奏太にアコ、南野夫婦だった。南野夫婦は、お店の営業車でスイーツ部が事前に準備した素材や材料の輸送も行って来た形で、他のメンバーはこれまでスイーツ部の活動を応援してきた面子であり、コンテストの結果を見届けるためにやって来ている。
「うわぁ~~、流石にしっかりした会場……なんだか緊張してきた~!」
「ちょっとちょっと、和音が緊張してどうするのよ!」
会場を見て身体を縦に揺らす和音にツッコミを入れる奏。そんな様子にスイーツ部の面々はくすくすと笑い声を上げ、先ほどまでに比べ緊張の糸が解けていく様子だった。
「でもコンテストって言うけど、他にもお店とか色々出てるんだな! まるでお祭りみたいだ」
「ええ、協賛企業の販売ブースもあるし、コンテスト参加者のスイーツ完成までにこのホールで色々イベントも催されるみたいよ」
会場を見てはしゃいでいる様子の奏太に、聖歌がイベントのパンフレットを差し出しながら説明する。奏太は受け取ったパンフレットを広げ、それを響や和音、アコが覗き込む。
「へぇ~、ただのコンテストじゃなくて、お祭りみたいな感じなんだ! う~ん、どれも美味しそうだけど……奏達のケーキが出来上がるまでは我慢我慢……」
パンフレットに華やかに配置されたスイーツの写真を見て、響は零れ落ちそうになったよだれを拭い、両手をグッと握って身を震わせる。
「う~、完成するのが待ちきれないよ~!」
「……今までは試作品と絵だけだったから、実際に出来上がったもの、私も見てみたい」
尚も欲求を静めるように身を震わせる響に、落ち着いた様子の中に僅かな期待の輝きを目に宿すアコ。
「期待してて。実物を見たら、きっとびっくりしちゃうから!」
「出来上がるまでは、会場のイベントを楽しんでいてね」
すっかり緊張もほぐれた様子の奏と聖歌。和気あいあいとした空気が周囲を包む中、一同に遅れる形で加わる者が一人居た。
「聖歌さん、皆さん、こんにちは」
「王子くん、来てくれたのね」
「当然さ。今日は聖歌さんや、スイーツ部のみんなにとって、大事な日だもの」
奏にとって……そして聖歌にとって……大切な相手、王子正宗。その姿を確認して、奏の心臓が跳ねる。憧れの相手である彼を目の当たりにしたこと、そして、聖歌との関係を考えて。
――彼は、スイーツ部の応援に来てくれたのだろうか。それとも聖歌の……聖歌個人に対しての……
頭の中で思考がねじれを生みそうになった時、奏はそれを意識の外に追いやった。あの時二人が語っていた”約束”、それがいかなるものだとしても、王子がこのコンテストに来ることは分かり切っていた事だ。
今日というこの日を、スイーツ部と共に踏みしめてきた歩みを、自分の迷いで台無しにする訳にはいかない。それは、聖歌に対しても、そして王子に対しても失礼な事だ。そんな事をしたら……いよいよ王子に顔向けも出来なくなる。今の奏の心に迷いは無かった。
「南野さんも、今日は頑張って」
「王子先輩。……はい、ありがとうございます!」
顔を赤くする事もなく、呂律が回らなくなる事もなく、明瞭な言葉を返す奏。聖歌はそんな様を横目で見ながら……確かな信頼をその視線に込めていた。
「そうそう、完成品が出来上がる頃には、女子サッカー部のみんなも来てくれるって!」
王子の到着で思い出したのか、和音は自身の部の仲間達も応援に駆けつけてくれる事を告げる。
「本当に、色んな人達が応援してくれてるんだねぇ。パパも嬉しいよ」
「奏、スイーツ部の皆さん、今日は頑張ってくださいね」
南野夫妻の言葉を受けて、ここに居る皆、そして後から駆けつけてくれるという女子サッカー部の面々、自分達を支えてくれる人々の存在を受け止めて、スイーツ部の皆は一斉に「はい!」と声を上げた。
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開会式が終わり、それぞれのチームが調理を開始する。アリア学園スイーツ部の面々も、割り当てられたキッチンに入り、いよいよ調理本番が開始しようとしていた。ここから先は、女子スイーツ部七名、その七名のみの力で全ての作業を進める事になる。
これまでの練習と同じように、アヤがトライアングルを持ち上げて開始の合図をしようとしていたが、聖歌が片手を上げてそれを制止する。
「ねぇ、奏。あれ、みんなでやってみない?」
「あれって……」
「本番だもの。”気合い”、入れていきましょうよ」
聖歌の言葉に最初はピンと来なかった様子の奏だったが、聖歌の口にしたキーワードによって、奏自身も、他のメンバーもその意図に気付く。
じゃあ、と一呼吸置いた後、奏はみんなに声掛けを行う。
「せ~の!」
「「「「「「「気合のレシピ、見せてあげるわ!」」」」」」」
ハモッた掛け声に合わせ、アヤのトライアングルがチリ~ン、とキッチン内に鳴り響いた。
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これまでの練習と検証の繰り返しにより、洗練され完成された作業工程を各スイーツ部メンバーがこなしていく。
焼き上がったスポンジの形を調整して、持ち込んだプレートに並べて接着していき土台を作る。
