「あぁ~、だる……」
教室窓際の一番後ろの席で気怠くそうつぶやいたのは、髪がぼさぼさの童顔の男。名を
「はわぁ……~ぁ」
欠伸。丸は今、授業を受けている最中だが、今の欠伸で計48回目だ。
授業は真面目に受けないのか? と彼を見ていたら問いただしたくなるだろう。現に教師も何度と注意している。それでも、彼が退屈そうに授業を真面目に受けないのだから、教師側も呆れる他ない。
「丸っち……可愛すぎ、結婚してくれ」
丸に向かって唐突に放たれた脈絡不明の理解しがたい言葉。それは丸太顔負けの太さ(丸はクソデブと呼んだこともある)の山田弥勒が顔を赤らめて言っているのだった。
山田弥勒。通称あだ名ろっく。ろっくの由来は弥勒のろくから取ってある。
ろっくは丸の小学生からの友達だ。ここまでは分かるだろう、友達までは。だがしかし、可愛すぎ、結婚してくれと友達に言うのはおかしいと思うだろう。その通りであると丸は思う。
彼はホモなのか? いや、ろっくとは小学生からの仲ではあるが、ホモというホモホモしさは感じないというのが丸の正直な感想だった。
では、なぜそんなことを言ったのか、話す前に。
「は? するわけないだろ」
一度、否定しておく。でなければ、落ち着かないからだ。
否定するとろっくは分かりやすいように落ち込んだ。なんとも顔に表情が出る奴だと、丸は常々考えている。
「いやあ、だってその顔面偏差値美少女同然の丸っちが悪いんだよぉ……、男にしては勿体なさすぎる。魔法使いまっしぐらのおいらが魔法使いルート辞めるには、今決意して告白必要があったんだ」
「だからって、授業中にいきなり男から告白される側の気持ちを考えろ。しかも友達からだぞ。それに、男とセックスしても魔法使いは解けないぞ」
つまり、丸の顔が女の子と見間違うくらい可愛いから、あんなことを言い出したらしい。
確かに、顔だけ見れば美少女に見えなくもないが、それにしても……いや、ろっくはいつもこんな調子だ。
なぜなら、ろっくはオタクの変態であるのだ。これで全ての説明がついたとは丸も思わない。だが、それでいいのだ。何がいいのかは知らない。特に意味もない。
丸はそれから、窓の外を見た。雲一つ無く(実際にはある)晴れてはいるが、それ以外は特段感想が出てこない日常の風景。
なんだろうか。別に嫌なわけじゃない。勉強は好きじゃないが、学校生活に文句があるほどじゃない。
だったら、今に何の文句があるというのか。
もっと刺激的な、何か……そう、非日常が欲しいのかもしれない、とふと思った。
──そう、人が直面したら何もかもが変わってしまうぐらいのそんな異変。危険。イレギュラー。
そんなものを望む丸は、変わっている。
そんなことを考えていたら、頭に痛みが走った。
まさか、これが異変! 危険!? と考えて、咄嗟に身を構えた丸だったが、痛みの正体は教師に手刀で叩かれたのだと理解してなんだとしょぼくれた。
「痛いだろ……千春せんせー」
「授業を受けなさいと、何度も言っているでしょ。月川君が真面目に受けないのが悪いのよ」
教師の倫理観がない発言をしているのは、荒井千春。丸の担任教師であり、国語の担当教師だ。それは丸からしたらどうでもよくて、大切なのは彼女の体つきがとてもセクシーかつエロいということだった。
丸はろっくのことを変態と言ったが、丸も変態なのだ。類は友を呼ぶ、ということ。
だが、そんなことを言ったら、もう一発暴力をお見舞いされるかもしれないので口には出さない。
「でも、教師が暴力を振るうのはちょっと……良くないと思うんだけど?」
「暴力だなんて失礼ね、これは愛の鞭よ。これに懲りたら、教科書の48ページを開いて授業に取り組むこと! 月川君は頭が悪くないんだから、勿体ないわよ」
「へいへ~い、受ければいいんでしょ」
これが日常。
月川丸の日常。
壊れてほしい、月川丸の日常だ。
でも、この些細な何事もない日常も──意外に悪いものではないのだと後に知ることになる。
そう、あの黒い球と出会うまでは。
=====
学校の帰り道。
丸は学校から自宅までは距離が少し離れているので、学校近辺から出ているバスに乗って帰ることになる。
後ろの席をデブ故に独り占めしているろっくを後ろに、隣の席が見知らぬ老人のおばあさんを横に、丸は窓の外で動く街並みを見ていた。
「ねぇ、丸っち、新作のエロゲやった?」
「隣におばあちゃんいる状態でよく後ろからそんなこと言えたな、ろっく。まだ開封してないな」
「まじぃかよー、おいらはもう全ルートクリアしてグランドハッピーエンド迎えたっていうのにさぁ」
「昨日発売したばっかだぞ。早すぎだろ」
流石エロゲオタク。ろっく先生ぱないっす。と丸は独り言ちる。
あれ、なんか外の景色動くの速いな。まぁ、気のせいだろう。
「飴ちゃん、いる?」
突然横に座っている白髪のおばあさんから飴玉を手にそう丸へ言ってくる。
いきなり何なんだ、このおばあちゃん、と丸はどうしたものかと考えたが、ここは貰えるものを受け取っておこうと最終的に判断する。
「あぁ~……えっと、おばあちゃん、じゃあくれる?」
「いいですよ」
「え、何、丸っち、新拓のヒロインルート発見したの? 頑張れぇ」
頑張れじゃない、と丸は苦々しく思いながら飴玉を受け取ってそのまま口の中に運んだ。甘い。美味しい。リンゴ味だ。
なんでくれたんだ? この人。
口の中甘いなあと思いながら、再度窓の先を見た丸だったが、その光景に唖然とする。
「は、速……」
何がといえば、動く外の風景である。
何で、外って動くんだっけ? と瞬時に考えて、それは自分の乗っているバスが動いているからだと考える。つまり、窓の外が動いているわけではなくて、自分たちが高速で動いているのだ。それも、時速100キロを明らかに超えている。
「ま、丸っち……これやばくね?」
「ろっく! ちょっくら、バスの運転手見てくる!」
「えぇ、丸っち立つと危ないよお!」
気が付けば、横に座っていたおばあさんが消えていることは一旦置いといて。
丸は急激に動く車内を絶妙的なバランス力で駆け抜けていく。
誰かの悲鳴が聞こえた。それは女であったかもしれないし、男かもしれなかった。
運転席へ瞬時にたどり着くと、丸はそこで見た。
白目を向いて、意識を失っている運転手。その足は、アクセルを踏みっぱなしだった。
「そこをどけえ!」
目の前に立っている若い男を突き飛ばして、丸は走る。走りながら同時に分かっていた。もう間に合わないと。
速度100キロを超えて道路の中央を走っている大型バスは、目の前の建物に直撃したのを、もう少しで手が運転手の足に届く丸の視界に映っていた。
悲鳴と怒声と爆音の中で、月川丸は、それでもあきらめずに、手を前に伸ばす。
そこで彼の意識は混濁の波に呑まれた。