奏はスポンジ表面に塗布するもの、絞り用、接着用といった用途に応じたクリームを作り、味と硬さを調節。聖歌はチョコの温度管理を行いながら、スポンジ表面にクリームを塗るナッペ作業、チョコによる五線譜ラインの描き込み、メレンゲ人形に持たせる細かなチョコ細工など、彼女の技術が必須となる重要工程を進めていく。特に、巨大なケーキの表面を覆うナッペ作業は芸術的とも言えるほどの手際で、リハーサルの際にも見ていたはずなのに、各メンバーはスポンジに乱れの無い白い膜が形成される様に釘付けになり、息を呑むほどだった。
ケイコはこれまで部の皆で少しづつ作り続けていたメレンゲ人形の配置、五線譜の上に張り付ける音符マーク、簡単めなチョコ細工の作成など装飾全体のチェック、アヤは材料や道具の管理と時間経過ごとの作業のチェック、全体の調整を行うタイムキーパー作業を行い、他のメンバーもそれぞれの作業を進める。
「あっ!?」
作業が進む中、ケイコがメレンゲ人形をロイヤルアイシングで接着して配置していた時、固定されていたはずのメレンゲ人形の一体がポロリと転んでそのままケーキの縁から落下、人形が砕けてしまう。
アヤが駆け寄って砕けた人形を確認する。クリップボードに挟んだ用紙の中から、メレンゲ人形の数量について書かれた部分の情報を書き換える。
「大丈夫。予備はちゃんと用意してあるもの」
「アイシングの乾きがいつもより遅かったみたい」
「そういえば、ちょっと暑いかも……」
奏の分析に、ケイコがハンカチで汗をぬぐう。それは会場の熱気のせいか、コンテストの興奮で皆の体温も上がっているせいか。
「アイシングを調整して固練りにしましょう。それと、人形の底面を平らに削って安定感を高めるよう作業をお願い」
聖歌は即座に対応策を考え指示を出す。アヤが破損した分のメレンゲ人形を補充し、ケイコも聖歌の指示を受け人形配置のやり方を変え対応していく。これまでの練習の中で、土壇場のアクシデントへの対応策を幾重にも考えた成果が出ていた。
それからも、少々のトラブルがありながらも、スイーツ部の面々は聖歌を中心に団結して対応していき、そしてついに、スイーツ部の一年の活動の結晶、皆の活動を象徴とする特大ケーキが完成した。
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「あっ、あれ、奏達のケーキじゃない!?」
しばらくの間、ホールでの催し物を楽しんでいた一同だったが、響の言葉に釣られて皆が振り返る。
視線の先には、コンテスト側で用意された専用台車で運ばれる特大ケーキとそれを運ぶスイーツ部の一同の存在があった。
慎重かつ的確な動きで、自分たちの展示位置にケーキを配置するスイーツ部。そこに響達応援に来ていた皆が殺到する。既に女子サッカー部の面々も揃っていて、かなりの大所帯となっている。
「す、すっげえ……」
「………………」
奏太が何か言おうとして、しかし言葉にならないといった感じで口を開く。隣に居るアコも、その光景を目の当たりにして、自分の中の感情を上手く言葉に出来ない様子で、小さく口を開いて見入っていた。
円周に走る五線譜の上を踊るように配置された音符の列。一階と二階それぞれの天板部分には多種多様な楽器を構えたメレンゲ人形が周囲に音を鳴り響かせるように配置されており、柱で上下を分断する中央部にはピアノを演奏する人形が配置されている。
「なんだか、ケーキなのに、中から音楽が聞こえてくるみたい……」
響が言うように、そこに佇むケーキはただの食べ物のはずなのに、今にも音楽が鳴り響いて来そうな躍動感があった。響の耳には、いや心には、無数の音楽が駆け巡っている。これまで、仲間達と奏でてきた音楽が。『スイートオブスイーツ』……お菓子としての甘さの中に、音楽がある。
「これまでの、みんなの歩みがここに詰まってるんだ……」
和音がつぶやく。スイーツ部だけでなく、響や和音も、このスイーツコンテストに向けた奏達の活動を共に追いかけてきた。スイーツ部の活動と響達四人のアンサンブルは別々の活動だったのに、それがいつの間にか合流し、絡み合い、影響し合って、協力し合って今日という日がある。
ケーキとしてそこに存在していたのは、スイーツ部の調和の結晶であり、スイーツと音楽の調和の形でもあった。
「これは、スイーツという形での君達のアンサンブルなんだね。本当に……素晴らしいよ」
王子が感嘆の声を漏らす。集まっていた女子サッカー部の面々も口々に感想を話し、皆の賞賛の言葉にスイーツ部の面々は恥ずかしがる者もいれば、誇らしげに胸を張る者もいた。
「王子くん。みんな。ありがとう。これは、スイーツ部のみんなで作り上げたもの。でも、今まで応援や協力をしてくれたみんなのおかげで出来たものでもあるのよ」
「ふふっ、響や和音が食欲を忘れちゃうなんてね。試食用に用意してあるものもあるから、後で食べていってね」
女子サッカー部のメンバーを中心に「おおー!」「楽しみ!」といった歓声が上がる。
(みんなで力を合わせた、結晶)
響はもちろんケーキ作りに関わっている訳ではない。しかし、自分の存在が、このケーキの完成に少しでもいい影響を与えていたらいいな、と考えていた。
響の提げるキャリーバッグ。その蓋を押し上げて、こっそりハミィも完成したケーキを見上げていた。
「ハニャ~。本当にすごいニャ。まるでメイジャーランドの宮殿みたいだニャ」
「おい、会場に猫が紛れ込んでるぞ!」
突如ホールに響いた声によって、ハミィと響は大慌てになり、響はすかさずキャリーバッグの蓋を押し下げる。しかし、声の方を見ると、発言主であるホールスタッフは響達の方は見ていない。
ほっと安心したのは束の間で、響と奏、和音と聖歌の四名は、スタッフが見ている対象を理解して表情を一変させる。スタッフの視線の先には場違いな服を着た三人の男……の一人の頭の上で試供品のスイーツを頬張っている紺色の猫のシルエット。
「ふぅ~ん、こういうのも意外と悪くないじゃない。……ま、あたしはもっとビターな味の方が好みだけど」
「セイレーン!」
「それに、トリオ・ザ・マイナー!」
響と和音が招かれざる珍客に声を上げる。並んで立っていた男達はトリオ・ザ・マイナー。その内の一人、ファルセットの頭上にセイレーンが乗っかっている。
「あなた達、何をしに来たのよ!」
奏が警戒心を強くして叫ぶ。聖歌も身構えてトリオとセイレーンを睨んでいる。
「なぁ~に、あたし達もアンタ達の立派なスイーツの完成をお祝いに来たのよ」
「おめでとう~~~~~~♪」「おめでとう~~~~~~♪」「おめでとう~~~~~~♪」
「「「完成、おめでとう~~~~~~~~~♪」」」
トリオ・ザ・マイナーが賞賛のコーラスを響かせるが、それを素直に受け取れる響達ではなかった。当然ながら、セイレーン側もその反応は織り込み済み。
「あたしのために不幸の下ごしらえをしてくれてご苦労さん。アンタ達が積み重ねてきた努力もこれで全部水の泡」
「セイレーン、やめるのニャ!」
トリオ・ザ・マイナーの一人、バスドラが音符を一つつまみ上げている事に気付き、我慢できずハミィがキャリーバッグから飛び出して制止させようとするが、セイレーンはその姿を一瞥するだけで、その行動も言葉も止める事はなかった。
「いでよ、ギガトーーーーーン!」
音符がセイレーンのネックレス・チャームによって増幅された声に反応し、スイーツ部の特大ケーキへと飛び込んでいき、ケーキと融合して共に姿を変えていく。
「ギ・ギ・ギ……………………ギ~~~~~~ガトーーーーーーーーーーン!」
仲間達の想いの結晶であったケーキが歪んだ音の怪物へと変貌し、ホール内にその威圧的な巨体を現した。悲鳴と共に一斉に混乱が始まる。
「そ、そんな……!」
「あたし達スイーツ部の、ケーキが……」
ケイコとアヤが悲痛な表情を浮かべる。他のスイーツ部のメンバーも同様だ。悲しみと心の痛みに顔を歪ませていたのは奏や聖歌も同じだったが、悲しみに沈む気持ちを追いやって、奏は行動を開始する。
「お父さん、お母さん、みんなを避難させて!」
「あ、ああ……だけど……」
「奏、あなたはどうするの!?」
奏は両親に皆の先導を頼むが、二人は娘の事を心配して足が止まる。
「コンテストに参加している皆のスイーツを守らないと!」
「皆さん!スイーツをキッチンに!」
奏と聖歌がすでに展示されている完成品のスイーツの製作者に声をかけ、その退避に協力し始める。
「お、おい、ねーちゃん!」
「聞いてたでしょ、ほら、奏太も早く!」
アコが何か言いたそうな奏太の手を取って出入り口まで引っ張っていく。南野夫婦は尚も躊躇している様子だったが、響や和音が「大丈夫です、すぐに追いかけてきますから!」と説得して共に避難誘導へと向かう。
「ふふん。さぁて、最後の一味を加えるとしましょうか。……ギガトーン!」
セイレーンの指示を受けてキィキィと不快な音を発しながら佇んでいたギガトーンが動き始める。
「ま、まずい……!」
振り返って奏が焦りの表情を浮かべる。皆がいる中では変身が出来ない。しかしこのままではギガトーンが破壊の音を周囲に放ってしまう……しかし、奏達の焦りとは裏腹に、ギガトーンが行ったのは破壊の音を発する事ではなかった。
「皆さん! 早く外に!」
ギガトーンが、セイレーンが狙いをつけていたのはホール内の一点。最後まで中に残って人々を外に誘導しようとしていた男、王子の姿。
「う、うわっ!」
「……っ、王子くん!?」
ギガトーンがズシン、ズシンと床を揺らしながら王子に歩み寄り、その身体を片手で掴み上げる。そして、上下段を分ける支柱によって出来た空間に王子を放り込んだ。
「う、うああああああっ!…………あ、ぁぁ……」
王子が入り込むと、支柱が狭まってまるで檻に囚われたような状態となる王子。破壊の音を宿すギガトーンに接触した状態となった王子は破壊の音の力が全身に電撃のように走り、やがてギガトーンの檻の中で意識を失い、支柱に身体を預けるようにへたり込む。
「オーーーーホッホッホ! さしずめ囚われの王子様、って所かしらねえ? さあ、アンタ達は愛しの王子様を、取り戻す事は出来るのかしら?」
皮肉な事に、ギガトーンが王子を狙って行動した事で、ホールから人々が避難する時間が確保できた。コンテストの参加メンバーも、自分達のスイーツをキッチン側に退避させ、ホール内には避難を呼びかけて中に残っていた響達四名とハミィが残っている。
「私達のコンテスト……私達の想いが籠ったケーキ……」
「それを、台無しにするなんて……」
「「「「……絶対に許さない!」」」」
「ドドッ!」「レレッ!」「ララッ!」「ドドーッ!」
聖歌と奏の怒りの言葉に続いて四人がハモッた声を発し、それに呼応して桃・白・青・紫の四色のフェアリートーンが飛び出す。四人それぞれが構えたキュアモジューレにフェアリートーンが合体し、四人の姿が光に包まれていく。
「「「「レッツプレイ! プリキュア・モジュレーション!」」」」
フェアリートーンとハーモニーパワーが形作る音の力の奔流が四人の身体を包み、華やかで力強い、プリキュアとしての衣装を形作っていく。
「爪弾くは荒ぶる調べ! キュアメロディ!」
「爪弾くはたおやかな調べ! キュアリズム!」
「爪弾くはほとばしる調べ! キュアビート!」
「爪弾くは煌めく調べ! キュアシンフォニー!」
「「「「届け! 四人の組曲! スイートプリキュア!」」」」
光が溶け、中から浮かび上がった四人の音の戦士が、声を合わせて変身完了を宣言した。
四人がケーキのギガトーンを見上げて鋭く睨む。この状況に怒りを感じているのは皆同じだ。だが、その中でも、奏――リズムと聖歌――シンフォニーは特に表情が険しくなっている。
「王子先輩を……離しなさい!」
リズムがギガトーンへ向け駆け出していき、メロディもそれに続く。
「チューニング1! ブラストトランパー!」
「ビートソニック!」
シンフォニーが自身の武器であるシャイニングトランパーを吹き鳴らして音の突風を放ち、同じくビートもラブギターロッドを弾き鳴らして音符の矢を無数に放つ。
「ギッ、ガッ!」
ギガトーンは突風と無数の矢の攻撃を両腕をクロスさせて防御する。命中した場所で爆風が起こるが、ギガトーンの身体はよろめく様子もなく、大したダメージにはなっていない。しかし、相手が防御態勢を取った隙に、メロディとリズムは飛び上がり、目標へ向け降下していく。檻に囚われた王子の元へ。
「…………えっ!?」
「な、なに!?」
ケーキ下段の天板部分を着地点として目指していたリズムとメロディだったが、足場として見据えていた面に配置されたメレンゲ人形の楽団が一斉に二人の方に向き、ギガトーンと同じ鋭い目をギラつかせる。そして、メレンゲ人形の楽団達がそれぞれの楽器から一斉に破壊の音の力を光線のように発する。
「そ、そんな! …………きゃあああああ!」
「うあああああ!」
自由落下中で無防備だったリズムとメロディに無数の破壊の音の光線が集中し、弾き飛ばされて床に向け落下する。一つ一つは威力の低い攻撃だったが、小さくとも破壊の音の威力は鋭い針のように二人の身体を突き刺す。
「オ~ッホッホ! アンタ達が気合を入れて作ってくれたおかげで、ギガトーンもと~っても強力な出来栄えになっちゃったわねぇ?」
ファルセットの頭の上で得意げに語るセイレーン。そんな様子を、遠くからハミィが見つめている。その表情は鋭くはなく、いつものハミィの顔ではあったが、奥底にある強い気持ちが漏れ出ているような、そんな緊張感がにじむ顔でもあった。
「ギッ、ギギギギギィ~~~~~~~~~!!!」
ギガトーンが骨格の羽を振動させ、周囲に破壊の音を放射する。たまらず距離を取る四人。
「う……うあああああぁぁぁぁぁぁっ!」
「……っ! 王子くん!?」
奇怪で不快なギガトーンの音波攻撃に混じって、王子の苦痛に満ちた叫びが響く。王子は破壊の音を発するギガトーンの中心に居る。プリキュア以上に今、危険に晒されているのは彼なのだ。
「まずい、このままじゃ王子先輩が!」
「とにかく、まずは王子先輩を助け出さないと!」
ビートとメロディが焦りの色を見せながら言う。焦っているのはリズムもシンフォニーも同じ、いやそれ以上の焦燥が表情に浮かんでいる。
リズムは捕らわれた王子とシンフォニーの間で視線を行き来させ、決意を込めた表情で口を開く。
「シンフォニー、あなたが……」
「リズム、あなたが行って」
リズムの言葉を遮るようなシンフォニーの声に、「えっ?」と驚くリズム。シンフォニーはリズムに顔を向け、不安を抱えながらも、相手に信頼を寄せた表情を見せる。
「私は、サポートの方が向いているから。……お願い。王子くんを……助けてあげて」
「…………分かりました。王子先輩は私が、必ず助け出します!」
リズムは、自分だけでなく、シンフォニーの……聖歌の王子への想いも共に背負う覚悟を決めた。
プリキュアの四人がフォーメーションを組む。先頭のリズムを中心に、メロディとシンフォニーが左右に、ビートが後ろに立つ。
「チューニング2! アレグロ・コン・ブリオ!」
「行くよ、みんな、サポートお願い!」
シャイニングトランパーから広がる光の帯がリズムの身体に吸収され、全身から淡い光を放つリズムが急加速してギガトーンに向け走り込む。
「フン、そう簡単に助けられるとは思わない事ね! やれ、ギガトーン!」
セイレーンとトリオ・ザ・マイナーがネックレス・チャームを通じて音の力を注ぎ込むと、それに反応しギガトーンが破壊の音波を周囲に拡散する。
身体強化された状態とはいえ、その音圧と破壊の音の痺れによって、リズムは「うっ!」と苦悶の声を漏らし、一瞬身体の動きが止まる。そこを見計らって、ギガトーンの両腕が挟み込むようにリズムに迫る。
「チューニング1! ブラストトランパー!」
シンフォニーの放つ輝く竜巻が、ギガトーンの右腕を弾き飛ばす。
「邪魔は……させないんだから!」
後を追って走り込んでいたメロディが、ギガトーンの左腕をすり抜けて飛び上がり、両腕でその巨腕を抱え込むと、床に押し付けるように腕を叩きつける。
二人の行動によってギガトーンの動きが止まり、その隙を見計らってリズムは飛び上がる。再び王子の捕らわれた檻へ向かって。しかし、先ほどと同じように天板に並んだメレンゲ人形部隊が、今度はリズム一人に狙いを定めて一斉に向きを変える。
「チューニング3! ブリルランテ・チャージ!」
「オオーッ! 集中力全開だララ!」
シャイニングトランパーから放たれた光の帯が、ラブギターロッド先端に合体するラリーに吸収され、高まる力を感じたラリーは気合の声を上げる。それを確認したビートは、一気に弦を弾き鳴らす。
「ビートソニック!」
ギュイ~~~ン、という弦の振動が周囲に鳴り響くと、一層鋭く、強い輝きを持った音符の矢が空中に一斉に並び、ギガトーンへ向け飛んでいく。
それらの音符の矢は、ギガトーンの天板に並ぶメレンゲ人形を一つ一つ射抜いていき、ギガトーンを防衛する破壊の音の音楽隊は次々と砕け散っていった。
「王子先輩!」
妨げる者のいなくなったリズムは、そのまま落下してケーキ一段目の天井に着地、そして王子を取り囲む支柱の檻を掴み、力を入れようとするが……
「うっ……あああああああぁぁぁぁぁっ!」
「リズム!?」
リズムの悲鳴に、ギガトーンの腕を抑え込んでいたメロディが驚きの声を上げる。リズムが掴む檻から両腕を伝って、黒い電流のようなものがリズムの身体を覆っている。破壊の音の力の振動が、電気の流れのようにリズムの身体を駆け巡っていたのだ。
「進入禁止の特製トラップの味はいかがかしら? 残念だけど、そんなんじゃ王子様は助けられないわよ?」
煽るようなセイレーンの言葉。
「リズム! 離れて!」
破壊の音の電撃に晒されているリズムにシンフォニーが訴えかける。しかし、リズムは檻から離れない。檻から手を離さない。
「王子先輩を……助けたい」
「リズム……?」
リズムはへたり込みそうになる身体を両足で支え、よろめきながらも力強く立ち上がろうとする。
「何故好きかなんて……なんで憧れてるかなんて……何度考えても、答えなんて、出なかった…………」
苦痛に耐えながらも、自分の中に渦巻く想い、高まる気持ちを口にしていく。
「先輩はかっこよくて、優しくて……演奏も素敵で、私も……ただそんな先輩に憧れてただけで……」
檻を握る拳を、ぎゅうっと更に握り込む。電撃のような振動がより激しく身体を打ち付けたが、気にする事もしない。
「すごく悩んでた時に励まされて。その時、……王子先輩の音楽に苦悩する気持ち、音楽への強い気持ちも教えてもらったはずなのに…………私、そんな事も忘れてて!……王子先輩を好きになる資格なんてない、って、そんな風にも思った……」
リズムの辛そうな独白を、シンフォニーは瞳を揺らしながら見つめる。
「…………でも! それでも! 今、私の身体を突き動かすものがあるんです!」
リズムが奥歯を噛みしめ顔を上げる。前を向いた視線の先には、ぐったりとした王子の姿が檻越しに見える。
「理由なんて、分からない。…………ううん、そんなもの、必要ない!」
リズムがギガトーンの天板に両足をしっかりと踏みしめ全身に力を込める。
「私は…………王子先輩を、助けたい!」
全身の力が両腕に伝わり、鋼鉄のような硬度になっていた支柱が、ミシィ、と僅かな悲鳴を発した。
「だって!」
ズン、と片足を更に踏みしめて、更に力を込めていく。
「私は!」
ギギギギギ……と支柱が悲鳴を発すると共に、外側へと歪曲していく。
「王子先輩の事が……………………大っ好きなんだからああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ついに支柱の檻が加わり続ける力に耐えきれなくなり、大口を開けるように左右に曲げ広がる。その勢いのままへし折れた二本の支柱が左右に飛んでいってしまう。
「奏…………」
リズムの感情の爆発を、シンフォニーは潤んだ瞳を向けて見届けていた。
「げぇぇぇぇぇぇッ!? 戦いの最中に愛の告白!? 信じらんないわ、なんて恥ずかしいヤツなの!?」
「ま、まったくだ!」
「私もあんな事言われてみたい……」
「えっ」
リズムの突然の告白に、赤面しながらドン引きしているセイレーンと、気恥ずかしそうに同意するバスドラ。そしてバリトンがポツリと漏らした言葉にファルセットがまた別の驚きの顔を向ける。
檻を破壊したリズムは王子を両腕で抱え上げると、ギガトーンの天板部から跳躍。そして、壁に背を置くように王子をゆっくりと降ろす。
「王子くん! 良かった…………」
「リズム! そっちは、大丈……夫……?」
王子の無事を確認して安堵の息を漏らすシンフォニー。メロディは、助ける際にリズムも激しくダメージを受けていた事を心配して声をかけようとした、のだが。
長時間破壊の音の電撃に晒されて、疲労とダメージが蓄積しているはずのリズムの身体。しかし、その両足はしっかりと床を踏みしめており、身体を震わせているが、その表情に疲労の色は見えない。……むしろ、精悍で揺るぎない強さがその顔には宿っている。
突然、リズムがギガトーンに駆け込む。メロディ達は急な事で止める事も声をかける事も出来なかった。ギガトーンが拳を引き絞り、リズムに向け渾身の一撃を放つ。
「ギッ、ガーーーガガガガ!」
「だあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
その拳を避けるでもなく、リズムは正面から自らの拳で迎え撃った。両者の拳には何倍もの質量差がある。それがお互いの力を込めた勢いのまま、正面から激突する。
「ギッ!? ゴッ……」
だが、ギガトーンと比べればあまりにも小さいリズムの拳は、ギガトーンの拳を弾き返し、その勢いによってギガトーンの巨体が揺らぐ。
「でえええぇぇぇぇぇやあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
リズムは床を蹴って跳躍し、空中で高速回転した後、旋回の勢いを乗せた回し蹴りをギガトーンの上段部、顔のある部分に叩き込む。
「グッ、ゲゲッ、ゴ……」
ギガトーンの巨体が浮き上がり、そのまま後方に吹き飛ぶと共に倒れ込んだ。
「す、すっご……」
メロディとビートがその光景に目を丸くする。マイナーランド側も唖然として見ていた。
「ギ、ギガトーンを一人で殴り飛ばした……」
「これは、ハーモニーパワーというより、ラブ・パワー……!」
「やかましいわ!」
驚愕するバスドラに、どこかしたり顔といった風のバリトンに突っ込みを入れるセイレーン。
「みんな! 今がチャンスよ!」
さすがのシンフォニーも一瞬、あっけに取られていたが、ギガトーンが自由を失っているそのタイミングに気付いて号令を発し、メロディとビートも我に返る。
「轟け! この魂!」
「導け! その輝き!」
「「プリキュア!」」「ツインビート!」「シンフォニア!」
ソリーの合体したラブギターロッドをビートが弾き鳴らし、ラリー、シリー、ドドリーの合体したシャイニングトランパーをシンフォニーが吹き鳴らし、周囲に音の歪みを浄化する結界を広げていく。
「「クロスロッド!」」
そして、メロディとリズムがミラクルベルティエ、ファンタスティックベルティエを交差させて互い違いに合体させ、ドリー、レリー、ミリー、ファリーの四体のフェアリートーンが描く軌跡が四つの音の力のリングを形成する。
「「四つの心を、一つの力に! プリキュア! ミュージックロンド…………」」
「「「「スーパー…………カルテットーーーーーー!」」」」
四人の掛け声と共に、四つのトーンのリングに集約された音の力が光線となって照射され、空中で四筋の光が重なり合い、束となってギガトーンの身体を貫いた。
「「「「フィナーレ!」」」」
「ガガッ! ギギッ! …………グーグーグー……」
四人の終演の合図と共に音の力が爆発的に広がり、それに包まれたギガトーンが歪んだ音の力を浄化され、安らかな眠りに落ちていく。
「ニャップニャプー!」
「ファファッ! ファリーッ!」
ハミィが両前足を合わせてハートの光を発すると、それが命中したギガトーンから音符が飛び出し、ファリーの頭に収納された。
「ハニャ?」
ハミィはファリーが頭の宝石部から発する輝きを見て何かに気付き、ファリーを掴んで頭の中を覗き込む。ファリーの内部に収納されている無数の音符が飛び交っている様が見えた。そして、ファリー以外のフェアリートーン達にも目を向け、その内側から広がる音符の力を感じ取る。
「……もうすぐ、幸福(しあわせ)のメロディが完成するニャ…………」
歌の妖精であるハミィには感覚で理解出来た。音符たちが互いに共鳴する様から、伝説の楽譜に必要な音符が揃いつつある事を。
「…………ケーキが!」
「……間に合え!」
リズム達は、音の力に包まれて浮かんでいたスイーツ部の製作ケーキが、その力から解き放たれてゆっくりと重力に引っ張られ始めているのを感じ取った。
落下地点に駆け寄り、ケーキを受け止めようと四人が跳躍する。
落下の勢いを殺すように腕を下げながら四隅でそれぞれ受け止めた四人だったが、全体にかかる重力と衝撃による負荷を打ち消しきれなかった。ケーキが四人の手に収まった瞬間、ケーキに巨大な亀裂が走り、一部が潰れ、メレンゲ人形が倒れて転がって床に散らばる。
「ああっ…………」
「そんな……!」
リズムとシンフォニーが悲痛な声を発する。メロディとビートも、スイーツ部の想いの結晶が崩れる様を見て、悲しげに顔を歪める。
「……あいつら、相変わらず妙な所で力を発揮して…………アンタ達、引き上げるわよ!」
「待つニャセイレーン!」
トリオに指示を出してその場を去ろうとしていたセイレーンに、ハミィが駆け寄って待ったをかける。セイレーンはファルセットの頭の上でハミィに振り返った。
「今日のコンテスト、スイーツ部のみんなで一生懸命頑張ってきて、響達もみんなも応援して、それでようやく今日にたどり着いたんだニャ。みんなの想いと、努力が、あのケーキには籠ってたんだニャ……」
セイレーンは冷ややかに見下ろすだけで、何も答えない。
「そんなみんなの頑張りを台無しにする事が、セイレーンのやりたい事なんだニャ? そんな風に、みんなの大切なものを壊して、悲しませて……そんな事を、これからも続けるのニャ?」
セイレーンは冷たく笑い、つまらなそうに答えた。
「……フン、だとしたらなんだってのさ?」
「だったら……だったら…………」
ハミィは一度顔を伏せ、そしてこれまでにないほど真剣な表情で、セイレーンに向かってその意思を解き放った。
「…………ハミィは、セイレーンには絶対に負けないニャ!」
「!?」
全く予想だにしていなかった言葉に、それまで、冷たく、興味なさげにハミィを眺めていたセイレーンの表情が大きく動く。
「ハミィは、ハミィのために……幸福のメロディを絶対に歌ってみせるニャ! みんなと一緒に力を合わせて、伝説の楽譜を完成させるのニャ!」
今までハミィが見せた事のない決意表明。そしてそれは、セイレーンに対する宣戦布告でもあった。それを聞き終え、突きつけられた勝負を受け止め、セイレーンはどこか楽しげに笑う。
「……アンタにそれが出来るっていうんなら、やってみなさいな」
---
「……やっぱり、コンテストをこれ以上延期や延長する事は難しいみたい」
沈痛な面持ちを浮かべるスイーツ部の面々の元に戻って来た聖歌は、同じく苦しそうな表情で言葉を絞り出した。
ギガトーンが暴れた後で戻って来た運営スタッフによって協議が行われたが、会場そのものは無事であり、破損した設備は片付ける事でコンテスト自体は最後まで行われるという形になった。
崩壊状態になったアリア学園のケーキ。しかしそのために全体の進行を変える事は出来ない。それは聖歌にも最初から分かっていた。どのチームもあらかじめ事前準備をした上で今日の大会に挑んでいるし、大規模スイーツとなれば材料費も馬鹿にならない。
「騒ぎの中で崩れた箇所の再建や調整を行う時間は与えられるけど……それも最大で40分程度」
使用している場所やそれぞれの参加者、スタッフの時間的都合、そして完成したスイーツの鮮度の問題もあり、それ以上は時間を確保できないという事だった。これでもかなり無理をしてくれたのだろうと聖歌は推測している。条件は他のチームも同じ……ただ、アリア学園スイーツ部のケーキだけは、完全に崩壊状態になっているというだけの話。
スイーツ部の面々は崩れたケーキをちらりと見て、そして視線を逸らす。流石の聖歌も皆に指示を出す事が出来ず、奏も気持ちの整理が出来ていない様子だ。
「奏……聖歌先輩…………」
「こんな、こんな形で終わっちゃうなんて……」
辛そうな様子のスイーツ部の面々を、響や和音はいたたまれない気持ちで見ていた。奏太やアコ、女子サッカー部の面々、南野夫婦もどう言葉をかけていいか分からず遠巻きに見守る事しか出来ない。
このままじゃいけない。響が奏と聖歌の背を押そうと気持ちを固め、口を開こうとした時、それよりも先にスイーツ部に向けて一歩踏み出した人物が居た。
「聖歌さん!」
王子だった。整った顔立ちに僅かな皺が走り、その真剣さを顔で訴えかけている。
「王子くん……」
「聖歌さん、君は、せっかくの、せっかくみんなでここまでやって来たスイーツコンテストを、こんな形で終わらせてしまっていいのかい!?」
「…………」
その表情は、その必死さは、さわやかな雰囲気の王子が普段決して見せないものだった。
「今まで何度も話してくれたじゃないか。中学最後の年、今のスイーツ部のみんなとだからこそ、きっと素晴らしいスイーツが作れるはずって。約束のためだけじゃない。スイーツ部のみんなの中心として、君はこんな所で諦めちゃいけないはずだ!」
王子の必死の訴えは、聖歌の心を揺さぶったようだ。首を回してスイーツ部の仲間達一人一人に視線を向け、そしてそれが王子の元に戻って来る。
「ふふ。厳しいのね。王子くん。…………確かにその通りだわ。部長である私が、真っ先に諦めるような事は、あっちゃいけない」
表情に力が戻った聖歌を見て、安堵したように王子は顔を和らげる。そして、王子はもう一人に向き直る。
「それに、南野さん」
「……えっ!? あっ…………はい」
王子の必死な様子を見て、二人の間にある特別な絆を感じ取っていた奏は、急に自分に話を振られた事で驚く。
「君も、そんな風に簡単に諦められるような人じゃないって、僕はそう思うんだけどな」
”自分”を見て言う王子の言葉に、胸が熱くなるのを感じ、そして同時にしぼんでいた気持ちが膨らんで形を取り戻していくのを奏は感じる。
「先輩…………先輩の言う通りです。私、私達……こんな所で、諦めたくない!」
聖歌と奏は互いを見てうん、と一回気持ちを確かめ合う。そんな二人の蘇った熱が他の部員にも伝わっていき、その表情に力が戻っていく。
「人形や材料にはアクシデントがあった時のための予備がまだ残ってる。それを使えば、まだ出来る事はあるはずですよ、部長!」
「残り時間、その中で、私達全員で協力すれば!」
アヤがクリップボードの管理用紙をめくって状況を確認する。ケイコも意欲を取り戻している。
「私達に出来る、最善を尽くしましょう。最後まで、悔いの無いように!」
聖歌の宣言と共に、スイーツ部の面々は崩壊したケーキをキッチンへと移動させる。
「じゃあ、再建作業、スタート!」
アヤがトライアングルをチリ~ン、と鳴らし、それを合図に、スイーツ部の面々は残り時間を使って最後の作業に挑んだ。
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「スイーツコンテスト決勝、優勝者は――――」
優勝チームの名前が読み上げられ、設営されたステージ上に優勝チームが登っていく。
アリア学園スイーツ部は必死の頑張りによって、棄権して終わるという最悪の形にこそならなかったが、彼女らに与えられたのは……特別賞。味は評価され、中学生が大きなトラブルに見舞われながらも最後までやり遂げた事についても大きく評価され、本来存在しなかった特別の枠が審査員から用意された。
しかし、このスイーツコンテストは味、形、造形……総合的な角度から評価されるものであり、完成品を本番に上げられなかったスイーツ部は戦いの土俵には立てない。スイーツ部の活動は、順位を与えられず終わるという結果になった。
表彰される参加者たち、大会の最後を見守る観客達、それらから離れた隅で、壁に背を預けて奏と聖歌の二人が並んで立っていた。
「私と王子くんね…………幼馴染だったの」
どこか遠くを見るような目で語り始める聖歌の横顔を、奏は見つめる。
「私がスイーツ作りを始めたのも、ちっちゃい頃に、王子くんが私の手作りクッキーを褒めてくれた事がきっかけ」
響がかつて予想した通りの内容だった。聖歌のスイーツにかける想い、その原点は、王子との関係。
「王子くんは私にスイーツ作りの才能があるって言ってくれて。私も王子くんにはピアノの才能があるって言って。……その時にね、約束したの。私はプロのパティシエに、王子くんはプロのピアニストになろうって……だから今回の大会で優勝出来たら、その約束に向けて大きな弾みになる、なんて話していたりして」
(あの時の会話はそういう事だったんだ……)
音楽室で向き合っていた二人の姿が記憶の中から浮かび上がる。あの時の二人の姿は、そう、紛れもなく……
「私にとっての王子くんと、王子くんにとっての私。他の誰とも違う、特別な関係」
「じゃあ、やっぱり聖歌先輩は王子先輩の事が……!」
再び、そこに帰って来た。全ての中心にある疑問。しかし、聖歌はその言葉を聞いて、寂しげに微笑みながら、首を横に振った。
「そう。私は王子くんの事が好き。…………だった」
「だった……?」
予想した答えが返って来ると思って、しかしそこから思いもかけない言葉が続いたのを聞いて、奏が困惑する。
「お互い、夢を叶えようと必死だった。それは、私達の大切な約束のため。……だけどね? 私はいつもいつもスイーツ作りばかりしていて、王子くんはいつもいつもピアノのレッスンばかりしていて……いつの間にか、お互いに話す事が分からなくなっていったの」
聖歌の表情には、王子との思い出に対する喜び、そして寂しさや悲しさ、そういったものが混ざり合って複雑な色が浮かんでいる。
「まるで、別の世界の住人になっちゃったみたいで。好きな事も、話題も、ぜんぜん噛み合わなくて。……それでもお互い、ずっと仲はいいままだったけど……今となってはもう、王子くんの事、好きなのかどうかも……分からなくなっちゃった。…………たぶん、王子くんの方もそう」
「聖歌先輩……」
聖歌の抱える想いは、単純に恋敗れた失恋の記憶とも違う。決着をつける事も出来ないまま、行き場のなくなった感情だけが整理をつけられず聖歌の心の中で彷徨っている。
「ごめんなさいね。王子くんは渡せない、だなんて勝手な事言って。…………恋人になれなかったとしても、王子くんが誰かに取られちゃうの、なんだか嫌だな、なんて思って…………王子くんは、誰のものでもないのにね」
聖歌が奏に顔を向け、寂しげに微笑む。
奏は、壁から背を離し、聖歌に向き直った。
「聖歌先輩。私……王子先輩の事、まだほとんど何も知りません。でも、知りたいんです。王子先輩のもっと素敵な所も、そうでない所も……そして、憧れの先輩じゃなくて、その……一人の男の人として、付き合えたらいいな、って思ってます」
真剣な想いを告げる奏に、聖歌も壁から背を離し、奏を正面から見据えて、そして心の中の寂しさを拭い去るように微笑んだ。
「ふふ。応援してるわ。…………あなたの恋の行方」
…………再建されたスイーツ部のケーキ。残った材料の中から使えるものをかき集めて作り直した結果、段構造も無くなり、一回りも二回りも小さい、普通のホールケーキのようになってしまった。
しかし、予備として残されていたメレンゲ人形達が各々の楽器を持って円周に並び、そしてその中央には……ピアノの前に並ぶ、二人の男女の人形の姿があった。
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淀んだ空気に覆われ、光の見えない世界、マイナーランド。
その空間の中で一人佇むメフィストもまた、ハミィと同じように、伝説の楽譜の音符が揃いつつある事を感じていた。
メフィストがカッと目を開き、黒い靄のようなオーラが球体状に覆う宝石箱のような物体……メイジャーランドの宝である「ヒーリングチェスト」を自らの手元に引き寄せる。
「いよいよ、その時が近づいている。……むん!」
メフィストが手のひらから波動を発すると、硬く閉ざされていたヒーリングチェストの上蓋がガバッと開く。その中には、桃色の宝石のような物体。それを囲うように八色の鍵盤が扇形に並んでいる。
『やめなさいメフィスト。あなたのやろうとしている事は……!』
ヒーリングチェストの、中央の宝石から、女性のような声が響く。
「黙れクレッシェンドトーン。俺様はもう今更後に退く気などない。長い時間がかかったが、ようやくこれを完成させる事が出来るのだからな」
『ああっ……!』
”クレッシェンドトーン”の苦悶の声と共に、ヒーリングチェスト中央の宝石から光の奔流……音のエネルギーの波が溢れ出し、上空に集まっていく。
闇に覆われたマイナーランドを切り裂くような眩い光を発していたそれは、空中の一点に集まっていく中で淀んだ色に変わっていき、それらの色が更に混ざり合い、やがて光通さぬ漆黒のエネルギーの塊となって全て吸収される。
そのエネルギーの塊も一点に収束していき、一つの形を構成していった。
闇のように深い黒、宝石のような形状に、左右に広がる漆黒の翼、その姿は――
「これで、俺様の望みが叶う……ふふふふふ……、は~~~~~~~っはっはっはっは!」
つづく